懐かしの北陸本線
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
北陸トンネルはハピラインふくいになって特急なくなってダイヤがスカスカになったから、探検ツアーできそうじゃない?
入口から出口まで歩きたい人結構いそう 北陸本線に乗ったときは寝台車改造の普通列車だった。 西日本・本州で一番短いJR本線になってしまった北陸本線沿線自治体は2県(3市)
滋賀県米原市 米原~坂田 2駅のみ
滋賀県長浜市 田村~近江塩津~深坂峠付近の県境 物凄く長い
福井県敦賀市 深坂峠付近の県境~新疋田~敦賀 2駅のみ >>935
滋賀県議会で敦賀~米原の新幹線整備に議題上がったそうだ
そうなると北陸本線消滅の可能性あり
JR東海管轄になるわけ無いし 今日は22日
白鳥が国鉄色ボンネットにカムバック
ほくほく線開業はくたかデビューと明るい話題だった
平成9年3月22日改正 ほくほく線経由のはくたかで全然よかったのになあ。長野五輪さえ無ければなあ。 北陸特集だったんで 鉄道ピクトリアル 久しぶりに買ったんだが エラい高くなったんだな。
いくら増大号とはいえ もう少し安かったよな。 それに本そのものが売れない
ネット時代の中で出版業も大変だと痛感させらせる >>940
貨物なんて「深夜にトンネルでウォーキングイベントやるから手前の駅で待ってて。」の一言でOK >>947
日本海縦貫線は大動脈だからそれは出来ない >>947
よそでもそういう前例ないでしょ
つまり、そういうこと >>943
ハゲ同意
埼玉県某市に住んでいるんだけど、熊谷には北陸新幹線は停まらないから上越新幹線で
大宮か高崎に出るしかなく、それをやると始発のかがやき以外は大して到達時分は変わらない。
せいぜい1時間遅く出られる程度で、金沢着の例では在来線はくたか時代と大差ないよ。 >>951
いや、それはズレてる
947の脳内は鉄道会社の主催で
その主催側がJRFへ実施を伝えればいい、
って話をしてるんでしょ
勝手団体の不法侵入の話しではなくて 一応言っとくけど俺自身の見解は>>949
どのみち営業線だからムリって見解 加賀温泉駅、「加賀温泉」っていう名の温泉があると勘違いする人もいるらしい。
少し前に書かれていたけど「加賀温泉総合駅」って名前にするわけにもいかなかっただろうし、駅名は何かと難しい…
でも、今の時代にネーミングされていたら、軽〜いノリで「セントラルスパターミナルかが」なんて言い出す奴もいそうだと思った 今の時代の改称だったら 加賀さくみ とかになってそうだよなw 万座・鹿沢口みたいに、山中・山代・片山津温泉口とか。
でも、温泉名の順序で揉めそう。 だから外来者はそのニュアンスを知ってる人ばかりではないって話よ >>956
粟津をお忘れなく。
この手の事でとにかく揉めてきた歴史があるからね… 今、駅前食堂なんてほぼ絶滅したんだろうけど、以前、動橋とか小松の駅前には確かにあって、関西系の味のカツ丼とか、学生ラーメン100円ナリとか、懐かしく思い出す。
特に前者はやさしい味わいだった。関東の、ともするとしょっぱさも甘さも同時に濃い味とは対極にあった。
小松の駅周辺も激変したな…
尾小屋鉄道だの北鉄小松線だのが出ていた時代からは隔世の感がある。 0番線ってなんか怖いイメージがある。
でも金沢駅の
0A番線0B番線はそれほど怖くなかった。 >>961
動橋はかつて片山津温泉への玄関口だったから関西からの客が多かったからな
今のように地元利用専用のローカル駅ではない時代だったし 富山駅前の子馬に入って死にそうになった
並盛りであんなにあるとは… >>963
1964年の時刻表によると、特急白鳥は、青森発の上り2002Dが動橋に停車して大聖寺を通過、大阪発の下り2001Dが大聖寺に停車して動橋を通過となっているね
なんともややこしい
これでは埒があかんと中間の作見駅を加賀温泉駅にして、全ての優等列車を停めるようにしたのは、ここでも何度か語られてきた通り
大聖寺も動橋も喧嘩両成敗の末、ただのローカル駅に落ちてしまった >>966
その問題が上手く解決していたら、北陸鉄道は現存とは言わないが
延命してただろうか。でもその頃の北鉄は鉄軌道にやる気がなくて
バスに変換したがっていたからな >>966
その特急白鳥の停車駅
青森行
京都・米原・敦賀・福井・大聖寺・金沢・高岡・富山・直江津・
長岡・新津・鶴岡・酒田・秋田・東能代・大館・弘前・青森
大阪行
弘前・大館・東能代・秋田・酒田・鶴岡・新津・長岡・
直江津・富山・高岡・金沢・動橋・福井・敦賀・米原・京都・大阪
富山〜直江津がノンストップなのを見れば、福井〜金沢ノンストップもあり得るところを
上下に分かれてとはいえ大聖寺・動橋停車ということは如何に格が高かったことか!!! >>968
北陸地区は全県二駅停車ってことで話がついてたから その理屈でいくと 富山 高岡 福井 敦賀 は良いとして 石川県は金沢と あと一つ 確かに揉めそう。 新幹線開業後、敦賀から金沢まで普通列車に乗った。
特急がいなくなった分通過待ちがなくなり所要時間は大分短くなった。
ところが一回だけ通過待ちがあった。貨物列車だった。 >>967
元々、石川県内の各地に点在していた小私鉄を戦時統合したのが北陸鉄道だったからね
だからコストが分散して効率が悪く、管理が難しかった上、労使関係が半端なく悪かった
鉄道線は延長距離こそ150キロにも及び、県内の交通体系を独占していたが、多くは馬車軌道などに端を発する、脆弱かつ短距離の路線だった
現在、北陸鉄道バスの多くが分社化され、まるで統合前の体制に戻っているかのよう
先述の事情から、一周回って元に戻ったようなものだろうね >>968
大聖寺と動橋だけが上り下りで異なり、他の停車駅は全て一緒
この事が、いかに歪な話であったか…
>>971のように、正解は小松だったと思うけど、加賀温泉郷四湯は黙っていなかっただろう
加南線がせめて小松に接続していたら違ったかもしれないけど、そういう構想は全くなかったし… >>974
まあでもほかを探せば城崎と豊岡もあったし 準急・急行たくさん有ったのだから温泉地は急行と準急で間に合ったと思う >>977
1961年10月に登場した時の白鳥は、関西〜北海道の到達時間短縮のため。
何とかして日付の変わらないうちに終着駅に着きたいという時間設定だった。
大阪(8:05)→青森(23:50)・・・・・函館(4:35)、函館(0:15)・・・・・青森(5:20)→大阪(21:12)
これだと大聖寺に着くのは昼前の11時半頃で、動橋を出るのは夕方の17時半頃だから
関西からの温泉客が利用するのには使いづらい時間帯になる。
>>976
準急ゆのくには、大阪発10時で大聖寺〜粟津が15時〜15時半頃、
急行立山は大阪発が12時半頃で大聖寺が17時頃(動橋〜粟津はその少し後)。
帰路は、ゆのくにが粟津〜大聖寺11時頃の大阪着16時半。立山は14時半頃発の大阪着20時前。
まさしく、「ゆのくに」がその名の通り関西からの温泉客を当て込んだ時間設定になっている。
なお、準急・急行はたくさんなかった模様
http://blog.livedoor.jp/railart/archives/4158355.html
>準急「ゆのくに」「加賀」と急行「立山」・・・
これがこの時代に日中運転で大阪から設定されている北陸方面への優等列車の全てです。 大阪805→京都838→米原927→敦賀1003→福井1106/1108→大聖寺1137→金沢1216/1219→高岡1253→富山1311/1314→直江津1506
直江津1506/1510→長野1636/1638→軽井沢1803→横川1847→高崎1915/1917→上野2035
直江津1506/1509→長岡1617→新津1658/1701→鶴岡1904→酒田1928/1930→秋田2059/2102→大館2234→弘前2315→青森2350
青森520→弘前555→大館637→秋田807/810→酒田939/941→鶴岡1006→新津1207/1210→長岡1254→直江津1401
上野850→高崎1006/1008→横川1043→軽井沢1128→長野1235/1237→直江津1354
直江津1406→富山1602/1605→高岡1623→金沢1659/1702→動橋1735→福井1811/1812→敦賀1912→米原1954→京都2042→大阪2112 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。