201系スレ
103系に代わる次世代の通勤電車として期待されながらも
様々な新機軸を盛り込んだ故の高コストが泣き所となり
ついに一大勢力を築き上げることのないままに終わりそうな
国鉄・JR201系に想いを馳せる人々のスレです。 大阪にはオレンジもいるし、関東にはなかった黄緑もいるんだよなぁ 中央快速線で試運転してた頃、ようやく国鉄にも私鉄並みの通勤車が入るのかと思った。
まだ101系初期型が快速線走ってた頃。とある高校の文化祭、鉄研の展示で中央線は京王に比べて運賃高く車両も古く低性能で、駅はぼろいと酷評されてた頃。 車内にセンターポールが立っていた試作車に乗った覚えがあるな。
じきに外されたけど。 関西住まいで京阪神緩行用しか乗れなかったので
中央線特別快速の電照式表示板が羨ましくてなあ‥‥ 省エネ電車というネーミングも懐かしい。
造るのに値が張っても省エネに取り組む!という気概を感じたが、
志半ばで挫折した観があるね
今にも倒れそうなのにこんな電車買う余裕などあるのか、と叩く論調もあった。 どのくらい高かったのかな
同時期の生まれと言えば、117系、185系? 203も201同様、サイリスタチョッパ制御なのに、アルミ車にして軽量化とコストダウンを図ったとある。
アルミ車って鋼製車より安いのか?
201のアルミ車型(203というべきか?)を何で量産しなかったんだろう? >>7
あの時代の国鉄バッシングは酷かった
国鉄を政治利用しようとするやつらにのせられてただけなのに 試作車は最初TK201とかいって直動式のドアエンジンだった
しかし量産化改造でTK4に交換された
ドア上直動式は国鉄では後が続かず213系まで待たなければいけなかった(転換クロスシートなので床置き式が不可能というのもあった) >>9
アルミの方が高価
301系の増備が途中で挫折した原因でもある
恐らく203系が国鉄の通勤型で一番高額と思われ 車内に響く、あの電機子チョッパ制御独特のノイズ音嫌いだわ。
頭にまで響いてきてしんどくなるから、なるべくM車には乗らないようにしていた。 携帯ラジオが普及し始めた頃、
201系M車に乗ると特に雑音が激しいと
ラジオ雑誌で話題になったのを思い出した。
もちろん、他系列でもM車はノイズ発生源だらけだから雑音が入るのは同じだけどね。 省エネは駅照明や空調、或いはディーゼル機関の方に取り組みの余地があったはずなのに
意図的かどうか分からないが話が摩り替えられた もし、界磁添加励磁制御が早めに開発されて、201系に採用されていたら、国鉄民営化までに2000両くらいは大量増備されていたかもね。 てか自分で書いた後に思ったけど、界磁添加励磁制御って、201系が量産化されても新製費が高過ぎて増備が進まない事態に陥って、仕方なしに古い技術の抵抗制御を弄くって開発した経緯があったんだった。
たらればで語ってしまったけど、これは無理があった 。 203は加速度・冷房などの制約で軽量化しか道がなく、仕方なくアルミにしたんだよな 1000両でも小所帯らしい
さすが国鉄・JR。
103系の3000両が凄過ぎて‥‥ ドアの窓が103系よりもちょっとだけ大きくなって、
子供の背丈でも外の景色を眺められるようになったのは嬉しかったなあ 営団もドア窓を一時期小さくしてたな
子供がドアに近づいて戸袋に引き込まれる事故を減らす意図があったとか ドア窓が小さいと、閉塞感というか威圧感があって嫌だった。
特に車内側はステンレス剥き出しなのが、無機質な感じがして余計怖かった。
JRになって製造された205系のドア窓が広くなったのは、やっぱりそういう人間心理を考慮してたのではなかろうか。 戸袋窓を廃止した代わりという意味もあったかも?
厳密には、時期が多少ズレているが もう少し増備が続けば203系みたいにボルスタレス台車履いた車両とか登場してたのだろうか >>24
閉塞感分かるなあ
遮光幕が降りたままなのも評判良くなかった 京葉線で白幕車を見たことがあったが、他線にもあったのかな
京葉線特別仕様?? 今では珍しくもないが先頭車正面を黒く着色するいわゆる“ブラックフェイス”は
当時はインパクトあり、賛否がわかれてた 水色のC電は各停やったけど駅間が長く、走りっぷりは快速と遜色なかった。モーター音は103系より余裕があったから性能的に103系よりは向いてたと思う。 顔を黒くするのは方向幕の背景を黒くすれば幕の文字を白抜きすることが可能になり、
客が遠目からでも見易くなる(特に夜間)という狙いがあった。
電照式で白地だと夜間は肉眼で視認できなかった >>37
夜間に撮影すると白地は白く潰れちゃうが黒地は何とか視認できる
京葉線初期の前面白幕は製造ミスに起因するもの >>29
これ以上は架空形式スレでやれ、だが、
ボルスタレス台車、軽量車体の1000番台が出ていた可能性はあるな。 黒い顔といっても窓回りだけ
前面全面真っ黒も出現した現代から見たらカワイイものだ >>16
省エネ運動で誰が得をしたか(儲けたか)で、
分かるよな >>16 1978年頃の段階で、照明灯のLED化が実現可能になってたのかね?
空調にしても、インバータ式なんてかなり後の話。
鉄道用ディーゼルエンジンは、海外見渡せばもっと効率の良いエンジンが実用化され始めていることを知りえたのだろうが、当時の国鉄の厳しい財政で輸入技術によるディーゼルの開発が停滞していたわけで。
ディーゼルエンジン改善よりも、電化区間の増大、電力節約型車両の導入の方が有効という考え方もあったのでは。 空調の省エネ化の効果が絶大だったとしたら、地下鉄ではトンネル冷房を強化し、103系1000台が千代田線内では窓全開させて走ってたのではないのかなあ?
203導入する必要なくなる。 最初に乗ったのは昭和56年だったな。
中央線に1編成のみ入り、特別快速の運用には就いていなかった。
東京駅の事務室で時間を聞いて2時間くらい待った。
車両に強い友達が「東京〜高尾間の電気代が103よりも1000円安くすむ」
なんていっていたな。
この頃の特別快速はすでにヘッドマークがなくなって寂しく思っていたが、
やがて201系が特快運用に入り、前よりは小ぶりながらヘッドマークが復活して
嬉しく思った。そして大月にも行くようになるわけだが、
藤野や上野原あたりの住民は「UFOが現れた」くらいの驚きがあったという。 東京駅から国分寺駅まで通勤でよく乗ったけど
冬の朝なんかは、暖房はなかなか効かないし、
すきま風はあるわで車内は寒かったよ。 このまえおおさか東線やら阪和線やら乗りに行って、
大阪の鉄ヲタはいいなあと思った。 101や103に比べれば、高速運転時に静かで振動も少ない。常磐快速の103はうるさかった。 とにかく不評だった国電通勤車の、
地に落ちていたイメージを幾分回復してくれたのが
201系だったと思う
そんなに悪い印象がない おおさか東線は201も103もあるよ。
関西本線もね。 思えば、緩行線からトタ青編成になった130両のうち20両以外は快速運用と無縁のまま廃車になったのだなぁ… >>58
何となく分かる
103が内装も性能もアレだったから、201の登場で国電も私鉄レベルになったものだと感じた 新しいだけでもう好感度急上昇w
そのくらい京阪神電車区間の車両は冴えなかった >>47 >>50
細かいことだが、時系列が前後しているので補足させてもらう。
(旧)特快のヘッドマーク廃止は86年3月のダイヤ改正時
201系の大月乗り入れ開始は86年11月改正時
(新)特快のヘッドマーク復活はJR化後の87年5月
特快のヘッドマークの電照化は92〜93年
だよ。 まとめ乙です
結構自分の記憶がいい加減なことに気づかされたわ‥ 京阪神緩行線からいなくなって、そろそろ10年か。
そのため、西日本からブルーがいなくなった。 ちょっと目を離したらこれかい
Evaluation: Good! 登場時、新聞に紹介されたときは従来の通勤電車よりもかなり快足になったと言われていた
比べる相手が103系では大抵そうなってしまうのだが(苦笑 103系だってそれまでの旧型国電よりは速いと言われてたでしょ 各停にしか使われない電車で速くなったと言われてもなあ
駅間で数秒程度じゃないの? 201系は風冷チョッパだったっけ?
太陽熱でチョッパ装置が熱暴走して対策として熱が蓄積しないよう機器箱を白く塗ったなんて事もあったとか
その後機器を小型化できるフロン冷却が主流になったがVVVFの台頭ですぐ廃れた >>85
ノンフロン冷蔵庫はイソブタンを冷媒に使ってるが発火性あるんだよな
大昔はアンモニア使ってたのもあった 今から思えば危なっかしい薬品が日常生活の中には普通にあったんだな >>76
出足は103系と大差ないと感じたが、その後の加速が新しさを感じさせた
やっぱり新車は速いなあ!と嬉しく思ったよ その気になれば110キロ運転も出来ただろうがやらなかったな
実験もしてないはず スピードよりも、
如何に詰め込めるか、
について重んじていたのでしょうか? いんや。
いかに詰め込めるかは、民営化に205系のサハ204が挑戦してるよ。 >>如何に詰め込む
冷蔵庫先生風に言えば、乗客軽視だろうなあw >>88
大多数の乗客はそんなことには関心なく、クーラーが付いてるとかシートが柔らかいとか、
まあそんなものだす。 冷房は当時の酷電には必須アイテム
おれ中学から電車で通学してたが特に梅雨時の蒸し暑さが
我慢できなくて冷房車が走り出した頃はわざわざ一本見送ってでも乗ってた