【ダーリン】宇宙人の秘密基地【ジョセフィーヌ】
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正中の変で後醍醐天皇の倒幕計画を頓挫させ、
自害に追い込まれた舟木頼重親子が、
その 9 年後、同じ後醍醐天皇から建武の中興の功臣として讃岐高松を賜っている。
>後醍醐院の御宇、宣下を蒙って讃岐國高松庄に住し、諸郡を管領す。
(舟木氏系図 http://rekishkakeizu.seesaa.net/article/373267188.html) 喜岡城の高松頼重は、Wiki には生き延びたとあります。
しかし、頼重は生き延び、子孫の高松頼邑によって城は再建。
その後香西氏に属したが、1585年(天正13年)4月26日豊臣秀吉の長宗我部氏に対する四国攻めに際し、
宇喜多秀家を総大将とする約2万3千人に攻め込まれる。
対する頼邑側は長宗我部氏からの援兵を合わせてわずか200人の兵をもって戦うも敢え無く、
全員が討死し喜岡城は再び落城した。(Wiki「喜岡寺」の項より) >船木氏は美濃國本巣郡船木郷より起こる。
(舟木系図: http://rekishkakeizu.seesaa.net/article/373162096.html)
>花園院御宇、北條家執権の時、濃州、江州等において領知を賜い、且つ伊勢國守護職を命ぜられる。
>翌年文和元年、頼夏・別腹の子兵庫助頼尚を美濃國土岐に移して一族土岐家に属させる。
(舟木系図: http://rekishkakeizu.seesaa.net/article/373267188.html)
※文和元年は 1352 年
もともと美濃國本巣郡船木郷に起こり、
土岐氏の分流であったはずの舟木氏が、
花園院天皇の在世中(1308 〜 1318 年)に
美濃近江にあって領知を賜って伊勢國守護職を命ぜられ、
さらに、
頼夏の子、頼尚の代で、
美濃國土岐の土岐家に一族を属させた、とある。 一方この頃、讃岐高松では、
建武の中興の功臣舟木(高松)頼重が讃岐守護職として喜岡城を築くも(1335 年)、
同年攻め滅ぼされている。
高松頼重のその後の生死は不明だが、子孫は秀吉の時代まで生き延びたらしい。 で、>>873、>>884-885 のとおり、
>正平8年舟木頼夏(土岐一族)は子の頼尚を官軍につけさせた。頼尚は子とともに伊勢に入った。
(http://www.amigo2.ne.jp/~fuchisai/home/denki.htm)
ここから、伊勢一志郡の舟木氏の歴史が始まります。 明智家の祖とされる明智頼重が生まれるのは、これより少し後。
明智頼重(1342 〜 1423 年)
美濃国可児郡明智城主。美濃守護土岐頼貞の九男長山頼基の子。
土岐氏支流の明智氏の祖、あるいは二代目とされる。 ちなみに、
土岐光基(明智光基)は、平安時代末期に伊勢守を任じられてる。
平治元年(1159 年)己卯十二月十五日任伊勢守賜彼国
(出典は >>892 の文書) 天海僧正の出自が会津の舟木氏とされている件については、
秀吉の時代に松坂入りした蒲生氏郷の転封に伴い、
会津へついて行った舟木氏が会津藩の舟木氏の祖、というのが、
少なくも伊勢の武家としての舟木氏の公式見解のようです。
これについては、また機会を改めて。 だいじんぐうねぎ 太神宮權祢%x會光倫「号相鹿二郎大夫」は、
後に弟が生倫(なりとも)の名で出てくる。度会氏にして会賀四郎太夫とも云う。2巻養和元年十月廿日
(http://adumakagami.web.fc2.com/a-jinmei4t.htm) 養和元年(1181)十月小廿日癸亥。
昨日。太神宮權祢宜度會光倫〔号相鹿二郎大夫〕自本宮參着。
是爲致御祈?賜御願書也。
(http://adumakagami.web.fc2.com/aduma02a-10.html)
大神宮の大禰宜度會光倫(わたらひのみつとも、相鹿二郎大夫と号す)が、
源頼朝の戦勝祈願のために、
伊勢から遠路はるばる鎌倉まで出向いてくれたときのことが、
『吾妻鏡2巻』養和元年十月の段に載っている。
養和元年は 1181 年なので、頼朝が鎌倉幕府を開く前、
壇ノ浦の戦い(1185 年)よりもまだ前ですね。 一方前述の『伊勢市史』には、
頼朝が伊勢神宮に神領を寄進し、
その窓口として外宮権祢宜の相鹿光倫という人物を口入神主として、
祈祷や神官との折衝に当たらせたことが記されています。
(出自: http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/saiku/senwa/journal.asp?record=361)
頼朝は養和元年(1181)3月、
旧佐竹領であった世谷(常陸太田市)・大窪(日立市)・塩浜郷(日立市)を鹿島神宮に寄進し、
合わせて橘郷(小美玉市・行方市の一部)を寄進(所領安堵の一種)した。
この社領の寄進が鎌倉幕府と神宮との出会いの始まりである。
(出自 http://cs-kashima.jp/maibun/377.html『鹿嶋の歴史』より) >>962
> 頼朝は養和元年(1181)3月、
> 旧佐竹領であった世谷(常陸太田市)・大窪(日立市)・塩浜郷(日立市)を鹿島神宮に寄進し、
この佐竹氏は、鎌倉の八雲神社を建てた、
祇園山(シオンやま)に抱かれた大きな神社ですが、
佐竹氏を指しているのだと思います。
佐竹は砂竹、おそらくは砂金鉱山と関係していて、
頼朝はその莫大な利権を伊勢の神宮に譲渡することで、
天下を取らせてもらったのでしょうね。 第30代 敏達(びたつ)天皇
皇妃: 春日老女君、伊勢兎名子
【沼名倉太玉敷命】敏達天皇(古事記)
又娶伊勢大鹿首之女、小熊子郎女(中略)
又娶息長眞手王之女、比呂比賣命、生御子、次宇遲王。(中略)
又娶春日中若子之女、次春日王。
【沼名倉太玉敷命(ぬなくらおおたましきのみこと)】敏達天皇
また伊勢の大鹿(おおか)の首(おびと)の女、小熊子(おぐまこ)の郎女を娶りて生みし御子は、
(以上、出典: http://inoues.net/tenno/bitatsu.html) 早い話が、
大鹿の首(おおがのおびと)とは、「相(合)鹿」氏を名乗る度会氏であり、
春日氏 = 和邇氏とつながっているということです。 2ch の過去ログにも次のような書込みがあります。
【相鹿氏】【出口氏】【一志氏】などが挙げられています。
>度会氏『神名帳考証』には「鹽君、津連祖神」として、祖神としている。津連は菅野朝臣となった。
https://academy4.5ch.net/test/read.cgi/history2/1134868305/ のレス番 310 時に安佐賀荒悪神の為行を、
倭姫命は、
中臣大鹿嶋命・
伊勢大若子命・
忌部玉櫛命を遣して天皇に奏聞し、天皇詔す。
(http://nire.main.jp/rouman/sinwa/yamatohime.htm『倭姫命世記』より) いくつかの神社と伊勢の神宮とか結ぶと、
五芒星や六芒星が出来るという話があるじゃない。
日本海側京都の元伊勢内宮皇大神社と伊勢の斎宮を結ぶ線上に、
△△城はピッタリ重なってる。 元伊勢内宮皇大神社(京都府福知山市)
伊吹山(滋賀県米原市、岐阜県揖斐郡揖斐川町、不破郡関ケ原町)
伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)
熊野本宮大社(和歌山県田辺市)
そして、伊勢神宮内宮
この 5 つの点を結ぶと五芒星ができるという話ね。
△△城を通っているなぁとは以前から思っていたのだけど、
今調べてみたら、
伊勢神宮内宮を斎宮にした場合、
元伊勢内宮皇大神社と斎宮(三重県明和町)を結ぶ線上に、
△△城はピッタリのっかっていることが分かりました。
ただし、
元伊勢内宮皇大神社と、
伊勢神宮内宮、または外宮とを結ぶ線では若干の誤差(数百メートル程度)があります。 >福知山という地名は、
明智光秀が丹波平定後、
この地に城と城下町を開いた際に命名したものと考えられ、<
(Wiki「福知山市」の項より) >>969
つまりね、
斎宮と△△城を結んだ線と、
伊吹山から西へまっすぐ延ばした線の交点に、
元伊勢内宮皇大神社(京都府福知山市)を創ったのだと思う。 元伊勢内宮皇大神社と
伊勢神宮との間の距離は 200 q 近くあります。
これはポインターのわずかなズレ程度でも誤差が生じる距離だし、
伊勢神宮も斎宮も広域にわたるため、特定の地点を定めるのが難しい。
あまり細かいことにこだわっても意味がないです。
単に、伊勢神宮と斎宮を結んだ線の延長線上に
元伊勢内宮皇大神社があるくらいに考えるほうが正しいのでしょう。
ただし、それでも、
伊勢神宮の外宮または内宮 〜 斎宮 〜 元伊勢内宮皇大神社を結ぶいくつかの線と、
△△城 〜 斎宮 〜 元伊勢内宮皇大神社を結ぶ線とでは、
後者のほうが誤差がはるかに小さいです。 ポインターのわずかなズレでも誤差が生じるということは、
どうかすれば、この 2 つの地点、つまり、
斎宮と元伊勢内宮皇大神社を結ぶ線上に、
△△城がピッタリ重なるということでもあります。
△△城ですら、一辺が 100 メートル近くあるし、
斎宮は広域に拡がっているため、
細かいことに気にしても仕方ないのですが、
△△城とフル川水神の両方が、
斎宮 〜 元伊勢内宮皇大神社を結ぶ線上に、
ビターっと重なる線があります。 つまり、
△△城とフル川水神は、
互いからみて西北と東南の位置関係にあるのですが、
この角度がそのまま、
△△城と斎宮、ひいては斎宮と元伊勢内宮皇大神社との位置関係になっている。 ですので、
斎宮からみて西北に位置する元伊勢内宮皇大神社と、
東南の斎宮を結ぶと、
フル川水神からみて西北に位置する△△城と、
東南のフル川水神がそのまま、
斎宮 〜 元伊勢内宮皇大神社を結ぶ線上にのっかってくるわけです。 Googleマップでは斎宮は
ピンク色で範囲が示されていますが、
この斎宮の東寄り最南端のある地点と、
元伊勢内宮皇大神社に当てたポインターの微妙な 1 点を結ぶと、
その線上に、
△△城とフル川水神がきれいにのっかってきます。
その線を見ると、
これが偶然であるなら、そのほうがすごいなと感じます。 そういう話に、どうすればなりますの。
△△は三重県一志郡にあった集落の名前ですわよ。
地名は今でも残ってますけど、付近の住民に迷惑がかかるといけないと思って、伏せてますのよ。 そうか、信長のじっちゃんも
よく出てきていたのて
名古屋城と思ったんだよ
信長じっちゃんは今は天国で暮らしているが
わしの所によく来ていたね 織田信長とも関係ありますのよ。
すぐ隣の松ヶ島城(日置氏が築城)には、
信長の二男の信雄が入っていたし。
うちは何しろ、明智光秀の親戚と同居してましたのよ。 【訂正】
明智光秀の親戚ということになっている人たちと同居してましたのよ。
これはネットで読んだのですけど、記録によれば、
△△城の城主は豊臣秀吉の道案内をしたことになってますの。
何か変でしょ。 わしの御所は
鎌倉将軍家やら織田信長は
よく来ていたが
豊臣秀吉は見たことないな 山城じゃあるまいし、
旧伊勢街道のど真ん中で、
すぐ隣は松ヶ島城、前の大きな道をまっすぐ行けば阿坂ですのよ。
△△城と言えば道案内だと思ってる人がいましたのね。 豊臣秀吉は見たことないが
豊臣秀吉が朝鮮から連れてきた
部落どが一生懸命わしの御所を潰してたんだよ 豊臣秀吉は見たことないが
豊臣秀吉が朝鮮から連れてきた
部落どもが一生懸命わしの御所を潰してたんだよ わしは九州の福岡の部落地域にいるから
近畿の情勢はさっばりだな
九州には高千穂もあるからな 高天原って伊勢にあったみたいですわよ。
>享保二十年(1735)の『丹後国加佐郡旧語集』には
>当所の天照太神は大和国より遷されたとあり、
>その後、伊勢国高間原へ遷宮されたと記されている。
(出典: http://www.genbu.net/data/tango/naiku_title.htm?print=on)
>>974-975
これは何を意味するかというと、つまり、
△△城とフル川水神を結んだ線の延長線上に、
斎宮と外宮があるということですのよ。 △△城の左下(西南角)からフル川水神まで引っ張った線を、
そのまま延長すると、斎宮へ至り、
さらにその先まで、そのままの角度で一直線に延長すると、
伊勢神宮の外宮へ至る。 △△城の西南角からフル川水神までの線の一部は、
そのまま旧伊勢街道になっている。
つまり、阿射加山 〜 △△城の水平ラインと、
△△城の西南角からフル川水神までのラインとの角度、
これは約 35 度なのだけど、そのままの角度で一直線に延長すると、
その先に斎宮と外宮があるということね。 ちなみに、伊勢神宮の外宮は、ならの御杖神社と緯度が同じなので、
斎宮からそのまま延ばした線(△△城〜斎宮)と、御杖神社から東西に真横に延ばした線の交点を、
外宮の位置に決めたのだと思う。 まとめますと、
△△城 〜 フル川水神を結んだ線の延長線と、
堀坂山(ほっさかさん、松阪市の山)から真横に延ばした線の交わる点。
→ 斎宮
△△城 〜 フル川水神を結んだ線を斎宮まで延ばし、
さらにそれを延長した線と、
御杖神社(なら県御杖村)から真横にまっすぐ延ばした線の交わる点。
→ 外宮
△△城 〜 斎宮 〜 外宮を結んだ線の延長線と、
伊吹山から真横にまっすぐ延ばした線の交わる点。 → 元伊勢内宮皇大神社
ということになります。 △△城の位置を特定しておられる方は、
城の西南角を出てすぐ前のアルハ○ンブラというお店(?)を通り、
フル川水神までの線を引いてみてください。
はちみつ屋さんの辺りから○本ハイツの辺りまで、
この線が旧伊勢街道と完全に重なっていることがわかると思います。
そのまままっすぐに延長すれば、斎宮、さらに外宮へ至ります。 旧伊勢街道を造り、斎宮の位置を決めたのは、
伊勢神宮側ではないことが明らかだと思います。 天岩戸神社東本宮にお参りにいったら
ちゃんと天照大神のお告げを伝える男の神様がいたぞ
わしはちゃんと指導を受けてきたからな
まぁ、高天原は地上じゃないんだよ
お告げを伝える神様がいるんだよ 天照大神は神様の中の神様だから
直接地上には伝えないんだよ
ちゃんと天照大神のお告げを伝える神様がいるんだよ
それが高千穂であり伊勢なんだよ 高天原は地上ではないんだよ
高千穂や伊勢は
天照大神の使いの神様が
天照大神のお告げを伝えていた所なんだよ この地上には、
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