【大元】岡山臨港鉄道について語ろう【岡山港】
昭和59年に惜しまれつつも廃止された岡山臨港鉄道について語りませんか? 開業も廃線も昭和の路線って、意外と珍しいと思うのだが、岡臨以外にある? >>186 都電板橋線、赤羽線、小松川線、北海道拓殖鉄道、国鉄美幸線、羽幌線、白糠線・・その他にも色々あるだろうけど。 国鉄路線、簡易軌道等除き思い浮かんだのは
天塩鉄道(1941〜1967)
姫路市営モノレール
ドリーム交通
他にも昭和初期開業の私鉄とかにありそうだが思い浮かんだのはこれだけ 北海道の国鉄ローカル線、瀬棚、松前、広尾、興浜南・北、他にもあるだろうが、いずれも部分開業含め昭和時代に開業し平成以前に廃止。 >>187
日中線、清水港線、赤谷線、魚沼線、勝田線、妻線、大隅線、相模線西寒川支線、その他多数 >>188
ドリーム交通モノレール大船線の路線廃止は2003年
【廃止時の概要】
事業者:ドリーム開発株式会社(株式会社ダイエー100%出資)
路線名:ドリームランド線(大船〜ドリームランド 5.3km)
方式 :磁気浮上鉄道(HSST方式)
【沿革】
開業:1966年5月2日
運行休止:1967年9月24日
正式休止:1967年9月27日
廃止:2003年9月18日
ドリーム交通は1982年に解散したけど大船線自体は
管理会社のドリーム開発が継承、引き続き運行再開を模索するも
親会社ダイエー破綻により頓挫、結局は廃止により施設解体 岡臨なつかしい。
短区間だが、末期は元夕張の転クロ車(ただし非冷房車)が入っていた。 所詮引き込み線だから難しかったと思うよ。
これが岡山に電化直通をしていれば、通勤路線にでもなったかな。 岡山まで直通していても、臨港鉄道大元駅周辺の高架化は難しかっただろう。
その時点で廃線になっていたかも。 夕張からのキハは何度も拝ませていただきました
江若の流線型よりも好きでした もと夕張はこれぞザ・湘南だから、テツの道に深入りすると物足りなくなり、江若の方に興味が向く もと江若で ごろっとしたかんじで正面は大変ブサイクなのがいた 更新でああなったらしい 鉄コレ22弾で製品化されてたなキハ5001
やはり江若から転入したキハ5002と元は同型で、更新後が恐ろしくブサイクだったにも関わらず、実車も廃線後保存されたものの結局解体されて姿を消したようだが >>166
バイクよりも自転車通学が増えたのも大きな原因。
自転車通学なら列車の時間を気にしなくてもいいからな。
しかも岡山は雨の日も少ないから自転車通学に適してるし。 59.2のダイヤ改正でも貨物が残ったから生き残れると思ったら翌年大元駅の貨物取扱が廃止であっさり廃業してしまった、国鉄直通だったらもう少し生き延びてたかも。 >>212
RMライブラリー「岡山臨港鐵道」にその辺りの話が記載されているけど、本当かどうかは知らん。
堂々と間違った事が書いてあるから。 ずっーと赤字経営だったでしょ
よく耐えたよ
褒めてあげたい あったかどうか知らないけど、欠損補助程度では焼け石に水なんだよ 欠損補助だけでは足りないなんて言われてもなあー
施設や車両の維持・更新の費用まで公費で面倒見ると
もはや民間企業じゃなくなるよな 両備が小豆島へのルートとして買収すればよかったけど >>219
江若から2両買ったが、お直しされなかったほうはほとんど使われてなかったらしい お直しした方が第三の職場に行けなかったのが残念
片上や水島に引き取ってもらうのは無理か。 あれは更新されてたとは言え、戦前製でそもそも一両だけだったからな
てか廃線時は国鉄はキハ20系が廃車進行中だからキハ20系の方が両数揃うし
実際2年足らずで水島にはキハ20系入り始まったし >>223
理想はそうだけど江若時代にかなり大きな修繕をしてそれでも江若の技術者があまり長持ちせんだろう、と見切られてたので第三の職場でもどのみち長生きは無理だったのかなと デザイン的にあまりにも酷すぎた
センスを疑うレベル
フロントも直すべきだった もう40年ほど前になるが帰宅する経路に大元駅の踏切があって上りの寝台特急瀬戸の通過待ちによく引っかかった。瀬戸に前後して臨港鉄道の通過もあると横断幕のような遮断器が降りっぱなしでクルマの列ができていた。 >>229
踏切の両端に鉄柱が立っていて水平に張られたワイヤーが上下する仕組みだった。踏切脇に小屋があって係員がいたような記憶もある。 >>227
デザインは二の次
運転士から不評の嵐だった正面窓周りはHゴム支持化ですっきりし
運転環境の改善が実現したとの子と 水切りが無いうえにワイパーが非力だから強雨の日は大変だったとしから ワイパー非力ってどゆこと
大雨で動きが遅くなるの?