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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part7©2ch.net
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0001名無しさん@占い修業中 転載ダメ©2ch.net垢版2017/07/11(火) 06:22:40.12ID:QE4/wbCN
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。
0575名無しさん@占い修業中垢版2021/01/09(土) 06:08:22.56ID:DNuXcbyH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
Students of Jewish mysticism may be naturally curious about the roots of this card,
since it is suggestive of one of the most important trends in early Jewish thought,
that of the Merkabah.
ユダヤ教神秘主義の学徒たちは、このカードの根源たちについて、それが初期のユダヤ教の
思想における最も重要な流行たちの1つである、「メルカバ」のそれを示唆しているので、
自然に興味を持つかもしれない。

The Merkabah is the Chariot which carries the Throne. (*200)
「メルカバ」は、「王座」を運ぶ「戦車」である。 (*200)
--- ここまで ---

ちなみに、(*200)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
200. Carl Jung made some extremely interesting observations on the vision of
Ezekiel and the Chariot, particularly as related to Egyptian thought, in his
essay "The Tetrasomia," Alchemical Studies, New Jersey 1976, 278-83.
200. カール・ユング氏は、彼の随筆の『錬金術の研究』(ニュージャージー、1976年、
278-83ページ)の「テトラソミア(四大)」の章において、特にエジプトの思想に関連
して、「エゼキエル」と「戦車」の幻視についての、いくつかの非常に興味深い観察たち
を行った。
--- ここまで ---
とあります。

「メルカバ/Merkabah」は、『エゼキエル書』に出てくる「神の戦車」を指す「専門用語」
であり、後になって、「初期のユダヤ教の神秘思想」の中で、いわゆる「神との合一」を
目指すカバラの修行体系の一つとして、そういう物好きな人々の、いやいや熱心な宗教家
の間で、かなり「trends/流行」したという歴史があります。
まあ、瞑想というか妄想により「メルカバに乗って、神の国に行こう!」ということなの
ですが、その流れが、「メルカバ」=「7:戦車」であるという話に繋がるわけですよね。
0576名無しさん@占い修業中垢版2021/01/10(日) 07:13:51.84ID:GQ5HbixP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
Of this trend, Gershom Scholem says: "The earliest Jewish mysticism is throne-mysticism.
この流行について、ゲルショム・ショーレム氏は、以下のように述べる:「最も初期の
ユダヤ教神秘主義は、王座の神秘主義である。

Its essence is not absorbed contemplation of God's true nature, but perception of
his appearance on the throne as described by Ezekiel." (*201)
その本質は、「神」の本質についての没頭した熟視ではなく、エゼキエルにより記述される
ように、王座の上への彼の出現の知覚である。」 (*201)
--- ここまで ---

ちなみに、(*201)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
201. Scholem, Major Trends, 44.
201. ショーレム著、『(ユダヤ教神秘主義の)主要動向』、44ページ。
--- ここまで ---
とあります。

要は、昔に流行した、「メルカバの行法」においては、「玉座」という「ステージ作り」
が主要な課題であり、そしてそこに降臨してきた「(神)」が「見えた!」と言うことが
目的であって、実際に、それが見えているかどうかは関係無いということですかね。

そして、「見えた!」と言われているものは、厳重な「モザイク」がかかった姿、もしくは
「謎の光」により隠された姿でしかなく、本当のことは誰にも分からなくて、ほぼ各自で好き
勝手な妄想をしながら、各自で様々なストーリーを付けて楽しむという、二次制作としては、
実に健全というか、割りと王道的な展開の流行の話であることが推察できるのでした。

まあ、実際に、スカートをめくって直接中を覗いたりしたら、無罪では済まされないで
しょうし、そういう意味でも、熱心な信者が脳内妄想して楽しむという姿勢は、ある程度
までは許容されるべきであると、ワタシとしては思うのでした。
0577名無しさん@占い修業中垢版2021/01/11(月) 06:51:22.79ID:i9ImcMJQ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
He further states that while in the earliest days, writers spoke of the "ascent
to the Merkabah," the later writers discussed enlightenment as the "descent to
the Mercabah," (*202) presumably meaning a journey into the depths of Self.
彼はさらに、最初の時期における作家たちは「メルカバへの上昇」について話した一方で、
後の作家たちは、おそらく「自我」の深みの中への旅を意味する、「メルカバへの降下」
(*202) として啓蒙を議論していた、と述べる。
--- ここまで ---

ちなみに、(*202)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
202. Scholem, Major Trends, 46-47.
202. ショーレム著、『(ユダヤ教神秘主義の)主要動向』、46-47ページ。
--- ここまで ---
とあります。

当時のユダヤ教神秘主義愛好者と、その分野の同人作家の間で流行した「(神)キター!」
もしくは「(神)見えた!」の「メルカバの行法」は、基本的には「(神)の降臨」を
テーマとしたものでしたが、それだけに飽きたらず、さらに何でもありの状況に発展して
いったというか、発想がインフレーションしたというか、まあ、よくある過激な方へと
正常進化していくというのが、妄想的創作活動の常となっているわけです。

要するに、新しいネタを求めてどこまでも、というのが、フィクションやファンタジーの
創作活動の原動力ですので、宇宙に飛んだり、地下や深海に潜ったり、大きくなったり
小さくなったり、宇宙や世界を創造してみたり、人体内のミクロな神秘世界を探ったり、
まあ色々と創作活動のモチーフはあるわけです。
そして、そういう面白そうな新しいネタを「聖書」と絡ませることで、新たなユダヤ教
神秘主義の世界が広がっていったわけですので、そういう神秘主義的創作活動の
ネタ本という意味でも、文字通りの「バイブル」であると言われているわけです。
ということで、そういう分野に興味のある方は、色々と深掘りしてあげてくださいね。
0578名無しさん@占い修業中垢版2021/01/12(火) 06:14:46.15ID:7QSM3VBn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
One way or the other, there is the implication that the Chariot is stationary,
as it is shown in the Waite, Crowley and Marseilles cards, an imagery supported
by Case, who says that the number of the card, seven, is traditionally related
to rest.
いずれにしても、ウェイト版、クロウリー氏(トート版)、マルセイユ版のカードに示され
ているように、「戦車」は静止していることを示唆しており、ケース氏により維持される
画像では、彼はカードの数である7は、伝統的に、「休息」に関連していると言う。

This is a mystery, for while the Chariot moves continuously through the planes,
it is at rest.
これは神秘的なことであり、というのは「戦車」が次元たちの中を絶え間なく移動している
一方で、それは静止しているからである。
--- ここまで ---

「7:戦車」は、本来はじっと止まっているはずがないのに、静止しているように描かれて
いるのは神秘であると言いたいようですが、まあ、それはそういうものかもしれません。
なぜなら、「7」は、『旧約聖書:創世記』2:2にあるように、「完成」と「休息」の日を
意味しており、我々は、その成果物であるので、「戦車」は、既に主な作業を終えていて、
我々には、保守作業の呼び出しに備えて待機しているように見えるということです。

つまり、「7:戦車」の主要な活動期は、宇宙創造の期間であって、我々は、その本来の
働きぶりを、もはや見ることも知ることも出来ないということなのですが、このカードが
宇宙創造期において、どんな活躍をしていたのかは、いくつか推察できるイベントはあり
ますし、特に、宇宙のインフレーションに関わっていたことは、すごくありそうな感じも
するわけですが、いずれにしても、全ては妄想の中でしか無いわけです。

そういう意味においては、とても興味深いカードであり、神秘家にとっては、できるならば
切ってみたいカードであることは間違いないのですが、残念ながら、誰もその本質を知る
ことは出来ない、つまり誰も使えないのが、最大の問題なのでした。
0579名無しさん@占い修業中垢版2021/01/13(水) 06:13:10.87ID:gp3gttag
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
Of course, the fact that this card is a clear reference to Ezekiel does not mean
that it is indisputably related to Merkabah thought.
もちろん、このカードが「エゼキエル」への明確な参照であるという事実は、それが
「メルカバ」の考えに明白に関連していることを意味するものではない。

Ezekiel was a very popular figure in the west during the apparent period of the
invention of Tarot, as the art attests.
「エゼキエル」は、芸術が証明しているように、「タロット」の発明の明白な期間の間に、
西洋において非常に人気のある図案であった。
--- ここまで ---

『旧約聖書:エゼキエル書』の「神の戦車」は、ユダヤ教においてもキリスト教において
も、そしてカバラ主義においても、非常に人気のあるモチーフであり、それゆえ「メル
カバ」と呼ばれる神秘行法として実用に供されることになっているわけで、そういう流れ
が、この「7:戦車」に暗黙のうちに取り入れられていると推定することは、ごく自然な
流れであると思います。

とはいえ、実際の「7:戦車」の図案や、作者たちが残した文献には、『エゼキエル書』の
「神の戦車」を参考にしているという証拠は、ほとんど無いに等しく、しいて言えば、
トート版は、わずかにそれっぽい感じがするくらいです。

そして、ゴールデン・ドーン版とウェイト版では、「7:戦車」の人物像は、どちらかと
いうと、「天から降臨した神」ではなく、「天へと舞い上がる人間」として記述されて
いますので、神聖なる『エゼキエル書』の「神の戦車」というよりは、より俗っぽいと
いうか、神秘ヲタク向けの「メルカバの行法」に近いイメージがあります。

要するに、「7:戦車」とは、そういうヲタクっぽい遊び方の出来る場所というか、想像力
を最大限に発揮することで、現実からの逃避、いやいや「何でもできる、何でもなれる」
というものを象徴化したような感じなのかなぁ、と勝手に想像してみたりするのでした。
0581名無しさん@占い修業中垢版2021/01/14(木) 06:05:31.46ID:Fzmj52vb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
Yet if we are to suppose that the originators of the Tarot had even the slightest
knowledge of Qabalah and Jewish metaphysics, we must assume that they were familiar
with its oldest expression, Merkabah, and would not have used an image of a chariot
casually.
けれども、「タロット」の創作者たちが、「カバラ主義」と「ユダヤ教」の形而上学に
ついての、ほんのわずかの知識さえ有していたと想定することがあれば、彼らは、その
最も古い表現である「メルカバ」を良く知っており、戦車の像を不用意には使用しないで
あろうことを想定しなければならない。

The intention here is not to attempt to answer this question, only to acknowledge
that it exists and that it is one which may cut to the very core in defining what
is modern and what is ancient in the system of Tarot.
ここでの意図は、この質問に答えようとすることではなく、それが存在し、そしてそれが
「タロット」の体系において、何が現代的で何が古代的であるかを定義付ける上で、まさに
核心に切り込むことのできるものの一つであることを認めることだけである。
--- ここまで ---

ここは、極めて回りくどい表現ではありますが、古典的なマルセイユ版はともかくとして、
現代的なゴールデン・ドーン系統の「7:戦車」には、「メルカバ」の要素、それも『エゼ
キエル書』に出てくる古代の正統的な「神の戦車」ではなく、近代的かつヲタク要素満載
の「メルカバの行法」が、こっそりと元ネタとして練り込まれているということのようです。

つまりそれは、『エゼキエル書』の「メルカバ(神の戦車)」と、ゴールデン・ドーン系
タロットの「7:戦車」とを、混同してはならないということでもあります。

この両者は、どれくらい違うのかと言うと、リアルな「三次元」と、バーチャルな「二次元」
の違いみたいに、全く異なる次元のものであり、なぜそういうことが起こるのかと言うと、
本来の「7:戦車」は、既に人の理解を超えた次元にあるということに他ならないわけです。
0582名無しさん@占い修業中垢版2021/01/15(金) 06:23:20.07ID:BeANmrC/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
Eliphas Levi, who is something of a bridge between ancient and modern esotericism,
made an interesting contribution in his design for THE CHARIOT card.
古代と現代の秘教の間の架け橋のような、エリファス・レヴィ氏は、「戦車」のカードの
彼の図案において、興味深い寄稿を作成した。
--- ここまで ---

よく知られているように、レヴィ氏は、古典的なタロット・カードであるマルセイユ版を
ペースに、「カバラ主義」を積極的に取り入れて、それまでのシンプルなゲーム&占い用
から、複雑な象徴を組み合わせた魔術用へと、大胆にイメージチェンジさせた、鍵となる
人物の一人です。
まあ、一言で言えば、ヲタク向けに、ビジュアルを重視させた、という感じですかね。

そして、そのビジュアル面において、ゴールデン・ドーン以降のカード・デザインに、
大きな影響を与えているわけですが、その影響は、うわべだけであって、本質的な部分
は、ゴールデン・ドーンの体系とは、かなり異なっています。
その根本的な違いは、ヘブライ文字と大アルカナとの対応ということになるのですが、
その結果として、「カバラ」の「生命の木」では、両者は全くの別モノとして解釈せざる
を得ないということになっているわけです。

とはいえ、「カバラ」を持ち出さなければ、レヴィ氏のものでもゴールデン・ドーン系の
ものでも、見た目としては大した差は無いということもありますので、「7:戦車」という
高次元のレベルにおいては、そもそも意味の良くわかんないカードですし、細かいことは
あまりこだわる必要も無いのかな、とも思うのでした。

実際、独自デザインのこだわりの強いマサース氏のゴールデン・ドーン版を除いて、
ウェイト版もトート版も、レヴィ氏のデザインの影響を大きく受けているわけですが、
本質的な解釈の違いというのは、しょせん下界の住人である我々には、実感として、
良くわからないわけですよ。←無責任極まりない態度ww
0583名無しさん@占い修業中垢版2021/01/16(土) 06:05:59.41ID:1ftp7/Te
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
This was never a part of a Levi deck, although Oswald Wirth incorporated most of
Levi's ideas into his Tarot of 1889.
オズワルド・ウィルト氏は、1889年の彼の「タロット」の中に、レヴィ氏の考え方の大部分
を組み入れたけれども、これは、決してレヴィ氏のデッキの一部ではなかった。
--- ここまで ---

いきなりオズワルド・ウィルト氏のタロットの話が出てきましたので、この辺りの関係を
簡単に整理しておきます。

まず最初に、近代のカバラ・タロットの源流となったのは、フランスの神秘作家である
エリファス・レヴィ氏(Eliphas Levi, 1810-1875)の著作である、
『Dogme et Rituel de la Haute Magie/高等魔術の教理と祭儀』(仏語、1855年)
ですが、これは、後にウェイト氏により英訳されて、
『Transcendental Magic: Its Doctrine and Ritual/超越的魔術、その教理と祭儀』(1896年)
というタイトルで発刊され、後のウェイト版タロットにも影響を与えることになります。

そして、レヴィ氏の著作の影響で、フランスでは神秘学が流行して、いくつかの神秘主義
団体が生まれており、その流れの中で、スタニスラス・ド・ガイタ氏(Stanislas de Guaita,
1861-1897)が、1888年に設立した「薔薇十字カバラ団」において、ガイタ氏の指導の下で、
オズワルド・ウィルト氏(Oswald Wirth, 1860-1943)が、マルセイユ版をベースにして、
レヴィ氏のカバラ的発想を取り入れた新しいタロットである、
『Le Livre de Thot comprenant les 22 arcanes du Tarot./「タロット」の22枚の
大アルカナを含む「トートの書」』 (1889年)
を発行しています。

ということで、レヴィ氏のタロット・デザインは、ウィルト氏のタロットや、ウェイト版
タロットにパクられているのですが、マサース氏は、そういう安易なバクリには、あまり
興味を示さなかったようで、ヘブライ文字の対応とかも含めて、時間をかけて、あくまでも
オリジナルなデザインにこだわっていた感じはありますよね。
0584名無しさん@占い修業中垢版2021/01/17(日) 09:13:08.86ID:NEwiAcpH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
In the Ritual of Transcendental Magic, Levi wrote of THE CHARIOT:
『超越的魔術の儀式』の中で、レヴィ氏は「戦車」について、以下のように書いた。
--- ここまで ---

この『Ritual of Transcendental Magic/超越的魔術の儀式』は、前回出てきた
『Dogme et Rituel de la Haute Magie/高等魔術の教理と祭儀』の英訳版である、
『Transcendental Magic: Its Doctrine and Ritual/超越的魔術、その教理と祭儀』
のうちの、「Ritual/祭儀」の部分となります。

その「祭儀編」の最終章である第二十二章の「The Book Of Hermes/ヘルメスの書」には、
タロットの大アルカナのデザインと意味が記述されています。
そして、その中に、「The Chariot Of Hermes/ヘルメスの戦車」という図題の、詳細に
描かれた挿絵があります。
これは、従来のシンプルなマルセイユ版をベースとして、神秘主義的なものをテンコ盛り
にしたようなもので、もはや何でもありの最強無敵状態となっています。

何はともあれ、このレヴィ氏の『高等魔術の教理と祭儀:祭儀編』の最終章という大トリ
を務める「ヘルメスの書」は、カバラ主義的な近代タロットを使うカード愛好家であれば、
ネタとして、ぜひとも一読しておくべきものであり、内容的にも、古典的なマルセイユ版
から、現代的な魔術カバラ主義のゴールデン・ドーン系統へと繋がる、非常に重要な架け橋
となるものです。

とはいえ、理論的な裏付けが薄いというか、単なる思いつきというか、もはや思い込みだけ
の内容がほとんどなので、意識高い系の魔術ヲタクにとっては、あまり興味が持てないと
いう面があることは否めないのですが、この「7:戦車」のレベルでは、もはやこういう
思いつきでしか語れないので、溺れる者は藁をも掴むというか、レヴィ氏の著作であっても、
無視する理由が無くなるという消極的な理由で、注目するに値するということです。

ということで、以下の引用は、くれぐれも、妄想ネタの一つとして、お楽しみください。
0585名無しさん@占い修業中垢版2021/01/18(月) 06:14:07.81ID:lgGO5yX3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
A CUBIC CHARIOT, with four pillars and an azure and starry drapery.
4本の柱たちと空色で星をちりばめた掛け布を備えた、「立方体の戦車」。

In this chariot, between the four pillars, a victor crowned with a circle adorned
with three radiant golden pentagrams.
この戦車の中に、4本の柱の間に、3つの輝く金色の五芒星形たちで飾られた円を持つ王冠を
かぶった勝利者。

Upon his breast are three superimposed squares, on his shoulders the URIN and
THUMMIM of the sovereign sacrificer, represented by two crescents of the moon
in Gedulah [Chesed] and Geburah; in his hand is a sceptre surmounted by a globe,
square and triangle: his attitude is proud and tranquil.
彼の胸には3つの重ね合わされた四角があり、彼の肩には、「ゲドラー(ケセド)」と
「ゲブラー」の2つの月の三日月たちにより表される、最上の犠牲を捧げる者が有する
「ウリム」と「トンミム」;彼の手には、球形、正方形、そして三角形を載せた笏:
彼の態度は誇らしげで平穏である。
--- ここまで ---

最後の文の「URIN」は、「Urim/ウリム」の誤植ですかね。

この「URIM and THUMMIM/ウリムとトンミム」は、『旧約聖書:出エジプト記』28:30の
「裁きの胸当てにはウリムとトンミムを入れる。(以下略)」に出てくるものであり、
要するに、レヴィ氏は、この「7:戦車」は、『旧約聖書:出エジプト記』に出てくる
「神殿」や「祭壇」を意味しており、戦車の御者は、『旧約聖書:出エジプト記』に出て
くるアロンのような最高の祭司者であり、民衆を、苦難に満ちたエジプトから、神との
約束の地へと導く指導者であると考えているということになります。

まあ、ゴールデン・ドーン体系における「7:戦車」の「生命の木」の配属から考えると、
この設定はイマイチなのですが、ネタの一つとしては、なかなか興味深いところです。
0586名無しさん@占い修業中垢版2021/01/19(火) 00:17:12.98ID:VPRRUMTs
こんな面白そうなスレがあったとは…。

1990年に原書を購入して、チラ読みしかしてなかったので
参考に読み進めてみようと過去スレから読み漁り中っす。
0587名無しさん@占い修業中垢版2021/01/19(火) 06:08:12.80ID:ZhhJ9LOC
>>586
カキコありがとうございます。 (^_^)/

一人語りで退屈していますので、何か雑談のネタがあれば、カキコしてくださいね。 (^^)
0588名無しさん@占い修業中垢版2021/01/19(火) 06:10:16.43ID:ZhhJ9LOC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
A double sphinx or two sphinxes joined at the haunches are harnassed to the chariot;
they are pulling in opposite directions, but are looking the same way.
二重のスフィンクス、すなわち臀部で結合された二頭のスフィンクスたちが、「戦車」に
繋がれている;それらは反対の方向たちに引っ張っているが、同じ方向を見ている。

They are respectively black and white.
それらは、それぞれ、黒と白である。

On the square which forms the fore part of the chariot is the indian lingham
surrounded by the flying sphere of the Egyptians. (*203)
戦車の前の部分を形成する四角には、エジプト人たちの飛翔する球体により囲まれた
インドの「リンガム(男根)」がある。 (*203)
--- ここまで ---

ちなみに、(*203)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
203. Levi, Ritual of Transcendental Magic, 338.
203. レヴィ著、『超越的魔術の儀式』、338ページ。
--- ここまで ---
とあります。

基本的な構図としては、マルセイユ版を踏襲しているわけですが、象徴の意味を色々と
好き放題に改変しているという感じですかね。
まあ、好き放題に改変しているのは、ゴールデン・ドーン版もウェイト版もトート版も同じ
ですので、それぞれの考え方というか、目指す方向がそれぞれに違って面白いです。

そして、「7:戦車」より上位では、そういう大胆な改変が許されるというか、イチャモンを
付けにくいレベルになっていますので、皆さんも自分勝手かつ大胆な妄想で、拡大解釈
して頂ければと思うのでした。
0589名無しさん@占い修業中垢版2021/01/20(水) 06:32:36.70ID:EG8Knjvu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
Waite followed Levi closely, his only iconographic contribution being the addition
of a river behind the chariot (reference to the Waters flowing from THE HIGH
PRIESTESS and to the water sign, Cancer).
ウェイト氏は、密接にレヴィ氏に従っており、彼の唯一の図像学的の寄与は、戦車の後ろに
川(「高等女司祭」から水の宮である「巨蟹宮」へと流れる「水域」への参照)を追加した
ことであった。

He has also added a city which we may interpret to mean the "Heavenly Jerusalem,"
or the "City of God" above the Abyss.
彼はまた、我々が、「深淵」の上にある「天のエルサレム」、もしくは「神の都」を意味
していると解釈するかもしれない都市を追加した。
--- ここまで ---

ウェイト版の「7:戦車」は、一見するとレヴィ氏の挿絵の「戦車」に酷似しているという
か、ウェイト氏本人が、レヴィ氏のデザインのパクリであることを公言しているのですが、
その一方で、重大な鍵となる象徴を、何の説明も無しに、こっそりと追加しています。
実は、これって、ウェイト版は、レヴィ氏の元ネタである『旧約聖書:出エジプト記』とは
全く異なるものをモチーフにしている可能性があるということてす。

そして、そのキーワードは「(Heavenly) Jerusalem/(天の)エルサレム」であり、その
言葉は、『旧約聖書:エゼキエル書』48:30(邦訳では「都」と訳されていることに注意)
や、『新約聖書:ヨハネ黙示録』3:12、21:2、21:10などに見られます。

これが何を意味しているかと言うと、レヴィ氏は「過去の追憶」をテーマとしているのに
対して、ウェイト氏は「未来の幻想」をモチーフとしているということであり、これにより
「7:戦車」の解釈が、従来とは全く異なる可能性があるということです。
もちろん、どちらが正しいとか、どちらが優れているとかいうことではないのですが、
堂々とパクるのであれば、新手の自己主張というか新しい視点での解釈を加えるのは、
二次創作においては、とてもすばらしい態度ではないかと思うのでした。
0590名無しさん@占い修業中垢版2021/01/21(木) 05:44:11.20ID:c5bMtalo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
Thus THE CHARIOT is shown as intermediary.
従って、「戦車」は仲介者として表される。

It is both the above and the below; it is perfect control on more than one plane
of existence, while at the same time it protects the sanctity of the "Throne"
by maintaining the necessary separation of those planes which it affects.
それは、「上」と「下」の両方である;それは、一つより多くの存在する次元に対する
完全な制御であり、その一方で同時に、それが影響を与える、それらの次元たちの必要な
分離を維持することにより、「王座」の神聖さを保護する。
--- ここまで ---

このあたりの話は、「7:戦車」に限らず、「深淵」を渡る「小径」は全て、すなわち
「2:高等女司祭」「4:皇帝」「5:法王」「6:恋人たち」も同様の機能を持ちます。
そして、その視点についても、「上から目線」と「下から目線」の両方が考えられます。

つまり、レヴィ氏の挿絵が「下から目線」だとすると、天から駆け降りるゴールデン・
ドーン版は「上から目線」であり、そしてウェイト版は「上下左右どちらとも取れる」
という解釈が成り立つわけですよね。
ちなみに、この「上下」のイメージからは、仏教における「地蔵菩薩」と「弥勒菩薩」の
違いに似た感じもします。

いずれにしても、「生命の木」に「深淵」という我々には「越えられない壁」がある限り、
「7:戦車」に限らず、「2:高等女司祭」「4:皇帝」「5:法王」「6:恋人たち」は理解不能
ではあるのですが、かろうじて下半身は見え隠れしている状態ですので、それを頼りに、
上半身については、ほぼ妄想のみでカードの解釈を取りまとめる必要が出てきます。
逆に言うと、上半身、すなわち「神」に関する部分の解釈は、ほぼ妄想ですので、そこは
完全にスルーしても何の問題も無いというか、どうしても実用で使いたいのであれば、
そこは完全にスルーして使うべきであるとも言えるわけですので、そういう意味では、
レヴィ氏の方が、カバラを抜きにすれば、より実用的で初心者向けなのかもしれませんね。
0591名無しさん@占い修業中垢版2021/01/22(金) 06:16:03.45ID:e/0fIFf/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
The relationship of Chariot to Throne is amplified by our knowledge that the angels
of Binah are called to [mem][yod][lamed][aleph][resh][aleph] (Aralim), Thrones,
while those of Chokmah are called [mem][yod][nun][peh][vau][aleph] (Auphanim),
Wheels.
「戦車」と「王座」の関係は、「ビナー」の天使たちが [mem][yod][lamed][aleph][resh]
[aleph] (アラリム)、「王座たち」と呼ばれ、その一方で、「コクマー」のそれらが
[mem][yod][nun][peh][vau][aleph] (アウファニム)、「車輪たち」と呼ばれるという、
我々の知識により増幅される。
--- ここまで ---

ここの「セフィロト」と「天使たち」は、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の
「第二講義文書」にある「セフィロトに配属される神聖名」の表の「天使の合唱団」の
欄に出てくるものですが、カバラを知っている人であれば、ここに大事なものが欠けて
いることに気づくはずです。

実は、この表の「ケテル」の「天使の合唱団」の配属は、[shin][daleth][qoph][heh]
[tau][vau][yod][cheth](Chayoth ha-Qadish/ケイオス ハ・カデシュ)であり、その
意味は「聖なる生き物」、具体的に言うと、『旧約聖書:エゼキエル書』1:5に出てくる
「四つの生き物」、もしくは「メルカバ(神の戦車)」を構成するもの全てを意味します。
つまり、『旧約聖書:エゼキエル書』の「神」は、「ケイオス ハ・カデシュ」と総称される
「天使団」で作られた「天使による乗り物」に乗って降臨したということです。

要は、「ケテル」の「ケイオス ハ・カデシュ/聖なる生き物」、「コクマー」の「アウ
ファニム/車輪」、そして「ビナー」の「アラリム/王座」は、実は『旧約聖書:エゼ
キエル書』で降臨してきた「メルカバ(神の戦車)」の構成物であるという、もはや
何でもありの、無敵のミソクソ理論が成立しているということです。

まあ、下界の我々から見れば、それらは「天使の合唱団」であっても、高次元すぎて
区別できないので、それらを総称化して「メルカバ」と呼んでいるという感じですかね。
0592名無しさん@占い修業中垢版2021/01/23(土) 05:41:53.67ID:JV9kkT66
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
This is consistent with the idea of Binah as representative of all three Supernals,
Binah. Chokmah and Kether.
これは、3つの「至高なるものたち(至高の三角形)」である「ビナー」、「コクマー」、
そして「ケテル」の全ての代表としての「ビナー」の考え方に一致している。

This is important insofar as the Throne is actually Kether (it is not of Kether,
it is Kether).
これは、「王座」が、実際には「ケテル」である(それは「ケテル」の一部ではなく、
「ケテル」そのものである)限りにおいて、重要である。
--- ここまで ---

「セフィロトに配属される神聖名」の表において、「天使の合唱団」という最も低レベルの
話で、そして、「ケテル」の「ケイオス ハ・カデシュ/聖なる生き物」、「コクマー」の
「アウファニム/車輪」、そして「ビナー」の「アラリム/王座」という、地上に顕現した
カオスな「メルカバ(神の戦車)」の構成物において、実際の「ケテル」が何であるか
という議論には、あまり意味は無いと思うんですよね。

そもそも、実際の「ケテル」は、「深淵」の向こう側にあり、誰もそれを見たことも触った
ことも無いわけであり、しょせん想像の産物でしかないわけです。
つまり、「王座」が実際には「ケテル」であるかどうかは、そう解釈したいのであれば、
そうすればいいという感じでしかないわけであり、それゆえ、「メルカバの行法」が、
「至高神」への有効なアプローチとして流行したということでもあるわけです。

いずれにしても、我々から見れば、「ケテル」「コクマー」「ビナー」の「至高の三角形」
は、三位一体化した「ブラックボックス」であり、それらを実次元で区別して認識する
ことは不可能ですし、それゆえ、どんな設定であったとしても、間違いであることが証明
できない限りにおいては、それがミソクソ設定であろうと許されるということです。
とはいえ、下界の我々から見れば、「ティファレト」以上は、「神」と呼んでも差し支えない
レベルですので、あまり高いところばかり見る必要は無いと思うんですけどね。
0593名無しさん@占い修業中垢版2021/01/24(日) 06:05:54.78ID:AdZG0H54
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
There is no way in which these relationships can become comprehensible except
through meditation, and the student should not feel discouraged if the words
seem difficult.
瞑想を通じる以外で、これらの関係たちを理解できるようになれる方法は無いが、
学徒は、もし言葉たちが難しく見えたとしても、落胆するように感じるべきではない。

The really important point here is the relationship of the Divine Spirit to that
which in some way contains It.
ここでの本当に重要な点は、「神の霊」と「それ」を何らかの形で含んでいるものとの
関係である。

The meaning of the Hebrew letter Cheth, attributed to the eighteenth Path, is
fence or enclosure.
18番目の「小径」に帰属される、ヘブライ文字の「ケト」の意味するものは、「柵」、
もしくは「囲い」である。

The Chariot is a wheeled enclosure which holds the Spirit in its "movement" through
all Planes.
「戦車」は、全ての「次元たち」を通して、その「動き」の中で「霊」を支える、車輪の
付いた囲いである。
--- ここまで ---

まあ、このように、色々な妄想が捗るわけですが、せいぜい我々に見えるのは「7:戦車」の
下半身のみであり、上半身は「深淵」の向こう側にあるわけですので、もはや妄想に頼る
以外には、どうしようもないわけなんですよね。
そういう意味では、フィクション系の創作活動にとって、この境界領域はネタの宝庫とも
言えるわけなのですが、とはいえ、我々のような一般人が、真面目に「深淵」の向こう側
を妄想しようとしても、そう簡単に出来るはずもないので、結局のところ、上級者たち、
いやいや聖人たちの奇妙な、いやいや神秘の御言葉に頼るしかないわけですよ。
0594名無しさん@占い修業中垢版2021/01/25(月) 06:00:15.73ID:pNWTdZgG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
Two principles can be derived here: 1) First is the very idea that an enclosure
is necessary, something external to the Self which carries that Self through various
levels of the manifest Universe.
2つの原則が、ここで導き出されることができる:1) 最初は、囲いが必要であり、それは、
顕在化した「宇宙」の様々な段階たちを通じて、その「自我」を運ぶ、「自我」の外にある
何かであるという、まさにその考え方である。

2) The idea that the vehicle serves a protective function, as the Book of Tokens
says of Cheth:
2) 『しるしの本』の本が、「ケト」について述べているように、乗り物が保護する機能を
果たすという考え方:
--- ここまで ---

「ケト」は、「enclosure/囲い」、つまり、周囲を囲まれたものであり、その内部と外部を
区別できる境界でもあります。
似たようなものは、「19:太陽」の「wall/壁」にも見られますが、両者の違いは、「次元」
の違いである、つまり「月とスッポン」であると言うことが出来ます。
まあ、「7:戦車」のレベルにおいては、この「囲い」は、食うことも触ることも出来ない、
単なる妄想でしか語れないシロモノであるということですよね。

つまり、各人が好きに解釈しても良いということなのですが、そういう好きに解釈した一例
として、ケース氏の『しるしの本』の内容が、以下に挙げられていますので、妄想の参考に
してください、ということです。

とはいえ、この高次元における妄想作業というのは、結構ツラいものがあります。
どうしても、安易な低次元の発想、つまり下ネタに走ってしまいがちになりますので、
どうやったら「上ネタ」に持っていけるのかというのが、なかなか難しいというか、
面倒臭いというか、だったらやるなよ、的な流れになってしまうわけです。
つまり、ワタシには、こういう高次元の話は向いていないということなんですよね。
0595名無しさん@占い修業中垢版2021/01/26(火) 06:04:45.22ID:6JMTReDj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
I am the hedge of protection
我は保護の生け垣である

Enclosing the field of existence.
存在の場を取り囲む。
--- ここまで ---

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
In this field thou dwellest.
この場の中に汝は住まう。

And I am thy defense
そして、我は汝の防御である

Against the darkness which is without.
外側である暗闇に対抗して。
--- ここまで ---

この「hedge/生け垣」の機能は、一見すると「19:太陽」の「wall/壁」に似ています。
両者の違いが「次元」と「動き」にあるとすれば、「19:太陽」が、個々の「自我」の存在
のための固定壁であったのに対し、「7:戦車」の「囲い」は、遍在する「高次の自我」の
存在のためであり、それは常に生きて活動しているもの、ということになるわけです。

つまり、この「7:戦車」が、「深淵」という次元の境界を越えて、我々の「宇宙の種」を
その内部に囲いながら、下界に降臨してきたというような感じですかね。
そして、その後も、継続的に「上位世界」から我々の「下界宇宙」に、我々には見えない
何か大事なものを運んでいるような感じがあります。
とはいえ、こういうのは、下々の世界の住人である我々には何の関係も無い、高次元(笑)
の話ですので、皆さんの好きなように、自由に解釈してもらえればと思います。
0596名無しさん@占い修業中垢版2021/01/27(水) 06:04:53.84ID:tnYd67hl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
Yet is this hedge of safety
さらに、この安全の生け垣は

Also a wall of limitation,
また、制限の壁であり、

And the darkness against which it defendeth thee
そして、それ(生け垣)が汝を守って抵抗する暗闇は、

is the radiant Darkness of the Limitless Light,
「無限の光」の光り輝く「暗闇」であり、

too brilliant for thine eyes. (*204)
汝の目にとっては輝き過ぎる。 (*204)
--- ここまで ---

ちなみに、(*204)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
204. Case, Book of Tokens, 83.
204. ケース著、『しるしの本』、83ページ。
--- ここまで ---
とあります。

このあたりの解釈は、「暗闇」と呼ばれる高次元のダークエネルギーに満ちた「無限宇宙
空間」から、我々の住む、光に満ちた「有限宇宙」が、小さな泡の一つとして誕生すると
いう、宇宙誕生のストーリーを連想させます。
そして、「深淵」は、我々が決して越えられない壁というか崖であり、全ての脳内理論は、
ここから先は単なる妄想と同質であり、それゆえ我々は、この「ミソクソの壁」を越えて、
脳内進化することは不可能ということになるわけでした。
0597名無しさん@占い修業中垢版2021/01/28(木) 06:02:43.05ID:/BYrIrwY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
In interpreting this passage, Case refers to the Ain Soph "which is to us a
darkness, because it transcends our earthly vision."
この節を解釈するにおいて、ケース氏は、「それが我々の地上の視力を超越しているので、
それは我々にとっては暗闇である」、「アイン・ソフ(無限)」に言及する。

He also relates this to the idea that "Osiris is a black God," (*205) meaning that
Osiris (a sacrificed God) was resurrected and then arose above the Light to a
Darkness which is at the very pinnacle of the Supreme Spiritual Self in Kether.
彼はまた、これを、オシリス神(犠牲にされた「神」)が蘇り、「ケテル」にある「究極の
霊的自我」の、まさに頂点にある、「光」より上の「暗闇」となって生まれたことを意味する、
「オシリス神は黒い「神」である」 (*205) という考え方に関連付ける。

This experience of the Spiritual Self, pictured in THE CHARIOT, has also been
described as the "Exaltation" of Alchemy, where the Alchemist becomes the
Philosopher's stone.
「戦車」に描かれている、「霊的自我」の経験はまた、「錬金術師」が「賢者の石」となる
ところの、「錬金術」の「高揚」としても記述され続けている。
--- ここまで ---

ちなみに、(*205)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
205. Case, Book of Tokens, 87.
205. ケース著、『しるしの本』、87ページ。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、色々とツッコミどころの多いところではありますが、本節は、あくまでもケース氏の
個人的な感想であり、効果・効能を示すものではありません。
また、効果には個人差がありますので、ご利用の際には、自己責任でお願いします。
0598名無しさん@占い修業中垢版2021/01/29(金) 05:30:36.78ID:d0e70kNN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
Of the four versions of the card, Crowley's most strongly emphasizes the relationship
of THE CHARIOT to the text of Ezekiel, with its "living creatures."
カードの4つの版の中で、クロウリー氏のものは、「戦車」と、その「生き物たち」と共に、
『エゼキエル書』の聖句との関係を最も強く強調している。

His card expands on the dual Sphinxes proposed by Levi, whereas the Golden Dawn
follows the earlier design of the Marseilles deck in which the Chariot is drawn
by two horses.
彼のカードは、レヴィ氏により提案された二重の「スフィンクスたち」に基づき発展させた
ものであるのに対して、ゴールデン・ドーン版は、「戦車」が二頭の馬たちによって曳かれ
ている、マルセイユ版デッキの以前の図案に従う。
--- ここまで ---

トート版の「7:戦車」は、とにかく象徴がテンコ盛りというか、あちこちから節操無く
パクっているので、特定のテーマだけで語ろうとすると、解釈が矛盾します。
まあ、そういうハチャメチャであっても全てが許されるのが「7:戦車」のレベルですので、
そういうものだと思ってください。←開き直りな言い訳ww

さて、トート版で、すぐに気づくのが、従来版の「二頭の馬」から「四頭のスフィンクス
(生き物)」への改変であり、これは間違いなく『エゼキエル書』からのパクリです。
では、そこに座っているのは、『エゼキエル書』の「主」なのかと言うと、そう簡単に
断言できるものでもなく、そもそも「生命の木」においては、「7:戦車」「6:恋人たち」
「5:法王」「4:皇帝」「2:高等女司祭」の全てが「主(至高の三角形から)の降臨」に
関係していますので、そういう降臨形態の一つという感じかと思われます。

ちなみに、トート版においては、その御者の甲冑が完全なる「ケト/囲い」状態であり、
これは御者自身の防御というよりも、その中にある「光り輝く暗闇」を封じ込めるための
「原子炉圧力容器」のようなもので、そこから、大容量かつ不可視の水系エネルギーが
流出しているという感じですかね。
0599名無しさん@占い修業中垢版2021/01/30(土) 06:58:34.04ID:lVW6kvnO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
Crowley states that he was much influenced by Levi's card design, and since he
also claimed to be Levi's reincarnation, he may have wanted to emphasize the
development of "his" earlier work.
クロウリー氏は、彼がレヴィ氏のカードの図案に大きく影響されたと述べ、そして彼は
また、レヴィ氏の生まれ変わりであるとも主張しているので、「彼の」初期の作品の開発
を強調しようとしたかったのかもしれない。

He has, thus, taken Levi's dual Sphinxes and turned them into the Four Kerubiim,
each of which has four sub-elements, as in the Tattvas.
彼は、従って、レヴィ氏の二重の「スフィンクスたち」を採用し、そしてそれらを「四つの
ケルビム」に転化し、それらの各々は、「タットワ」にあるように、4つの副要素がある。

This is consistent with the biblical text which describes each of the Four
Creatures as having four faces.
これは、「四つの生き物たち」の各々を、四つの顔たちを持つものと記述する、聖書の
聖句と一致している。
--- ここまで ---

この「各々が四つの顔たちを持つ、四つの生き物たち」という記述は、『エゼキエル書』
のネタではあるわけですが、トート版の「7:戦車」の図案には、そういう4頭×4顔=16顔
という図案にはなっていないので、あくまでも、そういうものを内包しているというか、
つまり、トート版の「7:戦車」は、『エゼキエル書』の「メルカバ戦車」がベースである
ことを言いたいようです。

そして、これが意味するものは、「7:戦車」は、「天からの降臨」ということであり、
これと対になる「5:法王」の関係からすると、これが「天上のイヴ」の降臨に関係して
いるということになるわけであり、そしてこの「7:戦車」の甲冑の御者は、強い女性性を
持つことが推察され、ヲタク的視点によれば、これはエヴァの零号機であると見なすこと
が可能であるということですかね。(よう知らんけど)
0600名無しさん@占い修業中垢版2021/01/31(日) 07:11:20.56ID:DNAUJKFk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
Moreover, we have previously made the connection of the Sphinx with the Pentagram,
which represents the Four Elements crowned by Spirit.
さらに、我々は以前に、「スフィンクス」と、「霊」を冠する「四大元素」を表す、
「五芒星」を関連付けた。

The Pentagram, which represents the Four Elements crowned by Spirit.
「霊」を冠する「四大元素」を表す、「五芒星」。

The Pentagram, as a fivepointed figure, is appropriate to Geburah, the lower end
of this Path.
「五芒星」は、五つの先端を持つ形として、この「小径」の下端である、「ゲブラー」に
ふさわしい。

Geburah is also symbolized in Crowley's card by the red wheels, meaning that its
energy is the motive power of the Chariot.
「ゲブラー」はまた、クロウリー氏のカードにおいて、その精力が「戦車」の原動力で
あることを意味する、赤い車輪たちにより象徴される。
--- ここまで ---

「スフィンクス」そのものが「五芒星」であり、それは「ゲブラー」を暗示していると
いうことですかね。

ちなみに、「ゲブラー」を表す「赤色」は、トート版の「7:戦車」の中央に描かれた、
御者の持つ丸い「(クロウリー氏が言うところの)聖杯」の中央部にも見られます。
とはいえ、この「赤」は、この「聖杯」が外周から中央に向かって、紫・藍・青・緑・
橙・赤の虹色のスペクトルで塗り分けられているからすると、「ゲブラー」そのものを
表しているというよりも、何か別の意味合いというか、彼は「宇宙の創造主」であって、
下位世界に「万物と生命の根源」となる「聖杯=宇宙の卵(もしくは子宮)」をもたらす、
「天界の運び屋」であることを表しているようにも見えますよね。
0601名無しさん@占い修業中垢版2021/02/01(月) 05:57:59.53ID:Ob4N1Rbj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
The complement of Gebruah, Chesed, is implicit here in the various uses of the Four.
「ゲブラー」の補足物である「ケセド」は、ここでは「四つ」の様々な用途たちの中に暗示
される。

Chesed-Jupiter is important on this Path because it is the beginning of manifestation,
in Microprospus, of the Four Elements which are the symbolic"support" for the
heavens.
「ケセド」ー「木星」は、天空のための象徴的な「支持」である「四大元素」の、「ミクロ
プロソプス(小さな顔)」においての、顕在化の始まりであるため、この「小径」に関して
重要である。

In the cards of both Crowley and Waite, the Binah-canopy is supported by four
pillars which are the Elements, and which are the [heh][vau][heh][yod].
クロウリー氏とウェイト版の両方のカードたちにおいて、「ビナー」ー天蓋は、「(四大)
元素」であり、そして [heh] [vau] [heh] [yod] である、四本の柱たちにより支えられる。

These are also the four columns of the Tree of Life in a Solid Sphere (Plate II).
これらはまた、「立体球で作った生命の木」(図版U)の四本の柱たちでもある。
--- ここまで ---

二番目の文の「Microprospus」は、「Microprosopus/ミクロプロソプス」の誤記ですかね。

あと、「Plate II/(カラー)図版U」は、本書の46ページと47ページの間にあります。

ということで、「7:戦車」には、先ほどの「五芒星=ゲブラー」に加えて、「四柱=ケセド」
と「天蓋=ビナー」の象徴が描かれているということです。
そして、これら以外にも、数に関係する象徴は、「7:戦車」の中には、いくつかあります。
だから何なの?、という質問は受け付けておりませんので、各自でお好きなように解釈して
あげてください。
0602名無しさん@占い修業中垢版2021/02/02(火) 06:07:25.87ID:OHHij6pj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
Above the golden armored figure in Crowley's card is a crab, symbol of the sign Cancer.
クロウリー氏のカードの中の、金色の甲冑を着せられた人物像の上には、「巨蟹宮」の
象徴である、蟹がある。

Almost imperceptibly woven into the canopy, in a fine gold line, is the word
"ABRACADABRA," an apparent pun on "ABRAHADABRA," a word which Crowley called
"one of the most important Key numbers of the Liber Al... the word of the Aeon...
the cypher of the Great Work."
天蓋に、ほとんど気付かれないように繊細な金色の線で織り込まれているものは、
「アブラカダブラ」という言葉であり、クロウリー氏が「『ALの書(法の書)』の最も
重要な『鍵』となる数たちの1つ…『永劫』の言葉…『偉大なる作業』の暗号」と呼んだ
言葉である、「アブラハダブラ」の明らかなもじりである。

The value of this word corresponds to that of Cheth ([tau][yod][cheth]); [cheth]=8,
[yod]=10, [tau]=400, adding to 418. (*206)
この言葉の値は、「ケト」([tau] [yod] [cheth])のそれに対応する;[cheth]=8、
[yod]=10、[tau]=400、足して418となる。 (*206)
--- ここまで ---

ちなみに、(*206)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
206. Crowley, Book of Thoth, 84-85.
206. クロウリー著、『トートの書』、84-85ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「ABRAHATABRA/アブラハダブラ」はクロウリー氏の造語であり、「ABRACADABRA/アブラ
カダブラ」の方が昔からある有名な呪文なのですが、二番目の文は、なぜか逆の意味に
なっているようで、ワタシの翻訳が間違っているんでしょうかね。(どうでもいいことですが。)
0603名無しさん@占い修業中垢版2021/02/03(水) 06:11:13.72ID:37YuH0ai
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
One significant idea found in the Crowley and Golden Dawn cards is the implication
of something martial, not unlike the Bhagavad Gita, where the pursuit of enlightenment
is symbolized by warring factions which we understand to be within the seeker himself.
クロウリー氏とゴールデン・ドーン版のカードたちに見られる、一つの重要な考え方は、
悟りの追求は、探求者自身の中にあることを理解している敵対する派閥たちにより象徴され
ているところの、『バガヴァッド・ギーター(神の詩)』に良く似ている、戦争の何かを
暗示するものである。

Here, on the highest Path of the Pillar of Severity, the soul warrior of Geburah
has reached a pinnacle.
ここでは、「峻厳の柱」の最も高い「小径」の上で、「ゲブラー」の魂の戦士が頂点に
達したところである。
--- ここまで ---

ヒンドゥー教の『バガヴァッド・ギーター(神の詩)』には、「7:戦車」の構図に似た、
複数の馬に曳かれた二輪の「戦車」が出てきますので、ここは、そういう絵的な面での
繋がりからの類推もあるのではないかと思います。

まあ、ワタシ的には、人間界での話を、このレベルで語るのはどうかとも思うのですが、
「enlightenment/悟り」というものが、「至高の三角形」への昇天ということになるので
あれば、この「7:戦車」の「小径」は、そういう「悟り」を極める人にとっては、最も近道
というか最も敷居が低いという点で、非常に重要なポジションとなっています。
ちなみに、ゴールデン・ドーンにおいては、「9:隠者」「8:力」「7:戦車」のルートにて、
「ティファレト」から「至高の三角形」へと至るルートが推奨されています。

まあ、ワタシには、そういう宗教的な悟りとか、意識高い系の人々のレベルの高い話は、
よくわからないというか、実生活においては何の意味も無いことなので、あまり詳しく
語ることは出来ないのですが、そっち方面に興味のある人にとっては、非常に重要なもの
なのかなぁ、と、傍観者として思っているのでした。
0604名無しさん@占い修業中垢版2021/02/05(金) 06:04:12.90ID:nHOIud5x
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
Crowley shows him with ten stars on his armor (representing Assiah-Matter) and
seated in a position of sublime meditation.
クロウリー氏は、彼の甲冑に十個の星たちを付けて(「アッシャー」−「物質」を意味
する)、崇高な瞑想の姿勢で着座させて、彼を表す。

In his hands he holds the Holy Graal, a cup into which we look directly.
彼の手たちの中に、彼は、我々が直接見つめる杯である、「聖杯」を持つ。
--- ここまで ---

クロウリー氏によれば、この「十個の星」は「アッシャー」であるということですが、
彼(戦車の御者)自身は、言うまでもなく「至高の三角形」の存在ですので、そのレベル
(「ビナー」)と、それ以下のレベル(「ゲブラー」)を隔てるためのバリア(甲冑)は、
その機能上、「アッシャー」の属性を持つ必要があるということです。

そして、「至高の三角形」からの下界への流出として、丸い「Holy Graal/聖杯」があり、
(強烈な放射線を放つ)彼自身は「決して見てはならないもの(甲冑にて完全防護されて
いる)」であるのに対し、その「聖杯」は、我々が観察するために、下界の我々に向けて
提示されているということです。
まあ、本来のカードの解釈とは違うのですが、原子炉圧力容器である「甲冑」に設けられ
た、放射線遮蔽機能の付いた「覗き窓」というようなイメージでもいいかと思います。

そういう感じで、我々は、「彼」という「中の人」を直接探ることは出来ないのですが、
彼の周囲の状況から、「7:戦車」の秘められた機能を解釈していくことになります。
ちなみに、「中の人」そのものの解釈は、放っておいていいのかと言われれば、ワタシは
放っておいても構わないと思います。
なぜなら、中の人をあれこれと詮索することには何の意味も無いし、何の役にも立た
ないし、その存在を気にすること自体が、人生の無駄使いなのです。
つまり、大人である我々は、「中の人などいない」ということを、オトナの態度として
理解しておく必要があるということなのでした。←オトナの苦しい言い訳ww
0605名無しさん@占い修業中垢版2021/02/06(土) 06:22:48.34ID:l1Bg9021
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
For their card, the Golden Dawn chose to represent Odin, God of war, usually shown
riding through the sky.
彼らのカードのために、ゴールデン・ドーンは、通常は空を駆け抜けていることで示される
戦争の「神」である、オーディン神を表現することを選んだ。

The attribute of Odin is appropriate insofar as he was also a god of spiritual
development who, like THE CHARIOT, has been related to both the above and the
below. (*207)
オーディン神の属性は、彼がまた、「戦車」のように、上と下の両方に関係し続けている
霊的発達の神でもあったという限りにおいて、適切である。(*207)
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「7:戦車」の人物像は、オーディン神であるということですが、
その説については、色々な疑惑があります。

オーディン神は、北欧神話において、上位世界の「ユグドラシル(世界樹)」にある泉の
水を飲むことで、この地上世界を制する、全知全能の「絶対王者」となり、その代償として
片眼を失っているので、通常は、隻眼の賢老人として描かれています。

ゴールデン・ドーン版の「7:戦車」の人物が、オーディン神であることを推察できるものと
しては、頭に被った二本角の兜ぐらいですが、神話レベル的に見れば、割と適切な選択
なのかな、とは思います。
とはいえ、カードに描かれた人物像の両目はきちんと開いてますし、若者の姿ですし、
オーディン神は、普通は馬に乗っており、戦車に乗る姿で描かれることは、ほぼ無いので、
言われなければ、これをオーディン神として認識できる人は、まずいないと思われます。

「戦車」のイメージ的には、ギリシア神話の太陽神であるヘリオス神の乗る戦車とか、
二枚翼の付いた隠れ兜を被ってメドゥーサを退治したペルセウス神の姿の方が近い
感じはありますが、まあ何でもありのカードですので、好きに解釈していいと思います。
0606名無しさん@占い修業中垢版2021/02/07(日) 06:37:47.58ID:5aGLxHRX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

ちなみに、(*207)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
207. The fact that this is the only reference to Teutonic mythology in the deck
makes the attribution somewhat problematical.
207. これが、デッキに関する「チュートン(北欧)」神話への唯一の言及であるという
事実は、帰属を、いくぶん問題を含むものにする。

What we are calling "Odin" may, in fact represent an error resulting from the
cards having been hand-copied over a period of years.
我々が「オーディン」と呼んでいるものは、実際には、カードたちが何年にもわたって
手作業で複写され続けてきたことに起因する誤りを表しているのかもしれない。

Perhaps this figure had a moon helmet of some sort.
ことによると、この人物像は、ある種の月の兜を身に着けていたのかもしれない。

Nevertheless, the helmet shown in the Golden Dawn deck, as published, is precisely
as it appears in Regardie's hand-painted deck.
それにもかかわらず、公開されたものによると、ゴールデン・ドーン版デッキに表わされ
ている兜は、リガルディ氏の手描きのデッキに現れているものと、正確に同じである。
--- ここまで ---
とあります。

レヴィ氏の「3つの輝く金色の五芒星形たちで飾られた円を持つ王冠」や、トート版の
「蟹(=巨蟹宮=月)の前立(額の飾り)」と比べると、ゴールデン・ドーン版の
二本角の兜というのは、進化の流れ的に見て違和感があるのと、その二本角の兜の持ち主
が、何でオーディン神なのか、そして、その人物像は、神話に出てくるオーディン神とは
似ていないのに、なぜオーディン神と断定できるのかが分からないので、ワタシとしては、
これ以上は何とも言えないところです。
というか、そもそもこのレベルにおいては、無理して地上における「神話の登場人物」の
誰かに当てはめて考える必要も無いのかな、とも思うのでした。(説明責任の放棄ww)
0607名無しさん@占い修業中垢版2021/02/08(月) 06:01:49.51ID:f2mrvVVj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
The primary emphasis of the Golden Dawn card is on the control of the dualities
in manifestation by the Supreme Spiritual Self.
ゴールデン・ドーン版カードの主要な重点は、「究極の霊的自我」による顕在化における
二重性の制御にある。

Here the black and white horses are commensurate with Levi's black and white Sphinxes,
as well as with the black and white columns of the mysteries called Joachim and
Boaz in the "Temple of Solomon."
ここで、黒と白の馬たちは、レヴィ氏の黒と白の「スフィンクスたち」、そして同じように
「ソロモンの神殿」の「ヤキン」と「ボアズ」と呼ばれる神秘的教義の黒と白の柱たちと、
同等のものである。
--- ここまで ---

二番目の文の「Joachim」は、「Jachin/ヤキン」もしくは「Jachim」の誤記ですかね。

元々のマルセイユ版でも、色違いの二頭の馬というバリエーションはあるのですが、
それを明確化したのがレヴィ氏の「黒と白のスフィンクス」でした。
なお、レヴィ氏の絵では、右が黒で左が白でしたが、ゴールデン・ドーン版では、「ソロ
モン神殿のヤキンとボアズ」の配列に従って、右が白で左が黒に入れ替えています。
参考までに、ウェイト版は、ゴールデン・ドーン版と同じ並びです。

ちなみに、この「ヤキンとボアズ」は、ウェイト版の「2:高等女司祭」に出てきますが、
ゴールデン・ドーン版の「7:戦車」と、ウェイト版の「2:高等女司祭」は、よく見ると
同じような象徴が描かれていることがわかります。

そもそも、「7:戦車」は「巨蟹宮=月=水属性」であり、「2:高等女司祭」は「月」です
ので、実は似たような属性を持っているのですが、「7:戦車」は「動」である一方で、
「2:高等女司祭」は「静」であるという違いはあるので、こういう異なる構図になって
いるのかなぁ、とか一人で勝手にカプ妄想して楽しんでいるのでした。
0608名無しさん@占い修業中垢版2021/02/09(火) 06:16:03.88ID:G5JEZnWY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
Between the two horses is an Eagle's head, the Kerubic symbol for Water.
二頭の馬たちの間には、「水」のケルビムの象徴である、「鷲(ワシ)」の頭がある。

The Chariot itself is blue to suggest Chesed.
「戦車」それ自身は、「ケセド」を示唆するために青色である。

The orange of the warrior's robe refers to Hod, the intellect.
戦士の礼服の橙色は、知性である、「ホド」を参照する。

Thus, we are pointed toward THE MAGICIAN, the Path to which Mercury is attributed.
従って、我々は、「水星」が帰属される「小径」である、「魔術師」に向けられる。
--- ここまで ---

白馬の「ヤキン」と、黒馬の「ボアズ」は、「コクマー」と「ビナー」に関係付けされ
ますが、「戦車」の青色は「ケセド」で、戦士の服の橙色は「ホド」であるとするならば、
この「7:戦車」の「小径」の行き先である「ゲブラー」って、どこにあるんでしょうね。

この文章からは、「7:戦車」から、「ゲブラー」は素通りして、「水」の「小径」である
「12:吊られた男」にワープして、一気に下層の「ホド」までジャンプしているような
感じですし、なんか色々と考え過ぎて、支離滅裂になっているようにも見えます。

そもそも、戦士が戦闘服ではなくて儀式用の礼服なのか、とか、なぜ「小径」の色である
琥珀色ではなくて、橙色なのか、とか、まあそういうヤボなツッコミはともかくとして、
ゴールデン・ドーン版には、他の版のカードには無い特徴があります。
それは、現在進行形での「動き」という点であり、それはまた、この宇宙創造が、まだ
終わっていなくて、現在においても進行中であるということを意味しています。
要するに、この「門」はまだ開いているので、我々はうまくやれば、この「開いた門」
を通って、より上流にある「1:魔術師」までワープ出来る可能性のある「小径」である
ことを、示唆しているのかもしれませんね。
0609名無しさん@占い修業中垢版2021/02/10(水) 06:13:35.99ID:ymKnyxPs
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
Waite also referred to Hod by using an eight-pointed star on the crown of the
Charioteer, personification of the Spiritual Self.
ウェイト氏はまた、「霊的自我」の擬人化である「戦車の御者」の王冠にある八芒星を
使用することにより、「ホド」を参照する。
--- ここまで ---

ウェイト版の「7:戦車」は、レヴィ氏のデザインをベースにしているものの、その解釈は
独自というか、はっきり言って、よくわかりません。

ちなみに、レヴィ氏のデザインからの改変として挙げられるのが、「王冠の八芒星」と
「背景にある水に囲まれた都市」ということと、「全員が正面を向く」という点です。
その中で、「王冠の八芒星」が「ホド」を表しているということですが、これについては、
少々疑問があります。

なお、ウェイト版の「八芒星」といえば、「17:星」が連想されますが、「17:星」と「ホド」
との間には、特筆するほどの関連性はありません。

それよりも、どちらかと言うと、「頭上の8」という繋がりで、「17:星」、「8:力」、
「7:戦車」、「1:魔術師」の関係性の方が気になりますし、直接的な「八芒星」繋がりと
いう意味では、「上の如く、下も然り」=「7:戦車」の如く「17:星」も然り、という感じ
で、実は「7:戦車」の人物は、地上に降りて戦闘服を脱いで「17:星」の女神になるという
可能性は、微レ存ではないかと思ったりするのでした。
というか、そもそも「7:戦車」の人物像は、「生命の木」的に見て女性である疑いは捨て
きれないので、ワタシとしては、そちらを推したいと思うのでした。

ちなみに、「7:戦車」と「1:魔術師」の関係ですが、ウェイト版においては、「1:魔術師」
の人物像は、太陽神である「アポロ神」に関連付けされており、アポロ神は戦車乗りと
しても有名ですので、そっちの流れで、「1:魔術師」「7:戦車」「17:星」を繋げてネタと
することも可能ですので、後は、ご自由に、お楽しみください。
0610名無しさん@占い修業中垢版2021/02/11(木) 06:16:36.07ID:BDBQTbZm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
As was mentioned, the movement of THE CHARIOT conceals a mystery of great significance.
前に述べたように、「戦車」の動きは、偉大で重要な神秘を隠す。

In the Golden Dawn card it clearly descends from the sky, symbolizing the descent
of the Holy Spirit into manifest creation ("the influx of good things upon
created beings").
ゴールデン・ドーン版カードにおいては、それは明らかに空から降下し、顕在的創造に
おける「聖霊」の降下(「創造された存在たちの上の良きものたちの流入」)を象徴する。
--- ここまで ---

この「the influx of good things upon created beings/創造された存在たちの上の良き
ものたちの流入」の箇所は、前に述べた「知恵の32の小径たち」の「18番目の小径(7:戦車)」
からの引用です。

「7:戦車」は、「至高の三角形」から「深淵」を通過して下界を結ぶ、上位世界から見れ
ば「最後の門」であり、そして下位世界の我々から見れば、「最初の門」となります。
つまり、動いておいてもらわないと困るというか、設定的に困る人が多々いるわけで、
そういう希望的観測もあって、ゴールデン・ドーン版「7:戦車」は、天界から下界へと
降下する動きで、そして「8:力」は地上への着地として描かれているように思えます。

ワタシとしては、そういう「天地創造」とか「天地の維持管理」の働きの方が納得できる
というか、少なくとも、「エゼキエルの戦車に乗った主の降臨」という、特定部族向けの
話よりは、はるかにマシな解釈ではないかと考えます。

その場合、「7:戦車」は、「至高の三角形」から降下する「小径」の中では、一番の下っ端
ということもあって、上位の神々のパシリ役とされることも多いので、下界の我々から見れ
ば、「もはや何でもあり」の属性を付けられることも、ままあるわけです。
そういう意味では、我々にとっては、この「7:戦車」こそが、ギリ使える「万能無敵の存在」
であると言うこともできるわけですよね。(レベルの低いワタシには使えませんが…)
0611名無しさん@占い修業中垢版2021/02/12(金) 05:31:55.77ID:wKxtK8c6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
This is a much more simple iconography that is found in the cards of Crowley or
Waite, and is reminiscent of the Chariot of the Sun.
これは、クロウリー氏やウェイト氏のカードに見つけ出されるものより、はるかに単純な
図像であり、「太陽の戦車」を思い出させる。

In Greek Mythology the Chariot of Helios, the Sun, moved daily across the sky
pulled by four horses.
ギリシア神話においては、「ヘリオス神の戦車」である「太陽」が、四頭の馬たちにより
曳かれて、空を横切って毎日移動した。

The relationship of the Sun to THE CHARIOT card is of critical importance because
the Chariot moves between the Light, centered in Tiphareth and the Supreme Darkness
at the hidden side of Kether.
「太陽」と「戦車」の関係は、「戦車」は「ティファレト」を中心とする「光」と、
「ケテル」の隠された側にある「至高の暗闇」の間を移動するため、決定的に重要である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「7:戦車」は、「ヘリオス神の戦車」をイメージしたものである
ということは、ありそうなことではありますが、ギリシア神話では、「ヘリオス神の戦車」
=「太陽」ですので、そのまま当てはめて解釈することは無理があります。
というか、そもそも「7:戦車」は「ティファレト」に至る「小径」ではありませんので、
もしそういう意味があるのであれば、「6:恋人たち」と入れ替える必要があるわけです。

とはいえ、この「7:戦車」は、戦闘用特殊車両というわけではないことは明らかですし、
「生命の木」の構造から見れば、「太陽=ティファレト」へのエネルギー運搬用貨物車
という解釈は、決して間違いではないのですが、そもそも「ケテル」と「ティファレト」
とは、「2:高等女司祭」の「小径」で繋がっているわけですので、そういう上下関係も
あって、「2:高等女司祭」の補佐役というか、パシリ役に近いものが、この「7:戦車」に
あるのではないかと思っているのでした。
0612名無しさん@占い修業中垢版2021/02/13(土) 06:12:33.80ID:vejMGDJu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
In Waite's card this Chariot is a stone cube referring to the physical Universe,
as well as to the Cube of Space, which Gareth Knight has called a construct within
Tiphareth.
ウェイト版のカードにおいては、この「戦車」は、ガレス・ナイト氏が「ティファレト」
内の構成概念と呼んだことのある「宇宙の立方体」であるだけでなく、物質的な「宇宙」
を参照する石の立方体でもある。

This idea is amplified by Case's suggestion that while the Throne is Kether, the
place of the Throne is Tiphareth. (*208)
この考え方は、「王座」が「ケテル」であるのに対し、「王座」の場所は「ティファレト」
であるというケース氏の提案により拡充される。 (*208)
--- ここまで ---

ちなみに、(*208)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
208. Case, Tarot Interpretation, 7.
208. ケース著、『タロットの解釈』、7ページ。
--- ここまで ---
とあります。

レヴィ氏の「戦車」のデザインから、ウェイト氏が明示的に改変したネタの一つが、この
「立方体の戦車」であり、従来の「7:戦車」が、一応「戦車」っぽい形であったのに対し、
ウェイト版においては、もはや「戦車」の形にこだわっていないということです。
じゃあ、ウェイト版の「戦車」は何なのかと言うと、これは「立方体祭壇」に他ならない
わけで、「立方体祭壇」という、秘義的なアイコンを提示することで、この「7:戦車」が、
下々の世界での物理的な争いのための「戦争の道具」ではなく、上位の「神」との合一を
目指す「神秘的祭儀」の場であるということを表しているわけです。
つまり、この御者は「祭司」であり、そして「魔術師」でもあるわけで、そういう意味では、
この人物は「至高神」的な存在ではなく、もう少し下位の存在であることを示しています。
0614名無しさん@占い修業中垢版2021/02/14(日) 06:31:12.89ID:ESiRxQ3b
>>613
こちらは関西ですので、揺れに気が付きませんでした。(^^;;

一部地域では非常事態宣言も出てますし、まだまだ寒い時期でもあるので、
皆さんも、お体だけは、お大事に。
(生きていれば、そのうち何とかなるさという単純思考回路の持ち主w)
0615名無しさん@占い修業中垢版2021/02/14(日) 06:38:24.74ID:ESiRxQ3b
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
But another complexity must be introduced.
しかし、もう一つの複雑なものが、紹介されなければならない。

Despite the fact that THE CHARIOT is related to the Sun, it is guided by the Moon!
「戦車」は「太陽」に関連するという事実にもかかわらず、それは「月」により支配される!

And, from the standpoint of the Tree of Life, and of the earliest Greek mythology,
the Sun is subordinate to the Moon.
そして、「生命の木」と、最も初期の「ギリシア神話」の観点からは、「太陽は月より下位
にある」。

The Chariot follows this order, for it is the sign Cancer, ruled by the Moon (and
in which Jupiter is exalted).
「戦車」は、この順序に従い、それが「巨蟹宮」であるため、「月」により支配される
(そして、そこでは「木星」は高揚される)。
--- ここまで ---

「生命の木」は、「大アルカナ」の配属では、「月=2:高等女司祭」>「太陽=19:太陽」
ではありますが、「セフィロト」の観点からは、「太陽=ティファレト」>「月=イェソド」
であり、一概には「太陽は月より下位にある」とは言えません。
また、「最も初期のギリシア神話」についても、「太陽は月より下位にある」という、
確たる証拠もありませんので、何とも言えません。

とはいえ、我々のようなヲタクにとって、どちらが好み、いやいや神秘的かと言われれば、
間違いなく「兄属性」である「太陽」よりも、「妹属性」である「月」の方が、ダントツ
に人気が高いのは確かだと思います。
つまり、この「7:戦車」には、そういう究極の「妹属性」が込められているということで
あり、そこで男性的(兄的)象徴である「木星」が高揚されるのも、人気ジャンル向けと
しては、まあ当然の流れではないかと思うのでした。(脱線承知のネタ振りww)
0616名無しさん@占い修業中垢版2021/02/15(月) 06:16:42.36ID:su16p819
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
On the Tree of Life the Path leading from Tiphareth to Kether is the cardinal Path
of the Moon and of Water, THE HIGH PRIESTESS.
「生命の木」の上では、「ティファレト」から「ケテル」へと導く「小径」は、「月」と
「水」の極めて重要な「小径」である、「高等女司祭」である。

What takes precedence here is the Water (Pure consciousness) that the Moon represents.
ここで優先されるものは、「月」が表す「水」(「純粋」なる意識)である。

It may also be mentioned that in the symbolic pantheon of metals, silver at one
time also took precedence over gold.
金属たちの象徴的な万神殿においては、かつては、銀が金よりも優先されていたことに
ついても、また言及されるかもしれない。
--- ここまで ---

古代ギリシア時代の通貨制度は、鉱物資源上の理由で、「金」ではなく「銀本位制」と
なっており、それゆえ、「銀」の方が色々と生活上は便利であったということであって、
神秘的な意味で「銀」が「金」に優先したということでは無いと思います。
ただ、神秘さというか不可解さという点では「女性=月」の結びつきは鉄板ですので、
その点において、「女性=月」が「男性=太陽」に優るということではないかと思います。

ちなみに、「深淵」を渡る五本の「小径」ですが、ワタシの感覚では、「2:高等女司祭」が
絶対権力者である母、「4:皇帝」が兄、「5:法王」が弟、「6:恋人たち」が姉、そして
「7:戦車」が妹という感覚があって、そういう序列的に見て最下位のパシリ役というか、
「小聖母」的な意味が、この「巨蟹宮」の「月」にあるのかな、とか思うんですよね。
ウェイト版の「2:高等女司祭」を見てると、特にそういう感じが強くあります。

とはいえ、下界の我々にとっては、そういう下っ端のパシリ役であるからこそ、あわよくば
接触できる機会もあるわけですので、もしそういうラッキーチャンスがあれば、色々な経験
をしてみてください。(レベルの低いワタシには、その手の出会いは絶対無理ですがww)
0617名無しさん@占い修業中垢版2021/02/16(火) 06:03:51.58ID:Fc6g6Dc5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 215) ---
It was not until the period of Greek history when the Apollo myth began to take
over from that of Helios as the Sun God, even coming to be represented as driving
the Chariot of the Sun across the sky each day, that the Sun began to be considered
of greater importance than the Moon. (*209)
「アポロ神」の神話が、「太陽神」としての「ヘリオス神」のそれから引き取られ始め、
毎日空を横切って「太陽の戦車」を駆るものとして表されるようにさえなった時のギリシア
の歴史の時期になって初めて、「太陽」は「月」よりも大きな重要性を持つものと考えられ
始めた。 (*209)
--- ここまで ---

ちなみに、(*209)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
209. Robert Graves, The Greek Myths, New York, 1957, 156: "The Sun's subordination
to the Moon, until Apollo usurped Helios' place and made an intellectual deity of
him, is a remarkable feature of early Greek myth."
209. ロバート・グレーヴス著、『ギリシア神話』、ニューヨーク、1957年、156ページ:
「『アポロ』が『ヘリオス』の地位を奪い、そして彼の知的な神性を作るまでは、『太陽』
の『月』への従属は、初期の『ギリシア神話』の注目すべき特徴である。」
--- ここまで ---
とあります。

古代ギリシアの時代は、「太陽=ヘリオス神」と「月=セレーネ女神」という、専業的かつ
惑星マニア向けの人気でしかなかったのですが、その後、宗教業界的な理由で、総合
百貨店的な「アポロ&アルテミス神」に、「太陽」と「月」の営業権を譲渡しています。

つまり、「アポロ神=究極男性神=太陽の申し子」と「アルテミス神=究極女性神=月の
申し子」という素人受けする構図で、人々の人気と金を集めることに成功するわけですが、
「太陽」と「月」の優劣は、人気度だけで測られるものではありませんし、ジェンダーフリー
の観点らも、あまり深入りしない方が良いかと思うのでした。
0618名無しさん@占い修業中垢版2021/02/17(水) 05:57:52.70ID:LMiMo2Sf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 215) ---
All of these symbols are, of course, deeply involved with the history of religions
and with anthropology, which assigns occasionally contradictory meanings to a
given symbol.
これらの象徴たちの全ては、もちろん、宗教たちの歴史、そして人類学に深く関係して
おり、ある与えられた象徴に対して、時々矛盾した意味たちを割り当てる。

The corrective is that the Tarot Keys represent truly universal archetypes, truths
which remain immutable despite the limitations of the attempts to describe them.
矯正手段は、「タロットの鍵たち(大アルカナ)」は、真に普遍的な元型たちであり、
それらを説明しようとする試みたちの限界にもかかわらず不変であり続ける真理たちを
表す、ということである。
--- ここまで ---

まあ、人間の見方や考え方は、その人の時代や地位などの様々な要因で、まさに人それぞれ
であり、「太陽」や「月」、「男」と「女」などの、典型的な対立概念の象徴の優劣などと
いうものを決めつけるのは、上位世界においては、全くもって不毛な所業です。

つまり、「7:戦車」は、「太陽の戦車」であっても「月の戦車」であっても良いし、
「男性の御者」であっても「女性の御者」であっても良いわけであって、そういう意味
での、「二本角の兜」であり、「二輪の戦車」であり、「白馬と黒馬の二頭曳き」である
わけです。
とはいえ、そういう「普遍性」とか「不変性」というものは、我々から見れば、変化が
見えないので、「気づきにくい」とか「見えにくい」とか「意識しにくい」ということに
なるわけで、それゆえ普通の人には、全く理解できないシロモノでもあるわけですよね。

というわけで、我々にはわけがわからないというグダグダな結論で、この「7:戦車」を
締めたいと思います。
まあ、分からなければ分からないなりに妄想が捗りますので、ワタシとしては好都合でも
ありますし、まあ、そういうことなんですよね。←うやむやにして、やり過ごすww
0619名無しさん@占い修業中垢版2021/02/18(木) 05:52:33.95ID:kLR1MmQU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 215) ---
17. THE PATH OF ZAIN,
17. 「ザイン」の小径

The Lovers
恋人たち

The Sixth Key
6番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは、「ザインの小径」です。

この「小径」のカードタイトルは、「恋人たち」という、世間受けの非常に良いというか、
いわゆる「ラッキーカード」と見なされていると思うのですが、カバラ的解釈によれば、
いつものように、わけのわからない妄想を垂れ流すだけの、よくわからないものになって
しまっています。
まあ、「生命の木」において、「深淵」を渡る上位の「小径」は、その下半身しか我々には
認識できませんので、いわゆる「頭隠して尻隠さず」という、どうしても下半身ネタにしか
ならないという難点があるわけなので、そうなることは避けられないんですよね。

とはいえ、上半身を見たいかと言われると、「見たら目が潰れてマジで死ぬで!」と、
今まで何度も脅されていますし、そもそも下半身ネタだけでも充分お腹いっぱいという
感じですので、ビビリなワタシは、そこまで無理して近づきたくは無いなという感じです。

まあ、そういうヤル気の無い状態で申し訳ないのですが、惰性と劣情のおもむくままに、
まったりと妄想を楽しんでいこうと思いますので、皆さんも肩の力だけでなく、全身の力を
ゆる〜く抜いて、お付き合いくださいませ。(緊張感まるで無しww)
0620名無しさん@占い修業中垢版2021/02/19(金) 05:51:53.96ID:dsqNMd38
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 215) ---
□ PATH COLOR: Orange
□ 「小径の色」:「オレンジ色」

□ RELATED SOUND: D-Natural
□ 「関連した音」:「Dのナチュラル」

□ SIGN: Gemini (Mutable Air)
□ 「宮」:「双児宮(柔軟宮の空気)」

□ MEANING: Sword or Armor
□ 「意味」:「剣」または「鎧」

□ SIMPLE LETTER: Smell
□ 「単字」:「嗅覚」

□ ESOTERIC TITLE: The Children of the Voice; The Oracle of the Mighty Gods
□ 「秘伝的な称号」:「声の子供たち;強力なる神々の神託」
--- ここまで ---

上記の「ESOTERIC TITLE/秘伝的な称号」の「The Children of the Voice/声の子供たち」
の部分は、『"T"の書』の原文では「The Children of the Voice Divine/神聖なる声の
子供たち」となっていますので、誤植ではないかと思われます。

さて、この本の、この文章の右側には、「剣」と、ヘブライ文字の「ザイン」と、「双児宮
(そうじきゅう、ふたご座)」の占星術記号、および「生命の木」における「ザインの小径」
の位置が図示された絵が描かれています。
その下には、四枚のカード(ゴールデン・ドーン版、トート版、ウェイト版、マルセイユ版)
の挿絵があるのですが、それぞれが全く異なるモチーフで描かれており、この「小径」の
解釈が、まさに「人それぞれである」ことを物語っているということになるわけですよね。
0621名無しさん@占い修業中垢版2021/02/20(土) 06:10:16.19ID:g5NtEY+Y
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 215) ---
THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM: The Seventeenth Path is the Disposing Intelligence,
which provides Faith to the Righteous, and they are clothed with the Holy Spirit
by it, and it is called the Foundation of Excellence in the state of higher things.
「知恵の32の小径たち」:「17番目の小径」は「処理する知性」であり、それは「義人」に
「信仰」をもたらし、そして彼らは、それにより「聖霊」の衣で覆われ、そしてそれは、
より高いものたちの状態にある「卓越の基礎」と呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用で、いつものように微妙に異なっていますが、いつものようにスルーします。

さて、この「ザイン/剣または鎧」の「17番目の小径」は、「Disposing Intelligence/
処理する知性」ということですが、イメージ的には、悪いしがらみを「Disposing/切り
捨てる」ような感じもありますので、これが、ゴールデン・ドーン版「6:恋人たち」の
モチーフになっているものと思われます。
ちなみに、マルセイユ版「6:恋人たち」も、一方を選択し、他方を排除する感じですので、
そういう路線に近いのかな、と思います。

「生命の木」的に見ると、上位世界の「ビナー」から、「深淵」を渡って下位世界の
「ティファレト」へと至る「小径」であり、その守備要員としての「ザイン」、すなわち
「エデンの園の東」にある「ケルビム(鎧)」と「炎の剣」であるという見方も出来る
わけで、ウェイト版やトート版は、そういう「エデンの園の東」のストーリーを描いて
いるのかもしれません。
とはいえ、トート版は、いつものように妄想象徴テンコ盛りで、何でもありの無敵状態
ですので、ちょっとついていけない感じもあります。

ということで、マルセイユ版をベースに、ゴールデン・ドーン版、ウェイト版、トート版
という、それぞれ異なる進化形態を、のんびりと眺めていくことにしましょう。
0622名無しさん@占い修業中垢版2021/02/21(日) 06:51:06.40ID:LupktMc7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
The Path of Zain, THE LOVERS, between Binah and Tiphareth, connects the pure
consciousness from which form emerged with the central point of all manifestation,
a complexity which can barely be suggested by the image on a Tarot card.
「ビナー」と「ティファレト」の間の、「恋人たち」である「ザインの小径」は、形が
現れたところである純粋な意識を、タロットカード上の画像により、かろうじて示唆され
ることができる複雑さで、全ての顕在化の中心点と結び付ける。

It is perhaps for this reason that the design of the card has changed over the
centuries.
カードの図案が何世紀にもわたって変更され続けているのは、おそらくこの理由による。
--- ここまで ---

「生命の木」と「小径」の対応ですが、「7:戦車」「6:恋人たち」「5:法王」「4:皇帝」の
「小径」は、対応規則が他と異なっていることに気になっている人も多いと思います。

元々、「生命の木」と「小径」の対応自体が、かなり曖昧なので、はっきりとした原因は
わからないのですが、「ケテル」−「ケセド」、「ケテル」−「ゲブラー」の「小径」が
無いことから推察すると、「至高の三角形」からは、「ケセド」や「ゲブラー」よりも、
「劣化ケテル」である「ティファレト」が優先するという暗黙の規則があるようです。

それ以外にも、「8:力」と「11:正義」の入れ替えとか、「14:節制」と「15:悪魔」など
の関係とかもありますし、特に「7:戦車」や「6:恋人たち」の関係については、デザイン
の改変が著しいことを考えると、より複雑な事情になっている感じはあります。
とはいえ、そもそも「タロットカード」が「生命の木」に対応するという設定自体が後付け
のものですし、無理矢理な原作レイプに近い状態での対応関係を考えると、この程度の改変
や違和感は、いまさら取り立てて言うほどのものでも無いという感じもありますよね。

まあ、そういう複雑な裏事情がありそうなのですが、浅学のワタシとしては、あまり深掘り
せずに、うわべだけの話を進めていきたいと思うのでした。
0623名無しさん@占い修業中垢版2021/02/22(月) 06:11:10.43ID:31pSOlf5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
In most of the earliest versions, such as the Marseilles Tarot, it was called The
Lover (singular) and showed a man between two women, above whom was a cupid with
a posed arrow.
「マルセイユ版タロット」のような、最も初期の版たちのほとんどにおいては、それは
「恋人」(単数形)と呼ばれ、二人の女たちの間に男がいて、その人たちの上に、矢を
構えたクピドがあった。

Presumably this single lover made no sense to later Tarot artists, and in the
eighteenth century the card began to appear with two "Lovers" and a uniting
figure of some sort.
おそらく、この独身の恋人は、もっと後のタロットの芸術家たちには意味がなく、18世紀
には、カードは二人の「恋人たち」と、ある種の一体化させる人物像と共に現れ始めた。
--- ここまで ---

マルセイユ版の「6:恋人」は、二人のタイプの異なる女性から結婚の選択を迫られる男と
いう、一種のハーレム系の構図となっていて、レヴィ氏はこれを「悪徳と美徳の間に挟ま
れた男」というように解釈しています。

その一方で、18世紀になって、クール・ド・ジェブラン氏が『原始の世界』(1781年)で、
「6:結婚」のタイトルで、左:「女性」、中:「男性」、右:「神官」、上:「クピド」
の並びで描いており、また、エッティラ氏が『エッティラ版タロット』(1789年)で、
「13:結婚」のタイトルで、左:「女性」、中:「神官」、右:「男性」の並びで描いて
おり、その構図は、ウェイト版と同じになっています。
その一方で、トート版では、左:「王」、中:「神官」、右:「女王」、上:「クピド」
と、従来とは左右が逆になっています。

ちなみに、14世紀頃の最初期のタロットでは、複数の男女カップルと「クピド」が描かれた
ものもありますので、「6:恋人たち」は、色々な人々が、それぞれ微妙に異なる解釈で、
割と自由にデザインしている傾向があるようです。
0624名無しさん@占い修業中垢版2021/02/23(火) 07:16:08.31ID:jd4APyfx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
Yet the early concept of The Lover is very profound, for this card does not represent
the mundane love of two persons.
それにもかかわらず、このカードは、二人の人間たちの世俗的な愛を表していないので、
「恋人」の初期の概念は非常に深遠である。

It is, rather, the dualities of a single individual, wilfully united in pursuit
of Divine Love.
それは、むしろ、「神の愛」を追求するために、意図的に一体化させた、一人の個人の
二重性たちである。
--- ここまで ---

前レスの誤記訂正です。m(_ _)m
「ちなみに、14世紀頃の最初期のタロット」→「ちなみに、15世紀頃の最初期のタロット」

ちなみに、この「15世紀頃の最初期のタロット」というのは、ルネサンス期のイタリアで
作成された、ヴィスコンティ・スフォルツァ版と総称される、タロットの元祖たちです。
これらは、マルセイユ版のような商業印刷物ではなく、芸術的なフルカラーの手描きで、
カードタイトルが無いのが特徴ですが、もしタイトルを付けるとするならば、世俗的な
「結婚」とか「恋人たち」と付けても良いような感じのデザインとなっています。
要するに、「恋人」というタイトルは、マルセイユ版で出てきた特徴でもあるわけで、
元々は、「結婚」とか「恋人たち」を意味するものであったと推定できます。

とはいえ、そういう世俗的な恋愛事情は、世俗的リア充を否定し、ヲタク的な「神の愛」
を尊ぶ「カバラ主義」の導入により一変します。

結局のところ、そういう「意識高い系」の犠牲となって、全面的な魔改造を受けたものが、
この「6:恋人たち」であり、そういうヲタク趣味がテンコ盛りとなって、作者自身も、
何だかよくわからないものになっているのが、近代の(特にトート版の)「6:恋人たち」
であるということなんですよね。
0625名無しさん@占い修業中垢版2021/02/24(水) 05:53:55.01ID:AkIkG7l3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
Crowley's point that the card should really be called "The Brothers" is well taken.
カードは、本当は「兄弟たち」と呼ばれるべきであるというクロウリー氏の主張は、よく
理解されている。

In fact, the Key's true meaning is imbedded in its sign of the Zodiac, Gemini,
The Twins.
実のところ、「鍵(大アルカナ)」の真の意味は、その「黄道十二宮」の宮である、
「双児宮」、「ふたご座」の中に埋め込まれている。
--- ここまで ---

確かにクロウリー氏は、『トートの書』で、「6:恋人たち」のタイトルを「THE LOVERS OR:
(THE BROTHERS)/恋人たち、もしくは:(兄弟たち)」と書いており、そして本文中でも
『旧約聖書:創世記』の「カイン」と「アベル」の兄弟の話を出しています。
ちなみに、『トートの書』においては、「カイン」と「アベル」は、実の兄弟ではなく、
「弟:アベル」は「父:アダム」と「母:イヴ」の子であったのに対し、「兄:カイン」
は「父:蛇」と「母:イヴ」の不倫の子であるとされています。
これは、ギリシア神話にある「双児宮」の元となった双子の兄弟である「カストル」と
「ポルックス」が、「兄:カストル」が人の子(父:スパルタ王テュンダレオース、母:
スパルタ王妃レダ)であったのに対し、「弟:ポルックス」は不倫の神の子(父:ゼウス神、
母:スパルタ王妃レダ)であったということの、類似案件となっています。

とはいえ、クロウリー氏の「6:恋人たち」が「兄弟」であるという主張は、投げっぱなし
のネタとなっていて、トート版カードに実際に描かれているのは、「4:皇帝」の冠をかぶり
「聖槍」を持った「黒い王」と、「3:女帝」の冠をかぶり「聖杯」を持った「白い女王」
ですし、その後の無駄に長い説明文を見ても、どちらかというと「恋人たち」や「兄弟」
よりも、昔からある「結婚」というタイトルの方がふさわしいように思えます。

まあ、クロウリー氏も、この「6:恋人たち」の解釈には、色々と迷いがあるというか、
よく分からないまま、色々と試行錯誤しているような感じはありますよね。
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