●寝台急行「新星」(上野ー仙台23:41発)
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仙台発上野逝きは21:55より寝台ご利用になれます。 こんな不経済極まりない
優等列車が走ってたんだから
昔の鉄道趣味は良かったなあ・・・ >>3
昔は飛行機もないし、新幹線もなかったんだぞー。
それこそ、大垣夜行のような上野発一関行夜行鈍行もあったけど、
(EF57で走っていた旧型客車)
ゆっくり横になりたい乗客には寝台急行「新星」を使ったと思われ >>2
20系の前は、旧客寝台車(座席車なし)のフル編成って知ってた?
おっちゃんはその頃、オロネ10での〜んびり仙台を往復してたんだぞぉ
「だからどうした」って思うか、「いいなぁ〜」って思うかは、あなた次第です。 >>5
そういや、仙台市ガス局にあった解体された3等寝台車がもったいない。
もし、もうちょっと早く大宮博物館が出来ていれば確実に収容されていたのに・・・ 特急北星
急行新星
急行十和田
急行津軽
急行八甲田
急行男鹿
急行天の川
特急ゆうづる
特急あけぼの
あと忘れた 北星はワサフが付いてたけど、新星はどうだったかなあ。 高速バスの需要があるんだから
料金次第では夜行列車もまだまだ活躍できると
思うけど・・。 >>4
>昔は飛行機もない
全日空が羽田〜仙台を飛ばしていた。 >>10
前に総合板の「なつかしの東北夜行」スレで
上野〜仙台間に「ムーンライト」タイプの列車を設定して
夜行だけでは車両がもったいないから昼行も数往復セットで・・・と提案したら
散々反対されてしまいました。
たしかに高速バスは車両1台と運転士1〜2人確保できればなんとかなるが
鉄道の場合それだけじゃないからなー。
いやー懐かしいです!!当時小学6年生だった私は、同じく鉄ちゃんの中学生だった兄と新星見たさに夜中に出かけました。帰って来て父親にこっぴどく怒られたのを覚えてます。 早めにホームに入ってきて寝られるのが便利でしたね
「ひばり」よりも「新星」のほうに乗った回数のほうが多いです >>5
旧客時代の上野口のカマはEF57だったよね 新星に乗れた人は、今で言うところの勝ち組の人でした。 あの銀色の客車は、新聞輸送のためのものだったのか。
なんとなく、鮮魚を運んでいるように思い込んでいた。 >>12
K太郎扱いされるぞ・・・確かに分かるけど、
一番の問題は18族の締め出し。
18族が乗るばかりで一般客が0だと大損になるから。
だからと言って、急行だと高速バスが優位になる。 >>17
ワサフ8000もあったのか?
東北筋はスニ41だけかと思ってたわ。 >>15
新星20系化からEF57全廃時までEF57が20系の新星を引いていたこともある ホームにぶら下がっていたプラスティック製の札に
萌えた・・・。
ピンク色で「急行くりこま1号車乗車口」とか書いてるヤツ。 北星じゃなくて?
短い期間だけどワサフがついてたけど。青いやつね。 下りは仙台で7:00まで寝台がご利用になれます、だったっけ?
7:00といえば韋駄天急行くりこま1号の出発時刻。 >>26
ナシ20自体はあったけど、急行に格下げされた20系では使われなかったと言うこと
ここは急行新星のスレだろ? >>30
そいつは食堂車スレや151系スレに沸いた池沼だから相手にすな テレビ朝日系・「土曜ワイド劇場」
西村京太郎トラベルミステリー51『上野駅13番線ホーム』
(原作)西村京太郎「上野駅13番線ホーム」(光文社刊)
(脚本)篠崎好
(監督)村川透
(出演)十津川省三警部…高橋英樹
江川麻里…小沢真珠
本田剛…金子賢
西本刑事…森本レオ
北条早苗刑事…山村紅葉
相沢優子…小嶺麗奈
小池康子…神保美喜
小池慎太郎…団時朗
伊藤弁護士…志村東吾
戸塚みゆき…岡田薫
亀井定夫刑事…愛川欽也
(放送日時)2009年1月10日(土)夜21:00〜22:51
(制作)/tv asahi
東映 「新星」といえばナハネフ23を思い出しちゃう。
そういえば当時時々「しんせい」吸ってたっけ。 東京スカイツリーの立地は最強だ!
★東武伊勢崎線 押上駅 直結
★都営浅草線 押上駅 直結
★東京メトロ半蔵門線 押上駅 直結
★京成押上線 押上駅 直結
★東武伊勢崎線 業平橋駅 直結
上記「5路線が集結する」スーパークロスジャンクションの真上にそびえ建つ。
この立地の素晴らしさは、新宿駅や池袋駅に直結する百貨店に匹敵する。
今の東京タワーよりもはるかに立地は良い。
古くからの江戸市街地にもごく至近だ。
国際観光都市、浅草からもわすか1km!徒歩15分以内で散歩がてらで行ける。
★東武伊勢崎線 浅草駅 徒歩
★東京メトロ銀座線 浅草駅 徒歩
★都営地下鉄浅草線 浅草駅 徒歩
こんなスーパー凄い立地に建てられるのに、なぜか辺鄙なところだと思われているのが不思議だ。
★JR総武快速線錦糸町駅 徒歩
★JR総武緩行線錦糸町駅 徒歩
★東京メトロ半蔵門線錦糸町駅 徒歩
半蔵門線で錦糸町からも一駅。歩いても1.4km徒歩20分だ。
三越前や大手町・渋谷からも乗り換えなし!
都営浅草線なら日本橋や東京駅(宝町)や銀座や新橋や浜松町(大門)からも
一本で行ける。
想像を絶する観光名所になるのは間違いない。
79年4月2日上野発の1101レに乗った。確か5号車のナハネ20 350。
その前の53.10改正で上野発は23:42になってた。
当然ながらEF57は既に全廃。20系化当初使われてたナハネフ21も引退済み。
赤カマも、期待してたED71じゃなくて75。
その後仙台からキハ26で山形に向かったが、仙台で陸前高田行き客レのスハ32を初めて見て関心した記憶がある。 1101レ 今はもう終焉間近の75がまだまだ本線の主役として君臨していた時代
かれこれ30年近く前になる・・・(長)の区名札も凛々しく20系の先頭に立つ
姿を幾度となく見送った。ニコンFE 50ミリF1・8 当時の愛機で捉えた
のだった・・・・ 昴って名前の列車もあってもよさそうなのに。
実際に天体名を使った列車は、
北斗星 カシオペア 彗星 金星 天の川 銀河 明星 新星
あと何がある? 北星(実際には北極星のことを指している?)
明星・あけぼの・あかつき(天体名というより天文現象)
>>48
ひらがな表記の「すばる」なら銀河の兄弟列車として東京ー大阪間で存在してたよ A寝台の写真を撮ろうと新星の車内に入ったら、車掌のおっさんに
「勝手にグリーンさ入んねでけろ」とごしゃかれました。
なつかしい中3の夜。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
仙台駅では、仙山線用の「7番線」出発だったよね?しかもED71。
当時売れっ子だった「さとう宗幸」が昼の東北放送のラジオで「今晩
の新星で、明日は東京で仕事」と言っていたのを思いだす。 いい時代だったんだね。
今なら仮に列車があってもセキュリティの面からとても言えんわな、開放式の寝台で移動しますなんて。 32年前都内某駅に勤務していたが、ほぼ毎日(1交勤務なので正確には明けの日)D券の着札があったな。お客さんは確か出張風が多かったと記憶している。 >>58
無かったですね、「急行」とだけ表示されてた。 1970年3月末の春休みに乗りました。
ただし、新星という名前はついていなくて、名無しの寝台急行(仙台発上野行)
だったと思う。仙台発が23時すぎ。21時過ぎから乗車できたと思います。
亘理20時台の鈍行に乗り仙台直前で乗り継ぎの放送がありましたが、方向が逆ですので
お目当ての寝台急行の放送はなく、その代わり
『各駅停車の寝台列車青森行き0時30分、1番線』という放送が記憶に残っています。
朝起きたら大宮。小学生の自分の知識だと、浦和があって蕨があって川口があるはず・・・・。
ところが次が赤羽。県庁所在地の通過が理解できなかった自分でした。 東京に本社がある会社の仙台の工場にながく勤務していました。本社出張といえば
行きは「新星」利用があたりまえ、帰りは仕事が早く終われば、上野を1600過ぎに
出る「ひばり」、遅くなると帰りも「新星」でした。あの3段ハネには今思うと
何回乗ったかわかりません。何かまた乗ってみたい気もします。
「新星」ができるまえは、「北星」盛岡始発のこの急行に、3両程度の仙台回転車
がついたこともあり、さらにその前は青森始発の「おいらせ」に2両のハネの仙台
回転車がついていました。 >>48
「月光」「夕月」というのならば、あったのだが…
ところで「新星」は、盛岡行きの寝台特急「北星」と共通運用じゃあなかったんだよね? >>64 ライバルは東北急行?
61です。東北急行のバスもあることはありましたが、当時はまだ高速道がなく、
国道4号を9時間近くもかかって走っている始末、ライバル以前という存在で
した。 >>65
ありがとうございます。>64です。東北急行はライバル以前でしたか。
たしかに当時の夜行バスはトイレも3列シートも無かったでしょうしね。
やはり横になってぐっすり眠れるのは大きなメリットですね。 1982年6月改正の寝台急行「新星」
仙台では寝台を21時30分から使用できます
仙台発23:22 白石発23:59 福島発0:43
郡山発1:37 黒磯発2:57 宇都宮発3:53
大宮発5:07 赤羽発5:23 上野着5:36 13番線 1982年6月改正の寝台急行「新星」 下り
上野入線23:25 13番線 上野発23:42
大宮発0:08 宇都宮発1:28 黒磯発2:21
郡山発3:26 福島発4:12 白石発5:14
仙台着5:57 仙台は早々と入線するのに、上野はそうもいかない。やはり神聖なるホームを
新星でふさぐのはまかりならんという事だろう。
という「ブルートレイン大百科」の解説で爆笑した当時小学生の俺。 新星といえば、こんなことがあった。2230頃乗車するとオッサンたちが集まって
大酒盛りの最中、寝台と寝台の間に一升瓶を立てて、すでにかなり出来上がって
いるようす。私は早々に上段に避難したのですが、車掌が回ってきた時だけは静
かになるものの、またすぐ大盛り上がりという始末。
朝、上野近くなっておりてゆくと、あたりはまだ酒くさく、一升瓶が2本転がっ
ていた。こちらは睡眠不足でその日一日中頭痛という有様でした。 八甲田だと
新聞紙でくるんだ「毛がに」をおもむろに
開いて食べ始める。 新星懐かしいですね。
小学生の時に初めて乗せてもらった寝台列車です。
ところで、八甲田では廊下に新聞紙敷いて寝てましたなあ。 衆院選、民主勝利後の最悪シナリオ
民主が国政第一党になる
↓
公明「外国人参政権などの党としての本懐で民主党と一致した」
民主、公明の連立政権成立
↓
国政での外国人参政権が成立
国政選挙で民主、公明、社民更なる躍進
↓
人権擁護法が与党の賛成多数により成立
行政、在日朝鮮人、中国人、宗教法人を批判すると罰せられる様になる
↓
国籍法の更なる緩和
日本国籍と生活保護資格だけ持つ、日本人の血が一滴も入ってない中国人が急増
↓
在日朝鮮系、中国人系の国会議員も出現
親中国の自民議員が民主に寝返る
自民党完全無力化、または解散消滅
↓
日本乗っ取り完了
「民主党の正体」 「ミコスマ」 「韓国は“なぜ”反日か?」で検索 当時の「新星」と電車急行は、今の表現で言うところの格差社会そのものでしたね。 今も「北陸」と「能登」という例はあるが、「北陸」のB寝台が割り引き切符で乗れるから
価格差は小さい。
>>78
急行きたぐにとはまなすのことですね、分かります >>80
違うだろ。
ちょっと前の「銀河」と「ながら」では?
むかし「出羽」ってあったよな。
陸羽西線経由で酒田行くの。 >>86
上り 仙台0:00前後発 → 上野5時台到着
下り 上野23時台発のやつは仙台で客扱いしてなかった気がする。1・3号は客扱いしてたけど(0時台) 上り:ゆうづる2号青森18:45→仙台23:50頃→上野5:41
下り:ゆうづる5号上野23:12→仙台4:28頃→青森9:55
というのを覚えている。いずれも性感トンネル開通目前の頃のダイヤで、ツインデラックスが連結されていた。
583系だとゆうづる1号上野19:50→仙台0:23頃→青森5:08
上りははくつる4号が青森23:55→仙台4:30前後→上野9:17だった。
はくつる4号とゆうづる5号は仙台で交換したのを覚えている。 サンライズゆうづる
上野21:35→水戸22:40→いわき23:45→青森6:20→函館8:00
サンライズあけぼの
上野22:35→大宮22:55→高崎23:55→秋田6:35→青森8:45
サンライズ北陸
上野23:55→大宮0:15→富山5:15→金沢5:55
サンライズひたち
上野0:00→水戸1:05→いわき2:10→腹の町3:15→仙台4:20 こないだ、次の日が休みのとき、たまたま企画で行き詰まっていて、彼女ともうまくいっていなかったので、自分の車で寝台急行新星をやってみた。
23:25にマンションのガレージに入線し、23:42出発。
道中のコンビニやドライブインを大宮、宇都宮、黒磯、郡山、福島、白石に見立てて、目的地の伊豆の海(仙台)に着いたのはちょうど6:00前。
くだらなさに吹いたw
因みに出発地はどこだったのよ?都内辺りか? 大河原−船岡の白石川堤桜並木と下り新星の組み合わせは、夜明けぎりぎりで撮れたのでしょうな。
どこかの書籍に、新星を牽引したED75の面が日の出による順光でオレンジ色に染まって大河原−船岡で走行するシーンが載っていた。
4月の日の出の時刻は、5時15分前後と思われる
が、はくつる4号はどうだろうか?
どこかのオレカに、船岡城址の山頂から撮影した写真が載っており、はくつる4号らしき583系が側面だけ朝日を浴びて上野へ目指すシーンがある。
スレ違いかもしれんが
昭和40年代後半に東京〜仙台の長距離フェリー航路の計画があったなあ。
東北急行フェリーだったかな。
勿論、開設されても短命になったはず。 もろスレ違いだが、はくつる4号よりも性感開通直後の北斗星2号の方が早かったんだよね。
今はスピードダウンしたのが残念だけど、当初は上野仙台間だってスーパーひたちとそんなに大差ない所要時間だった。 >>95
それ、船の場合にはえらいロスじゃん・・・ http://www.tg-love-peace.com/index2.php
に一瞬切符うつるな。ミュージシャン目指して上京する時の。
寝台特急(急行)にはいろいろな物語がある・・・。 >>1
時刻表カッコ書きが思い出される。
ファンにとっても楽しい時代だった。 深夜の線路保守が大変だから寝台列車はいつしか全廃されてしまうのだろうね >>104
「駅員がしんどいから終電を早めます」をマジでやるような
総ゆとり時代だもんな 今でも公営地下鉄は深夜に従事させると残業代が嵩むから
終電を早くしようとしてるよ。 残業代の深夜加算って夜10時からでしょ?
いくらなんでも9時59分までに終電ってのは無理が有り過ぎるよなあ。
それ、本当に根拠のある話なのか?>>108 >>111
「日本一短い寝台列車」(オール寝台車という意味での)、じゃない?
夜行ってだけならもっと短いのがあるよ。
とりあえず俺は夜行信州とか中央東線の441Mなんかよく乗った。 自分の知っている範囲なら、寝台車を連結している定期列車で最短は、
門司港−長崎の「ながさき」だな。
急行なら名古屋−長野の「きそ」だと思った。
300kmに満たない短距離のものは、他にも「はやたま」「妙高」がある。
「新星」と同程度なら、「すずらん」「立山」「山陰」くらいかね。 書き込みした後に気付いたが、石勝線経由の「まりも」「おおぞら」も、300km台の短距離列車だったな。
ここ暫く遡って臨時列車も考えると、もっと短距離の寝台車連結の列車はいくつも挙げられる。
「エキスポドリーム」なんかはひと桁台の走行距離だし。 >>113-114
そう。座席主体の列車で「寝台車連結」ならいくつかあるんよ。
やっぱり「オール寝台車」なり「寝台車基本」(←座席車はごく一部
:583系とかナハ21連結のとか)では、「新星」より短いのはないよね。
え?「エキスポドリーム」?そりゃ反則技ですぜw 「はやたま」
そんなインスタントそばみたいな名前の列車があったですか からまつ はやたま さんいん ながさき
上記4つが寝台車付き各駅停車の列車でしたね 「はやたま」は昔から連結していた寝台車の指定券をマルスで全国発売するために愛称が付けられた。
当初は「南紀」という愛称だったが、名古屋−紀伊勝浦の特急新設に召し上げられたために、
「はやたま」と改称された。
ちなみに、「はやたま」とは、新宮市内にある「熊野速玉大社」から由来している。 で?
こんな板に来る奴らは誰でも知ってるよ
思い出や分析を加味して「語る」ならわかるが、
そういう風にデータだけ述べる奴って何?
他人と会話ができないのか? 最終日は「南紀」から「南紀」への乗り継ぎができたんだよな。
日付がかわった翌日には「南紀(くずれ)」を特急「南紀」が追い抜く場面もあった。
>>118 細かいことだが「さんいん」じゃなくて「山陰」な 「銀河」「新星」「天の川」の時代か。
懐かしいな。 寝台急行じゃないからな
「ゆうづる」や「北陸」とセットというイメージの方が強いな 時刻表の記号が、寝台特急のそれに対して「ネガポジ反転」的なのだった…。
この列車(「新星」)、急行でありながら大宮―宇都宮間ノンストップで、
当時急行は停車が前提だった小山を通過してたのが特徴的だった。
それに比べて、今日の「特急」の体たらくときたら…ってつい思う。 >>128
全寝台だったのである程度停車駅は絞ったんでしょうね。
その他に座席夜行の「あづま」や「いわて」なんかもあった訳ですし。
当時でも特急の格が下がって停車駅が多過ぎるなんて言われてたようですが、
今から見るとまだまだ特別急行って感じですね。
特に首都圏の特急停車駅が膨大に増えましたが、
特急=長距離移動手段から近距離移動用へと役割が変わってしまった事を示しているんでしょう。 1982年ごろ仙台で大地震があり、新星が高崎線の籠原駅に暫く停留してたよ。
そのまま廃止になったんだっけ?
まあ、俺が鉄ヲタを止めた頃だから余り記憶に無い。 >>133
正しい情報が何一つ無い書き込みというのも、ある意味稀少だな。 >>128
それでいて深夜の黒磯郡山福島に停車したのは「急行」という遠慮からだろう。
全然違う場所だけど昼行「急行」なのに旭川から札幌まですべてぶっ飛ばしたのもいたけどね。 確かに、例えば「北星」が特急化された際には、深夜の停車駅がごっそり削られた
から…。
ただ、当時高崎から赤羽までノンストップの急行「赤城」があったりで、
必ずしも「特急>急行」とは限らないようなとこもあったから、それなりに面白かったりもした。 急行は昼行と夜行は同じ愛称がほとんどやったから新星には寝台急行としての格を感じたな まあ利用客が少ないから廃止ってのも一つの流れなんだが
俺が乗った時期(最末期)は発駅時点で5人くらいしか乗ってなかった
感傷もなにもなかったね
名前がよくない。
そもそも、新星ってのは新しい星のことじゃなくて、死んだ恒星に主星からのガスが流れ込んで熱核融合して爆発する現象のこと。
超新星なんて名前付けたらそれこそ大変。巨大な星の最期の瞬間。 国鉄幹部にもそうした教養があればよかったのかな…。
しかし、幹部だと一応そこそこ以上の大学出なんじゃなかっただろうか?
まあ、名称の妥当性云々とか言い出すと、「北星」だって一体何なんだってことにはなるが。 一般の人にどういうイメージを喚起するかが問題なんだから、そんな細かい話はどうでもいいんだよ
そもそも、天文学で新星の原理が解き明かされたのが
急行新星の登場より後だからな
いくら教養があったって当時の最先端科学以上のことはわからんよ
わかってたら天文学者になれるわ >>1
(21:55より寝台をご利用になれます)の表記に憧れて、ご利用になってみたことがあります。
人影のほとんど無いホームに、10系寝台車を連ねて定刻にのっそりと現れた新星に乗り込んだのは自分ひとりだけでした。
コソとも音のしない誰もいない車内で1時間以上まったりし放題。
せっかくだからと横になったりしてみましたが、音のしない寝台車って、意外と眠れないんですよね^^;
そうこうしているうちに、ぽつぽつと乗客が集まって来て、定刻にゴトリと発車。
発車すると熟睡して、たちまち上野でした。
よき時代の思い出。 みなさんタバコの「しんせい」の立場も考えて下さい。
あれって今も売ってるの?
しかしなんで寝台急行にしたんだろうね。
座席車にして仙台版大垣夜行にすれば良かったのに。 そういえば季節列車の夜行「まつしま」もあったな
ttp://w01.tp1.jp/~a073009361/JIKOKU/exp77/matsushima.htm >>149
タバコの場合は、漢字表記だと「新生」
いまだに売ってますよ
昭和24年発売だから、時代の象徴みたいなもんかな >>154
>>155
新生党
宮沢改造内閣不信任決議案に賛成し、可決させた羽田派所属の国会議員
である羽田孜、小沢一郎らが1993年6月に自民党を離党して結成。
理念は「自立と共生」。政策は小沢の著書『日本改造計画』を踏襲したもの
で新保守主義的であり、結党宣言で「新しい保守主義」を標榜する。
非自民7党1会派による38年ぶりの政権交代を主導した。連立与党時代
(細川護煕内閣・羽田孜内閣)は公明党と共同歩調を取り、
「新生・公明グループ」・「一・一ライン」
(小沢一郎・市川雄一の名に因む)と呼ばれた。
1994年12月に新進党の結党に伴い解散。
この間たばこ専門店行ったらしんせいがあったので買ってみた
240円だったかな
昭和50年の値上げまでは30円だったと思った
フィルターがなく両切りなので100円ショップでフィルターを買って吸った
ちょっと辛いがまあ吸えない味ではなかった 仙台までって、寝付けてもすぐに起きなきゃいけなそう。 トイレはどうしてたのだろう?
新星発車後の仙台駅ホームの線路には・・・ >>163
「停車中は使用しないで下さい」と、ちゃんと書いてあった
しかし実際は・・・・・ 時間的に、当時の世相では出張帰りの酒盛りなんかもやっていただろうからそうなると使用頻度は余計に… 20系化された頃は循環式になってなかった?
もし違っていてもうんこしなければさほど問題にはなるまい。 女性専用車両を利用する男性客に暴挙謀略しまくりのおばさん
東急東横線より
http://www.youtube.com/watch?v=Jf0qxSGr7fs&list=PL1k4xaNSVVuMH4s3w1YOTynHcO6CM1cgp ラジオから、ビタースイートサンバの寂しげな音楽が流れてきた。
もう誰も起きていない。
こんな夜更かしができるのも今夜限りか。
長いようで短かった、ぼくの夏休み。 東北新幹線開業前の黒磯在住で当時小学校4年か5年生。
夜9時前に入場券買って黒磯駅で津軽とか八甲田あたりから撮影開始。
深夜2時過ぎの下り新星で撮影終了。
それから徒歩で自宅へ帰ったのだが、友達は途中警ら中のパトカーで
何のお咎めもなく普通に自宅まで送ってもらったと自慢していた。
このスレ見つけてそんな事思い出した・・・
今の時代じゃ色んな意味で考えられないなぁ 急行【新星】最終の【ひばり】より遅く出発して初発の【ひばり】より早く目的地に着く!!(笑) >>180
その通り!
スケールは違うが「ミニあさかぜ」の使命があった。 というかなー。
大阪だったら20時までに新大阪駅のホームにいれば
どんなにグデングデンに酔っ払っても・・・・東京に着いた。
当時の東北だとそうでもない。
飲み屋が開く頃に駅を出ないと東京(上野)につけなかった。
でも・・・・
「新星」があるからちょっと一杯いいかーって思って
まず駅で寝台券を確保して・・・軽く(本当に軽−−く)
国分町での一瞬を楽しんだ人たちもいたはず。 昼行最終が大体19時発、始発に乗っても10時過ぎの到着だから夜行需要はあったでしょうね。
座席夜行は何本もあったけど寝台はこれ1本。
一応上りゆうづるも仙台から乗れたけど。 >>184
そうだったんだ・・・
自分が乗った頃は不人気でガラガラという感じだった 俺乗ったことはないけど、上野発の夜行列車は新幹線開業後も根強い人気が
あったというから、新星も現役時代は乗車率良かったと思うんだな >>185
ゆうづるは下り1・3(季節)号、上り2・4(季節)号が仙台停車だったな
新幹線開業後は9号(改正前13号)とはくつる4号も A寝台2両連結だったんだな。
あの短距離を寝台利用する客というのは、エグゼクティブだったということか。 ブルトレブームの頃、「新星」「銀河」「天の川」はオール20系寝台車だからか、
児童向けブルトレ百科などにはちょっと載っていたが、
オール20系ではあるがナハ21がある「十和田」や「だいせん」は記載がなかったな。 新星、銀河、天の川はたしかに別格扱いだったな。
もちろん、本によっては十和田やだいせんなんかも載ってたけどね。
更に細かいのになると、かいもん、日南とかも載ってた。 十和田とかだいせんって、あの白抜きの寝台急行マーク付いていたっけ? >>192
付いてないよ
自由席つないでる時点で寝台列車じゃないから 同じ夜行急行でも、天体名(新星、銀河、天の川など)の場合は、20系化の際に寝台急行になって、
地名など(十和田、だいせん、ちくま、日南など)の場合は、20系化(または一部)でも
単なる夜行急行扱い。
十和田以外は、昼行急行の夜行版って感じだったしな。 新幹線や飛行機が発達してわざわざ夜行に乗らなくても東北に行ける時代になってもう久しいね
というか夜行バスの方が需要があるなんてね、、、 料金安いし、腰痛持ちでなければ夜行バスの方がいいと思う。
ただ気になるのは、事故かな。
鉄道は確実に安全と言い切っていいだろうが、バスは昨今のウテシの過労による死亡事故を聞くと
どうなるか分からんもんな >>189
昔勤めていた気仙沼の会社の社長が新星や北星のA寝台をよく使ってたと言ってた。
なんでも昼間に目一杯働いて、ぐっすり寝て、翌朝は得意先や新規先を目一杯まわるんだと。 モーレツ社員ですな
高度成長期の頃のエピソードかな >>195>>196
体調管理の点で言うとやはり「夜は寝る時間」。
寝台といってもフィジカルには緊張状態から解放されてないので疲労は取れない
つまり翌日はいい仕事ができない可能性があるってことで、時間に余裕を持たせる意味でも
新幹線もしくは飛行機の利用がベストかな。
夜行バスは論外 急行は昼行と夜行おなじ名前が一般的だったことを考えると新星は別格だな 年末に岩手さ行くときに、やまびこの切符が取れなくて新星に乗った。
当時は子供だったせいか、20系でも狭いとは感じなかった。
発車の度にドッカンって轟音と振動が来るのには参った。
あれは運転士が下手だったのか?車輌の問題だったのか?
ちなみに、仙台からは多層建て急行の陸中1号に乗り換えた。 旧客よりは密着度の高い連結器だと思ったけど、あのドッカンには本当に参った。
うちの親はそれ以来、絶対に新星には乗らないって言ってた。 時刻表上では上り新星って上りのいわて4号より先行しているんだけど、福島だったかl、郡山で追いついてしばらく並んで停車するんだ。
で、なぜか電車のいわて4号の方が遅れて上野に着く。 自己レス
古い時刻表で確認したら、いわて4号が追いつくのは宇都宮だった。 途中の街外れにある小駅でも待避離合とかしてたんだろうか
今は撤去されている中線もそんな駅にあったし >>203
寝台列車のスレでよく見かける
新幹線がとれなくて・・とか
特急がとれなくて・・とか
第一希望で利用されていなかったのがよくわかる 今は仙台から上り最終新幹線は21:30ぐらいだよね
寝台使いだす時間で当日には着けるんだよね 新幹線開業前は上野−仙台といった距離でも寝台列車が運行されてたのは今となっては考えられないが、
当時の上野−仙台は特急ひばりでも4時間かかってたからな。
今では4時間の壁といえば新幹線VS飛行機のシェア争いを表す言葉で使われてるけど、
昔も4時間というのは昼行特急(新幹線含む)か夜行寝台かを選択する一つの目安だったからな。
昭和の頃は新幹線や昼間の特急で4時間以上かかる区間では寝台の需要が高かったのはいえる。 >>210
都内住みならOKなんだろうけど、
校外に住んでいる者にとっては、
東京に帰ってきてからの接続がないんだよね。
そういう意味で校外住みはないがしろにされていると思う。 >>212
郊外ってどこよ?
仙台21時47分発のやまびこで高尾、千葉、小田原まで帰れるけど >>214
正に千葉から東
郊外ではなく田舎と呼んだ方が良いのかも知れんが(´・ω・`) >>215
それでも21時30分のはやぶさで木更津、成田はおk
バスなら君津もおk
外房線は21時4分のに乗らないとだけど でさ
21時47分発のやまびこ乗って千葉で泊まれば県内全域始業前に着けるんよね その日に着きたいなら一本早い新幹線でな、ヤング&クリーンの千葉県民の皆様 >>151
俺の家は貧しかったから、あずま2号しか乗れなかった・・・
一度でいいから新星に乗ってみたかった。
だが今となっては、亡き両親と一緒に乗ったいい思い出。 東京〜仙台
ひばりで4時間とかいってるけど
飛行機でも4時間の時代があったんですよ 時刻表でよくお目にかかったわ
昔は校正を一から十まで人間の手でやってたからな
今は一部機械化されてるはず 小学生の時に買ったコロタン辞典に1番短い距離のブルトレが北星北陸と書いてあった
それより短い夜行列車がいると知って驚いた
まぁ地元の夜行かいもんも熊本に1時間停まってたけど コロタンは急行をブルトレ扱いにはしてなかったからね。
実業之日本社の奴とかは網羅的に扱っていて、
読みふけったもんだわ 走る時間が時間だし、沿線にいながら一度も姿を見なかった幻のような存在だな。
利用率ってどのくらいだったのかね。 当時のいくつかの記述によれば、「人気は高い」だった気がする。
まぁ新幹線のなかった時代だからね。 三段式寝台でそれなりに埋まるぐらいの需要はあったようだよ
当時はビジネス客主体だったとかで
でも上りの仙台駅停泊の利用は少なかったとか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています