>>528-530
旅館の下足番から宿泊客の色々の世話をする男衆を「番頭さん」と言っていた。
乗船名簿の用紙は乗船する便ごとに枚数が決っていて、
当然便名のゴム印(日付も)と番号が入っていたと思うよ。
しかも乗船乗車券の発売とセットで配布したのでは?

だから用紙は何枚も持ち帰りが出来た訳で無くて、
コピーなんかもっての他だったと思う。

しかも白焼きコピー(昔はXeroxで呼ばれた)が普及し始めたのは、
昭和40年代になってからで、
洞爺丸乗船した昭和20年代はコピーなんて夢の時代・・・

流石に浅虫温泉からは番頭さんが出向くのは大変だから、
青森駅桟橋出札には旅館組合の常駐の係が通っていたのではないだろうか?
(他の温泉のお客の乗船名簿の世話も一緒に)