しかしながら、何故このような概念が未だに廃れず、また日本にも輸入されたか?という事を考えた場合、
つまり「自分は障害だったりKYではないがソーシャルスキルに支障を抱えており、また社会的な場面で苦痛を感じたりする」
という自認を持つ人間達の自称として、あまりに便利だったからだろう。

良いか悪いかは別としてHSPという概念は、ある種の生き辛さを抱えた人間に対して
「共感性が高い」や「内面が豊か」や「芸術感受性が高い」という物語を与えるものだ。
ある種の生き辛さをスティグマとして昇華させる。
ある面で優れている自分が優れてるが故に周囲の無理解に苦しんでいる…
このような物語は生き辛い人間に対して多大な自尊心を与えることが出来るだろう。
だが1方で、そのような物語は障害を(優れた)個性として障害者を医療から遠ざけうるものにもなってしまう。


過去に似たような事例として「IQが30(20)以上離れてると会話が成立しない」という神話がある。
この神話の元ネタは心理学者Leta HollingworthがIQの高い個人を対象に研究を行い
「IQの高さはリーダーシップに役立つように見えるが、しかしIQの差が約30離れるとリーダーシップ形成が難しくなる」
と述べた観察結果を、1987年に高IQ自助グループの会員であるGrady M. Towersが「The Outsiders」と呼ばれる記事で
ホリングワースの供述を引用し「IQが離れてる人間とはコミュニケーションが成立しない」と述べた事で、高IQグループの間に広まった。
欧米では「いやIQの高低じゃなくて単純にコミュ力の問題では?実際に貴方のグループは自閉傾向を有してる人間が多いし…」
と指摘され即座に鎮火したものの、何故か日本ではある種の俗説として定着した。
因みに高IQや高学歴が「知的である」ないし「ソーシャルスキルに秀でてる」事を
意味しないのはTwitterに無数にいるインテリ達によって完全に証明されていると言えるだろう。
(また精神医学的にもASDの「高機能」と「低機能」という区分は廃止されようとしていたり、
またDSM5やICD11において知的障害の診断基準からIQスコアは除外されていたりする)