【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 77laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
前スレ
【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 76laps
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1588224268/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured この前買って読んでるF速30周年記念号での主なマシン解説が所々興味深いな 前スレのセナの心理作戦だけどシューマッハはそれが駆け引きだと理解してたみたいね
あの公開説教の直後にモデナに特攻したから全く意に介してなかったと思う セナはシューマッハハッキネンアーバイン(笑)は
自分を脅かすライヴァルと認識したようだ
一方セナに敵視されなかった雑魚ドライバーは(ry ヒルも94シーズン中に何度かセナを上回ることがあったんだと思うけどなあ。
セナの勝ち逃げでそれも見れなくなってしまったが。 >>5
ホッケンハイムで行われた合同テスト中のブレーキングテストもセナを試したのかな >>6
>>7
早速古舘今宮後藤に洗脳されたお方が書き込んでますね。
ここは現実的な人が多いスレですよ。
イヤなら見ない方がいいですよ。 >>7
ヒル自身がセナが生きていれば自分はナンバー2としての役割を全うしていたはずと振り返っているので
それはないと思う
それを言っちゃうのがヒルらしいといえばヒルらしい 前スレのラストの方であったけどウィットマーシュは結構セナについては
辛口というかあまり思い入れがないというかかつての関係は良くなかったのかな
それともデニス憎けりゃセナまで、なのか ヒルってF1ドライバーにあるまじき人格者だよな。
ユーモアもあるし。 93年は契約で揉めてレース毎の契約だったからじゃない?
中盤はだらけてハッキネンに予選で負けるまでモチベーション落ちてたらしいしね。
でもラスト2戦はきっちり勝ったんだから年俸通りの働きはしたと思うよ。 セナってネチネチ粘着質だったらしいじゃん
ここのセナアンチみたいに
現場じゃいい印象持たないスタッフがいてもおかしくない >>13
ガツガツした上昇志向の強いタイプしかタイトルを獲れないと思われる世界で
ヒルみたいな現実的で謙虚(悪く言えば気迫が無い)なタイプがチャンピオンになれたというのは
F1の度量を示す良いモデルケースだと思う
成功の道は一つじゃないというのがいいね でも右京は日本人の甘いメンタリティではとてもじゃないけど戦っていけない世界だと言ってた >>13>>17
いやヒルは内に闘志を秘めたタイプだろ
若い頃はパンクロッカーだったみたいだし F1においてヒルほどのシンデレラストーリーは無いよね。
テストドライバーから正ドライバーに抜擢されて苦労もあったけどチャンピオンにまでなってさ。
ウィリアムズを出されてからもアロウズとジョーダンで実力を証明出来たし。 ヒルがチャンピオンになれるんだから
日本人ドライバーもいい車に乗ることが出来たら
チャンピオンとは言わないが何勝かは出来るんだろうな >>6でセナと揉めた1992〜1993年のドライバー列挙したので
雑魚ドライバー = アンドレッティ
のつもりで書いたのに何故かヒルの話題で埋め尽くされててワロタw
ヒル好きな奴ほどヒルを雑魚ドライバー認定している件について ヒルはなれたがクルサードはなれなかった
何か違うんだろうな >>23
ニューウェイに愛されたヒル、ニューウェイに去られてフェラーリに大差をつけられたクルサード ドライバーとしてはコールタードのほうが全然上なんだけどな。
アッキネンとレイッコネンのセカンドというイメージしかない。
アッキネンにも最初の頃は分が良かったのだが八百長でアッキネンが初勝利してから負けっぱなしだよな。 AS+Fだったか
「亜久里が言っていたけどあなたとハッキネンの実力は互角 でもレースの組み立てとかの部分でハッキネンが上」とか言われて
「そんなこと言われるのは僕は嫌だけどね」と返していたクルサード
亜久里にだけは言われたくねえと思ったのだろうかw >>24
ヒルよりクルサードの方がニューイと縁深いらしいよ。
ヒル放出の一件でニューイが激怒したって話だけど、
それはヒルが友人だからではなく何の話も事前に無かったからって話だし。 クルサード微妙に蛋白な感じする
契約更新時に魅せるあの覚醒した走りが他時期でも見ることが出来たらねぇ
>>10
逆にチームリーダーとしての役割が無いから
安心してセナに挑戦するって環境になったと思うんだよね、93年みたいに
当然譲るべき場面では譲る事になるけど
>>14
デニスと共謀して揉めたふりして契約金の引き上げ
と言われている >>21
無理無理w
タコマや右京や虎之助や中嶋父や中野で クルサードとヒルを比べるなんておこがましい
ヒルは四輪デビューの遅さからの経験不足で脆さをよく見せた時期もあったが94鈴鹿、97ブダペスト、98スパみたいな勝負強さをペヤングが見せたレースは皆無
自家用ジェットが堕ちた時くらいじゃないか? たらればだけどマンセルが95年もウィリアムズに残留してたらなあ。
94年最終戦で優勝してるんだし、まだ勝てたでしょ。 >>29
琢磨はピット側の作戦ミスが無ければ、唯一の表彰台を優勝に出来ただろうw ヒルは車を作る能力というのがWCになるのに不可欠な能力になってきた最初の世代なわけだからなあ
ヒルを馬鹿にできるのはシュー位だけど、シューは同じ能力持ったうえでバトル能力も高いからそれが言える
あの頃昼を馬鹿にした他ドライバーは開発力を軽視して足元救われることになった人が多いよなあ… しかし亜久里も右京も琢磨も一貴も完膚なきまでにボコられたイメージが強すぎて。
亜久里とアルボレートの年はレート、グージェルミン、モルビデリ、右京もノーポイントでチームメイトに負けたけど亜久里に比べるとボコられた感がない。
グルイヤールはそっとしておこう。 >>31
無理でしょ
レースペースがヒルと比べて遅過ぎた ヒル速かったけどなー。
なんか過少評価されるよね。
顎がこき下ろしてたせいか?
でも、顎がこき下ろすって事は驚異に感じてたからとおもうんだけどね。 >>37
あの頃ドライバーの車体開発力というのが速く走るために有効なゲインであることがあまり知られてなくて
それに気づいてたヒルとシューマッハーだけ異次元のように走れたのはある意味正しいかと
タダヒルは中途半端に苦労しすぎてレース組み立てや週末の化かし合い、バトル経験を積んでなかったのが後々尾を引いた感じが ヒルは過小評価を見直される過程で逆に過大評価気味になってる気がするな
このスレ見てると特に感じる。
悪いドライバーでは無かったけど、速いドライバーでは決して無かったし、優勝したりタイトル争うレベルのドライバーでも無かったと思うが >>31
でもあの勝利は勝ち取った物じゃなくて上が潰れてくれたお陰なんだよね
顎ヒルだけでなくベルガーにも遅れを取っていた
マンセルらしさの逆を行ったレースだった
ファンだから嬉しかったけどね ドライバーとしての能力で速さだけが求められたのは80年代までという気がする
車体開発もそうだし、チームを掌握する能力とか、コース上の戦略まで問われるようになったのが90年代 >>34
シューマッハはバトル能力は高くないでしょ。
ポールから先行逃げ切りや給油戦略で勝つのがレーススタイルだし。
シューマッハの豪快なオーバーテイクシーンって思い浮かばない。
ケメルで豪快にハッキネンにオーバーテイクされたのは印象深いけど。
蛇行してブロックするのは得意だったと思うけど、それってバトル強いって言わないでしょw >>41
アレジは80年代なら活躍できたドライバーだったと思う。
たった1勝で終わったのは当然というか、時代が違ったとしか思えなかった。 あの当時バトルが強かったドライバーって誰だろう
ヒルはバトルも周回遅れの処理もダメダメだった
のは覚えてる チャンピオンなんて(あくまでF1ドライバーとしては)平凡な才能しかない者の手に何度も落ちている、
ってナイジェル・ルーバックも言ってたじゃん(要はそいつらよりジルは上、っていいたい)
ヒルとかバトンがそう でも二人ともチャンピオンになった翌年以降、評価が上がったね >>46
そりゃセナでしょ。
性格&人格は置いといて、そこだけはズバ抜けてたよ。 >>48
セナ没後の話じゃないか?
誰が上手かったか思い出せないが 今晩、フジテレビNEXTで1992年のモナコやるよ >>46
なんか給油時代に入ってからコース上のバトルが減っちゃったのか
あんまり記憶にない
自分が熱中して観なくなった時代だからかもしれないが 今日は
フジネクストで
92 モナコGPやるよ!
実況スレはないけど・・・(´・ω・`)
あと日本人を勝たせるには、まあ当然ながら勝てるマシンを与えることと
日本人が勝っても、欧州に利益が出るような政治をしなければならない。
一番優勝に近づいたであろう右京・・・日本たばこ産業の後ろ盾でシューのセカンドでも
なっときゃあのマシンで1勝はできたはず・・・・(´;ω;`) わがままを言えば本選はもうおなか一杯だから予選をやってほしい
最低でも91年からはフジのフルバージョンがあるはず >>43
シューはつくづく「給油の申し子」だと思うな。
2010年からの復帰が失敗に終わったのも、腕の衰えは勿論、甘い汁を吸ってきた給油戦略が封印されたのも大きい >>35
右京はたしかに一発の速さはあった。
だけどレースマネジメントが丸でダメだった。
94年も95年も70%の力で走れば入賞・完走出来たレースを常に120%の力で走ろうとしてマシンを壊してリタイアしてたイメージがある。 >>33
確かに。
セーフティーカーが出た時、何でステイしてんだよと思ったもの。 給油時代は結構長く続いたけど、つまんないから止めようぜって動きはなかったのかな 98年ハンガリーでの3ストップ超スティント刻みなんてターミネーターミハエルにしか無理やで 2004フランスの4ストップ!チーム戦略
とシューマッハの任務遂行力に痺れたわ >>60
94ヘレスの3ストップも見事だったね。スタートミスも戦略で挽回 >>56
シーズン中のテストが禁止されたことと
前後輪の重量配分が特定されたことで
シューマッハスペシャルと言える超オーバーステアのクルマに仕上げるのが困難になったこともお忘れなくなって 41歳と4年ものブランクもお忘れなく。
シューマッハと言えど低迷して当然。 シューマッハスペシャルなんて言われたのはベネトンの時だけでしょ >>前後輪の重量配分が特定されたことで
すまん詳しく教えてください YouTubeでセナのマシンコントロール能力の高さをフィーチャーした動画見たわ。
ナニーニとアレジがクラッシュした場所でセナは見事にコントロールしていた。 仮説だけどマシンコントロールは絶対音感のようになるべく早い時期に始めた人間に有利なような気がする
セナやシューマッハ、ハッキネンやアロンソあたりはどんなマシンでも乗りこなしてしまうタイプ
比較的遅かったプロストやラウダはマシンを自分に寄せていくタイプ
ヒルもそのタイプだから逆にマシンの開発能力が磨かれた部分があると思う
アーバインが言ってたけどシューマッハのセッティング能力は大したことはなく自分のセッティングで走ることもあったと言ってた
プロスト離脱後のマクラーレンのシャシーの迷走を見てもセナの開発能力にもやや疑問符がつく >>56
タイヤが合わない。ちょっと攻めたらすぐブリスターが出来るタイヤ。シューはマシンも合ってないけどタイヤもら合ってなかった。ブリジストンなら結果は変わったはず。 シューマッハが速すぎて、全チームのマシンコンセプトが
シューマッハ好みのマシン特性に影響受けちゃって
クセが強くて乗りづらいって中野信二が言ってたね。 シーズン全体の戦い方も一つのレースの戦い方も確かに全盛期のそれではなかったけれど、
2012のモナコでのタイムアタックを見せつけたのだから、それだけでシューが復帰した意味はあったよ。 93年のヨーロッパgp見てて思ったんだがバリチェロって凄いな
個人的に右京、琢磨の件で嫌いだけど >>75
ヨーロッパの走りが評価されてマクラーレンとウィリアムズからオファーがあったらしい バリチェロはジョーダンに長く居すぎた気もするなぁ・・・
>>56
・・・甘い汁ってなんや・・・
>>59
今「つまんないから給油復活しようぜ」
って言う意見あるのよ?
「荷物がかさばるので反対」って言われてるけど >>76
何故行かなかったのか気になるな
スチュワート移籍前にはCART転向しそうになるし 気になったんだが96年からアーバインがフェラーリ入りしたがジョーダンと契約したアーバインを違約金払ってまで横取りした理由はなんだろう
クルサード獲得できなくて代わりがいなかったからか >>79
マクラーレンはフルシーズン確約じゃなかったそうです
ウィリアムズは解んない >>78
そんな話になってるのか
1回やってみてメリットデメリットは理解しただろうにね >>82
給油レギュレーションとかは、勝者が固定化してきたときのマンネリ打破に使われるのよ。良し悪しの話ではないさ。 マンネリ打破だとビルニューブが言ってるように
タイヤの温度センサー取っ払うのは良いと思うんだけどなぁ
>>80
当時フェラーリは「シューマッハの脇で萎縮しない2ndドライバー」って条件で探してた
変にプレッシャー感じて潰れたりされたら不味いってのがあったっぽい
そこで神経太そうに見られてたアーバインに白羽の矢が立った
「そう言えばトイレあった時に部品の価格に文句つけてきたアイツ良いんじゃね?」ってw
暴れん坊キャラに見られてたけど何気に大人だしなアーバイン アーバインと言えばデビュー戦の鈴鹿でヘルメットのバイザーに
「コスモ石油」とF3000のスポンサーがでかでかと入ってたのを思い出すが
あれはコスモ石油から幾ばくかの持込み資金が出てたんだろうか
それともコスモ石油への義理立てだったんだろうか あの年のジョーダンというとドニントンでのバリチェロのあと一歩で4位の快走だけどGPXの裏話で「どうせ完走できないと思ってガソリン少なくしてた」というのはマジ? >>80
当時未来のチャンピオンと目されていたバリチェロをチンチンにしたんだから注目されるよ
そしてルックスがフェラーリ向きだったって事も有るかもね アーバンテ サンバンテに行った!
アーバンテサンバイン!!!!! >>85
あれは鈴鹿スポット参戦の為の持込みで、チームスポンサーのサソルと同業種なので日本語表記にしてあるw
ちなみにパーソナルアドバイザーにセルモの佐藤さんを帯同して、なめられないように最初からタイムを出してやろうと目論んでいたとか。 >>85
SASOLとコスモは同業だけど商圏が被ってないから不問、という感じだったと思う タキ井上氏のメットに出光のステッカー貼られてた記憶があるんだけど
違ったっけ?
95年のフットワークもサソル付けてたよね? 2年目のジョーダンが失速したのは
ヤマハエンジンが遠因なのかな?
当時パワーはそこそこだが重いと言われていたような…
初年度でコーナー最速マシンを作ったゲイリーアンダーソンは天才かと思ったけどその後はイマイチだったよね。 V8からV12にチェンジするのってよほどのチーム資金がない限り厳しそうな >>87
セナ信者のバリチェロとセナに喧嘩を売ったアーバイン
2人ともシューマッハの忠犬になるとはたまげたなぁ コーナーそこそこでストレート伸びるマシンだった気が。
あの人のマシンって空力が独創的だね本当に風洞入れてるのかって言う。
191 192のカモメ型Fウイングとかトンネルデフューザーとか他車よりダウンフォース出てると思えない。 >>94
バリチェロは「忠」犬にはなってないな。
マスコミ集めて、俺はシューとジョイントナンバーワンなのにチームの扱いがどうの、とか有りもしない発言をして世論を誘導しようとしてたろ。
チームの怒りを買って、翌日には訂正会見をさせられてたのには笑ったけど。
「ジョイントナンバーワンというのは正確ではなかった。僕はナンバーワンbだ」だっけ?
あれでバリチェロはチームプレーを理解できてない残念な人と判明したね。 93〜94年あたりのバリチェロは次代のエースの予感がしたんだけどな
94ベルギーのポールなんて棚ボタとはいえ勢いを感じたよ バリチェロはルックスが酷すぎた。
ボッタスも然り。
ドライバーでもスターになるには美形じゃないとね。 でもルックスでの選考は下位カテで終わってると思うんだけどな。
バリチェロはイケメンでも何でもないけど、それ以上に速さがあったからF1にまで上り詰めたのだと思う。 >>93
チームも(恐らく)アンダーソンもX12の経験なかったろうしねえ
まあ2年目もカラーリングは秀逸だったけど >>99
ニキラウダ「俺美形に程遠い髪の毛も耳も無い肌の色の変なヘビなんだが・・・」 >>99
バリチェロってほんと変わんないよね
そしてお父さんとそっくり
息子は美形でインスタに彼女とのいちゃいちゃ載せてるけど >>103
妹もそっくりだってね。
バリチェロが女装したような感じで。 >>102
そうなる前にチャンプになってるし、事故後は「不死身の男」と
して別格扱いじゃん。 >>89-90
なるほどだから日本語表記だったのか
謎が解けた
ありがとう >>92-93
当時のV12としては特に重くないよ
シーズン中に翌年のマシン開発しなきゃいけないから大変なのよね
後は経験とコミュニケーションと資金の不足
>>95
ガスコインが来た時エンジニアに開発中にボツになったFウイング全部出してくれ
って言ったら、
ウイングは今付けてるの1つしか無いよ。ゲイリーのお気に入りで数年前からずっとソレ
って話が199本に書かれてたw
あと198のお披露目で「こんな醜いマシンほんとイヤなんだけど数値が良いから我慢した」
とか言ってるので感覚派なんだろうなぁ アーバインがフェラーリ入りするときバリチェロも候補で本人も乗り気だったけど、同レベルのドライバーならルックスが良い方がいいとアーバインに決まったと、当時の記事かなんかで見聞きした覚えがある >>106
ニキラウダ「俺事故前は超ねずみ男だったんだが・・・」 >>109
そこでバリチェロが乗ってたら10シーズンポチ
ストレスで相当ハゲそうだな 96年のフェラーリにアーバインが決まった事にタキはびっくりしたそうだ
ソースは当時のF1倶楽部 >>88
これ97年のハンガリーなんだよな
俺、たまに見るから見る度に笑っちゃうw >>112
タキw
そういえば彼も本来ならミナルディに乗ったはずなんだっけな
でもスポンサーの事情で断念したところフィジコがデビューしたと >>111
バリチェロがフェラーリ入り決まった時に、シューマッハとも仕事してたフォードのスタッフが「バリチェロなんてシューマッハの朝飯だよ」と言ってたと川井ちゃんが言ってたな >>97
アーバインの扱いを見ていればシューマッハと組むのが
どういうことなのか事前に察せそうなもんだけどなあ
本当にジョイントナンバーワンになれると思ってたのかな バリチェロってデビュー2年目にしてジョーダンでPP獲ったり、スチュワートでもPP獲って
非凡なところを見せてるんだよな。
まあフェラーリに抜擢されるぐらいだから並みのドライバーでは無いのだが。
しかしながら、シューマッハの次のエースかと言えばそれは違うような気がした。 バリチェロはスチュワート時代が一番良かった気がする。 F1ドライバーとして脂の乗っているアラサーの時期にフェラーリのセカンドに収まったのは
自分のキャリアを決定づけてしまったと思う
そう思うのは後知恵かなあ
でも自分がどうなるか普通は想像がつきそうな 99年サージャッキー
「彼の移籍先がマクラーレンなら快く送り出す、だがフェラーリなら反対だ」 ただ、結果論になるけど
バリチェロはフェラーリに入ったのは正解だったんじゃないかと思う。
スチュワートに残留したとしてもジャガーになってF1ドライバーとしての生命はそこで終わった可能性あるし、
他のチームに入った場合も
マクラーレン→ロンがハッキネンを優遇してセカンド扱い
ジョーダンに出戻り→チームの勢いが鈍って成績下降
ウィリアムズ→モントーヤに引っ掻き回される
セカンドドライバーのレッテルを貼られけど最多出走記録更新までこぎつけたし悪くないレーサー人生になったよね。 でも01年のハッキネンは燃え尽き症候群だったからワンチャンあるぜ 確か2004年位にウィリアムズからオファーあったんだよな、バリチェロ
04年はフェラーリ無双だったから結果的に正解ではあるんだけど…
個人的にはアレで終わった感あった
レースにファミリー帯同させてレースウィーク割とべったりだったり
レース終われば即ブラジルに帰ったりとか
どうにも甘ちゃんな感じがあるんだよなー バリチェロの人生はアーバインをボコれなかった事で萎んでしまったんだろうな >>80
ベルガーにも断られ、シューマッハの横でも萎縮しないドライバーだからという理由だったはず。 >>127
あれほんと不思議だった。
やっぱりアイルランドのチームでアイルランド人だからバイアスは効いてるんじゃないの? 同じチームでアーバイン・ハッキネンを見たかった。ウエストサリーチームみたいにね。 >>128
96年フェラーリでシューマッハと張り合うより
ベネトンでナンバーワンになるほうがいいと思った
ベルガーのこういうバランス感覚が好きだ >>116
思ってないでしょ、単に世論を味方につけるのための嘘でしょう。
ジョイントナンバーワン契約だ、と断言したのを、チームの命令で間違いだったと再会見して言い直したのだから。
ステレオタイプで描かれるブラジル人のネガティブなところを見事に持ち合わせてる人って印象になった。
嘘でもなんでも言って押しきればそれが正義になるから勝ち、みたいな。
オーストリアでチームオーダーをギリギリまで無視して世論を味方につけたのも、バリチェロにとっては勝利だよね。
お陰でファンはチームオーダー禁止というくだらない茶番を何年も見せられることになるわけだけど。 >>23
クルサードと当時エージェントに所属していてサラリーにうるさいからウィリアムズには好まれないと思う。 >>127
アーバインに負けて、シューマッハのときはナンバーツーの役割を求められ、さらにバトンに負けたのよ。何回かチームメートがチャンピオンになってる。車には恵まれていたね。 ジョーダン時代のバリチェロはアーバイン加入してから暗い表情が多くなった。新進気鋭の若手としてブイブイ言わせてたのが上には上が在ると思い知った心境だったと思う。 アーバインとバリチェロって確か日本GPで同士討ちしてたよな >>136
95年の鈴鹿のシケインだったな
バリチェロはその場でリタイア、アーバインはその後フレンツェンにもスプーンで追突されるも大したダメージもなく4位入賞 レジェンドF1のインタビュー
アーバイン「バリチェロ?ただのお子様だったよ!」 >>138
アーバインのコメントは真に受けられない。サロだけならずシューマッハでさえ格下扱いなコメントを吐くからな。 ブレーキペダルの上に足置いてパンプの度にブレーキに触って車速が落ちてたのが原因だったよ!
ってのが95年バリチェロの談
でもさ、ロガーですぐ判る話やん?
なんか不振の要因を藁をも掴む感じで探してる感じに見えたよ
>>131
表向き?な理由として
V10エンジンの熟成を待っていられない
だけどね。
セナと組んでどうなるかよく判ってるだろうしね >>137
そうだったのね
というかアーバインって鈴鹿でのデビュー戦からそうだが、特にジョーダン時代は他車ときわどいバトルをしたりぶつかったり暴れん坊なイメージ強いなぁ >>139
シューマッハの速さは認めているよ。
「どんな奴より速く走れるがシューマッハーにだけは敵わない」
「セカンドドライバーでは無く例え同条件だとしても彼には敵わない」 そのアーバインに負けたバリチェロは、シューに負けたのはチームの待遇差のせいだ、実力は対等だと主張するわけですね… 92年のハンガリーで、ファイナルラップのブランドルがフラフラ走ってて、コース内に留まることさえ難しくなってた。
体力的なものだったのか、マシントラブルだったのか… >>143
負けたって程でも無いよ
ポイントでは上回ったし
94年中盤までは圧倒的にバリチェロが勝ってたし バリチェロはバトンにボコられ、バトンはフィジケラにボコられ、フィジケラはアロンソにボコられた。 フェラーリにいたころのフィジケラは全盛期過ぎていたから フィジケラってアロンソ時代のルノー乗らなきゃかわいそうな人で終わってたな バリチェロって基本メンタル弱いよな。泣き言も多いし。 >>142
「シューマッハは車に出来ない動きをさせている」
by アーバイン
>>145
序盤に出場停止食らってるから…
>>149
ルノー時代は舐め腐って遊び呆けてましたサーセン
とバトンは言ってる模様。 鰤が絡んだ時代のベネトンやルノーはドライバーの力関係が不明瞭
金になる方のドライバーの実質1台エントリーで、もう一台は引き立て役のポチ以下の扱いだったからね 95年のベネトンはシャーシーがダメで前も後ろも作り直したらしい。そうなるとエースドライバーに集中してマシン開発をすることになるよね。それでその戦略が当たりチャンピオンを獲得した。
そんな状況でジョニーが勝ったのはさすがだよ。 >>153
ジョニーって3勝したのにポール無いんだな
3つとも荒れたレースで生き残ったって感じだしな スチュワートで勝ってるのは大したモンだよな
内容は別にしてレースの最後まで生き残るだけでも偉い >>152
まあそうなんだけど、逆にコンストラクターズは厳しくなるよね
95年のハーバートや05〜06年のフィジケラクラスじゃないとタイトル獲れないよね >>156
ミハエルと同じオーバーステア好みだった右京が加入してたら何ポイントぐらい取れただろうか
流石にマックスパパやJJよりはいい成績になったとは思うが >>152
ピケがファーストドライバーだった頃のブラバムや、セナ〜ピケ時代のロータスも
そんな感じだったな。
絶対的エースとおまけ的な存在で最初からコンストラクターは半ば捨ててた方針というか >>159
バリチェロが泣き言や言い訳がましいのは歴代ブラジル人ドライバーが完全No.1体制を敷いてきたのにそういったドライバーになれなかったのも関係してるのかね >>157
ハーバートが
「お願いだからどうか聞いてくれ、このマシンのFサスはどこかおかしい」
と切に訴えてFサスの改修でマシン改善の兆し
右京に同じ事が出来ただろうか…
この人エンジニアが年上だったりすると遠慮して意見言えなくなるんだよね
>>158
違約金は何処から… バリチェロっつうと94年パシフィックGPで初表彰台に立った時の思い出を
「岡山の純和風温泉旅館に宿泊してた。僕の部屋にディニスと奴の
ガールフレンドも泊っててブラジリアン3人、そりゃ大騒ぎだったよ」と言ってたが
夜中にディニスがおっぱじめたんじゃないか→調子を崩してサンマリノ、だったんではないかと睨んでる >>162
なんで95年にF1デビューしたディニスが居たの?
そもそも彼はF3000でもまともな成績残して無かったよな? >>163
お友達だったんじゃね?同郷みたいだし大金持ちだから下見兼ねて遊びに来たとか ラルース(ベンチュリ)の時に右京がエンジニアに意見しても聞いてくれず、ガショーが「ジョーダンの時は…」と話すと聞いていて、所詮日本のF3000チャンピオンとすでにF1を経験しているドライバーでは待遇が違い過ぎると言っていた。 >>165
おれがエンジニアでもそうするよ(笑)
右京はガショーにコーナーを何速で行くかもテキトー言われてて、完全に舐められてた 右京がカナダでリタイアしてなかったらランキングも負けてて本当に立つ瀬なかったな、ガショー。 >>166
舐められてたのか単なるジョークなのか
微妙なところ
5速リフトオフを6速全開だからなぁ…
エンジニアって割と経験則外の意見を聞き入れない所あるよね
ラルースとしては時間掛けて育成する予定だったからそう言う方針だったのかもしれんけど
ガショーはジョーダンで結果出してるのが大きい >>152
ルノーはどうだか解らないけど当時のベネトンだとそういう形でないと個人タイトルは狙えなかったんだろう
チームのサイズ的に >>164
なるほど
鈴鹿でなく初開催の岡山に来るあたり日本の事をまったく知らなかったのが窺えるな まあ、ガショーはその後にルマンでNSXに乗って、「こんな車、サンドイッチ食いながらでもドライブできる」と大口叩いていたというし、そういうヤツなんだろうよ。 ネタバレになるんでこれからフジでF1見る人は注意。
モナコGPはセナ優勝。ネタもとはパソコン通信。中嶋も亜久里もリタイア。まあ亜久里は予備予選、予選通って初のモナコ出走だったがな。
この後フジのF1とTBSのインディ500ザッピングしながら見るは。インディは生だが。
インディのスタジオゲストに何故か三田寛子。82年組としては売れてなかったのに「いいとも」でブレイクしたな。ついには朝ドラまで出て。ピット曲は何も無かったが。あ、村下孝蔵の「初恋」のカバー覚えてるや。田尾とサンスターのCM出てたやつ。
虫の予感だが来年あたり歌舞伎役者と婚約する気がする。 まあガショーは留置場内でもゲームボーイでずっと遊んでたんだっけ?
向こうと日本では雰囲気も違うかもしれんが。 ガショーのスタンガンがなければシューマッハのベネトン入はなかっただろう。F1には乗っただろうけど。 当初の計画通り93ザウバーからデビューしたんじゃないかな >>179
となると…91年のベネトンは最後までランバダブラザーズとして
92年はブランドルとモレノか?
JJは93年はどのチームからエントリーした?
というような想像が楽しめるから面白い。 モレノは首脳陣には不評だったしどっちにせよ91年限りだったんじゃないかな
92年からはJJが乗ったかも どうしても想像をしてしまうとどんどん膨らんでいく。
ガショーが事件起こさなければ。
ナニーニが事故らなければ。
マンセルが90年あのまま引退してたら。
ティレルが91年HB使ってたら。 それやると必ず出るのがこれ。
「右京が95年ベネトン乗ってたら」 >>182>>183
ガショー→シューが93年からザウバーでデビューする以外は事件以前と変わらないだろうけど、92年もジョーダンに乗ったかは不明、ひょっとしたらルマン優勝の実績を買われてベネトン入りも…あったかな?
ナニーニ→91年までベネトンに在籍し92年からフェラーリ入り、モレノは91年はモデナランボ辺りから参戦してた…仮にナニーニがフェラーリで良い成績だった場合ベルガーは93年以降どのチームに所属したのか…?
マンセル→91年ウィリアムズはパトレーゼがエースドライバー、ピケが90年終盤の成績を買われて出戻り…となるとベネトンはナニーニと亜久里のコンビかな?
ティレル→シーズン前半の入賞回数は多かっただろうけどハーベイ博士の離脱とピレリタイヤに悩まされて史実と大して変わらないリザルトになったと思う
93年も乗っていたら→プロストとのコンビ再結成もピケと同じような関係性になっていた…タイトルはプロストに軍配が上がったような気がする >>185
予選開始直前に「今後も乗りたいんならもっと金持ってこい」とか言い放った
エディとガショーの関係見るに相当太いスポンサーでも持ち込まない限り92年はなさそう >>185
93年も乗ってたらヒルはどうなってたかな
テストドライバー止まりか シューマッハは元々フットワークと交渉してたらしい
ただ亜久里が来る予定なら新人と組ませないとは思うのでシューマッハは乗れないかもしんない
>>188
契約がどうなってたかによるかもね
ガチガチの契約なら単なる脅しだし穴があるなら切られるけど
色々話聞くとガショーは扱いづらいのは確かな様だね
>>184
そうなるとジョニーはどこ?って考える
リジェが順当だけどウォーキンショウはブランドル乗せたいだろうし ずっと思ってたんだがミカサロの嫁って可愛いとも美人とも思えない
みんなどう思う 91年にティレルがHBを使っていたら…
中嶋がホンダV10とともに移籍だな。
行けそうなチームは
ブラバム
ロータス
フォンドメタル
AGS
スクーデリアイタリア
ラルース
うーん、どこもキツイね。
フットワークはポルシェ
マーチはイルモア、スズキ
との関係があったので除外。まあ、マーチはタイミング的にはあり得るけれども。
まあ、HBを使いたいなら90年に中嶋が加入しないだろうから、90-91の中嶋の行き先はアロウズかもね。 >>188
ジョニーはティレルだろ
89年にちょっとだけ乗ってるし >>189
公に付き合ってる事を認めてもヘアヌードグラビア撮影してたんだよな。
高校生だったからそれだけで興奮してた。 >>189
今で言う冨永愛とかルーシー・リュー的な、西洋人好みのオリエンタル
ビューティーってやつだな、要は日本人受けしない、スタイルだけは
良いブスって事。 >>193
ていうかフィンランド人って日本の男の好みとは正反対な人が多いんじゃない?
イリア夫人もどちらかというとノリコさんに似たタイプの顔だったし。 >>159
6位以内に入らないとpt0時代だからな
1台を確実に6位以内に送り込むのが正解 >>194
ちなみに当時フィンランド国内でのイケメン人気投票でサロの方がハッキネンの方が上だったらしいから日本人とは趣味が違うんだなと >>194
ちなみに当時フィンランド国内でのイケメン人気投票でサロの方がハッキネンより上だったらしいから日本人とは趣味が違うんだなと …ティレルはむしろ「グッドイヤーを履いていたら」だと思う。 >>194
F特の川井の漫画でもやってたがハッキネンは毎年モナコに川井が連れてくる女のことで冷やかすが梅宮アンナ連れてきたときはマジに紹介頼んだとかw >>194
フラビオもナオミキャンベルと付き合ってたけどこれはどうだろう?
ナオミキャンベルも日本人から見ると女性としてはどうかなという感じが。 ジャントッドと結婚したミッシェルヨーは日本人が見ても納得のアジアンビューティだった >>198
モナコとフェニックスの予選だけがピレリの出番だな フィンランドにはブスしかいない
日本女なら誰でもいいはず 古舘が嫌いだから ランバダブラザーズとか 走る〇〇みたいな言葉を聞くだけで無理w
名調子とも思わないし >>204
ボッタスの奥さんも美人だったし可愛かった。なんで離婚したんだろう? マチャアキの元嫁はセナのタイプなのかチュッチュッされてたな サッカードイツ代表の奥さんたちは美人揃いだったけどな。 ゴクミは何でアレジだったんだ
シューマッハやハッキネンもいただろうに
川井ちゃんはモテるんだな。まっ梅宮はドライバー狙いではあるだろう…。 ティレルは、'91より'92の方が好成績だったの? >>212
いや、91年の方がポイントは多いし表彰台もあった
ただ単に型落ちのマシンとイルモアエンジンで8ポイント獲得したチェザリスが実力のあるドライバーと再認識されただけ >>214
メキシコだっけ?
捨てバイザーを外しながらの片手運転は痺れたね。 あの年のフェラーリは、何であんなクソ車になったのか… >>213
んー、あれでグルイヤールじゃなくて他のドライバーだったらもう少し上に行けたんじゃないかなとは思う
例えばカフィやモレノ、ピロ辺りが乗っていたらどうなっていたんだろうと 当時のティレルの体力じゃ他が整うまでの序盤電撃戦だな
それでも91年終盤からしたら考えられない位の快走だったよ >>217
ピロはないわ。
ベネトンでナニーニに格の違いを見せつけられてたしダラーラに乗ってもチームメイトに負け続けてたイメージ。 >>217
グルイヤールはエルフからの推薦だった上にスポンサー持ちだったし、無下に断りづらかったのもあった。
モレノやタルキーニとかは腕は確かだけど個人スポンサーの弱さがネックだったし、
ベンドリンガーは既にレイトン→マーチが確保(メルセデスの支援込みで)してたしな。 >>212
期待値に対する結果という意味で91年よりも92年のほうが好成績だった
91年はホンダエンジンを積んで資金的にも冠スポンサーが付いたし
それこそ90年の好成績を踏まえていたからもっと飛躍すると思われていた 当時はシャシーとエンジンのバランスって考えられて無かったんだよな。
これにいち早く気付いたのがウィリアムズとルノー
逆にエンジン重くてもパワーありゃいいだろってのがマクラーレンやティレルだった。 88年89年90年のマクラーレンはイギリスなどコーナーが多いサーキットは予選でセットアップに手こずったし、バランスが良いフェラーリより遅いときもあった。
あれはパワーだけではなく車体のバランスや空力が重要なんだということが現れていたんだよね。当時はセットアップの問題にされていたけど。 >>189
もともとはマツダのRQだったんだよな(レナウンチャージクイーン)
その中では一番かわいかったw >>221
生き残ったって感じだったね
でもヴェンドリンガー様々だった >>228
92年のジョーダン行きが悔やまれる。
ティレルに残ってたらもうワンチャンあったかもね。 順調に結果を残していただけにジョーダンで躓いたのは痛かったな
とはいえ92年のジョーダンの低迷は予想しづらかったと思う
93年のシートを失ったのは内気な性格も影響していたのだろうか >>231
ヤマハのV12を積んだ時点で、詰んだように思ったが 92年のジョーダンはフォードV8からヤマハV12にいきなり変えたせいでクルマのバランスが滅茶苦茶だった
>>224
確かに.88年ですら予選はセカンドロウだったし89年もギアボックスの不調で予選出場の危機に晒されてたっけ90年はフェラーリに惨敗
こうしてみると当時のシルバーストーンが如何に空力に特化したクルマに有利だったか分かるな 開幕戦でモデナいきなり予選落ちは気の毒だった、インタビューしに行った
中嶋も困ったろうな >>233
90-91のティレルと同じ現象か
まぁ、あっちはタイヤもクソだったからなぁ
GYなら中嶋も表彰台あったと思うし 92年の最終戦でモデナが1ポイント取れたのって、
・ジョーダンのマシンの改良
・ヤマハエンジンの性能向上
・モデナの腕と意地
のどれだろう?
自分は、
マシン20
エンジン20
モデナ60
くらいの割合だと思っているが。 ホンダV10開発前のブレインストーミングで
完全なV10優位って結果だったからマッチングは既知でしょ
ジョーダン192って
冷却能力不足によるパワー損失とギアボックストラブル
それを補う為のオイルクーラー追加による重量増と空力悪化
とかダメスパイラルな事になってるんだよねー >>221
マーチが頑張ったというよりベンドリンガーが凄すぎたんだよな
あの借金まみれでアップデートもろくにしてないマシンで予選7位と4位入賞はロマンがあった
流石にシーズン後半になると停滞したけどベルモンドやナスペッティと比べると圧倒的に速かった
>>236
僚友は派手に大クラッシュしてたな
彼もレイトンハウスに留まらなければ上位チームで活躍できた気がするし残念でならない 92年のジョーダンって、V8の車にそのままV12乗せたらオーバヒートしちゃったから、ラジエターを大きくしたら更にバランスが崩れたと記憶している。
作る前に気付けよと。
あと、最終戦で1ポイント獲ったモデナはなんだかんだで凄い。 >>228
モデナはカートに乗りすぎた
カートの世界にはモデナを神と崇める人がたくさんいる ジョーダンはそもそもフォードHBの金払いきれず92年もつかえなかったので
エンジン無料のヤマハに飛びついただけだよ
だからシャシーいじれなかった 見た目だけは良かったよジョーダン192。
フロントウイングの曲線なんか特に滑らかで美しい。
カラーリングもオシャレ。 中嶋はQタイヤでアタックしても半周でタイヤ壊してた
F1のタイヤをまったく使いこなせなかったから遅かったというのが本当のところじゃないのか
年齢とか体力以前にヘタクソだったと
繊細なドライビング巧者というのは実はイメージに過ぎず、雑な走りだったのでは
反面、94年の右京は、よく精神的な覚醒を強調されるけど、単に努力を重ねた結果、進歩したからだと思うよ
インタビューで92年の中頃から取り組んでた 効果的にタイヤを活かせる走り方が
94年からできるようになったと言ってたし 1年半も掛かるのでは勝利なんて覚束ないわなあ。
トップドライバーはデビュー当初から出来てるんだから。 >>242
あと前の年のエンジン未払いとかの借金もヤマハに払ってもらったとか。
しかし予算八億しか集められなかったのによく五億もするHBに飛び付いたというか。 中嶋は速いマシンより、軽くてハンドリングが良いマシンの合っていただろう。 >>244
F3000までは繊細派だった
F1では体力ないから繊細ができずにガクガク動かしてたんじゃないの
バカ力で0.01mの手足動作が出来ないと速く走れないんだよ、きっと >>249
30になった頃にはF1諦めて、そこまで鍛えなかったんだろうな。
ヒーローズ中嶋レーシングには若手のホープ高橋徹がいたし
高橋が事故死して急に回ってきたので
大学教授呼んで理論的に鍛えたけど付け焼き刃じゃ無理だった。 >>244
中島は特に粗い運転するわけでも無いのに半周でタイヤ壊すって…
何か原因究明したのかな? >>207
ボッタスはあの顔で1年以上前から不倫してたから。
女はミハエル・シューマッハみたいな顔の自転車選手で。 Zwift やってたあの子か、趣味でやってるのかと思ってたが、ガチの
自転車選手だったんだな。 >>250
なにトンチンカンな事言ってるの?高橋徹がいたのはヒーローズレーシングで中嶋はその時電通とエプソンのスポンサー持ち込んでハラダレーシングから出走。ハラダレーシングがダメだったんでヒーローズにジョイント先変えただけで高橋徹の死とは何の関係もない。 94年のイギリスだったかな…GYの中の人が右京に
「今日お前が一番タイヤ上手く使えてたぞ!」
ってわざわざタイヤの実物持ってきて言ってくれたんだよな
一年半も掛かる人に負けたらダメじゃん
と言うか、93年のマシンでタイヤをちゃんと使うとか言うレベルじゃないんじゃね? >>244
中嶋は雑な走りはしてないけど単純に遅かった
雨では相対的に速かったしね
体力と晩年は目の衰えだろう
右京はマシンの良し悪しに結果が左右されただけだと思う
遅いマシンを速く走らせる能力はなかったんじゃないかな 右京はマージン削って無理してただけだろうな
堅実に走ってたブランデルより速く見えたけど表彰台乗れたのはやっぱりブランデルの方だった >>258
ブランデルからみたら
あのジャップまたバンザイアタックしてるぜ…
って思っただろうな。
右京に予選完敗してキャリア終わったようなもんだろ。 右京はF1来てから速く走るにはタイヤの使い方がキーだと気づいて
ドライバーの入力(熱入れ)で作動領域を自在に調整する術を会得したらしいよ。あとはタイヤの内圧で走り方変えたりして
94年にはそれが発揮された
中嶋の場合、タイヤの熱入れがうまくなかったんじゃないかな
Qタイヤでも決勝用のCコンパウンドどタイム差があんま無かったようだし 中嶋がQタイヤを半周で壊したってのは とにかく遅くてタイヤを発熱させられないで
その状態でアタックしようとしてタイヤを壊したとか?
中嶋はそのくらい異次元に遅かった ブレーキングポイントが誰よりも早いと言われていたよね 中嶋と同じぐらいブレーキングポイントが早いと言われたのがアラン・プロスト 本人も自分のドライビングスタイルはプロストタイプだと言ってたね プロストは小さいけど体力は化け物だったからね
中嶋は小さくて体力もなかった 1993年のティレルって、3年目のマシンだから信頼性も高いと思ったけど、何で開幕したらトラブル三昧だったの?
テストの時はどうだったのか知らんけど プロストタイプて、つまりスローイン(ファストアウト)? 何年か忘れた(93年か94年?)
オーストラリアの予選でガショーが7分40秒くらい掛かって
んのあったな その理由が迷宮してる 中嶋悟のQタイヤの使い方は問題あったのかもわからんけど、逆に90年のイタリア、日本GPの入賞は劣勢タイヤを上手く使いこなした好例だとも評されてるが。 中嶋の全盛期は85年だったと思う。
F2 5勝
GC1勝
グループA1勝
耐久 2位2回
あと2年早くF1行けたらね。 >>266
モノコックが経年劣化で老朽化してた。さすがに2年落ちのシャシーでまともに戦おうなんて
いくらなんでも無謀すぎた。 ハッキネン、セナでもパワーブレーキで1秒伸びしろあるって考えたら
中嶋はブレーキで相当ロスしてたんじゃないかと思う
中嶋は89がピークで90でガクンと落ちたイメージ
よくアレジとの差を指摘されるけど89年の中嶋だったらあそこまで差はつかなかったと考えてる 中嶋に辛辣だったハントが、中嶋本人に「お前上手いけど、力(体力)無い」って言ったみたい。 >>271
本当に同じ個体で回してたらしいもんね
右京が「中嶋さんが使ってたモノコックなんですよ」と言っていたのはビックリした >>272
89年のロータス101が一番運転しやすかったって言ってるしな >>267
モナコでプロストにぶつかりそうになってビックリしたんだよね、こんなに
早くブレーキングするのかって。 >>260
全日本時代に田中弘監督からタイヤの使い方仕込まれた
ホントはもう一年仕込みたかった様だが
確かレーシングオン田中弘特集で右京と小暮がその辺の話してる
94年はタイヤの内圧上げたいと思ったら若干滑らせたりして走行中でも自分で内圧のコントロールも出来たとか
>>268
ボロ過ぎて真っ直ぐ走らんシャーシですよw
失敗シャーシと名高いティレル021に乗った二人の第一声が
「マシンが硬い!」だったそうなのでお察しw >>273
ハントは中嶋の事をメディアにはクソミソに書き下ろしてたそう
「奴がここに居るのは何かのジョークだ」位に。
89年のオーストラリア後なのかな?
中嶋の所に「お前ホンモノだったんだな」って言いに来たらしいよ >>276
結局、セナプロて、ドライビングスタイルが全然違ったんだと思う
プロストはスローインファストアウトで、セナはコーナリングはセナ足で
エンジンのセットアップが違っててもしょうがないよな
ホンダが良かれと思ってやったことが、プロストからもセナからもメディア使って叩かれちゃうて セナプロはセットアップも走法も基本的には似ているよ。セナ足は踏み込む前だから。基本的にスローインファストアウトだよ。
変わってるのはベルガー(ハードセットアップに左足ブレーキング)にアレジ(10時10分ハンドル)でしょ。 和製プロスト 小河等
和製マンセル 黒澤琢弥・小暮卓史
和製セナや和製ピケはいなかったな >>244
ではなぜ95年から活躍する事が出来なかったんだ…?
>>250
無知過ぎて笑うわ
高橋と中嶋は何の関係もないし第一ヒーローズ中嶋レーシングってなんだよw そういや高橋徹ってあのまま生きてりゃF1まで行けたのかな?
国内で活躍してホンダエンジンに乗って、中嶋を差し置いてF1デビューもあったのかな。 >>280
全然違うよ
低速コーナーのライン取りが全く違う
セナは近めにエイペックスをとってフロントを直線的にアウトに向ける
スロットルを開けるタイミングが早く量も大きい
特に予選ではゼロカウンターで素早く姿勢を整え即座に加速態勢に移れるようにしている
基本的にアンダーステアセッティング
だからエンジンパワーやレスポンスに異常にこだわった
プロストは基本的に予選も決勝も変わらない
ステアリングを切る量が最小限になるようなセッティングとライン取り
つまり限りなくニュートラルステアに近い
タイヤには当然優しい
セナはプロストに比べるとリヤタイヤに負荷をかける走り方 F1中継が始まったときのプロストはもうベテランだったからなー
セナがベテランになったときのドライビングも見てみたかった >>284
体力不足が指摘されてたけど、田中監督の言う通りにウェイトトレーニングを始めて持久力をつけてたら走りも向上してホンダからも注目されてたかも。
ちなみに高橋徹は広島出身で、亡くなる1〜2ヶ月前にはマツダのルマンチームから乗ってみないかって話が来てたらしい。 >>285
なるほど。考え改めるよ。
たしかにカートのときはっきりと乗り方が違っていたね。 昔退屈で嫌いだった88年
今見ると面白い。セナプロの戦いはレベルが高い。マンセルも頑張ってる。ハンガリー見てるがなかなかだよ。 当時の最速マシンで今の予選を走ると最下位なんだけどな。
つまりレベルが低い。 >>285
セナはブルーノに
「アランは僕に不可能なドライビングを普通にやってのけるんだ。」
って言ってたんだよね。 >>282
和製ブーツェン 小河等 じゃないか
「振り向けばブーツェン」 「振り向けば小河」
地味だが常に上位争いしてるイメージがある 「プロストは本当に手強いんだ。僕のできないことを何度かできた。」>>292 修正
? 「プロストは本当に手強いんだ。僕のできないことを何度かできた。」
○「プロストは本当に手強いんだ。 いくつか僕にもできないことができるんだ」 >>286
セナはどアンダーのセットが好きで
シューマッハーは逆にどオーバーが好み
その時代で頭抜けて最速レベルの2人だけど
セッティングの好みやドライビングが全く違うのが面白い >>299
セナの好みは、どアンダーじゃなくて、弱アンダー。
プロストも、また然り。 >>271
ロータスが102Dで2ポイントも取れたのはHB効果もあるけど本当にすごいことだったんだな。
もっとも5戦目でハッキネン予選落ちしてたしあのままだったらハーバートも予選落ちしてたかも。 >>300
セナプロじゃ全くセット違うよ。
セナは強アンダーでプロストはニュートラル
互いのマシン乗り換える場合大幅にセッティング
変更が必要。
ソースは当時マクラーレンに居た寺本さん。 >>302-303
プロスト曰く、実はセナとはセッティングが似通ってて、同じセッティングの車に乗れるのは、ラウダとセナだという発言の映像もあるよ。 ドニントンパークって、一回しか開催しなかったけど何で? なんか自分で書いてたらロータス102Dが愛しくなってきた。
さてさてプラモデルでも眺めにいってくるか。 あるよじゃなくて出してくれ
いうだけなら俺でも言える >>285みたいな素人の見解より
プロストの発言のほうが信用できるなー
あと>>302もソースを出すべきだね
言うだけなら捏造かもしれない 88年の終わり頃の記事で、プロストとセナのセッティングは、ガソリン搭載量の多いときの特性が少し違うくらいで、軽タンクになるにつれてほぼ同じ感じになるセッティングだとは読んだ。
要はとてもよく似ていると。 >>308
それ言うなら プロストの発言もソース出せよ どれもソースの無い妄言だったということで仲直りしろ
アホども ケンサワ氏が93年のセナの走りは今までとは違っていて
カメラのシャッター切るのが難しかった
って言うてるよね。その時々でマシンに合わせたベストを探したるって事だよね
進入はゆっくりに見えるのにターンインがやたら早く
コーナー進入時の正面からの画が撮れないんだって
95年の右京は
ティレル023のハイドロリックサスにはセッティングの再現性が無かった
ツッコミ重視だとタイムが出ないマシン
(ベルギーの後、ハーベイに絶対にドライビングは変えるな。来年は絶対に良いマシンを用意するから。とは言われたけどさ)
筋トレしすぎてすぐに酸欠
焦りの悪循環
亜久里も右京も一貴も早めに1ポイントでも取れてたら焦る事も無かっただろうなと思う
何にせよ不器用な人だよ >>293
クレアは
売るつもりない多分助かるし
言うてる
今年のマシンはソコソコ出来が良さそうなのになぁ 確かに凄まじいソース無し応酬
しかもどうでもいい内容 別人なんじゃねーのかな>>310
どっちも出せよのはもっとも
書き方は悪かったね、片方に言ってるみたいだわすまん
でもお前さんが信用できるかどうかなんて1年後の今日の天気よりどうでもいい
それ書く暇あるならソース出せ
知らんなら上2行はいらん ソース出せ!って喚いている人間が
雑誌の切り抜きのキャプチャーを見せられると納得するのが謎すぎる・・・
ソースってその程度でいいのか? すぐソースソースと騒ぎ立てるアホは
それで満足するもんだよ 群盲象を撫でる
ソースなんかどうでもいいじゃん
やろうと思えば矛盾なく両立する説明は可能だしね
同レース、同コーナーのことってわけじゃないだろ おれはそれでなっとくしてたのか…
知らなかった
切り抜きが上がってたこともな
すまんな 「父さん、何とかやっていけそうだよ。
F1ドライバーだと言うからずいぶん凄いんだろうと思ってたけど
何も僕とかわらないじゃないか。 心配いらないよ 」
「でも…セナだけは何かが違う」
by シュマッヒャー >>308
確かにプロストが「同じセッティングで走れたのはラウダとセナだけ」という発言はしてる
ただしプロストの発言はころころ変わるから信用できないよ
この発言は他のチームメイトとの差別化したかった意図で言ってるだけ
根拠は以下
ホンダ木内氏
https://www.youtube.com/watch?v=anrXHMNttxs&list=LLjzzHBX-195mBhZscWuLveg&index=99&t=0s
あと>>302のソースはGP Car Story vol.1のP.32を読んでくれ
実際の動画をよく見ればよくわかる
89年日本GP 1:31:00〜あたり
https://www.youtube.com/watch?v=Fup5cODGwEw&list=LLjzzHBX-195mBhZscWuLveg&index=30&t=1018s
90年スペインGP予選
https://www.youtube.com/watch?v=17FBL3Qybzg
ほんと雑誌や動画のソースで安心したい人はどうぞ
こんなのちゃんとわかってる人はわかってる >>292
セナのドライビングは見栄えがするしある意味わかりやすい
プロストは何であんなに速く走れるのか理解できないくらいスムーズ セナとプロストの運転やセットがかけ離れてるのって
オンボード見りゃ分かりそうなもんだけどな
何故同じとか言っちゃうのか サンマリノグランプリの朝のフリー走行でセナがプロストに呼び掛けてくれて
プロストは救われたな。
死んだあとに僕達は電話し合う仲だったと言ったら嘘つき扱いされたよな。 個人的に、プロストとマンセルのメディアに対する発言
は信用ならんw 後、後藤治さんもw >>325
セナ信者はあんな呼び掛けなんかして欲しくなかったっていうのは理解できる。 >>322
木内さんの話
セナが雨で速い理由ってのが、セナ好みの強いアンダーセッティングの車が
突然の雨でも対応しやすい、雨でもマイルドな特性で踏んでいけるって話が面白いね 六本木はあんな言動だけど走りは緻密で正確無比だからな
ギャップに萌えまくったわ もっと言えばプロストとセナはいがみ合ったままでいて貰いたかった
中途半端に仲直りとかいらんかった >>328
そう言うのってドライバー自身から語られる事あまりないからチーム内 それも技術的な立場の人からの証言は興味深いな。
プロストが「セナとはセッティングが似てる」なんてウソこいたのも自分の技術や手の内を明かしたくないからだろう 一般的に広く認識されているのは、
「セナもプロストもセットは弱アンダーだが乗り方は違う」
そもそも強アンダーを好むレーシングドライバーなんているのかね。
アメリカの箱車とかダートトラックは知らんけど。 オレはチーム内の木内さんや寺本さん
の証言を信じるな
寺本さんは足回りのスペシャリストだし
シャーシセッティングに直接関わってる セナ 「僕はタイヤを素早く温める技術を持っている。詳しくは明かせないけど。」
やっぱ手の内明かしたくないよね。 寺本さんの証言なら
「フェラーリ加入後、イモラのフォーメーションラップのスピンはダンパーの不具合、という話をきいた」
というのも広めてくれ
セナプロのセットアップよりはるかにプロストの名誉にかかわる重要な証言だぞ
ソースはレーシングオンプロスト特集号 >>291
88年は最強だったホンダターボエンジンでさえ、予選で700馬力も出ず650馬力程度が常用パワーで、ベネトン・レイトン以外はエアロダイナミクス軽視な低レベルシーズン。
今と比較するほうがアホや。
>>294
小川等の異名は和製プロストだろ。 >>310
俺は、>>308さんじゃなくて、>>304だけど、フジの94年か95年の総集編で、今宮さんの奥様がフランス語でロングインタビューしてるんだよね。
その映像。
プロストが、"NIki Lauda er Ayton"(ニキ・ラウダとアイルトン)って言ってたのを覚えている。 あと覚えているのは、91年のブラジルの中継中に、ベルガーの車載カメラの映像になった時の今宮さんの解説が、
「セナとプロストのセッティングは似通っていて、詰めていったところでちょっと違う程度だったんですけど、ベルガーは、このようにステアリングを、1回、2回と少しずつ切り込んでいくので、セナとセッティングが違うんですね。」
みたいなことを言っていた。
セナとプロストは、ドライビングスタイルは違うのに、セッティングは似てたってことなんだろうね。 プロストのセナ以外はまともなセッティングじゃなかった発言は、マンセルに対する当て付けかと思ってた。
あとシューマッハがピケのセッティングをふわふわでコントロールが効かないとボロクソだった。 今のドライバーは最適なラインまで提示されるんだし
セッティングも好みとかじゃなく、チームやエンジニアに強要されるものなのかな? >>341
だからセッティングも違うんだって
今宮氏と木内氏どちらが信用できるかって話
コーナー後半で一気に向きを変えるセナと教科書通りのプロスト
セナがプロストのセッティングで走ったらくるくるスピンするよ
ベルガーがステアリングを小刻みに切ってたのは単にセッティングが決まってないだけ
決まった時は無駄な動きはほとんどない
https://www.youtube.com/watch?v=72ITS_rYisw 別に誰が誰の話を信用しようが構わないだろ
いちいち人の見解にケチつけんなよ プロストの走り方って、ブレーキ掛けながら曲げ始めるから制動距離が比較的長くなっているように見えるよ。コーナーのボトムスピード自体は低めで、そのタイミングでスパっと向きが変わってる。ハンドル切る量は少ないけどね。大きく回り込むコーナーでは顕著。
決して教科書通りのアウトインアウトでもない気がするし、中嶋がモナコでプロストに追突しそうになったというのもそのせいかなと思うね…
ところで、 >>322 では木内さんの何を伝えたかったの?セッティングが全然違うって話を見つけることができなかった。3時間以上もあるビデオなので探し方が悪かったのかも知れないけど。
そのビデオでは、88年のバレストル書簡を、プロストに味方してホンダを非難したという趣旨で語り合ってるのを聞いて、なんだかなあと思った。 セナプロ両者の違いは番組内での木内氏の発言と合わせて
寺本さんの記事を読むと良いよ。
両者のセッティングの方向やドライビングが離れている事、
サスペンションのセッティングの違い
後、テストで一台のマシンを両者で交互に乗る場合ドライバー交代の度
大幅なセッティング変更が必要だったという話が語られている。
木内氏も寺本氏もセナプロと現場で働いてる人、特に寺本氏は
直接セッティングに手を入れる立場の人の証言だからこれ以上
ないほど信頼度は高いと思うよ。 セナはエンジン周りだけ詰めて
最後にプロストの詰めたセッティング丸パクするから
セナとプロストのセッティングがほぼ同じ説
ソースはどっかで聞いた話で記憶曖昧 >>341
今宮さんの解説や記事は半分妄想で出来てます。信じちゃあか〜んw
優しい声やF1愛が伝わる所は嫌いじゃないけどね、俺も高校くらいまではフムフム言いながら聴いてた。 >>347
プロストのドライビングだけど制動距離が長めなのはその通り
ただしステアリングの動きや縁石の見え方を見れば緩やかに向きを変えてるのは明らか
ステアリングの動きが最小限ってことはボトムスピードが速いってことだから
ボトムスピードが遅ければ立ち上がり初速も遅くなる
制動距離を長めにとるならボトムスピードをその分速くしないと速く走れないのは自明の理
プロストのドライビングはまさにスローインファストアウトのお手本でしょ >>347
>ところで、 >>322 では木内さんの何を伝えたかったの?
47:30〜あたりでセナプロのセッティングの違いについて言及してるから >>349
「セナvsプロスト―史上最速の"悪魔"は誰を愛したのか!?」
にそういう話が書いてあるね youtubeを証左として出したいならその部分を時間指定したリンクを貼ればいいのに 貼ってくれるだけで親切だろ
どんだけ一から十までお膳立てされたいんだよw
クレーマーだろ信じられんw 3時間15分の動画を貼ってこれが証拠ですって言われても
全部見ろっていうの?w そうじゃなくて最初に貼った時点で時間指定すれば手っ取り早いよねって言ってるんだよ >>356
まじで言ってるのか!そこまでお膳立て求めている奴が
居るってのは予想超えてた >>359
そう?
ソースを出すのって親切心の問題じゃなくない? >>358
それはさすがに苦しいわ
ごめんなさいしとけw シークして当たりつければいいだけ
リンク貼ってくれるだけで感謝だけどなあ >>352で時刻は描いてくれてるから
単にyoutubeで時間指定できることを知らなかっただけじゃね 見ず知らずの奴らにそこまで懇切丁寧にしてやる義理はない タイムスタンプは便利だよ
長い動画のお気に入りの場面で頭出しできるし 自分の主張の裏打ちのために典拠を出すのに、それが分かりにくいなら出してないのと一緒だよ。もったいない。
極端な話、ソースは国会図書館の蔵書のどれか、と言われても評価の価値ある? その例えなら国会図書館のあるひとつのジャンルまで絞らないとおかしくない? YouTubeの何処かにあるって言っているんじゃないんだから >>368
ソースは図書館の何処かにあると言ってる訳じゃないぞ。
この本にあるという所まで示されている。
後はページをパラパラとめくるだけ。
充分わかりやすいと思うが。 当人は時刻までわかってるんだから、それも一緒に提示してあげれば?
と言ってるだけじゃん
そこまで反発するような話かな、これ? セナはつま先を支点にして踵でアクセル踏んで膝の屈伸でセナ足をしていて
強アンダーセットにしてセナ足でリアを細かくブレイクさせる事でコーナリングしてたんじゃないかと思うんだよね
セナ足の映像撮っておけばよかったよ
って木内さん雑誌で話していた
お台場カフェでなんでこの話しないのー
前見た時思った >>375
市販車のドライブした時に脚の映像あったと思うが
普通の位置だったよ。 確かNSXでしょ、知ってる
セナ足ってロガーで見ると痙攣レベルの高速でやってるんでしょ
市販車だとやれないんじゃない? >>351
プロストはスローインファストアウトでしょ。
ファストアウトするには、ボトムスピードそのものは下がるんだよ。
定常円で旋回したら、コーナーのアウト側に付くまで加速できないからね。
瞬間的にスピードを下げたところで出口に向けて小回りして、いち早くアクセルを開けるから加速状態でアウト側に出ていける。
上で上がってた鈴鹿の映像でも、ヘアピンの出口はプロストのほうがイン側から真っ直ぐ立ち上がってるよ。セナはパワースライドしながらアウトにはらんでいるけど、プロストほど早い地点では加速態勢に入れていない。 このころのF1で、超軽量、コンパクトのV6って発想はなかったんかな。ハイスピードコースでは話にならないものの、コンパクトなハンドリングマシンでテクニカルコースに勝負かけたような。 パワーでは劣るけど、80kgくらいの重量のエンジン。ジャッドあたりがティレルやアロウズ向けに作ってればテクニカルコースでまさかの順位があったかも。ルノーv10などに弱小チームが対抗するにはこんな奇策もありかと >>380
80kgは流石にこの時代では夢を見すぎだよw
99年のフォードCR1がようやく100sを切って大きな話題になったぐらいなんだから 実際に運転すると、スローインファストアウトとアウトインアウトを守ると運転が速くてスムーズになるよね。 >>383
交差点曲がる時はスローインスローアウトでお願いしますね。 寺本さんとGPカーストーリーの話題が出たので疑問がひとつ
寺本さんが「プルロッドのフロントサスとスプリングダンパーの立て付けなどを見ると4/4、4/5もバーナードの車だったと言えると思いますよ」
と言ってるけどフロントのプルロッドはマーレーが持ち込んだと思うんだが違うんだろうか >>378
何か当たり前のこと言ってるけど…
だからスローインファストアウトっていってるじゃん
ボトムスピード=クリッピングポイントでのスピード
進入からクリッピングポイントまでは当然誰でも減速状態に決まってる
そのイニシャルのボトムスピードがプロストは速いといってるの
それができるシャシーセッティングとドライビングがプロストたる所以でしょ
で、セナとプロストのセッティングが違うのは理解できたの? ルーバックの本に、ラウダは「自分独自のセッティングがあったので僕は他の人より速く走れた。
でもプロストはそのセッティングでも走れたので、僕は彼と同じ速さでしか走れなくなった」って書いてあった。
アロンソも連覇している頃、一行目と全く同じようなことを言っている。
二行目のプロストがまさにハミルトンなのだろう。 >>386
確かにプルロッドを採用したのはマーレーだね
ただ形式は異なるけどレイアウトが似ていたということじゃないかな >>381
ここで中嶋の悪口言う必要なくね?オマエは酷い奴だ! >>379
まったく新しいエンジンを作るのは莫大な資金がいる
ジャッドにしても元々DFVチューナーから始まっているから
フォードは言うに及ばずV8をベースにするのは自然な流れじゃないかな フォードと言えばオンボードでのHBのエンジン音がなんとなく好きだわ F1って遅くしたいんだから、PUやめてV6でやったらいいのに。
そのかわりレギュレーションゆるゆるにしてやったら面白い車がいっぱいできて楽しくなりそう。
アクティブサス復活させたり。 あのー、帰宅してこのスレを見てみたら、何か言い争いが起きてるんだけど…
一旦、落ち着こう。 セナとプロストのドライビングは少し違うがかけ離れてるとは言い過ぎだろう。 個人の感じ方だが俺はかけ離れてると思うよ
エンジン音だけ聞いていても
タイトコーナへの飛び込みもセナがワワワワン!とシフトダウンするのに対して
プロストはワン!と一回で落とす
セナは減速から加速までの間が結構あるスタイルだがプロストはその間がほとんど無い
セナの間はアクセルを踏んだり戻したりしてるから非常にわかりやすい 90年代セミATの普及で左足ブレーキ派が増えたけども
セナが94年以降も存命なら左足派に切り替えたのかな?
それとも右足にこだわったのか どうでもいいことだけど
セナ足のことを早いケケだねって言ったの誰だったっけ >>399
速く走れる方法なら何だって試す人だと思うな
むしろバリチェロが移行出来なかったのが不思議
95年のトラウマ? カート出身なら左足でブレーキ踏めない方がかえっておかしい
しかもセナは左利きだし いち早く取り入れたのはシューマッハー
とハッキネンかな? ハッキネンの可能性は高い
94年の/9が初のツーペダルセミオートマだった 開幕前からモナコで威力を発揮するだろうと
言われてたよね >>393
賛成!おもしろそう!俺的には逆に電子デバイスなしがいいな。腕勝負! >>393
PUて
・1.6リッターV6ハイブリッド・ターボエンジン
・ターボチャージャー
・運動エネルギー回生システム (MGU-K)
・熱エネルギー回生システム (MGU-H)
・バッテリー (ES)
・コントロール・エレクトロニクス (CE)
の総称だからV6にしても本質は変わらん
回生システム捨てたらf1は技術最高峰名乗れなくなる
単に遅くしたいのならレギュレーション変えて
FEのバッテリーの動力で走らせればいいだけの話 >>409
俺は2リッターNA、燃料はスタンドで誰でも手に入る市販品、回転数2万、
これなら爆音も戻ってくるし人気復活させて欲しいわ。 >>409
パワーソースのパワーを下げられたらなんでもいいよ。
言いたかったのは後半だもん。
レギュレーションをとっぱらったらどんな車ができるのかを見たいんだ。
個人的にはベンチュリーカーかつアクティブサスでウイングが少なくなって美しくなると思ってる。
>>410
それでコスワースとかジャッドとかハートみたいなエンジンサプライヤーまたが出てきて、参戦ハードルが下がるといいよね。 >パワーソースのパワーを下げられたらなんでもいい
排気量無制限だけど単気筒縛りで 別に遅くしたい訳じゃないのでわ?
極論言うと、
F1の価値を上げて儲けたい
その為右往左往してると理解している
ワークス入れて最先端最高峰お金じゃぶじゃぶしたいけど
やりすぎたら非ワークスの息の根が止まるし
ワークスにコントロールされず独立性は保ちたい
人気の為には競争を演出したい
書いてて思ったが、富の再分配と同じく感じか
非ワークスからしたら、金だけ出して黙ってろ
って事だよね。それってホンダ…w
ブランドルが今のPU時代のF1乗った時
コレは本当に速いな!V8の時は音は凄えけどちっとも前に進まないのにw
と言ってた ステップアップしたらMTで左足ブレーキなのにカート意味あるのかと思ってたけど、
セミATで変わったんだな。
といっても初期のセミATはスタートに使うクラッチペダルは生えてて
ドライバーも右足ブレーキが普通だったみたいだけど。
この当時の生ダラカートに星野一義が出たことあったけど、
キャリアのどの辺で左足ブレーキなんか使うことあったのかなと
思ったほど上手かったんだよなあ。趣味で乗ってたのかな。 間違えた、MTで右足ブレーキね。
ベルガーはMT時代から姿勢制御に左足でブレーキを踏むことがあったとか
過去スレにもあった覚えが。 >>414
星野は色んな車乗ってるからなあ、シロウト相手なら何でも速いよ。マジレスすると、日産のラリーカーテストで相当左足ブレーキやったんじゃない?意外と一樹をカートで特訓してたかも。 Cカーはターボラグひどすぎて左足ブレーキ多用するとか gpcarのロータス107号は107〜107Cに渡って3年分の特集だそう
好きな時期だから嬉しい
贅沢を言えば91年の102Bも見たいけど >>417
それもあるかもなあ。スーパーシルエットとか、Cカーの最初に積んでたLZ20Bターボは酷そうだったし。 >>418
コマツが開発してたシームレス8速ATの顛末
を聞きたいな
計画通りの性能なら革新的だったのに やっぱブランドルすげ〜な
V8は音だけで前に進まねぇって発言はハエが人間の動きが止まってみえる様にスピードの感覚が異次元に居るって事の証左だわ >>418
むしろ102Bが見たい
フロントダンパー部分(車体の外に出てるオーリンズ)の写真を
20年以上探しているけど発見出来ず >>417
>>419
若い頃は癖の強いFFチェリーにも乗らされてたからそこでも使ってたんじゃないか説 >>415
ベルガーは小さなコーナーだと左足ブレーキを踏んでアクセルは全開だよね。ターボカーのときはターボラグが大きかったから大きなアドバンテージになったと思う。
ベルガーがメキシコの最終コーナーはどうやって運転していたのか興味津々だよ。 ノーズだけは102Bの方がカッコ良いのよね
あの平べったさが ベルガーと言えば鈴鹿
130Rを6速全開
すごいなぁ デグナーも3速全開と聞いた
今までの鈴鹿の常識を覆した?
でもマンセルとかホンダの開発で鈴鹿走ってたはずだが?? >>426
ウィリアムズ・ホンダ時代日本でのテストは中嶋が担当してた >>425
そうそう
ちょっと641/2的なローノーズがシンプルで素敵
深緑と白のカラーも良い >>428
85年の初めはマンセル来たような気がするが。 >>426
ベルガーの130Rは確かに常識を覆したと思うが、
アレを「6速全開」と表現するのは(ミスリードを誘うという意味で)違うんじゃないか シューマッハも初めての鈴鹿は130Rは6速全開だったっけ?
93年の右京は予選で4速で走って解説の中嶋が「あそこはせめて5速でいかんと」と半笑いで言ってたのは微笑ましかった。 >>428
「鈴鹿は近辺にいいゴルフ場がないから嫌い」というコメントがあったような
事故ってチャンピオンになり損ねたりとかあんまいい印象持ってないんだろうな 7回走って完走すら94年の1回(4位)だけだしなあ。 >>433
あの年のティレルはモノダンパーで少しでもバンプに乗るとすっ飛んでいったらしい
それでもなかなか良い走りはしてた >>434
鈴鹿の周りは山岳コースばかりだからイギリスのコースとは全く違うからだろうね >>430
あのカラーリング、シンプルでクリーンだよな
でも、金が無さそうなのが伝わってくる(笑) なんかドライバーとサーキットの相性というのも面白いな。
マンセルと鈴鹿、セナとフランスとか相性よくないね。
マンセルとエストリルはなんかわけわかんないけどw >>438
そう、ワンカットだけだけど
モノコック下部に剥き出しで取り付けてあったよ
オーリンズかどうかはわからんね セナとも仲良くやった人徳者ベルガー。今やモータースポーツ界の重鎮
https://news.yahoo.co.jp/articles/930cff1cb5b00b6f1b34558cec6d618b2342838c
フェラーリではナイジェル・マンセル、マクラーレンではアイルトン・セナとチームメイトだったベルガー。
F1ドライバーの中でもトップクラスのエゴイストふたりと組んでも、ひょうひょうと自分の仕事をこなしていた。
気難しいことで知られるセナに数々のいたずらを仕掛け、友人関係を築きあげたというだけでも
ベルガーの人徳がうかがえる >>442
トッドの愛車のランチアを大破させてしらばっくれたとかベルガーの人徳で
許されたというか不問になったんだろうな
同じことをたとえばバリチェロあたりがやったら即クビだってあり得そう マンセルはウィリアムズに加入後すぐに鈴鹿でテストしている。
マシンはまだFW09だった。 >>428
F1 で 85年 3月 に中嶋とシェアしてテスト
リースと間違っているかもしれないけど
F2 で 80年秋に鈴鹿でテスト走行していたような気がする。
この F2 は翌年 中嶋が 1レースのみ使用する >>426
130Rは、6速だけど、全開ではないよね。スロットルオフしてる。
セナが、5速全開に見える。 セナは、MP4/5と4/6では、5速。
MP4/8では6速だね。
MP4/7は車載カメラの映像が無いので、不明。 マンセルの自伝にテストで日本に向かう途中、ピケがケガした箇所をふざけて突つくので殴り合い寸前になったと書いてあった とてもピケっぽく思える。ピケはいたずら好きなベルガーと仲良かったんだっけ? フジのF1珍プレー集みたいなので、ポスターのピケの写真にマジックで落顔して酷いツラにしていたのはあったなw ピケだと、予選中にヘルメットもグローブもつけてコクピットに座って、メカニックから受け取ったメモ用紙に春画を描いてたというのもあったな…
ロータス時代 >>440
マンセルはいつもエストリルめっちゃ速いんだけどな
マモノがねw >>453
マンセルはエストリル得意だと思うのになんでマモノが。
日本人にとってはあんまし縁起良くないところか。
入賞者いないし中嶋病欠、右京大クラッシュとか。 >>428
確か初組みEスペックを鈴鹿でテストして絶賛したんじゃなかったかな? >>453
プロストもいつも鈴鹿で馬鹿っ速なのに縁がなかった
もし日本人ドライバーとタイトル争いしてたら鈴鹿で何勝もしてたと思う
プロストってイギリス、ブラジルとライバルの母国で無茶苦茶勝ちまくってるんだよな >>454
エストリルの日本人と言えば、89年の中嶋の決勝、馬鹿っ速くて、7位まで追い上げた。
予選を失敗したのが悔やまれるね。
94年の右京は予選は6位だったけど、トラブル(電気系だったっけ?)でスタートできず。
悔やまれるね。
噛み合わん!!! シーズン中 1〜2回だけ来たらしい
途中でリターンキー押してしまったw
ロズベルグではありえない話で 当時のマンセルはホンダから評価が高かった >>454
89年ロータスジャッドの中嶋の走りは、生涯でベスト5に入るいいレースだったよ
予選は不運が重なりギリギリ通過の25位
抜きにくいサーキットなのにオーバーテイクしまくりで、入賞に一歩及ばす7位
完走14台だから、中下位のリタイヤ車含めて10台以上コース上で抜いた 連投になってしまうが・・・
マンセルは開幕前にも顔見せに来たな
開幕前に来て強烈だったのは1986年のピケだった >>460
中嶋は時折、本物の片鱗を見せる走りをするよね
平常時がダメ過ぎて(特に対チームメイトで)ネタドライバー扱いされがちなのが残念
セナピケアレジモデナと一級品揃いの相方に勝てと言うかのは酷だが、もっと評価されていいと思う >>462
どうも目立つ部分が強調されてしまうからね
プロストとセナの対予選もモナコや89鈴鹿の1秒強の差が強調されるが
大抵のサーキットではヤングタイガーと30超えたベテランじゃよくあるタイム差だったのにね マンセルは、鈴鹿のバックストレートでわざとオーバーレブさせて
エンジンぶっ壊したとかいうヤバい話が無かったっけ? >>463
セナも当時のプロストの年齢になった頃には
ハッキネンに予選でまくられてたわけだしね >>462
中嶋は良いマシンに乗ってたんだよ
中嶋がクソ遅いおかげでロータスなんかはボロクソに言われて傾いたw
当時はいかに日本企業の金を引き込むかの時代だったから >>467
88年と89年のロータスは、アップライトの剛性不足が後に判明しているから、良いマシンとは言い難いかな。 >>467
は?100Tなんて見た目だけでも贅肉だらけのマシンだったが? >>467
87年の時点でセナが予算不足を嘆いていたくらい
アクティブの開発中止もそれが原因
すべてはピーター・ウォーの責任 >>460
たしか1コーナーの進入の感じがエストリルは鈴鹿のそれに似てるから好き、みたいなこと言ってたな >>460
サンキュー 見てみるよ。
しかしあのマシンは走るときは走るね。駄目だと全然だね。 >>470
信者さん、87年度の契約書にサインを済ませた後で更にギャラアップを要求して
「要求を飲まなきゃホンダエンジンと一緒に別のチームに行く」とゴネた人のことは見ないふりですか? セナはかなり金銭にしびなであるというのはよく言われてるけど87年は
JPSがキャメルに変わったのは約束と違うだからギャラ増やせって言ったんだっけ?
93年とかもそうだけど無茶な要求通せばその分開発費関連がまず削られるということが
分かってなかったんだろうか ホンダからNSX貰ったけど関税は自腹なので
「バラして運んでブラジルで組み立てとか出来ないか?」
とか食い下がってたって話だもんなぁ… 異論はかなりあるだろうけど、自分は中嶋より星野の方が通用したという意見だ
その理由は星野の方がタイヤの使い方が上手い。こればBSの浜島氏も認めるところ
それから体力もあった。
星野といえぼフォーミュラ、スプリントの印象が強いけど90年代にJSPCをサーキットで観戦した実感として
星野の凄みは長丁場の耐久でこそ発揮されたのでは、と思う
タイヤの美味しいところを活かしながら長持ちさせる技術、持ち前の一発の瞬発力と同時に、連続して速い周回を重ねてもタイムのブレのなさ
そしてドライビングスタイルだね。
中嶋のは昔の日本人ドライバーによくある一筆書きのライン取りで、ハコのやり方を引きずった前時代な感じだったけど(厳密にはハコ上がりじゃないのだけど)
星野の走りは外人やカート出身者とほぼ変わらない最小のハンドル操作で鋭角的にコーナーを曲がる
つまり中嶋はハンドルでクルマを曲げてるのに対して星野はアクセルワーク主体で動かす
これが星野が50歳頃まで戦えた理由だと見ている
ドライビングスタイルが若い世代と相違なかった >>476
そこそこ裕福な家の生まれなのに、そんなにケチだったのか F速30週年号でツガーさんが言ってた「他のドライバーは自分の限界で走ってたけど、セナは本当の車の限界で走ってた」とか、
川井ちゃんの「セナは動くものがコマ送りで見えてたと言ってた」とか印象深い。
こういう逸話って天才の証だよ。 >>462
タラレバに追加すべきこと
・88年のロータスホンダの信頼性が前年ほど高ければ
・89年のロータスのエンジンがホンダだったら >>480
ヒルやクルサードも初期型FW16を引き合いに同じようなことを言ってたな
セナは信じられないほど勇敢だったと >>462
たしかフジTVの総集編(91年?)で中嶋の入り待ちして中嶋関連の記事の
切り抜きに細かくサインもらうドイツ人の中嶋追っかけおじさんがいたけど
あの人は中嶋に何を見出したんだろう? >>480
>>482
信者さんたち、話をそらそうと必死ですね。 >>477
体力的にみたら星野だろ。
ただ中嶋さんより5つ歳が上だからな。39才だと向こうの若手と勝負するのはちょっと厳しいでしょ。
76年と77年に一応は乗っていた。乗るならピークのときだろうな。ホンダが居ない頃だな。
星野もホンダF1のテストしていたけどタイムはどうなんだろう? >>486
最近昔のレーシングオンの記事を見たけど、富士でFW11をテストした時は、
Cカー(日産86V、長谷見)の公式レコード1分14秒685に対して
1分15秒台前半、セッティングが決まれば1分11秒台は出るとのこと。
鈴鹿のタイムも、中嶋が、星野さんが1回目のテストで何秒台が出れば凄いよ
というのもあっさりクリアしたという記事もどこかにあった。 >>485
いやいや、信者じゃないよ。
セナのドライビングの才能は凄いと思うけど、人間性は最低だと思ってる。
なんだったら、サイコパスだとすら思ってる。 >>474
チームの事考えない銭ゲバに関してはセナだけじゃなくたまに居るからな
琢磨みたいに強引にギャラうpさせたおかげでチーム消滅してしまった例も 中嶋自身が「F1には星野がいっぱいいるんだよ。ちょっとでも気を抜いたらすぐに抜かれる」
って言ってたから、星野も走っていたらそれなりには結果出したと思う >>481
そういうタラレバをしたくなるのは分かる
100TがMP4/4と比較にならないほど酷いのも分かる
でもウイリアムズジャッドやアロウズメガトロンと比べたら、パッケージの総合点は明確に上なんだよね
その体制での中嶋の1ポイントはやっぱ不満が大いに残るんだよ。予選やスタート等進歩があったのは認める。でも公道コースとかは依然メチャクチャ遅かったしね 中嶋は遅かったよね。
それが致命的。
随分前にYouTubeでハコのお遊びレース出てたけど、土屋にも亜久里にも完敗してたし。
亜久里なんか後ろから突っついてたのに、忖度して優勝を譲ってたくらい。 公道レースで遅かった?
じゃあフェニックスで最後の2年入賞したのはどう説明するの? >>482
信じられないほど馬鹿だったという意味だよw
シューマッハの台頭に焦りを感じていたのだと思う。
追う立場から追われる立場への変化が想像以上にストレスになっていたのだと思う。
タンブレロ特攻もヒューマンエラーに過ぎない。
限界を弁えず飛び出すなんてまるでビギナーの走りだからね。 >>467
んー、ロータス99とかティレル019とか020とか、マシンなりの成績残してほしかったよな >>494
予選でモデナより0.7秒遅い。
これはなかなかの差だと思うよ。 中嶋悟には90年GYタイヤ履いたティレルで戦わせたかったな。 >>473
当時のホンダの2チーム供給に関しての最優先事項は
・中嶋をF1に乗せる
・セナをホンダで走らせる
ところがJPS(インペリアルタバコ)がロータスのスポンサーを降りた
ホンダとロータスとの契約では
・セナを乗せること
・ジェラール・ドゥカルージュをテクニカルディレクターとすること
・JPSがメインスポンサーであること
が絶対順守条件だったのでロータスの重大な契約違反により契約を破棄することもできた
それとは別に以前よりマクラーレンのロン・デニスもプロストを伴ってエンジン供給交渉をしていた
そこで桜井はセナをマクラーレンで走らせるという選択肢も考えた
ホンダ内ではセナ・プロスト・ピケ・マンセルをホンダエンジンで走らせたいという意見も少なくなかった
しかし日本でF1の認知度を上げたかった桜井は悩んだ末当初の予定通りセナと中嶋をロータスで走らせた
重要なのは中嶋は当然としてセナの契約に関しても事実上ホンダの意向によって決まったということ
セナがロータスとの契約交渉の駆け引きとしてホンダを利用したのは事実かもしれない
しかしその時点ではセナがホンダを引き連れてどうこうするというまでの力はなかったと思うよ 確かポールから10秒近く遅くて予選落ち、ってのがあった
ような。
デトロイトだったかな? >>495
ヒューマンエラーというほど単純なミスではない
あの時はタンブレロに事故の破片が落ちていたのを避けるために
バンピーなイン側を走行したことによってコントロールを失った
事故の原因は車高の下げ過ぎとイモラのコース整備不良 >>501
87年もポールから10秒差位だったけど予選は24位だったかな。88年は予選落ちだったけどどれ位離されたんだろう。 >>499
中嶋の場合予選一発の速さないから、皮むきできてGYの倍アタックできるピレリは好都合
反面ピレリは耐久性に不安あったから、決勝では積極的な走りができなかった
この逆が89年のGYロータスで、予選落ちが多かったが、決勝での追い上げも同時にあった >>497
むしろストリートでモデナ相手にコンマ7って結構凄くないか? しかしセナアンチってのは本当にセナそっくりだな
ネチネチネチネチ恐ろしい程の粘着性だ >>501
>>503
88年は、ピケも中嶋も全くセッティングが合わなかったから、チームはピケ車に掛かりっきりになって、中嶋は放置プレイ。
そりゃあ、予選も糞も無いよ。
そのピケも、決勝は糞遅く、NA勢に煽られまくるという、ロータスの大敗北レース。 星野の師匠が荷重マジックの岩さんなんだからアクセルワークとブレーキで曲げるのは当たり前の話 >>503
セナから7秒差だな
中嶋の下はザクスピードの二台だけ
これは遅い >>505
まあ、お前がそう思うならそうなんじゃね? 中嶋がMP4/4でセナがロータス100Tだったら何秒差まで縮まったかな >>510
その前のモナコGPで雨の予選初日は速かったけど翌日ドライで全くセッティング出ず予選落ちは有名だけど、デトロイトでの予選の詳細解る方居ませんか? それでも当時はみんな日曜深夜
毎戦楽しみに中嶋をみんな応援してたし
なんだかんだ中嶋は毎年入賞してたし
よい時代だったよ
その後の日本人は安定して
ポイントゲットできた人は
琢磨まで登場しなかったしね サトーが安定ってのがすでに
ジェンソンにボッコボコにされた04年くらいなんじゃ >>514
こういう出来事があった って書く人がいると
ソース出せ!! って食って掛かりますか?w デビュー3戦目でグレーデッドドライバーだから凄いな。
グレーデッドドライバーという言葉も中嶋のおかげで知った。 >>504
89年のポルトガルがフリー走行が絶好調で4位だった。車はなにもいじるなというのにチームはフロントのエンドプレートを新品にした。五ミリ違うらしい。そのせいで予選はバンプで跳ねてしまいまともに走れず予選25位になってしまった。
車が決まっていたら速い中嶋さん。ホンダ時代よりロータス101ジャッドGYの方が見せ場は作れたかも。 >>494
91年のモナコも惜しかったんじゃないか
スタート良くてスクーデリアの2台に挟まれてなきゃ完走して入賞できてたりしてな
モデナみたいにエンジンブローもしてた可能性もあるけど サンマリノとモナコは惜しかったな
最後の日本GPも完走してたら入賞の可能性があったんだっけ? サンマリノは途中
ホンダの1ー2ー3-4で興奮したな ティレル用にホンダV8エンジン作って上がればよかったね
てくらいホンダエンジン乗せるには不釣り合いなチームとマシンだったティレル >>495
全開のタンブレロてそんな馬鹿なこと言うのはお前と中嶋悟くらいだろ。 >>523
ティレルはイノベーションとアイデア勝負のチームだからな。
精密な管理のマクラーレンとやってたホンダとは双方に違和感があったんじゃないかな 「中島悟のF1日記」を読みかえすとロータスではテストの機会がほぼ与えられてないのが
気の毒っちゃ気の毒だな、アロウズ移籍を画策した気持ちもわかる
ジャッキーオリバーに「テストジャンジャン乗り放題」とか言われたんだろうな 中嶋アンチじゃ無いけどNO1ドライバーとなった
ティレル時代も相変わらずチームメイトに
大差をつけられていたから結局のところ
そういう事なんだと思います NO1待遇だったの?ポスルズウェイトは「サトルはすごくいい、出しゃばらないし
スポンサーも連れてきたし時にはポイントも持ち帰ってくるしNO2の役割をしっかり
果たしてる。ただ言葉のせいなのか時に理由のわからぬカナダのようなミスをする」
と評してた やっぱハーベイさんの言う通り020にはHBを載せるべきだったな
それか020Bのようにイルモア >>492
メキシコ、フランス、ベルギー、日本で入賞できなかったのが痛かったな。 >>520
中嶋の真後ろを走っていたピロが6位入賞しているので、完走していれば、6位入賞していた可能性は高い。
いいレースしていたのに、マルティニに出くわした場所が悪かった。
モデナは、ベルガーを同じで、オーバーレブが多いドライバーなのかな?モナコの他にも、モンツァでも派手にブローさせてたし。
>>521
91年の鈴鹿は、モデナがギリで6位入賞だったから(しかも、ブランドルに抜かれた)、中嶋の入賞は厳しかったかもしれない。
途中、7位まで上がってきて、すごく応援してた自分を思い出すが。 日本人フルタイムドライバー、一発の速さランキング
(1)サトー
(2)カムイ
(3)ウキョー
(4)アグリ
(5)トラ
(6)サトル
(7)ナカノ
(8)カズキ >>519
アンダーボディを路面に打ち付けないように守るためのスキッドプレートじゃなかったか。
だいたいミッションの真下くらいの位置に取り付ける金属板だよ。 >>532
サトー 予選最高2位 決勝最高3位
カムイ 予選最高2位 決勝最高3位 FL1回
ウキョー 予選最高5位 決勝最高5位
アグリ 予選最高6位 決勝最高3位
トラ 予選最高13位 決勝最高7位
サトル 予選最高6位 決勝最高4位 FL1回
ナカノ 予選最高12位 決勝最高6位
カズキ 予選最高5位 決勝最高6位
タカチホ 予選最高18位 決勝最高8位
イメージで順位付けてるんだと思うが
所々違う感が カジキの予選五位って記憶に無いわ
才能だけならトラ高木が一番だが
努力する才能は無かったね。 >>489
書きたかった事殆ど書いてくれてた
>>500
SAF1の事ならチームの破綻は琢磨のギャラ関係無いかと
あそこはそれ以外の問題が山積みよ
恐らくチーム事情の割にギャラが多いのはチームオーナーの主義だよ >>500
なんか、桜井の自伝でも読んでるみたいな気分になるな…
桜井の「俺がF1のトップドライバーもトップチームも何でも牛耳ったんだドヤー」みたいな声が聞こえる気がする >>531
でもそんなタラレバ言ってたら他のドライバーも同じだよ >>535-536
その順位を一つだけ修正するなら、高木は中嶋一貴と井上の間に動かしたい…
持てる才能というモヤっとしたものより、どれだけ結果を残したかで見てしまう…
引退後も業界人としてF1に食い込んでるという意味では井上がブッチギリの1位 >>535
そう、ただのイメージ。
どのあたりが違うと思う? >>488
F1のトップドライバーってサイコパスだらけだと思うよ・・・
それくらい異常な人の世界だと思う。 F1がないこの時期に珍しくスポーツ報知で記者とセナの取材秘話とか載ってたから読んだが、日本の新聞社が記事にするだけでなくてちゃんと現地に行って取材してたという事実に驚かされたわ
こんなことを言うとスレタイの時代にリアルタイムで見てた人に怒られちゃうけど、自分がリアルタイムでF1を見始めたのが98年からだからこんなことを言ってしまうんだろうなぁ・・ >>538
そりゃF1でNo.1エンジンメーカーの総責任者だから権力はそれなりにあるでしょ
もちろんホンダの役員会義に上奏して最終決定権は当時の川本社長にあったけど >>543
英語話せない記者が多かったんじゃないかしら >>545
そうだけどタダで現地には行けないでしょ? >>543
セナの話で面白いのは、母国と日本のメディアだけには本音を話してたらしい。
これはホンダとの関係にも言えるが
単に親日とかだけじゃなく、否ヨーロッパ人同士という打算もあったんじゃない。
フィリップモリスやグッドイヤーのアメリカ人にもそんな感じじゃないかな >>546
F1人気が急に高くなって、スポーツ紙各紙が取材に金使ったというバブルはあった
英語を話せないF1事情に無知な記者が多数中嶋に群がって、さぞ異様な光景だったろうね 記者「高千穂は無名で遅いのに、なんでF1走ってるの?」
井上「記者さん達は英語も話せないのに、なんでF1取材してるんですか?」 >>526
ジャッキーオリバーなんてタキ井上の本見てたら信用できないけどな オリバーは相当ダメそうだね
何しろアロウズのスタート時には、在籍していたシャドウのマシンデザインを文字通り盗んで始めたようなやつだしね >>538
カジキの頃は作戦によって燃料搭載量が違ってたから、同じ燃料量での5位とは違う >>523
コルセアウイングはフロントのダウンフォースが足りないんだよね。だからホンダの重いエンジンを積んで後ろが重いから曲がらず。さらにピレリタイヤという熱に弱いタイヤがさらに追い打ちを…。 91年はフロントウイングの幅を前年より短くしなければいけなくなったからな
それもコルセアウイングのダウンフォース不足に追い打ちをかけた >>445
86年にデニスがベルガーに目を付けてたから、87年に組む可能性はあったな。
しかしレーシングオンのベルガー特集で津川のコメントが、どこかのレースでミスしてデニスが失望したとあったな。
ベルガーはマクラーレンより、当時不振だったのにフェラーリのオファーに応えたと思ってたんだが。 >>547
フィリップモリスはアメリカとヨーロッパで別会社になっている。
F1と関わっているのはスイスに本部があるフィリップモリス・ヨーロッパ。 88年〜89年のアロウズって良い感じのマシンを作ってるイメージがある
88年のマシンなんて確かロス・ブラウン作でしょ
ワーウィックも良い走りをしてたんで
そのワーウィックも89年〜90年頃は中嶋とコース上で結構バトルしてたな >>523
今更で思い出したけどホンダって確かV10、V12の他、同時にV8も開発してたんだよね
あくまでもテストベンチでの話ですけど >>495
いつかの中国のバスの運転手みたいな感じだろうなと当時の俺は思った
顎の台頭とクルマが糞なことでストレス溜まってて腹いせにわざとクラッシュさせてやろうとしたら思いの外深刻なことになってしまった、と >>515
佐藤が安定してたって正気か?04年以外は殆ど入賞してないじゃねーか
05年のそこそこ競争力あったBAR-Hondaで1pointはガチで汚点(バットンは37pt) >>552
その通りだね。
あそこでアロウズに行っても何の得にならなかったと思う。
特に90〜91年ってフットワークに買収されて大橋オーナー以外はやる気が見られなかった時期だし。 ロス・ブラウンってデザイナーとしては大したことないイメージなんだが。
87年のアロウズA10みたいな、やたら幅広いノーズの野暮ったいのとか、その反動で89年のやたら細いノーズのA11とか。A11なんかドライバーの体格を考慮しないタイトなモノコックで、大柄なワーウィっクもチーバーも苦戦した。
唯一まともだったのがWSCマシンのジャガーXJR14くらいじゃ。あれだってライバルが大して速くなかったから最速マシンでいられただけだし。 >>559
89開幕戦なんてもしピット作業ミスらなければワーウィック優勝だったもんね
89年の異様にノーズの細くサイドポンツーンがぺたんこのアロウズはかっこよかった >>563
今も同じ見解だが
92ブラジルでは母国でシューマッハにぶち抜かれたのが屈辱的だったのかヤル気無くしてレース放棄
挙句ピットインした際エンジンをわざと空吹かせて壊そうとしてた
セナは上手くいかないとすぐヤケクソになってたな いつも表彰台グループの少し後ろを走ってる感じだったね タンブレロを舵角一定スロットル開度一定で走っててどうヤケクソになったらヨーが増すのかな? 俺が結論を言うよ
確かに この時代のF1は面白かった
しかし1987〜1993年のWGPはもっとアツくて役者が揃っていて面白かった
まるで神話の世界 >>566
ロスブラウンがA11を設計する時にコクピット細くなるけどって両ドライバーに確認して、
大丈夫って言われたからそのまま作ったんだけど、
実際乗ってみたらかなりキツくて両ドライバーにメチャメチャ文句言われたって。 >>567
あれは断続的にミスファイアしてたからでしょ >>562
バットンって今は無いf1雑誌での書き方だな
あの雑誌名前忘れたけど名前の書き方違ってて読みづらい >>564
亜久里他のチーム行ってたらどうなってたかな
オファーがあったジョーダンとか ワーウィックってどのマシンに乗ってもベルガーよりもキツキツじゃね
特にあの肩 >>570
87年に圧倒的な強さで初戴冠したガードナーとロスマンズホンダNSRが大好きで、それがきっかけで中免取ってレプリカSHOEIヘルメットとNSR250Rを揃えて買ったオレにとっては、WGP黄金期だったね。
ローソン、レイニー、シュワンツの四天王時代になると思ってたけど、ガードナーの代わりにスイカが台頭してしまい凄くがっかりもしたな。 >>562
琢磨ヲタは病的な反日韓国人と同じ
悪辣な歴史改変しかしない
モタスポ板ではこうやってすぐ突っ込まれるので、主に芸スポなどでモタスポの話題が出ると琢磨あげのデマゴーグを書き込む
この前は琢磨はインディ王者だぞと威張っているキチガイがいた >>571
あの車 カッコよかったけど
車載カメラ見るときつそう ドライバーの批判ならともかく、ファンの中傷をするのはあまりに品のない行為ですよ >>566
加えて大型のデルタ一枚ウイングがまたカッコいいんだよな。
で、ロスブラウンが抜けて翌年はA11bで戦うんだが、ウイングもサイドポンツーンもカラーリングも凡庸になって冴えなかった。成績もカフィの2ポイントのみ >>576
スペンサーの復活があれば最高だった
87NSRは名車だね >>580
なぜでしょうか
根拠のない感情だけの発言はやめてもらえますか 様子みてたが過度に持ち上げられた反動かセナはアンチも極端だな
シーズン初優勝がかかっててトップ走ってる序盤にわざとクラッシュするかよ >>578
開幕戦だっけかチーヴァーがリタイアした後マシン降りて歩いてる途中で
2~3回足の痺れでへたり込んだよね、ポジションは違うけどずっと正座してた後
ジンジンして立てないみたいな感じかね 特にチーバーはガタイ良かったからあのアロウズのクルマは辛かったろうな なんか中堅チームは経営が混乱していたときのほうが成績が良かったイメージ。
アロウズもフットワーク抜けてからのほうがポイント取ってるし。
ティレルはメインスポンサー来ると成績落ちるし。 >>587
なにせステアリングが8の字型だからな。下半分を切ったD型はたまにあるが、8の字はこの車ぐらいじゃないか。
コクピットの狭さではニューウェマーチと双璧だな ニューウェイの自伝読んでるんだけど、レイトンをクビにになったときの彼は
ウィリアムズだけじゃなくてアロウズからもオファー来ていたんだな。しかも
そっちの方が役職もギャラも良かったとか。
まあ、ボロシェと言って差し支えないあのエンジンじゃニューウェイでもどうにも
ならなかっただろうけど(日本企業からもらった開発費の大半を他の開発に回
したってホントなんだろうか) フットワークが出した金の大半がアロウズの借金返済に回って、開発費なんて出なかったと亜久里が言ってたな。 >>561
ラッツェンバーガーが事故死して
バリチェロも大ケガしたから
「レースに出たくない」って言ってたセナが
わざとクラッシュしようとは考えないよ。 >>592
プロ意識が欠如している。
まるで駄々っ子だなw >>585
アンチは極端な所もそうだが被害妄想の強さもセナにそっくりなのな >>590
ウィリアムズに行ってチャンピオンチームのやり方を勉強しに行ったんだよね。
そのチームが今まさに消滅の危機に… エイドリアンニューウェイもロスブラウンも
パトリックヘッドからいろいろ学んだのに
この2人が一緒に手を取り合って仕事した事皆無というのが面白い >>587
ワーウィックもチーバーも大柄だったのに、なぜコックピットの寸法に余裕を持たせなかったんだろ?
レイトンのニューウェイと同じ考え方だったのか? >>588
1992年のティレルと2009年のブラウンは、前年ダメだったマシンを手直しした上
資金がないためホンダエンジンを手放したのが、逆に功を奏した ブラウンは手直しレベルじゃないだろう
98年並の改変期
前年トップのフェラーリもマクラーレンもイニシャル外してしまった レギュレーション激変だったからな2009年は。今思えばF1が終わりの始まりに向かった年だった うん、F1がおかしな方向に向かい始めたのは2009年のレギュ改変が発端だったな
逆に言えば2008年まではF1は理想的な発展を遂げていたと思う トップチームのエンジンが来てもガッカリな結果になることはよくあったな。
スクーデリアイタリアはミナルディよりはお金あったようだがミナルディよりも結果は散々だった。
まあフェラーリは本家の状態に足引っ張られるんだが。 話をぶった切るよ。
91年ドイツGP
ベルガーがセナを引き離してる。途中まで見てるだけだからベルガーはいなくなるかもしれないけど。
高速コースのベルガーは速い。94年、97年もドイツで勝ってる。 ホッケンのベルガー、ハンガロリンクのヒル、モンツァのハーバートは超一級
カナダのフィジケラ、スパのチェザリスはそこまでではないが突然変異したな >>604
ホッケンハイムはピケ、セナが3勝(改修後含めればMシューマッハ、ハミルトンが4勝)
ハンガロリングはハミルトン7勝、Mシューマッハ4勝、セナ3勝
モンツァはMシューマッハ、ハミルトンが5勝、ピケ4勝
ベルガーもヒルもハーバートもフィジケラもチェザリスも超一級と特筆するほどではないよ ちなみに
モントリオールはMシューマッハ、ハミルトンが7勝、ピケ3勝
スパはMシューマッハ6勝、セナ5勝、ライコネン4勝
スパの旧コース(全長14km、野糞型レイアウト)ではジムクラークも4勝 10年たっても話に頻繁に上がるドライバーは1級
WCなっても稀にしか上がらないのは一段落ちると思う
ハミルトンはメルセから離れないとチームが良かったからだよねって言われて10年後忘れさられると思う >>607
視点変えると夜郎自大とか坎井之蛙とか遼東之豕ともいう
超一流ドライバーでは普通過ぎて話題にするほどでもないが
それ未満のレベルのドライバーにとっては凄いので得意になって語るだけ
実はあまり語られない方が凄い事が多い >>603
エンジンがブローした96年も惜しかったしな
93年にリジェブランデルに負けたのは悔しい
相手がルノーエンジンだからしゃあないけど スパ予選でのライコネン(マクラーレン時代)の走りは凄かった。 >>597
ああいう20年以上第一線にいるような特別な頭脳と才能を持ってる人たちでも
当時はドライバーフレンドリーみたいな発想はなかったのかね
徹底的に空力突き詰めてドライバーが足つりそうになったり毎レース肘に青タン作ったり
するより多少詰めが甘くても余裕のある着座姿勢取れる方がゲインがあるかも、というのは
誰でも考えそうなものだけど >>611
今みたいなレギュレーションガチガチでコンマ1秒でグリッドが上下する時代ならドライバーに優しい設計も重要だけど
当時は自由度も高かったからドライバーゲインよりも大きくゲインを得られるマシンを優先したんでしょうね
そもそも大柄なドライバーの方が少数派でしたし セナのクラッシュ時の動画確認したけど
ステアリングの故障が原因ではないかも
軌道が変わる直前に、一度少しステアを右に戻している
黄色のボタンが目印
動画の23秒あたり
ステアリングが折れたら、戻す動作にはならないはず
段差通過時オーバーが出て、反射的にステアとスロットルを
戻したことがいけなかったのかも
テレメトリ右上枠赤字 おそらくスロットル開度
テレメトリ右下枠 左から順に おそらくエンジン回転数、車速、車速、横G、前後G
横G スロットル開度
2.46 100.60
2.72 100.60
3.27 100.60 舗装の色が変わる
3.62 99.40
2.13 67.80 黄色ボタンが少し右へ
0.33 55.80 ステアが再び左へ、黄色ボタンが下へ隠れる
0.06 0.00
https://www.youtube.com/watch?v=w2f2i7tUN7k >>603
セナとベルガーで、タイヤマネージメントが違う感じはしてたけど、マンセルに付いて行くぞという気迫が見えるベルガーの走りは素晴らしかった。
セナは、プロスト&パトレーゼ相手に防戦一方だったからね。
>>607
すでに、ベッテルがそんな感じになっている気がする。 >>613
この事故ってタンブレロでセナがトラブったけど、怪我しないようにクラッシュしたら、運が悪くてサスペンションロッドが頭に刺さっちゃった。
と解釈してるけど、合ってる? >>607
ハミルトンは引退後10年経っても素晴らしいドライバーと話題に出て、
そのたびに「ハミルトンは大したことないのにクルマが良かっただけだ!」
と粘着する人が現れるだけよ。
シューと一緒。 車の差を覆すほどの力量があったのはジムクラークとセナだけ
あとはみんな車のおかげが8割 だからといって今度は
「ハミルトンは記録に残るだけで記憶には残らない!」とか言うなよ?
これもさんざんシューのときに言われてた ま、ジャック・ヴィルヌーヴよりは全てがマシと言う事で締めましょや >>618
96年のフェラーリで3勝してるのはマシンの力としては考えられないと思うがね >>613
その動画はニューウェイがテレメーターではステアリングの故障は認められなかったと主張したことを裏付けてる
セナ裁判は最初から結論ありきの茶番劇 ベルガーが速かったのはエストリルや鈴鹿、メキシコなど中高速コーナー主体のサーキット
モンツァやシルバーストン、ポールリカールみたいな超高速サーキットで速い印象はあまりない
ホッケンハイムで速かったイメージは97年に勝った印象が強すぎるせい >>615
マシントラブルではない
バンプに乗ってコントロールを失ったんだよ 94年の初期型FW16はピッチングが凄まじくちょっとしたバンプにもシビアな挙動を示してた 事故原因はステアリングシャフトの断裂と調査結果が出てるだろにw
それはさて置きあの後同じマシンで完走したヒルはもっと賞賛されるべき >>620
あれ程のなんちゃってチャンピオン金輪際お目にかかれないだろうなw
11年のキャリア通してトップドライバーと呼べたのが最初の2年だけというw
>>621
確かにそうだがクソボロF310でもウイリアムズがコケたときに優勝を狙えるポジションにいた事も事実
むしろ3勝したことより複数回PP獲得してることに驚く
スレチすまない バンプがきっかけでオーバーステア、修正しよう
とするがコースアウトが最有力 >>623
エストリルは開催13年で少ないがプロスト、マンセルが3勝、他1勝多数
鈴鹿はMシューマッハ6勝、ハミルトン、ベッテルが4勝
エルマノスロドリゲスではクラーク、プロスト、マンセル、ハミルトン、フェルスタッペンが2勝
シルバーストンではハミルトン6勝、クラーク、プロストが5勝
ポールリカールではプロスト4勝、マンセル、ハミルトンが2勝
マニクール含めたフランスGPだとMシューマッハ8勝 テレメトリの数値をグラフ化してみたけど
素人にはやはりよくわからない
路面の色が変わるTIME 11.2000でスロットルが
100.60から 99.40へわずかに下がってる
TIME 11.2800で、隠れていた黄色ボタンが現れ
ステアを少し戻したことがわかる
その後 TIME 11.3000でスロットルが67.80まで大幅に下がり
同時に、横Gが 3.62から 2.13に下がっている
TIME 11.4400で黄色ボタンが再び隠れ、左ステアしたものと思われるが
横Gが増加することなく、逆に更に減少しほぼ0となり、直進
シャフトが折れたようにも見えるが
直前のステアとアクセルの戻しが変化の
きっかけのようにも見える
https://i.imgur.com/g3J8reR.jpg F1メカ解説|トラブルメーカーでありつつも、革新的なマシン……フェラーリ640「美しきゲームチェンジャー」
https://news.yahoo.co.jp/articles/54f347a61434edb361fa55ee83f7fb38e987f1b9
640のDNAは、今も全てのF1マシンに受け継がれている。その影響力は、バーナードが
マクラーレンMP4で採用したカーボンモノコックに匹敵すると言えよう。 >>618
ハーバートはジムクラークの再来と言われてたがなんでだ >>624
じゃあ「タンブレロでバンプに乗ってコントロールを失うトラブルに見舞われて、怪我しないようにクラッシュしたら、運悪く飛んできたサスペンションに頭を刺された」ってことでOK? >>633
すぐ真似っこするF1界で、セミ・オートマが2年間フェラーリ以外実用化出来なかったのみると、やっぱえらい画期的だったんだなって思う。 >>620
ジャックってその後のチーム運悪かったのもあるよな
チャンピオンでありながらトップチームに移籍できなかった Jビルヌーブは、当時の北米で使われてた瞬間的な空力調整のアイデアをF1に持ち込んで一時的にうまく行ったけど、そこまでだったね。
差込み式のガーニーフラップとか、フロントウイングの調整ノブとか。
みんなに真似されたらアドバンテージが無くなった。
もちろん、速いドライバーの範疇には居たけども。 >>628
その2年しか勝ってないんだな、後はまるで駄目というね・・・w Jビルヌーブ って チャンピオンになった人と
その叔父といるんだよね。 >>632
当時の解析の結果の記事で、異変を感じたセナが、スロットルを戻して、5速へシフトダウンしていると読んだ記憶がある。
「スロットルが67.80まで大幅に下がり」と一致してるね。 それでもジャックは2000年頃までは評価高かったよな シューマッハが恐れた数少ないドライバーの一人だからな
速い車を速く走らせる能力はかなりのもんだったと思う >>637
無敵マシンでデビューしてマシンに
恵まれないとかアホかw ハーバート好きだったんだよね
全盛期に乗ったのがロータスだった時点で終わってしまった
仮にマクラーレンに移っていてもマクラーレンも低迷時代だし
個人的にはベルガー以に上記録より記憶に残るドライバー ミカとジョニーのロータスとか日本で女性ファン
多かったんだろうな >>613
大事なところが抜けてる
横Gが0.06まで下がった後0.54〜0.55まで上がってる
つまりステアリングが故障していない何よりの証拠 セナの事故はまだしもジャックやらミハエルやら
誰も93年までの話してねぇな 危なくて際どいことやってるからF1って面白かったのに、安全安全言ってるからつまらなくなったと思う。 バンプはその週末何度も通ってるのにその週だけケツが出るってのが腑に落ちない
俺はスローパンクチャーを疑っている、またはよく言われるSCラップによるタイヤ内圧の低下か
それらとギャップの複合でインに巻き込んだんじゃないかな
>>623>>625
俺もそう思う
ホッケンは高速サーキットだけど高速コーナーサーキットじゃないんだよな
どちらかというとシケインの抜け方が肝なベルガーが苦手とするタイプ
90年の高速3連戦マクラーレンはポールリカール、シルバーストーンはフェラーリにやられたがホッケンで止めた
ホッケンにはハンドリングにまで響く高速コーナーがないからなんだなと勉強になった セナプロストパトレーゼセナセナプロストプロスト
プロストセナブーツェンセナセナマンセルプロスト
ピケピケ
なぜか今でもソラで言える、90年のグランプリウィナー 90年はとにかくブラジル〜サンマリノのインターバルが長かった
1987〜2019で最長じゃないか?
あまりに長すぎてこの年からレーシングオン別冊として始まったF1速報もブラジルGP号が出なかった
速報を出さずに本誌で特集すればいいって判断されちゃったんだろうな >>653
プロストプロストプロストが凄かった
あと勝負にたらればはないけども
やらかさなけりゃベルガーピケだったろうにねぇ >>655
でもその後5レース連続でセナにやられたのが痛かった
セナがパンクしたハンガリーで壊れなければそこで一旦流れを切れたかと思うと
ハンガリーは90年の隠れたキーGPだと思う >>656
MP4/5Bはハンガリーでシャシーが良くなったんだよね
それまでは高速コーナーがダメだったしタイヤも持たなかったからメキシコ〜イギリスでの苦戦も納得 >>651
コーナーのアウト側をアスファルトにしちゃったから、コースアウトしても戻ってこれるもんな。レースに復帰出来るかどうかの緊張感が無くなった。 >>656
当時は小坊であまり詳しくなかったけど
ドイツからまたマクラーレン盛り返して来ちゃった記憶
ハンガリーで思い出したけどそういやベネトンファンだった当時ナニーニ撃墜して自分は無傷のセナが嫌いになったキッカケでしたね
撃墜するなら諸共のベルガーがある意味爽やかでした >>651
レースに波乱が少なくなった理由の一端がそこにあると思う
コースアウトしてリタイアとか近年滅多にないし、誰かが撒き散らした砂がラジエータに詰まってエンジンブローとかも無くなったし ポイントの改変が一番の原因だと思ってる
勝つよりも完走して地道にポイントを稼いだほうが有利になってしまった >>657
バットマンディフューザーの廃止とフロントウイングの改良が大きかった >>657
>>659
ドイツで結構手を入れてきてハンガリーでは更にバットマンを捨てた
あと今思えばこの時期フェラーリはマンセルの引退騒動でチームとしての士気に影響がでてたかもね スレ違いだが、今F1公式で配信されてる99年オーストラリアGPを見てたけど、BARのマシンに信頼性さえあればビルヌーブももっと活躍できてたよなって思ったわ >>654
リアルタイムで知らないがそんなに長かったの?
例えば98年はルクセンブルクGP(ニュル)を9月末にやってから最終戦の鈴鹿が11月1日で今宮さんも当時異例の長さだって言ってたが >>665
そんなに酷かったんだ
仮に下ろすとしたら後任誰だっただろ?モルビデリとかかな? >>649
画像が不鮮明なので、0.04に見えた
0.54と0.58に修正してみた
https://i.imgur.com/sEcjE8r.jpg
ステア操作に対して、横Gの変化が小さいのが良く分からない
リアのボトミングでフロントが浮きあがり
ステアが利かないのかとも思ったが
ボトミング自体は、クラッシュの1周前のほうが激しい
方向が変わる瞬間にもボトミングの火花があるが
方向が変わるほうがわずかに早いようにみえる
https://i.imgur.com/jZJ92J3.gifv
https://i.imgur.com/TFw01Mo.gifv
https://i.imgur.com/CROJc5y.gifv あの当時は凄い組み合わせだよね。マンセル・プロスト、セナ・ベルガー、マンセル・ピケ、セナ・プロスト。
ただセナ・プロストの確執のせいで強いドライバー同士を組ませなくなってしまった。
アロンソ・ハミルトンはハミルトンが新人だから上記とは別かな。 >>648
ホテルでその2人同じ部屋になったことあるらしいし笑 >>664
99年のBARは予選番長という言葉がとても似合う >>668
インディでよくあるでしょ?
オーバー〜アンダーで磁石で引っ張られるように壁にクラッシュするシーン
バンプによるリヤグリップ喪失から急激なグリップ回復で通常よりも強烈なアンダーが出る
二輪のハイサイドをイメージすればわかりやすい
四輪ではさらに高いスピード領域で起きる
300q/hのスピードであのエスケープのスペースではセナといえどもクラッシュは不可避だった >>669
マンセルに関してはピケ・プロストに対してはNo.2だけどね
その反省もあってウィリアムズ復帰でNo.1にこだわった
マクラーレンに関してはロン・デニスの身びいきはあるけど一応ジョイントNo.1の体裁は保ってたよ
96年もシューマッハさえ了解すればハッキネンとのコンビもあり得た >>649
ステアリングが正常なら真っ直ぐにウォールにぶつかる?
単に車体が空気抵抗で軽くスライドしたから横Gが計測されたんじゃないのかな。 >>670
本気かどうかはともかくキスシーンの写真まで雑誌に載っていた >>666
ブラジル 3月25日
サンマリノ 5月13日
当時は南米→欧州への移動は1ヶ月、北米→欧州、欧州→日本は3週間が目安だった
カレンダーの都合で開催地が変更になると間隔が空いてしまったこともあるね >>670
あはははw
セナとグージェルミンはルームメイトだったぞw >>674
スライド?
もしステアリングが故障していたらフロントが逃げるわけだから横Gは減少しなければおかしい
バンプに乗ってリヤがスライドしオーバー→横G増加
リヤグリップが回復しアンダー→横G減少
そこからまた横Gが立ち上がるということはステアリングが機能しているということ
ただしその時点ではすでにコントロールできない状況なのでそこまで横Gは増加してない 現在発売されているSONYのV-LOGカメラは超軽量コンパクト。マイカー車内に取り付けて
気軽に車載カメラを楽しめる。1987年のカメラは激重だったからな。
あっ!?この話題も何十回も出てきているか。 それよりもセナが壁に激突したときの映像を観たい。コースアウトした直後から意図的に
消されているのが解せないわ。 >>652
ホッケンのシケインは他と違って高速だからかな?
スピード感覚に優れるベルガーが速かった理由なんじゃないの。 ベルガーがホッケンハイムが苦手だなんて言われてしまうなんて・・。ベルガーが一番頑張ってるグランプリなのに。
あとセナの事故はステアリングが効いてないでしょ。効いていたならばたとえバンプに乗って跳ねてもその先から進路は変わる。まっすぐ行ってる。横Gなんて数値だけでちっとも曲がってないじゃん。 ヒルはタイヤ冷えたまま突っ込んだんじゃ?とか言ってたけどどうなんでしょ >>680
セナのオンボード映像と
フランソワ・セヴェールが事故死したときの映像は
永遠に封印されると思う。 >>682
>効いていたならばたとえバンプに乗って跳ねてもその先から進路は変わる。
ただバンプに乗っただけではなくそこでリヤが右にスライドしていることを忘れてはいけない
サーキット走行とかしたことないでしょ?
スピンモードに入ってステアリング操作を誤ると外に向かってコースアウトするから
アマチュアレベルだとカウンターの切り過ぎ・戻し遅れが原因だけど
カウンターステアを切ってリヤのグリップが復活するとアンダー方向への偶力が急激に発生するんだよ
300km/hのスピードでそれをコントロールしようとしてもフロントタイヤのグリップは追いつかない
>横Gなんて数値だけでちっとも曲がってないじゃん。
通常走行してる時の横Gの数値と比較すれば一目瞭然
そもそもバンプでリヤがスライドしてオーバーになった状態でステアリングが故障しているのなら何故そこから右に行くの?
カウンターステアを切ってるからでしょ?
その時点でステアリングが故障してたらクルマは左に回転しなきゃおかしい >>654
>>666
当時は、イモラが「第2の開幕戦」なんて言われたからね。
序盤2戦を旧型マシンの改良版で戦って、新型をイモラからデビューさせるチームも多かった。
>>675
92年にあったね。キス写真。 >>683
レーシングスピードで2周走ればタイヤの空気圧が不足するということはないと思う
スローパンクチャーの可能性は否定できないけどね >>673
ウィリーウェーバーによれば
シューマッハ本人はマクラーレンに行きたかったが
フェラーリに行かせたのは自分
シューマッハはウェーバーに対してNOや文句をと言う事は基本無かった
ってさ。
自分からの味方に不平不満を言わないってのは一貫してる模様 無限のエンジンて、実は技術も人材も資金も裏で全部ホンダが出してたんじゃないの?
無限単体でF1の開発競争についていく体力なんかないでしょ
MF308のファクトリーチューンだって糞すぎて終いにはどこも使わなくなるくらいたし >>684
セベールが事故死したときの映像って残ってるの?
画像しか見た事ないけど >>684
補足
ひょっとしてトムプライスと間違えてない? かなり前にクラッシュ時に身体が引き裂かれたとかってウィキで見たことがあるがこれセベールの話だよね? >>680
下手すりゃ血しぶきとか飛んでて、正視に耐えないんだろうなと想像。 >>693
トム・プライスの動画は結構有名じゃね? >>691
GP car storyのジョーダン199本に載ってた無限の人のコメントによれば、ホンダの技術力は遅れていた。
92年に撤退して以降、思考が固まってしまってたってことみたい。 いすゞエンジンの詳しい話知れただけでも価値のある本だった 無限の技術者がホンダ側に「こんなの回るわけない」
と言われながら作った新エンジンが
−20kgの80psUPだっけ? 無限の若い技術者がホンダのエンジン作り
の常識を覆したとか 技術はともかく、プライドだけはエベレスト級のホンダにはよくある話やな >>691
ホンダから技術者を出向させてる
お金も出してる。施設も貸してる
でも無限もやってる
看板だけすげ替えてた訳では無い
元々川本さんが、一度止めたら取り戻すのに大変なのを知ってるから
F1の技術調査とかそんな名目で残したんだよ あと無限の技術者って書いてるけど
確かホンダから出向してた人だよね?
結局かなりの小規模予算であれだけやれてしまったので
第三期のつまずきに繋がったんじゃ?
って推測してたよね 無限の関係者からすると本社(ホンダ)に裏切られた気持ちはかなりあるんだなと199本を見て強く感じたわ 93年途中にマクラーレンがベネトンと同じHBエンジンを使えるようになったのは何故なの?
争ってるベネトンにメリットないからOK出した理由が今も疑問なんだが >>705
フォードとマクラーレンが必死に探した契約の穴を突かれた
ベネトンサイドはブチ切れてましたw
>>704
199本には書かれてなかったはずだけど
FIAから二チーム以上の供給義務化みたいな
話が当時はあったんだけど
無限のパッジでもホンダと見なすとの確約は得ていたのに
いきなり無限撤退の指示だからね
無限単独の継続参戦も模索したけど当然逆らえる訳もなく
第二期始める時に浮き足立ってた役員相手に
F1舐めてんじゃねーぞ!
って言い放った川本さんみたいな人が必要だったんだな
と思ったわ >>707
書いてはなかったけど、インタビューされてた無限関係者の「F1プロジェクトに声がかかると思ってずっと待っていたのに一向に誘いがなかった」というくだりが本社と無限の権力争いではないけど微妙な人間関係があったのかなって思ったわ >>705
93年の序盤はマクラーレンの方がベネトンを圧倒してたからね
フォード側からすれば勝てるチームに供給したいというのは人情
結局ベネトンに93年限りでワークス待遇を解除すると脅しをかけた 倅を載せることでマリオ・アンドレッティがなんとかしてくれたとかって見た
俺様烈伝ってマンガ >>706
大金は流れたんだろうけどね
>>707
>>709
フォードがマクラーレンに加担したんだ
シューマッハ居るしワークス蜜月だと思ってた >>706
>>711
ウォーキンショーかフラビオか忘れたけど、この件のインタビューで、まんざらでもない笑顔で
をしてた記憶があるから、マクラーレンからベネトンに金が渡ったなとは思った。 >>707
川本さんがいたら05年イモラで怒鳴りこんで撤退のポーズもとる位の事はしたと今でも思う gp car もネタがなくなってきたんかな。今回107、次回たいれる020って、数年使いまわしシリーズやないか まあフォードとしても勝てるチャンスは増えるしそれに当時のシューマッハとセナを比べたらやっぱり……ねえ。 ブラバムの無視っぷりは本当に凄いな
最低52、55は部数見込めるだろ
あとは49シリーズとか ロータス107とか、ザウバーC10とか、スカ車ばっかり取り上げて、なんでブラバムBT52とか、ウィリアムズFW07とかを取り上げないのか判らない。 フジテレビ以前のクルマを特集しても売れないと思ってるんじゃね。
セナのロータスはセナ効果があるだろうと。
フジテレビ以前のクルマだと、関係者とのコネクションが無くて取材ができない(大変なのでしたくない)、みたいな事情とかな。 >>719
その割にはウルフWR1なんて取り上げてる。GP Car Storyの購買者はほとんど50代以上なんだから、何がズレてる。 ベネトンシリーズもといバーンシリーズもまだまだ面白そうなの残ってるよな
日本はバーンに対して結構なコネクションあるんだからどんどん活用してくれればいいのに 日本のF1バブルはこのスレと同じ頃だから、この時代中心になるのは仕方ない。
ルックスだけでハッキネン応援してたんで個人的には今回の107は嬉しかった。102Dやられても困るw >>720
50代以上の年齢層も、フジテレビ以前からレースを追いかけてたヤツは少なかろう。 50代か・・正直世代としては下なので勉強させてもらってますよ 396 :音速の名無しさん :2018/10/11(木) 14:23:29.53 ID:Rn0U86hd0.net
エスノーの車に付いてたやつは見るからにハンディカムなのでw、
リアルタイム送信する機能までは付いていなかったと思われるのだけど
(決勝は序盤でクラッチトラブルでリタイヤと記録されてるけど、コース上ではなくて
ピットインリタイヤだったら、実はテープ回収して生放送オンエア中に序盤をサマリーするために
後付けリタイヤ原因を付けただけってのも考えられるし)、
ダンフリーズの86年終盤のは、「翌年から導入しようと思ったライブ送信機能付きが出来上がったから
ピーター(ウォア)、相応のギャラは支払うから付けてくれないか」的な相談がバーニー側からあったか、
実は出来上がり次第先行搭載することまで契約のうちということで、
もう86年時点で「87年からはNo.2ドライバーの車にオンボードを付ける」はサインされてたという線は。
場合によっちゃエスノーのは、TV放映権料の比重が大きくなってきた時代の収益構造を睨んで
早くTV映像に乗せられる形でレース中の映像を、「まるでグランプリマシンに乗ってるようにして見せられる」
というためのシステムを構築したいという、最終的に生中継送信までを見据えた
先行実験の第一歩として「とにかくF1マシンに落っこちないように小型カメラを付けたとして、
それが走行中のGや衝撃に耐えられるのか」を試すためのものだったのかねとか。
この辺の話がホントに資料が無いんで分からない。 あとホンダで回るわけないって言ったのは確か性能評価チームの人だよね?
レーシングエンジン=ショートストローク
を覆したV6ターボの時と似たような話だよ
無限ホンダF1プロジェクト イタリアモンツアサーキット合同テストピット動画
https://www.youtube.com/watch?v=X3C52U8unDc&list=PLTLwLaouAEy1vlFdo4otpno66-NDBUyt0
今はホンダ寺の店長してる方だけど、
以前はホンダでF1エンジンの設計してたとかで色々とお宝映像上げてる
>>708
ホンダ本体でもF1への動きが何本かあって一本化出来てなかったとか言う噂もあるよね
その辺の危うさがあったんで、とりあえず川本さんが参戦表明出しちゃったんじゃないかと思ってる
>>712
あとシリーズ5〜7で極端にパワー差が無いって事もデカイかも
サーキットによっては下位Verの方が扱いやすいって事もあるようだし >>730
ベネトンはサーキットによっては下のバージョンを使ってたりしてたな マクラーレンは有償契約だからいろいろカスタマイズしていた
ワークス契約ではレブリミットや走行距離などいろいろ制約があったみたい
マクラーレンはそのあたり自由にやっていた
パディ・ロウによると実際にはベネトンよりパワーが出ていたらしい >>730松本さんは無限でレシプロ設計してて1994年でやめられた方。 今の川井の体重は、この当時の1.5倍になっていそう。
F1関係者の半分近くが高齢になると、なぜか激太りする現実。 >>659
ドイツ、ハンガリーでセナが盛り返したのは大きかったね。それ考えると両GPともセナと勝負してしたナニーニは、シーズンのキーマンだったかもね。 >>734
川井さんは健康心配する太り方だよなあ。 >>718
俺は107嬉しかったよ
このシリーズの本、初めて買おうと思ってる あと読みたいのは641/2
あの頃はガキだったのでメキシコでホンダが抜かれるのがこの世の終わりみたいに感じた。
セナよ、抜かれるくらいならリタイアしてくれと。 >>738
面白い。だったならF1の歴史は変わっていたかもだねw
ブルーのスーツを着るアレジ。 >>716
BT58は取り上げてもいい車だと思うのにな。
ティレルも012と018を。(012は水タンク事件とは何だったのかのおさらいも) >>735
ナニーニはピケより遅かったかもしれない。しかしレースはピケより熱い。乗ってるときのナニーニは面白かった。 >>741
ブルーのスーツはあの時点で着てた・・・ >>741
96年もウィリアムズと交渉してたらしいけどね >>745
そうだねw
ロスマンズのレーシングスーツを着るアレジ >>725
1976年の日本初開催でF1にハマったが、当時は田舎に住んでたから
オートスポーツとタミヤのプラモ、週末にたまにやるNHKの海外スポーツ
ニュースダイジェストの中のF1ニュースくらいだったもんな、都会に住ん
でたらTBSのF1ダイジェスト見たり、紀伊国屋や銀座の有名洋書屋(名前
失念)で洋書買ったりしてたんだろうが >>731
トルクとかパワーバンドの違いで、シリーズ6と7を使い分けてたね。
90年のホンダも、ホッケンハイムでバージョン5、エストリルでバージョン4とか。 南青山の嶋田洋書が当時のCGなどに広告を出していたな。 >>748
NHKの海外スポーツのコーナーは俺も見てた。短時間だったけど嬉しかったね。
AS編集部にも世話になったかなあ…
中高生の頃に、過去のリザルトを知りたくて編集部に押しかけ、過去の号を見せてもらい、レポート読んでリザルトページをコピーさせてもらったり…2-3回訪問した気がする。
嫌がらずに応対してくれた当時の編集部の皆々様には本当に感謝してる…小滝橋には足を向けて寝られない(もう編集部無いけど)。 >>746
ベルガーもウィリアムズと交渉してたよね ナニーニが事故に遭わず鈴鹿とアデレードを連勝する世界線も見たかった 97年ビルとアレジ ビルとベルガー
チャンピオンになるのはビルヌーブだよね〜。 亜久里 速ぇーな
5,6位とかあった年だから 3位もまぐれじゃなかったんだな 忘れた頃のセナ 忘れた頃にクラッシュに来る 相手がおいしいところで当たりに来る
抜くと止まるパトレーゼ なんかおかしなニトロ使ってるんかいな・・・ それとも実力だけ
みせてあとは相手がかわいそうだからとか・・・ >>754
ベルガーはジャックのマインドゲームには動じないから
ひょっとするとひょっとするかも スーパーカー→F1移行組は少なからずいそうだけどね。自分もAS読んでた小学生でした。 >>759
自分は星野がCM出ていたスーパーカーガムからF1入った。「ぶっちぎり」ってセリフ棒読み(笑) 自分はジャンプがガンガン宣伝するようになったのがきっかけだったけど、87〜89年って
フジテレビとか雑誌とか、けっこう宣伝やってたの?興味なかったから気づかなかったけど F1中継での集英社のCMといえば
「こちとら江戸っ子・・・少年ジャンプ」
とかのやつと、
「面白い面白いヤングジャンプ」
のやつ >>761
87年の日本GP直前はいろんな媒体で特集組んでたね
専門誌以外ではNumberで定期的にF1特集が始まった
Jリーグが始まるまでは年5〜6回はF1号だった
ファッション誌でもレース速報載ってたし >>756
亜久里のベストレースは90年のスペインGP(6位)だと思ってます。 >>761
F1速報がレーシンゴンから独立したのが1990年頃だったんじゃないかなぁ。まだセナとアレジがやり合ってたフェニックスは臨時増刊だったかも
Racing onとオートが月2回発行だった頃だな。グランプリ特集も月刊化されてたかどうか。91年には月刊になってたと思うが >>764
ベストシーズンも90年ですよね。
ほんといい走りしていた。 フレンツェンがジャックにボロ負けするなんて96年の時点では思いもしなかったものな
組み合わせ次第では何がどうなってたか分からんかもね マルボログレーテッドドライバーだっけ。名称うろ覚えだけど
亜久里は短かったな
中嶋もキャメル時代もあったので短かったけど
小さい頃観ててヘルメットにマルボロの帯がある人とない人がいて何でだろ?とかの疑問が興味に変わって行った >>738
アレジのフェラーリ入りが決まった後のヘレスでナニーニ3位 亜久里30歳の時だな90年シーズンは
あの時は本当に良い走りしてた、チームメイトがベルナールだったのが少し引っ掛かるがそれでも
後日35歳までには確実にフェラーリにも乗ってるし勝ってるよってビッグマウス叩いてたのにその35歳の時に救急車で運ばれてそのまま引退は本当に寂しい気持ちになった >>738
30年後のアレジ「まさか俺の息子のF2活動費の為にF40売る羽目になるとは・・・orz」 >>761
当時のF1は、セナ人気、ホンダの活躍、日本人F1ドライバーの影響でF1バブルでした。
今では信じられないが、書店やコンビニには多種類のF1雑誌が置かれていました。 俺はたくさんのF1雑誌読んでたな。
疲れてしまう事もあるがネットがないからな。
今は本当に情報が溢れてるよ。 McL
01 MP4/4 88
10 MP4/7A 92
18 MP4-13 98
21 MP4/5 89
30 MP4/8 93
Fer
02 641/2 90
11 F187 87
16 412T2 95
20 F1-2000 00
27 640 89
Wil
03 FW14B 92
07 FW16 94
13 FW11 86
29 FW18 96
Ben
08 B192 92
15 B190 90
24 B194 94 Lot
05 97T 85
17 99T 87
32 107 92
Tyr
04 019 90
14 022 94
26 P34 76
33 020 91 ※予定
Jor
12 191 91
25 EJ12 02
31 199 99 Wol
28 WR1 77
Tol
TG184 84
Lol
09 LC90 90
Mar
06 881 88
Arr
28 A18 97
Sau
22 C12 93 >>765
そう90年で臨時増刊だった
だからブラジルは飛ばされた
グランプリ特集も91年から月刊だね
スレチだがソニー出版も99年だけ速報誌を出してた
全部買ったぜ トールマンは19号目やな。
F92Aってもうやってたと思ったけどまだだった。秋発行のは鈴鹿に合わせるから、ホンダ忖度もしくは日本GPに絡んだマシンになるけど、まだマクラーレンは90年91年が残ってるんだな >>778
F1ウィークはいい雑誌やったorz
いまは、ニューズが三栄とくっついてソニーマガジンズが撤退したから雑誌が面白くない 4/5Bはやってほしい
よく言われてるドイツGPのショート版バットマンディフューザーやスペイン以降のロング版ディフューザーって写真や映像で見たことないんだよ >>768
セナに帯がないのが不思議だった
無理矢理にでも入れろ >>782
マクラーレンのあと2台は時間の問題で稼ぎ頭だろうしいずれやるだろう。質を上げてほしいね。無理やりハイノーズのあれも忘れず入れてほしい。 >>780
良かったよな
せめて00年まで続けてほしかった
01年からはフェラーリ無双だからまあいいや
>>781
俺は非アズエフ派だった
編集の書く文が受けつけられなかった >>784
4/5のローインダクションもやってくれたから無理やりハイノーズも間違いなくやってくれるでしょう
無理とはわかっているがB193もやってほしいね
開幕からハイテクぶち込んできて結構な信頼性あったよな
セミオートマも先行3チームの初年度より壊れなかった印象がある アズエフはニューズを三栄が吸収したあたりで速報から月刊になったと思うけど赤井とアグリが苦手でした。
基本的に三栄よりニューズ出版の方が好きだったし、それ以上にグラ特派 グラ特は本当に内容が盛りだくさんでいい雑誌だったのにな。 そして雑誌に載ってる、ほんとに金儲け目当ての、ただ雑誌の中身を読んでる
だけのクソみたいなダイヤルQ2に親に内緒でこっそりかけまくって、なんで今月
こんなに電話料金高いんだって話になったり…
予選結果とか教えてくれるホンダ公式のは30秒で10円くらいとそういうのの中
ではかなり割安で、しかし延々つながらなかったけど あとF1雑誌に「ジョーダンファンクラブ結成!鈴鹿のスタンドをジョーダンファンで
埋め尽くしましょう!チケット少し残ってます!」って広告のっけた詐欺事件とかも
あったなあ…あれ犯人捕まったんだろうか >>771
あの年ならあのビッグマウスは悪くはないと思う。たしかベネトンのチャンスが来てたはず。借金して違約金払ってでも乗ってほしかった。内容は忘れた。 ダイヤルQ2は、すがやみつるが超早口で予選結果を読み上げてたのは聞いてた。
課金の一番安い設定だったね。 >>786
ベネトンはマクラーレンと違って80年代末からアクティブの開発してたからね
それもフルアクティブだから >>792
高校生だった俺はQ2で予選結果聞いてて
母親に怒られた。
ネットがないから情報得る為の数少ない手段だった。 >>794
すがやみつるのやつは、一回100円も掛からなかった気がするけどな。
バブリーな新規参入メディアみたいのはすげえ高かったみたいだけど。 >>776
お、次号はティレル020か!
モデナが初めてこのムックに出そうだな。
モデナファンとしては買わないといかん! >>781
時代は下るけど90年代後半〜00年代初頭まではAS+F派だったなぁ
ただし毎度のようにヒルがボロクソ書かれてたのはちょっと悲しかったw 夜明けと共にコンビニにトーチュウを買いに走るのがレースの週末のルーティンだった
今は色々金使い荒くなったけどF1の情報に使う金は当時の方が桁違いに多かったな ヒルがボロクソ書かれたのはやっぱり95年のことのせいかな?
でもアロウズでもジョーダンでもきちんと結果は出したしむしろビルニューブのほうがウィリアムズ以降は悲惨だった気がする。ところでビルニューブは年俸も20億越えだったけどヒルはアロウズ、ジョーダンでいくらもらってたんだろ? アズエフは95年〜96年頃読んでたな。
「家族の中で俺だけがヒルファンで、あとはみんなシューマッハのファン」とか「私の愛しのミカはいつ優勝するのか」みたいな投稿がしょっちゅうあったような気が 自分は94年あたりまで読んでた
アズエフは女性ファンを意識した誌面づくりだったと思う
悪く言えばミーハーなんだけど、良く言えばあまりマニアックになりすぎず読みやすかったよ ヒル大嫌いだったな
95年とかPPのヒルがピット作戦で顎に逆転されることが常だったけど
追い上げても前を行くシューマッハとのギャップが詰まらないとすぐ勝負を諦めるのな
本当に苦労人なのか疑う心の弱さ
ドライバーとしての力量だけじゃなく精神力でも顎に圧倒されてたよ
そういうところはフランク御大も批判してたはず >>756
フランスチームでフランス期待の星ベルナールをぶっちぎったからな。
ベルナールとも仲も良くて亜久里は新人類だと思ったわ。
浪花節の悟より応援したくなったけど、
世間は悟一辺倒。
俺はその頃中学生だったので悟は苦手だった。
タンブレロを全開で抜けるだけで必死な奴なんか応援したくないよね。 >>770
サンエイの電子書籍会員になれば読めるのかな? >>781
俺は速報誌と月刊誌双方とも読んでた。
赤井のインタビューが良かったわ。 ヒルは94年の最終二戦と95年のギャップがなぁ
あの二戦はバイザー越しの目がギラギラしてて殺気があったのに
95年はメディアにも弱音漏らす事もあった
支えて欲しいチームからも突き上げあって辛かったのだと思うが
94年のティレル022のセミATは
エンジニアが納屋で一人で勝手に作ってたのに信頼性は高かったなw
ティレル023本希望だな
謎のハイドロリックサス解説してくれ >>776
ティレル 020 は、
ホンダや無限、イルモア(だっけ)、ヤマハ 色々積んでいるし
ドライバーもテストやイベントも含めると、
亜久里、虎、マルティニ、、、色々乗っているからね。 >>806
ガスコインの022のセミオートマの話は読んでて楽しかったわ
一人でありものの安価な材料で組み立てたりとかそういう奇才というか天才的な
名もない奴がゴロゴロいる世界なんだな、というプロレスに近いファンタジー感があるいい話 母は女優。1992年F1で走った美貌の女性ドライバーの劇的な人生
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/motorsports/motorsports/2020/06/10/1992f1/
>現在60歳となったアマティだが、現役当時と印象がほとんど変わらず、セレブとして華やかな生活を送っているようだ。
もう60歳なんだな
おばあちゃんだな >>809
中谷が一言
アマティ甘くなかった落ちましたねぇw Racing ONはちょっと読者受けを狙った軟派な雑誌
AutoSportはかなり堅苦しい硬派な雑誌
ってイメージだった RacingOn と言えば
”エフポン” と言う、非公式略称を定着させた功績は大きい >>778
その雑誌当時小5ながら買った記憶があるな
まだF1速報とそれ以外の雑誌の区別がついてなかったんだよね 初めて買ったF1グランプリ特集はセナの横顔どアップだった
92のドイツくらいだったかな
それから94まで買ったが捨てちゃった
取っとけば良かった レーシング オン読んでたなぁ
91年鈴鹿 竜頭蛇尾… 右京も亜久里もベネトンベネトン言うが実現してたとしても91年シーズンのマシンで相手はピケだろw
悲惨な末路しか見えないわ 亜久里がモレノの立場になりかねなかったことを考えると・・移籍しなくて良かったかもね 学生で金なかったから、立ち読みか一番安いF1 Prixって怪しい速報誌を買ってたのは内緒だ やっぱりタブロイド新聞の「レーシングニュース」だろ! いや、GPSって初期にあったような。
バブル期にはクソ迷惑なGPXが売れたが。同じサイズだったと思うが、名前が変わったんか? あったね
グランプリスポーツの略
でかい紙面で新聞ぽい趣きだった
GPXと区別が付かなかったと記憶してる プリックスという速報誌は現地カメラマンから写真を買わずに
フジテレビ中継のテレビ画面を撮影してそれを誌面に載せていた。
今ならそんなの販売出来ないだろうな。 >>826
全くの別物。
俺も最初間違えてGPSを買ってしまい、意地で買い続けたわ。
友人内で俺だけだった。
半年後からこっそりGPXに乗り換えた。
でも一番発売日が楽しみだったのはグラ特だな。
グラ特は俺の青春だった…
毎月1日、15日発行の頃のレーオンも400円とは思えない充実した内容だったね。
隔週発売に変わって中身が無くなったのは残念。 >>827
GPXはカラーでもザラザラ系で光沢のない紙、GPSはカラーでツルサラ系の白い上質紙を使ってたような
GPXはでかいから立ち読みしかしてないな。山海堂も流通を考えろやと。
21世紀に入るあたりには定期購読者向けに、本物のプレスリリースとか入れてたわ。フレンツェンがジョーダンで優勝したときのフランスGPだったかプレスリリースが入ってて嬉しかった
>>829
別会社なんだ。山海堂は後にグランプリスピードFってのを出したんでてっきり GPSが突然休刊宣言した時はびっくりした。バブルが終わろうとしてるなんて鈍いオレは気が付かんかったよ。 さっき雑誌の話があったけど衝撃だったのはトーチュウのセナの手記だった。あとプロストの手記も良かった。どちらも読み応え満点だった。セナとかプロストが話かけてくるような感じがした。 F1ブーム時の前夜祭とかの動画を見るとついつい長く見てしまう
当時の20〜30代の人がうらやましいわ・・ >>832
どうせ本人に近い記者が適当に書いてるのかと思ったら
本人しか知り得ない様な事が書かれていて良かったよね。
特にセナは勝てなかった時の負け惜しみに人間味を感じた。
究極の負けず嫌い、勝利への執念が滲み出ている手記だった。 本屋でバイトしてたけどGPXは入る袋が無いんで微妙に困った
仕方ないからちょいはみ出した状態で渡してた
>>819
B191はクセがあるマシンでも無いし
91年のラルースの状態考えたらベネトンの方が良かったんじゃ無い?
モレノさんは持ち込みも無かった事もあって切られたけど
亜久里はスポンサー連れて行くから簡単には切れないよ >>829
レーシングオンは94年春までの月2回刊が一番読み応えあった
F1等のメジャーレースはもちろん、コラムや読者のレース参戦記から編集後記までもが面白かった >>820
トレード移籍でジョーダン行ったら次の年ヤマハか
フットワークとどっちがいいかなw 万が一に亜久里がモレノみたくなったとしてもさすがにスポンサーもいるから最後まで走れるだろうね。
チームそのものがどん底だったからフットワークよりはダメージ少ないかな?
といってもノーポイントだとかなり評価下がるけど。 >>825
いや、GPSってのもあったような気がする…
サイズは忘れたが。
オラはGPX買ってた トラの2年目は、デラロサに引けを取らない 速さがありながら 安定した走りだった
3年目にアロウズかザウバーに乗ってたらその後のキャリアは全然違っただろう 手記がプロストは90年、セナが92と93。
他の年は母国ならあるのかな。
マンセルの92年、ヒルの94年もあったらよいのに。 >>830
実家が本屋だけどGPXは判がでかいので納品の際に結束バンドでこすれたり
折れ曲がったりしてで店頭に出せない状態のものが毎号あった
10冊入ってくるとして最低2冊、下手すりゃ4冊は死んでた GPXは今も何冊か持ってる
うち一冊の表示がピエロルイジマルディニなんだが
この人ミナルディでたまに予選シングルに顔出してた 亜久里はスポンサー持ちだから最後まで走れたとして、果たして92年もベネトンで走れたかな?
ウォーキンショーは自分の秘蔵っ子のブランドルを入れたいが為にピケを追い出そうとして、ピケがそれに気付いて自分から去っていったけど、果たして亜久里の場合どう動いただろうか…
90年終了時点ではブランドル<亜久里だったもんね。
95年開幕前は亜久里<<ブランドルだったけど。 >>844
無理でしょ。
亜久里は92と93年で化けの皮が剥がれてたよ。
あの体制とマシンでノーポイントって…
予選も遅かったし。 アグリってアルボレート向きのオーバーステア
傾向のマシンに散々文句言ってたよね。
シューマッハ中心のベネトンのマシン開発
に適応出来ないと思う。 92、93は文句に見合う結果を残したら応援もしたんだけどなあ。 亜久里の93年の成績がノーポイントってちょっと理解できないものがあるよね
前半戦はともかくマクラーレンのアクティブ装備した後半戦はスパを筆頭にポイント取れるチャンスあったのにもったいないよね FA12や13はフロントダウンフォースに比べてリアの発生量が不足してるんだろうね
95年のリジェも基本特性はオーバーステアマシンの筈だけどマシンの文句は言ってないから
絶対的なダウンフォース発生量が多くて安定してるんだと思う
>>846
オーバーステア化するの94年からじゃ無い?
少なくとも91年と92年はその心配ないよ
>>840
次の年もアロウズ乗れたんだけどね
このまま続けても駄目だからって仕切り直し >>559
フットワークは大橋が馬鹿だったよ
オリバーをさっさと追い出して、それでこそプロドライブあたりに運営を委託すべきだった 92年のアルボレートは渋くて良かったな。
円熟とはあのこと。 >>831
93年だかのカレンダー号で突然の休止、俺もびっくりした。
GPSは毎号ポスターみたいなのついてたから好きで買ってたよ。 >>851
5ポイントとってるから凄いわ。
アルボレートは日本で放送する前の
85にプロストとチャンプ争いしてんだよな。
腐っても元フェラーリのエース。
亜久里も歯が立たなかったな。色んな意味で。 >>853
7位も4回位あって「7位にもポイント付与すべきだ」って言ってたな 確か92年アルボレートは完走率が9割くらいあって、そこも渋かったわ 悟ファンの亜久里アンチっていうのもあって92年はアルボレート
応援してたな。
実際速いし、いぶし銀だったし。
ダラーラでフェラーリエンジンのときとかベネトンの候補になった
ときはホントに応援したし、事故死はショックだった >>850
詳細は判らんけど
どうもちゃんとした買収じゃ無かった感じ
命名権だけ買わされたって噂もあるが
オリバー追い出してウォーキンショウ招聘する計画はあったんだよ
土壇場でウォーキンショウが断って計画がオリバーにバレて一層拗れたとか
ウォーキンショウも狸だから端からやる気あったのか怪しいけどw
TWRに売るまでソコソコ良い感じに運営出来てたから
オリバーもかなりの策士だと思ってる、やる気は別w 資金的な問題とはいえロータスが苦労したクソ重い無限エンジンのことを考えると
フットワークの方は無限とのジョイントを結構上手くやれてたってことだな >>851
やっぱ93年もアルボレートを残しても良かったよな
11戦連続完走は伊達じゃない >>858
あの悪夢のポルシェV12に比べたら無限ホンダV10は余裕だったのでは
教訓として駆動系とかシャシーも強化してたろうし 今だと11戦連続完走の何がすごいの?って理解に苦しむだろうけど当時はトップチームのドライバーが開幕から11戦連続リタイア(途中1戦欠場含む)とかしてやらかしてた時代だからな
とにかく壊れて当たり前中堅下位なんか年間半分も完走しなくても当たり前
いい時代だった 昔の車は簡単に壊れてたもんナ〜
無事にゴールまで持ってくるのも腕のうち、って感じだった。 完走17台とかだと随分残ったなって感覚あった
90年メキシコの完走20台は二度見するレベル >>863
そのレースは、中嶋と亜久里がブツかってリタイアしたよねwww 亜久里は言い訳とアランジェンキンス批判ばかりで自分に向き合うという事がなかった
反面右京は馬鹿みたいに自分の非を認めすぎてありゃ世界では戦えないと
なので亜久里と右京を足して二で割ったくらいの日本人が現れないかと渇望してた モナコのアパートのベランダから下を見るとかベランダの柵を歩くとか
なんかずれてんな、と思ったな >>832
プロストはトーチュウのギャラを自分が立ち上げたチャリティー基金に振り込む契約にしていた
現役引退後もGPのレポートを寄稿してくれてた
96年のモナコで足を動かすマクラーレンの車は代々モナコと相性がいいと言っていたのを覚えてる >>868
へー
プロストもチャリティやっていたんだ。 >>858
新型V10前提でシャシー作ってたのに投入が遅れたのも要因かと
>>866
向き合ってるとは思うよ、それを表に出すかは別として。
ジャーナリストとの雑談でもレースの話するの嫌がってたって話だしね。メンタル強くない >>866
言い訳と説明の境目は難しいよね
結果は出ちゃうんだから、別に何言ってもいいんじゃないの
結果は悪いがw >>848
93年の鈴鹿も大チャンスだったのに、ピット出口でスピンしちゃうんだもんなぁ。
>>849
95年も、序盤は文句言ってたよ。「限界を迎えると、いきなりスピンする」って。
同じ設計図から生まれたとされるベネトンのミハエルも、同じ事を言っていて、イモラでいきなりクラッシュしてたから、誇張ではなかったんじゃないかと思っているが。
>>861
>当時はトップチームのドライバーが開幕から11戦連続リタイア(途中1戦欠場含む)とかしてやらかしてた時代
ベルガーか。 いきなりスピンって90年Mexicoのウェービング中のクラッシュか >>850
オリバーの更迭に失敗して最悪な空気になったそう >>865
そこの映像見た記憶がない。ありましたっけ? ホンダ鈴鹿スペシャルが5年落ちゼテックR(しかもミナルディ)にぶち抜かれたシーン同様、
スポンサーに気を使って不適切映像としてカットされたのでは 接触した瞬間の映像は無かったよね
映ったらもう2台ともコースアウトしてた
ピット戻ってからお互いを非難してる映像は総集編でも採用されてたけどw 亜久里:スローダウンしてレコードラインから外れたのにぶつかられた。他の車は避けたのに。
中嶋:もっと端に避けてくれないとぶつかるよ。 そのコメントは覚えてる。しかし映像は見たことない気がする。 亜久里「俺はちゃんとよけてたのに急にオカマ掘られた」
中嶋「ちゃんとよけといてほしかったよね(怒)」
亜久里な非があるのは確かだけど、このレースの中嶋って予選9位スタートだったのに、1周目には20位くらいまで転落してたよね。
そこが謎。 中嶋はスタートでいつも後方に下がる印象
ジャンプアップって記憶があまりない V12対V8 パワーは50馬力以上は違うんだろうけど空力マシンのティレルはよく走ったね。 >>869
欧米で成功したプロスポーツ選手はほぼ例外なくなんかしかやってたでしょう
「世界王者プロストが恵まれない子供たちをユーロディズニーランドへ招待」
とかは一般紙でも小さくだが取り上げられてた >>884
中嶋悟はティレルに初めて乗ったとき
車がしっかりして乗りやすいのにびっくり
したらしい。
アレジは速かったが中嶋悟より30馬力パワーアップ
してるエンジンにピレリのスペシャルタイヤ。
90年は完全にアレジフィーバーだったからね。
中嶋悟もアレジを見て引退を意識したと言ってる。 >>876
>>878
今宮さんに、カメラワークが悪いと言われたメキシコのTV局の国際映像だから、接触の瞬間は撮れてないんだろうね。
>>882
その川合ちゃんの中嶋へのインタビューで、1コーナーでロータスと絡んだって言ってた記憶がある。中継ではカットされてなかった。
例のごとく、ワーウィック?w 亜久里よりアルボレートの方が上、アルボレートよりベルガーの方が上、ベルガーよりセナの方が上、亜久里とセナでは物凄い差があると思った。 >>860
あれはセンターテイクオフのクランクシャフトとかエンデュランス仕様だよね
あの頃Cカーも3.5NAエンジンを使うレギュレーション改定を予定していたから
ポルシェ自身が耐久レースで使うエンジンをフットワークの金で作っていたんだよ >>889
まあそう単純な話でも無いがセナとの差はとんでもなく有っただろう事は間違い無いな アルボレートとベルガーのどちらが上かは
人によって意見が分かれそう >>863
メキシコは空気が薄くてエンジンの負荷が小さくて済んだからかもしれない
バンピーでドライバーの負荷はデカいと思うけど アルボレートはイタリアの星でエンツォのお気に入りでよくその後のふさわしくない
屈辱的な扱い〜予備予選、ポルシェ糞エンジン、ローラ、ミナルディ〜に耐えて
粘ったな、すっぱりやめるという道もあったと思うけどF1に残りたかったのか >>894
アルボレート、ブーツェン、アルヌー
優勝経験があろうとも、落ちぶれるとあっという間でカムバックも難しい世界何だな。
ヒル、ピケは良くもちなおしたよ アルボレートはキングカズみたいなもんだろ。レースが好き。辞め時を逃した。 >>892
ティレル012見るとこんな頼りなさそうなマシンで勝ったのかって思うねw
ティレルで活躍してフェラーリにスカウトされてって日本人が大好きなアレジと同じストーリーを
持つ人だけど87年からテレビ中継が始まったせいで微妙なドライバー扱いされてしまってるね >>897
最後の事故死が無ければ、偉大なレース馬鹿で済んだんだが。つくづく残念。 ベルガーは、アルボレートを成績で上回ってナンバーワンを奪い取ったというより、
アルボレートがチームと揉めるのに乗じて搦手でナンバーワンになったという感じよね…
ドライバーとしてどちらが上かってのは判断難しい。最終的に成功したのはベルガーのほう。 ベルガーは、アルボレートを成績で上回ってナンバーワンを奪い取ったというより、
アルボレートがチームと揉めるのに乗じて搦手でナンバーワンになったという感じよね…
ドライバーとしてどちらが上かってのは判断難しい。最終的に成功したのはベルガーのほう。 89年のPQで「てめえ邪魔しただろ!」とアリオーに詰め寄られる亜久里。
必死に「I don’t no.」連発。ヤンキーに絡まれる一般生徒。
訳せば「知らねえよ!」じゃなく「知りません」だなw
ちなみに犯人はチームメイトのシュナイダーだった。 フットワークが使ったポルシェV12はマクラーレンが使っていたV6を2個繋げて作ったというのはホントかね?
だからセントラルドライブ式だって言う話なのか? >>903
クランクシャフトの端から出力するよりセンターから出力した方がクランクシャフトの負荷が少ないから
耐久性が上がるんだよ、70年代にルマンで優勝したポルシェ917のエンジンが発端の技術 >>883
中嶋がスタートを決めたレースは88年のメキシコぐらいかな。
予選6位スタートからフェラーリ2台をぶち抜いたやつ。
>>894
本人曰く「趣味はF1orレーシングカーをドライブすること」だからね。
事故死する前も、周囲から「もうドライバーはやめてセカンドキャリアへ移った方がいいんじゃないか?」って言われてたみたいだし。
>>895
てかアルヌーってルノー時代が全盛期と思われがちだけど、キャリアハイはフェラーリに移籍した83年だよね。
個人的にプロストよりフェラーリマシンが似合ってた。 アルヌーはいかにもなフレンチ伊達男で二枚目だから深紅の跳ね馬との相性はいいな
レースの成績以上にロードカーの売り上げとかで貢献してそう >>899
フェラーリで、アルボレートが有利になるようにチームの一部勢力がエンジンを細工してて後にバレたって話があったけどね。 >>904
917も既存のフラット6を2機つないで作った
結果、巨大なエンジンになるんだけど、あれはよかったのかなあ >>902
ここで尻込むのが亜久里のダメなところだな。
アーバインだったら「知らねえよwそもそも邪魔されてもリカバリーするのが一流だろww。それが出来ないお前が悪いんだっつーの」みたいなこと言いそう。
>>907
それってアルヌーとコンビを組んでた時からやってたのかな…
となるとその勢力はタンベイ派だった人間かしら。 >>909
本場育ちのアーバインと日本のぬるま湯でも別に摩擦を起こさなかった亜久里を比べてもねえ
そうでない日本人ドラなんていなかったじゃないの >>909
ほうぼうに書いてあるし、ベルガー自伝にも出てくるよ
マネージャーがらみか個人スポンサー絡みだったかも >>910
右京は?ヒルに「だって君遅いんだもん」って言ってたけど。 >>902
アリオーとかアルヌーのばったもんで
フランスチームフランスエンジンのおまけのくせに生意気なw
何故かチームやエンジンのおまけほど
絡んで返り討ちに遭う情けない奴が多い
ホンダエンジンのおまけも
https://www.youtube.com/watch?v=GyPSLqxRKmw >>912
右京だって1年目はナメられててガショーに出鱈目なギア教えられてたろ
予選上位に入るようになって速さを示してから生意気なこと言うのは誰でもできる
亜久里のアレはF1初戦予備予選落ち段階だろ、小さくなって何言われても我慢なのはしゃあない 賀正に ウソを教えられるなんて
ガチョーン だなぁ >>913
アリオーは国籍とたまの一発、この要素だけでよくあそこまで長く居座ったよなと思う
引退後に国政方面に進出しようとしたという話だからいろいろ政府とコネがあったんかな >>914
右京も「ガショーは政治的な駆け引きやる」とか文句言ってたな。
「チェザリスはそんなことしない分いい」とか。
亜久里はチェザリス「アイツ変」とか嫌ってたけどw まぁ現実の自分のリアルな生活の範囲でもそんな事ばかりやっていたら逆に自分が気持ちよく
生きられないんじゃないの?って思うくらい嫌がらせや裏工作が大好きな人間いるしな >>889
その比較で言うと、右京は亜久里より圧倒的に速い
というか亜久里が中野並みの遅さなんだよ
セナとの差を比べることが無理
右京>ブランデル=ブランドル>亜久里
右京=トゥルーリ=パニス>>中野=亜久里
中嶋と違ってチーム体制では恵まれてたのに、チームメイトで対等だったのはベルナール1人だけで
シュナイダー、アルボレート、ブランドル、バリチェロ、パニスよりはるかに遅かった >>887
中嶋悟はハートのDFRは使わせて貰えなかったの?90年ベルギーGPの時点でハートDFRは625馬力程出てたらしいが…。 亜久里は92〜93年の恵まれた環境で1ポイントも獲れなかったのが評価を下げているな
アルボレート&ワーウィックと組んだのはベテランの味を学べってことだったのかなあ
ワーウィックは上手く乗りこなせるけど、俺はオーバーステアの車はダメなんだよって言い訳してたのが情けない トロントの映像なんか貼るな
俺はジェフの事が大好きだったんだ 92、93年の2シーズンフル参戦して0ポイントだったのが亜久里と右京だけなんだよな
そもそも92年にフル参戦0ポイントで翌年F1のシートがあったのは二人以外はレートだけという厳しさ
チーム数がどんどん減って、92年だけで4チーム消滅したから >>922
それはおかしい。94年の予選は、
右京11勝、ブランデル5勝。 >>923
年間ずっと使ってたよ。
91年は亜久里のラルースに引き継がれた。 92年のハッキネンとハーバートの比較でハーバートが勝ったと思ってるヤツは居ない
大事なのは決勝の成績
予選は決勝のグリッドを決める為の物 >>931
あれ?速さの比較じゃないの?
レーサーとしての総合力ならブランデルの方が上だと思ってるよ。 >>912
後のチャンピオンにそんなこと言う右京ってほんとすごいよな 遅いマシンでも速かったというストーリーが無いからヒルはワールドチャンピオンといっても
軽く見られるんだよ 右京も亜久里も口だけは達者だったなw
まあロートルの佐藤よりは若くてガッツのあるこの2人の方を応援してたがw
アルヌーのフェラーリ時代の話してる奴いるけど当時の日本でリアルタイムで見れるもんなの? >>935
97年初戦予選落ち寸前からのハンガリー独走やヘレスでのトップ3台1/1000秒まで同じすぐ後ろ0.014秒差のセカンドローとか見てないのか ゆってもセナ相手に予選1秒も離されてなかったろ右京なら余裕で2秒くらいチギられてるわ ヒルを過小評価する向きはあの風体と物腰柔らかさから来るとしても多くは嫉妬だろう ヒルはアロウズやジョーダンでの走りで評価が上がった印象。
ちなみに今も髪の毛真っ白だけどカッコイイ。アレジと並んで外見の
イメージが変わらない年のとり方をしてると思う。
ナニーニとか超太ったけど
カペリとかスキンヘッドも相まってぶっちゃけ外見マフィアだけど 予選の勝敗でドライバーの優劣を語っちゃう風潮は
やはりセナからだろうか >>937-938
チャンピオンマシンを手にするまでにストーリーが無いんだよ、セナが最初からトップチームのマシンに
乗っていたらここまでの伝説にならないよ >>943
ウィリアムズのテストドライバーとして始まる
↓
あの状態のブラバムで予選突破して完走する
↓
働きをウィリアムズに認められてプロストのセカンドとしてウィリアムズに乗る
↓
プロストの走りを学んで速くなる
↓
セナショック直後、顎と王座争いするも顎のタックルで逃す
↓
悪戦苦闘して王座獲得するも、チームをクビになる
↓
下位チームに追いやられるも、実力を見せる
↓
燻っていた中堅チームに初優勝をもたらす
十分なストーリーじゃない? F1でチャンピオン1回だとやっぱり複数回戴冠のドライバーに比べると
評価はちょっと低くなっちゃうんですかね。
戴冠1回で伝説になったのってヨッヘン・リントくらい?シチュエーションが
特殊すぎるけれど まぁでも実際、ブランデルは右京に潰されてF1キャリアを絶たれたようなもんだしね
もちろん、右京はサロに潰されて終わったし、高木はデラロサに、小林はペレスに潰されて終わった >>946
右京はサロに鼻っ柱折られたよなー
ボコボコにされてたわ >>947
TD契約じゃん
もともと発表していたクルサードは裁判で負けて取り返され、代わりにバーニーから押し込まれたマンセルがあぁなって出場チャンスが回ってきただけの話 中嶋は相手が悪かった
亜久里はアルボレートに
右京はサロに
中野はパニスに
高木はデラロサに
琢磨はバトンに
可夢偉はペレスに >>946
可夢偉はむしろグロージャンに潰されたって言った方が… >>935
確かに純粋な腕だとはっきり言って遅いからな
Star in a Reasonably Priced Carで同一車同一コースだと
1:42.2 – Daniel Ricciardo
1:42.9 – Lewis Hamilton (second attempt)
1:43.1 – Mark Webber (second attempt)
1:44.0 – Sebastian Vettel
1:44.3 – Rubens Barrichello
1:44.4 – Ben Collins (The Stig II; removed from the board)
1:44.6 – Nigel Mansell
1:44.7 – Lewis Hamilton (wet and oily)
1:44.7 – Jenson Button (hot)
1:44.9 – Jenson Button (second attempt; wet)
1.46.0 – Perry McCarthy (The Stig I; removed from the board)
1:46.1 – Kimi Räikkönen (very wet)
1:46.3 – Damon Hill
1:47.1 – Mark Webber (extremely wet)
wetのハミルトンやバトン、年上50路のマンセル、
3流ドライバーのマッカーシーよりも遅いとかどんだけ
ヒルの遅さを嫉妬で片付ける奴の腐った脳味噌をこじ開けて見てみたい >>950
亜久里は同じマシンをシェアしたチェザリス・ブランドルとのあまりの格差に愕然とした
1993年はキレキレで応援してたのに >>951
それを言うならペーターに潰されたということじゃね? 亜久里が言ってたが、一か八かの勝負で日本人は悪い方に出る確率が高いな。自分も含めて感じてたことなんだろうな。ここ一番が弱いわなぁ。飛ぶときに飛べない。小林でさえそうだった。 >>955
臆病な国民性だからかな
リスクとリターンを比較して育つ環境なんだよ。
セナとか顎は何もかもかなぐり捨てて結果を取りに行った。 >>956
禿同だった10年前のこの書き込みを思い出したw
140 :音速の名無しさん:2010/03/17(水) 02:30:58 ID:bmRzlQ/90
フィジケラぐらいでいいからよー
トゥルーリぐらいでいいからよー
アロンソやシューマッハほど活躍しろとはいわないからよー
ウェバーぐらいでいいからよー
それぐらいの期待答えられる日本人いないかねー >>957
何もかもかなぐり捨てないとフィジケラ、トゥルーリ、ウェバーにはなれないとも思うよ。 アレジが息子のためにF40を売る。
これがF1やこの覚悟
ヒルの件だが、やっぱりタイトル争いしてる時に、誰の目にも技量的に釣り合ってないって露呈しちゃうのはねえ。後年活躍したって言うけどタイヤだし、タイトル争いのときに、顎になめられ倒してた印象はなかなか消えるものではない。
まあ気にすることはねえよ。つい最近だって4回タイトル取っても同じようなやつがいたからさ。ニューウィーのマシンに乗る奴にはたまにあることだ 右京は速かったが結果に繋がらなかった。アグリは結果を出した。同じく結果を出して、わくわくするレースを何度も見せてくれたのは小林だと思う。
中嶋さんは88年の鈴鹿のスタートミスがその後に大きく響いている気がする。ちゃんとスタートしていたら・・。 >>960
中嶋は予選で一桁グリッドになった時は大概リタイアかノーポイントだったし。 ヒルはテストドライバーの頃からパトレーゼより速かったし、シルバーストーンでマンセルと変わんないタイム出してたんだよね F1の人気が下がっていく切っ掛けになったと思うよ、特に目立った実績のないドライバーがいきなり
トップチームのマシンを与えられて勝ってしまうというのは、結局マシン次第かよっていう >>960
中嶋が一番わくわくしたのは、1988年メキシコGP
予選6位からフェラーリ2台をぶち抜いて4位まで上がった
ホンダ1〜4位で前年イギリスGPの再来かと思われたが、マクラーレンと異なる燃料を
積んでたロータスだけが燃料トラブルで早々リタイア >>962
シングルグリッド6回で入賞ゼロなのに
後方、ピットスタートからの入賞が2回あるのが面白い というか可夢偉は金がなかったのが原因だったと思うけどね。
逆に金もバックもあってどこにも乗せてもらえなかったら悲惨を通り越してる。 >>967
パナソニックがつくんじゃないかって希望的観測があったけどもしついてくれて年25億くらい出してくれてりゃあね
年25億 他のメジャースポーツのスーパースターとのスポンサー契約だってそんな金額にはならないだろうし
F1の下位の方でチョロチョロ走るだけで25億ってね サラサーティっていう生理ナプキンのCM見たんだけど、使用部分を1回剥がして2回目が使用できるらしくて、ピレリタイヤの皮剥きを思い出したよね。
これ作ったやつピレリからヒント得ただろ?w >>964
となるとやっぱり93年のウィリアムズはなにがなんでもミカをロータスから奪い去るべきだったと
もしくはジョニーを >>972
それ言ったらぴったりフィットカーブのR曲線とかもバーナードやニューウェイの
エアロデザインからヒントを受けてるかも >>959
FIAから3戦出走停止とベルギー失格で40ポイントのハンデもらってタイトル取れなかった94年を見て誰が認めてるんだ? >>974
俺はそれ知らないけど、絶対に違うと断言できるわw イギリスとベルギーで失格にならず、仮にイタリアとポルトガルでヒルに次いで2位でフィニッシュしたとしたら
シューマッハ→120pt
ヒル→87pt
だもんな… フォーメーションラップで隣のグリッドのクルマの前に出たから失格
後にも先にもそんなペナルティ見た記憶が無いわ… でもヒルはちゃんとアロウズやジョーダンでも光を見せられたし。
トップチームから格下チームへと落ちて光を失ったというとビルニューブ、ブーツェン、ヨハンソン、アルヌーとか? >>978
でもあの時のシューマッハなんか嫌がらせ?としか思えないくらいしつこく何度もやってたしあれはさすがにペナルティ食らっても仕方なかったかも。 やっぱりヒルは97ハンガリーだよ。
予選の「ヒル!?ヒルが3位!?」から、決勝の「アーバンテサンバイン!」に繋ぎ、ファイナルラップの「ヒルがおかしい!」まで完璧。 >>957
トゥルーリやウェーバーくらいでいいと言ってもモナコウィナーだからな・・・ >>979
ヨハンソンはオニクスで3位になったし、アルヌーの場合チームのマシン開発に問題があったからな…
てかジャック以外の3人はみんなリジェが原因で転落したようなもんかw リジェは85、86年は表彰台を争う速さはあったよね。
そこから表彰台争いに復活するのは長かったけど。 リジェがラルースに嫌がらせした理由って単に89〜90年の成績不振だけが理由ではないってホントですか? >>975
誰が認めたと書いてる。最弱クラスのままだよw アロウズのあれはタイヤだし >>984
リジェ凋落のきっかけになったのが86年英国ブランズハッチでラフィットを多重クラッシュで
引退を余儀なくされて車輌開発がストップした事だと思う。
ここからアルファ直4獲得も即撤退やら燃料タンク2分割のJS31の大失敗やらで
どんどんドツボに嵌まって
ギ・リジェの政治力でルノーのエンジンを取り付けるまでは雌伏の時だった。 リジェさんて見るからにやくざかなんかで堅気じゃないよね、まあ他にもそういうのいるけど リジェがF1的に凋落したときにちょうど親友のミッテランが大統領になったから…
>>984
リジェがF1チーム打って撤退したのは、フランス大統領がシラクになった上に
FIA会長選でバレストルがモズレーに負けて、今迄みたいな国家バックにした特権振り回せなくなったから
バーニーがリジェの前にやってきて、「今ならやってきたこと全て不問にできるからF1やめろ」といわれたそうで >>985
あと、リジェはFOCA派じゃなくてFISA派だというのもある
だからFOCA経由で参戦したラルースと、FISA派のリジェとの代理戦争みたいなところがあって
ラルース事件があってポイントはく奪された時も、実は賞金やFOCA便相当のバジェットを
バーニーがポケットマネーから出していたからね… リジェミッテランのコネで高速ポールリカールから糞みたいなマニクール強制移動なった時はムカついたな 権力者のお友達が国営企業の技術や資金で道楽のF1やってるんだから真っ黒だろう ウィットマーシュも「ロンがエンジン目的でリジェを買おうとしたけどあそこは
マネロンの器になってて手が出せなかった」と言ってた >>993
日本でも安倍友関連のマスクとか給付金関係じゃなくリジェみたいなの見てみたいわw >>994
マネロンの温床になっていながらよくフランス国内で問題にならんかったな
そんなリジェをブリアトーレはよく買収できたなぁ ウィリアムズFW14の設計手に入れたのも、ウィリアムズの了承を得てじゃなくて
半ば強引に手に入れたみたいだからな
これがマクラーレンやベネトン、フェラーリ他からの印象を劇悪にしたのもリジェのF1声明を縮めた原因の一つ >>996
国家レベルでの悪事だから、声を上げると最悪命が危なくなる
ミッテランの資金源だからな…国営企業のスポンサードをリジェ経由でキックバック >>950
中野はパニスというよりプロストだな
あと途中参戦のトゥルーリもデカかった このスレッドは1000を超えました。
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