上野発夜行列車語れ昭和53年10月7日夜は46本あった [転載禁止]©2ch.net
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上野発の夜行列車ラッシュは19時台からスタート。
19時台に6本の夜行列車が設定されていた。当時の東京駅に比べると遅い。
これは終着駅までの距離が短いから。そして青函連絡船との接続を考慮しているからだ。
まずは19時8分発、青森行き急行「八甲田」からスタート!。東北本線経由の座席急行列車で、旧型客車を使用していた。
急行だから料金は安いし、ワイド周遊券で自由席に乗れたから大人気だった。
「八甲田」は臨時列車も多く、19時16分発、21時8分発、22時48分発と続いた。
19時31分発の急行「津軽」は寝台列車の一番手。出稼ぎ、集団就職から帰省するとき、A寝台に乗れたら出世の証拠といわれた。
「ゴオサントオ」ダイヤ改正から普通車が青地に白帯の12系座席客車になった。座席は従来通りの4人掛けボックスシートだが、
自動ドアや電気式冷暖房が付いた。旧型客車も連結しているけれど、青地の車体が多い。ブルートレインの仲間といえよう。
23時台の夜行ラッシュでも乗客を運びきれないようで、0時台にも電車急行が3本ある。0時を過ぎて発車する夜行列車には特別なマークが付いていて、
発車日の8日前から指定席券を販売するという意味だ。当時の指定席券は発車日の7日前から販売されたが、始発駅を0時以降に発車する列車は、例外として8日前から販売されていた。
前日の夜の続きみたいな時間帯だから、0時前に発車する列車と発売日を揃えていたのだろう。
1978年10月号の時刻表で、上野発の臨時夜行列車が最も多いのは10月7日の土曜日で、ここで挙げた列車のうち、臨時列車3本を除いてすべて稼働し、46本もの夜行列車が次々と上野駅を発車していったのである。
上野発の夜行列車も北斗星の運行が全て終了、夜行列車はカシオペアのみとなった、
上野発の夜行列車(上野経由)で東海道を抜けるスジも可、昔は沢山あった上野発の夜行列車を語ろう! >>1
上野口の思い出
急行八甲田 青森 EF57+12系(ガターン) から連絡船に乗って初北海道〜特急北海キハ82札幌〜急行利尻
DD51+14系ザ+14系ネ稚内〜急行宗谷キハ57 … 青森〜特急ふるさと13両583系〜上野着(北海道ワイド
周遊券)
新宿〜急行アルプス61号白馬EF64+14ザ〜信濃大町〜AP〜立山〜宇奈月〜欅平 … 富山〜特急ひだキハ
82〜金沢〜急行能登EF81+14ネ+14ザ〜上野着(APルート周遊券)
急行八甲田 青森 EF58+12系 から快速海峡1号50系(初)木古内で戻って青森から17:00連絡船(終)〜
寝台特急北斗星2号(初)で上野着(函館・大沼ミニ周遊券)
寝台特急北陸 金沢 14ネ 〜金沢〜L特急雷鳥**号485系(食堂車)〜福井〜試験〜L特急加越**号485系〜100系(食堂車/2階建)〜東京(大回り乗車券)
寝台特急北陸 金沢 14ネ(終) から金沢〜特急はくたか**号〜越後湯沢〜200系〜東京(北陸フリーきっぷG
用22,000円) 【月光型】581/583系スレ【寝台電車】 [無断転載禁止]©2ch.net
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1504890975/
関連スレ 小学生の時EF57に憧れ、念願かなって一人で上京、上野駅へ
待てど暮らせどEF57はやって来ず、酷く落胆して帰った思い出が
昭和51年の事たけど、既に微妙な状況だったなんて当時のガキに知るよしも無かったw まぁ北海道のキハも57じゃなくて56だし、北斗星が走る頃の八甲田は14系でPFだよな
あとふるさとの上りって大宮止まりじゃなかったっけ?上野着もあったんかね
もうこの頃知ってる世代はお互い色々耄碌してるからな 上野からの上信越方面は碓井峠を夜間通過になるから、
新宿から中央線へ集中してたのかな? >>523
別に一つの時代に絞った記述って訳でもないんちゃうの 上野駅は鳩公害も酷かったな、地平ホームは鳩の糞だらけだった・・・・・ >>526
色々とおかしくね?
碓氷関連なら「上信越方面」はおかしいし
中央線に集中してたのは何?
主語がないぞ >>514
それなんか時代がメチャクチャだよ。
寝台急行「北陸2号」やら寝台急行「北星」があった頃は昭和50年3月10日改正より前のダイヤだが、
その頃は上野発の「ゆうづる」は5本までしかなかったし、
だいたい23時59分発「ゆうづる7号」は青森発上野行の時刻であって、
いい加減すぎるよ。 >>529
東京から長野方面の夜行列車は中央線経由のほうが多かった時代があるってことがいいたいんじゃないのか? >>139
乗ったこともあるけど、名前忘れてた。
夢空間北東北ですね。 >>531
「長野方面」とは言うけどさ
同じ長野県でも信越沿線と中央沿線じゃ場所違うからな
中央線の長野駅方面への夜行って普通一本だけで重なるのそれだけでしょ? >>534
新宿発長野行の夜行列車だけで臨時も含めて6〜7本運転されていた頃がある。 >>535
それって長野駅行じゃないだろ?
松本や大糸線方面行だろ? 長野県なら飯田も松本も長野
何千キロも離れてるロッキーとナイヤガラをひとくくりに旅行したり印象を語ったりするのだから
長野県内なら長野でいいんじゃない >>537
代替にならないだろ?
つばさといなほ(上野-秋田)
はくつるとゆうずる
みたいな補完関係にはない
別の列車 >>536
それが違うんだなー。1963年あたりだと臨時も含めて長野行だけで6〜7本出ていたよ。
当時の中央東線はいまの感覚の「松本行」は「長野行」だったのさ。 保守あげ兼ねて
441Mはその中の生き残りだったのだね
とはいえ圧倒的に本数に勝る上野よりも新宿の方に夜行が残ってしまうとは思わなかった 18シーズン以外に大型連休の設定もあるから、根強い需要はあるんだろう。
逆に多方面に設定可能な上野発のムーンライトがないのが不思議。 >>543
今、上野発長岡行きの夜行の普通列車走らせたら需要あるかな? >>544 最近、瀬夜行が運転されなくなった位だから、谷川岳など上越国境の山に夜行列車で行くような客は非常に少なくなっている。
需要ないと思う。 高速バスの深夜2時台、3時台に停まるバス停でも降りる人はいるから
そういう人達が乗ってくれるなら需要がないとは言えないと思うけど
夜行列車埋めるほどいるかというといないと思う 急行津軽は最初に東北線経由だったんだけど
旧南部藩領内の岩手県議会議員がそんな
名前の列車をわが南部に通すなんて我らが
相馬大作公が許さんとか言って奥羽本線経由
になったんだよな。んだけど南部にも
急行がいるってんで出来たのが八甲田。 本来は乗客が喜ぶっていうんで
旧国名称を特急に付けようとしたのが
大昔からの地域同士の感情的なしこり
が残っていて揉めるから特急には無難な
名称、はつかり みちのく ひばり など
付けるようにして、旧国名は格下の
急行につけるようにした、と まだ昭和二、三十年代までは東北では
江戸時代かよ?ってな事が沢山あった。
村単位での水田部落同士の水争いとか
あったし、源平合戦以来の平家の落人部落が山奥にそのまま残ってた。本当の意味で明治維新
以降の近代日本の恩恵を受けられるように
なったのは戦後からで、人の往来のために
上野発着の特急急行が果たす役割は極めて大きかった。まだ高速もろくに通ってない、国道だって片道一車線の下手すると砂利道。 >>548
>旧国名称を特急に付けようとした
具体的に旧国名って何?
陸奥号とか出羽号? うん。ただ旧国名だとトラブル可能性があるんで薄めて地域の名勝とか、地域に関わるけれど無難な名称が多く使われようになった。男鹿、鳥海、ばんだい、陸中などなど。
あと東北人は普段我慢してるのを酔っ払うと
絡んで暴れるのがレクリエーションなとこが
あって、急行津軽で鉢合わせた青森まで行く
南部出身者と津軽出身者とで酒が進むと
騒ぎはじめるので車掌はヒヤヒヤしてたらしい。方言が全然違うからお互いすぐ分かる。 まあそうは言ってもだいたいお互いの親戚
親族の誰かが向こう側にいたりするもんなんだけどね。
関係ないけど津軽では、ダメ、というのをマイネと言うんだけど鉄な俺的には、マイネ40
とか思い出していい客車だよなとか思ったりする。 あと津軽地方で一番関東への出稼ぎが多かったのが昭和49年。新幹線開業までは程遠く、
出稼ぎと集団就職の帰省で上野が盆や正月
ごった返すのも無理のない話。
ちなみにまだこの頃までは東北各地でペルーや
ブラジルなどへの移民する人たちがいた。
津軽はリンゴ栽培でそこそこよかったけど、
稲作のろくに出来ない山間部の次男などは
海外に活路を見出すしかなかったりした。 昭和30年代40年代で津軽から農家が出稼ぎ
せねばマイネだった一番大きな理由は、
農業機械で大借金抱えてるからそれを返済
するための現金稼ぐためだったんだね。
あとは東京の人が使ってるような電気製品とか
手に入れるため。さらに昔の昭和初期や20年代位までは、機械によらず、人手が沢山必要だったんで、出稼ぎって多くなかった。さらに昔明治では出稼ぎは北海道方面のニシン漁が主。
東京に方に行くと言うと子供の丁稚奉公で
人身売買に近いこともあった。 >>551
陸奥号とか出羽号でなんでトラブルんだ?
そんな要素じゃん >>1
10月7日は、ダイヤ改正後最初の飛び石連休の土曜日だったので、多数の臨時列車も出たわけだw 妄想たれながすボケ老人でしょ。津軽、前身の401列車から奥羽線経由なんだから >>557
だと思って問い質してるんだけど
まともに答えてくれないのがね
>うん。ただ旧国名だとトラブル可能性があるんで薄めて地域の名勝とか、地域に関わるけれど無難な名称が多く使われようになった。
>男鹿、鳥海、ばんだい、陸中などなど。
これ滅茶苦茶なこと言ってるの気付いてるかな? 津軽と南部の特殊要因ね
「津軽号が南部を経由することに、当地民の嫌な思いがあるから奥羽経由列車に当てた」
みたいな話は、噂として広まることが昔よくあったとは言える
東北のそのほかの地域では旧国名愛称が反発食らうようなとこは無さそうだし
生来無粋な国鉄が気を配るラインはその津軽南部程度が限界だろう >>559
東北の旧国名が何だったかちゃんと調べてみな
おおまかに陸奥、出羽→陸奥、陸中、陸前、岩代、磐城というのが東北地方の旧国名
津軽と南部は地域名、藩名だ
旧国名じゃない
逆に陸中は旧国名
極々基本的な知識もない人が妄想垂れ流しても意味ないでしょ 知識ないから津軽は最初は東北経由とかいってるんでしょ
まぁその1行しか読んでないんだけど >>561
岩手県経由は論外だけど
愛称ベースで見た場合、津軽は上野-青森(羽越本線経由)が最初だな
列車系統ベースで見れば401列車から奥羽線経由で合ってるけど
この場合の列車系統自体が奥羽本線経由急行な訳だから意味がない >>545
>>546
東武で尾瀬夜行走ってなかった? >>564
むかーし走ってたね。接続する深夜バスもあった気がす。 急行津軽、出稼ぎや集団就職の帰省っていうのが一つの情緒を生み出して
たんだろうけど、バブル経済とその余韻ですこし良い時期はあったけど、
未だに愛知県のトヨタへの出稼ぎとか厳しさは続いてるんだよなあ。
今後ますます厳しくなるかもしれないし 東武の尾瀬夜行が存続しているのは、高速道路が会津高原まで通じてないからではなかな。
上越線の場合、沼田でバスに乗り換えて、会津高原からのルートと同じくらいの距離を行くわけだが、沼田まで高速道路がある。
東京から高速道路経由のツアーバスで行っても、鉄道利用の場合とそんなに時間が変わらないわけで。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています