日本の芸術業界の宗教性について語ろう
「芸術」とは「アート」とは何か?まとめ
薄暗い教会や宮殿の中に神や王族が本当にそこにいるかのように見せる(無いものを有るように見せる)、威光を感じさせる技術として絵画や彫刻が西欧で発達した
それらが長い時を経て抽象化していき「神聖な良いもの=芸術」を感じさせる作品が名作とされ美術史が紡がれていった
西欧には巨匠の名作以外にも膨大な数の古典作品が収蔵されており、
またダヴィンチによる絵画論をはじめ美術史や芸術にまつわる論文が大量に残っていて、
それらが権威的な芸術なるものを物理的に存在しているように見せている
ルネサンスから四五百年の時を経て、権威化・マンネリ化したその芸術界に、芸術としてこれまで認められていなかったものを認めさせていく"アート"ゲームへと化していった
抽象画をはじめ、アフリカや東洋の美術であったり、精神障害者の作品、ストリートペイント、アニメ的な作品、コンセプチュアル作品、ポリコレ的な作品などが次第に認められていくようになった
これらの新しいアートは、芸術に似つかわしくないものであればあるほど、西欧の白い彫刻群や油にまみれた黄色い油絵みたいな古典芸術の権威に逆に保証されているわけで、
革新的な白人としての正統性を自負しているであろうアメリカ人が、積極的に革新的なアート作品に投機する姿勢もこの構造に由来する
壁画に囲まれた教会で己の内面と向き合い神と対話するように、ギャラリーで作品を通じ芸術を感じる
神の存在を措定するかのように、芸術というものを措定しているアートピープルは、
アートがゴミのように扱われたら自身の信教が侮辱されたかのように怒り出すだろう
しかし我々日本人が、デュシャンの逆さまに飾られた便器や、バンクシーの落書きまで芸術作品だとありがたがるのは、冷静に考えればひどく滑稽なことだし、
殊更に芸術だアートだなどと語っても、本心ではどこかしらピンとこない・胡散臭いものを感じ取っているのではないか
それは、日本人の歩んできた歴史が芸術の「部外者」としての視点をはらんでいるからである
端的に言って、芸術とは、その始まりからして、なにか特別なものがあるように見せかける詐術であり、宗教的なものである 長らく日本において美術教育の基礎とされてきた石膏デッサンで描かれてきたギリシャ彫刻も、
はたまた西洋の美の象徴として扱われてきたパルテノン神殿も、本来はエジプト文明やメソポタミア文明に強く影響され極彩色が施されていたことが、大英博物館の調査で判明している
それも自然に彩色が風化したのではなく、後年、鮮やかな色を意図的に削り落としたことが分かっている
かつてギリシャ人は大勢がエジプトや西アジアに傭兵として雇われていて、その強い影響下にあったのだが
その主従関係や文明の起源が意図的に隠され、典型的な”ホワイトウォッシング”された「白の美」を芸術の古典として、
日本の芸術界は何十年も理想の美として拝み、偽りの白い石膏像を真剣な眼差しで見詰め、デッサンカキカキしてきたのである
アジア人だとまだわかりにくいかもしれないが、これが黒人であればひどくアイロニカルな話となるのは言うまでもない 『日本の芸術』
ゴッホの死がしばしばヒロイックに語られるように
破滅的な人生を送った芸術家が礼賛されるのは
キリスト教的な信仰に身を捧げた殉職者への礼賛に近い
今でいうところの、いわゆる「芸術」の概念は19世紀頃から広まったもので
Artの本来的な意味は「技術」であり
ダ・ヴィンチが軍事技術者を自称していたように、ルネサンス時代のいわゆる「芸術家」は、優れた技術者という認識であった
西欧における政教分離の歴史的過程で、近代国家が民を纏める宗教の代替物として体系化していったものの一例が歴史や芸術であり、その芸術宗教の教会や神殿が美術館にあたる
芸術崇拝は、近代国家にとって国民教育の使える道具として出てきたのである
そしてそれは日本にも、西欧の近代国家の体系を模倣する過程で伝わった
今なお義務教育の美術科目でなぜか西欧美術の歴史を学ぶのはその名残である
敗戦を経て近代国家への役割が薄れつつあった日本の芸術は、
その本来の宗教構造により、同時期の新興宗教に似ていく
世俗にも権力にも反発し、芸術に身を捧げ、生きる
そういう自由な生き方ができるかもしれないという
甘い香りに当時の若者は吸い寄せられていった そして21世紀に入り、ネットの発達で情報共有されるようになり、
上から降りてくる公金を既得権益で確保しつつ、
一方で絵画教室や美大生などの新しい信者を獲得し、教職という牧師となり布教し、
下から会費を徴収して生計を保つ業界だということが露呈し始めた
個展の年一回開催や、公募展や表彰制度等の、身内内部での芸術家認証制度が、業界において当たり前になるなど、
芸術家としての信仰に身を捧げた死を期待するような、盲目な信仰は今の時代ではほぼ冷めた
芸術は西欧の啓蒙主義に根差しており、権威には対抗的であるが、一方で近代国家に守られている矛盾をはらんでいる
今なお続く近代国家としてのシステム、とりわけ美術館による収蔵や、消して売りには出さない国宝指定が芸術の価値を吊り上げ、
芸術崇拝を生み出す根本的な仕組みである
芸術は太古からあるものではなく、制度によって神秘が生じている
日本の現代芸術はもしかしたら粗大ゴミなのかもしれない、という疑いを
この先さらに多くの人が持つことになるのだろう 日本芸術教
-「芸術宣言」-
芸術神を信仰する芸術教においては
芸術神を感じさせる書画や彫像の製作が信者の務めです
各人がその個性を各自の職域に於て自由に表現することが神様の喜びとなります
世の中に新たな視点を提示するため、芸術神に愛された者=芸術家として社会におもねることなく自由闊達な振る舞いが求められます
信者には素人には見えない芸術を見抜く審美眼という特殊能力が神様より与えられます
自我を離れ極めて自然に極めて自由に芸術を表現し、併せてこの審美眼により芸術を人々に知らしめ植えつけ共々に世界文化に貢献しようとするものであります 企画画廊や企画展の場合、作品売買の手数料は通常50%です
そこから画材費、固定費、諸経費や税金等引いた分が作品制作への対価となります
プロの画家になるまでの学費や画材費や生活費を先行投資として考えると
ほとんどの画学生にとって、その先行投資をペイするには100万円の絵を20枚くらい売ることが必要です
絵は経済や商売ではないと言われるでしょうが
その先行投資を取り戻せなかった分は美術関係の誰かしらのポケットに納まる構造です
芸術内部の論理から一度離れて冷静な視点を持つことも大切なことですので
必ずご注意ください 義務教育での美術の教科書ではほぼ省略されていますが
実際の西洋美術の歴史の初めの方は教会の壁画の発達史であります
キリスト教徒の、神への信心を壁画によっていかに高めてきたかの歴史であり、
西洋美術の大まかな構造は、その延長線上にあるものです
かつて、日本において書画は生活空間を彩る装飾品でありましたが
現在の美術館やギャラリーは何かに似てると思いませんか?
そうです、教会に似ているんです
壁画が描かれ、キリスト像が掲げられた教会において内省を通じ神と対話するように
ギャラリーでは作品見ながらアレコレ思索を巡らし、芸術=神の一端を感じる
漫画を読むように同じ生活空間で書画を楽しむ日本の多神教の歴史とは異なり、
世俗とは異なる階層・上層の存在の前提に立つ芸術文化が、
果たして本当に日本の社会に根を生やした文化なのか、疑わしいと思うのは私だけでしょうか? あなたがこの業界に宗教臭さを感じた瞬間、教えてください 近年、日本の現代美術界隈で明らかにアウトサイダーアートを安易にパクった作風を散見致します
明らかにアウトサイダーアートへの”文化の盗用”が行われており強く抗議するものであります
精神障害者の奇妙な作風を利用してハクをつけるのが常態化している業界とは一体何なのでしょうか?
それが身体障害者のモノマネをしてみんなで面白がっているのと何が違うのか聞いてみたいものです 非常に残念ですが、あなたの余命は少ししか残されていません