周遊券を語ろう
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ヽ、jゝ、`ヾ:、゙、 ,..:'.:'" .: ,!
``ヽ.、_ ¨` ,:' (_r:,!
``ヽ.、.. ノr;ソ~,!
``ヾ、 / 7,!
``ヽ,! 夜行列車のターン乗り継ぎで、10連泊した。
上川、新得、名寄、東室蘭 「かいもん」で下って「日南」で上る。
・・九州・北海道では宿に泊まったことがなかった。 >夜行列車のターン乗り継ぎで
, -─- 、 , -‐- 、
,, -'" `V `‐、
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/ ヽ
./ / l ヽ
/ / / / ./ / l | .l .lヽ
| l. l / / / ./ .l | | l / / l l.〉
l、 | | l / / ./ ./ |. l | ./ ./ ./ | |./
l、| | l // ///| l / / //// / / ∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
l、l | /l///_/ l / //_|/_∠| / | / .< ず っ と 俺 の >
/⌒ヽ | \ `ー' ゝl // `ー' /|/⌒v' < タ ー ン ! !>
| l⌒l l|  ̄ ̄"//|〉 ̄ ̄ ̄ .|/^_l.l ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
ヽゝ(ー| /| ´ \| ll ),l'ノ
lヽ_ / | ┌───7 /._/
.l/ | l ̄ ̄ ̄/ / / ,ノ!
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を思い出した。 >>4,5
ナカーマ発見w
今同じことをもう一度やったら、1か月ぐらい寝込むかもw
でも、とうとう北海道から夜行消えちゃうんだね 周遊地域の境界駅が厳密に県境を基本にしていた券では無人の小駅などもあったりして聞き慣れない駅でも
結構記憶に残っていたりしますね。
信州ワイド(均一)の「中井侍」とか。
ちなみに一番境界駅が多かった周遊券はどこだったかな?
信州は森宮野原・北小谷・田立・中井侍・小淵沢・軽井沢と・・・。 信州のカバーは緑で鮮やかだったね。
会津磐梯ミニはお得だった。 末期、ポツンと書かれた「伊万里」が不思議だった、某ミニ周遊券・・・。 一番よく使ったのは信州ワイドかな。
行きは中央線で帰りはきたぐにってのが多かった。
東京三局じゃあカバー廃止が早かったような。
買う場所によるのかな。 ワイドという名称のカバーはなかった気がする。
均一時代の残りを付けてくれたのでは。 東京都区内発「信州ワイド周遊券(+名古屋経由L券)」で出発。
東京→(東名)→名古屋
ここで名古屋市内発「松江・大社ミニ周遊券」を購入
名古屋→(名神)→大阪→(だいせん・泊)
→米子→境港→米子→出雲市→大社→出雲市→宍道→備後落合→広島→(新幹線)→新大阪→(ちくま・泊)
→長野
なんてやったな。「ちくま」の車内改札で「松江B券」「信州L券」「信州A券」だしたら
車掌「えーと・・・あぁなるほど・・・なるほどいいんだ」なんて独り言。
>>12>>13
昭和51年に九州北ワイドを買ったらカバーついていた。
発行箇所は福島駅旅セ(日本旅行)
カバーが付いていた理由は,ワイドに限って,往復経路,自由周遊区間に
付随する周遊指定地等への社線券も買えたからだよな。
>>14
いつも利用した緑の窓口では、カバーの在庫がなくなると、
ミニ周遊券のカバーをつけてくれた。
それもなくなると、中味だけになった。 そして旅行中はみんなハードタイプのカードケースに入れて保護しながら旅をする。
いつだったか北海道周遊券の表紙がきれたのか「立体」の表紙を付けてくれたことがあった。
飛行機イラストのところに×点がついてたけど。 名古屋発の北海道ワイドで北陸線が利用出来るのが良かった。
日本海で行って、白鳥で帰って来た時代が懐かしい… >>16
>ハードタイプのカードケース
俺もです。誰に教わったわけじゃないけど。
周遊券にも途中下車印おしてくれるとは知らず、
改札では見せて通り過ぎてた… 東京ミニを下車印だらけにして真っ黒にしたことあるよ
マイナーだが新潟弥彦ミニ周遊券があったが周遊きっぷになり消えたww 奈良県民の俺は「かすが」「ひかり」「八甲田」が常套ルートだった
周遊券で往復の急行に乗れたのが大きい 関東から九州への一部の周遊券(均一→ワイド)は往復いずれか「関西汽船」を使えたよね。
あれも結構今となっては貴重なルートだった。 高校時代はワイド周遊券を使って九州ばかりに乗り鉄に出かけてました。
当方、岡山県民なんで出発は「なは」か「あかつき」で帰りは博多or小倉から
新幹線を使ってました。
旅行会社扱いのニューワイド周遊券も利用したことがあります。 平成2、3年頃ML九州毎日運転してましたな。
九州ワイド周遊券20日有効やったね。 ワイド周遊券の経路からはみ出るところを18きっぷでカバー
ってのはよく使ったなぁ
周遊区間よりもそこまでの往復の方が日数がかかったり >>22
四国ワイドが無条件で使えた。
九州ワイドは別売券ないと無理だったんじゃない?
九州周遊券は鉄道のみのAと片道船のBがあったようだ。
料金に違いがあったのかは今ちょっとわからない。
選ぶのに悩んだのが山陰周遊券。
あれ、長門市までで、山口線あたりが使えないんだよね。
山口・秋吉台ミニだったかの方をよく使った。 周遊券はいい旅チャレンジ20,000`でよく使ったな。九州や北海道はこの切符がなかったら到底無理やった。
でも結局完乗できんかったけど… 「福島・会津磐梯ミニ」東京から1800円 学割で更に
蒸気機関車撮影にも重宝
会津若松発最終の夜行で郡山へ、待合室で一夜(数時間)を過ごして再び夜行で若松へ
滝の原へ行くもよし、只見方へいくもよし、ほらあそこには日中線の一番列車が煙をあげているよ。
このパターンを実行した人は多いだろうね。
なおこの周遊券で「貝田」という駅を始めて知った。(県境の周遊境界駅) 夏以外は北海道ワイドがが安くなったよね?
でも夏以外に行った事は無い
10数年前、営業マンだった俺は出張でよく信州ワイドとか
東北ワイド使ってたなぁ。
あさまで信州入り、軽井沢で2軒、小諸で3軒、上田で5軒とか
回って長野泊なんて感じで電車とタクシー使って移動してたから、
隣の駅までの利用でも特急を各停の感覚で乗れるワイド周遊券は
ありがたかった。交通費の精算も楽だったし。 九州ワイド特急定期代わり使ってるサラリーマン何人か見かけたな。 1996年の時刻表があるけどすでにニューワイドがあったんだなぁ 四国ワイドの帰路に客船(フェリーじゃなく)があった頃、
高松から天法山まで船で帰って来たことがある。 冬季の北海道ワイドは2割引(学割3割引)が大きかったよね。
20日間有効で新潟経由でも行けたから新宿から夜行乗って村上で乗り換えると函館でミッドナイトに乗れたんだよね。
カーペットカーの発券がちょいと特殊で、みどりの窓口のおっちゃん困ってたなあ。 周遊券の日数節約の為に乗車券だけ高崎(だったっけ?)まで別買いしてたよ。 一番良く使ったのは北陸ワイド
都区内だと7日間だったけど
千葉発だと10日間でウマー
途中経路もいろいろあって良かった。 宮脇俊三氏が「山口・秋芳洞ミニ」で大嶺駅で下車しようとしたら
駅係員が「知らなかった」と本にあったが,そんな経験ないか?
おれは北近畿ワイドで二条で下車しようとしたとき似たような経験をしたな。
小学生の時、家族で正月旅行に行くことになって自分がプランを立てた
行き先は秋吉台(家は名古屋)で「山口・秋芳洞ミニ」を使って出発した
山口までのルーティングで中途半端に聞きかじった知識を駆使して大阪から
福知山線ー山陰線ー宍道ー木次線ー芸備線ー広島ー小郡を予定した
米子から夜行の「ちどり」に乗車した。ほぼ満員だったが何とか家族分の席は確保できたが
木次線に入ってからの検札で木次線、芸備線が途中経路に入っていないことを教えられ
券が無効にならないために備後落合で上りの夜行「ちどり」で折り返す羽目に
あのしんしんと雪の降る備後落合ホ−ム上待合室の静けさと、寒さは今でも覚えている。 >>3>>4
自分も10連泊が限界だった(旭川とかでの駅ネも含む)
でも中には帰る人に周遊券の交換を持ちかける人もいたので
実際には30連泊、40連泊した猛者もいたかもしれない
スマソ・・・
誤爆に重複
一体何やってるんだか・・・・ ユースなどで
ワイド周遊券で日数が長く残っている人のと交換で延長して滞在する人も多かったなあ ルート周遊券のフリー区間を使いまくったり、名古屋のミニが塩尻経由可だったり。
ちなみに、漏れの知人には「スチュワーデス物語の日だけはカプセル泊」という奴がいた。 青森から特急で移動。
周遊券なら自由席はタダで乗れるものと思いこんでいた。
同行者はワイドだったが俺だけミニ。
検札は来ず、弘前で弘南鉄道に乗り換えた。
帰路、よく注意書きを見ると、そのミニ(十和田?)は特急不可だった。
ごめん!国鉄… >>19
京阪神ミニでやったことある。
中学生のときだったかな。こども相手だから、成果(?)を見て嫌な顔せず協力してくれる駅員さんが大半だったな。 >>40
B券を定期券と併用して半合法的?に入手して
有効期間満了の前に現地のファンとかに郵送したら面白いだろな…
とは考えたことはあるが、譲渡はほんとうは違反なんだろな。
俺の車中泊の記録は、連続9泊。
中1日、旅館に泊まったのをのぞけば13泊。望んでも二度とできねー。 出発地が大都市に限定されてて、地方の俺から見れば、意味のないきっぷだったな。 >>48
つ一般周遊券
…ここまで話題無しか。orz
社会人になってからは、ワイドがやや縁遠くなって、
代わりにこれを使っていたなあ。
社線の通過連絡で、北海道以外全国一周とかやったのは
懐かしい思い出。 >>48
ワイドミニはえてしてそうだが,
昭和55年ごろ日本交通公社から国鉄他各私鉄の運賃計算の元みたいな本が出版され
全国各地のワイドミニの出発地有効期間金額が掲載されていたが,
ちょいと驚いたのが高松近辺だと屋島とか三本松とか「マイナーな」駅の出発地があったこと。
あと東京ミニ京阪神ミニは出発地が多く,東北本線須賀川駅発はこの2種類のみあった。
(多分他は郡山発のを売っていたと思うけどね)
>>48
今回実施されるetc休日割引は東京大阪近郊対象外だからそれで勘弁してくれw
東北ワイドの20日有効だかを悪用して、通勤に使っていたのがバレた、ってのがあった。 一般周遊券で思い出した。グリーン周遊券つくったことがある。
新幹線100系個室とかに乗った。
周遊指定地のひとつに、いまは亡き屋島ケーブルを選んだ。
もっと昔は、グリーン周遊券の二人用で、ことぶき周遊券ってのがあり
見送り用に、ことぶき入場券ってのが何枚かついてきたそうだが
現物は見たことはない。 九州に住んでた頃、九州ワイド買うために岩国に行ったら、
休日で窓口閉まってた。英語の時刻表があったのが印象的。
慌てて広島まで買いに行き、
そのあと予定外の新幹線を使ったのが、金のない高校生には辛かった。
でも、新幹線で隣に座ってきた綺麗なお姉さんが、居眠りして俺の肩にもたれかかってきて、
ムハー=3
なんか、いい匂いするし、キュロットから出た脚がムチムチしてて、たまらんかった。
けっこう長い時間もたれていたけど、お姉さんがハッと気付き、恥ずかしそうに謝る。
照れ隠しなのか、妙に色々話しかけてきてくれて盛り上がった。
別れ際に「旅行の話聞かせてね。」と言われてお互いの住所を交換した。
3歳年上と分かったが、16歳の俺にはすごく大人に見えた。
その後文通を続け、2年後上京した際に会うことになったが、
知らないおっさんも一緒にいた。
彼氏ですと。
ガビーン。
25年前の淡い夏の思い出でした。 >>55
いい話かな。
こんなの嫁にも話せない。
文通しただけで舞い上がってた初心な子供でした。
今じゃ、あの人も45歳か・・・。
切符のアルバムの、下車印で真っ青な九州ワイド周遊券を見ると思い出す。 >>56
下車印で思い出したけど、普通は青か黒だが、なぜか山陰ワイドの時は朱色に染まった。
あれは何でだろう。地域性があって面白かった。
東金駅に昭和45年頃?まで車両が放置してあったのは見た事あるが、
谷津遊園でおとぎ列車走らせる心算だったらしい。 四国ワイドや九州ワイドだといつも片道は関西汽船を利用していた。
国鉄は関西汽船とは仲がよかったということですね。 >>60
松山観光港から入って、どういう経路ででてた? 前身の大阪商船時代から鉄道省との連携はあったし、
一般周遊券のルート構成なんかだと、昭和30年代には瀬戸内海主要港へ寄港していた関西汽船を軽視は出来なかったろうな。
別府航路なんか、ヤクザが三等桟敷で賭場を開いていたような戦後混乱期を脱してからは
国内旅行の手段としてはちょっとした憧れの対象にもなっていたわけでさ。
ニューワイド周遊券は主要なフェリー航路での往復が認められてたから、北海道に行くのに新潟発着だと
新日本海フェリー往復が格安だったんだ。
あれは実に良かった。 60です。四国ワイドでは高松−小豆島−神戸or大阪です。九州ワイド
では別府−神戸で使っていましたので、残念ながら、松山観光港で上
下船したことはないです。今となっては仁堀航路の連絡船に乗ってお
けば良かったなと後悔しています。 一般周遊券の軽視を物語る端的な出来事
会津田島〜鬼怒川間のバス路線はそれまで経由社線だったのに,
野岩開業後バス路線は廃止され鉄道線は経由社線でなくなったこと
一般の周遊券を旅行会社に作ってもらったら
必ず「醒ヶ井養鱒場」往復が入っていた。 無理矢理周遊す低地クリアするための技だな。
今じゃ周遊おすすめ地とは嘆かわしい。
周遊きっぷは明らかに失敗だな。
一般周遊券のオーダーメイドで手間がかかる部分だけ取りいれ、
ワイド周遊券のような使いやすい区域を廃止し、
ミニ周遊券の狭い区域になり、
使えんわ。 >>66
案外、当時の切符の売れ行きだけを見て、
おすすめとして残っただけだったりしてな。
使って欲しくない、ってのが実態だろうねぇ。
東海道新幹線なんて、露骨に割引率下げたし。 たとえば鉄ヲタ1名が北海道ワイドを東京駅で購入して
他一切国鉄に金を払わないで北海道旅行を満喫した場合
その収入が全部「新幹線」に計上されたとか本で読んだけどな。
周遊じゃないが東のスーパーホリデーパスを使ってみたかった・・・。 わかりやすく計画とか何とか言って、
利用者の多かった特企券を切りまくったときだったね…… うちの親父は周遊券を組むのが趣味で、
同僚が何処か普段出掛けない所へ旅行に行くとなると
強引に周遊指定地を探して来て組んでやったりしてた。
「こんなとこ行く予定(暇)ないんだけど?」とよく言われたらしい。
勤めてた役所の部署ではかなりの人数が親父の周遊券で出張してたようだ、
実際の請求がどうだったかは不明だが…(←規程で決まってるのかも?)
叔父の新婚旅行の時は、初めて「寿周遊券」を使えるので
本人も楽しそうだった・・・。 もう今の時代は、鉄オタ以外の一般人で
周遊きっぷを使う人はいないな。
鉄道を使う旅行自体が下火なんだな。
叔父は鉄道には興味ないけど、周遊券で旅行しまくってた。
ユース使ってたようだが、今じゃユースも寂れてるようだ。
昭和時代は良かったなあ。 周遊券を初めて使ったのは、大学受験の時で東京ミニだったと記憶している。
学割効いたから安かったし、初めての地でいちいち切符を買わずに済んだのも有り難かった。
大学入ってからは広島・宮島ミニで宮島・錦帯橋・三段峡を廻ったり、
信州ワイドで野辺山・高遠・天竜峡を廻ったりしたな。
ちなみに今の周遊きっぷは使った事がない。 生涯、唯一一般周遊券を作ったのが受験の時。
大学まで片道250kmの道程を、帰路は2500kmも遠回り。それも完全一筆書き。
掛け捨て周遊指定地は確か片山津温泉のバスと玄武洞渡船と記憶した。
親は呆れていたが、数日後、俺が帰宅した日に合格通知が届いたw ルート周遊券は話題がでないな。
アルペンルートしか知らないけど。 >>75
サクラサクの方だったからよかったけど、それだけ回って帰ってくると、
サクラチル、の方だったらシャレにならなかったろう。 日光・鬼怒川のルート周遊券は、浅草ー東武日光あるいは鬼怒川温泉間の
東武鉄道が使えるのは分かるが、新宿ー小田原間の小田急も使えるのには
びっくりしたよ。もちろんそれで小田急乗ったよ。またルート周遊券も
国鉄区間は,急行自由席に急行券なしで乗れた。
ワンポイント周遊券もあったね。 >>79
ルート周遊券て、ミシン線で切られてゆくのが寂しいよね。
ワイド周遊券のA券を手元に残すために、周遊区間に入ったらホッチキスを外して、
こっそりしまって、何食わぬ顔でB券を使うようにした。 東から山陰ワイドで山陽本線で下関の方から周遊区間に入ろうとして
広島の友人家に泊まらせてもらったら、そいつが用事があると言って
車で鳥取までワープ、A券が残ったのはこのときだけだったなぁ >>86
表紙に黒い飛行機のイラストが入っていて優越感をそそったw アルペンルートのルート周遊券は他のコースがなくなった後も
しばらく残ってたみたいだけど、いつの間になくなったね。
あそこは他の交通機関ないんだから残しておいてもよさそう
なんだけどな。全区間通り抜けしないで室堂や大観峰で折り返す
人が多いからかな?もしくは車やバス利用の人が増えたから?
名古屋や関西地区からは今も似たようなの売ってる
みたいだけど首都圏発はないんだよなぁ。 漏れは、大学の夏休みに十和田湖のルート周遊券を使ったよ。
有効期間が1ヶ月あったので、帰りに米沢の自動車学校での
合宿免許で免許を取ったんだよ。
ワンポイント周遊券は尾瀬で使ったことを思い出したよ。
うちの親は静岡発東京ミニを、月に1回4枚旅行代理店から取り寄せて定期代わりに使ってた。7日で4000円と破格、だいたい定期と同じ額になる上、当時は急行が多かったので、非常に価値があった。
>>88
首都圏発の、アルペンルート周遊券の後釜みたいなきっぷ、
名前は忘れたが、1994年にディスティネーションキャンペーンに
連動して売られたと思う。
その後は見た覚えがない。 >>92
JRになってからの話だな。
道理で知らないわけだ。
全部でどんなのがあったの? >>93
立山黒部アルペンルート以外は
もともとどんなルート周遊券があったのか知らないので
現在の個別のどのきっぷが機能かカブっているのかはわからない。
そういえば、懐か死語「トクトクきっぷ」 >>93
種村直樹氏の「周遊券の旅(実業之日本社)」を古本屋で
探して研究されたい。実に細かく当時のルールや発売して
いた内容が書かれている。
>>94
今は単に「お得なきっぷ」だもんな。
らくだがマスコットだった。
駅でワッペンを貰ったよ。 一般周遊券の思い出といえば某旅行会社で発券を頼んだら
「宿泊券とセットでないと売れません」って言われたことだよな。
ここは店舗改装前は普通に一般周遊券だけを発券してくれたのに
改装後は宿泊券と抱き合わせ。 >>90
簡単にいえば,
本来は異なる2箇所以上の周遊指定地圏内の○地点をまわらないと
一般周遊券にはならなかったが,特定の周遊指定地に限り1箇所で
よかったというもので,時刻表にはロクに説明がされていなかった。
ただし,晩年は「特別周遊指定地」として赤枠で索引地図に掲載された。
>>81
仙台ではそれで降りようとすると律儀にB券に「発駅入?代 仙台駅」って押されたな A券で思い出したけれど、確か昭和58年だと思ったけれど、南
紀ワイドで亀山〜名古屋がフリー区間拡大に伴って、名古屋発
のワイドはいきなり周遊区間になったときは、A券は不要じゃ
ないか?と思ったよ。行きに東海道線経由の人もいるからなん
だろうけれど、信州ワイドのL券のようなオプションでも良か
ったんじゃないかと思ったもんだよ。 >>61 亀レスですが
記憶をたどると78年3月に四国ワイドで往路関西汽船を利用しました
東京から大垣夜行で出発、途中の名古屋で名神ハイウェイバスに乗換て大阪へ
午後まで大阪をブラつき、大阪弁天桟橋16:30の関西汽船別府行き観光船に乗船
船内はその当時既に一時代前のふいんき(←なぜか?ry)でしたね 神戸に寄港して
高松には22:00頃到着し徒歩で高松駅へ移動、中村行きの夜行列車へと乗継ました
あの時、旧高松駅の改札横にあったうどん屋で食べたうどん旨かったな
誰もコメントしないのかよ…
>>90
周遊指定地1個所のみで作れる普通周遊券で、
ミニサイズの一般周遊券といったところ。有効期間は7日。
管理局基準での発行なので地域によって発行は異なっていた。
JR継承後も北海道や西日本では残っていた
……けど時刻表の営業案内にさえ無視されていた不遇の周遊券。 >>98
特定周遊指定地は一般周遊券に適用されるもの。
ワンポイント周遊券の周遊指定地は、準指定地以外の1個所。
俺は大阪から丹後半島への往復でワンポイントを作ってもらったことがある。 道南ワイド冬の割引で1986年春の平日に初渡道。登別のクマ牧場は休み。
登別温泉の小さな宿に一人で泊まったら根掘り葉掘り聞かれた。
不審人物かと思ったのだろうか。
「第一滝本館の外湯は何時までですか?」という逆質問で疑惑は氷解w
あれは日帰り入湯のハシリかと。
早く行かないと終わっちゃうよというわけで浸かりに行ったら
背中にイラストのある方々が先客として…
あの皆さんも世間に遠慮してくれていたんですね。 >>108
北海道内発の東京ミニに付属できたオプション券ですね。
「醒ヶ井養鱒場」は掛け捨てに使う人が多かったから?かどうか知らんが、
後年に準指定地に格下げになってしまったね。
その代わりと言ってはなんだが須賀谷温泉が一躍有名になってもた。
>110
婆さんの家(お袋の実家)は醒ヶ井駅と養鱒場の中間にあり
母方の実家へ帰る際にはいつも周遊券に組み込んでいた。
その後、「孤逢庵」とか言うところがもっぱらターゲットにされたようだが
利用した事は無い。
でも昔はその場所へ行くと、「周遊指定地」という看板が立ってたよね…? >>110-111
いわゆる「須賀谷温泉・孤逢庵」(浅井町営バス)ね。
片道160円?を1枚つければ桶だったような希ガス。
戦前にはその醒ヶ井に活魚を運ぶ専用貨車があったとか。
スレチで失礼しました〜 その昔【神社前】って掛け捨て用の船車券を何回か切りましたね。 ミニで一番使われたのはどこだろうね。一般的というより当時のファンが重宝して利用したというと、蒸機撮影世代
では「福島・会津磐梯ミニ」だろうね。あと「名古屋・岐阜ミニ」も行き帰り経路に中央西線が入っていたので自由周遊はできないけど木曽路のD51に逢いにいくには便利だった。
「山口・秋芳洞ミニ」も山陰西部や美祢・山口線に使えたっけ。 >>115
スマソ、マジレスするとビジネス利用とかも結構あったんで下記の傾向が顕著だった。
首都圏地区では「京阪神ミニ」
京阪神地区では「東京ミニ」
>>115
東京駅ハイウェイバスのりばの券売所では、大阪ドリーム乗り継ぎ
神戸市内発着の乗車券買い求めると、京阪神ミニ発券してくれたね。
ちなみにポートピア'81の会場直行臨時便でも↑使えたらしい。 ワシは京都〜(湖西・北陸・信越・篠ノ井・中央西・東海道)〜京都の般周をよく作ったわ。
酷い話で、須賀谷温泉と八瀬を付けて、無理矢理周遊券にさせてたw
さすがに末期は気が引けたのと、長野県内の特急乗り放題に惹かれて信州ワイドに
方針変換したがな。信州ワイド時代は、本当に長野県内をうろうろしたもんだよ。
長野県、信州ワイドが消えて観光客の「回遊行動」が減ったんじゃないかね・・・ 東京ミニよく買ったな
もろちん東京までは急行自由席で >>118
JRの駅でも準指定地の駅って結構あったから、ご指摘のルートも桶だったんだろうね。
ちなみにJRの駅で“1ヵ所に数える”指定地駅も若干あった。
確か指宿とか九頭竜湖、三段峡あたりが該当したと思われる…が、
何ぶん廃止後10年経過した制度なので間違っていたらスマソ。
>>120
江差と西唐津も。「JRの駅」というくくりなら宮島も。 バスの嬉野温泉駅に
北海道ワイドが置いてあったのにはびっくりした
一般周遊券に関しては、こちらに知識があっても窓の人がDQNで往復じゃないと出来ないとほざいて言い争いになった事がよくあったなぁ
特に周遊地内の片道掛け捨て >>125
同一指定地内および同一市町村内は不連続OKのルールね。
明らかに窓口が不勉強だなそれは。
後年、駅窓口で一般周遊券を売らなくなり旅行代理店のみの扱いになったが、
やはりカウンターのネーチャンクラスは殆ど知識的には×だった。
ただ駅に比べて救いだったのは、たいていわからない点については知識のある
ベテランの男性社員に聞いたりして進めてくれたことだな。
駅窓口は珍説を自信たっぷりに客に吹くDQNが少なくなかった。
>駅窓口は珍説を自信たっぷりに客に吹くDQNが少なくなかった。
それが、過去形じゃないから困る。 逆にマニアックな知識豊富な係員にフォローされたことがあったよ。
一般周遊券の経路を手書きの地図で提示したところ
「お客さん、この区間は掛け捨てですか?」
…もう少しモノには言い方ってあるだろと思いつつ肯定すると
「日程が長くないなら、ここ削ってワンポイントにしたほうが安いですよ」 >>125-129
国鉄時代の窓口対応でかつてタネムロが著書「鉄道旅行術」のなかで
同様の事例に出くわした際に食い下がってゴネたら、その窓口駅員に
「そんなに言うなら、あんただけ特別にOKしとこ。」という捨てセリフを
もらって処理してくれたなんてハナシが載っていたのを思い出したよ。
>>130
種村本のせいで、マニアックな客が増えて駅員も迷惑だったろうな。
近郊区間大回り乗車で、車掌によって解釈が違うとかあったな。
>>126
うちから近い旅行代理店の話だが、J Bと今は無い東急観光とあって同一ルートを出して出来上がり日数聞いたら、
前者およそ一ヶ月弱、後者は10日と差もあったが、超大手だからと前者に出したら、窓のねーちゃんはこのルートだと片道はダメ、駅から往復じゃないと無理と言われ強引に売り付けられたわ…
和歌山ー新和歌浦、御坊ー道成寺、出町柳ー八瀬遊園
工房時代の昔話でスマンソ 周遊急行券って無割引の不思議な急行券があった。
メリットと言えば1ヶ月有効ってことぐらい?? >>132
俺も時間かかると聞いてたから早めに○ラに頼んだら次の日にできたと電話があってビクーリ ルート周遊券の一部に、やたら広いフリー区間があったのがあった。
例えば山口線以西本州全部。 ヽ|
/ ̄ ̄ ̄`ヽ、
/ ヽ
/  ̄  ̄ |
| (○) (○) |
| / ̄⌒ ̄ヽ .|
| | .l~ ̄~ヽ | |
| ヽ  ̄~ ̄ ノ |
|  ̄ ̄ ̄ | そうか良く見たら本来3本の毛が2本しかないな…
ツッこみが遅れて誠にスマンことした
旅行会社勤務の者です。
「九州ニューワイド」都区内発で往路山陰・復路山陽のような形で
X券・Y券を切れるかについてはは見解が分かれていましたね。
この場合、山陰まわりが大回り過ぎないかってことで。
ちなみに自分はOKと解釈して発券していたけど、月報でその内容を
JR審査に報告しても何も言われなかった。だから気にするほどの
ことでも無かったのかな?と思ってますね。 >>143
その程度ならまだ「常識」の範囲内だが
イイヒト(笑)に出会うと
東京発で名古屋あたり経由して北海道なんていうのを発券してくれたりした。
いずれにしろルールがあまりにも大雑把すぎたんだよね。
むしろいまの周遊きっぷみたいにすればよかったんだよね。 >>144
経路内に準指定地駅があれば大回りではないっていうのが一つの
ルールとしてあったように思う。大阪市内発の九州ニューワイドで
山陰・福知山経由のX券、Y券は城崎駅や玉造温泉駅が準指定地駅だったので
迂回ではないと判断されていたように思う。 山陰線の「玄武洞」という観光史跡の存在を周遊券で初めて知った。
ルール上、掛け捨ての場合は片道のみで良かったんだが、あの場所は
川を舟で渡って行くわけだから帰路は泳いで戻るという強行解釈。
もしくは船頭から舟を強奪して自分で漕ぐ…チトこわ杉。
船で思い出したけど、雄冬の航路ってなくなってたんだな。 >>147
玄武洞は「玄武岩」の語源でもある。
儒学者がこの奇観に中国の神仙にちなむ命名を行い、後にここの石と同類の石が玄武岩と呼ばれるようになった。
確かに地形に興味があればちょっとした見物ではあった。
渡船はおっさんが一人でトーハツの船外機付きの小舟を往来させてたな。
乗り合わせた親子の子供がはしゃいでもう1往復したがって、親も安いからまあいいか、と金を払ってまた乗っていた。 その後、玄武洞駅前からの渡船は途絶えてしまったのだが
最近、また復活したそうだ
準急。急行の自由席に乗れた頃の「周遊券」は良かった。周遊指定地2ヶ所
だったか?経由と私鉄運賃が10%以上?
大阪から東へ行く時はJALかANAで羽田まで往復航空券で、東京都内発で東北
周りでまた羽田最終便で帰つたり、九州は「しろやま」なんかに乗って宮崎から
ANAで帰ったりした。異級乗車が出来たから大阪‐伊集院間オロネ10に乗ったり。 >>151
あなたはお幾つですか。
私は準急を知りませんが、末期は今の急行みたいに意味不明な種別になってませんでしたか。 滋賀県の浅井町営バスは乗客の数以上に儲かったわけだ。 そして名のみ有名でありながら、訪れる観光客の少ない歴史ある養殖施設
あそこに「わざわざ行ってみる」企画を組んだ雑誌もあったな。案外見応えのある内容だったらしい。 醒ヶ井養鱒場は歴史もあるし、米原の駅弁にもなってるし、訪問する価値はあるね。
さらに直接関係ないけど醒ヶ井の街もかつての中山道の宿場でその雰囲気は残っているし、宿内を流れる用水も流れも見事。 >>152
まったくその通り。
「準急」最後のほうは走行距離が100キロ以下のもののみで
101キロ以上のものは全部「急行」
料金的には100キロまでの準急料金も急行料金も同じだったので
実質差はなかった。
>>諸氏
そうすると醒ヶ井養鱒場が準指定地に格下げとなったのは
観光地としての魅力の低下ではなく、やはり掛け捨てとして
わかりやすい場所に有ったからと考えるべきなのだろうね。 掛け捨てとして使われる(実際は乗車されない)場合でも
そこの収入になってたの? 周遊券が廃止になって10年になるのね
そのあとの何ちゃらきっぷは不人気で安楽死間近のうおな 1990年代に交通公社で周遊券を買うと、あのドットプリンタ出力の横長マルス券で発行されて嫌な気分がした。 末期にマル交で一般周遊券買ったら手書きのノーカーボンだった。 >>160
不人気というか,買うのも売るのも「面倒くさい」わな。
昔:「東京ミニ」→10秒で発券
今:「東京周遊きっぷ」→(嫌な顔して)「行き帰りの経路はどうします?」
「経路?・・・普通に・・・」→「往復○○本線でいいのですか?」
「はい」(時間気にして時計をみる)→「いつから使いますか?」
「今から」→時刻表ピンクページとりだしてマルスをあちこち操作・・・この間最低でも1〜2分・・・
→やっと発券
ワイド・ミニ周遊券の経路上あるいは、周遊区間内の指定地接続線
は、約1割引の周遊運賃で買えたと思う。 >>164
関連発売ね。JTB時刻表にも載ってるのに○ラでできないって言われた。 >>163
今、駅で周遊きっぷを買おうとすると、備え付けの仰々しい申込書書かされる。
省略して口頭で良い駅とかないのかな?
買ったこと無いが、旅行代理店とかは緩いのかな…
>>166
JTBだと口頭で済んだよ。
出入り口までややこしいルートとか指定すると質問攻め喰らうけどね。
何も言わないと新幹線を中心に組まれるから、夜行とか在来線メインの予定なら簡単な計画書を作っておくといいよ。 >>166-167
申込書があるのは束だけだった希ガス。
Qの窓口では特に何もないから、メモ紙に経路を書いて
中の人に渡してる 一般周遊券の発券担当していたけど、自筆の申し込み書を提出しなければ受け付けなかったよ。
あとでトラブルからね。 青春18は通年有効で4000円の6回分で販売してほしい
乞食対策から考えれば1日4000円は妥当な金額で
6回分で24000円の金額で通年有効であれば、ある程度の乗客の質を高めることができるだろう
自動改札機が通れるように、1枚のカードで数人が利用できないようにする。必ず、1人1枚とする。
プラスチックカードのような形状(京都市営バスのバス1日乗車券のような)に改める。
大人の値段は上げるべき。子供料金は設定するべき
年金生活者は今の中高年齢者の愚行を考えれば、一般の大人の料金で構わないだろ
1枚1人でしか使えないにすればいいんだよ
うざいのは集団キッパーだからな
特に団塊、そもそも、車に乗れなくて介護が必要なほど体の弱った人が電車に乗って出かけるか?
駅までの移動もあるし駅下りた後の移動もあるし買い物したら荷物も増えるのに
息子や娘が車に乗っけて目的地まで車で直接送ってやるのが一番お年寄りのためだと思うよ >>171
で,問題提起は何なんだ?
現状の18利用者のマナーの悪さか?
団塊世代のマナーの悪さか?
介護が必要な人が鉄道利用するなということか?
年金生活者と中高年齢者の愚行と因果関係あるのか?
言っていることが支離滅裂
特企コード70202、東京から高山への往復ならこれだったze!!
>>171
何だか知らないけど、本当に「18」が1回当たり4千円になったら
ながらは季節運転すら無くなると思う。
価格か喚起してきた需要なのか、それとも列車の旅が愛されてるのか
の試金石になってしまいそうな悪寒。sage ワイド周遊券、周遊区間まで急行までしか使えないから、
無理やり夜行急行使ったなぁ。八甲田とか能登とか。
オイラの頃はもう簡リクだったけど、夜中に何度もバタンコとw。
周遊区間入ったら、もう特急でもバスでも書いてある区間内
何でも乗りまくれるのは良かった。
GWの上りで金沢から、臨時急行「加賀」を選んだら、
14系1車貸切状態で、堂々エビ寝して来たこともあったな。 >>175
あなたはオレですか?
「八甲田」で青森→郡山をやりました。(もちろん宿代わり)
但し国鉄末期のダイヤだったので、郡山着が朝の3時過ぎ…
ツラカッタ。
磐越西線の始発まで3時間近く有ったので、駅から少し離れた
コンビニで立読みして時間潰したね。
ちなみに「ニコマート」だったけど、今も有るのかな?
>>178
ミノルタRTS101 キャノンFTb ペンタックスSP、SV オリンパスOMー1などがライバルだっけか? >>179
それがあったか(ぽん)←ヒザをたたく音 >>177
郡山はコンビニ先進都市なんだな。
ちなみにセブンイレブンの24時間営業は
郡山市内の店舗が第一号店
エビ寝で思い出したけど、平成2年の春先に北海道をワイド周遊券で巡ったときのこと。
稚内から乗った急行利尻で4人分占有でエビ寝していたら、夜中にふと目を覚ましたとき、
空いた1人分のところにおばちゃんが1人座っていてビックリしたことがある。
あわてて体を起こそうとしたら、「あ、そのままでいいから」と言われたので、
また寝てしまった。
札幌が近くなり起きたときには、もうおばちゃんはいなかった。
利尻もワイド周遊券も追憶の彼方へ・・・。嗚呼。 >>183
郡山工場の引き込み線のど真ん中をぶち抜く踏切は、渡っててなかなか楽しかったが。 >>177-186諸氏
176です。
実際に乗ったのは昭和61年の11月だったので、今から22年前ですね。
国鉄最後のダイヤ改正があった時で、あちこちの駅で「ヘッドマークオレカ」が
積極的に売られまくっておりまスた…。
そんな時の東北旅行、583改の普通列車にも何度か出くわしました。
誰も突っこんでくれなかったので、自分で落ちをつけにきたんですか? 「周遊急行券」のメリットが未だにわからんうちに一般周遊券は既に過去帳入り…
>>191
有効期間だろ
たしか周遊券本体にあわせて1ヶ月だったと思った。
5月31日開始の北海道ワイド冬料金版を買っておいて、5月31日に有効開始日を6月30日に変更、
さらに出発直前に7月24日開始のをもう1枚買い、
7月4日0:04に京都から急行「立山」で出発、「しらゆき」に乗り継いで道内へ。
2枚目の有効最終日の8月12日に「利尻」で稚内発、継続乗車で「すずらん」→「十和田」→東海道普通列車乗継で京都へ。
という強行軍をやったことがある。
名古屋発の北海道ワイドは経路の選択肢が多かったので、
・夜行きそ(千種発は0:07)→とがくし1号→しらゆき
・大垣夜行→佐渡1号→しらゆき
・しらゆき→おが1号→大垣夜行
・八甲田or十和田→東海道普通列車乗継
と経路を毎回変えていた。 周遊券、ワイドやミニの青地の常備券が当たり前だった時代…
懐かしいなぁ 会社が終わって、札幌から千歳空港に直行、
飛行機乗って、羽田へ、羽田から、横浜駅へ、バス。
横浜駅で四国ワイドや山陰ワイド買って、常備なのですぐ買える。
札幌駅で買った「銀河」の寝台券で大阪へ、あちこち行ったなぁ。 東京スカイツリーの立地は最強だ!
★東武伊勢崎線 押上駅 直結
★都営浅草線 押上駅 直結
★東京メトロ半蔵門線 押上駅 直結
★京成押上線 押上駅 直結
★東武伊勢崎線 業平橋駅 直結
上記「5路線が集結する」スーパークロスジャンクションの真上にそびえ建つ。
この立地の素晴らしさは、新宿駅や池袋駅に直結する百貨店に匹敵する。
今の東京タワーよりもはるかに立地は良い。
古くからの江戸市街地にもごく至近だ。
国際観光都市、浅草からもわすか1km!徒歩15分以内で散歩がてらで行ける。
★東武伊勢崎線 浅草駅 徒歩
★東京メトロ銀座線 浅草駅 徒歩
★都営地下鉄浅草線 浅草駅 徒歩
こんなスーパー凄い立地に建てられるのに、なぜか辺鄙なところだと思われているのが不思議だ。
★JR総武快速線錦糸町駅 徒歩
★JR総武緩行線錦糸町駅 徒歩
★東京メトロ半蔵門線錦糸町駅 徒歩
半蔵門線で錦糸町からも一駅。歩いても1.4km徒歩20分だ。
三越前や大手町・渋谷からも乗り換えなし!
都営浅草線なら日本橋や東京駅(宝町)や銀座や新橋や浜松町(大門)からも
一本で行ける。
想像を絶する観光名所になるのは間違いない。
今思うと東京からゲロや高山への往復には北陸ワイドを買うのが安上がりだったんだな。
中学卒業の春休み。山陰ワイド周遊券買った。当然常備券だった。
券面が見えなくなるほど途中下車印を貰った。
とどめは裏面に「誤乗:東舞鶴」。
西舞鶴はエリアだったけど、東舞鶴は「エリア外」やったんよねぇ。
福知山発朝一番の列車に乗ってやらかした。
今思えば、下車印ばっかりの表券面を見て、駅員さんが気を使ってくれたのかなぁ、とも。 北陸ワイドのルート選択の広さと言ったら、新潟からだと神クラスだった。
中央西線経由以外は殆どのルートが使えた。
名古屋に行くのに一番安いのが東京・米原経由オッケーの北陸ワイドだったりしたもの。 >>195
逆から目線の体験談ばかりだから、札幌発というのは新鮮に思える。 水郡線の水戸〜安積永盛間が経路になっているので
みなみ東北ワイドがあったな。
九州など西日本方面の周遊券のルートで東京〜名古屋〜関西線で湊町に出て徒歩で難波へ
そこから地下鉄に乗り梅田(大阪)に行ける特例があった気がする
記憶違いかも知れないが >>202
記憶違い
確かに
東海道本線(関西本線、JRバス東名高速線・JRバス名神高速線を含む。)
となっていたから別に当時の湊町駅まで乗っても良かったけど
ここからは大阪駅などへ自腹 規則にまだ詳しくないころ東京発の九州ワイドで特急「まつかぜ」に乗っていたら
しっかりと尼崎〜幡生の別途運賃を支払うことになりました。
車掌さんに「いやーすみませんねー。規則なので・・・」みたいなことをいわれました。
>>202-203
それは単なる選択乗車区間。(大阪以遠−天王寺以遠だったか)
門司港にもあった。
もちろん社線運賃は別払い。 名古屋・岐阜ミニで、塩尻で急行乗換えを良くやったなぁ。
確か、東北ワイドをどっかから取り寄せると、北上=盛岡間で通勤するより
安くなってごりゃぁ、という話を聞いた事がある。 71 名前:名無しでGO! 投稿日:2008/08/27(水) 22:22:21 ID:fjBXbM+G0
岩手県の花巻〜盛岡間あたりは,至近のミニ周遊券発売駅までいったとしても
毎日急行で往復していたら元がとれるので,最初の片道1回だけ発売駅まで
普通に乗車券を買って移動し,あとは急行乗り尽くめにしている勤め人がいた
と新聞記事にあったとか。
昭和55年くらいで静岡発の東京ミニが7日間有効で4000円。28日間で16000円
1ヶ月の通勤定期が16000円以上の区間ならお得だったし,急行タダ乗りできたんだな。 東京ミニを「通勤」に使う話は廣済堂のW大だかK大鉄研の本にあったな。
取手から久里浜まで1週間往復するのに最も安い手段は?というやつで
正解は一度静岡までいって東京ミニを購入して使うというやつだった。
まあ昔は今でいえばFLEX定期感覚で30〜50キロ程度の通勤に特急・急行乗る人が多かった。
いちいち乗車券急行券を買わないといけないので気の毒に思った。
南近畿ワイドって、特急自由席に乗れるようになった90年に名古屋まで自由周遊区間になったが、名古屋市内発の設定はそのまま残った。
有効期間は10日あったから、名古屋−尾鷲あたりを1週間くらい毎日往復する人がいたら、おいしいきっぷだったと思う。 >>207
この裏技は、地元では昭和40年代後半から、使われていました。
当時は急行にビュッフェがあったので、帰りは「軽く一杯」が
出来ました(盛岡に花巻、水沢方面から通勤している場合)
昭和50年代になって、裏技として朝日新聞に掲載されましたね。
学生の頃、札幌から東北ワイドで、あちこち乗りつぶして、
帰りは、北海道ワイド買って、北海道を乗りつぶす、
でも、有効期限のうちに大学が始まるので、
数日、周遊券で国鉄バスに乗って通学したな。 学生の頃北海道ワイドで駅寝と夜行列車で
23連泊したのはいい思い出
20日越えてるのは台風で期限延長になったわけで 周遊券の交換が「賢い使用法」?
犯罪行為を「賢い」というのはおかしいんじゃない?
他人に譲渡とかヘンな使い方するヤツが廃止早めたのかもな 昭和56年発行交通公社の「運賃表創刊号」が物置からでてきた。
当時の国鉄運賃は初乗り3キロまで110円,200キロまで2400円,300キロまで3600円
400キロまで4600円,500キロまで5600円,600キロまで6600円・・・だった頃です。
そこで問題
@〜Kにあてはまる駅名周遊券名管理局名等を答えてください。
この当時の周遊券の発地に注目してみました。各発地で扱うワイドミニ周遊券(立体は除く)の種類数の
ランキングをみると,第一位は( @ )で41種類,第二位は( A )と( B )の40種類,
第四位は( C )の39種類,第五位は( D )と東京都区内の38種類,以下,千葉(36種),
大阪市内(34種),京都市内(33種)と続きます。
ワイド周遊券を含めて30種類を販売していた( E )は「旅行開始地」というよりも「旅行目的地」
といったほうがよいかもしれません。通年停車する特急もいまだかつて存在したこともありません。
北海道ワイド,道南ワイド,東北ワイド,みなみ東北ワイド,信州ワイド,北陸ワイド,函館大沼ミニ
青森十和田ミニ,秋田男鹿ミニ,盛岡八幡平ミニ,盛岡陸中海岸ミニ,山形蔵王ミニ,仙台松島ミニ
鶴岡酒田ミニ,平泉南陸中海岸ミニ,福島会津磐梯ミニ,日光那須ミニ,南房総ミニ,東京ミニ
水戸奥久慈ミニ,能登加賀温泉ミニ,鳥取三朝ミニ,松江大社ミニ,福山尾道ミニ,松山高知ミニ
徳島鳴門ミニ,福岡唐津ミニ,長崎佐世保ミニ,鹿児島宮崎ミニ,山口秋芳洞ミニを発売していました。
逆に1種類しかない発地は全部で20発地あり,( F )のみ発売が13発地,( G )
のみ発売が7発地で,この2種類のミニ周遊券の人気がうかがい知れます。
( F )と( G )の2種類のみ発売の発地もたくさんあり,そのうちの22発地は( H )局管内に
あります。
( F )も( G )も発売しておらず秋田男鹿ミニと青森十和田ミニのみ発売というのが北海道の
( H )でした。
3種類発売の駅では( F )( G )( H )のみ発売というのが12発地ありました。
発地どうしの近隣関係をみてみると
( I )( J )は互いに隣接駅の関係ですがそれぞれの駅発の周遊券を発売しその種類はまったく同じ
でした。
( J )( K )も互いに隣接駅の関係ですが( J )発のものはすべてワイド周遊券で( K )発
のものはミニ周遊券3種類でした。 上記@〜Dのヒント
Aは特定都区市内名が入り
Aの中心駅をふくめて@〜Dまですべて同じ路線にあり新幹線が停車
西側からABDC@という順番になる
訂正
>>218の最後の2行を付番ミス(失礼)
( K )( L )も互いに隣接駅の関係ですが( K )発のものはすべてワイド周遊券で( L )発
のものはミニ周遊券3種類でした。
と訂正してください。よって空白箇所は@〜Lの13種類です。 ワイド周遊券不正使用のパターンとして有効期限ギリギリまで周遊エリアにいて
長期間滞在しない周遊券ユーザーを探し(主に女性だったとか)交換してもらって周遊エリアにずっと居座る輩がいたとか
鉄道雑誌なんかでも最後は周遊券廃止など自分自身に跳ね返ると不正使用へ警告してた
実際にワイド周遊券は廃止されてしまった 29年前の今頃は卒業?旅行で九州ワイド
(小児断片には九州均一と書かれていた)を手に西日本を行脚中だった。
車中7泊+5泊(間に1回ホテル)など
二度とできまいと思ったが今のところその通りになっている。
かいもんも日南も12系、新しい車両は綺麗でいいやとぬかす俺はへたれ。 >>215
明らかな違法行為だよ。
継続乗車制度の活用で滞在時間を延ばすのは規則に則った賢い活用法だけど。 >>224
新潟・弥彦ミニっていうのがありましたよ。 >>224
新潟・弥彦ミニ、経路関係で話題が多かったねえ…。
大阪市内発だと東京経由無しとか、
仙台市内発で米坂とか磐越経由だと、異様に高い、とか。 >>225-226
素早いレスありがとうございます。
手元の資料(S57年頃のミニ周遊券一覧表)に掲載が無かったので気になっていました。
大阪発で東京経由不可ということは大阪〜東京の片道に北陸回りで夜行急行を使うなんてことは不可能だった訳ですね…。 >>227
手元の1984.9の時刻表によると、
名古屋発 15,200円
大阪発 14,300円
もちろん名古屋市内発は東京経由可。
もっとも、片道行程の場合は、一般周遊券という最強のきっぷがry >>226
東京発の場合、信越線経由の直江津周りでも自由周遊区間に入れたんでしたよね。 >>229
上越線開業前のメインルートを彷彿とさせたね。
あれ利用して、「能登」「きたぐに」の乗り継ぎで直江津経由して新潟入りしたのを思い出すよ。
軽井沢の夜霧の濃かったこと。 やはり急行の自由席利用出来たのは大きいですよね……
関係ありませんが昔は指定券の購入申込書の乗車券の欄に[片道・往復・ミニ周遊券]みたいな選択項目が有りました 急行東海などでは、この列車は急行です。急行券がないと乗車できません
って言っていたね。そして乗車したらすぐに車掌が検札に来て、切符は?
って言うのでミニ周遊券見せたら、はいどうぞって言って終わりだったね。 >>232
時には検札で周遊券に凹凸パンチを入れて貰ったり。
あれ、90年代以降のスタンプ普及で廃れちゃったけど、
きっぷに凹凸で模様が入るだけでも「あ、チェックして貰ったな」って風情があったんだよね。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
四国ワイドで、大阪〜高松を関西汽船使える券をつけられたと思うけど、
あれって、本券(B片?)には、発行済みの判かなにか押されたのかな?
いえ、とりあえず貰っといて、譲渡できる
じゃないか(もちろん不法行為)と思ったものだから。
コレクションでもよかったかな… 北海道ワイドで特急乗りまくったなー
こんな機会でもないと特急乗れないもんね 「北斗」「おおぞら」を札幌から乗り通すのも充実感があったね。
振り子出現以前は183-500がスターで、乗り心地もそれなりに良かった。
気動車夜行になる以前、道東・道北夜行の14系座席車の簡易リクライニングにはげんなりしたが。 >>237
はまなす自由席(と多客時指定席)では、現役だな。
ストッパーが多少改良されているけど。 >>231
>やはり急行の自由席利用出来たのは大きいですよね……
急行列車の減少が、周遊券を廃止に追いやった原因の一つだろうね。
で、周遊券の廃止で急行に加え(快速を含む)普通夜行まで削減。 実家が金沢で東京の学校に行ってたんで、北陸ワイド周遊はいつも使ってた。
行き帰りは当然、急行自由席w
急行能登、越前、白山、ドリーム号とのりくらとか兼六とか。
金沢市内も国鉄バス名金線使って駅前から武蔵が辻か橋場町まで乗ってあと徒歩w
一度、夏休みに実家発で山陰、宇田郷目当てで山陰ワイド周遊買ったら、
京都発の周遊券+京都までの往復になっていて、小浜線経由が
入ってないわけよ。
帰り、知らんぷりして大社に乗ってたら東舞鶴あたりで検札来たけど
車掌さん、一瞬、切符をまじまじと見てたけど、なんか、
そのまま返してくれて終了。これ、問題なかったのか、大目に見てくれたのかw >>237
一時期、千歳空港と帯広にしか停まらない「おおぞら」がありましたよね。 国鉄時代は大らかだったけど、北陸本線は厳しかったぞ。
鈍行客レで何度も検札が来たのは、あの辺だけだった。 >>235
あれは自動的に添付されていた。汽船に乗ろうが乗るまいが。
基本的には利用の際は最終券片の提示が必要だった筈。実際の取り扱いは不明だが。
>>245
それはどうも。
>最終券片の提示が必要
だったら何の問題もありませんね… >>241
山陰ワイドの自由周遊区間は東舞鶴以西じゃなかったっけ ググったらこんなサイトが..
ttp://highland.hakuba.ne.jp/~sakura/tkmuseum/syuyu21g.html >>249
なぜか山陰に行くと、下車印が赤が多いんだよな。 直江津に住んでたんだが、周遊券は東京ミニくらいしか売ってなかったので、地方への旅行は主に一筆書きだった。
周遊きっぷはむしろ福音のはずだったんだが、直後に首都圏に転勤してしまい、
周遊きっぷの発券の面倒臭さから土日きっぷ等のユーザーになってしまった。
周遊券(周遊きっぷ)というと、つかえねー切符という印象だなぁ。
都会の人には便利な切符だったんだろうけど。 >>230
「旅と鉄道」とかで「割高で損な切符」とか叩かれてたけど、
結構使い道はあったよね
横軽が廃止される1年くらい前に使ったよ
まず能登で直江津まで行って、普通に乗り換え鯨波で一旦降りて
165系を撮影。鯨波に戻って、普通を乗り継いで越後線を乗り潰して新潟へ
新潟のビジネスホテルを拠点に、白新線・新潟交通・蒲原鉄道を撮りに行き
帰りはきたぐにで直江津まで行って直江津から能登に乗り換え、
横川で降りて早朝から夕方まで碓氷峠でEF63の写真撮って、
あとは普通列車を乗り継いで上野まで戻った
青春18より安い値段で急行の自由席に乗れたのが良かった 周遊券の種類ということで考えると意外と多かったのが伊勢市
一般周遊券が「最強」だったなぁ・・・
関西のJTB某店で発券に1週間かかった記憶が。
一葉のタイプかなと思ってたけど出来上がったきっぷが異様に分厚いのに思わずワロタ。
大阪→(新幹線)→浜松→(遠鉄バス)→館山寺→(東名高速線)→名古屋→(ちくま)→篠ノ井・・・
てな感じで北信州をウロウロして、後はなぜか郡山(幹)に居たり「きたぐに」の電ロネ初体験したりと
充実したヲタ旅を満喫できたな。
運賃の割引率が高くて、掛け捨てやっても充分モトを取れた。
(もっとも乗る気のなかった遠鉄バスや小諸のJRバスやら実際に見たら乗りたくなって
しっかり往復ww)
ミニ周遊券や周遊きっぷ、ぐるりんパスみたいな「お仕着せ」もいいけど、旅のプランを組むという
楽しさを教えてくれたのは一般周遊券だったような気がする。 一般周遊券、90年代には作る人がほとんどいなくなってたそうだからねぇ・・・ 一般周遊券は某NTAに勤務時代によく発券しました。ただ受け付けるカウンターの女の子が規則をよく理解してなくて、よく揉めました。
ニューワイドもD券だけ売ってくれと言う客がよくいましたね。 >>255
単純往復ルートならともかく、一筆書き大回りで超ローカル掛け捨て指定地なんてやられたら
もはや並の旅行会社社員では手に負えなくなるからね……
俺、それ頼んでぼうぜんとされたけど 掛け捨てと言えば醒が井養鱒場・・・
でも、行ってみたら面白かったぞ。 >>257
手書き計算に時間かかるだけなら可愛いもんですよ。
通過連絡3回の日本全周(除北海道)作った時には、
2回ほど作り直してもらったなあ…。
正直、すまんかった。>JTB某支店
>>258
掛け捨てといえば、
須賀谷温泉、八瀬遊園、宮島、玄武洞、船小屋温泉あたりか…ナツカシヌ 高校1年の春休み、名古屋発の九州ワイドで1週間の一人旅。
「あかつき」で出発し、「かいもん」2泊、「日南」1泊。
30個以上押してもらった下車印。
20年以上前の思い出。 山陰ワイドで行くと、なぜか下車印が判子のように朱色で驚いたなあ。 ワイド・ミニって廃止時まで学割が3割引だったよね。
だから高校・大学の頃はなんだかんだで使いにくい18よりもワイド・ミニ愛用してたわ。
特に北陸ワイドは北陸のローカル私鉄めぐりに在り難かったなぁ。
往復に高山線経由、長岡経由、糸魚川経由、もちろん信越経由と遊べた。
もちろん宿は「きたぐに」自由席(時に「能登」)。富山の夜間待合室も懐かしい。
ただ、SL時代の猛者のような期間ぎりぎりまでのような使い方はしなかったけど。
北陸ワイドでは
上野行能登が0時すぎに糸魚川に到着→大阪行きたぐにの糸魚川発が0時40分ごろ
→敦賀着が5時20分ごろ
というのがあって何泊かそのパターンやりました。 >263
それ、1回だけだけどやった。最強パターンかも。
>>254
クーポン形式の切符を受け取る時、思わず匂いをかいでしまったのは私だけ?
あれ、意外といい匂いなんだよねw >>262
特に世の中が特急時代になってからは、明らかにワイド周遊券の方が得でしたね。 自分は一度(97年夏)に九州から南東北までの乗り歩きやるときに九州ニューワイドで発券してもらおうとしたな。
(ちなみに大阪在住)
結局それはできない、て言われたんで大阪発着の九州ニューワイド+大阪発着の一般周遊券(東北方面)でやったんだが。
九州ニューワイドのほうは行きに高知・宿毛経由でやったんだが、当時土佐くろしお鉄道の宿毛線が開業直前だったん
で、並行するバスから高架線を見つつ、列車の開業したら経由社線入りするかな?何て思ってたら結局開業しても入ら
なくて、「もしかして周遊券システムをいじるつもりかな?」と思ってたら翌年の春に今の周遊きっぷになったんだよな。
取られる位でちょうどいい。
ふらりと出かけやすくなる。 掛け捨てのつもりの伊予北条の鹿島が気になって実際に渡って
島の国民宿舎に泊まりに行ってみたときのこと、
四国本島側の船着き場に、小島通いの郵便船が停まっていた。
歌の題名じゃないけれど。まだホンの13年前のはなし。
そしてその時のが俺が作った最初で最後の一般周遊券… 一般周遊券、慣れたら楽しかったけど説明が面倒臭いってのがねぇw
しかし、今の周遊きっぷは面倒くさいわ割安感は乏しいわで散々。
一度だけ使ったけど、その後は使ってない。 「HOゲージ」とは「16番ゲージ」を舶来用語に置き換えた通称というのが通り一遍の説明になる。
したがって16番ゲージと同じ意味になる。http://hongage.ehoh.net/16bangauge.htm >>274
違うスレで不毛な論争を展開したいのか? 道央周遊券 \2,200 はなかなかの充実ぶりだよ。
札幌、朝6:01発ーーー滝川ーーー富良野ーーー新得ーーー新夕張ーーー追分ーーー苫小牧
ーーー東室蘭ーーー長万部ーーー札幌 23:54着
しかも新得〜新夕張はスーパー特急とかち4号利用(勿論無料)
北海道ワイド周遊券(立体ではないほうの)1枚で北海道全域の主要な国鉄線を走破できたのは、実に懐かしい思い出。
ただ去年、二十ウン年ぶりに函館に立ち寄った際に目撃した「摩周丸」に出会ったときには、
何とも言えない物悲しさが… 道内長期旅への儀式(冬編)
必ずワイド(均一)周遊券の地域別の表紙をつけてくれる駅や旅行センターで購入。
つけてくれた表紙のホチキスをそっと外し、本体ともにカードケース(ハード)にしまう。
AB券つけたもので入鋏しさあ東北・常磐・奥羽の急行で旅立ち。
連絡船の船中で「行き」のA券と「帰り」のB券をそっと切り離す。A券はしまってカードケースの中は表紙の上にB券が載り、これで道内旅行の「手形」の完成。あとは何もいらない。券面には誇らし気な「学41」と「2割引き」のスタンプが・・・。
帰りの連絡船でながめるB券の表面には旅の思い出のたくさんの「途中下車印」が・・・。
カードケースに周遊券いれてあちこち乗り歩いたことがあるけど。
ケースの中に一緒に入場券やら短区間乗車券やらもいれておいて
ある駅で改札を通るときケースごととりだして見せたのはいいけど
中身がふっとんであちこち散乱して・・・拾うのを駅員さんが
手伝ってくれた。 軟透明カードケースを切って周遊券入れて旅してたな
いまも18きっぷとか使うときはそうしてる でも、いい年して首からカードケース下げて
小学生の通学定期スタイルの奴がいるのには笑っちゃうよな。 北海道ワイド周遊券
稚内駅では北海道の地形が描かれていたがその稚内の位置あたりに下車印を押してくれた うろ覚えですが、ワイドだと
・北海道
・道南
・東北
・南東北
・信州
・北陸
・南紀
・北近畿
・山陰
・四国
・九州
・九州北
こんな感じでした?
このうち、北近畿と南紀だけお世話になっていないです
全部使った人も少なくないでしょう 「立体」「ニューワイド」の表紙にはジェット機のイラストが印刷されていたよね。
とても高くて使えなかったけど、ある時買ったワイドの表紙にそのイラストに×点つけたのが付いてきて
ちょっと嬉しかった。(代用) 手元に東北ワイドのB券があるけど、周遊区間の只見が兄見になってる。 山陰周遊券は周遊地域に入るまでの経路が豊富で楽しかったな。
東京発の場合、急行「大社」の運転経路と同じ東海道・北陸・小浜線経由から山陽本線・幡生・山陰本線まで、
山陽本線と山陰を結ぶどのルートも使えたからね。
もっとも、幡生経由のルートは晩年に設定されたルートで、長いこと美祢線経由が西側の端だった。
山陰周遊券は10数回使用したけど、最初にアプローチに使ったのは何と広島から国鉄バス大朝経由浜田行きのルート。
陰陽連絡の国鉄バスルートのいくつかもアプローチに利用できたのだ。
その時はまだ健在だった広島→浜田という夜行バスで初めての山陰入りをしたのは、なかなかチープな経験だったかも知れん。
ところで、自慢する訳ではないが、周遊券と夜行連泊は密接なつながりがあると思うが、
自分は最高59連泊というのがある。北海道周遊券2回+普通乗車券などを組み合わせて、全て夜行でつないだ。
その間2泊だけ寝台特急、3泊をハネで過ごした以外は全てハザの夜行。
周遊券全盛時代は“宿に泊まる”なんてことは考えもしなかった。周遊券の有効期間一杯まで夜行連泊が当たり前だった。
でも、もちろん気になる風呂は、毎日とは言わないが、2〜3日に1回は銭湯を利用していたから、
そんなに汚い格好で旅を続けていたつもりはなかったと思う。 今日、NHKで「かけすて」でお馴染み?の場所が放送されるね。
NHK総合 11:20ふだん着の温泉「まちをひとつに“戦国”の湯・滋賀・須賀谷温泉」
北海道ー利尻・大雪・まりも・ミッドナイト
東北ー八甲田→津軽(福島で乗り継ぎ)
信州ーちくま(木曽福島で上り→下り)
山陰ーだいぜん(倉吉で上り→下り)
四国ー高松→宇和島、中村行夜行鈍行
九州ーかいもん、日南
これらの夜行がなくなったから周遊券があっても宿代無し旅は出来ないなぁ 俺はもう欧州鉄に転向したわ
ユーレイル系のパスの使用感はかつての周遊券を思わせるし、座席付きの夜行もたくさん走っている
その気ならホテル泊まらず夜行だけで済ますこともできる
>>278
俺もそうしてた。
表紙つきの周遊券、昭和50年代後半はつけてもらえない駅(首都圏)が
多かったけれど、新橋にはまだあった。(無い周遊券もあったが)
B券入手するのに川口で降りたこともあった。
>>288
伝説の夜行バスですか。大先輩ですね。
今、下車印ってあるのかな。山の中の小駅は下車印がないとか、
乾いてしまって使えないところもあって、代わりに駅名小印を
押してもらったりした。駅員のみなさま当時は迷惑かけました。 ハンコスタイルも多かったけど、あの金属のフライパンのちっちゃいの(表現できない)みたいなのが
ふたつ合わさったので捺してくれるのが良かったねえ。 普通に使ってるよ。特に西。
あと、岡山なんかは途中下車で自動改札通ったときに自動改札内で下車印が押される。 >>297
専用補充インクを使わないで、スタンプ台に押しつけているのか、
フライパンの縁の枠まで押されることもありました。
>>298
下車印自動押印! ♪知らなかったよ〜 です。
あちらこちらで下車したら、印がだぶらないのかな? >>251
南近畿ワイドも発地設定有。その経路に上越を含む信越・高崎・東北・東海道なんてのもあったな。 >>297
「フライパンのちっちゃいの」ワロタ!その通りだね。
>>299
「フライパンの縁」そうそう、二重丸状態になっちゃうんだよね。
しかし、下車印集めるのなぜか燃えた。自由周遊区間(だっけ?)では
意味無いんだけれどね。
下車印で余白がなくなり再発行されちゃったなんて伝説もあったらしいが、
本当かな?
当該地の均一周遊券って、当該地でも常備されていたのかな。
>>301
検札(今はそう言わないらしいね)鋏もわざわざ押してもらいましたよ。
普通列車で検札がない区間も車掌さんにお願いして…
だからキップは、下車印と検札で、インク+凸凹になりました。 >>302
それはすごそうですね。さすがに私は下車印のみでして。
さて、一等の均一周遊券ってかつてあったそうだけれど使ったことある人いる
かな?(もちろんグリーンじゃなくて一等の時代)
いたとしたらこの道の大先輩だろうけれど。
一等もいまよりは連結していた車両も多かったようだし。
一等に乗れない(座れない、連結していない)と払い戻しがあった時代もあった
ようだね。 下車印の他に我々の時代につきものだった券面のスタンプは「学41」と「2割」でしょうか。
これが捺されている北海道均一(もしくはワイド)周遊券を持っているのが冬の汽車旅のお決まり、なんて。 確か1981年だったと思うけど、夏休み期間中に大雨で北海道の国鉄線の
半分ぐらいが不通になってしまい、周遊券の有効期限延長の措置がとられた。
その記載も加わってB券片の券面は無茶苦茶にぎやかになった。
あと、有効期限の最終日に道内夜行に乗って継続乗車になったとき、札幌で
乗継時間が2時間近くになったので、楕円形の「乗継」/「8002D列車」の印を
押してもらって一時出場したことがある。
懐かし&珍しいのはそれくらいかな。 >>304
周遊券でないけど、学校発行の学割証を窓口に出したら
身割50%引になったことがあります。
こっちはその場で気付いたけど、窓口が横柄だったんでそのまま
その場を去り、(追っかけてきたような気もするが)
それで旅行したけど、検札や改札でも一度も不信がられなかった。
昭和末期の話でした。 途中下車印なんてめったに使わない駅に勤務していたオイラは駅名小印で代用したっけ。 >>307
下車印ていわゆるシャチハタみたいな原理だったのか? >>258
船小屋温泉 1977年の時刻表では周遊指定地(地図で緑色に塗られていない)
が、1983年の時刻表では周遊指定地(久留米・柳川・瀬高。船小屋温泉)となっている。
醒ヶ井養鱒場もそうだ。
周遊指定地を増やしたということか。一般周遊券作るヤシはだんだん少なくなってきたと
思うのだが。今思うとわざわざ増やす意味が無かったような気もするのだが。 70年代に最初に北海道行った時は下車印押しまくったな
9割は廃線か無人駅になっていると思う >>309
当時は周遊指定地になることが一種のステータスだったんだよ。
今で言えば世界遺産みたいなものだ。
確かに「周遊券指定地」って看板が残ってたりするからな >>307
無理に押させてしまい、その節はありがとう! 捺せぇ言われてもどこに捺していいかわからんじゃないですか!
と言われてみたかった。 登録上無人駅(運転職員有り)ではフライパンは置いていなかったが、
代わりに駅名小印を押してくれたところもありました。 下車印以外に券面を賑わしたスタンプは、「学41」や「2割」の他に
「○月○日から有効」「長門市(代)」などの印
そして旅の終わりに必要だった「無効」印・・・。
あとなんだっけ? かなり特殊だが
「 月 日からに有効期間変更」 (2割引の北海道周遊券を7月X日から有効に変更)
「宮内長岡間往復運賃収受」 (都区内発の北陸周遊券の復路で長岡にて途中出場)
>>318
学割だと学生証の番号を記入するための「身 証| 号」ってゴム印があったな。
国鉄の駅窓口で買うと押されないことが多かったが、交通公社で買うと必ず押された。
後は、JNRカード(JRカードに移行)使用時の「クレジット」。 >>318-321のスタンプがすべて捺された券面の周遊券があったら凄いね。
(不可能か?) 当時定時制に通っていた漏れは八重洲10番で学割の青森十和田ミニを買った事がある
C制付きのマルス券だったので使用後は惜しげもなく集札に応じた 八丁堀発の北陸ワイド
八丁堀では千葉市内発を売っていたので10日有効
東京駅だと都区内発で7日間(これで料金同じ)
北陸では殿様切符で高岡〜小松1日3往復とかやりました
糸魚川、黒部、富山、高岡、金沢、小松、福井、敦賀にお客いたので
交通費どんだけ浮いたことか・・・
いまや昔のはなし >>324
八丁堀で千葉市内発買えたんだ。
高校生のとき始めての本格的鉄道旅行で使ったのが北陸ワイド。
B券の裏に加越能鉄道(車掌印)とサインされた記憶がある。城端ー下梨間バスに
乗ったときのことだと思うが。加越能鉄道バスの名金線の重複区間だね。加越
能鉄道バスも使えたんだと今思う。 ↑
ウィキペヂアの名金急行線に「並行する加越能鉄道や西日本JRバスの
路線に共通乗車可能となっていた」とあり納得。(まあ実際乗れたわけだが)
しかし、サインし押印するのはなぜだったのだろう。
細尾峠、ものすごい山道だったのを覚えている。
車掌さんが、気の強そうな美人だったことも印象にある。 須賀谷温泉〜菰逢庵の浅井町営バスは
誰も乗らんが船車券ばかり売れまくった。
そんな時代が平成ひとケタまで続いた。 >>330
一般周遊券の掛け捨てだ、東海道本線スジの。
同一周遊指定地内は不連続OKだったから、
片道だけ付けておくケースだね。
以前は定番だった醒ヶ井養鱒場は準指定地に格下げになっちゃったからね
だけど実際に行ってみたら面白かったぞ
家族サービス用にマジお勧め >>331
同一指定地内は不連続OKというのは知っていたけど
極端な話
発駅(国鉄)●小田原(箱根登山)○塔ノ沢(徒歩)◎箱根湯本(箱根登山)●小田原(国鉄)・・・
というような一般周遊券も成立したわけ?
●接続駅 ◎準指定地駅 ○指定地駅
>>334
全く問題ないと思われる。
なお参考までに「同一市町村内不連続」もOKなので、その点からも
箱根町(足柄下郡)の塔ノ沢〜箱根湯本が徒歩でも良いと解釈できる。
昭和50年ごろ2ちゃんねるがあったら
@一般周遊券のマニアックなつくりかた
Aワイドミニ周遊券の発地・値段・有効期間・経由
Bワイドミニ周遊券の他駅発売関連
これらについての情報交換がすごかっただろうな。
交通公社から「運賃表」なる書物が発行されて
ワイド・ミニについてすべての発地と値段が知られるところとなったが
経由だけはすべてについては網羅されていなかったな。
呉線に「神社」って掛け捨て船車券があったなぁ
あれ実際に山陽本線で旅行するときにも付けられたんだっけか?
>>338
というか当時は呉線経由でも強制的に山陽本線経由の運賃になったからな。
べつに問題ないはず。
玄武洞の片道船車券にはお世話になりました。
ただ実際に玄武洞には行きませんでした。
あれって駅から見ると川の向こう?だったような。
船車券が片道だけでは帰路は遊泳ってことにorz 京阪神ミニはいろいろと使えたな。
周遊区間内でも急行で移動したし、帰路は比叡・(新幹線・)東海4号の乗り継ぎもできた。 >>341
この周遊券で初めて高尾神護寺を訪れた。
自由周遊区間内の国鉄バス利用だった。 いちばん安かったミニ周遊券って
静岡発の東京ミニでいいの? あまり利用しようという気になれんなあ。
何だか貧乏くさい。 国鉄の定期観光バスも乗れる周遊券(ワイド、ミニも)もあったよね。 >>344
今の周遊きっぷは盆正月の企画切符禁止期間ぐらいしか
使う機会がェ・・・ 旅行会社が発行する私鉄のきっぷが「船車券」という表記だったのが何気に面白かったな。
今から思うと「ニューワイド」の往復航空機利用可ってのは良かった。
周遊きっぷはその点の利便性がハッキリ後退してしまって残念だ。
これも安楽死政策の一環なのかな?
>>349
基本的に一定区域乗り放題型はしたくないということ。
路線路線ごと客単価をきちんと計って経営したいってことだろ。
国鉄時代はドンブリ勘定だったからね。 そのドンブリ勘定のせいで、分岐駅での発売分が本線収入に組み込まれてしまい
赤字が実情以上に過大に認定されて切られていったローカル支線もあったんだろうな ニューワイドにAD100を絡ませたのはワタクシです。 >>352
どこの人?
J・K・N…
まあ実際発券後のチェックなんてまずなかったろうけど。 >>351
東京や大阪の若者が北海道ワイドを買って急行自由席以下利用で旅行した場合
北海道の収入にはビタ1円増えなかったんだよね。
上のほうにも書いてあるけど。 でも旅の思い出にと現地の硬券入場券を買っていたよ。ウチの親類は。 福島 郡山からの信州ワイドの経路が複雑だった。
→大宮→越後川口→飯山線は可
→会津若松→新津→長岡→柏崎→直江津→は可
だが
→会津若松→小出→越後川口→飯山線は不可
→会津若松→新津→長岡→越後川口→飯山線は不可
「外側経由」はOKで「内側経由」は不可というのも珍しくないか?
>>352-353
ん〜〜ホントどこの人だろね?
上手いと言うかズルいと言うか…
もっとも当時の周遊券規則では「AD100」を組み込んではいかんって
規則はなかったはずなので結果的にはOKだったのかも知れない。
当時は早割や売出日割引やその他割引TKTが急激に増えた時期であって、
それらを十把一絡げで組み込めるような規則だったように覚えてる。
要は個別の割引種別ごとに逐一OKとかNGとか分別してなかったのね。
北海道ワイド
20日間有効
学割41
懐かしくも戻らないあの時
そういえば昔はワイド周遊券の有効期間もこまめに設定されていたよね。
7,10,14,20日のみになったのはいつだっけ?
東京からの信州ワイドは身延線や飯田線を使っての自由周遊区間入りが桶だったので、
旧型国電にはよく乗ったものだった。今もツリカケ音が懐かしいよ。 周遊券のオプション券っていろいろあったけど
北海道発のものにある東京ミニに付属する箱根に足を伸ばせるオプション券あったよね。
どれだけ売れていたかは定かじゃないが 岡山で買った北陸ワイドのオプション券は、h鼬なのに運賃変更印が押されてましたね。
いまだと非鉄一般人がかりに周遊型の旅行するとしてもどれだけの人間が
鉄道の乗り放題型切符を使おうとするだろうね。
北海道にグループで旅行します。10日ほどかけてひとまわりしますなんていう
場合だと千歳まで飛行機往復であとはレンタカーってのがほとんどじゃないか?
“鉄”だって今はそれがふつうだよ。
せいぜい往復か片道に「カシオペア」「北斗星」「トワイライト」なんかを使うくらいだな。
道内の周遊券やフリーきっぷを使っても、今は昔のように隅まで鉄道やバスがあるわけじゃないから、
道内の観光地なんかを回るには、結局レンタカーが必需になるんだな。
第一、だいたいが優雅な周遊旅行なとする時間がないから、飛行機で飛んでピンポイントで回る旅が今は当たり前だね。
それに、そんな周遊旅行する暇や金があるなら、ふつうは海外に行くし、
その方が“安い”という現実がある。 いい旅チャレンジ20000キロでお世話になりました。
この切符がなかったら九州や北海道には挑戦できませんでした。
結局全線完乗は挫折したけど。 >>367
おれもあとすこしというときに挫折したのだが
別の理由で「完乗」になってしまった。完乗達成の瞬間は
自宅でしたwwww
いまは宮崎空港とおおさか東が未乗なので完乗状態ではない。
めくられた・・・というかはがされたんだろ
繰上げ当選みたいだなw
>>371
東京都区内など発で往復のうち1回名古屋経由にするとき使うのがL券 四国ワイドに関西汽船乗船券ってあったっけ
使いそびれたが 木曽路のD51だけを撮りに行くなら「信州ワイド(均一)」ではなくて「名古屋・岐阜ミニ」の経路(中央線)を
利用すれば途中戻りは別途必要だけど便利だった。
ワイドの付属券買わなくても中津川〜田立も通れたし。
>>365
北海道に10日という時点でありえない
海外行くでしょ普通 九州ワイドで桜島の定観バスを利用させてもらいましたな。 あれ良かったよね。
3回くらい使った。
楽しかったわ。 一般周遊券つくり損ねた…グリーン周遊券はつくったことあるけど… 「四国ワイド」が最後まで常備券で残ったのは、
関西汽船片道利用の付随券が付いていたから・・・と、
90年の購入時には説明を受けました。
弁天埠頭で、高松港行きに乗ろうと、
付随券を出して、乗船名簿も出したら、
2回、名前を呼び出されて、何やら手続きをしました。
「使える」ことは当然、関西汽船の係員さんは知っているのですが、
この時代ともなると、めったにいなかったらしく、戸惑われた様子。
「ワイド周遊券で乗った国鉄以外の乗り物」
龍泉洞→盛岡、岩手県交通。
弘前バスターミナル→盛岡、岩手県交通。
十和田湖→盛岡、岩手県北バス。
十和田湖→大館、秋北バス。
阿波池田→川之江、瀬戸内バス。 四国ワイドに限らず、西方面のワイドは\1500足せば、東京〜大阪は
ドリーム号に乗れたので、
四国からの帰りに、
関西汽船+(大阪市バス)+ドリーム号、と東京まで列車を使わずに帰って
来たことがあります。 >>309-313 遅レス(1年前に向けて)だが、
周遊指定地になると国鉄駅構内に地元が観光ポスターを掲出してもらう場合に、
優遇があるとの記述を「鉄道ジャーナル」か「旅と鉄道」の誌面で見たことがある。
料金面だったか、掲出場所・時期といった部分だったか忘れたが。
確かにオイラの子供の頃は、必ずしも鉄道とコラボしていない「○○観光協会」
といった観光地独自の誘客ポスターがよく駅に張り出されていた。 >>382
「旅と鉄道」の周遊券特集号だな。1980年代後半だったと思う。 >>382
俺の記憶してる限りでは
京都府の丹後観光協会がそれっぽかった。
天橋立とかあったからね。 関西やけど…
91年の春、北海道ワイドを当時、大阪の天満橋にあった北海道プラザで買ったら、もちろん常備券でNo.が0001だった 天満橋か・・・それは気づかなかった。
OMMビルの近くかな。 >>381
その1,500円思い出した。あれぞ国鉄の値上げ史のうち史上最大の値上げ率だったな。
バス指定券のうち「ドリーム」だけいきなり500円→1,500円になったな。(値上げ率200%) 違った。最高の値上げ率は
101キロメートル以上のグリーン券で
300円→1000円か。 >>380
> 「ワイド周遊券で乗った国鉄以外の乗り物」
> 阿波池田→川之江、瀬戸内バス。
これって国鉄バスじゃなかったっけ?
>>390
国鉄と瀬戸内の共管。国鉄の周遊券でも乗れた。 >>391
そうなんだ
俺は川之江→阿波池田で国鉄バスにのった。
分割民営化の数日前に。 >>393
でも周遊券じゃなければ、普段国鉄バスに接している地域外在住なら
よっぽどのことが無い限り、国鉄バスを使うことはなかったと思う。 周遊券の子孫にあたる周遊きっぷも、だいぶ整理(廃止)されるみたいだね。 今さらな質問ですが、過去に札幌発の北陸ワイド周遊券を使いつつ、実家のある
豊橋に帰省したことがあります。ところで、北陸周遊区間→札幌の経路として
@糸魚川→長岡→(上越新幹線上り)→大宮→青森→札幌は一般的だと思いますが、
私はA敦賀→米原→豊橋→大宮→(上越新幹線下り)→長岡→秋田→青森→札幌と
辿ろうかと考えました。そこでふと、果たしてこの経路は正しいのか疑問になった
のです。
つまり北陸から札幌に帰るはずの人間が、なぜ上越新幹線を大宮から長岡に逆方
向に向けて乗っているのか、咎められたらどうしようという思いから、結局素直
に東北新幹線盛岡経由で札幌に向かいました。
ちなみに、豊橋発の北海道ワイド周遊券の経路にはAがOKだったはずです。
さて、私はAの経路を使って札幌に堂々と帰れば良かったのでしょうか?
>>396
周遊きっぷを発券できない駅員が結構いる。
田舎の駅や年配の駅員がいるところは特にそう。頼もうとすると、
「出したことがないんだよね。」とかよく言われる。
最近は見て覚えた操作方法を携帯電話に保存して、いざという時に
役立てようと思っているが、なかなか使う機会がない。今後は更に
減るだろう。
しかしあまり出ないからといって、わざわざアイテムカットしなきゃ
ならない理由があるのか?プログラムを維持するだけでもコストが
かかるのだろうか? 懐かしで幻の
ルート周遊券。
アルペンルート以外はほとんど発券した記憶がない。
使用方向の矢印を押印したのも懐かしい。 >>400
最初はやたらと長く連なっていたが、次々と切り離して出発地に戻る時には最後の
1枚だけに…。急行の自由席に乗れたのも嬉しかった。
私はアルペンルートともう一つ、上高地・乗鞍で使ったよ。 >>401
コンビニとかスーパーの棚の脇にかかってる子供向けの5パック位繋がっているお菓子を見ると、ルート周遊券を思い出す。 東京都区内発の北陸ワイド周遊券と千葉市内発の同周遊券が値段が同じなのに
前者は7日間、後者は10日間有効で、その3日間を有効に活用させてもらった
ことがある。 ルート周遊券で私が使ったのは、大阪発の日光・鬼怒川ルートです。
なぜか、新宿ー小田原間は小田急も使えました。それで小田急のロマンスカー
乗って車内で日東紅茶を飲んだことがあります。 >>397さん、まだ見てるかな
参考になるか怪しいですが・・・
手元のブルーガイド「周遊券の旅」1979年版によると
@函館→青函(ここまで以下同じ)→奥羽→羽越→信越→北陸
A東北→磐越西→信越→北陸
B東北、もしくは奥羽→東北、プラス
(イ)東海道→北陸
(ロ)東海道→高山
(ハ)高崎→信越(含上越)→北陸
となっていて、豊橋からの帰りに上越線下りは利用不可でした
その後上越新幹線開業に伴い経路変更があった可能性はありますが 397ですが、>>406さん、ありがとうございました。
九分九厘>>406さんのご回答で正しいような気がします。何しろ当時はマルス券化
されており、経路が裏書されてなければ時刻表にも札幌発の経路はなく・・・
Bの(ハ)がある限り、その逆方向が追加されたとは思いませんし、結果的に止めて
おいて正解だったみたいですね。
しかしAの磐越西線経由があったなんて、ちょっと意外でした。
京阪神ミニ周遊券(豊橋及びそれ以東発)の経路に、名古屋から関西本線・草津線
経由の経路が入ってなかったけれど、それでも急行「平安」(名古屋発草津線経由
京都行)を通しで利用の時に限って認めてくれた。もちろん急行券も不要。 >>408
それは周遊券とは関係なく選択乗車か何かがあったと思うぞ >>409
いや、その選択乗車は柘植以東と大阪以西の場合に
関西線経由と草津線・東海道線経由を選択できるというもの。
京阪神ミニは自由周遊区間に入ってしまうので
当該選択乗車は適用外になります。 山陽本線から呉線及び赤穂線を挟んで直通する列車は結構あったけど、ほとんど
の周遊券の経路には両線区とも含まれていなかったですよね?
これらの線区に乗車した場合の、何か特例はありませんでしたっけ? >>411
呉線は特定区間 赤穂線は均一周遊券が登場した頃は経路外で別途運賃が必要だったが、後に選択乗車になったと思う >>404
そういう例かなりありました
東北ワイドの都内発が10日間で、千葉発は14日間
千葉発は400円程度高いが4日間増えるのはよかったです
しかも本八幡駅では両方発売してました
経路によっては、往復の普通乗車券買うよりも安かったり、また周遊区間の手前
まで往復するだけで元が取れた場合があった。全く周遊しなかったり、一部の区
間を放棄したり、あまり得した気分にはなれないものの、ワイド・ミニ周遊券で
はこういう使い方をよくやった。
今の周遊きっぷではとてもこうはいかない。 東京都区内←→大阪市内の普通運賃の2倍よりも
大阪発の東京ミニの値段のほうが安い時期もあった。(端数整理のため) >>415
30年位前は確か300円位安かったはずなので、みんな往復切符かわりに使ってた。ひかりは新横浜通過で東京〜横浜を急行乗ったりしてたよな。
>>416
30年前だと東京ミニは千葉までの往復運賃だったからそれはない。
それよりかなり前は東京までの往復運賃とされていて端数整理の関係で
安かった時期がある。(当時の長距離乗車券は100円単位に
整理しなかったから) 九州(北)ワイド周遊券には博多南線も含まれており、新幹線車両に追加料金
無しで乗れた。 俺が使った周遊券
1987年・高1の夏休み、東北ワイド。
1995年夏、九州ワイド。
九州の特急(485系みどり・きりしま・にちりん、783系かもめ・にちりん・ドリームつばめ
787系つばめ・883系ソニック・キハ185系あそ)・キハ58系急行(えびの・くまがわ)に乗った。
行きはウエストひかり
1996年正月、京阪神ミニ。行きは165系急行東海、
キハ58系たかやま・丹後も乗った。
1997年夏休み、北海道ニューワイド。
行きはE2系やまびこ、485系はつかり。
283系スーパーおおぞらに乗った。
帰りは485系白鳥・キハ58系よねしろ・秋田新幹線こまち・200系H編成。 ≫420
1996年夏休み、北近畿ワイド。
特急きのさき・はしだて・エーデル鳥取・はまかぜ・タンゴディスカバリー
急行わかさ・だいせん
鳥取・小浜・天橋立まで行けた。
天橋立ケーブルも乗った。
帰りはちくまと、ムーンライトながら。 >>418
博多南線の適用が、博多駅の西改札係員には不満のようだった
山陽新幹線の特急券キセルの不正乗車に使われるかも、という危惧があったのだろう 初期のワイド周遊券はオリジナルの表紙がついていましたね。そして北海道周遊券て感じでワイドの文字が入っていませんでした。
いまは、もっぱらジパング割を使ってます。
>>419
>>420
1987年夏休み、父親と宮古・青函連絡船で函館まで行った。
行きは急行十和田、帰りは東北新幹線。
485・583系はつかり号にも乗った。
大して得してないけど、なんだか得した気分になるんだよね。
買っただけでウキウキしてしまう自分が悲しいw >>423
同じ年の夏、俺も北海道いったよ。ワイドで。
上野からは臨時の八甲田に乗っていった、12系の直角シートに12時間は辛かったな。
道内2週間乗りまくった。
函館で「お祭り連絡船」っていう青函連絡船のイベントに乗ったりしたなあ。
帰りは白鳥で帰りました。 東京ミニでは使えなかった東京駅(上野駅)〜TDLの国鉄バス 昭和60年頃、岡山発の普通列車が姫路到着後、6分程度で大阪行急行みささ、
みまさかに接続していました。四国ワイド使ってその乗り継ぎしたことあります。
みまさかの方が空いていたのでワンボックス占領して乗ったことあります。
姫路から乗る人なんてほとんどいなかったので車掌がすぐに来たね。 昭和50年3月改正で姫路〜下関間の昼行優等がなくなったというのは
「大事件」だった。ついでにいえば改正直後は大阪から西方面は
夜行も自由席付の列車はなくなった。(後復活)
松江・大社ミニを利用して大阪〜急行いでゆ〜米子〜夜行急行ちどり〜広島
と行くことはできたが・・・。 なんといっても利用回数の多いのは、(ずっと大阪在住です)
「東京ミニ」で、
僕の年齢の者が使っていた時代は、
大阪〜東京の往復より\100ほど安かった。
特に、僕の時代の学生は、学割が、ワイド・ミニ限定で3割引だったので、
大学時代はなおさら安い。
首都圏の鉄道乗りつぶしは、これ一発で決まり!、
というような商品であった。 北海道発の限定発売だった東京ミニの伊豆箱根オプション券
東京に就職試験を受けに行ったついでに
これ使って急行東海で沼津機関区を見に行った 東京ミニ周遊券で東京方面に遊びに行った時、上野〜大宮間だけわざわざ急行を
使ったことがあった。その時の感想だけど、不正乗車している訳でもないのに、
何故かそわそわしてしまう。大宮で席を立つ時は他の客から変な目で見られる
し、特に検札が来た時など、「大宮まで」と言うのに勇気がいった。
もちろん、佐渡、妙高、つくばね、まつしま、ばんだい、なすの、八甲田等の
上野口の急行列車群に乗ってみたかったから。 東京ミニで「堂々と(?)」急行に乗ることができた区間は新宿〜成田かな。
昭和40年ごろだと上野〜大宮間を(尾久発着をのぞく)普通乗車券で
東北線や高崎線の普通列車にすら乗車してはいけないと思っていた人もいるくらいだからな。
周遊券、行きと帰りで成り行きで違う路線を通れたのが良かった。
周遊きっぷは値段が分かりにくいし、自由度が無いし、何よりお得感が無い。
特に行きと帰りに追加料金無しで急行(優等)列車に乗れなくなったのが酷い。
ゾーン内で相当乗り込まないと元が取れないようで使おうという気が起きない。
最低でも新幹線の自由席まで(全車指定席の場合は指定料金の追加だけで)利用できるようにしてほしい。 >>433
それはさすがに身勝手すぎるだろ。
よくも悪くも国鉄のような放漫経営であったからこそ
周遊券はバカ安だったわけ。
ついでにいえばその当時東京駅で北海道周遊券が売れても
ビタ1円たりとて北海道各線の収入にはならなかった。 今の特急自由席乗り放題、というのも
乗り鉄に悪用されたらたまったものではないからね 指定席対応のフリー切符の類も指定席の回数制限がつくようになったのは
その手の輩がお痛をしたからかな >>435
指定はともかく自由でどうやって悪用を…。券の貸し借りとかかい? まあさすがに
「安い乗り放題券」があるからヒマな学生が乗り鉄遊びするということならば
増収の1つになろうがもともと普通に急行自由席で長距離を往復しようとしている人でも
より便利な切符を買うことによりよりやすくなるという逆転現象あったしな。 >>438
金券屋や企画乗車券が少なかった時代だったし、もともと当時の(今もだが)正規の長距離の急行料金は、運賃に比して格安で、
単純往復の長距離客へのサービスとして妥当だったのでは? ミニ周遊券の場合急行料金とらないで「中心駅」までの往復運賃だけだったし
それももっともメジャーな経路で計算されて他多少遠回りな経路まで選択できたりした。
だから東京から山形往復は仙台松島ミニがよかったり
東京から米原往復で急行利用ならば北陸ワイドがよかったり
そういう例まであるということはどこかおかしいと思うよ。 何かの本に、
東京からの南近畿ワイド利用は東京発より直江津発が安い、
って書いてあったな。
直江津発には、長岡−上越新幹線−東京−東海道新幹線−名古屋
の経路が含まれていたのでOKだった。
ただし、東京発は大阪・天王寺からも自由周遊区間へ入れるが、
直江津発の東京経由は名古屋からに限定される。 ところが、
仙台市内からの新潟弥彦ミニは、
近道の磐越西線経由じゃなくて、遠回りの大宮経由の運賃ベースで割高だった。
東北大学鉄道研究会の学生が問題提起して時の仙台鉄道管理局に抗議し、
レイルウェイ・ライターまで巻き込んで汽車旅相談室の記事にも取り上げられたけど、
結局は改善されずじまいだった。 どんな改善要求したんだ?
まさか大宮経由を認めたままで磐西経由で計算しろとかじゃないだろうな >>442
部室前に宮城交通のバス停があった研究会だな。
どこで仕入れてきたやらwww
郡山発の信州ワイドも大宮経由だった気がする。
これが不思議な周遊券で
磐越西線〜信越本線経由は○で
東北本線大宮高崎線〜上越線〜飯山線経由は○なのに
その中間とって只見線〜飯山線経由は×だった 名古屋以東からの京阪神ミニ周遊券で、草津線が使えなかったようなものか?
もっともここは、急行「平安」で直通する場合は特例的に使えたが そういえば
当時の仙台〜新潟なんて新幹線もない時代で
当時の感覚だと大宮経由なんて普通しないもんで
常識的な経路は「あがの」か「あさひ」だったろうから
>>442が仙鉄に異議唱えたのはわかる気もする。
>>445
京阪神ミニでは関西本線も経路に入っていたから、
A券を大阪から西の駅まで使う場合限定になるけど、
柘植以遠と大阪以遠で「関西線」と「草津・東海道線」の
選択乗車が可能だったので、実質的には使えた。
これは周遊きっぷのゆき券では不可能な方法。
今ではこの選択乗車そのものが廃止されているね。 選択乗車は乗車券や回数券だけでの特例みたいだけど、
周遊券での選択乗車は何かの通達で認められていたのですか?
区間変更とか、有効期間とか、周遊券と乗車券ではかなり性格の違う切符のような気がするけど
>>448
周遊券は特に定めがないかぎり一般的な普通乗車券の規則が準用される。
だからたとえばもし東京都区内発仙台松島ミニにいちいち常磐線経由の経路が
記載していなくても常磐線経由で旅行することができた。 周遊券ぽく使えるのは各地のフリーきっぷだけになったな
しかしこれらは会社独自のものだから、全国ネットワークを生かした乗り放題切符は
18切符に残るだけか 「フルムーン」がある。
そういえば、最近「ナイスミディ」がないな。
まあ関係ないからいいや。 >>452
18切符だって、そいう長くはないと思う。
乗り鉄にとっては厳しい時代になって行くだろうね。
そろそろフリーパスのある海外に目を向けようかな。
やりようによっては、日本国内よりも安く旅できそうだし。 >>454
コリアンパスは7日間2等で19,700円か
しかしこの国に乗り潰しするほどの鉄道網があるかだな
欧州の一国パスはだいたい7日間2等で2−5万円くらい。そんなに安くはないな
ttp://www.railohshu.jp/railpass/railpass_top.html?agent=MAXVISTA&hflg=
ちなみにジャパンレイルパスは7日間普通車28,300円。 18きっぷは止めると、3島会社は大幅な減収になっちまうからな・・・。
あれは、実質的には本州3社から3島会社への利益配分という側面があるから。 (今のままなら)消費税増税による運賃改定も間違いなくあるだけに、
18きっぷも一体どうなるのかなぁ
ICカードの全国相互使用開始とも絡みそうに思うから
JRでの移動を「安く」「楽しめる」時代のゴールが、何となく見えてきているよね
快適に速く移動したければ、鉄道なら新幹線を使うしかない時代になってるし、
在来線は味気ない車両ばかりだし…(乗っていて退屈・苦痛) >>457
値段問わず面白くないものになるだろうね 何もかもがコンピューターに支配されて、人がコンピューターに合わせて生きる殺伐とした温かみのない時代になってしまったね。 すっかりこの豪雪で酸ヶ湯温泉有名になってるな。
東北ワイドなんかがあったから国鉄バスで気軽に周遊旅行できたけど
いまはフリー切符でもいけないんだよね。 自動車業界が軽減税率を求めているみたいだから、そうなれば当然鉄道や航空運賃も軽減税率が適用されるようになるんじゃない。 痴漢被害を受けて被害申告したのにヘラヘラ笑う女
http://www.youtube.com/watch?v=hbvkrbN2flw
そもそもこんなことは犯罪ではない
日本の法令はおかしことがわかる とうとう周遊きっぷも、天に召されて、このスレの仲間入りだね。 既出かもしれないがニューワイドは往復飛行機利用が出来たけど立体の時は片道しか飛行機利用は出来なかったと思った。 >>466
それで立体って名前がつけられたんですね 何で、世界遺産石見銀山は、国鉄の周遊指定地に最後までなれなかったのだろうか。 俺、関西に住んでんだけど、初めて北海道に行くとき、日本海縦貫線回りか
東北線(常磐線、福島から奥羽線を含む)にするか迷ったけど、途中駅で食べたい
駅弁があったので、かなりしんどかったけど、日本海回りにしたよ。
鉄道は飛行機と違って、行く先までの景色、味覚(駅弁だけど)を楽しめるのが、
良いと思った。
夕暮れの羽越線の笹川流れ、本当にきれいだった。(今は亡き特急白鳥号よりの) >>455
JRPものぞみルールのせいで劇的に改悪されたのだが
同様の改悪でナイスミディは売上激減→廃止の流れだった 九州ゾーンの周遊きっぷは九州新幹線が何故か使えなかったな
その後周遊きっぷ全廃に向かったが 名古屋発の信州ワイドの、出入り経路に、
@東海道線(東名高速線を含む)、飯田線
電車なら、名古屋→豊橋→中井侍 で周遊区間に
入るのだろうけど、東名高速バスの場合、
東名豊川まで利用して、豊川駅か三河一宮から
飯田線 ということだったのかな? 東京オリンピックまでに女性専用車の廃止させよう
<女性専用車両にはこんな女が生息しています>
東急東横線沿線に生息、女性専用車両を利用する男性客に暴挙謀略しまくりのおばさん
http://www.youtube.com/watch?v=Jf0qxSGr7fs&list=PL1k4xaNSVVuMH4s3w1YOTynHcO6CM1cgp
オリンピックで来日した海外の男性にまでも及ぶ男性への侮辱
女のわがままを許容してしまった日本の恥
男性を差別した悪質な女のわがままである女性専用車両をを廃止させよう 東京発の北海道周遊券は経路が東北本線・羽越本線・奥羽本線だったっけ?
青森までの行程で悩んでしまうな。
直通の夜行以外に「もりおか」+「しもきた」やら「よねやま」+「しらゆき」やら
「おが」+「むつ」なんて感じでそれぞれ急行乗り継ぎで行けるしな。しかも途中下車まで出来るし。 >>473
遅レスだけど・・・
自分もそれは気になっていた。だからアバウトな解釈で、豊橋発の東京ミニ周遊券で豊川インター
から乗ってしまったことがあるが、運転手からは何も言われなかった。
その時は何も疑問に思わなかったけど、そもそも豊橋駅に相当するバスストップが豊川インター
で良かったのか豊橋北だったのか、豊川〜豊橋の飯田線分、或いは豊川インター〜豊橋北のバス
運賃の支払いをしなくて良かったのかと、後になって疑問に思ってしまった。
同様に>>473の例があるから余計にわからない。
周遊きっぷになってからは、東名高速線の場合、名古屋〜浜松・静岡・東京 浜松・静岡〜東京の
区間が利用可能と明確になっていたけどね。 さて,来年からは東日本+北海道で
特急自由席以下乗り放題の切符が使える。
wkwk >>476
確かねー
旅客営業規則の何条だか忘れたけど
国鉄自動車線で「○○駅」「○○駅前」という名称以外のバス停留所について
国鉄駅と「同じものとみなす」という条文があって
そのうち東名高速線の一部バスストップについて
ことこまかに決められていた記憶がある。 九州エリアの周遊きっぷは九州新幹線が使えなかったんだな
ゆき券・かえり券で九州新幹線を利用して各駅を入口駅・出口駅に設定は可能だったが
順当に九州新幹線を組み込んでしまうと値上がりしてしまうから入れなかったとか? 東京及び京阪神のミニ周遊券だけでも復活させてくれたらいいと思わないかい?
経路は主なものから二択程度できればと思う
この二つなら結構需要がある(あった)と思うのだけどね ルート周遊券って割と短命だったな。これで能登半島に行ったとき、指定されたルートとは逆向きにバスで移動することはできないと言われ不便さを感じた。
現地行って、気が変わって周遊する順番を変えたいと思ったとき、別料金を支払わなくてはならない。
利用者の需要変化に対応できなかったんだな。 >>480
間違いなく需要がある。逆にありすぎるから復活はないとも言える。 >>481
立山黒部アルペンルートのルート周遊券で静岡まで急行「東海」に乗ったら、
車掌が存在を知らなかった。色々調べて、「乗れます」と回答を得たのが、
検札から約30分後。 >>481
ルート周遊券自体がそういうものだからしょうがない。
ルート周遊券は国鉄窓口では販売出来ず旅行会社でしか購入出来なかったのも不振の原因かと思う。
一番売れたのは勿論アルペンルート。 自分は一般周遊券のユーザーでした。
飯田線水窪駅が自宅最寄駅でしたが、受験の時には水窪〜豊橋〜東京〜辰野〜水窪の経路
帰省の時には東京〜豊橋〜辰野〜東京の経路で作って貰い、有効期限の一ヶ月をフルに
活用したものです。もちろんその他各方面への旅行にも使いましたが。
たいてい価格が安い周遊指定地への私鉄に湯村温泉、佐久間ダム、塔ノ沢あたりが、掛け捨て
状態で付けられていたと思います。
私がよく行った近ツリ某店には、当時周遊券のスペシャリストと呼ばれる人がいて、とにかく
安くあげる方法を模索していただいたものです。 >>485
近ツーにもそんな奇特な人がいたんだね。 岡山発着、舞鶴小樽間フェリー利用の北海道ニューワイドを2回利用しました、若かりし頃。
ゆき券かえり券で播但線の急行但馬にも乗れました。
今はフェリーのダイヤがすっかり変わってしまって(大幅時短にはなっていますが)、列車とセットで利用しづらくなっていますね。 岡山発着、舞鶴小樽間フェリー利用の北海道ニューワイドを2回利用しました、若かりし頃。
ゆき券かえり券で播但線の急行但馬にも乗れました。
今はフェリーのダイヤがすっかり変わってしまって(大幅時短にはなっていますが)、列車とセットで利用しづらくなっていますね。 新日本海フェリーの主たる客は長距離トラックとトレーラー、
敵は貨物専業のRoRo船だからね。
人間はおまけだが、とにかくまだ載せてくれるのは有難い。 >>484
山口方面にはエリア内フリー券もあった記憶だがね。
知名度が低かったよね。
正直,ルート周遊券と一般周遊券は
種村さんの「周遊券の旅」を熟読しないと
わかりづらいところはあったと思う。 というか
スレ違いだが日本国鉄の「ルート周遊券」って
この時代のソ連旅行と同じ感覚なんだよな。
あっちは入国から出国までの全旅程の乗車券と
宿泊券前払いで初めてビザがおりて
原則予定変更不可。今のロシアはどうだかしらんが。 一般周遊券に付帯する自由席特急券や急行券も一ヶ月間有効だったなぁ
手書きの頃は、周遊券と同サイズでピンク色地の補充券?で発行されたね。
一方、ルート周遊券はオレンジ地でしたね。当初はやたらと長く
連なっていましたが、順路を辿る毎に切り離していき、最後は一枚の
国鉄(JR)券だけになりました。 それでもまだ当時は公共交通機関が利用されていたんだよな。
旅行会社のカウンターで
「○○温泉ですと,△△駅(主要駅)からローカル線で○○駅下車ですが
△△駅から直通バスもありますよ。」なんて感じだったからな。
いまじゃお客が来たとしても
「レンタカーの予約もここでできますがどうしますか?」
という感じか
高齢者の金持ち相手だと
「観光タクシーの予約もできますが・・・」
だな。 >>490
種村直樹は、昭和40年代後期の交通公社の地方ごとガイドブック巻末著者一覧に
「周遊券の第一人者」とか無茶な肩書で紹介されてたのを思い出す 今の「立山黒部アルペンきっぷ」なんかはルート周遊券の名残というか、
改良版みたいなものだよね。結局行きつくところ、似たような形態になる。 立山黒部アルペンルートは、大町側か室堂側からの一方通行しかできないから、ルート周遊券に最も適している。
能登半島の先端まで行って周遊するルートも、大体1通りしかない。
気紛れで旅行ルート変更することがなければ、最も使いやすいのだけどね。 >>480
東京に関していえば,それを休日おでかけパスが代替しているといえなくもない。
平日同じようなものを売るのはちょっとおれは反対。 問題。
本州内のある都府県で
現在この都府県にあるJR各駅で,ワイド周遊券がなくなったときには存在していた駅のうち,
実は1駅を除いて全駅がワイド周遊券の自由周遊区間内にあったといいます。
この1駅がわかったら相当な周遊券通です。なお,自由周遊区間はワイド(ミニ)周遊券がなくなった
時点で考えるものとする。 南近畿ワイド周遊券は南海を使わせまいとの設定でしたね >>499 平城山駅、奈良県 この駅以外は南近畿ワイド周遊券の自由周遊区域内
違うかな? >>501
南近畿は関西本線以南だから木津も入るし,平城山は入る。
>>502正解。
敦賀から小浜線方面は北近畿
敦賀から北陸線方面は北陸 北海道ワイド
だが最初の7日は、北海道フリーパスグリーン用で毎晩寝台。 青函連絡船廃止の前年の昭和62年、JR東日本から
「海峡浪漫周遊きっぷ」なるものが発売され1度利用したことがある。
片道7日間、12日間と往復14日間のタイプがあり、片道タイプは
航空機も利用できた。(航空券は1割引き)
北海道まで(または北海道からの帰りの)JRの利用については
新幹線普通車指定席又は特急のB寝台車も利用できた。
自分は「往」は上野から583系「ゆうづる」の寝台(下段)で行き、
「復」は盛岡から新幹線を使い帰ってきた。
料金は都区内発往復で42600円で片道タイプは7日用24800円
12日用32600円だった。
北海道内は特急急行の自由席乗り放題で(グリーン車、寝台車利用の場合は
別途それぞれの代金及び特急券、急行券が必要)
青函連絡船には自由席のみの利用となっていた。
「ゆうづる」は常磐線経由であったがなかなか眠れず、途中平駅(現いわき駅)に
停車中ホームに降りたことを憶えている。
今となっては二度とできない貴重な体験となった。 ↑続き
昭和62年から63年にまたがる年末年始の休みを利用して行ったのだが
まず“ゆうづる”の寝台券しかも下段が12月30日の乗車わずか3日前に
取れたことに驚いた。
北海道への帰省は航空機が主流となっていることが改めて痛感させられた。
それまで北海道にはスキーで2回いった経験はあるが鉄道旅行としては初めてで
まして青函連絡船乗船も初めてだった。
国鉄(JR)の連絡船にはこれまで宮島と宇高連絡船の乗船経験はあったが
さすがに青函連絡船の船は大きくまた乗船名簿なるものを青森到着前の車内で
配られることも初めて知った。
(連絡船で乗船する普通席用とグリーン席用(及び寝台車)では用紙の色が違い区別していた。) 続き-その2
津軽海峡の冬の海は石川さゆりの唄ではないが
荒れていて、あの大きな船体が揺れ見事に船酔いした。
這う這うの体で函館に降り、道内では廃止間近な路線を中心に
乗りつぶしを行う計画を立てていたので、まずは松前線から始め
4日かけて江差線、標津線、上砂川支線、名寄本線、天北線等を
乗りつぶした。 >>505−507
その年始に初めて周遊券を買って北海道へ行きました。
私も連絡船他、松前線と天北線の廃止予定線区に乗りました。
使ったのは北海道ワイド周遊券でした。
その後、九州ワイド、山陰ワイド、四国ワイド、東京ミニなど、
周遊きっぷになってからも北海道や中国・四国方面エリアではお世話になりました。 周遊券に入るかどうかわからないが「EEきっぷ」はよく利用した。
この切符で“あけぼの”寝台券を買い東北各地のローカル線を乗りつぶした。 続き-その3
その後昭和から平成にかけて北海道ニューワイド周遊券等を使用し
何度も北海道に行き、未乗区間を乗りつぶしをした。
この間北斗星に3回、臨時寝台特急のエルムに1回乗る機会があった。
このうち北斗星には2回ロイヤルに乗る機会があった。
バブル真っ只中の時期で運よく切符が手に入り、ウエルカムドリンクや
フランス料理を堪能し、よい思い出となった。
なおニューワイド周遊券は帰りのみ飛行機にしたが、指定の飛行機会社は
JAS(旧東亜国内航空)だった。 EEきっぷをいーいーきっぷと呼んでいた。
いーきっぷと読ませるらしいが。 昔の流行語「なぜ山に登るのか?そこに山があるから」と同じ >>512
乗って残そうローカル線運動だよ
あなたは鉄道の何処を趣味の対象にしてんの 続き−その4
九州でもワイド周遊券、ニューワイドを大いに活用した。
行き方としては片道は必ずブルトレを利用した。
通常は東京駅から“はやぶさ”や“富士”に乗車していたが
仕事の都合で新幹線で名古屋まで行き、そこからブルトレに
乗換えたり、新大阪乗換で西鹿児島行きの“なは”て行ったこともあった。
旧筑豊炭田地方のローカル線を制覇するのに苦労したが廃止前の
宮田線、上山田線にに乗ることができた。 >>551
ただしくは「いいきっぷ」
E1つにつき「い」と読ませるのです。
あのころ,早朝の上野駅では長いエスカレーターのダッシュがあったな。
あるとき改札を開く前に始動させるのが忘れたのか,次々に駆け下りてくるから
始動できず。「とまってくださーい」って絶叫するもみんな無視。
ありゃ始動忘れの駅員が悪い。 >>516
ハイカーらしき人が山に向かってバンザーイ!している袋だっけか。 >>517
袋でなくて2つ折の「切符はさみ」ね。
緑字でEEきっぷで中にはJR東日本の路線図。
そもそもの発売目的は沿線住民にたいする
JR東日本エリアの宣伝目的で,出血覚悟だったとか。
ちなみにこの切符は記名式だった。 東北ワイドで福島折り返し
信州ワイドで木曽福島折り返し
北陸ワイドでホテルきたぐに 九州(北)ワイドでホテルかいもん
北陸ワイドでレストラン白鳥
信州ワイドで木曽福島折り返しは俺もやったわ きそ&ちくまで 金沢から上野行「能登」で糸魚川まで,
約40分待つと「きたぐに」がきてこれで敦賀下車。
・・・とやるべきなんだけど
2日連続で米原まで寝過ごしたな。3回目の正直とばかり
挑んだが,今度は「能登」で寝過ごして気づいたら軽井沢。
そのまま東京へ帰った思い出がある。 アニキたち普通にやってたんだな
自分は夜行は2泊が限度だったわ
最近は昼間1日乗ってるだけで疲れる、疲れるからやめとけ。
ってカキコばかり あのころはコインランドリーもあまりないから
洗濯場をみつけるのが大変だった。
文字通り「川で洗濯」したこともあった。 網走→美幌あたりのオホーツク自由席の洗面所でカーテンを閉めて、体を洗ってる大学生風兄さんがいたな。 学生限定北大恵迪寮一泊200円は寮の自治会に感謝。 大学生の特権みたいなものだな
旧帝大など有力校は生協か何かの力でも使ったんだろうか
無名新興私大の俺はただ指をくわえて羨ましがる他なかった 札幌の宿代浮かすために、まりもの新得返しとかやったな。 >>526
むかしは国立大学の寮って
他大学の学生を泊めるというのはよくあったんだよ。
学生寮はまぎれもなく国有財産なのだが,
大学の自治,学生寮の自治とやらを大義名分としてね。 >>529
もちろんその泊まる学生は
寮の学生の誰とも面識がないような場合でもね。
寮の管理も学生が管理するのが普通で,
学生証を提示して事情説明して臨泊料を100円か200円払えば
空き部屋(といっても汚い部屋だが)に案内された。 ワイド周遊券で一番利用したのは北海道ワイド周遊券で大学時代は上野駅から
急行「八甲田」に乗車する事が多かったが20歳(1977年)までの急行「八甲田」は旧客
編成で自由席、指定席、グリーン車、3段B寝台車に荷物車と郵便車を連結した
13両編成で翌年の21歳(1978年)の北海道行きから12系座席車に変わり、夏は
冷房付きで青森までの旅が楽になった。就職すると旅する時間は大幅に減ったけど
使える金が増えたのでゆうづるやはくつるで青森まで行くようになった。 一番利用しなかったのはどこかなあ…鉄道旅行するのにあまりメリットがないところ。 九州北とか南近畿とかかな、南東北とか大きな地域の半分ぐらいのエリアのものはそうだったかも。 俺個人のことで言えば、東京から北の方へは北海道や東北ワイド周遊券を使ったけど、西のほうは山陰の行くときくらいだった。
東海道山陽本線はムーンライトシリーズが充実していたので18きっぷで十分だったので 客増やすにはワイド・ミニ周遊券的なのもアイデア、だが行き帰りは急行自由席は不可能、割高になるんだろうな。
新青森開業前に東京から3万円で青森函館乗り放題、行き帰りは新幹線あけぼの桶きっぷがあった。そんなの出してよ。 束「鉄ヲタを喜ばせるだけの切符は出したくないんじゃ」 たしかにそういう気持ちが鉄道会社側にあるかも知れない 北海道は10日用とかあったが宿をどうやって確保したんだろうか?
宿代ケチる為に夜行列車で夜を明かした猛者もいたらしい >>537
北海道は有効期限切れそうな券を短期旅行者と交換するなんてのをやってる奴等がいたな。 サークル旅行の絡みで過去に1回だけ周遊券を使った時
(最初で最後に使ったのが1997年なんで、周遊券としては次がなかった)、
YHに泊まってたけど、今じゃYHは選択肢から外れるんだろうな… ユースホステル 受難の時代
朝日新聞デジタル 2015年7月19日(日) 16時10分掲載
YHって何? 施設数・利用者激減 門限もやめました
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150719-00000018-asahi-soci 乗り鉄としてはYHは使いづらいので駅近くとか公営YHを使ったくらいだけど、
今となっては基地外YHも含めもっと行っとけばよかったと。
今は安宿やベッドアンドブレックファストがあるからね
でも都心や立地のいいYHは外人ホステラーだらけじゃないのかな 私の30年来の疑問を解決すべく教えて頂きたいのですが。
青森十和田ミニ周遊券の周遊区間は東北本線の好摩以北だったのですが、
青森発の上り急行「八甲田」に乗車し盛岡で下車、折り返し下り急行「八甲田」で
青森へ帰ると翌朝到着なので宿代もかからず済みます。
ところが好摩から盛岡間は周遊区間外となりますので好摩で折り返し乗継すればよいのですが
「八甲田」は好摩には停車しません。
この場合好摩から盛岡、盛岡から好摩への乗車券と急行券を購入すれば
再び周遊区間に戻る事が出来るのでしょうか。
「八甲田は」八戸を出ると盛岡まで止まりませんので八戸、盛岡間の急行券が要りそうな気もします。
当時やったのですがどのように代金を払ったのか全く記憶がないのです。
現在ではこのような切符、列車が存在しないため確認のしようがありません。
よろしくお願いいたします。 そういう場合の料金券は停車駅基準。
八戸〜盛岡間の急行券が別に必要。この急行券が100キロをわずかにこえるので
損した気分になるところだが。
>>532
もっとも不人気だったのは北近畿だったとか。
>>537
北海道の場合,有効日数が7,10,14,20の4種類になったとき
いちばん近い青森発でも20日用だったはずだが。
>>538
まあそれは不正利用になるわけだが,妙に流行っていたな。 >>532
みなみ東北は,水郡線を片付けながらかるく福島や山形をまわるとき使ったよ。
水郡線経由が認められたのはアレしかなかったからね。
当時はまだ青春18もなく,周遊券でまわれる路線はなるだけ周遊券でと思っていたもんで・・・。
宿は1泊夜食朝食付風呂なしで1000円弱程度の
郡山のステーションホテルときめていた。 ワイドでほっつき歩いていた頃は、YHも安ホテルもまったく目に入らなかったな。
走るホテルがいくらでもあるのに、わざわざ泊まる人が理解できなかったw
九州ワイドを20日間使い切ったときは、かいもん、日南、ながさきが大活躍。
車掌や駅員に顔覚えられて、使用済みの硬券を一掴みもらったりしたw
楽しかったなあ、古き良き時代… ・・・で
その「ながさき」「かいもん」「日南」全盛期には,
「山陽路には今じゃ『阿蘇』『くにさき』『雲仙』『西海』しか夜行急行はないが
むかしはいろいろあったもんだ。松浦線から分岐するローカル線もあったりして
古き良き時代だったな〜」
なんて言っていたんだけどね。 >>547
夜行列車そのものが絶滅寸前の今とは、意味合いが違うと思うが YHはあの雰囲気に入り込めない
安宿 これも金がないか使うのが勿体無い
ハッキリ言おうぜ >>546
20日間も入浴や着替えはどうしてたんですか?そんな頃からスーパー銭湯とかあったんですか?
着替えも20日分持参したわけではないですよね?
教えてください。 >>550
入浴は、2〜4日おきくらいには入ってたかな
当時は駅前温泉やら銭湯があったんだよ。特に南九州には結構散在してたね。
指宿駅近くにあったホテルの日帰り入浴で、海鮮なんちゃら食って贅沢したこともあったな。
着替えは、1週間から10日分くらい持参したかな
入浴のついでに洗ったり、駅で水道借りたり、当時はホーム上にも洗面台があったからね。
古くなったシャツや気に入らないシャツは、洗わずに使い捨てて新しい物を旅先で購入したりもした。
駅前の万屋で、3枚500円のTシャツに飛びついたりしてねw
ついでに>>549にマジレスしとくと
>YHはあの雰囲気に入り込めない
は図星だねw
当時の俺は反面教師で、規則もしきたりも糞食らえだったから。
宿泊については
宿代に金使うなら、往復のブルトレのどちらかをロネにするとか
フィルム代や現像代に使った方がいいと思ってた。
決して裕福ではなかったが、そんな価値観持った変わり者だったんだよw >>551
ガチ凄いですね。
現在当時みたいに夜行があったとしても、自分にできるか自信がないです。
でも自分もそんな時代に生まれたかったです。
マジレスありがとうございました。 神通川で「洗濯」したことあったな。
真夏の暑い日「北陸ワイド」にて。 >>554が川で洗濯をしていると
川上からカドミウムがドンブラコ、ドンブラコと流れてきましたとさw
なんて、スマソ
冗談はおいといて大丈夫だったんだよな? 大きい駅が24時間、夜通し開放されてた頃が
なつかしいよな。
大きい駅は平成初頭まで改札内に
今みたいなブースで区切ってない、
国鉄時代そのままの「待合所」があって
ベンチがたくさんたくさん並んでた。
ああいう長距離旅を感じさせるアイテムも
消え去っちゃったよね。
今はそこそこの規模のが残されてても
隅っこへ移されてたりブースで区切られてる
どの大駅でも改札の真ん前ではなくなった
東京駅の新幹線乗換改札前の待合所とか
仙台駅の改札入った真前にあった待合所とか
旅先で見かけたのが印象に残ってる >>556
で、その待合所のベンチで夜を明かすんだよな。駅ネってやつ
そこそこの規模の駅だと、夏休みや冬休み中なら大抵御同業が一人二人いたりしてねw
0円泊と引き換えに、夏場は虫が格闘戦挑んでくるし
冬場は寒さが容赦なく責めてくるけど、そこはひたすら(保温)専守防衛なんだな。 そうそう。夜行どうしの乗継とか、
夜行折り返しの待ち合わせとか、
単なる始発待ちとか、理由はさまざまだけど
俺もよくやったよ。
仙台、長岡、直江津…
直江津は、つい去年1月に
上りあけぼの→上りトワイに乗り継いだ。
あのけだるい深夜未明の数時間、
久しぶりだった。
改札横もそうだけどホームの待合室も
ちゃんと暖房入ってて
誰もいなかったからホームのほうですごした。
夜行折り返しは「妙高」の高崎、
急行アルプスで「塩山」が記憶にある… >>558
直江津?あけぼの???
駅泊でまだボケてるのか?w 新津の間違いだったのは詫びますが、
なんでそんなにレス一発目から煽るんですか?
平和にいきましょうや。
ちょうど前年正月に似たような夜行同士
直江津で日本海ときたぐにを乗り継いだのと
近年設置の束のホーム待合室は似ているので
混同しました。 郡山で、DC急行時代の「出羽」から「津軽3号」へ乗り継ぐ予定だったが
爆睡してしまって失敗、気が付いたら黒磯まで行ってしまった。
慌てて飛び降り、直ぐにやってきた下り急行「あづま」+「ばんだい」に飛び乗ったわ。
車掌に事情を話したら「今回だけだよ」と黒磯→郡山片道料金だけで黙認してくれた。
その後は本来の予定を変更、日中線へ向かったんだな。
周遊券でなければできない芸当だったね。
80年頃、東北ワイドで 昔の福島発須賀川行最終DCの郡山到着のアナウンス。
「次は郡山,郡山でございます。15分ほど停車します。
郡山からの接続列車・・・東北線上り急行「あづま2号・ばんだい?号」は
6番線から0時44分・・・・(中略)。
水郡線は,7番線から明朝5時○○分発水戸行,
磐越東線は,6番線から明朝5時26分発平行
といった具合でしたね。 そういや考えてみたら
24時間営業って,役所は別にして,売買契約を締結する場所でいえば
その最初は(官鉄〜)国鉄だろうな。 >>564
コンビニに駅の管理を委託すれば、全国のかなりの駅が24時間営業になるな。
ついでに、無人駅の駅興しもできるかも?
ただ、その恩恵を受けるのは18乞食くらいだな。
夜行は絶滅寸前、乗客にとっては殆ど無意味 18乞食と呼ぶ奴に
このスレで語ってほしくなかったね。
564が振った論点ともズレてるレスだし。 いい年して、こんな小っちゃいことに絡んでるおじちゃんカッコワル それで煽ってるつもりなの?
屁の突っ張りにもならんけど(爆)
出直してこいボクちゃんw >>566-568
久しぶりに覗いてみたら、いいオトナが罵りあいっなんてガッカリさせるなよ…
三人ともやめなさい! >>565
人やクルマが寄り付かないところにコンビニをつくっても
無意味なんだなぁ・・・。 駅舎の駅銘板より、ローソンの看板の方が目立ちそうだな 「駅」より「道の駅」のほうが目立つという・・・
とはいえ,本来的には「道の駅」が「駅」で
我々の言う「駅」は「鉄道駅」だったのだがね。
まあ一種の原点回帰だわな。 >>570
やり方次第じゃ、道の駅のように町興しも不可能ではないと思うぞ >>574
無理。
というかすでにそういう駅はいくらでもあるが,
たいして「町興し」にはなっていない。
地方はもはや駅が人間の集結拠点とならなくなっている。
「町興し」という観点からみれば
イオンと病院と日帰り温泉を一箇所に集めてみるなどの
話ならば面白いと思うが。 小海線の清里駅と24時間営業のコンビニをコラボさせて
1年営業させてみよう。
まちがいなくコンビニはド赤字になる。 周遊券があったころ、18きっぷなんて使ったことなかった。
てか、使いきれなかったから言い値でいいよ言われて、それで使ったことがあるくらい。
周遊券に比べると、使い勝手悪かったし世代もあるのかな。 北川世代です。
関東ワイド周遊券がなんでないのかと恨めしく思っていました。
青春18きっぷが登場した頃は,仕事,仕事,仕事,仕事,仕事,自宅勉強,爆睡日
の繰り返しで,電車遊びはおろか,新宿で映画みるのだって「極めてまれな」
感じでしたから・・・・ ↑に続く。
仕事日というのは「表の仕事」と退勤後の「裏の仕事」(接待など)。
自宅勉強というのは,表裏の仕事を5日やった上での
法規や約款といった建前部分と実際の仕事の乖離を整理して
レポートすること。次の出勤のときに上司に提出。 周遊券は行き帰りで違うルートを気分で選択できたし、急行にもタダで乗れた。
料金も往復に色を付けた程度で安かった。
今なら急行や地方幹線がほぼ滅んだので、新幹線自由席まで乗れないと使い物にならないだろうな。
周遊きっぷはクソ。 今や急行は絶滅同然だけど、エリア内なら特急の自由席に乗り放題。
新幹線という飛び道具なしでも、使い方次第では十分な効果が期待できる。
それに、乗り鉄に多いアンチ新幹線にとっては、今でも秀逸な商品だと思われ
今でもあったら。の話だけどね…
周遊券に比べたら、周遊きっぷなんてクソだわなあ JR海が『たびきっぷ』とかいうまがい物出してるけど
アレどうよ?
使った人いない? 名古屋から岡山へ行く時に検討したが、EX予約のほうが安いので使わんかった
たびきっぷ 22630円
EX予約 10190円×2
差額 2250円
現地で在来線に乗るのは1000円程度、たびきっぷは損することに気づいた 単純往復だと丸損だよな。フリー区間を使わんと・・・ その点、四国再発見は阿波池田から徳島単純往復するだけでもオトク。 高坊の頃、品川駅で買った函館大沼ミニ周遊券券番0001。
既に誰も使わない時代になっていたのか… 北海道だと国鉄JRバスフリーが有り難かったが短距離利用ばかり いまどきのヤングはかわいそうだな。
青春18なんぞ使うと,ロングシート地獄に苛まれて
挙句の果てには「乞食」呼ばわりされる。
由々しきことでぞっとしない。 いや、実際の18乞食の中心は40〜50年前のヤングたちだけどなw
やっとジジババが消えてホッとしたと思ったら、今度は『秋の乗り放題パス』か・・・ 大学時代「北海道ワイド周遊券」は5〜6くらい回利用した。
特に冬季割引(10/1から5/30)をうまく使い、5月30日に冬季2割引+学割で
6月30日から有効の北海道ワイド周遊券を買い、夏に平気で冬季割引と
学割の36%引きのワイドで北海道を旅した事があります。
大学も夏休み前なので当然講義はズル休みしたのでありますが・・・
14系の利尻、大雪、まりも、函館〜札幌間の名無しの旧客鈍行を定宿にしてました。 >>591
「まりも」世代だとそれが限度なんだよな。
実はその6月30日から有効の冬季割引を購入した後
さらに有効開始を1か月遅らせるなんてスゴ技ができた時代もあったりしてだな。
冬季割引の北海道周遊券で堂々と日勝高原線に乗ったりしてだな。 1958年生まれだけど大学4年生の夏まではまだ石勝線開業前で札幌〜釧路間の
夜行列車は急行「狩勝」だったな〜!利尻も大雪も狩勝も旧型客車でよかった。
>>592
冬季割引ギリギリに購入した道内ワイドを適当な理由をつけて乗車日を無理やり
30日後に変更して使った事がある。道内ワイドを買った山手線S駅のみどりの
窓口では助役がでてくる騒ぎだったけどワイド周遊券を乗車日変更しては駄目な
国鉄旅客営業規則も東京○鉄道管理局の特例にもなかったので強引にやらせて
S駅みどりの窓口には行きずらくなったが八甲田や道内のレチや駅員からは何も
言われなかったよ。 >>593
ほぼ同世代かな。
最後のオロハネ10目当てに「大雪」に乗ったよ。 >>593
それって5/31に6/30から有効開始の冬季割引ワイドを購入して、
さらに30日後に変更したの? わしらの世代は均一周遊券
ワイドなんてのはヤング世代 均一周遊券にはイラストの入った表紙をホチキスでとめてくれた 加齢臭漂ってるなここ
ワイド周遊券、ニューワイド周遊券、ミニ周遊券、私もかなり使ったわ
またあの頃の鉄道インフラに戻って周遊券で特急乗り放題の行き先自由な旅がしたいよ >>598
三セクばかりで周遊券を使う旨みもないよ
周遊券で気軽に乗れる定期の夜行も来年3月で
全廃なのでイマイチつまらなそう というか周遊券どころか周遊きっぷもあぼーん済なんですがそれは >>601
まてまて、お前さんだって定年後には使いたくなるさw 18は学生向きのきっぷだ
老体にはつらい
2時間以内、100km程度の距離を往復するのがせいぜい
東京〜小田原・熱海や大阪〜彦根・長浜とか >>603
そうでもないぞ。
18きっぷの最終日の数日前だったが、八ヶ岳に登頂した70過ぎの御大が
岡山まで鈍行乗り継いで帰ると言っていたぞ。もろん18きっぱーだ。
最近の爺さんは、無駄に元気あるんだよ。 フルムーンで新婚旅行
そしてどちらも初婚なんてのが
ありえる時代になってきた。 >>604
70代が元気で50代がもう体力がなかったりしてね。 フルムーンは40代からよく利用したキップでした
北海道へ行く時は必ず北斗星のB2デュエットを利用させてもらった。 >>607
まさにそれだな。
今の50代より、70代の方が地力も生命力もありそうだもんな。 使えるウチに使っとけ
俺が使える様になる頃にはなくなっていると思う 周遊券全盛期だったので青春18キップは数回しか使っていない。
それも仕事で当時は常磐線・荒川沖が最寄り駅だった通産省工業技術院
・電総研(現在の独立行政法人・産総研)へよく行ったので青春18使って
勤務先には乗車券で買った事にして差額は頂いたよ。
>>602
夫婦旅なら「フルムーン夫婦グリーンパス」、1人なら大人の休日倶楽部
が便利だよ。JR東日本全線4日間乗り放題(新幹線.3セクを含む)で15000円とか、
JR東日本全線(新幹線.3セクを含む)+JR北海道全線5日間乗り放題で25000円など
安くて便利なキップがあるから青春18キップで長距離旅行したいとも思わない。
>>608
自分もフルムーン夫婦グリーンパスで北斗星のB2デュエットはよく利用したよ。 >>591
利尻、大雪7・8号、狩勝7・8号、からまつ、すずらん5・6号、43・44レ
道内夜行はこんなもんかな >東日本全線(新幹線.3セクを含む)+JR北海道全線5日間乗り放題で25000円など
俺の大学時代に存在して、年齢制限無かったら夢の切符だな 近頃じゃ東京近郊の路線バス各社が気楽に乗れる1日乗車券を出してきたが
昔は都営しかなかったんだよなー。
昔からあれば,いまじゃ廃止されたあんな路線やこんな路線に乗りまくり・・・
という昔には周遊券があって今はない。
世の中うまくいかないもんだのう ご存知とは思いますが
神奈川中央交通、1日乗車券あり (ICカード持参のこと)、
詳しくはWebで >大学も夏休み前なので当然講義はズル休みしたのでありますが・・・
よく前期試験をパスできたな(つか、6/30からワイドで北海道旅行じゃあ試験日程にひっかかるだろと) >>614
アレって、値上げの交換条件じゃなかった?
200→210円の時に、一日券と近距離定期を設定したような記憶が たいていの私大だと9月はまだ夏休みだよ
知らない人からみると「あそこの家の息子は9月に昼間からぶらぶらしてる」と
ニート疑惑を抱かれるし、親も「高い学費を出してるのに9月になっても遊んでいる」と怒るがw 私立大学出身で休みが多くて鉄道旅行するのに最高でした 趣味的には、私大文系が最強だったね!思う存分遊べたよ。
こんなんじゃアカンのだろうけど・・・w >>616バリ(ケード)スト(ライキ)で前期試験は潰れ後期初め迄にレポート出す仕切りなのさ、恐らく
母子家庭で勤労学生だったにもかかわらず後期終了後や卒論で冬に安い北海道・道南ワイド結構使ってた 7〜8月にバイトで稼いで、9月に安いチケットで海外に行くのがデフォだったな。
10月前半になっても海外に行ったままで、講義に出て来ない奴は珍しくなかった。
携帯が無い時代なので、国内だろうが放浪中の学生の行方はわからん。
そいつの親から電話が掛かってきて「うちの息子はいまどこにいるのか」と訊かれる始末。 国内旅行も7月末〜8月は高く混雑するのでその時期はバイトで稼いで旅行した。
大学生最後の夏休みは都区内発の北陸ワイド周遊券(学割で8900円)で急行越前に
乗って、自由周遊区間内では毎晩急行立山の敦賀ターンを宿代わりにして観光や
乗り潰しとかやってB券有効期限最終日の急行能登で東京に帰った。
当時は北陸本線・城端線・氷見線に旧客の普通客レも走ってて、乗り鉄も楽しめたよ。
敦賀ターン:富山22:40[急行立山6号]1:58敦賀2:22[急行立山5号]7:08糸魚川 高い学費...私大文系...
年間学費30万円の引き換えに遊ぶ暇なしだったその逆。
帰省の際の周遊券で遠回りして楽しむのがせいぜいだった。 そういや帰省で買ってた京阪神ミニは神チケットだったなw
実家から毎日、乗り鉄・撮り鉄・駅ソバ食べ歩き三昧で1円もかからん。
まだ急行もあったから乗って遊べたし 実家が福島県の喜多方だったので夏と年末の帰省は
福島・会津磐梯周遊券を使ってよく帰省したよ。
行きは夜行の急行ばんだい、帰りはキハ58・28の
臨時急行ばんだいで上野まで乗った。 今は無人となってる駅にもタブレットがあって
新幹線券を販売してた? >>628
駅員がいる駅はそれが普通。
有人駅では,列車運行時間帯は
指定券を除いて,すべての乗車券類を
売るのが当たり前でした。 有人駅なら指定券も駅員が電話で予約をとって手書きの指定券を出してくれるんじゃね?
平成の半ばになってもド田舎の有人駅で後日の旅程で乗る特急券を見せたら
ちゃんと新幹線への連絡指定特急券を手書きで出してくれてたしね >>630
マルス端末がない駅でも近くの端末がある駅に鉄道電話で空席を調べてもらい
手書きの指定券(料金専用補充券・略称料補)に書いてくれますよ。
やり取りの電話を横で聞いた事がありますが間違えのないように5号車(イツツ
号車)、9番(ココノツ番)、D席(デンマークのD席)みたいに確認して
台帳に書いたのを更に手書きで指定券にも書いていました。 >>631
おれが発券してもらったときは、マルス係との電話でのやりとりは
間違えなかったようだが、手書きで書き写す際に記入ミスをされ、
乗車してみたら指定された席は空いてなかったw >>630
時間帯が限られていたよ。
みどりの窓口の営業時間は
当該駅に指定券対象列車が発着する場合をのぞいて
当該駅への発着する列車運行時間帯とは一致しなかったからね。
つまりはその「当該駅」に紐づくみどりの窓口のない駅の
指定券が売られる時間帯も列車運行時間帯とは一致しなくなる。 指定券でダブリが発生するのは電話で問い合わせして手書き指定券発行する時に書き間違いで起きんだよ。
そうなった場合に普通は調整席があって、そこにレチが案内してくれて一件落着なのだが部屋数が少ない
SA1やSA2だと調整席がないので大変な事になる。1988年の北斗星ロイヤルでそれを経験したことあり。
後から部屋に来た客が車掌を呼びに行って指定券の発売日が自分の方が早くて、自分が先に乗ってたので
ダブったお客はツインデラックスの調整席に案内されていたなぁ。 最強なのは夏休みの繁忙期に九州から東京へのブルトレのBネ50席程度がダブリになったことかな。
団体の予約がキャンセルになったと思い込んだ旅行会社の係員が当該席をマルスに戻したため。
このため一般客には小倉で一旦下車してもらって急がない人にはホテル1泊+
翌朝の特急に振替。どうしても・・・という人には後続の他列車へ振替となったとか。 時間に余裕のある旅なら飛行機のオーバーブッキングは楽しいで >>637
待っている間にもらえた小遣い分使ってしまうんだけどな。
航空会社発オレ経由空港内飲食店行wwwww 自分はワイド周遊券では北海道ワイドと東北ワイドをよく使った
東北ワイド周遊券は自由周遊区間内で自由席が連結された夜行列車の
本数も多くて、時間帯もよかったんだよね
郡山22:34(八甲田)6:15青森 青森00:03(八甲田)7:27郡山
郡山23:03(津軽1)9:06青森 青森20:35(津軽4)6:32郡山
郡山23:38(津軽51)6:19秋田 秋田22:27(津軽52)5:15郡山
平23:20(十和田1)8:12青森 青森(十和田6)6:26平
平00:04(十和田3)9:07青森
上野から東北ワイド周遊券利用で急行料金が不要な自由席付き夜行急行は
八甲田、津軽、十和田の他に、おが、鳥海、もあったしいい時代だった そして時代が下ると
「八甲田」あたりも郡山を深夜帯に通ることになりまして・・・
無茶折り返しが流行るわけでありました。 ついでにいうと
玄場光一郎クンは高校1年あたりでは
毎朝毎朝磐越東線の客車列車で郡山まできては
「八甲田」を見送りましたとさ。
当時は7時40分郡山発 >>639
1980年くらいかな?
>>640
1985年3月14日で大幅な時刻変更で東北ワイド周遊券の
自由周遊区間内で宿代わりになる時間帯としては
使えなくなった。
北海道ワイド周遊券では青函連絡船が2時間半くらい遅い
一便後の連絡船接続になってしまって最悪でした。 >>628
懐かし板でタブレットは通票の意味だろw
オンライン機器とか端末とか他に表現あるじゃんw 鉄道でタブレットといえば通票っですね
ITソリューションのタブレットで指定券は買えない(サイババで予約ならできる) 昔は夜行列車多くてワイド周遊券最強やった
北海道ワイド周遊券「43レ・44レ」「からまつ」「利尻」「大雪」「狩勝→まりも」
東北ワイド周遊券「八甲田」「津軽」「十和田」
南近畿ワイド周遊券「はやたま」「きのくに」「紀州」
四国ワイド周遊券「うわじま」「731D・762D」
九州ワイド周遊券「ながさき」「日南」「かいもん」 >>645
東北にも「ばんだい・あずま」と「出羽」があった
両方とも乗ったなあ 俺は岡山→京阪神ミニで「砂丘10号」+「上りだいせん」なんてのも。
震災直後の例外的措置。
あれから周遊券どころか急行自体廃止になった。 >>647
東北ワイド周遊券の自由周遊区間内では使いづらいよ
仮眠する時間としては中途半端なような気がする
下りばんだい 郡山4:07→05:12会津若松
上りばんだい 郡山0:27←23:15会津若松
下り あずま 郡山4:01→07:05仙台
上り あずま 郡山0:31←21:22仙台
下り 出 羽 郡山02:55→08:06酒田
上り 出 羽 郡山01:12←20:00酒田 東北ワイド周遊券の自由周遊区間内でなく上野発着から乗るなら
「いわて」「ざおう」「鳥海」「おが」などの急行もあった 北海道ワイド周遊券の自由周遊区間内で特急自由席が使えるようになったのは何年頃でしたっけ? 昭和53年10月改正だったか・・・・
山陰本線の米子〜博多の夜行「さんべ」がなくなって
信じられない思いがした。天下の本線に夜行列車が走らないとは!
という感じだったが,これがいわば序曲だったんだな。
その数年先には「夜行列車全廃論」なんてのが運輸大臣から
飛び出したりして・・・
昭和43年10月改正で廃止になるところだった大垣夜行は,
石田総裁のツルの一声で存続になり,これがいまでは
「ムーンライトながら」としてしぶとく残っていたりするが。 本線とはいえ、国鉄末期の出雲〜下関手前は3両鈍行がガラ空きのローカル線でした。 均一周遊券から、ワイドの名が登場したのは何年ごろだったか分かる方はいますか・・・? >>656
70年10月のミニ周遊券発売時、既存の均一周遊券をワイド周遊券と呼ぶことにしたらしい 新聞記事にも出てましたね
「こんにちはワイド周遊券です」みたいなリード付で 乗り鉄でも一般周遊券を使ったことある人ってほとんどいないような 一般周遊券も旅行会社によっては鉄オタが想像してる以上に活用してた印象
むしろ一般客が知らずに使ってるケースの方が多いかも知れない
廃止直前の90年代半ばに両親の旅行のため行先だけ告げて丸投げで手配を頼んだら
掛け捨て指定地を使った一般周遊券を渡されて驚いたことがあるから なるほど。
旅行客が自分で組み立てるのではなく、旅行会社まかせならば
一般周遊券は活用されていそうだ。新婚旅行に多そう >>660
それは相当レアケースだったのではなかろーか
90年代には一般周遊券の販売実績はほとんどなかったそうで >>662
昭和の時代は旅行会社独自の企画旅行が今ほどなかったからな
手配旅行では定期観光バス乗れば1箇所訪問とか旅行会社が一般周遊券組むケースも多かった mjk
今はパックプランばっかりだから昔のことがあまり想像出来ん さっきまでイデオン見てたせいかパックプランがバッフクランにみえた
笑ってくれてかまわん ワイド周遊券に国鉄駅で表紙をつけなくなったのは、
組合(特に国労)の我儘のせいらしいな。 >>668
(北海道)立体周遊券はこの余白の黄色い部分に飛行機のイラストが入っていたね。普通の北海道均一周遊券を買ったら余りがなかったのかこの飛行機の部分にバッテンが付いてるのが表紙でついてきた。そのままそで旅をした。
いい記念になったよ。 ある個人サイトに出ていたけど、
国鉄で表紙を付けなくなったことに疑問を感じて質問したら、
逆切れして「そんなのは付けなくていいんだよ!」等罵倒した駅員もいたらしいな。 1982年頃までは国鉄東京駅の東京駅旅行センターでは表紙と裏表紙を付けて
くれたけど地元駅の田町駅ではそういうのは無かった(頼んでもスルーされた) 近藤喜代太郎氏の本には、
表紙があると入鋏に不便だと組合が抗議したから、国鉄部内では廃止されたとあったな。
組合って、どうせ国労や動労だろうな。鉄労ではなさそうな気がするが。 セット時代の青春18の表表紙・裏表紙も周遊券の名残なんでしょうなあ。 http://livedoor.blogimg.jp/catalytic/imgs/8/d/8d6efc5b.JPG
マルス券になって経由をまとめた冊子ってちゃんともらってた?
大抵くれなかったのでマニアックな経由の場合、自分も駅員も「これ乗れるのか?」とか
悩んだ覚えが ミニ周遊券の表紙はあの∞マークのデザインで共通してたのでちょっとつまらなかったね。もっとも全種類違った表紙を用意するわけにはいかなかったのだろうけど。
みんな表紙も本体もカードケースにしまって携帯してましたか? >>675
下車印捺すからカバーしてはいけない、出してくれと駅員におこられる >>675
A券もB券も無傷で旅行が終って○算○でチョメチョメしたな〜w よく通ったなあ
無傷のチケットなんて持って旅行していたら、どこかで必ず駅員か車掌に怒られたな
不正が多かったからだろう。無効印があっても回収されるほうが多かったのも不正対策だろうね
券面が手書きの時代だし 周遊きっぷ衰退の原因はやはり夜行バスか?
ツアーバスの台頭で尽く潰されたな >>674
A券には記載されていたんだよ。
問題はA券が回収されてB券だけになった後だな。
スレ違いになるがこの種の券のマルス化で
自由周遊区間がドサクサ紛れに変わったのがある。
今でいう「都区内パス」の他駅発売の場合
元々は例えば立川発ならば立川〜西荻窪も
自由周遊区間だったのに
マルス券になったときその表記がいい加減になり,
その後いつのまにか立川〜西荻窪が
往復それぞれ1回乗車に限るということになってしまった。
ルール的にいつ変わったのかはいまもって不明。 周遊きっぷと夜行バスは、まるで関係ないんじゃないか?
周遊券より融通利くようになったが、分かりにくさのデメリットがデカかった
元から知る人ぞ知る存在だったから、自然消滅はやむなし 周遊きっぷ衰退もなにも周遊きっぷ自体が空気のような存在だった
ただ「旅は国鉄・JR」って時代でなくなったのが大きく影響してるのは確かで
今の地方在住の20代はDLやUSJに行くなら、まずバスを考えるわな。
大人の休日倶楽部のように成功した例は少ないね どこへ行くにも国鉄以外考えられない、という時代じゃないからなぁ
飛行機が大衆化して、そこら中に高速道路ができたし 国鉄しか長距離移動手段がなかった時代の置き土産
置き土産にしては、平成の世まで長続きしたものだ >>677
無疵なワイド・ミニ周遊券は精算所で祓い喪怒死ですかwww キセル、無賃乗車、不正乗車を自慢する神経がわからん 夜行急行の自由席と
普通列車の車内改札が絶対といっていいほどなかった時代など,
仙台から定期券で改札を入り,急行「あづま」利用。
上野などでは,定期などを持っている友人などに下車切符を用意してもらい,
帰りは乗車切符のみで改札を入り,仙台では定期券で下車。
この不正の万一の「保険用」として東京ミニを別途購入
なんてのが非鉄一般学生に横行していた。
アシがつかないようにともちろん非学割にて・・・。
東京ミニ周遊券を購入し, 鉄オタが昔からモラルが薄いことを証明するスレになってるな。
昔の鉄道雑誌でも平然と盗みやキセルの「思い出話」が出ていたしなあ。
今の痛い鉄オタは突然発生したんじゃないわな 1970年代後半や1980年代は北海道のユースに止まるとワイド周遊券の交換や
夕飯後にユースの談話室でキセルの講釈してる奴らがいたからなぁw >>692
毎年毎年バカみたいに値上がりするから
せめてもの抵抗ってことでしょ。 >>673
「青春18切符」が「青春18のびのび切符」だった頃
裏表紙にワッペンが付いていたよね。 ありました
でも恥ずかしくてワッペンとしては使いませんでしたよ 東北ワイド夜行折り返し
ここまで読んでみて、まだ誰も書いてないようだけど
昭和58年ごろのダイヤでは
上り「十和田」を深夜01時過ぎ?に小牛田で降りて、
20分ほどで下り「八甲田」へ乗換ができた。
これを2晩つづけて敢行したのだが、
なんと同業者数名と「ゆうべもお会いしましたね」状態だったw
>>654
>昭和53年10月改正だったか・・・・
>山陰本線の米子〜博多の夜行「さんべ」がなくなって
記憶違いでは?
昭和57年に、山陰ワイドで「さんべ5号」江崎「さんべ6号」の夜行折り返しをやりましたよ。
時刻表では、江崎での、さんべ5号と6号の上下乗換が1分くらいしかなく、ギリギリみたいだったけど、
実は時刻表には発車時刻だけ掲載されていたのであって、
他の列車の所要時間から類推するに、さんべ5号の江崎到着時刻はもっと早めだと思われた。
それを出雲市駅で尋ねたら、鉄道電話で江崎駅に問い合わせてくれて、12分ほどの余裕があることが判明した。 夜行さんべは59.2改正で廃止じゃなかったかな
53.10は20系寝台+12系座席でテコ入れをしたような気がする 他スレとマルチになってしまってスマナイが、本来こっちに書くべきだった。
旅客営業規則にある市内制度(仙台市内発とか札幌市内発とか東京都区内発とか)とは別に
ワイド・ミニ周遊券に限って更に「函館市内発」「新潟市内発」「千葉市内発」「高松市内発」ってのもあったよね。 都区内発と千葉市内発で東北ワイド(北陸もだっけ?)の有効日数が違ってくるので
わざわざ千葉まで行って買ってから夜行で出発、みたいなことやったなあ >>695
俺はカバンに貼った。
同い年のの北九州小倉の人が声かけてくれて、仲良くなったな。 国立大学の授業料にせよ
国鉄運賃にせよ
数年前に生まれた先輩とは格段に違う環境で大学生になったオレとしては(S38年生まれ)
青春18きっぷは正義の味方にみえたな。 国立大なら貧乏人の子供でも、バイトと奨学金で十分に都会でも下宿しながら
卒業できたものな。私学には学費の安い2部もあったし。
ただ今は所得に応じて減免が広く認められているから、今でも貧乏人の子は
進学できるけどね。 昭和30年生まれなので均一商品券ばかり使ってた
青春18のびのびきっぷ(後に青春18きっぷ)が発売された
1982年は大卒社会人5年生だったので金は稼いで周遊券ばかり
若い頃は均一周遊券オンリーだった。
よって青春18キップは長距離旅行では全く使わなかったよ
鈍行専用で北海道なら利尻、大雪、狩勝(まりも)、からまつ、
43レ・44レ、などや特急・新幹線が使えないのが難点で
安いけど効率が悪かった。 南近畿ワイド周遊券では和歌山市駅では乗降できなかったが、
南紀ゾーン券になってからは和歌山市駅でも乗降できるようになったが、
そのかわり南近畿ワイド周遊券では自由に乗降できた東半分の区間が大幅にカットされた 1970年代後半の南近畿ワイド周遊券は天王寺⇔新宮間の「はやたま」、天王寺→新宮の
夜行急行「きのくに15号」、名古屋→紀伊勝浦の夜行急行「紀州5号」があったので、
南近畿ワイド周遊券での旅行に便利だった。 「はやたま」は寝台車こそ「天王寺〜新宮」だったけど、
その他の客車の運転区間は「天王寺(1両だけ和歌山市発も有り)〜名古屋」だったよ。
晩年に165系化された時には「新大阪〜新宮」になった。 >>706
「はやたま」というより「南紀」のほうがピンとくるがな。 末期の南近畿ワイドで名古屋まで行けたのは、今では考えられないサービス。
別払いで「ナゴヤ球場正門前」に行ったりもした。 >>702中退続出奨学金地獄を知らない自民党員ハケーン >>706
和歌山市発のはもともと南海直通だった
1両だけあんな手間かけて和歌山で入換する手間って何だったんだろう? >>711
あの客車は、国鉄車じゃなくて、南海電鉄の所属車だったらしい。 >>712
サハ4801の事ね
でもあれが走ってたのはS40年代までで廃止前に連結していた客車は国鉄車のはず
後サハ4801の時代は名古屋まで連結ではなく新宮まで連結だったはず >712
サハ4801が検査入場の時は、南海が国鉄から客車を借用してサハ4801の
運用に充てていた。
ナハフ11が南海に貸し出されたこともあった 時刻表の巻頭地図でピンクで彩られた周遊指定地あったの覚えてる? ピンクは1ヶ所周遊で一般周遊券の条件を満たす特定周遊指定地
当初沖縄だけだったのが84年に本土にも拡大された際グリーンから変更された
その後93年の一般周遊券廃止時に一旦案内地図から色表示が消えたが
旧指定地からの要望で周遊おすすめ地として復活し今に至る >>710
バカじゃねえの? リーマンショックで中退が増えたので
授業料の減免が収入基準で受けられるようになったし
奨学金の返済条件も緩和されていったし。
今や奨学金の未納率はわずか3%で、審査と担保のある都銀の焦げ付き率並み 好きな時に気まぐれで降りられる便利なICカード乗車券をご利用下さい 最近の若者は周遊券知らないんだろうな
周遊券国鉄青春18きっぷ初期世代なのでTPOに応じて使い分けていたんだけど、やはり急行がなくなってしまってからは意味ないじゃんと正直思っていたからな
おとなび世代の今ではどうでもいいけど >>724
一般周遊券なんか特に「???」だろな。 往復に使える急行も、東北・北陸方面は比較的あとまで残っていたけど
関西→九州とかは早い時期に廃止になっていたからなあ。 >>726
雲仙・西海めちゃ懐かしい!
今やムーンライト九州すら懐かしいがね くにさきが単独だった頃大阪駅で見たな
大阪駅では隣にたかやまが到着したから高山から大分まで急行だけで行けるとかまさにあの頃が周遊券全盛期絶頂期だな 北海道ワイド周遊券、学割2割に冬季割引2割で、非常においしかった。 学割は周遊券に限って3割じゃ無かったか?
年末の帰省で東京札幌の往復より道南ワイドの方が遙かに安かった記憶が >>730
裏技?で5月31日から有効のを4月30日に買って、使用開始日を6月30日に変更ってやり方もああったな
7月以降への変更は途中から不可能になったけど >>732
>裏技?で5月31日から有効のを4月30日に買って
ダウト!
5月31日から有効のは、5月1日からしか買えない。 >>733
ツッコむのはそこじゃなくて冬期割引の発売期間が4月30日までじゃなく5月31日までだったこと
だから別に5月1日に買って変更しなくても5月31日に6月30日から有効として買うことができた
その上で裏技として存在したのが6月29日に申し出て7月29日から有効に変更するというもの
84年4月の制度改定で禁じられるまでは夏休みの旅行に冬期割引の周遊券が使えた >>734
その技は知らなかった
。 。
/ / ポーン!
( Д )
目玉ポーンw >>734
知る人ぞ知るクチコミの裏技として細々と行われていたのだが、
禾重 木寸 直 木喜寸 の 汽車旅相談室で取りageられて大々的に有名になったもんで
当局としても取り締まらざるを得ないことになったんだよな。 種村氏の相談室は何気に「威力」があったな。
東京発の山形蔵王ミニ周遊券の経路に
「東北本線 奥羽本線」とあるから
青森経由で乗車できるんじゃいか・・・なんていう質問があり、
その直後から
東北本線、峠、奥羽本線
あるいは
東北本線 笹木野 奥羽本線
と書き改められた。 山陰ワイドの自由周遊区間に若桜線が書き漏れていたという有名なバグも相談室のネタになったが
こちらは結局さいごまで改善されなかった。 東京から新幹線で京都往復、京都で定期観光バス(比叡山琵琶湖コース)利用を
何気に申し込んだら、掛け捨てを1箇所加えた一般周遊券のほうが安くなると教えられた。
「へーそういうもんですか」というと種村氏の「周遊券の旅」を読むと
いろいろ面白いことがわかるとその係員に教えられ、それで一般周遊券の研究にのめりこんだな。 松江・大社ミニの経路で謎の「雲南線」ってのがあって、
都内の国鉄出札窓口で聞いても分からなかったなぁ >>743
「雲芸線」だろ。出雲と安芸を結ぶバス路線 昭和55年(1980年)くらいに都区内発の「福島・会津磐梯ミニ周遊券」は
よく使った記憶が残っている。都区内からで学割だと5000円くらい
だったと記憶しますが、日中線・東北線・磐越西線・磐越東線にまだ
旧型客車が残ってて(一部50系あり)何回も遊びに行った。
当時はまだ「まつしま」「ばんだい」「おが」「奥久慈」などの急行
列車が運転されていましたから、周遊券で急行列車に乗車できることは
貧乏学生にとっては最高でした。 >>745
福島会津磐梯ミニはオレも何度か使った。船福線に乗るのが面白くてね。
1980年くらいだと未舗装区間もあったりしてね。 昔種村サークル内のクイズで
「一般周遊券の成立には周遊指定地を2箇所以上まわることが条件となるが、
東京都区内でこのうち1箇所を満たす方法は?」なんてのが問題になって、
「はとバス利用」が正解だったのを思い出した。 都内から青森に行く時
わざと函館大沼ミニを買って、青森に着いたら旅行中止。払戻し手数料100円(当時)
実質100円で急行に乗れて、ウマァだった。 82年11月の時刻表で
都区内−青森 7,900円
連絡船 1,500円
(急行券 201キロ以上 1,100円)
函館・大沼ミニ 17,000円(学割12,700円) 有効10日
青森・十和田ミニ 14,300円(学割10,900円) 有効7日
函館・大沼ミニを青森で旅行中止して払い戻すと17,000‐(7,900+100)=9000円の払い戻しで
実質8,000円で9,000円の乗車券+急行券ってところですか
普通に青森・十和田ミニじゃだめだったの?
まあ帰りは別の交通機関だったり、有効日数の問題だったり、
取り扱いの有無の問題だったりするんだろうけど
営業キロ98キロのところへ学割効かすのに一駅先迄学割で買い前途放棄するのはハゲ級にセコいですか? 夏休みに道内のユースホステルで道内ワイド周遊券の有効期限がまだ1週間残っているのに
後日変える人と都区内行きワイド周遊券B券を2回交換して連続38日間旅した事がある >>754
あ〜ぁ、検挙者が何人も出てた事案だね、それ >>754
その方法で約3ヶ月北海道旅行してて、鉄道公安官に御用になった人がいた。 >>758
厳密にいえば違うよ。
乗車券類は、使用開始のときは持参人様有効だが
一旦使用開始されると、使用開始時に持参した人のみ有効。
学割周遊券は、当該学割証を用いて購入した人のみ有効。
この当時ほかによくあったのが。
ある会社があって大阪で会議があります。
福岡市内の人は東京まで、東京の人は福岡市内まで用意して
大阪で交換・・・これも違法。 それ旅規のどこにありますか。
あと、昭和期って今よりも
「本音と建前」が効いていたゆるい時代だったのに
検挙までに至ったのは何故ですか?
(幼少でしたが昭和期の社会は知ってます)
ハッキリ言って口外しなけりゃ分からないことですよね。 ワイド周遊券は20日間有効って凄すぎ
周遊エリア内に親戚がいればそこに泊まって3週間近く滞在できるが居ない場合ユースホステルとか駆使しても宿泊代が凄い事になりそう
大学生は夏休みを使えばいいが会社員だと連続休暇使わないと無理
北海道ワイド周遊券で夜行列車使って宿代浮かした人がいたが銭湯を探さない限り風呂に入れないので体臭を気にする人がいた? 意味わからん
YHとかで交換するんでしょ?
関係あれへんやん >>762
昔は銭湯が当たり前だったつまり銭湯を探さなくても駅前あるの当たり前だったもっと言えば一般家庭に風呂がないのも当たり前のそんな時代でもあったわけで
>>764
札幌とか大都会限定ならそうかもだけどとにかく自動改札がなかった時代なので駅員の人を見る目も昔の方が物凄かった
昔の刑事ドラマとか見たらよくわかるよ 183系特急車の洗面所
カーテンを閉めて体を拭いたりシャンプーしたりとか >>760
第167条
定期乗車券以外の乗車券は、次の各号の1に該当する場合は、その全券片を無効として回収する。
(7)旅行開始後の乗車券を他人から譲り受けて使用したとき
ついでにいえば、学割の乗車券を用いて旅行するときは、
当該乗車券の購入に際して提出した学割証の発行の元となる
学生証等の携帯および、鉄道係員に求められればその提示が
義務づけられており
また、乗車券類に学生証の番号等を記入することになっているので、
念入りに車内改札等をすればわりと簡単にバレたわけだ。 >>762
夜行列車の急行自由席というのを知らんのか?
周遊券で遊ぶ鉄道マニアの常識的な寝床は
@夜行列車AステーションホテルBパークホテル
そして、本当に心身の洗濯をしたいときにユースホステルだ。
つまりとんでもない高級な宿泊所となる。
これに引き換え、イパーン学生などはYHに数泊して1週間程度で帰るのが多かったから
不正な交換の温床になったりしたわけだ。 >>796
国鉄時代は自由席の車内検札だと均一周遊券だと分かると
チラっと見ただけで行ってしまう車掌が多かった。
周遊券をパスケース(クリアケースに入れて持ち歩いて
いると出さなくてもいいような仕草をあまり意味がないと思う。 大学時代にワイド周遊券で乗り潰しとかやっていた頃は夜行列車泊や夜行急行が深夜
停車する駅で駅ネの世話になったが不思議とユースホステルの世話にはならなかった。
どうしても宿泊地への到着が19時や20時になってしまったり、早朝から動く事が多か
ったので安いビジネスホテル利用が多かった俺。
夏休み期間だと、7月中旬から8月中旬までバイトして8月下旬や9月頭に旅行出発が
多かったのである程度旅費を稼ぐことはできた。 >>773
大学生時代に均一周遊券を使って夜行列車や駅寝で鉄道写真を
撮影してたけど流石に仮眠状態の夜行や駅寝だと限界があるので
ユースを予約すると到着時間が遅いのと出発時間が早いのは
困ると言われて、朝早く出ないと紀勢線での寝台特急紀伊や
天王寺からくる鈍行夜行はやたまが撮影できないのでキャンセル
した事あるよ。 北海道ワイド周遊券、青森発は有効期間14日、八戸からにすると20日だった >>778
知らんかった。
県都駅クラスからの運賃しか時刻表に載っていなかった。 >>779
「交通公社の運賃表}(絶版)には、すべての発売駅・値段・経路・有効日数などが網羅されていた >>780
経路は「全て」は掲載されていなかったな。
都区内発、名古屋発、京阪神発程度。
しかしあの「運賃表」はパソコンがない当時は
運賃計算ツールとして便利だったな。
各路線主要駅&分岐駅の三角表を手作りでやっていたオレとしては
実に画期的だった。
とはいえ、幹地二元になり、JRになり、手計算が面倒になり
いまじゃついにしなくなったが。 >>776
ってかアンタ自身が自治厨っていいかげん、気付けよw >>781
今じゃマルスの擬似アプリがあるもんな。
便利な時代だ >>782
ってかアンタ自身こそが自治厨っていいかげん、気付けよ
悪いことを悪いことと言うのが悪いことなのか?
悪いことは悪いことだろ 今、印刷所で印刷した周遊券が売っていたら、支那人が偽造しまくりだわな 周遊区間最初の下車駅でA券を出してしまい、強制回収された〔無効印押印も不可w〕嫌な思い出。 >>773
ユースは駅から遠いのと、夕食後に参加したくないミーティングやらが当時あったからね >>788
俺は最初の下車駅からB券で出場してたな。
未入鋏だったけど(無人駅も多いだろうから)改札氏は誰も気に留めなかったよ。 北海道ワイドを使うのに山手線の定期券で入場して、
札幌駅の改札でおもむろに定期を出して駅員が固まったところで
「定期で入ったので入鋏されてないんですが」とA券を出す悪戯はしたことがある。 在来線駅だといいんだが、たとえば東京駅東海道新幹線ホーム出場の時、東京ミニB券+自特はさすがに出せなかったな。
時間があれば小田原あたりで在来線に乗り換えるという手はあったが。 >>793
直接外へ出る改札でなく、
在来線へ抜ける改札ならばA券を見せて通り過ぎるだけでいいはずだが。 夜行バスドリーム号で自由周遊区間入りした時は、さすがにA券回収されたなw それとは逆に、
バスで東京に帰着した時には、
「まだこれから国電に乗り換えて都区内の○○駅まで行きます」
と言えば、B券は回収されなかった。 夜行バスドリーム号は今考えれば、4等列車のような劣悪さだった 昔言うか昭和はあれしかなかったからな
レディースドリームとかプレミアムとか今の高速バスの方が贅沢過ぎなんだろw 周遊区間内に国鉄バスがいろいろ走っていましたな。
信州ワイドで白樺湖のユースに宿泊。
南近畿ワイドで本宮大社参拝。
九州ワイドで桜島一周・・・など。 長期宿泊を伴う国内旅行は今や自動車教習所の合宿免許位しか思い浮かばないな
大学生が夏休みを利用して2週間泊まり込みで教習を受けるが社会人だと長期休暇取らないと無理
着替えは洗濯機を用意してるので5日分持って行くと良いとか
ただ大きいスーツケースが必須
海外だとシベリア鉄道のロシア号全線走破で1週間掛けて行くとかあるが 東北ワイドの十和田湖とか金額が金額だけに元取った感が >>800
北海道ワイド
・襟裳岬
・日勝峠(民間バス会社と共通乗車できたっけ) >>804
日勝高原線は周遊券でも十勝バスに乗車できたよ。
だいたい国鉄1、十勝1だからな。できないなんていったら不便この上ない。
福島の渡利中山で、周遊券をもって国鉄バスを待っていたら、直前に
福島交通がきて、オレ以外のお客は皆それに乗車していたら、横を
通過されてしまったことがある。しょうがないから福島交通に乗って
運転士に事情話したらタダで乗せてくれたけど。
ここは国鉄と福交は定期や回数券は共通乗車できたから
こういうことになったと思われる。 西の方へ行く周遊券での関西汽船利用可能ってのもいいサービスだったね。
夜行列車の代わりにもなったし、旅に変化もつけられた。 四国ワイド周遊券はA券とB券以外に関西汽船航路券引換票が付いており、
行きか帰りに大阪港・神戸港⇔高松港の関西汽船や高松港⇔土庄港の
関西急行フェリーが使えた。
行きは新大阪から夜行の急行鷲羽で宇野へ行って宇高連絡船、帰路は
高松港から関西汽船で大阪港まで乗船した事があった。 北海道ワイドでJRバス新さっぽろー開拓の森、多分160円位の区間 自分が多く使った均一周遊券ベスト3(1979〜1984年)
1位 北海道ワイド周遊券
2位 東北ワイド周遊券
3位 九州ワイド周遊券
理由はB券エリアに使いやすい時間帯の夜行列車が3系統〜あったから >>810
大学生になったとき、北川宣浩さんから
「遠いところから片付けるのがよい」と忠告され、
オレの場合は同じ期間で、北海道ワイド3、九州ワイド1、九州北ワイド1、
山陰ワイド1、南近畿ワイド1、北陸ワイド1、信州ワイド1だったな。
残ったところは社会人になって、年末年始に青春18を使ったり、
東北地方はEEきっぷを使ったりして、完了・・・・といっても
オレの「完了」は悲しいことに 鍛冶屋線の廃止によるものだったが。 >>805
>オレ以外のお客は皆それに乗車していたら、横を通過されてしまったことがある
周遊券とは関係ないが、同一方面行きバスが続行する場合には、そういうケースがありうる。
俺の経験談。
バス停で並んでいたら乗客が多くて座れそうになかったけど、
すぐ後ろにガラ空きのバスが来てるのが見えたから、そっちに乗ろうと思って
列の後ろの人に「このバスには俺は乗らないから、お先にどうぞ」と、順番を譲っていたら、
後続バスは停まりもせずに先行バスを追い抜いて逝きやがったorz >>810
自分は1976年が4年生大学の入学だったので4年間で国鉄路線の95%を完乗して
B券自由周遊区間エリアにいい時間帯の夜行列車が無かった時は駅寝でカバーしたよ。
北海道ワイド周遊券は鈍行からまつ、43レ・44レ、利尻、大雪、狩勝、すずらんが中心。
東北ワイド周遊券は八甲田の郡山⇔青森、十和田の平⇔青森、津軽の郡山〜青森と
四国ワイド周遊券は急行うわじま、731D、762D、。九州ワイド周遊券はんがさき、
急行かいもん、急行日南。山陰ワイド周遊券は急行さんべ、急行だいせん、急行ちどり、
山陰。南近畿ワイド周遊券は南紀(はやたま)、急行きのくに、紀州など宿代わりにした。 >>813
1957年昭和32年生まれか友達の死んだ兄さんと同い年ということになる訳だな
もうすぐ還暦とか定年とかなんだろうがいざ定年になっても若い頃のような旅をしたくてもできない現実に絶句だろうな >>813
俺の3年先輩ですね。俺は記念すべき初回の共通一次試験の年に大学入りますた。
先輩が大学生の当時って、十和田も津軽も2往復ずつあったんじゃ内科医?
で、十和田3・4号は全車指定だった希ガス
あと、当時だいせんも全車指定だったんじゃ? 何か抜けてるなと思ったら
信州ワイドの「きそ」や「ちくま」の木曽福島乗り換えもあったね。
ホーム1本しかない駅なので楽に乗り継げたっけ。 ひとつ記録見つけた。
昭和54年(1979)1月6日〜7日
長野2320−802レ急行「きそ6号」→木曽福島0241/58 Dオハ46 2671名ナコ
木曽福島0341/59ー◆7811M急行「ちくま3号・くろよん」→松本0500 Bモハ166−12大ミハ 全車指定の急行だいせん夜行に自由席ができたんは1983年ごろだったと思う。
大阪発車の時点では「ちくま+くろよん」の自由席は「ちくま」の編成のみ。
「くろよん」自由席への開放は大糸線に入ってから。
だから、松本駅で「ちくま」から「くろよん」に乗り移る客が少なからず居た。 1990年頃だったかな。
大阪から急行「ちくま」に乗車。
車内改札で提示したのが、
名古屋市内発山陰ワイドのB券
東京都区内発信州ワイドのL券
東京都区内発信州ワイドのA券
車掌さんはニヤっと笑いましたな。
塩尻では新宿発の大糸線方面への「アルプス」と同じホームに着いて、
相互乗換えが便利でしたな。
名古屋から乗車の従兄弟と2人で長野までいき、長野電鉄と上田交通を完乗したまでは
よかったのだけど、その後小諸でケンカ別れ、オレは国鉄バスで下諏訪駅へ、
彼は駅弁売りのお姉さんと軽井沢へデート。2日後の未明に木曽福島で再会。
「のりつぶしに女は邪魔だな」と一言。 >>816
マイナーだが、南近畿ワイドで「紀州夜行」の印南駅折り返し。 >>820
「鉄道旅行術」の初版には北川宣浩氏が、
北海道で10数連泊した記事が掲載されたのだが、
それを読んだ読者が我も我もと連泊自慢レポートを種村氏に送りつけ、
同書は版を重ねるごとに「連泊記録」も塗り替えられていき、
確か100連泊越をした記事が最後になったわけだが、
実はこれは、関西在住者が「旅行」と「旅行」の間の普通の「私生活」の間
毎晩毎晩南紀夜行の折返し乗車をした努力の賜物であった。 >>821
いや、108連泊の次に、222連泊が最後 そういや、鉄道旅行術やらタビテツやらによく出ていた当時の「ヤング」は
どうしているだろうな。たいがいが還暦かそこいらになるが。 北海道周遊券は20日間有効だったが現行の北海道フリーパスは7日間有効でしかもゴールデンウィークとお盆と年末年始は使用不可とか異様に改悪されてしまってるw
しかも北海道新幹線は利用できないため事実上入口駅が新函館北斗駅になった
青春18きっぷはオプション券買えば奥津軽いまべつ〜木古内間で北海道新幹線に乗れるが津軽線の本数が少ないためフェリーの方が金額的に変わらず便利である >>826
大洗または仙台からのフェリーが楽ちんだよ。桟敷席でゴロ寝できるし。 赤い青春18きっぷが今季で最後とのこと。
詳しくは赤い青春18きっぷスレにどうぞ。 >>202
周遊券に限らず、大阪以遠〜天王寺以遠の乗車券で
湊町経由も利用できることになっていた。
但し、湊町と大阪駅との間で地下鉄等を使ったら別途支払い。 北海道ワイドの「急接」。
若い世代はまず知らんだろう。 京王観光(立川)発行の信州ワイド周遊券
乗降した各駅で、これが「周遊券」であることを認知するまでに
少々時間がかかったりした。
自由周遊区間まで省略されているから、一瞬どんな券だかわからなかったんだろうな。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1135528.jpg.html 北海道を鉄道で回れた時代があったんだ・・・が現実味を帯びて来た >>834
?鉄道が全滅だからという事なのかな?北海道フリーパス大人休パス運命いかに >>836
読みました。関連スレにもコメントした
う〜ん確かにどうにもならないかな〜。
個人的には北海道新幹線どうすんのか?とは思いましたが北海道新幹線開業前にちゃっちゃとやめたいという事らしいね
札幌市営地下鉄との競合区間だけでも、札幌市営地下鉄が書いとる形でいいから何とか残してほしいとは思うのですが、それさえも困難ということなのかな〜。
周遊券世代としては実に残念だけども、しゃ〜ないでしょうという事なのかも。 今後全区間B特急料金として、JR四国や九州のような料金制度に直して
定期券での特急乗車可。特急利用前提の定期券の運賃体系の確立。
北海道新幹線の料金については、現行のB特急料金程度にして、すべて
新青森で打ち切り計算(山陽〜九州新幹線と同じにする)。
札幌起点に函館、千歳空港、釧路、網走、稚内、室蘭への特急路線と、
小樽〜札幌〜岩見沢、札幌〜苫小牧、札幌〜北海道医療大学
函館〜新函館北斗間の普通列車以外はすべて廃止。
千歳空港も札幌、新札幌、南千歳のみ停車の特急のみ運行。
さらに、2年くらいのテスト期間として、
釧路〜根室、釧路〜網走、(函館〜)長万部〜小樽〜札幌、
札幌〜滝川〜(旭川〜)富良野〜新得〜帯広、に
主要駅のみ停車の特急を新設。利用状況をみる。
以上の列車の運転に不要な駅と路線は即廃止。
簡単にいえば、
不採算路線については、主要駅のみ残し、特急のみ運転という形の
事実上の値上げをして、それで地元が納得すれば残します
くらいの「執行猶予」はあってもいいとは思うかな。 ↑
当然ながら、青春18からの脱退は必定。
北海道フリーパスは1万ほど値上げした上で、北海道新幹線の乗車可とする。 西日本の人間なんで、夏に下り利尻で音威子府に着いたとき完全に夜が明けていたのには感動したなあ。 >>841
っていうか、、、
寝ぼけ眼の車窓に朝の利尻富士が見えた時は感動したわ いまだに旧周遊指定地が時刻表の索引地図に掲載されているんだな。
鉄道もバスも全部なくなっても、空欄のところにポッカリ掲載するつもりなのだろうか? 観光業界から指定地の箔付けがないと困ると文句が出たから“おすすめ地”として復活させたとか
もともとそれなりの観光地が選ばれてるから多少寂れても最低限の公共アクセスは残るんじゃないかと >>843
佐久間ダムがその状態だったことがありましたねぇ。 >>844
いまどき、周遊券はないけれど、2人で旅行する場合、離島以外の
たいがいの場所は1人6000円もあれば好きなときに
好きな場所へ「行き放題」なんだよ。
場所にもよるが、オンシーズンだって、片道1000円も2000円もする
路線バスなんかに乗るなんてバカバカしい限りなのさ。 >>846を訂正いまどき、周遊券はないけれど、2人で旅行する場合、離島以外の
たいがいの場所は1人1日あたり6000円もあれば好きなときに
好きな場所へ「行き放題」なんだよ。
場所にもよるが、オンシーズンだって、片道1000円も2000円もする
路線バスなんかに乗るなんてバカバカしい限りなのさ。 ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーンロンロンローーン
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中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティーマスク女問題駅内マスクオンNACNN向け原文ダビンチ月刊(ニッカン)中國春文渋谷区木の葉崩しニュース7億5千万 旅行の移動手段が国鉄しかなかった時代はともかく、
このご時世に周遊おすすめ地とかこだわる理由が分からん 仮に、いま復活したとして需要あるのかなあ?
稚内行き急行利尻とか。 朝一の利尻又は礼文行きフェリーに乗るか、宿代浮かす(自分はどちらも経験あり)くらいしかないかなぁ。 周遊きっぷクソとか言ってるけど
ゾーン以外だと200kmあれば全国どの駅からでも発駅にできるのはかなり便利だったんだぞ
今じゃゾーン内のみで販売前日まで購入なんて
エリア外の人間に使わせないようなフリーきっぷしかないような地域も多い >>853
周遊きっぷの前身のワイドに比べたら利便性は格段に落ちたからな
ただし使い方次第では美味しく出来たが、発券慣れしてない駅では
時間待ちする必要はあったからな
あと、東海道新幹線乗ると5%割に落ちると言うのもあったな 北海道ワイド周遊券や九州ワイド周遊券の有効期限を20日間から
10日間に減らしてもいいから周遊きっぷよりワイド周遊券の方が
使い勝手がよいキップだと思った。 周遊券だと足と本体部分があいまいで、発駅も限定されていたから
「周遊きっぷ」にしたのだろう。 >>857
普通周遊券の発駅固定はありませんが?
あったのはワイド ミニ ルートですぜぇ
こいつは国鉄の駅では買えず、旅行代理店でしか買えなかったが
発券に手間を喰うから嫌がれたりもしたな >>858
>こいつは国鉄の駅では買えず、旅行代理店でしか買えなかったが
あまり意味ないけど国鉄券だけで済めば駅でも発行出来たんじゃね? >>859
普通周遊券(ことぶき)は仮に国鉄線だけでも国鉄駅での発券は不可
国鉄駅で発券出来たのはワイド ミニ ルートのみ
それと、ちっとは調べるとかログググってから書けよ >>860
昔種村本にど国鉄券だけで済めば駅でも発行可と書いてあった気がする
国鉄線だけでも国鉄駅での発券は不可のソースは? >>861
時刻表巻末ピンクのページをリアルタイムで熟読していた世代ならすぐ判るのにな。 >>861
種村氏の本にそんなことを書いてあるところはないよ。 >>863
汽車旅相談室のテーマごとに分冊になってる奴にあったと思うんだけどな
まあ思い違いかも >>864あったっよ。
どの本と聞かれても困るけど、俺も見た記憶がある。 東京都区内発で江差と松前を経由する「一般周遊券」ならなんとなく想像はつくけど、
周遊指定地の1つに、敦賀あたりにあった国鉄の定期観光バスを利用するような場合
どういう手続きだったのだろうね。 三段峡と宮島に寄る国鉄券だけの一般周遊券を作ったことがあるけど、駅じゃなくて旅セだった。 いつ頃からか検札がスタンプとなり券に重なって読めないスタンプがぐちゃぐちゃ >>868
そのスタンプ印も、20年以上経って、改称あるいは消滅した部署も結構ありますな。 >>856
でも発駅固定じゃん
周遊きっぷはお盆年末年始時期でも使えた
今はもうそんなきっぷはない、この違いは大きい 冬季割引の北海道ワイド周遊券を利用して、盛夏のみ(7〜8月のみ)運転の日勝高原線に乗るのは合法的に可能でしたが、
ただし、道内で周遊券利用者どうしが交換するのは違法でした。 東日本エリア・北海道エリア・(前は北陸エリア)はJR東日本「大人の休日倶楽部パス」
が新幹線や特急も乗れて便利なので、また周遊きっぷを使いたいとは思わない 外国人ならもっとすごいものがあるんだけどな。
これが使いたいがために某国に帰化したヤツをオレは知っている。 >>877
ただこれは年齢によっては使えないからな >>882
それでもまた周遊きっぷを使いたいとは思わないんだろうから仕方がないじゃん
そもそもエリア限定した話だろ 周遊券神格化されがちだけど
発駅が限定されてて、最寄りから出かけられないので不便だよ >>884
内方乗車と言って経路途中から合流も出来た 関西の旅行会社だと発駅を京都・大阪・神戸から選んで買うことができた
信州ワイドのように発売額が同じでも京都発より大阪発の方が有効期間が長かったり
神戸発の設定がない山陰ワイドも大阪発として買うことができたので便利だった >>884
末期には「高松市内」発着のワイドなんてのもありましたな。 >>888
周遊券独自の市内制度は高松市内の他に函館市内・新潟市内もあったらしい >>886
それが面倒なんだよ
出発駅から買える周遊きっぷは便利になったのに
おっさんどもはブースカ文句垂れすぎ >>890
一緒に買えばいいんだから面倒な訳がない ワイド・ミニ周遊券から周遊きっぷに切り換った1998年には
多くの夜行列車も廃止になったからその件だけで周遊きっぷ
には興味ないな。 ワイド周遊券の発地はかなり限定されていたが、
その中で光っていたのは伊勢市。 また、東京ミニ、京阪神ミニは比較的発地が多く、
マイナー駅としては須賀川なんてのがあった。
四国は「高松市内」以外にも、当時の急行停車駅程度の駅でも発地になっていることが多かった。 >>891
発駅まで行かないと買えなかっただろ
馬鹿か? >>892
それは夜行が廃止になったのであって
周遊きっぷとは関係ないだろ
長距離移動は新幹線が当たり前の時代になったというのに >>895
わざわざ発駅に行かずとも、時刻表の巻末の旅行代理店に現金書留で送って貰えればいいだろ? みどり行けば普通に最寄りの発駅からの均一周遊券買えたしな 周遊券があったから死ぬほど列車乗ったけどいまさら通常の料金払ってまで鉄道乗る気はしないな
ロングシートばっかり、安普請のぺらぺらな車内、やたら明るい落ち着きのない車内、監視カメラ設置して客を犯罪者扱い
だれがそんな乗り物で旅をしたいと思うんだ ワイド周遊券は特にお得で長期休みには多用したね。
急行自由席なら目的地までも追加料金不要が学生の身には嬉しかった。 >>897
通販は扱っていなかった。
>>898
それも地域が限られたよ。
それどころか当該駅発のワイドミニ周遊券すら売らない駅もあり、旅行センター任せで、
旅行センターが休日だと買えなかった。
東北ワイドは東京都区内発(10日有効)より千葉発のほうが多少高いが有効日数が14日になるわけだが、
当然ながら東京駅では千葉発は売っておらず、最短どこまでいけば千葉発のものが買えるかというのが話題になったりした。
萩・津和野ミニは東京都区内発は売っておらず、もっとも近いので三島発しかないので、小田原まで小田急でいくのが定番とか
いろいろありましたな。 >>899
そりゃ普段鉄道使ってるのが通勤通学客なんだから
そういう仕様になるのは当然だろ
普通列車で旅するなんて想定されてないよ >>900
逆に言えば有効期間長過ぎるために使いまわしが常態化しまり
安すぎるために収益配分ができない欠陥商品だった
売上を適正配分するためにには周遊きっぷにするしかなかった ワイド周遊券を特急定期代わりに使うとか一部の本に裏技?として載ってたが、
実行した人は居るのだろうか?
発売駅付近の親戚や知人に送ってもらうとか、上にある通販とか、そんな手間かけてまで >>901
モソモソ死の著書か、旅鉄汽車旅相談室で>>897で書いた事が記述されてたがあれは嘘でOK?
その中にも市川か船橋だったかは忘れたが、都区内と千葉の両方常備してた旅行代理店もあり、
近場だったら郵送する手間より直接買いに行ったと言うのもあった >>905
RJルポで行商人が山陰ワイドを使って移動してると、カレチが本来の使い方ではないと苦々しく語ってる
代表者が発売エリアまで纏めて購入してたとか
わざわざ通販使ってまでご苦労なこったと見てるが、旅行券潰すには便利だったみたいよ
店側も非常に手間と時間とスキルが問われる一般周遊券と違い、金額固定のワイドやミニ
の通販は楽だったみたいだったからな
当時の周遊券は周遊きっぷと違い、経路が何パターンもあった
特に山陰ワイドは、路線バスの広浜線から入ったり、東日本発で幡生から入ると言う事も
可能だったからな
あとは、45才以上なら知ってる関西汽船を使って九州上陸や、信州ワイドのオプション券
で路線バス三昧とやれたよ
逆に周遊きっぷは発駅は自由になった反面、経路は固定だから気まぐれ旅はしにくかったな
ただし、ジェットを使い帰りを鉄道にするも、旅行中止で手数料払って帰りは18や別の機関
で帰れた裏技もあったけどね >>907
周遊きっぷは固定じゃないよ
行き当たりばったりができなくなっただけで、経由パターンは旅行開始前に
自分でいくらでも考えられるようになった >>908
使ったからそれは知ってるが、固定と書いたのもいくら開始前にルート組んでも
道中で変わる事があっても変更が出来ないって意味だよ
それに旅行前にあれこれ組んでも結局変わるのが、鉄の性分だからな(笑)
撮り鉄ならネタ列車見掛けたら即気が変わる マニア向けのこういうクイズはあったな。
取手から久里浜まで1週間往復することになった人が
もっとも安く済む方法は?
正解は、静岡まで普通列車で行き、東京ミニを購入。
静岡までの運賃を比べても、回数券等と使うより安くなる。 なお、山陰ワイドには、三江線が全線開業してからも相当長い間
三次〜浜原間が自由周遊区間に入っておらず、若桜線は最後まで
なかったんじゃなかったかな? >>909
普通乗車券だって区間変更はウザがられるんだから
均一周遊券が恵まれすぎてただけだよ >>911
南近畿ワイド
最後の最後まで紀和〜和歌山市間は対象外。 >>913
南紀ワイド 京阪神ミニに関空線は入ってた? >>913
1994年に追加されています
(時刻表・1994年3月号および12月号で確認) >>914
関西空港線が開業したとき南紀ワイドが生きていたら、当然に入ります。
基本的にワイド周遊券の範囲は路線羅列方式ではなく範囲方式が原則で
ミニ周遊券は路線羅列方式が採用されたから。
例えば南紀ワイドだと、「関西本線湊町〜亀山(後名古屋)間以南の国鉄全線(ただし紀勢本線の紀和〜和歌山市を除く」
という決め方になるから、範囲内の新線が開業したときにあえてその新線を除外する追記をしなければ自動的に範囲になる。
ところが京阪神ミニだと、
「東海道本線(草津〜神戸間、新大阪〜新神戸間)、山陽本線(神戸〜西明石間、新神戸〜西明石間、兵庫〜和田岬間)、
・・・・」という感じで路線と区間を羅列する方式だったため、範囲内に新線が開業したときに、追記を忘れると範囲に入らない。
すごくローカルなことで実際にそれでモメたかは定かではないが、
国鉄時代の東北ワイドは「磐越東線、磐越西線、信越本線新津〜新潟以北(以東)の国鉄全線及び只見線会津若松〜只見、会津線)
という決め方で、これを厳密に考えると、
@船福線の船引駅付近はこの範囲に入らなくなる(といっても船引駅の次の停留所は範囲内なので重箱の隅の隅程度の話)
A磐城北線の支線である川内線の神俣〜宇津川間は間違いなく範囲に入っていたが小野新町〜神俣間は範囲外になった
・・・ということになった。
ところでJR時代になると、JRバス東北限定になったので、前述Aの神俣〜宇津川間は除外されたことになる。 >>916
詳細サンクス
平成4年9月4日本開業した時には、周遊券がまだあったか自信無かったからね 周遊きっぷなくなってから
バスにも乗れるフリーきっぷ極端に減ったよな
そういう意味でも廃止はもったいなかった >>918
観光路線であっても容赦なくバス路線はどんどん切られる傾向にある。
箱根はいまだにバスが頻繁運転でいつも込んでいて
だからこそフリー切符が健在だけど、
これだって昭和50年頃に比べればかなり減っている。
家族旅行で宮ノ下の会社保養所によくいったが、
箱根登山・伊豆箱根あわせて頻繁運転で小田原方面のバスを待ったことがない。
当時は伊豆箱根が10分間隔、箱根登山が3〜4分間隔(桃源台・箱根町・強羅がそれぞれ10分間隔)
で、1日2便山中湖方面があったりした。 >>919
その代り箱根の観光エリア内の周遊バスは
フロントをレトロ風にした特殊車体の専用車だけでは足りず
一般車体で塗装変更しただけの奴が大量投入されてるんだよな
確かに宮ノ下辺りならバスの方が圧倒的に便利だよな
箱根登山鉄道だと遠くまで来たなあという感があるのに
バスだと道が空いてたら箱根湯本から割とすぐだし 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
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中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース >>919
たしかに
最近では、フリー系きっぷの愛媛の久万高原〜落出が廃止に
かつては佐川方面に抜けられていた >>855
周遊きっぷ買うようなやつは片道600km以上乗るから
関係なかっただろ >>923
神岡鉄道廃止の際、ゾーン券だけ使いたいから201キロ以上の区間にして使いましたが?
神岡までは車で行き、ゾーンエリア堪能し廃止翌日に旅行中止して払い戻ししても元は取れたな
京阪神発なら幹線使っても15%高くなる京都からではなく新大阪から乗ったりしたけどな 幹線に対する新幹線なのに幹線と略したら本末転倒だろ。
新幹あるいは1字で幹と略すならまだしも。 交通公社に国鉄上がりの切符に詳しいおじさんの係がいた40年前にいろいろ相談した想い出 >>925
新幹線のことを「幹線」と略すには昔風。 最近だと岡山駅=「オカエキ」とか。
かつては、そういう言い方は無かった。 >>929
名古屋民を敵に回すようなことは言わない方が >>925
幹線と通じるのは昭和世代、幹線で噛み付いた時点で平成生まれだな 「台風が広島にいるのでカンセン上りは当分きませんよ」
なんて話がRJにあったな。 >>925は「ケータイ」にも噛み付いてるのだろうか >>935
完全に一般化してるからな
みんな分かれば問題はない
新幹線のこと幹線なんて読んでるのはごく一部だけだ >>936
君以外の多くの人は注釈無くてもわかるみたいですよ??(>>933) >>937
お前にいきなり君呼ばわりされる覚えはねえよ
注釈無くてもわかるなんてレベルじゃあかん >>938
貴様にお前呼ばわりされる筋合いもないですなぁ >>939
お前ってのは5chにおける普通の二人称だ
ちゃんと覚えとけ >>940
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( ;":: |: :: .. .`, ヾ 丶 ! \____/
;;;; :: 入:: :: :: l`ー-、 )l ヾ 丶
"~、ソ:: :い:: : \_ ノ , ヾ 丶 幹線 今でも出張する時に使うよ
庶務担当の女子社員が「幹線経由で行きますか?」とか言う
「日帰りですか?マルヨしますか」ともいう元鉄子の庶務担当 新幹線=幹線 初めて知った。
運賃計算の際の幹線と紛らわしいね。 新幹線の略称は か↑んせん
いわゆる「幹線」は平板
アクセントでわかる 八重洲口にあった今は無き、東京駅旅行センターのO下氏は幹線をよく使っていた タダで急行自由席に乗れたのがいい。
今では遠い思い出かな。 いや急行料金も周遊券の代金に含まれていただけで
別にただで乗っていたわけじゃないでしょうがよ 周遊券の発売額を考えれば、急行券はタダみたいなものだったわな
もちろん、利用法で変わってくるが
皆が皆、有効期限目一杯使うとは限らないし 急行自由席(行き・帰り)はサービスだろう。
指定だと急行料金も別払いで一気に値段が上がる。 >>953
ワイドとミニの価格はモデルコースというのが設定してあって
その行程で旅行した場合の運賃・急行料金が元になっていたので行き帰り分の急行料金も計算に入ってたよ >>955
周遊券時代は新潟はスルーされてたので周遊きっぷは結構重宝してたんだけどな 周遊切符はトワイライトエクスプレスと併用して使うと最高だった。特に道南ゾーン。
札幌までの乗車券は中小国まで2割引+「中小国ー札幌」はゾーン内。
これだけでもかなり乗車券が割安になる上に、札幌到着後は5日間特急北斗の自由席が乗り放題なので、
5日間何度も函館ー札幌を往復して走行音や車窓を楽しんだなあ。
夜は急行指定券だけ買ってはまなすカーペット上段で寝た日もあった。本当に楽しい日々だった。
今はもう、周遊切符もトワイライトエクスプレスもはまなすも消えてしまったとはな・・。 >>959
日本航空と全日本空輸は1割引と書いてあったが、
1996年6月から1998年3月(廃止)時まで1割引にできたのは
日本エアシステムだけだったという皮肉。 今となれば周遊きっぷも懐かしいな
安いゾーン券で往復を手書き券になるほど無茶なルート組んだりしたな
周遊券みたいなお手軽さはないけど考えてルート組む楽しさはあったし
あれば便利な制度だった、というのはフリー切符系が衰退した今だから言えるんだがw >>958
道南ゾーンは一時期青森までゾーン区間になったので、はまなすを宿代わりに利用したわ
ドラえもん海底イベントファイナル時にはお世話になりました 一番お世話にならなかった「ワイド(均一)周遊券」ってどこでしたか?
・一番お世話になった=信州ワイド
・お世話にならなかった=北近畿
かなあ >>963
信州ワイドで、急行ちくまの長野〜木曽福島をトンボ帰りしたなあ。 北陸ワイドで、上野行き急行能登を糸魚川で降りて一時間後に
大阪行き急行きたぐにがやってくる。 >>964
登山のためにちくまをよく使ってたけど、
それをやろうとすると木曽福島の折り返しが
満員で軽く絶望するんじゃないかと思ってた
オフシーズンはガラガラだったろうけど
大阪で1時間半前からちくまの席取りに
並んでたのも今じゃ懐かしい思い出だ
乗ったら宴会が始まって全然寝れなかったのも 外人にジャパンレールパスを使わせるなら、
日本人に周遊券くらい使わせろ。 先日醒ヶ井養鱒場がテレビに出ていて真っ先に周遊券のことを思い出した。
何度もお世話になったのに結局一度も行ってないけど。 一般周遊券の周遊指定地って一定のフリー区間とか
指定地の入場料無料みたいな特典ってあったの? >>968 醒ヶ井養鱒場 周遊券がらみで思い出して一度行ったことがあります。
地味だけど結構良い場所でしたよ。家族連れにも良いですね。
どんな番組でしたか。見てみたいですね。 >>970
私は今関西在住なのですが地元のテレビ局で時折見かけることがありまして。
一番ちゃんとした登場の仕方だと夏休みのおすすめお出かけスポットの一つとして紹介されていたやつですね。
おっしゃるとおり「家族連れ向け」とされていました。
この時期だと紅葉情報でも紹介されることがしばしばあります。 数年前の話だが、醒ヶ井駅は駅自体が道の駅みたいになっていた。
今は知らないが1000円台のランチバイキングがあって鱒寿司が食べ放題だった。 >>969
フリー区間はない
醒ヶ井養鱒場の様な掛け捨てに使ってたから施設の割引があったかは知らん 実家が札幌だったんで学生時代の帰省に使ったなー
近郊なのに特急乗ったり 暇つぶしに夜行で出かけて釧網線の旧客乗って釧路から帰ったり
勿論上野青森間は八甲田か十和田
奮発して天の川のA寝台乗ってみたり津軽上野終点までとかね。
帰り放棄してフェリー使ったとき(バイク持ってくから)は知り合いに券あげたり。 >>971さん 有難うございます。良い所でしたよ。又行きたいですね。
そう言えば、かつて国鉄周遊券指定地と言った名称がついていましたね。 >>975
>帰り放棄してフェリー使ったとき(バイク持ってくから)は知り合いに券あげたり
不正自慢はやめてくださいね >>977
券のやりとり
北海道のユースで横行していた 周遊券に比べるにはしょぼいが、今月AirDoひがし北海道フリーきっぷ15500円を買って使った
北海道ワイド周遊券以来久々道東を周遊したが有効期間5日はちと短いな 周遊券や周遊きっぷは乗継割引が使えたんだよなあ。
今残っているトクトクきっぷで乗継割引が使えなくなって、
周遊券や周遊きっぷで乗継割引が使えたことが
とてもありがたいことだったんだと実感する。 >>986
週末パスや三連休パスは乗継割引使えるぞ >>987
へ?柏崎とか酒田とか弘前とか、しらゆきいなほつがるの料金半額になるの? >>988
上越妙高も長岡も新潟も乗継割引の対象駅だ 通常のきっぷで乗継割引が使えることは知っているが、
トクトクきっぷと併用できるとは思わなかった。
まあ、実際に使えたのならいいが。 北海道ワイド周遊券の20日間有効はキチガイじみてたな
大学生なら兎も角会社員だとフルに使えない可能性が高い
北海道に3週間近く滞在する人が減って周遊きっぷは10日間用が廃止され現在発売されてる北海道フリーパスは7日間に減った 長期滞在組は短期組と周遊券の交換をして一ヶ月以上滞在してたよ
東京組は旅行者が多いので比較的楽に交換出来たが関西組は苦労してたな
あの頃の友人達は今、何処にいるのかな? 懐かしい 間もなくこのスレは終点です。引き続きご利用の方は次スレにお乗り換えください。 このスレは終点に到着しました。ご乗車ありがとうございました。次スレにお乗り換えください。 このスレッドは1000を超えました。
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