斉一論とは、「自然界は全て気の遠くなるような
膨大な時間をかけてユックリと少しづつ変化していくものであり、
今も昔もそれほど大差なく徐々に変化していく」という理論。
実はダーウィンの進化論が喝采を浴びて定説とされてしまったがために、
斉一論が揺るぎない論理とされている。
しかし、絶滅や地球激変やプレートテクトニクスなどには
斉一論では全く通用しないどころか益々混迷を深めてしまう理論。
ほんの数日〜数週間で地球上に大激変が起きたとする方が理にかなっている。
これは現代のアカデミズムの根底を揺るがしかねない重大なことであるから、
多くの学者は「地球激変論」を単なる絵空事としてしか認識していない。
この「地球激変論」を認めてしまったなら、
世界中にいる殆どの科学者が自ら研究してきた説が
全て間違っていることを認めなければならなくなることに
一抹の恐怖を抱いているから、斉一論が完全に間違っている・・・
という新たな仮説を総力を挙げて全て否定するからだ。
歴史学も似たような側面があるが、
現代の科学は「地球環境の変化は穏やかに徐々に起きるものだ」という斉一論を前提としており、
それに反する仮説はいかに証拠があってもアカデミズムは頑なに認めようとしない。
基盤となる考え方が崩壊してしまうような理論を認めることは、
科学者としての自分の価値を著しく損ねるものと考えるため、
「正しい科学」よりも自分の生活を守るために
古いパラダイムにしがみつかざるを得ない。
多くの学者は研究テーマをミクロ的に細分化して絞る傾向にあるが、
この「地球激変論」は全くのマクロ的な観点から見なければならず、
彼らの不得意とされることで1人の学者には手におえないテーマ。
アカデミズムが心酔している年代測定である「炭素測定法」。
これがいかに「いいかげんなもの」なのかが解れば、
アカデミズムが今まで築き上げてきた地政学や考古学や天文学の定説は全て崩壊してしまう。
本当は違うが、仮に小惑星や隕石の落下で地球が激変したとしても、
その激変の後には大気の組成や気温や気候、
それに地形までもが大きな変化が起きることになる。
絶滅するくらいの天変地異であるから、その規模はハンパではない。