なつかしの小田急線 8
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某特撮番組で小田急バスの運転手に成りすました
怪人が車内で毒ガスを撒いて乗客を皆殺しに
した、と言う場面があったけど昨日の事件は
一歩間違っていたら大惨事になっていたかも知れぬ。
因みに某特撮番組で小田急バスの車内で毒ガスを
撒いた怪人は自分のガスで中毒死していた。 自販機でメトロン茶売ってたの、祖師ヶ谷大蔵だっけ、それとも成城学園前?よく幻覚作用起こしてるのがいたよな ,. "´;;;;;;_;;;;;;;;;;ヾヽr-、
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ヽ、 , - ∪ ノ/ 小田原急行ブリッ!
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大東急ブリッ!| .| l ノ ノ
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(( / \ \ / / ヽ )) >>5
向ヶ丘遊園駅前で売ってた宇宙ケシ入り煙草の方がヤバかったぞ 昨晩酔っ払って乗ったロマ後ろ展望席
普段つらくあたる妻や娘が追いかけてきて >>4
新宿駅前に停車中のバスを丸焼きにされるような事が本当にあった時代だし スカイライナーも焼かれたよね
車庫にあったやつだけど その後、開業まで久里浜に疎開したらしいけど、探しても画像がないんだよね。 >>12
初代AE形は都営線や京急線は自走できないから他車での牽引だったんだろうけど、それでも結構な回数の牽引回送になるから、
本当にやったのなら何かしらに記録が残っててもいいと思うんだけどねえ。 その頃は特に無線も限定する機器も無かったから、自走で行ったんだと思う。
関係ないけど、東西線5000系の回送も東京駅経由や東武線経由でもあったしね。 話自体は有名なのに写真が出てこないのは不思議。
おおっぴらに言わずに隠密に租界させたんだろうから、社内向けの記録くらいしかないんだろ思うう。 >>15
!?!?!?
でも、考えてみたら小田急を東急7000や相鉄6000が走ったことがあったのを思い出した(後者は本厚木〜海老名だけだったが)
逆に阪神大震災では京急1000を阪神に借りようとしたけど、保安装置などの問題で断念したとか 相鉄借り入れは江ノ島線の夏季輸送増強で3000も走ってるよ。
南武線の車も1600と一時交換で走ってるよね。 相鉄3000は小田急1800と共通設計(?)だったようだが
(僕はこの2つが現役だった当時は生まれていないので、この2形式のことはよく知らないんだが) 元々、どちらも主に63系割当の東急1800系で
大東急解体による、小田急分割と相鉄の委託解除に伴い
小田原線配属車は、小田急に編入され1800形
厚木線配属車は、相鉄に編入され3000系に改番(形式変更)
一部が相鉄側に渡ったため、小田急側は補充分として
63割当車を持て余してした名鉄から3700系を譲受
(同時期に東武にも譲受され6300系に編入)
その他、省線20m級事故車の払下による復旧車が
小田急、相鉄の双方に編入されている そういえばSEやLSEが国鉄に貸し出されていたことがあったらしい
保安装置が無ければ軌間/架線電圧/電化方式等が一致すればどこでも走れたんだな >>21
小田急ロマンスカーの中でも超絶有名エピソードなのに、らしい扱いされる時代になったのかー。 SEが高速度試験、LSEがボギー車と連接車との比較試験。
根府川の有名撮影地を行くLSE画像とか、ロマンスカー特集の定番画像だよ。 懐かし板にも平成生まれが来るかもしれない時代だからね。
LSEデビューして期待して乗ったら、確かに新しくて綺麗なんだが
座席の座り心地にガッカリしたなんていうのは古い意見なんだろうな。
ノンリクライニング2車種のほうが遥かに良かった。 >>21
それ以外にも、以下のような基準なども適合しないと原則走行不可
・車両限界
・パンタの折りたたみ寸法
・軸重
・建築規程(設計比重、車長辺りの重量)
等
そのため、苦肉の策として以下のような措置を実施
・線路規格が低いなどにより、一部車両は速度制限で対応
・車両側が基準不適合の場合、線路閉鎖で対応(非営業状態) >>26
> それ以外にも、以下のような基準なども適合しないと原則走行不可
そもそも基準外だったら日車や川重から甲種で持ってこれないじゃん
ちなみに高速試験だからどのみち線路閉鎖は必須 >>25
確かに簡易リクライニングはイマイチだったと思う。
NSEはリクライニングしなかったけど座り心地は良かった。
一畑へ行けばまだこの座席使ってるんだよね。
NSEの形見は琴電のクーラーもそうだった。 >>24
新しいところではMSEも、ベイリゾート号で本厚木〜有楽町線新木場発着の準定期列車があった。
営業では団臨で綾瀬発の設定もやったことがあったし、非営業なら有楽町線和光市まで入線済み。新木場CRへの出入りも頻繁にあったから、千代田線と有楽町線は全線走破しているよね。
RSEもデビューまもない頃に、団臨で身延線富士宮まで走った。 LSEは元々高速向けじゃないので国鉄での試験は125km/hしか出なかったんだよな
(比較に走った183は130出した) >>28
そうそう、一畑であの座席座りたくて運用調べて乗ったよ。
https://www.ichibata.co.jp/railway/topics/operation/
いまコロナで運用公開中止になってるけれど・・
しかし座席っていう点じゃ、RSE、EXEは良いが
その後のペナッペナはねぇ、あれ日車が悪いんかな?
京成AEもそっくりの座り心地で1時間乗るもんじゃない。 >>24
生まれる前でも小田急関係の書籍を見ていれば絶対に乗っているし、日本の鉄道史上でも有名な事柄だろ? >>28
LSEまでの展望席は前に進むにつれて傾斜があって2列目以降でも前列の頭越しに前が見えたのにVSE/GSEはさっぱり
名前こそ展望席でも2列目以降はセクションが違うばかりで中間座席と変わらない
なんでああなっちゃったんだろ GSEの展望2列目以降は足元が広いから楽。
網棚がないのは不便だけど。 MSEの臨時列車に乗ったことがある
綾瀬→御殿場
まさかの直通
小田急、東京メトロ、JR東海の連携の賜物だ 東武8000よりも小田急2600/5000初代の方が私鉄の103と呼ぶにふさわしいような気がする
側面や車内が103にそっくり(東武は異なる) いい加減103系ネタ決着【どっちも全く似てない】
103系=高速性加速度もダメダメの雑な量産低価格車
OER=回生装備の各停特殊仕様車2600
中高速域まで伸びるしMT同数でも十分走行可能な設計の5000
東武=乗り心地最優先の汎用車、座席は特筆モノ 扉間隔が通勤型と同じ3500mmで、車体幅が近郊型と同じ2900mm >>39
通勤型仕様(4扉両開き)で裾絞り車体といえば近鉄900系が先輩だが、あっちは最大幅(絞ってない側)が2800mmだったからな。
いかに2600形が革命的かがよくわかる。 1000通常ドアと京王8000/西武6000はいずれもステンレス車体と戸袋窓があるのが共通してるだけで車体幅や扉間隔は3つともそれぞれ異なるが しかし小田急顔20m4ドア車がほぼ全車現役だったのを知る身としては1000系列が編成ごと廃車になるなんて想像もできなかったことだけどな
(京王8000は事故廃車のみで西武6000はまだ廃車出てないのに) ってか東武8000が私鉄の103って言われたの生産両数が多いからじゃなかったっけ >>44
後は製造時期もあると思う(両方とも60年代前半に製造開始し80年代前半まで製造されていたのが共通点) 2600.4000.5000.5200
9000
8000
1000.1500.2000
3100
7000
10000.20000 >>45
往年の東武は「私鉄の国鉄」と擬えたくらいだから
半ば冷やかし半分で「私鉄=東武」という意味でね
こだま形モドキや、東海形モドキに、L特急モドキもあったし
103に至っては、ニセ103(72アコモ)モドキまでも >>43
昔京王の方が車両平均寿命短いイメージだったのにな、
6000系の初期車は9000形と同世代だが2600形の本格廃車開始前に廃車になったし。 >>48
多摩線関連の表記に
青帯=小田急
赤帯=京王
の電車イラストがあって、デザインは小田急9000ぽいので統一されていたのを思い出した。 >>47
イメージ的には国鉄車両は私鉄では東武/西武の車両に近いイメージだったけど、逆に関西にはあまり合わない感じ
ちなみに小田急は主電動機が三菱という点で近鉄/南海/西鉄に通じるものがあったが >>41
相鉄新6000は2930mmだが、登場は小田急2600より後 >>40
(仮に国鉄が幅広車体の通勤型を出していたらそれはやはり近郊型の車体幅に通勤型の扉間隔で、丁度小田急通勤車を雨樋むき出しにしたような感じの側面になっていたと妄想する) 幅広裾絞りで切り妻だと JR西日本の運転台増設車みたいな顔になるのかな
詳しく知らないが紀勢線走ってるような奴 >>38
当時生まれていないので詳しくは知らないが、
国鉄は101にMT54を載せた史実とは違う103で、小田急も史実2600ではなく最初から史実旧5000的なもの
(20m4ドア幅広車体に2400ベースの足回り)ではそれぞれ駄目だったのかとは思ったことがあるけど
ただ、それを言ったら小田急については2400も変則車体長(何で18m3ドアにしなかった)で、
更にシステムとしては9000/1000も大概だが
(それぞれ千代田線対応のため前者は旧5000ベース、後者は8000ベースにはそれぞれできなかったにしても)
ちなみに国鉄は近郊型は111にMT54を載せた113だったらしいし、
東武8000は小田急では旧5000に近いと思うが電制が無い模様 >>48
というよりその当時は京王が特殊なだけ
全体的に見れば東日本が103の全廃を決定した辺りから各社とも抵抗制御車淘汰を推進する傾向になったような気がする >>56
京王6000系1次車は非回生抵抗制御車全廃するため8000系増備により1999年廃車となったが、
回生ブレーキのある界磁チョッパ車も2年後の2001年に9000系デビューと共に廃車が始まっている。
2001年は東急も京王に次いで関東大手2番目の非回生抵抗制御車全廃を達成した。 幻のSLSE(通常運転席で6車体7台車)
あと、LSEのデザイン案に貫通扉付きのものがあった模様 LSEをそのままショート化して使うつもりなのかと思ってた。
展望席に運転台を設けるとして、旧運転台を展望席にしたら凄い人気になったろうな。 1500の中間車のドアの総開口部8m(2m×4)は同時期のサハ204の7.8m(1.3m×6)を抜いて通勤車最大級だったんでは?
2000の5ドア分に相当するまでという
営団05のワイドドアの中間車ですら7.2m(1.8m×4)だから 強度的にどうなんだろうと思っていたよ。
運転室後ろの戸袋部に、すぐにしわが寄ったし。 革命的クズ失敗車両だな、とっとと解体が相応しい
座席減らしすぎてドア開幅調整してまた座席増やしたり
開閉時間長すぎで時短にならないとか迷走の極み 新規格を導入するのは悪いことではないが、纏まった数を作ってしまったのが失策だったな
最初は少数に留めておいて、実際に運用をしてから判断すべきだった 京王やメトロの5ドアも早めに淘汰されたから
結局20m4扉開口1.4mに落ち着いたね メトロは別に
特別短命でもないし全部まとめて置き換える際に先に廃車されていっただけで2年くらいしか差がない >>66
オレもそう思う。鋼製車の改造かなにかで試作車を作ってテストしてみれば、
尻押しの時に押した脇からはみ出てしまう、それで乗降時間が延びるなんてのは
すぐに現場の声として上がってきたと思うんだよね。
もっとも、1800くらい台枠が頑丈でないと、改造に耐えないかも知れないけれど。 JRの6扉がまだ2両しかなかった時に一気に20両だもんな<ワイドドア 是非、全部の座席を折り畳んで営業して貰いたかった。 >>72
全部は折りたためないんよ。
新宿方から TcMMTcTcMMTMTcで、真ん中のMTcTcMMしかたためない構造。
しかも増備車の1553Fから1556Fには全車その機能無し。 初期車のみ畳めるのは知ってたけど、両端負荷は知らなかったな。
新宿方先頭が畳めないんじゃ意味ないよ。 1081Fも2600の土砂崩れ事故と関係ありそうだと思ってるが
(MMMユニットを有効活用するために8連1本を作り、その不足分を補うために新造という感じで) 小田急って攻めた設計の車両が多いような気がする
最近はそうでもないが 3000の2次車からやたら保守的になったわな
東急車輛→総車&JREの言いなり感だし
ロマンスカーだけは他所に口出しさせない気概はあるが >>76 でも相鉄5000の真似でボディマウント式はやらなかったな。自動開閉式の側窓も同様。真似すればよいというものではないが。 >>78
3000の1次は汎用設計を取り入れながらも2000からのワイドドアを引き継ぎ先頭と中間で幅を変えるなど独自性が感じられたのにな
結果正面も側面も無個性な2次車以降が全体での最大多数になってしまった 2000以前では8000が一番均等な仕様だと思ったが SLSEは実現しなかったが、LSE第2編成が日車から川重へ逆送する際に短縮編成の状態で輸送されていたことはあるらしい
(川重内で正規編成化) 過去スレより
恐らく103初期車と2600の数値
>ドア間隔はドア間3500mm・車端1900mmで同じだが、窓の寸法は違う
>開閉窓は幅920mm・2連窓の間柱60mmは同じだが、天地寸法は小田急が900mm、国鉄通勤型が870mm
>戸袋窓も小田急が285mm、国鉄通勤型が419mmで、縦寸も小田急の方が長くなっている
>車内も扉間7人掛け・車端3人掛けは同じだが、座席寸法が違う
>小田急…扉間3000mm・車端1560mm
>国鉄通勤型…扉間3050mm(1300mm+1750mmに分割)・車端1300mm
>(前者は5000以降から車端座席寸法が1640mmに変更、後者の扉間座席寸法は西武2000・6000・9000に継承)
>貫通路幅も小田急が1080mm、国鉄通勤型が800mm(後者は80年代以降の関東標準)
>もっとも、車体幅が国鉄通勤型の2800mmに対し、小田急は近郊型と同じ2900mmで、後者は張り上げ屋根なので、印象は大きく異なっていたが… 結局3100の制御器とパンタがあった車両は全解体となってしまったのか・・・ 小田急の車両が譲渡に消極的なのは、大井川に行ったSE車のトラウマがあると推測
結局、SE車は大井川では使いこなせず最後まで小田急に残っていた車両より先に運用を離脱していた模様 >>87 小田急の20m通勤車が地方私鉄では使いにくいからだろ。ワイドドア必要な地方私鉄何てあるか?特急用車両は長野電鉄や富士急に譲渡されてるし。 >>88
おまけに両端制御車で拡幅裾絞りではな
残念だが需要は皆無だ 地方私鉄の車両限界は小さいところが多いからね。幅広車体・20mで思いつくのが、長電と富山地鉄くらいしかない。 また妄想の譲渡の話しててワロタ
同じ話何回もしててボケ老人だろ 1500形の1700形編入改造は要らんかったろ、
新宿口各停に使えなくなったのが理由とされているが、
そんな理由であんな改造に走るとか理解不能。
2004〜2008はラッシュ時多摩線閉じ込め日中のみ区準に限定し新宿乗り入れ、
2008以降は湯本口各停で運用というわっけにいかなかったのか?
この場合各停と区準を共通運用にできなきなくなるデメリットが発生するが… 小田急は2200系列の時代から大規模先頭車改造やらドア増設等が好きだよな。輸送実態が激変してたからだろうけど。 >>93
昭和30-40年代は大規模溶接加工が気軽だった。
職人の人件費も安いね。造船業界もそうだった。
今みたいに重機で即纏めて廃棄物にして
量産品買う文化じゃない時代。
台車だって鋳型で鋳造したりね。 1989〜2000年の間通勤車の編成単位の廃車が無かったのは恐らくVVVF車が故障した時の対応もあったからと思う
当時はVVVFが開発されたばかりであったことから、初期故障対応を想定して1000系列は基本純増ということになったんではないかな
これなら万が一1000が初期故障で運行できなくなったときに1000登場前のダイヤに極力戻せるわけだし 全然見当違いですね
それまで本厚木までだった10両運転区間が秦野まで→小田原までと段階的に伸びて江ノ島線でも10両運転が始まって必要車両数が増えたのが大きな原因です >>92
あの時は旧4000の代替を兼ねていたのも影響してそうだけど >>97
3000形の製造形態変えれば対応できたろう。 >>92
そもそも区間準急はダイヤの問題(梅ヶ丘〜新宿において優等が徐行運転になってしまうのを防止するため)で発生したもので、
当初より複々線が完成したら廃止することが決まっていた
今の関東私鉄で言う大井町線緑各停みたいなもの(要は一部駅通過の各駅停車) >>98
3000のブレーキ読替装置の製造費低減もあったんじゃないの?
1500の組み替えがない(限定運用とする)場合は6連36本と8連12本になっていたと思うが、
それを6連32本と8連15本にすることで少しでも読替装置の製造費低減を図ったのではないかと
ちなみに3000が見た目の割に価格が従来車とあまり変わらなかったのは、この読替装置のコストが高かったためと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています