――「死ね」という言葉はやっぱり、ただそれだけで議論の場を混乱させたり、主張に耳を貸したがらない人も出てくると思いますが、そういうことについてはどう思っているんですか。

「それがちょっとズレてる。俺は誰とも議論はしてない。言い放ってそれだけだよ。『死ね』という言葉で意見が強化されるとも思ってないから耳を貸すも貸さないも自由だし、俺の話を聞いてくれなんて誰に頼んだ覚えはない。
勇んでやる口げんかのときは『死ね』とも言うだろうけれど、本当に有益な議論が必要なときはしない。でも、ネットで有益な議論なんて俺がする必要はない。結局、俺の『死ね』は誰にも向けられてないようなものだよね」

 一理ある。ん、あるか? 僕には何が正しい判断なのか分からなくなっていました。けれど、男性のバシッと言い切ってしまうその姿勢に、ネット上での普段の姿も相まって謎の説得力のようなものが伴っていたような気がしたのです。
言いくるめられているといえばそれまでなのですが。

「でも『死ね』って言葉を使うにも、ルールというか、ここ踏み込んじゃならないだろっていう部分はわきまえてるよ。たとえば、人種とか国籍、あと障害の有無とか生まれ育ちとか、
そのへんで値踏みして『死ね』って言うことはない。まあ気を使おうが汚い言葉は汚いんだけどね」

 「死ね」の中に込められたルール……その是非はともかく、あのナイフのように暴力的な言葉の中に、繊細な配慮が存在するアンバランスさに、僕は妙な座りの悪さを感じました。
「死ねという言葉をそもそも使わない」というルールがないことはやっぱり残念でしたが……。