周遊券を語ろう
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
___,,,,,..... -一ァ
/ ̄;;;´;;、;;;ヾ;;;, -──--、,!
. /'´|;;;;,、;;;;;;;;;;/ ,!
. /:.:.:.レ´:.ヾ;;;;;;i 断 だ ,!
/:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヾ;i る が ,!
. /:.;.イ:.:.:.:.:.:.:.:.:.:..ヽ ,!
. /レ' ;|:.:.:.:.:.:.:,:ィ:.:.:.:〉 __,.,!
/-、ヽ,:|:.:.:,/ /:.:.://.:,:ィ:.:.:.,!
/'ヽ、ヾi ゙´.: /__;:;:-'"´ ,;|:.:.:.,!
. /ゝ-`';:/ .:〈ニ=-=ニ二 ̄ヽレ',!
/::::;;;;;/ ' ,, ニ`ー-,、__\〉ィ,!
. /;:::::/ ::. ::.,,\_ゞ;'> 〈;,!
/i!:::::iヾ-'、::.. '';~ ,;:'/,!
. /;;;i!fi´l_、,.` .: ,;:' ,!
/;;;;;i' ('ー、ヽ ..: ,;:'' ,!
ヽ、jゝ、`ヾ:、゙、 ,..:'.:'" .: ,!
``ヽ.、_ ¨` ,:' (_r:,!
``ヽ.、.. ノr;ソ~,!
``ヾ、 / 7,!
``ヽ,! 夜行列車のターン乗り継ぎで、10連泊した。
上川、新得、名寄、東室蘭 「かいもん」で下って「日南」で上る。
・・九州・北海道では宿に泊まったことがなかった。 >夜行列車のターン乗り継ぎで
, -─- 、 , -‐- 、
,, -'" `V `‐、
/ \
./ \
/ ヽ
./ / l ヽ
/ / / / ./ / l | .l .lヽ
| l. l / / / ./ .l | | l / / l l.〉
l、 | | l / / ./ ./ |. l | ./ ./ ./ | |./
l、| | l // ///| l / / //// / / ∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
l、l | /l///_/ l / //_|/_∠| / | / .< ず っ と 俺 の >
/⌒ヽ | \ `ー' ゝl // `ー' /|/⌒v' < タ ー ン ! !>
| l⌒l l|  ̄ ̄"//|〉 ̄ ̄ ̄ .|/^_l.l ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
ヽゝ(ー| /| ´ \| ll ),l'ノ
lヽ_ / | ┌───7 /._/
.l/ | l ̄ ̄ ̄/ / / ,ノ!
/ |.. V´ ̄∨ ./ /,.-‐'" .|
./ (;;) |\ `ー‐'´ / / |
| _|_\ /| ./ |
(| ,.-‐'" | \__/ .|/ _,.-─;
|/ .(;;) |─────┤ _,.-‐'":::::::::/
 ̄ |::::::::::::::::::::::::::::::|^l::::::::::::::::::
を思い出した。 >>4,5
ナカーマ発見w
今同じことをもう一度やったら、1か月ぐらい寝込むかもw
でも、とうとう北海道から夜行消えちゃうんだね 周遊地域の境界駅が厳密に県境を基本にしていた券では無人の小駅などもあったりして聞き慣れない駅でも
結構記憶に残っていたりしますね。
信州ワイド(均一)の「中井侍」とか。
ちなみに一番境界駅が多かった周遊券はどこだったかな?
信州は森宮野原・北小谷・田立・中井侍・小淵沢・軽井沢と・・・。 信州のカバーは緑で鮮やかだったね。
会津磐梯ミニはお得だった。 末期、ポツンと書かれた「伊万里」が不思議だった、某ミニ周遊券・・・。 一番よく使ったのは信州ワイドかな。
行きは中央線で帰りはきたぐにってのが多かった。
東京三局じゃあカバー廃止が早かったような。
買う場所によるのかな。 ワイドという名称のカバーはなかった気がする。
均一時代の残りを付けてくれたのでは。 東京都区内発「信州ワイド周遊券(+名古屋経由L券)」で出発。
東京→(東名)→名古屋
ここで名古屋市内発「松江・大社ミニ周遊券」を購入
名古屋→(名神)→大阪→(だいせん・泊)
→米子→境港→米子→出雲市→大社→出雲市→宍道→備後落合→広島→(新幹線)→新大阪→(ちくま・泊)
→長野
なんてやったな。「ちくま」の車内改札で「松江B券」「信州L券」「信州A券」だしたら
車掌「えーと・・・あぁなるほど・・・なるほどいいんだ」なんて独り言。
>>12>>13
昭和51年に九州北ワイドを買ったらカバーついていた。
発行箇所は福島駅旅セ(日本旅行)
カバーが付いていた理由は,ワイドに限って,往復経路,自由周遊区間に
付随する周遊指定地等への社線券も買えたからだよな。
>>14
いつも利用した緑の窓口では、カバーの在庫がなくなると、
ミニ周遊券のカバーをつけてくれた。
それもなくなると、中味だけになった。 そして旅行中はみんなハードタイプのカードケースに入れて保護しながら旅をする。
いつだったか北海道周遊券の表紙がきれたのか「立体」の表紙を付けてくれたことがあった。
飛行機イラストのところに×点がついてたけど。 名古屋発の北海道ワイドで北陸線が利用出来るのが良かった。
日本海で行って、白鳥で帰って来た時代が懐かしい… >>16
>ハードタイプのカードケース
俺もです。誰に教わったわけじゃないけど。
周遊券にも途中下車印おしてくれるとは知らず、
改札では見せて通り過ぎてた… 東京ミニを下車印だらけにして真っ黒にしたことあるよ
マイナーだが新潟弥彦ミニ周遊券があったが周遊きっぷになり消えたww 奈良県民の俺は「かすが」「ひかり」「八甲田」が常套ルートだった
周遊券で往復の急行に乗れたのが大きい 関東から九州への一部の周遊券(均一→ワイド)は往復いずれか「関西汽船」を使えたよね。
あれも結構今となっては貴重なルートだった。 高校時代はワイド周遊券を使って九州ばかりに乗り鉄に出かけてました。
当方、岡山県民なんで出発は「なは」か「あかつき」で帰りは博多or小倉から
新幹線を使ってました。
旅行会社扱いのニューワイド周遊券も利用したことがあります。 平成2、3年頃ML九州毎日運転してましたな。
九州ワイド周遊券20日有効やったね。 ワイド周遊券の経路からはみ出るところを18きっぷでカバー
ってのはよく使ったなぁ
周遊区間よりもそこまでの往復の方が日数がかかったり >>22
四国ワイドが無条件で使えた。
九州ワイドは別売券ないと無理だったんじゃない?
九州周遊券は鉄道のみのAと片道船のBがあったようだ。
料金に違いがあったのかは今ちょっとわからない。
選ぶのに悩んだのが山陰周遊券。
あれ、長門市までで、山口線あたりが使えないんだよね。
山口・秋吉台ミニだったかの方をよく使った。 周遊券はいい旅チャレンジ20,000`でよく使ったな。九州や北海道はこの切符がなかったら到底無理やった。
でも結局完乗できんかったけど… 「福島・会津磐梯ミニ」東京から1800円 学割で更に
蒸気機関車撮影にも重宝
会津若松発最終の夜行で郡山へ、待合室で一夜(数時間)を過ごして再び夜行で若松へ
滝の原へ行くもよし、只見方へいくもよし、ほらあそこには日中線の一番列車が煙をあげているよ。
このパターンを実行した人は多いだろうね。
なおこの周遊券で「貝田」という駅を始めて知った。(県境の周遊境界駅) 夏以外は北海道ワイドがが安くなったよね?
でも夏以外に行った事は無い
10数年前、営業マンだった俺は出張でよく信州ワイドとか
東北ワイド使ってたなぁ。
あさまで信州入り、軽井沢で2軒、小諸で3軒、上田で5軒とか
回って長野泊なんて感じで電車とタクシー使って移動してたから、
隣の駅までの利用でも特急を各停の感覚で乗れるワイド周遊券は
ありがたかった。交通費の精算も楽だったし。 九州ワイド特急定期代わり使ってるサラリーマン何人か見かけたな。 1996年の時刻表があるけどすでにニューワイドがあったんだなぁ 四国ワイドの帰路に客船(フェリーじゃなく)があった頃、
高松から天法山まで船で帰って来たことがある。 冬季の北海道ワイドは2割引(学割3割引)が大きかったよね。
20日間有効で新潟経由でも行けたから新宿から夜行乗って村上で乗り換えると函館でミッドナイトに乗れたんだよね。
カーペットカーの発券がちょいと特殊で、みどりの窓口のおっちゃん困ってたなあ。 周遊券の日数節約の為に乗車券だけ高崎(だったっけ?)まで別買いしてたよ。 一番良く使ったのは北陸ワイド
都区内だと7日間だったけど
千葉発だと10日間でウマー
途中経路もいろいろあって良かった。 宮脇俊三氏が「山口・秋芳洞ミニ」で大嶺駅で下車しようとしたら
駅係員が「知らなかった」と本にあったが,そんな経験ないか?
おれは北近畿ワイドで二条で下車しようとしたとき似たような経験をしたな。
小学生の時、家族で正月旅行に行くことになって自分がプランを立てた
行き先は秋吉台(家は名古屋)で「山口・秋芳洞ミニ」を使って出発した
山口までのルーティングで中途半端に聞きかじった知識を駆使して大阪から
福知山線ー山陰線ー宍道ー木次線ー芸備線ー広島ー小郡を予定した
米子から夜行の「ちどり」に乗車した。ほぼ満員だったが何とか家族分の席は確保できたが
木次線に入ってからの検札で木次線、芸備線が途中経路に入っていないことを教えられ
券が無効にならないために備後落合で上りの夜行「ちどり」で折り返す羽目に
あのしんしんと雪の降る備後落合ホ−ム上待合室の静けさと、寒さは今でも覚えている。 >>3>>4
自分も10連泊が限界だった(旭川とかでの駅ネも含む)
でも中には帰る人に周遊券の交換を持ちかける人もいたので
実際には30連泊、40連泊した猛者もいたかもしれない
スマソ・・・
誤爆に重複
一体何やってるんだか・・・・ ユースなどで
ワイド周遊券で日数が長く残っている人のと交換で延長して滞在する人も多かったなあ ルート周遊券のフリー区間を使いまくったり、名古屋のミニが塩尻経由可だったり。
ちなみに、漏れの知人には「スチュワーデス物語の日だけはカプセル泊」という奴がいた。 青森から特急で移動。
周遊券なら自由席はタダで乗れるものと思いこんでいた。
同行者はワイドだったが俺だけミニ。
検札は来ず、弘前で弘南鉄道に乗り換えた。
帰路、よく注意書きを見ると、そのミニ(十和田?)は特急不可だった。
ごめん!国鉄… >>19
京阪神ミニでやったことある。
中学生のときだったかな。こども相手だから、成果(?)を見て嫌な顔せず協力してくれる駅員さんが大半だったな。 >>40
B券を定期券と併用して半合法的?に入手して
有効期間満了の前に現地のファンとかに郵送したら面白いだろな…
とは考えたことはあるが、譲渡はほんとうは違反なんだろな。
俺の車中泊の記録は、連続9泊。
中1日、旅館に泊まったのをのぞけば13泊。望んでも二度とできねー。 出発地が大都市に限定されてて、地方の俺から見れば、意味のないきっぷだったな。 >>48
つ一般周遊券
…ここまで話題無しか。orz
社会人になってからは、ワイドがやや縁遠くなって、
代わりにこれを使っていたなあ。
社線の通過連絡で、北海道以外全国一周とかやったのは
懐かしい思い出。 >>48
ワイドミニはえてしてそうだが,
昭和55年ごろ日本交通公社から国鉄他各私鉄の運賃計算の元みたいな本が出版され
全国各地のワイドミニの出発地有効期間金額が掲載されていたが,
ちょいと驚いたのが高松近辺だと屋島とか三本松とか「マイナーな」駅の出発地があったこと。
あと東京ミニ京阪神ミニは出発地が多く,東北本線須賀川駅発はこの2種類のみあった。
(多分他は郡山発のを売っていたと思うけどね)
>>48
今回実施されるetc休日割引は東京大阪近郊対象外だからそれで勘弁してくれw
東北ワイドの20日有効だかを悪用して、通勤に使っていたのがバレた、ってのがあった。 一般周遊券で思い出した。グリーン周遊券つくったことがある。
新幹線100系個室とかに乗った。
周遊指定地のひとつに、いまは亡き屋島ケーブルを選んだ。
もっと昔は、グリーン周遊券の二人用で、ことぶき周遊券ってのがあり
見送り用に、ことぶき入場券ってのが何枚かついてきたそうだが
現物は見たことはない。 九州に住んでた頃、九州ワイド買うために岩国に行ったら、
休日で窓口閉まってた。英語の時刻表があったのが印象的。
慌てて広島まで買いに行き、
そのあと予定外の新幹線を使ったのが、金のない高校生には辛かった。
でも、新幹線で隣に座ってきた綺麗なお姉さんが、居眠りして俺の肩にもたれかかってきて、
ムハー=3
なんか、いい匂いするし、キュロットから出た脚がムチムチしてて、たまらんかった。
けっこう長い時間もたれていたけど、お姉さんがハッと気付き、恥ずかしそうに謝る。
照れ隠しなのか、妙に色々話しかけてきてくれて盛り上がった。
別れ際に「旅行の話聞かせてね。」と言われてお互いの住所を交換した。
3歳年上と分かったが、16歳の俺にはすごく大人に見えた。
その後文通を続け、2年後上京した際に会うことになったが、
知らないおっさんも一緒にいた。
彼氏ですと。
ガビーン。
25年前の淡い夏の思い出でした。 >>55
いい話かな。
こんなの嫁にも話せない。
文通しただけで舞い上がってた初心な子供でした。
今じゃ、あの人も45歳か・・・。
切符のアルバムの、下車印で真っ青な九州ワイド周遊券を見ると思い出す。 >>56
下車印で思い出したけど、普通は青か黒だが、なぜか山陰ワイドの時は朱色に染まった。
あれは何でだろう。地域性があって面白かった。
東金駅に昭和45年頃?まで車両が放置してあったのは見た事あるが、
谷津遊園でおとぎ列車走らせる心算だったらしい。 四国ワイドや九州ワイドだといつも片道は関西汽船を利用していた。
国鉄は関西汽船とは仲がよかったということですね。 >>60
松山観光港から入って、どういう経路ででてた? 前身の大阪商船時代から鉄道省との連携はあったし、
一般周遊券のルート構成なんかだと、昭和30年代には瀬戸内海主要港へ寄港していた関西汽船を軽視は出来なかったろうな。
別府航路なんか、ヤクザが三等桟敷で賭場を開いていたような戦後混乱期を脱してからは
国内旅行の手段としてはちょっとした憧れの対象にもなっていたわけでさ。
ニューワイド周遊券は主要なフェリー航路での往復が認められてたから、北海道に行くのに新潟発着だと
新日本海フェリー往復が格安だったんだ。
あれは実に良かった。 60です。四国ワイドでは高松−小豆島−神戸or大阪です。九州ワイド
では別府−神戸で使っていましたので、残念ながら、松山観光港で上
下船したことはないです。今となっては仁堀航路の連絡船に乗ってお
けば良かったなと後悔しています。 一般周遊券の軽視を物語る端的な出来事
会津田島〜鬼怒川間のバス路線はそれまで経由社線だったのに,
野岩開業後バス路線は廃止され鉄道線は経由社線でなくなったこと
一般の周遊券を旅行会社に作ってもらったら
必ず「醒ヶ井養鱒場」往復が入っていた。 無理矢理周遊す低地クリアするための技だな。
今じゃ周遊おすすめ地とは嘆かわしい。
周遊きっぷは明らかに失敗だな。
一般周遊券のオーダーメイドで手間がかかる部分だけ取りいれ、
ワイド周遊券のような使いやすい区域を廃止し、
ミニ周遊券の狭い区域になり、
使えんわ。 >>66
案外、当時の切符の売れ行きだけを見て、
おすすめとして残っただけだったりしてな。
使って欲しくない、ってのが実態だろうねぇ。
東海道新幹線なんて、露骨に割引率下げたし。 たとえば鉄ヲタ1名が北海道ワイドを東京駅で購入して
他一切国鉄に金を払わないで北海道旅行を満喫した場合
その収入が全部「新幹線」に計上されたとか本で読んだけどな。
周遊じゃないが東のスーパーホリデーパスを使ってみたかった・・・。 わかりやすく計画とか何とか言って、
利用者の多かった特企券を切りまくったときだったね…… うちの親父は周遊券を組むのが趣味で、
同僚が何処か普段出掛けない所へ旅行に行くとなると
強引に周遊指定地を探して来て組んでやったりしてた。
「こんなとこ行く予定(暇)ないんだけど?」とよく言われたらしい。
勤めてた役所の部署ではかなりの人数が親父の周遊券で出張してたようだ、
実際の請求がどうだったかは不明だが…(←規程で決まってるのかも?)
叔父の新婚旅行の時は、初めて「寿周遊券」を使えるので
本人も楽しそうだった・・・。 もう今の時代は、鉄オタ以外の一般人で
周遊きっぷを使う人はいないな。
鉄道を使う旅行自体が下火なんだな。
叔父は鉄道には興味ないけど、周遊券で旅行しまくってた。
ユース使ってたようだが、今じゃユースも寂れてるようだ。
昭和時代は良かったなあ。 周遊券を初めて使ったのは、大学受験の時で東京ミニだったと記憶している。
学割効いたから安かったし、初めての地でいちいち切符を買わずに済んだのも有り難かった。
大学入ってからは広島・宮島ミニで宮島・錦帯橋・三段峡を廻ったり、
信州ワイドで野辺山・高遠・天竜峡を廻ったりしたな。
ちなみに今の周遊きっぷは使った事がない。 生涯、唯一一般周遊券を作ったのが受験の時。
大学まで片道250kmの道程を、帰路は2500kmも遠回り。それも完全一筆書き。
掛け捨て周遊指定地は確か片山津温泉のバスと玄武洞渡船と記憶した。
親は呆れていたが、数日後、俺が帰宅した日に合格通知が届いたw ルート周遊券は話題がでないな。
アルペンルートしか知らないけど。 >>75
サクラサクの方だったからよかったけど、それだけ回って帰ってくると、
サクラチル、の方だったらシャレにならなかったろう。 日光・鬼怒川のルート周遊券は、浅草ー東武日光あるいは鬼怒川温泉間の
東武鉄道が使えるのは分かるが、新宿ー小田原間の小田急も使えるのには
びっくりしたよ。もちろんそれで小田急乗ったよ。またルート周遊券も
国鉄区間は,急行自由席に急行券なしで乗れた。
ワンポイント周遊券もあったね。 >>79
ルート周遊券て、ミシン線で切られてゆくのが寂しいよね。
ワイド周遊券のA券を手元に残すために、周遊区間に入ったらホッチキスを外して、
こっそりしまって、何食わぬ顔でB券を使うようにした。 東から山陰ワイドで山陽本線で下関の方から周遊区間に入ろうとして
広島の友人家に泊まらせてもらったら、そいつが用事があると言って
車で鳥取までワープ、A券が残ったのはこのときだけだったなぁ >>86
表紙に黒い飛行機のイラストが入っていて優越感をそそったw アルペンルートのルート周遊券は他のコースがなくなった後も
しばらく残ってたみたいだけど、いつの間になくなったね。
あそこは他の交通機関ないんだから残しておいてもよさそう
なんだけどな。全区間通り抜けしないで室堂や大観峰で折り返す
人が多いからかな?もしくは車やバス利用の人が増えたから?
名古屋や関西地区からは今も似たようなの売ってる
みたいだけど首都圏発はないんだよなぁ。 漏れは、大学の夏休みに十和田湖のルート周遊券を使ったよ。
有効期間が1ヶ月あったので、帰りに米沢の自動車学校での
合宿免許で免許を取ったんだよ。
ワンポイント周遊券は尾瀬で使ったことを思い出したよ。
うちの親は静岡発東京ミニを、月に1回4枚旅行代理店から取り寄せて定期代わりに使ってた。7日で4000円と破格、だいたい定期と同じ額になる上、当時は急行が多かったので、非常に価値があった。
>>88
首都圏発の、アルペンルート周遊券の後釜みたいなきっぷ、
名前は忘れたが、1994年にディスティネーションキャンペーンに
連動して売られたと思う。
その後は見た覚えがない。 >>92
JRになってからの話だな。
道理で知らないわけだ。
全部でどんなのがあったの? >>93
立山黒部アルペンルート以外は
もともとどんなルート周遊券があったのか知らないので
現在の個別のどのきっぷが機能かカブっているのかはわからない。
そういえば、懐か死語「トクトクきっぷ」 >>93
種村直樹氏の「周遊券の旅(実業之日本社)」を古本屋で
探して研究されたい。実に細かく当時のルールや発売して
いた内容が書かれている。
>>94
今は単に「お得なきっぷ」だもんな。
らくだがマスコットだった。
駅でワッペンを貰ったよ。 一般周遊券の思い出といえば某旅行会社で発券を頼んだら
「宿泊券とセットでないと売れません」って言われたことだよな。
ここは店舗改装前は普通に一般周遊券だけを発券してくれたのに
改装後は宿泊券と抱き合わせ。 >>90
簡単にいえば,
本来は異なる2箇所以上の周遊指定地圏内の○地点をまわらないと
一般周遊券にはならなかったが,特定の周遊指定地に限り1箇所で
よかったというもので,時刻表にはロクに説明がされていなかった。
ただし,晩年は「特別周遊指定地」として赤枠で索引地図に掲載された。
>>81
仙台ではそれで降りようとすると律儀にB券に「発駅入?代 仙台駅」って押されたな A券で思い出したけれど、確か昭和58年だと思ったけれど、南
紀ワイドで亀山〜名古屋がフリー区間拡大に伴って、名古屋発
のワイドはいきなり周遊区間になったときは、A券は不要じゃ
ないか?と思ったよ。行きに東海道線経由の人もいるからなん
だろうけれど、信州ワイドのL券のようなオプションでも良か
ったんじゃないかと思ったもんだよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています