青函連絡船6便 [無断転載禁止]©2ch.net

1回想774列車2017/07/25(火) 08:31:57.00ID:0UpRctek

514回想774列車2018/06/08(金) 03:39:04.68ID:gUnaBXa2
長生き乙です
青森を深夜出る便の出港すぐに伴走するから目が良いのかなイルカ

515回想774列車2018/06/08(金) 13:22:31.23ID:ehcMupFl
イルカは、聴覚が鋭いので、目は関係ないんでわ?
専門家じゃないから分からんけど

516回想774列車2018/06/09(土) 00:18:32.24ID:nN+59nq4
>>513
うらめしや〜
ワシが乗った洞爺丸は沈んでしもた〜

517回想774列車2018/06/09(土) 12:44:38.44ID:vw7UqOYn
>>513
長生きしてくださいよ。

518リンク+ ◆BotWjDdBWA 2018/06/09(土) 20:40:36.99ID:CReqyClg
かつて、翔鳳丸型でも、大荒れで車両甲板に波が打ち付けた事例もあるが、後ろを濡らす程度にしか過ぎなかった。

荒波が打ち付けて、滞留しだすほどまで至ったのは洞爺丸台風での事故が最初だった。
洞爺丸では、排水性の悪い車両甲板の構造だったことも災いし、被害を大きくする要因にもなった。

生き残った洞爺丸型(羊蹄丸(1代)、摩周丸(1代)、大雪丸(1代))では、排水性を向上させる
改造工事を受けた上に、後ろに扉を設けることになった。

図書館の本で読んでわかった結果。

519回想774列車2018/06/10(日) 02:01:21.22ID:X3YfDYsq
基地外◆BotWjDdBWAをあぼーんでスッキリ

520回想774列車2018/06/12(火) 22:04:25.11ID:9Vc/Gbfo
連絡船に接続する列車では乗船名簿の用紙を車内で配布してたんだな
普通車とグリーン車で色が違ってた
今だったら自宅でPDFで印刷して持参も可能で一部の船舶で採用されてる
EXCELファイルだと必要事項を入力してから印刷可能で手書きしなくていい

521回想774列車2018/06/12(火) 22:42:17.52ID:omoDZDnA
接続する連絡船は十和田丸云々と車内放送の後レチが小さめの名簿用紙配って回るんだな

522回想774列車2018/06/12(火) 23:04:12.35ID:9Vc/Gbfo
乗船名簿は船員法で規定されている
宮島航路は距離が短く適用対象外

523回想774列車2018/06/13(水) 00:27:11.20ID:CTYkUiXf
お、おぅ

524回想774列車2018/06/13(水) 09:11:06.64ID:4yC1HtvO
>>520-522
青函連絡船への乗船は接続する急行列車の乗客が優先だった。
だから青森・函館から連絡船だけに乗る時は、
少ない配布枚数の乗船名簿用紙を入手するのが大変だった。

函館の湯川温泉や青森の朝虫温泉に滞在して連絡船で帰る客には
旅館の番頭さんが早朝に桟橋出札に行ってそれを入手するのが大仕事だった。

特に年末年始はお盆の帰省時期には大混雑で一苦労。

ちなみに接続する急行以外のローカルの列車からの経験は無いので知らない。

525回想774列車2018/06/13(水) 11:51:45.52ID:qzVbPWC6
北海道って、終戦直後は都道府県別人口で最大だった
函館青森が栄えた訳だわ

526回想774列車2018/06/13(水) 12:47:34.29ID:N97/Hegr
>>524
それってどこから情報?

527回想774列車2018/06/13(水) 18:43:11.58ID:xLnP1ZFw
>>526
実体験だよ、団塊の世代だから。
洞爺丸にも乗った事がある。
しかもそのあとの昭和天皇皇后両陛下の
北海道への行啓幸でお使いになった
1等船室だったと言う自慢の体験の持ち主。

528回想774列車2018/06/13(水) 19:35:39.47ID:N97/Hegr
>>527
>函館の湯川温泉や青森の朝虫温泉に滞在して連絡船で帰る客には
>旅館の番頭さんが早朝に桟橋出札に行ってそれを入手するのが大仕事だった
これは?
番頭さんだったの?

529回想774列車2018/06/13(水) 20:31:04.93ID:/ijrLids
浅虫温泉は遠いねえ
乗り継ぎでしか乗船してなかったから定員の苦労は知らんかった

530回想774列車2018/06/13(水) 20:40:13.90ID:Ka5Xfl+z
乗船名簿は家でコピーしたの持参しても大丈夫だった?
偽造防止対策とか特にされてなく青焼きコピーを駅で渡してたみたいである

531回想774列車2018/06/14(木) 03:07:39.67ID:O3KjZQ0D
>>528-530
旅館の下足番から宿泊客の色々の世話をする男衆を「番頭さん」と言っていた。
乗船名簿の用紙は乗船する便ごとに枚数が決っていて、
当然便名のゴム印(日付も)と番号が入っていたと思うよ。
しかも乗船乗車券の発売とセットで配布したのでは?

だから用紙は何枚も持ち帰りが出来た訳で無くて、
コピーなんかもっての他だったと思う。

しかも白焼きコピー(昔はXeroxで呼ばれた)が普及し始めたのは、
昭和40年代になってからで、
洞爺丸乗船した昭和20年代はコピーなんて夢の時代・・・

流石に浅虫温泉からは番頭さんが出向くのは大変だから、
青森駅桟橋出札には旅館組合の常駐の係が通っていたのではないだろうか?
(他の温泉のお客の乗船名簿の世話も一緒に)

532回想774列車2018/06/14(木) 04:57:33.99ID:o8pBkWS1
>>531
そんな推測並べられても少なくとも>>528への答えにはなってねえな

533回想774列車2018/06/14(木) 06:43:36.67ID:i0/9s85g
乗船名簿なんてデタラメ書いてたな〜
田村正和とかミック・ジャガーとか
乗船前に桟橋で箱に入れるだけだったし

534回想774列車2018/06/14(木) 12:04:47.48ID:O3KjZQ0D
>>533
15号台風での洞爺丸遭難以前は、
乗船名簿の記入はほとんどの人が真面目に書いたし、
(隠れた目的で旅行する時は知らん)
その代わり遭難事件の後は、
まさかもう沈没はしないだろうと
いい加減な記入は増えたのだろうな。

宇高連絡船の紫雲丸の事故もあったから。
その後は日本では大きな海難事故は発生していないし・・・

535回想774列車2018/06/14(木) 13:02:06.08ID:zMu2Y+L6
>>530
家でコピーとかお前絶対現役時代しらない世代だろ

536回想774列車2018/06/14(木) 13:02:55.40ID:0IgxTGio
>>531
乗船名簿とボールペンが一緒に洗面所にぶら下がっていたのを見た事ある
但し普通船室用だけで、グリーン寝台用はレチから貰う必要があった
583系と485系の特急車両のみだったと記憶している
はつかりの場合、浅虫付近で
レチが回収に回ってくるのも当時の光景

537回想774列車2018/06/14(木) 17:01:42.85ID:SoBoAF5v
「レチ」って何だろう?と、思って調べたら「車掌」の事か

538回想774列車2018/06/14(木) 17:05:25.42ID:0O2kqeDa
懐かし板に来るくらいの人間でその疑問が出るのは不思議だな
コピーの話もだけどなんか若い人が無理矢理話に絡んで来ようとしてるね

539回想774列車2018/06/14(木) 17:16:57.78ID:SoBoAF5v
「レチ」知らないのに、若さは関係ないんでは?

540回想774列車2018/06/14(木) 18:39:56.73ID:1dAoP0Pz
昔を知るのは善い事、知識だきひけちらかして空気壊さぬようにね
救命胴衣のつけ方も見とくんだぞ

541回想774列車2018/06/14(木) 20:12:17.64ID:/qnek5s8
レチ、レチチは相当にマニアックだけど
カレチさんってそれなりに知られていたように思うが。

542回想774列車2018/06/14(木) 21:36:58.67ID:ZBGzGL6s
使用済みの乗船名簿はどうやって捨ててたんだろうか?
あの当時は個人情報保護法なんてものはなく住所・指名が書かれた紙を平気で燃えるごみとして捨ててた?
流石に海洋投棄はしなかっただろうが
今だったら運行終了後シュレッダーで処理しないと個人情報漏洩の危険性がある

543回想774列車2018/06/14(木) 23:27:27.14ID:XJS9TqUv
>>533
上方落語の「三十石」だなw

544回想774列車2018/06/15(金) 00:28:49.54ID:NAvdqyaH
青函連絡船の廃止直前と
昭和30年代でも時代の違いがありそう。

洞爺丸乗船経験の世代にとっては、
「北斗」のC寝台〜連絡船1等船室〜「まりも」特別2等車が頭に。
(123等制の時代)
鉄道3等で旅行する人も、
青函連絡船の3等は車両甲板の下が船室だったから、
『異』級乗車券を買って、青函連絡船だけは2等に乗船するのが通だった。

545回想774列車2018/06/15(金) 04:06:42.22ID:Kqr95ErC
「異級乗車券」
「車両甲板の下に船室」
もう訳分からん

546回想774列車2018/06/15(金) 13:13:47.80ID:mIUMfAFD
「車両(搭載)甲板の下に(3等)船室」
洞爺丸遭難事故以降の連絡船は、
大型化した事もあって
123等全ての船室が車両搭載甲板の上の構造に設けられたけど、
遭難事故以前の旧型の青函連絡船では、
3等の船室は乗船入口は勿論桟橋と同じ高さにあったけど、
長い階段を降りた一部喫水線の下にも船室があった。
(上の階に線路が敷かれた車両搭載甲板があった)
それを嫌がって連絡船区間だけは2等の「異級乗車券」を買うのが
津軽海峡を旅する旅慣れた乗客の常識だった。
何しろそうしないと甲板で過ぎゆく浪間も眺める事も難しいのだよ。

洞爺丸転覆事故では12等の乗客も脱出出来ないまま犠牲になったけど、
3等の乗客に至っては外の様子も分からないまま、
いきなり「ポセイドンアドベンチャー」状態で閉じ込められて・・・

一般の客船でも例えば昔の伊豆七島に向かう東海汽船でも
小型船の3等は壁が船底そのままに斜めになって不気味だった。
(学校の行事で乗船して団体だったからしょうがなしで)

547回想774列車2018/06/15(金) 13:40:36.09ID:mIUMfAFD
>>545
「異級乗車券」は上の「車両甲板の下に船室」にも関連して、
何時まで制度があったか知らないけど、
123等、後の12等制度の時に、
元々1等または2等で旅行する乗客が、
鉄道区間でも3等(のちの2等、今の普通車)しか
運転していない区間を挟んで旅行する時に、
乗車券を買う時にその区間を申告して指定すると、
その区間は下級の料金に差し引いて運賃計算して発行される。
本当の金持ちはそんなセコイ事はしないけどね。

昭和30年代頃までは幹線だと普通列車にも半車の2等車がよく連結されていた。
乗車券の地紋が3等は薄赤で、2等は薄青、1等は黄色だったから、
異級乗車券は上の等級の色で発行されたから所持していると鼻が高かった。

連絡船区間の運賃は鉄道区間キロ程通算とは別の等級別運賃だったから、
差額の計算も楽で簡単に「異」級乗車券が買えた。

鉄道区間でも一部だけ12等とする「異」級乗車券が買えて、
下記の様な遣い方が出来た。

(1)特急「つばめ」「はと」にしか無い、最後尾の展望車のデッキで
出発の見送りに答えたいコスい成り金見栄っ張りは、
展望車は1等乗客しか利用が出来ないから、
東京〜小田原位までは1等で後の目的地大阪までは2等の「異」級乗車券を買った。

(2)地方の事業所の幹部社員・家族が転勤で任地を離れる時は、
規定で2等旅費が支給されるから、(今なら飛行機でビジネスクラス?)
いきなり本州方面の接続急行に乗れない駅でも
普通列車の半車2等車に乗り込んで社員の見送りを受けるのが習慣だった。

心ある幹部社員は3等で構わないと言うが、
(乗り換えた先の急行列車では特別2等車に)
庶務の社員がそれでは示しが付かないので是非2等でと懇願して。
そんな時に列車が空いた時期なら始発駅からなら3等でも大丈夫で、
「異」級乗車券を買う事に。

セコい社員は全区間2等の乗車券は乗り換え駅で払い戻ししたりして
「異」級乗車券に買い直して差額をせしめる輩も。

社員や役人の出張でも階級で2等乗車券が支給されるけど、
同様に差額をせしめる奴もいたそうな。

何しろ2等は3等の倍額で1等は更に倍額だったから。
急行料金も等級で違って高価になった。

私の世代の2等乗車券のイメージは、
今で言うグランクラス位の値打ちがあったね。

548回想774列車2018/06/16(土) 03:06:28.34ID:VJxS+hRw
ちと長いが歴史の勉強だな
さすが船底は知らん、親は船底のが揺れないと言ってたが強がりだったのか

549回想774列車2018/06/16(土) 18:22:41.15ID:2LdlTNO8
船現物を知らなくても洞爺丸事故の経過やその後の代替船(初代 十和田丸や津軽丸)の構造改善を読めば、三等が船底だったコトは自然と知りそうなもんだがなあ。
知識経験があるから偉いかタコとかじゃなく、末期に自分の見たまま以外まったく関心が無いなら寂しいね。

550回想774列車2018/06/16(土) 22:20:57.84ID:aqWIgDoH
多分実体験として知らないって意味じゃないかなと読めるんだけど

551回想774列車2018/06/17(日) 07:58:34.09ID:/vhPEAN0
船底とか書いてるが、実際には船底じゃなくて第二甲板。
車両甲板の1層下で、床面よりちょっと上が喫水線。

552回想774列車2018/06/17(日) 09:15:37.67ID:mrQwp8Aw
高齢者は意固地になりやすいの、分かってるのに
「番頭さん」の件で、執拗に突っ込んだ奴は誰だよ

553回想774列車2018/06/17(日) 09:24:45.49ID:tR4PScBT
>>546
洞爺丸形なら、三等でも椅子席なら下部遊歩甲板だから、
車両甲板の下まで行かなくても良かったのでは?
車両甲板下の第二甲板にあったのは三等桟敷席だけで、
他の三等施設は下部遊歩甲板にあったはずなのだが。

554回想774列車2018/06/17(日) 13:58:21.22ID:P3mBS4d5
>>553
好き好んで3等の船底の船室に乗った訳では無い。
その端艇甲板の船室は競争が激しくて。

混んで座れなかった3等急行の旅や、
本州の夜行急行で3等の硬い座席に座って過ごした後は、
青函連絡船の4時間半で寝そべって背筋を伸ばしたり、
洗面や食事と短い休息の時間だった。

だからちょっと余裕がある馴れた旅人は、
差額を払って2等船室に「異」級乗車券を買って乗った。
ちなみに昭和29年で3等が220円で2等は440円。
その差額の価値は当時日雇い労働者の日給が
彼らを通称ニコヨンと呼んだ254円だったから想像出来る。

2等船室なら洗面所も明るくてお湯がたっぷり出るし、
食堂はメニュー豊富で美味いし、売店も花盛り。

1等船室は1780円で高値の花、
ボーイさんもいて何かと世話を焼いて呉れる。
坊っちゃまと呼ばれたは人生でこの1回だけ。

555回想774列車2018/06/17(日) 14:10:27.79ID:P3mBS4d5
>>551
「船底」は言葉の綾で固定閉鎖の丸窓から外を見ると、
目の前に海水面が広がって港外に出ればちょっとの波で
窓ガラスが洗われる。気分は水没・水面下・船底だよ。

後年アムステルダムで泊った安ホテルが
床が水面下で目の前の運河をボートが通る度に
波が窓下に打ちつけて落ち着かない夜だったよ。

共に「板子一枚下は地獄」とは良く言ったもの。

556回想774列車2018/06/18(月) 00:52:47.12ID:16kF7VAr
船底へ行くには乗降時間かかりそうだな
二代目は入口広くて売店があった
そしてマリンガールなる案内の人?

557回想774列車2018/06/18(月) 01:43:09.51ID:AUfhzq0E
>>556
その通り、
接続する急行の3等は自由席しか無かったから、
(函館、青森)桟橋ダッシュで先頭を走るには、
到着時刻より早めに下船口で待ち構えていないと出遅れて大変。
だから下の船室の奥なんかに乗っては最悪。

558回想774列車2018/06/18(月) 13:44:30.01ID:nMPixylJ
この人妄想入ってるよね
結局「旅館の番頭さん」の件まともに答えてくれてないし

559回想774列車2018/06/19(火) 01:38:05.67ID:PPHEGYIi
正論だと思って他レスを真っ向否定する発達の臭いがする
それが嘘だったり

5605532018/06/19(火) 07:34:02.41ID:XVW/J20q
>>554
そういう話を聞くための書き込みではなかったんだけどなぁ。
まるで「三等船室全てが第二甲板にある」みたいな>>546の書き込みに対する
「第二甲板以外にも三等船室はあったでしょ」っていう確認のつもりだったのだが…。

これは大事なことだけど、洞爺丸形では「端艇甲板」には船室はなかったよ。
本当に乗ったことがあるなら、知ってて当たり前のことなんだが…。

561回想774列車2018/06/19(火) 17:00:57.45ID:D7ce+Wgx
ここに書き込む諸兄はほとんど、
学生や成人してから専門的な知識も探査吸収しつつ、
乗り船をした経験で語っているのでしょ?

それと幼い頃から小学生位で洞爺丸に乗った経験と
比べるのは無理じゃない?

60年も昔の社会の仕組みは
当時の人しか実感としても語れないし、
歴史として聞き置けば勉強にはなるから。

562回想774列車2018/06/19(火) 20:26:27.68ID:LBc+Y4ns
末期が消防厨房の頃ではあったけど覚えてるものです
十和田摩周八甲田ばかり当たって当時は不運と思ったが青森函館に残って逢えるから今となっては良かった
まだ函館市電の海岸通り線があってニセコ待ちに市電乗り潰したりね

563回想774列車2018/06/19(火) 22:00:45.93ID:zgDFbvbK
洞爺丸の記憶がある人は70歳くらいですかね

564回想774列車2018/06/20(水) 02:38:46.54ID:OLZJa2NB
>>563
姉妹船なら昭和40年頃まで残ってたよ

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