懐かしの連接車 [無断転載禁止]©2ch.net
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連接車に乗ったら必ず連結部分の渡り板に立ったあの頃…
遠い昔の思い出を語り合うスレです。 >>227
そういえばみなほは女子アナの罰関連でサンドイッチマンを招待してた 誤爆失礼w
>>82
和歌山ではその程度の客数だったということね >>81
連接の軌道線車で転職できたのは西鉄→熊本市、西鉄→広電、札幌市→名鉄だけか
東急玉川線、名古屋市、大分交通は和歌山同様に路線と運命を共にした・・ 路面電車の連接車がそもそも珍しい
ところで大分交通の連接車は知らなかった >>86
熊本市電に行ったのは古い車でなかなか冷房が付かなかった 屋根上に重いものを乗っけるわけで
そう簡単には改造できない >>85
他の人も書いていたが、やはり保守のしにくさが最大の弱点でしょう
一日のたった二時間ほどだけの多客時のために、
特別な保守態勢を取る余裕が地方私鉄にはない 警察の許可もなかなか下りないらしい。
あんな長い物体がノソノソ路上を走るとそれこそ事故の素になるから。
スレ脱だが今京阪浜大津付近を走る800なんてよくOK貰えたなあと思う。 和歌山はどういう経過でOKになったか知らないが
大分は一両より二両で走った方が客を効率的にたくさん運べて
混雑緩和につながると当局を説得してOKを勝ち取ったと
でも残念ながら連接車は使いこなせず、
代わりに永久連結車を新造して重用した 土佐電鉄みたいに客の増減に応じて単行になったり組成したりする方が
効率的じゃね? >>99
昔は札幌にも親子電車とかあったな
親はまだ生きてるとか 小田急の新型ロマンスカー70000型GSEはボギー車になった。
数十年後には連接車のロマンスカーは過去の物になっているのかな? >>99
高速電車では解結操作もコスト要素になるので
だったら最初から長大な固定編成を走らせておこうということになった
もちろん、間引きはやりますw 家族で伊勢旅行に行ったときにビスタ2世に乗った
鉄チャン若葉マークだった頃で連接部に興味津々、
隣の車両に用事もないのに何度も行きつ戻りつして大はしゃぎしてたら
オッサン客に、静かにせいと叱られてしまった ビスタカーは鉄か非鉄かで行き先が異なるわけかw
非鉄は2階席へ。
鉄は連接部へ。 むしろ小田急がここまで連接車を投入し続けてたのが奇跡 福島交通や福井鉄道のように1形式だけ採り入れたケースに興味を覚える カーブの速度向上策として、連接車って空気ばね車体傾斜に比べてどの程度優位なんだろうか? >>118
小田急50000形とか連接車の空気バネ車体傾斜の例もあるから
走行性能への影響はおそらくほとんどないんじゃないかと
乗り心地にしてもオーバーハング部にドアやトイレを設置すればすむ問題だし >>119 だから連接車が普通の車両に比べて相当有利な点は何か?を聞いているんだけど。蛇行動にしても、台車の改良で連接車でなくてもかなり抑止できるようになった。 >>120
だから「ないんじゃない」って答えてるんだけど 福鉄200は福井のエースよ
良くないなんてとんでもない 江ノ電は効果あっただろうね
エグいカーブの連続だもん 熊本市電で元西鉄の連接車初体験
でもそんなに特別なものでなかった 福島交通がモハ5000をもて余したのも保守のノウハウが使えなかったからと聞く
好ましいデザインで長生きして欲しかったが
昇圧で終焉 後継デハ5100が普通の構造に戻ったのが何よりの証拠
メーカーの売り込みでもあったのだろうか 三岐北勢線200系の乗車経験は付随車になってからだけなのは悔しい。
JR近鉄を越えるカーブでは中間車の横揺れが酷い。
網棚につり革が当たる音がする。
付随車化は垂直カルダンの保守に手を焼いたのが原因らしいけど、
六十年前のナロー車輌としては白眉の存在だろうな。 三重交通が3車体連接、垂直カルダンなど既存の枠組みから逸れた車を投入しようとしたのは何故
観光路線の看板車両としてのパブリシティー効果を帳消しにしかねない
導入&保守コストの増高は明白だったが。 それこそメーカーの売り込みがあったと聞いているが? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています