21世紀生まれが知らなそうな事 part3©2ch.net
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都営1号線江戸橋駅
※以前あった俺のかかりつけの耳鼻科医院の診察券には最後までこう書かれてた。 近鉄奈良線の快速急行は新大宮に止まらなかった。
準急は東花園に止まらなかった。 ♪ダイヤルダイヤルダイヤルダイヤル
まわせば
バカスカバカスカバカスカバカスカ
もしもしうしゃうしゃ
無着成恭先生・・・ 携帯電話の着メロは各自で番号ボタンを手動入力してセットしていた。 電話機のイラストが
なぜそういう形なのか平成生まれは知らなかったりする。 キセルも万引もイジメもゲーム感覚いやゲームではなくて立派な犯罪であること 万引きやイジメをしている自分が生きる資格の無い犯罪者だということ。 東北上越新幹線のビュッフェもそうかも21世紀生まれなら多分記憶にないと思う 愛の国から幸福へ
帯広駅や札幌駅のお土産屋さんでは未だに売ってる。しかも365日全ての日付が揃ってる。
語呂の良さに加え、安くて嵩張らないから、お土産に好適。 Windows95,98
Windows Me
MO
Zip(日テレの番組名ではない)
ダイヤルアップ 都営新宿線 曙橋駅の放送
「曙橋 曙橋 フジテレビ前です」
移らなきゃよかったのに… ウソツキ地下鉄
新宿線開業なんていうから新宿駅いってみたけどありゃせん!!! 昔の山手線の方向幕は「山手」だったこと。
昔は山手線を「やまてせん」という人のほうが圧倒的に多数だったこと。 >>34
ヨドバシカメラの歌も「丸い緑のやまてせん」だった。 いたんだろうね、「この電車は、山手にも行くのかね?」って駅員に訊いた人。 どうなんでしょうねえ。
その頃といえば、新宿駅6番線で「小金井行発車しまーす」なんて
普通にアナウンスしていたけど、さして問題はなかったようだが。 (通称)埼京線の池袋・赤羽は赤羽線と呼ばれており、更にその前は山手線の
一部であり、その名残>>33でカナリア色の101系,8連で運転されていた。 >>42
正確にいうと、元々は
山手線は東北本線グループで、赤羽起点品川終点までが「本線」と、
池袋起点田端終点の「支線」で構成されていた。
実際の運転は今と同じ循環部分と、池袋〜赤羽間の折り返し運転だったので、
この折り返し部分は、誰からともなく「赤羽線」と呼ばれるようになった。
後に東海道本線グループになり、品川起点田端終点のみになり、
池袋〜赤羽間は通称であった「赤羽線」が正式名称になり独立した。
このため、その後の路線別営業収支は、統計上の連続性を持たせるために
「山手・赤羽線」となっていた。
さてその「正式名称」としての「赤羽線」だが、実は今も存在している。 >>44
>山手線は東北本線グループで
日本鉄道時代の名残ですね。 昔の京都のガイドブック
京都市内の観光には市電を上手く使うとよいでしょう。
東京の都電は1系統を残すのみで、風前の灯ですが、京都の市電は元気です。 渋谷のタワーレコードのところに日通の倉庫があった。 暑い夏の盛りに大都市で非冷房の電車が平気で走っていたこと 旧客の様に自動ドアではない車両では飛び乗り、飛び降りが当たり前
だったが、仮に転んで怪我しても自己責任だった 新宿駅特急ホームの次駅が三鷹の理由。
かつての新宿発普通列車の次駅が三鷹だった名残。
三鷹の次は立川だが、快速に頭を抑えられてノロノロ運転だった。
以前の常磐線同様に快速電車よりも普通列車の方が上位種別だった。 >>55
それをいうなら、元々は新宿の次駅は立川だった。
三鷹時代になってから実際に新宿・三鷹と停車した中電なんて
ロクになく、しかも最後の新宿発の毎日運転の普通列車は、
1日1本(上諏訪夜行)のみとなり、これは三鷹通過であった。 ン?まてよ
「列車」と「電車」の区別の話からはじめないとこの種の話は通じなさそう。
「昔は高尾までの乗車券では、相模湖以遠にいく列車に乗れなかった」話から
になるな。 マカロニほうれん荘、懐かしいな・・
鴨川つばめは、ストーリーやギャグのレベルも高かったが、絵のセンスも秀逸だったな 南海、阪急、西鉄、東急、国鉄時代のJR(あれは一応今の東日本でいいのか?)がプロ野球の球団を持っていたのは知っていても、
小田急が女子のバレーボール部を持っていたことは知らないのが多いだろうな。
弱すぎて結局廃部になっちゃったけど。 中央線の快速電車にパンタグラフの高さの関係で
高尾〜相模湖間のトンネルを通ることができなかった車両があったこと 通れるのは101系800番代だったね。パンタ搭載の屋根部分が窪んだ様に低くなってたね。 >>68
そして扇風機はなく、同心円状の喚起穴が開いていた。 >>65
社員駆り出され、会社負担で全国に応援へ。試合始めは、ロマンスカーのメロディーで始まったよ。バレーの選手達はチーム無くなった後、監督含め小田急グループの社員にして面倒見た。 めざましテレビの前番組の子供向け番組(ポンキッキーズ)で
安室奈美恵がうさぎの着ぐるみで登場していたこと 「快速電車の停車駅は、二子玉川園までの各駅と溝の口、鷺沼、たまぷらーざ、青葉台でございます」
時々、渋谷駅で準急入線時のアナウンスを聞くと昔を思い出すのだが…。 近江鉄道が気動車を運行していた時期があること
(非電化区間が存在していたから、ではない) 秩父鉄道に八高線の気動車が乗り入れてきたことがあること。そのために秩父の運転士が高崎に気動車の免許を取るために研修に行ってたこと。 >>87
しかも、それがお役所の国鉄だけじゃなかったこと 熊谷駅から東武熊谷線という、東武鉄道唯一の非電化路線が分岐していたこと >>90
実は今でも東武線内を営業運転してる気動車かあること。 東急田園都市線の渋谷〜二子玉川間は、かつて「新玉川線」という路線名だったこと。
更に、二子玉川はかつて「二子玉川園」という駅名だったこと。 (玉電)玉川・(目蒲)二子玉川→(玉電)よみうり遊園・(目蒲)二子玉川→二子読売園→二子玉川→二子玉川園→二子玉川
駅名変わり過ぎだなw 京成千葉駅はかつては、「国鉄千葉駅前」という駅名で、現在の千葉中央駅が「京成千葉」駅だったこと その千葉中央(←京成千葉 II)は
かつて房総東線の本千葉 Iであり
線路移設以前の京成千葉 I(←千葉)は
現在の中央公園付近だったこと
1958(S33)年、戦災復興都市計画の区画整理事業により
国鉄本千葉を、現在の長洲に移転させ
その跡地に京成千葉を移転 近鉄「橿原神宮前」駅は、かつて「橿原神宮駅」という駅名だったこと 長岡京駅のかつての駅名「神足(こうたり)」(結構有名な難読駅名だった) 京成の宗吾参道〜京成成田間は、ものすごく曲がりくねっていた、もちろん公津の杜駅もなかった。 禁煙は近郊区間だけだったこと(特急・急行は一部の禁煙車を除き全区間喫煙OK) >>100
東武なんて吸殻入れもないロングシートの電車が北部のローカル区間で喫煙可だったという。 東武鉄道が東上線を2大幹線の一つとして扱っていたこと 高校野球のPL学園
21世紀生まれにとっては大阪の強豪といえば大阪桐蔭。PL学園って何?って思ってるんだろうな
平成生まれが和歌山の強豪といえば智弁和歌山。箕島って何?って思ったように 111(σ´∀`)σ ゲッツ!!
111キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
111(・∀・)イイ!! 子でもの頃は
三鷹電車区に止まる
クハ181の屋根に登って遊べた 大阪メトロ御堂筋線は「あびこ」が終点、谷町線は守口が起点、
中央線は大阪港が起点だったこと >>115
都営三田線のゼロキロポストが泉岳寺にあったこと 東武特急「りょうもう」は、かつて急行だったが1800系という特急並みの車内設備を持つ
専用車が使用されていたこと つくばエくスプレス開業してなかったけど筑波鉄道は存在していたこと。 大阪府八尾市の市立病院付近にはかつて広大な竜華操車場、竜華機関区があり、
同操車場廃止後、操車場跡地は広大な更地になっていて、関西本線の線路は八尾〜久宝寺間では
上下線の線路がかなり離れていた >>122
久宝寺駅の上下線ホームもかなり離れてたしな >>123
竜華操車場廃止後の跡地には、国鉄民営化後も国鉄清算事業団のプレハブの事務所が
建っていたな 中央線中野ー三鷹間の方向別複々線化
図面まで出来上がっていたのに
実現しなかった 山陽電鉄の列車種別は現在は特急と普通だけだが、かつては急行もあったこと >>126
そのうちに「令和生まれの知らないそうな事そうな事」
JR(国鉄)の列車種別は現在は特急と普通(快速含む)だけだが、かつては急行もあったこと
となるのだろうね。 北海道の網走以北のオホーツク海側に、興浜北線、興浜南線、天北線、渚滑線、湧網線、
名寄本線などのローカル線があったこと >>127
10年後には急行はJRでも料金不要種別になってるかもしれない。
ひょっとしたらJR西あたりが新快速の上位種別として使うかもな。 >>126
阪急京都線の列車種別に急行があったこと、もか。 Glacier Express
ちょっと前(っていつだよ?)じゃ
氷河急行と訳されていた本やパンフが多かったけど、
最近じゃかなりのケースで氷河特急になってる気がする。 淡水線が気動車とかが走るローカル然とした線区であったこと 横須賀・総武快速線の品川〜錦糸町間にATCが使われていたこと 片町線
終点だった片町駅が無くなり学研都市線と呼ばれているから、どこ?ってなるよね・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています