昔の福島交通を語る
飯坂西線に連接車のモハ5000、飯坂東線に細面のモハ1100が活躍していた頃の
福島交通の思い出話。 鉄道線は飯坂線の名があるが、軌道線はどうだったの?
よくありがちな、「市内線」は正確ではないし… >>122
掛田からは以前の軌道線とほぼ同じルートでバス路線(上ケ戸経由)が
あるよね。
保原〜伏黒〜大正橋は軽便鉄道時代の桑折線ルートだけど。 >>124
カラーブックスでは、鉄道線、軌道線だったとおもう >>113
既出だが一番傷んでたのは東急から来た3300だよ 東急から7000を入れたとき、帯は赤にしようとしたが
赤は赤字を連想して縁起が良くないので青にしたという
他社でもよく聞くあるあるエピソードで、
ゲン担ぎはまだまだ経営の現場では生きてる話しなのかなと デハ5000と長野電鉄モハ1100は兄弟?
似すぎ デハ5000は第二の人生を歩める余地があったんじゃ無いかなと思ってしまう
連接構造がアダになったか それで言うと5114+5215はノーマルなボギー構造と車長19mの大型車でこれこそ購入に名乗りを上げる社があっても良さげだったのにスクラップ逝きとは >>136
両運の5300は栗原に買われたことからしてもやはり単行できる車にニーズがあったということではないか 貴見のとおり
通勤時間帯でさえ、大型2連では持て余し気味であった 昭和55年頃にはまだ3連も走ってたし
朝はかなり混んでいた 弘南鉄道には6連もあった
ローカル私鉄が元気だった最後の最後の時代ね 1200の2灯化カッコ悪い、どうしてもするなら離れ2灯でなく
東武や小田急の旧型みたいにくっついていればまだマシなのに
東急3300を買った奴は2灯化してないみたいだし、好ましい形態の電車だから余計残念 >>140
その三連は東急から購入した粗悪品じゃなかった?
ラッシュ時だけ仕事して昼間と休日は車庫で昼寝という優雅な毎日 東急3300は西島三重子の池上線のモデルですね
歌詞がボロ強調されてて笑っちゃう >>147
古い電車とか隙間風とか吊りかけ音とか。
今とは隔世の感がある。 >>149
東急から来た5000はドアがゆっくりと開閉
自社発注の5000はドアが素早く開閉 5000系列初代は結構モダンな感じだったのに寿命が短かった
飯坂東線最新の2両や花巻電鉄28,57他と共通設計?
窓が似ている 1200はサハ3000を挟んだから一番乗車定員が少ないのは連接車になる
普通に動いていたようだけど、使いにくくなかったのかな ドアの開け閉めが速いのは寒冷地ゆえの事情もあるのよ ドアが端に偏ってるから客もその付近に固まってギュウギュウなのだが真ん中部分はスカスカ
ニドアの宿命かもしれないが車内の流動が悪いのは都会も田舎も同じなんだな 掛田駅舎がずっとあのままなのも凄いけれど
再整備した電車を置いてもらえるとは夢のよう >>148
歌詞に吊りかけ音はなかった気がするがw 昭和50年代いちばんキャパがデカかったのは東急から来た3連 かつて東北線から飯坂温泉に455系が乗り入れる妄想をした >>169
18m級車両を前提とした線路に入線できるかどうかはさておき
肝心のデッドセクションがないw
奥羽本線交流化前の中川扱所みたいなものを設置するか 富山駅で出来たことを福島駅で出来ないことはないと思うんだがどうよ? でも東急からの3連はかなりオンボロだったんじゃないの
同類が上田交通にも行ったが、評判が良くなくて使われなくなったって