順天堂大学 [無断転載禁止]©2ch.net
五輪のスタジアムは自らの名誉とともに価値を世界に披露する展示場なのだ。 マラソンレース関係者が、男女マラソンの出場予定選手を見ながらこう言った。 「これだけのメンバーをそろえるには、アピアランス・マネー(出場料)や賞金などで数百万ドルになってしまう。 賞金や出場料なしで、これだけ派手にやれるのはオリンピックしかない」と。 それを、無報酬でやれるのがオリンピックというわけだ。 サマランチ会長も、五輪で賞金を出すことはない、と明確に否定している。 だが、フルタイムの競技活動を続けるトップ選手たちにとって、五輪の舞台は将来、レースに呼んでもらうために自分を売り込む、まさに「展示場」。 さらに、国や所属のスポンサーから報奨金やボーナスが出ることも当たり前となってきた。 「勝ちたい、いい記録を出したい」という選手のプレッシャーは高まるばかりだ。 検出されない薬物やその使用方法の開発側とのイタチごっこが続く。 ある陸上のトップ選手が風邪気味になったとき、スタッフが厚さ十センチ以上の禁止薬物リストを持ち出して、どの薬を飲めばいいのかを必死になって探していた。 たとえ風邪を治すためであっても、陽性反応が出てしまえば、選手は大きなダメージを受ける。 医師の単なる処方ミスなのか、それとも何らかの競技力向上効果を狙ったのかはわからないが、その行きついた先が、「風邪薬を飲んだだけで……」という小さな“犠牲者”を生んだ。 一部の科学者が、薬だけでなく、脳や遺伝子の操作まで競技力向上に利用出来ると公言する現状はいびつだ。 かつてオリンピックは、戦争や東西冷戦という国際政治の波にもまれて幾度かの危機を迎え、それを乗り越えてきた。 そしていま、ドーピングや肥大化によるひずみという内部から出てきた問題点を解決できないまま、新世紀を迎えようとしている。 次代の子どもたちにも、オリンピックの感動という財産を残すには何が必要なのか。 スポーツが発信する本来の輝きを影の部分が覆い隠さないために、真剣に見つめ直す時が来ている。 二十年にわたって商業五輪をけん引してきたサマランチ国際オリンピック委員会(IOC)会長(80)が、来年の勇退を前にした“最後の五輪”シドニー大会もあと一日を残すばかりになった。 直接的な開催経費だけでも千五百億円以上、ショーまがいの競技すら加えた超巨大イベントを支えるのはサマランチ会長が導入したビジネス手法。 だが、行き過ぎた商業主義が引き起こす軋(きし)んだ音もそこかしこから聞こえてくる。 新世紀へ向けて平和とスポーツの祭典をもう一度見直す必要があるのではないか。 一・五キロ四方の壮大な敷地にシドニー五輪の主要競技会場が集中するオリンピック・パークは、連日三十万人を超す観客でにぎわった。 オーストラリアで人気の水泳に限らず、陸上、テニスやホッケー会場も常に観客席が埋まった。 陸上競技の予選の段階から、十一万人収容のメーンスタジアムがほぼ満席となった五輪は、過去にもまれだろう。 しかし、その壮大さは五輪の肥大化というゆがみの裏返しでもある。 国際オリンピック委員会(IOC)のディック・パウンド副会長は、大会前にこの問題について問われ、「肥大化というが、その傾向が顕著なのはメディアの方ではないか。 選手一人に対して、メディアは二人だ」と報道側を逆に批判した。 そのうち一万二千人が放映権を持っている各国テレビ局のスタッフだ。 二十八競技三百種目すべての競技映像を制作、配信するシドニー五輪放送機構(SOBO)の三千五百人は、この数に含まれていない。 前回アトランタ大会と比べると、テレビスタッフは四割近い増加となっている。 バックネット裏席の通路で、元プロテニス選手が立ったまま、盛り上がる場面であろうとなかろうと、プレーごとにしきりに声援を送っていた。 横にはビデオカメラでその姿を撮影するテレビ関係者がいた。 しかし、編集した番組の中でこそ見栄えするのだろうが、試合展開と無関係に声援を送る姿は、現実のスタジアムでは空虚に見えた。 米国NBCテレビは、時差の関係でビデオ編集でシドニー五輪を伝えている。 選手の生い立ちから追った個人ストーリーなどと競技を織り交ぜる。 制作費は日本円に換算すると百三十三億円と言われる。 スタート地点の各レーンに国旗が浮かぶ。まるでプールに設置されているように見えるが、現実のプールにはない。 「バーチャル・リアリティー(仮想現実)」と言われる技術だ。 しかし、これは画面の中だけの加工された“現実”だ。 スポーツの安易な「劇場化」が、今後、進められる危険性は高い。 五年前にNBCは、まだ開催地が決まっていない大会も含めて、二〇〇八年までの五大会の放映権を一括三十五億七千万ドル(約三千八百二十億円)の巨額で契約した。