やたらとセナプロの対立構図ばっかり煽られてたけど
実はマンセルがこの時期を凄く盛り上げていた「最強の無冠の帝王」で、
92年にようやくご褒美が貰えた感。待たされただけに喜びは大きかっただろう。

にも関わらずフランクに酷い仕打ちをされるわけだけど、
腹立ててアメリカ行ったらそれはそれで成功しちゃうっていうのがまたドラマティックな人生。

上手くいかなかったとされるアメリカ2年目の94年にしても、
要はペンスキーがあまりに凄すぎたうえに1年目のレイナードまで結構な性能だったって話で、
ローラ勢のエースに恥じないだけの仕事はしてるし。