ザ・クラッシュは1976年6月に西ロンドンのアート・スクールを中退したポール・シムノン(ベース)とミック・ジョーンズ(ギター)がThe 101’ersというグループで歌っていたジョー・ストラマーに参加を要請して誕生した。既成概念に捕われない自由な発想を持ったマネージャーのバーナード・ローズに導かれ、バンドはセックス・ピストルズと共にイギリスのパンク・ムーヴメントを起こした。ザ・クラッシュのマニフェストは初期の頃に行ったNMEのインタビューに要約される。『俺たちは反独裁であり、反暴力であり、反人種種差別であり、創造性に賛同する』。



ローズはバンドに今社会が直面している問題と向き合い、自分達が個人的に影響を受けたことを曲にするよう促した。ザ・クラッシュはその難題に立ち向かい、高層ビル、ドラッグ、倦怠、人種差別、おざなりなスリル、警察との揉め事などを引き合いに出し、70年代半ばのロンドン都心の荒んで殺伐とした日常を見事にカミソリのような鋭い描写で綴った。ファースト・シングル「白い暴動」 は1976年8月にポールがかつて通った学校の近くの街中で起きた黒人移民が警察と闘ったノッティング・ヒルの暴動にストラマーとシムノンが参加した後に書かれた。