罪とは何か、裁判員制度とは何か
人は人を指差して言う
【鬼畜】と
だがそもそも【鬼畜】とは何だ?
日本では年間に千軒の殺人が起こっている、言い方を変えれば【たったの千軒】
だ。
それを解決する方法が重罪化しかないと言うのはあまりに乱暴すぎる、
多くの宗教では罪人が生まれるのはその人にだけ罪があるのではなく、社会的な矛盾が積み重なって
その上で罪人が生まれると捕らえられる、
本当にすべきなのはこのストレスの発散が目的のような制度なのか?
人が人を殺す。
その原因が殺す人の側の環境にあるのなら、そこをまず変えないといけない、
人が人を殺す。
その原因が実にその人の持つ障害にあるのなら、うまく強制しなくてはいけない、
それをやるのが【人間】だと私は思うね。 人が人を殺す。
それは相手が憎いからだ。
相手に怒っているからだ。
人を殺した人をどうすれば気が済みますか?
殺すんですか?
煮え湯を飲ませるんですか?
針を体中につき指すんですか?
本当は何がお望みなんです?
焼き殺しますか?
性器を切り落としますか?
あなたの望みを言って見なさい、 それでは人殺しと大差無いではありませんか、
私は幸福ですから、人は殺しませんよ。
でも殺す人の気持ちは解る気がします。
多くの人に言わせれば私も鬼畜かもしれない、でも人を殺すときの私にあるのは
多分怒りでも憎悪でも快楽への渇望でも無いでしょう。
おそらく耐え難いほどの恐怖と孤独と絶望なんですよ。 人間なら、もしも人間なら、それを許さなければ、それを救わなければ、
それをしてしまったら自分を保つことが出来ないほど私達は弱い生き物なのでしょうか?
誰かに罪を押し付けなければならないほど私達は飢えているのでしょうか、
私はそうは思わない、 確かにこの国では腹が飢えて死ぬ人は少ない、
でも心が飢えて死ぬ人は年間に三万人です。
大きな闇がこの国に巣食っている、そうは思いませんか?
闇というと中二病臭いですが【悩み】という言葉の語源が【闇】であるそうです。
罪を犯そうとする人、それに出来るだけ厳しい罰をかそうとする人、
少しだけ罪というものの原点に立ち返ってみましょうよ。
努力をして、幸せに成れる人も居ます。
人というのは誰かに認められて初めて幸せになれるものです。
自分を好きになれてはじめて【生まれてきてよかった、まじめに生きてきて、罪を犯さずに生きてきてよかった】
こう思えるものです。
でも、生まれてきてからどんなに努力をしても親にすら【生まなければ良かった】そういわれてしまう人が居ます。
障害と認知されなくても、能力が弱く、人並みに仕事が出来ない人も居ます。
そういう人達はいつ、【自分が好き】になれるのでしょうか、いつ【生まれてきてよかった】と思うことが出来るのでしょうか、
私は罪人に成りたくて生きてきた人なんて一人も居ないのではないかと思います。
その人達の個性と努力を皆が認めてあげていれば、起きなくて良い悲劇も沢山あったのではないかと思います。 罪とは許すものです。
罰とは許す為にあるものです。
今は私はそう思います。 ほんのひとときのやさしさがひとのこころをすくうこともあります。
おもいだしてください、ひとりぼっちでないていたとき、だれかがさしだしてくれた
あたたかいてのぬくもりと、やさしいえがおを
それがあったからあなたはあなたなんだ
あなたはあなたでいられるんだ
一人では誰も救えはしないだろう。
人間は頑固者だから、一人が頑張って救おうと思ってもはっきり言って無理です。
必要なのは皆の優しさなんだ。
個性と罪を認める勇気なんだ。
俺が頑張らなければ成らない、だから皆も頑張れ、連投乙
人間の感情は獣だ。
だが理性でその獣とうまく付き合うのが許すということだ。
世界は未だ、それを成せていない、その獣は自分の力だけで完全に制御しえるものじゃない、
それは犯罪者に限ったことじゃない、 教育だ、教育と人の尊厳への世の中の捉え方の問題だ。
犯罪者に不幸な身の上のものがどれほど多いか、子供が良いことをしたら褒めてやるように、
大人に対してもそれは必要なんだよ。
差別されることによる不安や恐怖が犯罪の根底に結びついていることが多い、
そうだよ、彼らは不安と恐怖ゆえに罪を犯す弱い人間なのかもしれないだろ。
愛情を受けてないんだよ。
いつかそのうちこの世の中はそういう心の闇と本気で向き合うべき時が来る、
かもなぁ 司法試験は丸暗記型のテストだからね。もちろん国家資格にも安全管理者とか安全管理士みたいな試験はあるよ。
でも司法試験は暗記型なんだ。六法全書片手に解けば誰でも満点が取れるタイプのテスト。
覚えて当てはめるだけの仕事では優秀なだけど、深く理解して、柔軟に思考するという能力がまるでない。
下級審ほど世間の感覚と全くズレた判決を乱発するのもそのせい。
だから裁判員というのは日本にこそ必要な制度だと思う。 いや、それはもっと真面目に判断できる人達が判断して選出されるべきだろう。
誰がやってもいいのであれば、それはおかしいし、
そういうことが真面目に出来ない国民が裁判員制度にヒーロー遊び以外の意義を見出せるとは思えない、
こんな世の中ではこういう制度は焼け石に水にもならない、 罪人に成るか善人になるか
心を悪魔に取り入られるか取り入られないか
そんなことは自分でどうにかできることではない
罪を犯した人を責める以前に社会には人間を導くと言う役割がある
重罪かよりもそこをもっと重視すべきです
確かに罪人になるために生まれた人はいないと思います。
でも、あなたの家族が誰かに殺されたとき、あなたは本当に、
教育の問題、社会の問題として、殺人者を許せますか?
サバイバルナイフを持ち自分に関係の無い人を見境無く殺した人を、被害者の家族は
教育の問題,社会の問題と割り切れるのでしょうか?
確かに、人が人を裁くのは、問題があると思います。
そのために、第3者になれる裁判員制度が生まれたと思います。
裁判官3人で、社会の平均を取って裁くことは困難だと思います。
罪人のことだけを考えて、罪を考えるのではなく、被害者のことも
考えてください。
ここの今までの記述は、被害者の事を考えていないと思います。
確かに被害者の方は可哀想です。
しかし私にははっきり言うと加害者の気持ちも解ってしまうんです。
この世の中には深い闇がある、ポッカリ明いた暗い地獄への穴が、私には彼らが偶然そこに落ちる定めに生まれただけであると思えてしまいます。
人が人を支配しようとする、心を奪い自我を破滅させ知らず知らずに地獄の入り口へと誘う。
その地獄を生み出しているものが何であるか私には解る気がするのです。
私の、わたしはおそらく自分の子供が殺されても犯人にのみ罪があると思えないでしょう。
罪を犯した人は人間ではありません。
しかし、永遠にそうであってはなりませんし、犯人に当然何よりも重い罪があるのですが、
私は事件が起こってしまう前に、出来る事がないかとどうしても考えます。
考えなければ、私は罪人ですから、
いえ、誰しもがそうする必要はありません。
出来ることでいいのです。
そう、出来ることで、この私たちにも出来ることをするだけの責任はある、
そう考えるくらいはいいでしょう?
何が出来るかが一番難しいのですが、 私は誰ももう責めたくはないんです。
みんなが必死に努力してこの世の中を作った。
必死に考えて、必死に働いて、それは解るんです。
しかし…、人を裁くということ、私は単に哲学者なのですよ。
人間を解りたい、それだけです。
私の人間観察が誰かの役に立てるならば、
人を鬼畜にするもの、それは私は【孤独】【不安】【植えつけられた行き過ぎた自己否定】【歪んだ自尊心】
【社会の矛盾】そういう心の闇であると思います。
私にはこの世の中を少なくとも今はどうする力も無いかも知れない、でも自暴自棄に成っている人には思いとどまり自分を見つめて欲しい、人間を生まれや犯した罪で違う生き物だ。
直らぬ病気だ。
こう思うのは誰もに留まって頂きたいのです。
今ここを立てないと私は私を許す事は出来ないんです。
私も昔父親を見捨てた。
でも今はもう見捨てたくないんです。 今日、裁判員裁判で、判決を受ける事件。
命乞いをする被害者を電動のこで惨殺したとのデレビ報道がありました。
この犯人も、運命ですか?
埼玉県、保険金詐欺で、複数の男性を一酸化炭素中毒(睡眠薬を使用)した犯人も、
運命ですか?
殺された人はたまらない。
家族,親族は、どんな心境なのか、あなたにとっては、他人事???
運命であり、他人事ではありません。
犯人を憎むのは構わない、でもその憎しみはホントに正しいのでしょうか?
いいえ…解っていますよ。
私だって人を憎むのだという事を、そしてそれは自分の意思等と言う物でどうする事も出来ない事を、
しかしですね。
しかし変わらなければいけない、たとえ今は憎しみを消せないとしても、
犯人も運命に翻弄された無力な人であることに変わりありません。
その無力な人を導くという役目をこの世の中が果たさない限りいくら罪を重くしてもこういう事は無くなりはしない、
私はそう思います。 憎悪は怒りを増幅させ、怒りは憎悪を増幅させ、暴力を生む、暴力は支配を生み人の心に不信を作る、それは孤独を生みだし、
虚無を生み出し、心の闇にやがては地獄を生み出す。
もしこの世に罪悪の根幹たるものがあるとすれば、意外にそういうところにあるのではないですかね。
そしてこの世の中はそういう人の心の深い闇についてあまりに無防備だ。 そう、どうしようと消すことは出来ないその憎悪にあなたたちが翻弄されているように…ね? よく言われる言葉で、罪を憎んで、人を憎まず、と言われますが、
現実に、犯罪を犯した人はどうするのですか?
犯罪を減らすための精神論は、分かりますが、現実に、人を人と思わない犯罪者は目の前にいます。
新宿の人通りの多い交差点に、車を突っ込み、その後、サバイバルナイフで、
複数の人を惨殺した犯罪者は、放任するのですか?
私は彼は本当は誰かに自分の存在を認めて欲しかったのだと思う。
確かに彼のやったことは残酷だが社会が彼にしたこともその彼の罪によって帳消しになるわけではない、
人間は誰かに自分を認めていい所を褒めてもらって肯定してもらえないと生きていけない生き物です。
彼には人を人だと思わぬ以上に自分の人生に対しての諦めがあった。
本当は私は彼にも死んで欲しくはないんです。
彼にほんの一つでも【居場所】があれば彼は絶対にああはしなかったでしょう。 彼の自尊心を踏み躙った人も、彼を嘲笑し絶望と自殺願望を与え【最後に暴れてやろう】
とまで思わせた人も法律によっての罪に問われることはありません。
しかし私は変われると信じます。
だって私たちは人間なのですからね。 教えてください。
結論として、彼は、どんな罪を受けるべきですか?
無罪放免ですか?
無罪放免はありえません。
少なくとも彼には長い間自分を責めてもらうことが必要です。
その間は彼に人権は必要ありません。
しかし誰かに正義を【教える】自信は今の私にはありません。
しかし此処を立てないと後悔すると思いました。
しかし罪とは重たくすれば良いのではなく、あくまでバランスの問題であるのだと思います。
誰にでも努力をすれば等しく居場所が与えられる社会であれば少なくとも秋葉原のような事件は起こらない、
私はそう信じます。
すいません、皆さんの気持ちも考えず私が言ったことが【綺麗事】であり
【言い訳】であることを今は誰にも変えられる事ではありません。
しかし少しずつでも人間は許しあい、社会は進歩しえるのだということをこの戯言をどうか皆様が心の隅にでも置いてくだされば、
幸いでございます。
誰にでも等しく、与えられるものは何もありません。
有るとすれば、努力する機会だけです。
努力しても報われないこともあります。
でも、努力している人のことは、誰かがきっと見ていると思います。
犯罪を犯す人は、全てとは言いませんが、何かが足らなかったのです。
大阪には、震災もあったため、浮浪者の方が今も数多く居られます。
幸福な生活を送っていた方が、震災のため何もかもなくし、現状になった方も多いと思います。
家族も無く、貧しく、誰も助けてくれない生活を送っているのだと思います。
でも、犯罪は犯していません。
世の中に、犯罪が無くなる様に、なんらかの行政的,政治的,行動が必要かもしれません。
でも、犯罪被害者の方の事を考えると、今まで、あなたが言っていた事を、
そのまま見過ごすことが出来ませんでした。
論破するために、発言したのではない事を表明させてもらいます。
加害者も被害者も運命に翻弄される無力な人間であることに変わりありません。
今はつらくてもいつか光が見えることを信じましょう。
憎悪は憎悪を生み、怒りは怒りを生む、殺意は連鎖します。
>>31
人間の能力も善悪も同じではないかもしれない、
人間の価値も本来的には平等ではないかもしれない、
しかし目に見える努力しか認められない世界であってはいけない、【競争】などという人権侵害がまかり通ることもいけません。
しかし、人間は生まれたときから自然に平等なのではなく、平等でなければならないのです。
世の中に差別があるとそれは性格に帰依したものであったにせよ。
性癖だのに帰依したものであるにせよ、能力に帰依したものであるにせよ。
差別はいつの社会でも悲劇しかもたらしません。
人間は平等なのではなく、平等でなければならない、それは私達の意志でそのように成せるものなのです。
見かけの貧困ではありません、自己愛の欠如と人の人に対する搾取と支配こそが人の心に良くないものを生むのです。
人には自分を好きになる権利があります。
人には優しくされる権利があります。
いくらお金があっても【感謝】や【義理】が欠如し、
【金銭主義】や【歪んだ自己愛】が横行する世の中で一番心に絶望しやすいのは弱者である子供達です。
【自分を愛せない】世界にこれより辛い事は拷問くらいしかないですよ。 誰もに【良心】を内包する【心】があります。
遺伝子や生まれは関係ありません。
どうかこの中二病の戯言を心の片隅にでも置いておかれてはいかがか…、
>>32,33
このスレの本来の目的は、
罪とは何か。裁判員制度とは何か
では無いのですか?
32,33の発言は、目的とどうかかわりがあるのですか?
関わりを解る人も居れば、解らない人も居る、私の中では関わりは深いですよ。
強いて接点を言うとすると【市民の正常な罪悪換算】【罪悪の本質】の事についてですかね。
こういう話ばかりではなくもう少し誰もにわかりやすい話も致そうと存じておりますので、末永くお付き合いいただきたいしだいです。
>>32
しかし目に見える努力しか認められない世界であってはいけない、
一面しか見ていないのはあなたです。
【競争】などという人権侵害がまかり通ることもいけません。
競争を人権侵害としか見ていないのは、あなただけです。
人間の価値も本来的には平等ではないかもしれない
人間は、生まれたとき、環境の違いは有るものの、本来、平等に生まれてきます。
環境の違いにより、生まれた後に平等ではなくなるのです。
あなたの言っていることは、全体としては、筋が通っているように考え違いを誘導していますが、
その前提となっていることが、間違いだらけで、結果 筋が通っていません。
自分の文書を、読み返して見ましたか?
犯人が被害者を殺すのは容易い。
しかし,国家が被告人を死刑にするのは至難の技・・・。 >>37
逆だろ?
犯人が被害者を殺すのは決死の覚悟がいる。
しかし、国家が被告人を死刑にするのは簡単だ。
優越感にひたって、己の手を少しも汚さず、
無慈悲にボタンひとつ押すことを命じればいいだけ。 >>39
37では、有りませんが、
殺人犯が、被害者を殺すのは、簡単に殺してしまうが、
裁判で、死刑にするのは、非常に困難。
と、言いたかったのでは?
>>36
それはあなたが決める事ではありません。
また死刑ですね。
死刑
死刑
死刑
死ねばいい
死ねば解決
それでいいんじゃないですか?
罪って何ですかね
人が人を殺す事に
何の意味があるんでしょう
それが解ったらどうなってしまうのでしょうか? 人が人を殺す。
その理由などもともと理不尽なもの
そして理不尽なのは殺す側に限らない
罪とは何なのか
難しいでしょ? 闇がどんどん大きくなっていく、この国が混沌に飲み込まれようとしている、
光は
無い?
人殺し
人を憎み人を殺す
罪が深ければ殺しても許されるなら
誰が誰と違うんですか?
家族と幸福に
子供と淑女に囲まれて、誰もがそうして生きたかっただろう。
誰もが安らぎを得たいだけなのに
そんな簡単なものを与える事が出来ないばかりに
人は人生を捨てる
欲しいものは何ですか?
欲しいものは
安らぎですか?
人間にはね。
罪を犯さない義務がある
でもその義務は
幸福という権利と引き換えなのだよ
彼の権利を
誰が尊重したの?
彼に押し付けたの?
言ってください
どうして人が人を殺すのか 何が被害者遺族の感情だ
そんなもんどうでもいい
大事なのは何故そうなったかという命題だろうが
それが解らないから殺すのか
低俗にもほどがある これがこの国の全員の意思ならば、こんな国滅びればいいよ。
いきがって(犯罪者は死刑)と言っていればいい、かっこよすぎて惚れるわ、
どうでもいいは流石に言い過ぎたかな
だからこそと言い直しておきましょう
しばらく去ります
私には人を殺す気持ちも解る
殺すのはいけないが
殺す側の事情も考慮しないと何の解決にもならない
では… >>44
簡単に、44に対してのみ答えます。
罪を犯さない義務があるが、罪を犯さなければ、幸福になる権利があるとはいえません。
この原点で、このスレの主は間違いを犯している。
幸福になる権利は誰にもありません。
権利があったとしても、誰も罪を犯さなかったものに、幸福は与えてくれません。
逆に、罪を犯して幸福になるものも居ます。
罪とは、一方向から見たもので、絶対的なものではありません。
戦国時代に、罪は何を指すのか?
いや、憲法が保障している、(人間は皆平等)だと、平等なら幸福なのだよ。
平等でなく卑下されるのならそんなのは平等じゃない、努力は必要だが努力しても不平等な現実がある、
罪を犯して幸福になる、ごもっともだがそれ自体歪んでるし、そんなものに縋るほどそいつは
虚しかったという事になる、
そもそも恋愛上での非礼は死を持って償うべきとでもいう馬鹿げた風潮が今回の事件の根底にあるって
気づいてるのか?
それとも気づきたくないのかな?
人を死刑にする国は更なる地獄に向かうだけだよ。
個性を重んじて礼節を守り人格を尊重しようよ。
そうしないと、鬼はいくらでも生まれるよ。
人の心はそもそも恐ろしいものだ。
現代のようにきれい事で片付けようなど愚の骨頂だよ。
生まれによっては誰もが連続殺人鬼になるって事を認めようよ。 いじめ、格差社会、若者への過酷な仕打ち、
この国は大雑把だ。
大雑把な上に綺麗事に傾く、
俺たちが決めて良い事など一つもない
罪を重くしたりするのならば科学的であり哲学的な根拠をそこに持ち出すべきだ。
綺麗事ではなく… 今の世界の人間は自己愛を持っていても
それを制御できていない
自分というものやプライドというもの
トラウマというものが生まれつきだと思っている
この世界は変わらなければいけない
犯罪を犯した人間を殺す社会ではなく
どうしたら犯罪を犯さない人間を生み出せるのか
不平等と世の中の闇と自己愛の異常
全てはそこに帰結する
誰も救ってはくれない
誰も救えはしない
自分自身のことすら
誰もわかりたくも無いとおもってる
愛せよ善を
愛とは偽り
努力を愛せよ
愛とは偽り
いいことをする自分を好きになれば
生きることに希望を持てる
笑顔を忘れないで
偽りの笑顔でも
人は救われる
誰かが精一杯やったことを認めてあげようよ。 いや、人を殺したいと思うやつはこの世の中にゴマンといるだろう。
だが、すんでのところでやっととどまっている。
人間でいたいと思うから。人殺しは鬼畜になると思っているから。
きっと、死刑を求めたい者は人間でなくなった彼らを蔑むと同時にうらやんでいるような気がする。 >人間でいたいと思うから。人殺しは鬼畜になると思っているから。
こう思える人間に育つ環境があったからだよ。
その環境を提供して鬼畜で無く人間に育てるのが俺たちみんなの指名であり
恐怖ではなく愛情で人を支配するという本当の意味での高尚さ >>生まれによっては誰もが連続殺人鬼になるって事を認めようよ。
どの様な生まれ方をするのかで、殺人鬼になるのなら、裁判も不要になりそう。
貧民として生まれた人間は、全て犯罪者?
>>いや、憲法が保障している、(人間は皆平等)だと、平等なら幸福なのだよ。
平等=幸福
とんでもない間違い。
>>49
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、
人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
憲法で平等と言っているのは、上記の文であって、
人間は、皆平等とは、言っていません。
あくまでも、法の下にと言っており、平等とする事項に関しても制限があります。
確かに大罪を犯すまでは、その考えが正しいのだと思います。
どんなに息子が外で過ちを犯しても抱きしめて受け止めるのが父親像でしょう。
ただ、人を殺めた息子を抱きしめられるでしょうか。それは愛情でしょうか。
私はその大罪を犯した息子を苦悶しながらも決して許さない父親像に敬意を払います。
それはわが子への愛を超えて他者への責任が感じられるからです。 問うものさんは、この国にだけ、差別があり、その差別により、
人が犯罪を犯すようになると考えているのでしょうか?
50の書き込みから、そのように受け取れるのですが・・・。
しかし、52では、この世界という、あなたは、何を対象として、
話をまとめたいのでしょうか?
憲法を出して人は平等だと、想像を持ち出し、支離滅裂な言動が多すぎます。
自分の意見をまとめて書き込みをしたほうが良いのではないでしょうか?
罪とは犯罪を表現すること
裁判員制度とはアメリカが裁判に民間人を裁判員として
取り入れる制度だ。
日本が取り入れたのはオウム心理教の浅原を死刑にするため裁判員制度
を取り入れた。
理由 有罪を主張しているからです。
浅原は人に罪を犯させ裁判官に犯罪を犯させたのです。
浅原は罪と犯罪を表現したいため有罪を主張しているからです。
対処方法 俺が法律を獲ることに意味がある。
法律を獲ることによって有罪を罪にすることができる。
法律とは罪を表現した犯罪なのです。
ま、言いたいこと事が纏まっていたかといったら微妙なんです、ほんとにすみません。
要約すると、心の闇と無秩序と教育環境の不備、それに社会の矛盾ですよ。
そういうものをしっかり見ないで、こういう政策に踏み切ったこと自体がはっきり言えば
アメリカと似ているのではないかという忠告がしたかった。
まず、やはり人間性というものを一から考え直して、まず民が変わって
其れからじゃないでしょうか、こういう制度は、
凶悪犯罪の背景に、いじめ、社会不安、差別、があることは事実なのですから、面倒臭いんですかね?
そこに目を向けることが?
結局この制度は何がしたいんでしょう、単に重罪化が目的なのでしょうか?
人が人をいじめて追い込み、逃げ場を奪って行き場所を奪う。
私はもう少し【心使い】や【いたわり】の大切さに目を向けていいのではないかと思っただけです。
いじめられて当然の人間が居るなら声高に宣言なさってください、 人間にとって最も辛い事は【人間以下の存在】と自己をみなす事に他ならない、
貧困でも死でもないのですよ。
ま、拷問とかを抜きにすればですけどね。
人は確かに自分という特別な存在と一般人という普通の存在、あともう一つ下の存在を求めるのです。
それを得る事で自分の価値が高まるから、自分を好きになれるから、えらばらる基準は単純です。
不細工だから、金が無いから、その中からランダムに選ばれることもあればそうでなくその一部であることもある、
結局これは差別なんですよ。
どうしようもないんですかね。
どうしようもないなら誰かそうだといってください?
どうしても認めたくないこともある、認めてしまえばその瞬間に自己が崩壊するから、
自分で死ぬくらいなら危うい事に身を任せよう
復讐すれば少しは気が晴れるだろうか?
この世の中は悪だ、だから復習をする、
闇だよ
この闇は誰が生み出したんだろう
認めればどうなるというのだろう
誰が誰かを救えるのか?
一度でも善人になる選択肢があっただろうか、
無かったのだよ
そんなものはさいしょから
無かったのだよ
誰が悪いんですか?
誰かが悪いんですか?
人に罪を押し付けて
このよはへいわになりました
めでたしめでたし 問うものさんへ、
犯罪加害者は、色々と弁護されて、復讐も無くなり良い世の中になったと考えるでしょうが、
犯罪被害者は、誰からも見放され、復讐もできなくなり、この怒りをどこに向ければよいのでしょうか?
犯罪被害者になるより、加害者になればよいのかな?
皆さん、犯罪被害者は損するばかりです。
加害者になりましょう、そうすれば、あなたの過去を思い描いて、問うものさんが
守ってくれます。
加害者が被害者を問答無用に抹殺した国家ぐるみの犯罪行為に起きた、とてつ
もない奇跡。「神の裁き」は既に始まっているかも知れない!
(以下の事実はすべて立証済であり、それは尚も続く私共家族の生命・人権・
財産権等の確信犯的侵害行為のみによっても容易に裏付けられています)
http://kayoda.digi2.jp
公務員の違法・違憲極まりない職権乱用行為によって憲法で保障された基本的
人権、財産権及び幸福追求権等を侵害された私共家族。
同事件は被害者の私によってその事実関係が明らかにされたことでもって、加
害者の沖縄県は私共の同侵害行為を即刻解消することとなった。
ところが、ここで「同事件を歴史から完全に抹殺する」とした日本政府がその
為には@私共家族の恐怖極まりない生命・人権・財産権等の侵害行為は永久に
解消しないAこの違憲極まりない犯罪行為に耐えられなくなった被害者の私が
正当防衛的自力救済に及ぶのを待ち、問答無用に刑事罰を加える。そして「遵
法精神に著しく欠如した極悪人」として葬り去る―とする更なる法律の蹂躙行
為でもって私共家族を確信的に不幸のどん底に陥れた(既に16年11ヵ月余に
及ぶ・2010年11月30日現在)。
仮に今回のエビ蔵事件…
エビ蔵が灰皿で酒飲めとか髪引っ張って酒かけたとか…
これは暴力?
俺は暴力だと思う
殴られて当然な訳で…
この状況聞いただけなら俺は無罪にしたい
絶対的にエビ蔵が悪い
こんなんでも…裁判員…やはり 制度無くそうよ
加害者と被害者という【色眼鏡】で人をわかった気になるなよ >>69
加害者,被害者を色眼鏡では見ていません。
事件を起こしたものと、その事件により被害に会った者の、
義務と責任,権利を認めたいだけです。
問うものさんの方が、被害者の存在を無いものとして、
加害者の責任を、過去に由来するものとして、隠してしまおうとしているのです。
加害者にも、確かに過去の不幸があって情状される場合も有ると思いますが、
情状の余地も無いものもあるはずです。
それを認めもしないで、犯罪者を過去に不幸のあるもの、差別を受けたものとして、
言い切ってしまう、とんでもないことです。
法治国家である国に生まれ、裁判制度により、一人ひとりの権利・義務が守られるべきです。
問うものさんの勝手な言い分を聞いていると、被害者の方がとっても気の毒です。
被害者だから可哀想は必要だけど、それと犯罪の原因は別問題
この国は法治国家なんだから感情論に傾くのは不平等であり、許されない 本当に可哀想だけどね。
けどだからといって罪をそれで計ることが本当に被害者と国民にとって正解で
幸福なことであり
救いである
本気でそう思うかい? 俺にはその歪んだ憎悪の行き着く先が見える
望みは得られずより大きなものを失う 被害者の怒りを感情論でかたずける?
被害者の受けた損失を、加害者も受けて当然では?
被害者は、加害者と何の関係も無く、平和に生活していたかもしれません。
それを、何のいわれも無く、被害に遭う。
これほど、不幸なことは無い。
加害者の勝手な、自己中心的な考えで、被害に遭っている。
これの賠償を受けるのを、感情的というのは、問うものさんは、
何と捨て身な人なのでしょうか?
あなたの家族が被害に遭わない事を望みます。
山口県(光市だったかな?)の、家族のような!!
犯罪には、必ず加害者と被害者が居ます。
それを忘れない様に!!
自己中心的という言葉は言葉そのものに若干の矛盾がありますよ。
身勝手という言葉もそうですね。
人間は正しい意味では全員がそうなのですから 過ぎた自己への過信
自尊心、憎悪の狂い、怒りの矛先、恐怖心のあり方
狂えば狂うんですよ
この世の中のそれが既に正常でないように
ねぇ? そう、誰もが狂いうる
弱い生き物なんですよ人間は
人間という言葉は即ち人の世その物をさす言葉
だがいつしか人は悪い人間と良い人間という区別を個人に宛がう様になってしまった
そうして世の中が逃避の上に荒めば心の闇は更に大きく増大する
無理やり消そうとすればするほどにね、いくらでも
僕はそう思うよ >>75
人間は、自己中心的,身勝手だけではありません。
母親の子供を思う気持ちを、あなたは、理解できていないのでしょう。
このスレで、自分の思いを述べる資格が、本当に貴方にはあるのでしょうか?
この文書だけで、偏った貴方の思想が読み取れるようです。
問うものさんが、自分自身を見直す気持ちもなさそうなので、
私は、もう何も言うつもりも有りません。
はっきり言って、あきれてしまいました。
さようなら!!
人は平等ではない
全ては奪い合うものだ
それを忘れて綺麗事に縋り付き、人からその気なしにすべてを奪いすぎている
それが世界、この国の真実 母親としての自己に縋り付いて正当さをアピールする
実に馬鹿らしい
心がない
こんな国だからこういうことも起こる 死と苦痛が人を縛る
国家がしている事も結局はそれだ
人の人による支配、結局は正義と呼べるような立派な代物ではない
そういう微妙なところに土足で上がりこむのが流儀か、 世の中の出来事の全ては表面上で裁く事も解ったと思い込む事も正しくない、
それは健全な罪や量刑とは言えない
鬼は鬼だが鬼を生み出した世の中も神ではない 罪は一人の人間に具現化するがしかし罪は一人の人間が生み出すのではない 自由という名の不自由の不平等だ。
それと引き換えに心を失った。
家族が殺し合い、憎悪と怒りに身を委ねる、自由でしょう?
人を傷つけようが、どんな正義を信じようが
行き場の無い怒りと憎悪が迷って闇に行き着くどうして人を殺してはいけないのかさえ解らなくなる、人生など元から存在しないのか
どうせ終わりなのか
死は償いなのか
悪魔は笑いかける
狂った果てに全てを失う
罪人に死を、社会は笑う
人を殺してはいけない
生きる事は苦しいが光は無いという訳ではない、
鬼畜など居ない
人が人を殺し
人はそれを許せないだけだ 罪というのは裏を返せばほぼ全て心の闇の仕業なのだよ。
罪を犯した人間もそういう運命に翻弄されただけで生まれつきの罪人ではない、
死を償いであると捕らえることは裏を返せば程度はあっても殺人鬼と同じ、
都合の悪いものは殺して始末したら良いと思ってしまうのは結局同じことだよ。
人間なんて闇の前に無力だから刑罰なんてものに頼らざるを得ないんだよ。
決して素晴らしい事であるとは言えない、でもその秩序がないと世界は成り立たない、
僕の言葉が真実である保障は無いかもしれないが
罪は仕方が無いと言う側面も含んでいる
闇に土足で踏み込めば、踏み込んだ人間をも闇に飲み込まれる恐れがある、 見ていた。
彼らは僕を見ていた。
蔑んでいた。
僕は思った。
生きることに意味は無い、意味があるのは復讐だけだ。
善意など所詮は幻想なのだから、金と快楽が全てだ。
ならば力で奪って何が悪い?
この世界が僕に苦痛を与えるなら僕はそこに同じように復讐する、見えるだろう君達にもこの暗い闇が、見えないとは言わせない、
この世の〔正義〕にこの闇を晴らすことは出来ない、でも諦めたくないんだ。
僕は諦めが悪いんだ。
無力なんだよ。
こんな制度は闇の前では、逆に闇を深めるだけだ。
綺麗事にそった法案、東京都のやつもこれも結局は糞なんだぜ
今のこの国の多くの有権者にはマニュアルを遂行する才能はあっても創造する才能は無いの
犯罪が起こる社会にはそもそも矛盾が存在し
その矛盾の闇がその原因だ
その原因を特定するのが本当に罪を裁くことになる
大切なのは重罪かではなく驕りの放棄と反省なんだよ
十分してきただろうがこれからもそうであらなければならない
人はみな無力だ
その無力さをせめても何も生まれない
そんなのは地獄だ 自分の弟が罪を犯したとき
あなたは死刑に出来ますか?
あなたが親に褒められている時に嫉妬して
あなたとおやつを取り合い
ご飯を一緒に食べたり食べなかったりした
でもそこにはなにかがあった
わすれてはいけないたいせつななにかが
生まれながらの悪があるとしたら
それはこの世界の矛盾です
許しあうことが出来ない愚かさです
人の生き死にの問題ではない 弟がおやつを取った
でも後で謝って
どうして喧嘩になったんだろう
あなたは考えた
弟も考えた
悩んで共に苦しんだ
その悩むことだけが
許し合いだった
抱き合いだった
あなたたちは忘れている
この世の中を牛耳っている人たちへ
あなたたちももう家に帰るときです
その時が来ました
もう終わりです
どうにもなりません
諦めなさい 所詮人間は支配しあう生き物だ
だがそこには本来不要な苦痛も死も無い
只無力を認めてみんなが等身大になれば
殺人ほどに不要なものは無いということがわかる
と今思った
此処も俺の独り言スレになりつつあるな でも確かに現状において被害者のプライドはあんまり配慮されてなかった
(良心)なんて言葉でいくら言っても被害者のケアが行き届くわけじゃない
プライドはプライドで罪は罪だもんな… 自由を求めるなら
正しさを求めるなら
現状維持だ
社会的な人間も
反社会的な人間も
特効薬は未完成だから
人間の怒りと空しさが
悲しみと喜びが
善悪の多様性が悲劇を生むなら
俺たちは生まれ変わる必要がある
この世界は丸ごと
時は必ず来る
最後まで信じ続けろ
平凡的な良心ってやつを 性を悪い事だと教える大人の価値観が
女性がそれを穢れととらえる要因のひとつだ
人を傷つけることは悪いが性は悪そのものではない
危険な闇をはらんでいることには違いないが本来からおおらかに人間社会にあるべきものだ
取り扱いが難しい爆弾だが故に過度の取り締まりもより危険なことだ (フェミ+警察+裁判所)=偽善者集団
(フェミ)≠(警察)≠(裁判所)
言うまでも無いが基本的にこうでないといけない