北丹鉄道
経営難で、車両の修理も線路の保守もままならなかった小私鉄 乗ったこともないのに何故か郷愁を感じる私鉄
廃線跡歩きを何度敢行したかw >>107
揺れる現象はそこそこスピードが出てないと生じないと思うが、
この線はノロいことで有名だったんだよね? >>114
加悦鉄道と一緒で全線制限25キロ、全線警戒信号現示みたいなもんだったよ それでも鉄道を利用したい人のニーズがあったんだよね そのニーズが私企業の経営を維持できる水準に達しているかというと、、、、
難しいね。交通政策は。 少し前だがNHK京都で廃線日の様子の映像が流れてたな
セレモニーを見に来てたお爺さんが「いつ潰れてもおかしくないのにようここまでもった」と
笑いながらインタビューに答えてたw 鉄ピク誌で初めて知った時は、岡本太郎みたいに「何だこれは!」と驚いた鉄道でした。 ヘロヘロの線路に、バラスト殆ど見えず(と言うか、無い!)の道床。
殆ど貨車移動機の機関車が、南海のお下がりのタマゴ型客車を牽引、コケそうなほど派手にローリングしながら川っぷちを行く…
もうあんな鉄道は二度とお目にかかれないだろうなぁ… 市の郷土資料館みたいな施設で北丹を調べる機会があって
さすがに事故はないものの運休は大雨でなく小雨のときでも頻繁にあったとか
通学で北丹を利用していた学生さんは定期代がもったいないと
いつも思っていたとかそんなエピソードが分かりました。
前の方で投稿されていたように、鉄道としての体裁をなしてないにもかかわらず
そこまでして鉄道を維持してたのは
ただただ国に買い取ってもらいたいという熱意?の裏返しであったとか >>125
話が脱線するが、ウヤの時でも休校にならなかったら、
定期通学してる子は勉強が遅れるわな?
勉強が遅れた責任を鉄道会社は取れないし、
どうなってたんだろ 明智光秀ブームで福知山が注目されてるってのにコロナが足引っ張ってくれたな >>128
だから休校にしたんでしょ
ストの時と同じよ 70年代まで生き残ってたのにカラー写真が意外に少ない
気に留める人が少なかったのかな お目当ての車両が撮りやすい場所に停まってるか分からないよ 毎年赤字でどうやって経営つづけてられたんだろ?
副業で補えてたの?
まさか、裏の仕事なんてないよねw 北丹は知らないがお隣の加悦鉄道は所有する広大な用地を貸地にして賃料を取っていた。
貸駐車場、貸倉庫、貸農園。
田舎だから高単価は望めなくても量で稼げてた。
北丹は由良川河川敷を間借りして線路を敷いてた有り様なので
持った土地も少なかったのだろうか。 バスタクシートラックコンビニスーパー霊感商法ウーバーイーツ 北丹もそれなりに用地は持っていたのではないの?
知らんけどw もちろん線路用地は持ってたさ
廃止後は無用の長物となったけど 会社を清算するときに負債はどうやって処理したんだろ
土地やら車両やら、あるにはあるが二束三文なんでしょ >>155
規模が小さいから何人も居ないだろうけど
46年の休止時に全員首?、49年まで在籍者が居た?
もしかすると京都交通が拾ってくれたかもしれない レールの曲げ加工が出来なかったんで
短く切って角度をつけて並べたんだな 違う。短尺レールはもともとこの長さ。
レールはもともと直線に戻りやすいところに加えて繋ぎ目が多いこと、犬釘が抜けて自由に動くことから多角形になった。
どちらかというと朽ちて役立たずになった枕木のせい。 マクラギが最初に逝くよな
保存車両でも木マクラギのところはそれで傾く
関ロッジのナハネがそれ その京都交通も紆余曲折があり…
運輸業って大変だね 大変。
自動運転が鉄道や自動車に実用化されたら少しは変わってくるだろうが、どうなるかね。 自動運転が実現してもお客さんが使ってくれなければ商売にはならん
過疎地では鉄道・バスは生き残れない 保線する費用さえ捻出できないのは、財源が無いつまり運賃が安過ぎたためでは?