花巻電鉄
有名な馬面電車以外にも個性的な車両が揃い、
ニブロクナローとしてはかなり遅くまで生き永らえた、
みちのくの温泉電車を懐かしむスレです。 都電7000の初期車は 途中で3枚窓に改造したけどデハ57は運転しにくかったろう
花巻の新型タイプと福島飯坂東線の最後の2両は 側面が似ていてメーカーも同じで兄弟らしいですね >>92
馬面は別として電動車に関しては下一桁が通し番号になってることに最近気づいた
21,22,3,4,55,56,57,28 古い車は鉄道線と軌道線で番号重複してしかも鉄道線だったのが軌道線で使われたりしてややこしい 線路に並行する小河川を橋で跨ぐから
吉川さんの解説書読んで味噌 ネコの本以外で、詳しい情報が載ってる出版物はないですか 私鉄車両めぐり特なんとかというのが家にあるが詳しい
あとジャーナル56号にも記事がある 勤務先の後輩27歳が花巻出身だと知った。
昔温泉に行く電車が走っていたことを話すと全く知らなかった。
生まれたときから新幹線がある世代だから仕方ないかなあ。 >>7
花巻温泉は台温泉からの引湯で開業したが、現在は独自に掘った源泉と、
台温泉の引湯を混ぜている浴槽とに混用して使用している。
>>9
鉄道線はサイクリングロードに整備できたおかげで、花巻駅から日居城野運動公園、
花巻東高校、花巻温泉までのへのアクセス道路として活用されている。
夏はこのサイクリングロードで競技自転車やマラソンの練習を頻繁に行われているよ。
全区間が平坦で直線なのでちょうどいいです。
あと花巻温泉駅跡のバス停としての使用は廃止され放置されてる。
痕跡が完全に消えるのも時間の問題かな。 軌道線のポール電車の音源レコードがあったはずだけど、
京福なんかも入っていたと思う。
音だけでは復刻しても売れないだろうな。 花巻温泉郷は繁盛しているがかつてこの地に電車が走っていた事を知らない人が多い 馬面電車は横風に弱い説
誰か聞いたことない?
吉川氏をはじめ古えの研究家諸氏の著作を見てみたが
どこからも出て来ない 脱線や横転するってこと?
それとも風速によって運行中止するとか? >>127
その説の火元はどこだ
まさかお前自身じゃねーよな >>127
風荷重を受ける側面積は車体の断面積に影響されないんだから
馬面断面だろうが普通断面だろうが変わらん
転倒のしやすさは軌間と重心高さに比例するから
花巻の場合、小断面で車体が軽くなる馬面電車の方が
同じ足回りの鉄道線車両よりも安定していたはず >>127
ふと興味がわいてネットで花巻電鉄関連の著作を探してみると結構豊富にあるのね
名前の出てる吉川さんも本になってるもの以外でピクトリアルなどに寄稿してるものが複数ある
それだけ人気のある路線だったわけか… ここの代名詞でもある馬面電車は意外と早く引退していたのにね 馬面など旧型の代替で導入された近代的な車両たちは
あまり長く使われずに廃線になってしまった 馬面も最後まで残ってたんじゃないっけ
末期は牽引車的な扱いだったぽいけど 栃尾や静鉄駿遠線も同じなんだが
撤退が数年後なのにあえて新車を買おうとする判断は何が根拠になったんかね
その当時は新車買っても回収できると判断したあとに
急転直下で経営が悪化した、とか? ハハその通り
3年後の株価予想できるやつがいるならお目にかかりたいわ それだけ当時の社会情勢が激変してたのよ
クルマがこんなに普及するとは 栃尾の場合は田中角栄の政治的命運も影響してなくない?
ロッキードの頃に廃止でしょ >>135 モハ28か、製造が63年で鉄道線廃止の72年まで9年間走り続けてるぞ。旧型化した車両の更新、体質改善を図ろうとしていたのだろうけど。
大阪市電も60年代前半頃に多数、新車を入れているし、当時の花巻の方針が間違っていたとは思えない。 >>135
それは廃止時期を知っている後代視点だから
そういう疑問が出てくるんだよ。
戦前戦後期はどんな変容も急激だよ
00年代と今とそれほど変わらないことと状況がちがう モハ28なんか好ましいスタイルなので台車を変えて第二の人生を歩ませたかった… もし残っていたら、新花巻まで延長するのではないかと妄想する ヤフオクに花巻電鉄の写真が出品されてました
ttps://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h1132595797