【公式】合気道関係総合スレ10【ワッチョイ】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
合気道関係の総合スレです
初心者から有段者まで、会派、流派問わず語りましょう
※このスレはコテハン禁止です (粘着も来ないで)
前々スレ
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1543319120/
前スレ
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1549954077/
【公式】合気道関係総合スレ9【ワッチョイ】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1572656612/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 「関節のカスを取るのだ」(関節技は手首を鍛錬し、血流を良くして新陳代謝を高める。塩田剛三『合気道修業』95p) >>4
まず現在どんな派閥があるのかがわからん。
そんなこと把握している人っているのかな?
技の系統だけで考えれば大先生の直弟子師範毎に派閥っていうかやり方がありそうだが
各師範がお亡くなりになってからは、それぞれの技を学んだ人達が
他道場で別の合気道を学び、若しくは互いに影響を与えあって混沌と
してるのが現状じゃないかな。
俺も滅茶苦茶混ざってるし。
技だけに絞って滅茶苦茶大雑把に分けると
戦後本部道場派と大先生派(仮名)に分けられると思う。 コロナ影響で飲食店経営の合気道指導者は大変だろうなあ。
マスターはじめさんは合気道スレに出てこなくなっている。
よく行く街中の昔からある有名飲食店が25軒
以上潰れた。
コロナ影響に関係ない職じゃないと武道は出来ない。 医療崩壊危機の東京本部が通常稽古してることが異常
マスクしてるっても完全に三密でしょ スポーツセンターも一年以上使えなくて
持ち道場でないと再会できてないよ 手首、胸、襟をつかむ距離は相手の吐く息を吸ってしまうので。
同居家族は別だが赤の他人の息は気持ち悪い。 https://www.worldometers.info/coronavirus/
まあ、感染したって99.5%は軽症以下のただの風邪で終わるんだがな。
免疫力落ちてる高齢者や病気持ちじゃなきゃ無問題
まさか合気道やっててそんなヤツはいないよな? まさか合気道やってるヤツに家族は居ないとか思ってるヤツは居ないよな? 嫁より合気道大事で離婚したって人なら何人か居たな
全国にも多いんだろな 武道のために離婚者が出る異様な武道。
普通は旦那の女癖が悪い、女房の浮気発覚で離婚になることが多いのだが。
稽古しなくても生活に影響がない道楽のために女房を捨ててしまう。
もう再婚は出来まいな。
じいさんになってからひとりぼっちで何でも自分でやる不便を知るだろう。
合気道が淋しさを癒してはくれない。 >>16
スゲーな。20年合気道に関わってるけど、そんなヤツ1人も見たことねーわ。 この御時世に首都圏で合気道続けている人は、合気道がないとストレスで死ぬ人達 おそらく合気道稽古していて中年くらいで離婚の雰囲気があるが、したいときはソープかデリヘルというつまらん女しか相手に出来なくなる。
いくら合気道道場に通えても相手は商売女しかいない。 ID:K7bU8O07dが結婚してないか、不満だらけの結婚生活を送ってるのはよく解った。
他人の趣味をクサしてるヒマがあったら、自分の人生を有意義にする方法を考えた方が良いよ? 女房とは上手くいっていて仕事も給料アップで問題はないけどね。
コロナで自営、会社がダメになった人は武道どころではない。
見ているとうまく就職出来て小型トラックの運ちゃんくらいだ。
合気道は省庁勤め等もいるだろうからそういう人は武道稽古に問題はない。 首都圏、感染爆発・医療崩壊
こんな中でも合気道やりたいか
医療従事者に顔向けできるのか
和合の精神とか笑えるぞ 合気道で感染者出てるのか?
レスリング、柔道、空手、ダンスはどうなんだ? また日用品の買い占めが全国で始まったから買い物してくれる家族がいない人は合気道どころではないね。 >>28
一回合気会本部で出て、消毒するので休みにならなかったっけ? 阿部醒石「住友の演武会で、千葉和雄先生が木剣で大先生を激しく打ったんです。
カーンとえらい音がして皆びっくりした。もう頭が割れて血が噴き出たと思いました。
しかし大先生は平気だった。『わしの頭は真剣でも切れないよ』と言われた訳です」『植芝盛平と合気道2』165p >>31
門外ですが、そこで痩せ我慢だったとしても、演武中に表情に出さなかったのは男の矜持であり、素晴らしいです。
最近の合気道の画像を見ると、演武中にも関わらず「イテテテテテテ!」とか「ウワァー!」とか叫び声を上げる動画が多くてウンザリしてました。
やはり昔の合気道家は、現代の方とはちょっと違いますね。 >>31
Tk千葉先生の動画見てたらめちゃくちゃ激しい合気道だもんな。死んじゃうよ 昔横綱若乃花が部屋に入った泥棒に木刀で殴られたけど平然としてた話を思い出したw
稽古では激しくやってるから平気との事w 野中日文「開祖の言葉は自分の言葉では無いのだから、それを持ち出す時は慎重を要する。
開祖は『古事記の言葉は悉く技の上に証明出来る』と語っている。
如何に深遠な哲理を説いても、それを動きの上に、敵意に満ちた人間を相手に実証出来なければ、何の説得力も無い」
『合気ニュース』109号43p 緊急事態宣言出されたのに合気会本部は稽古終了時間を早めただけ
三密を避けてください、不要不急の外出を避けてくださいとも言われてるのに
本部でも1ヶ月休館するとヤバいくらいにカツカツの収入なのかね 合気道好きで長年続けてきた人は、一週間もやらないと体調に変化を感じるのよね。
閉めたら閉めたで不満が出てきそうではある。 寒いけど未だに非接触稽古限定なんだよなあ。
エア合気道なんかやってられないよ。
こういう時は木剣よりも杖の方が関節を良く動かすからなのか身体が温まりやすい。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI うちは昨年6月末から休んでて今月中頃から再開が緊急事態宣言が出た県なので延期に
このままコロナが消えないなら
ウイルスが活発になる冬の乾燥した時期は休んで湿度の高い6月から10くらいまで稽古して冬は冬眠するのが最良かな 本部ライブ中継やってるな
最高段位曰く、自宅での一人稽古が重要らしい もう会を通しての活動にこだわる必要は無いという事、
自宅で一人でやれる筈だからね 良かったこれで踏ん切りがつけられる、 会員も去年多く辞めてしまったし
残った僅かな会員にも説明が出来る これで心置きなく解散申請出来るわ 先生ありがとう御座いました、、、(涙)
>>45
合気道やめる理由探してたんじゃない?
一人稽古は大切だけど
それを相手がいる稽古にどう生かすかだよね やるヤツは普段から1人稽古してるからなあ。
ライブ見てないけど、会にウンタラと言うのが本当なら白旗あげた、てことかね? >>48
合気会のオフィシャルだよ。今の最高段位ね なんかよく読まずに書き込んでしまったがライブ中継での最高段位って誰だ(笑) 後襟を掴まれる事は、後方に立った敵が刀を真向に振り被って斬って来るのと同じ理である。
後襟を取られた時は、速やかに体を躱して、敵の心を取りひしぐ為に敵の面を打つか、また面と水月を打って敵の心の窓を塞いでしまう。(昭和13年『武道』7p) 斎藤先生や西尾先生、特に西尾先生みたいに当て身技を多用するとそれは合気道じゃないと批判されてるようじゃ合気道は使えないと言われても仕方ない。
斎藤先生は岩間だったから黙認かな?
だって当て身が9割でしょう >>53
合気道やるなら、比較的まじで当身系の古流柔術を併修しないと意味分からないものがたくさんあると思い始めた。 >>53
西尾先生は当身を多用するから、って理由よりも
藤平先生から「西尾の合気道は空手なのか柔道なのか分からん」みたいな批判?をされたってことは聞いたことがある。
動画見てると、本部系の動きをよくここまで魔改造したなと思うよ。
斎藤先生がお亡くなりになってから岩間は分かれちゃったけど、
西尾派?はよく合気会に残ったよな。「合気刀法」を名乗る事を禁止されちゃったのにね。
二代目道主先生の頃は本部系でも普通に当身をいれてたなあ。
でも気の流れや相手と気を合わせて一体化するような事に注力した結果
当てを入れるのを後回しにしてしまって次第に省略しちゃった感はあるな。
当身9割じゃなく1割未満になっちゃってるよね。
昔はやっていた四方投げや小手返しでの当ての入れ方。今知らない人って多いよね。 今は当て身すると二段〜三段くらいの人から「そんなのは合気道じゃない!」とか言われたりするからなあ。
岩間系でも合気会に残った一部は省略してるところ多いよ。 >>55西尾系の合気道の人ってめちゃくちゃ技がキレるイメージだ 斎藤先生なんか転換する時だって当て身が入ってたからね。隙があるとこには全て当て身で牽制もしくは一撃与えてから技に移行してた。
武術的にはあれが本来なんだろうね 当身するとって、型に無いことしたらそりゃあ駄目だよ。
当身する型のときに、当身しなくたって駄目だし。 型の中の当て身自体が省略されてるのよ。
まあ、それが合気会の方針なんだろうから。一会員としては、賛否する気もないけどね。 省略されていてもだよ
そもそも省略されているなら理由がある
あるいは省略されているというのか主観なら全然ダメだし いまいち知識がなくて
分からんのだけど開祖は晩年まで岩間で修行してたわけじゃん。その姿を受け継いでるのが斎藤先生。
しかし開祖の晩年の動画見てると気の流れの合気道。
一体何が本当なのか個人的に疑問。
岩間の姿が本来ならば固い合気道になるはずなのだが? 植芝盛平がやりたいようにやってただけだよ
本来の姿なんてないし、岩間は自分のメイン稽古場だということ 当身っていうけど当身を入れるまでの駆け引きを乱取りで稽古しないと意味ないと思います >>62
動画は演武であり、道場での教授風景とは異なるのだろうね。
たとえ大先生が柔かい気の流れで見本を示していたとしても、
教わる側が、動きを理解して固い「型」として解釈、再構成することが出来たか、
そういうことが出来なかったかでも技が異なって来る。
前者の場合、岩間や養神館の動きに近くなる。
合気会にもそう言う動きを残してるところはある。
皇武館では、「型を作ることが出来なかった人は強くなれなかった」そうだ。 開祖晩年の内弟子(故人)に聞いた話では、晩年は当て身ばかりだったとさ。
理合を押さえてるから、小さな動きでポンと当て身を置くと相手が崩れるらしい。
でも時々当たってしまうそうで、そうなると開祖が「君、大丈夫か?ワシの拳は石より固いからのう。」とか言ってたとか。
演武ではそんなのやらんだろうね。ただ寸止めで打ってるだけに見えるだろうし。当てる代わりに相手の眼前で手を振り上げて、間合いを見せるだけで良かったんだろうなあ。 >>607
植芝先生が学んでいたのは、大東流の他に柳生心眼流体術だっけ?
捏造の疑いのある島津氏のやつじゃなくて、江戸伝と言われてる心眼流系列の。
本気で原始の合気道を学びたいのなら、その様な古流を学ばないとダメかもだね。 俺としては、当て身だ投げ極めだというのはその時の間合いで決まるもので、それらのうちのどれかをして「これが合気道だ!」と決めつけるものではないと思う。
あくまでも俺の勝手な考えだが、合気道の本質は「万全な自分を作ること」と「相対的な動きの調和=相手との調和」なのかも、と最近思ってきてて。
それを学習する過程の中に、「当て身の危険性や回避できるかを理解すること」や、所謂固い稽古で「相手の力を外し利用する方法を学ぶこと」があるのであって。
当て身や固い稽古を知ってないと対応出来ないケースが増えるだろうが、だからといってこれらが最重要て訳でもないと思う。 >>68
そこまで学ぶならわざわざ合気道にフィードバックする必要が無い気がする
古武道に専念した方がいいと思う >>68
正解だと思う
指導者としてはその知識の有無が教わる側を納得させる材料になる
ただ今の時代古流や古い合気道を持ち出すと異端児扱いされるけどね >>71
個人的研究の為に習うのは良いかもだけど、合気道の足しにするための腰掛けみたいな態度だと先方にも失礼だしね。
難しいところだよね。
うちにも時々フルコンの人が「競技の足しにしたい」と言って入門してくるけど、だいたいそういう人は
しばらくしたら満足したのかそのまま消えるから、
教え損というか、君の自己満足に付き合わされるこちらの身にもなれと言いたくなる時がある。 遠藤征四郎「大先生の言われる『相手を見ない』とは凝視しないという事。
一つ所に心が留まると目もそこに留まり自分を固めてしまう。目の問題は心の問題です。
技の修業と理=心の修業は稽古の両輪ですが、私達はただ技の修業ばかりやって、それで満足してしまう嫌いがある」
『合気道探究』41号63p この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI エア合気道家で書物を読んで強くなれるタイプじゃないか? 合気道と剣道と地元のなんたらに粘着してる盛岡の荒らしだよ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 古流剣術杖術と合気剣杖違うのは袈裟に斬らないことと中心を狙うが中心を外して生かして生け捕ることとの違いだな。
やはり殺伐としてる 袈裟を太刀取りできるやついないからな。
塩田先生も真っ二つさ。 木村政彦を子供扱いした阿部謙四郎の合気道技術。牛島辰熊も屈辱とした木村vs阿部の試合の全貌を公開します。
https://youtu.be/5uMAkFw_Lug
@YouTubeより >>84
下らない妄想だね。
ほんと著名な柔道家なら何を言っても良いという合気道の風潮はいい加減どうにかした方が良いと思う。 >>82
袈裟の太刀取り出来ない訳じゃない。横面は横に移動する正面打ちなだけだ。 なんか大昔に剣道やってる子供(当時中1だったかな?)に聞いた話だと、剣道の、横面打ちに該当する動作(回りくどい言い方だが、剣道には元来横面打ちは無い、て話らしいのよね。)は縦に当ててる(つまり横からの正面打ち)らしい。
それじゃね? 4月まで・・
稽古自粛になっちまった・・・・・・・・・・・・・
自分の身体は、鈍らない様にするけど、
初心者の人達、教えたこと覚えていてくれるかなあ・・・
せっかく剣の型と、13の杖と31の杖までは教えたのに・・・・・
稽古再開する時には体術解禁になってりゃいいけど。 「お前電話を掛けている時はスキだらけだ。油断そのものじゃ。良いか、たとえ電話一つ掛けるでも、
常にいつ敵が襲って来るか分からないという心構えが姿勢に現れなあかん」
(戦前、当時の内弟子米川成美が道場で電話中、盛平に背後から肩を叩かれ注意された。吉祥丸『植芝盛平伝』 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>85
木村政彦に最後に土をつけた阿部謙四郎が植芝に師事したというのは一応本人の談だよ
イギリスでは合気道教えてた あれ?合気道はいたずらに競い合わないんじゃなかったっけ?
それからしたら誰が誰に土をつけただの投げ飛ばしただの言う事自体おかしくない? >>99
言う事自体おかしいと言うか“あの”木村政彦が(力道山戦除けば)最後に負けた試合だから話題になるだけだよ
阿部本人は晩年に老人ホームで取材受けた時もあれはマグレ、木村政彦はあれから強くなったと謙遜してるし。 >>100
本人がそう言ってるのに、合気道側が「さも「合気道が木村に勝った!」と言わんばかりの喧伝をするのって、どうなんだろうね?
木村さんは勿論、阿部さんに対してもすごく失礼な事してると思うのだけど。
そういう背乗りみたいな事を平気でするところに、未だに合気道が懐疑的な目で見られる要因の一つでもあると思う。 >>101
>>84の動画投稿したのは木村政彦の伝記書いた北大柔道部出身の作家だから
あえてどちら側かというと柔道側だよ >>102
いや、動画投稿の話ではなく、最初にこのスレでその動画を紹介した人のレス内容だよ。
文章だけ読むと、あたかも合気道が木村を子供扱いしたと錯誤しかねない書き方してるでしょ?
そういうとこほについて言ってるんだよね。 >>103
>>84のレス文は作家が投稿した時につけた動画の紹介文のコピペだからあえてどちら側が書いたかというと柔道側だよ >>104
そうなんだ、であるならば俺の勘違いでの書き込み、失礼しました。 塩田剛三「合気道になぜ蹴り技が無いのか?植芝先生が言うには、蹴ると瞬間的に足が一本になる。
その瞬間はとても弱い状態であり、そこを払われたら御仕舞いだと。だから大地から足を上げるのは以ての外だと言うのです」『合気道修行』206p >>106
総合だとタックルくらうから蹴りは注意とか言うけど状況によるだろ。
蹴りは何かと有効 車じゃあないんだから、そんなこと言ってたら動けんよ 堀口がカーフキックだけで勝ったの見てないのか
総合の試合も見ろよ 当身としての蹴りはあるけどね。
膝を使うパターンは結構ある。
でも
>>106
でも大先生が仰ってるから、
中足(上足底)で当てる蹴りは、大先生の技ではなく、師範が工夫した可能性があるかもね。
合気柔術の型には普通に蹴り技あるよね。
両手取りで、蹴りで当ててから技に入る型を見たことがある。
もしかしたら合気道でも伝えているところはあるのかな?
何れにせよ合気道の当ては打突の応酬じゃないから・・ 元大相撲関脇天竜、昭和14年、盛平に挑む「手を掴んだ途端ハッと思いました。まるで鉄棒の様だったのです。
私共は相撲界で色々な事を知ってますから、これはいかんと思いました。もうそれで負けですよ。
両手で力一杯捻ろうとしたらドーンと引っ繰り返されていた」『植芝盛平と合気道1』229p 昔話も大事なんだけどさあ…。
今はどうなの?ていう。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>113
昔話に頼らないといけないのが今の合気道の現状
説得力のある指導をできない指導者は直ぐに気だの訳のわからない宗教論を語り煙に巻く
あと先人の足跡を辿ろうとせずすぐに結果を求める門人が増え過ぎ 稽古自粛で、スレが盛り上がりそうなネタがないんだろうね。 宗教論がわけわからんのは自分の不明だと思わんのかね。 >>117
自分の不明だと言うならわかりやすく教えようとは思わんのかね。 合気道の稽古について、「気」はどういう風に教えられてるのかね?
入門して体の変更(転換)教えてくれた先輩は「指先から、気を出す。指先から力が無限に延びていくイメージ。」て教えてくれたから、「気」てのは身体操作するためのイメージなんだ、と思ってた。
ところが「気の交流」て話が出てくると、ちょっと話が変わってくるんではないか?と。
開祖の言葉で、「相手の目を見てはいけない。気を奪われるからである。(以下略)」てのがあるが。ここでの気は意識や注意の意味に取れるように思うのだが。
そこから考えると、気の交流とは、自分と相手との空気の読み合いというか、目に見えにくい情報の交流のような。 目付は武道の基本だと思う。特に剣術、刀を見ると刃にとらわれてしまう。心を静めてとらわれない為の精神修養的な。
あと視線を投げたい方向に持っていくと技が決まりやすくなったりね。目も武器のひとつというか >>119
わからないなら余計なことを言わない方がいい 口論の末、デカイのに手を出されて腹立ったから首、頸動脈辺りを滅多突き、て感じかなあ。
大量に血が流れてすぐ意識がハッキリしなくなり、死亡?
先ずクダラナイ喧嘩をしないこと
次に、ヤるならナイフを持たせる前に片付けること
最悪、中途半端に標的になるような位置にボーッと突っ立ってないこと?
…とかになるのかなあ。
ヘタに受けてウンタラとか考えてたら危ないね。 合気道最強の技は「自分を殺しに来た相手と友達になること」である。 敵と友になる技は「和」という一文字で表す皇室武道のお家芸です。現代の合気道も受け継ぎ、塩田先生も実践なさっています。
武という字は戈を止めると書きます。本来武力は抑止力であることを意味し、
単純に敵の攻撃を止めるのではなく、攻撃の意思を失わせて敵そのものを消滅させる、【和合】を最終目標とします。 気の交流とか言ってるのは西野流呼吸法のことじゃないか。
合気道とは違うものだぞ。 三千世界一度に開く尻の穴
艮のコロナ神の世になりたぞよ
神が表に現れて三千世界の立替え、立直しを致すぞよ 「武」の文字が矛を止めると解されたのはワリと後の事でね。
最初は「矛を持って戦いに行く」ことを指して作られた、と考えられてるんですわ。
https://okjiten.jp/sp/kanji818.html
気の交流に関しては「武産合気」に書いてあったと思ったが。
とりあえず、ググるとここに書いてあった。
http://oonotomoyuki.chicappa.jp/index.html NetFlixで鬼滅の刃観てたら第八話で主人公が四方投げで投げられるシーンがあった
しかも座り技で >>127
それ読んでなるほどと思った。酸性とアルカリ性の洗剤を混ぜて中和するみたいな。 >>126
>「自分を殺しに来た相手と友達になること」
古いアニメのオープニングだけどズバリこれだな
https://youtu.be/Kvf_Y_HTdls 大先生は、よく鬼一法眼の
「来れば則ち迎へ、去れば則ち送る、対すれば則ち和す。
五五は十なり、二八は十なり、一九は十なり、是を以て和す可し。」
を引用されたそうだ。
元は「六韜」からの引用らしいが詳細は知らん。
これはお客様が来たら玄関先まで出迎え、お帰りになる時は送る
対すれば和す。即ち和とは受身ならず。満を持して迎え撃て。
去る者は追うべからず。対すれば争うべからず。
しかし、「武は愛なり」「我即宇宙」と説く様になってからは上記の説明は
されなくなったとのことだ。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 人を過剰に傷つけない、てイメージが好きな人も多いと思うな。 年取って転んでも骨折して
寝たきりにならなそうだし この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
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https://youtu.be/a6EtwbiLTmI あのうっとおしいのはあぼんにしてるぜみんなもしよう 「強く成りたかったら掴み技の稽古を沢山遣れ」(『植芝盛平と合気道2』96p,斉藤守弘の回想。) この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
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https://youtu.be/a6EtwbiLTmI というか総合で勝ちたかったら総合やれ、でしょ。
正しい努力をしなきゃ。 「合気道は手を持って始めるんじゃない。手を持った時はもう終わりなんだ」(西尾昭二『許す武道』72p
)「触れ合った時は御終いじゃ、手を持たせたら御終いじゃ」 合気道の原型は、おそらく相手の武器を取る・取らせないの技術だったんじゃないかな?と推測。
例えば、腰にある刀を取るとか、抜かせないように手で抑える、それに対する返し技で、取りにきた相手を制するとか。
それらを手を取ることで教え始めるのであって、「素手の喧嘩で手を捕まれた時は…」なんて想定ではもともとなかったんじゃないかな? >>156
何度も既出だけどそうよ
まあ稽古もしやすいし
体づくりにもなるし 合気道は合気道だよ
ダンスに"も"なりうるし武術に"も"なりうる
ある種の学問に"も"なりるし健康体操に"も"なる
いろんな要素が秘められてるわけだ
まぁ他の武道やスポーツなんかにも言えることだけどね この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
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https://youtu.be/a6EtwbiLTmI コロナ時代になって稽古に工夫が必要だな
師範の創意が問われる どれだけ工夫しても、審査が徒手ならコロナ対策できないからな。 春に検査受ける予定だったけどコロナで道場休みになって回数間に合わないや
検査日ずらすとか練習回数に下駄履かすとか救済措置してくれたらいいんだけどな
4月は月末GWで時間あるし >>160
空手だとリモートあるらしいのに、合気道でググってもそれらしいの出てこないよね。 あ、検査× 審査○で。
とにかくコロナ休みのひと月分なんとかしてほしいなってこと。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI ウチの支部はコロナで去年の審査は一切行われなかった。
今年も春の審査は延期。
夏以降は未定・・・・
予定では今頃、有段者が二人ぐらい増えるはずだったんだよな。
だけど審査要件の稽古日数ってどれだけ厳密にしてるのかな?
ウチは、稽古日数は大雑把だけど、技をしっかり覚えてりゃ受けさせるよ。
逆に日数を満たしていても、技を覚えてなかったら受けさせない。 >>168
結構道場によって違うらしいよね。
合気会では本部道場の基準が一応出てるので、それを厳密に守る…て人も居る。 あ、やっぱり?
ウチも稽古日数なんて全然数えてないよ
師範がオッケー、とかまぁ受けてみたらいいさ、とか言われた人はみんな受ける資格あり
特にシニアのみなさんなんていつ御迎え来るかわかんないからぽんぽん受けさせちゃってるよ >>162
俺は昨年春に参段受けるはずだったのが今に
稽古日数と先生から見て大丈夫って言われて稽古再開して体が慣れたら審査やると言われてるけど
今の状況じゃ何時になるか
それに再開しても審査の受けをやってくださる上段者が来るかどうか
とにかく先が見えない 一、己れの心を宇宙万有の活動と調和させる鍛錬。
二、己れの肉体そのものを宇宙万有の活動と調和させる鍛錬。
三、心と肉体とを一つに結ぶ気を、宇宙万有の活動と調和させる鍛錬。
この三つを道場、また平常時々刻々に於いて実行し得た者のみが合気道の士なのである。(吉祥丸『植芝盛平伝』179p) >>172
人の言葉を借りずに自分の言葉で語りなさい この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 稽古が自粛中の間に
うろ覚えの剣杖の型を出来るようにしておこうかな。 合気道の合気、って今更ながらどう言う意味なんだろ? 開祖が愛って言ってるんだからそうなんだろ
最近よく言われてる合気は
塩田剛三が大東流習って身につけたもので
大東流の技 合氣とは愛なりに続く言葉が大事だす。
「合氣とは愛なり。天地の心を以って我が心とし、 万有愛護の大精神を以って自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ。
合氣とは 自己に打ち克ち 敵をして戦う心無からしむ、 否、 敵そのものを無くする絶対的自己完成の道なり、而して 武技は天の理法を体に移し霊肉一体の至上境に至るの業であり道程である。」
愛とは「天意」とも書きます。
上の文章では「天地の心」が愛の意味です。
また、「絶対的自己完成の道」でもあると合気道開祖ははっきりと定義しておられます。 合気って言葉が不明確なんだから、あまり使う気にならないな。
こう言うと「大東流では合気は技術だ」とかの話が出てくるが、見た限り大東流の間でも違いがあるし。 一日七、八時間、年間二千四、五百時間、それくらいは独り稽古をしなければならない。
多田 宏 >>184
稽古の質と種類にもよるが、普通に仕事してたら無理だな。 >>186
激レアさんて番組見てると
世界一になった人は3時間くらいしか寝てないの多いから出来るやろ 睡眠時間が短かったら全ての能力値が下がるから稽古の効率も悪くなるから結局意味無いですよ >>187
世界一になった人間はごく少数なんやから大半は無理やろ。 一人稽古のやり方って決まっていないからねえ。
どれだけ個人で工夫出来るかだよね。 >>127
悪を滅ぼすのはより巨大な悪
と言ってる様にしか聞こえない >>156
今でもその理論でやってるって事は時代に即応してないんじゃない?
Windows10があるのにWindows95を使ってる理由は何? もう昔の人は語るのを辞めた方がいい
晩節を汚す事に繋がる >>192
目的によるな。
現代の格闘技に合わせたいならバージョンアップが必要だし、伝統の保存や健康維持が目的なら必要ない。
合わせが完全に行えるなら、伝統的な技法でも理論的には負けないのだが…現実的に体現できるのかなあ? >>194
伝統の保存なら保存で構わないと思うんだけど、大本営が根拠となる(拠り所となる)考え方を言わないから、個人個人が好き勝手に「合気とはなんぞや」、「真の合気とは」等と言い出して収拾が付かなくなるんだよね。
そうなると伝統の保存どころではなく、ただの合気道ごっこに成り果てる。
というか今の時点でそうなってる。 田村信喜「内弟子の頃、望月稔先生が『君らが今やっているのは本当の合気道じゃない。
私は大先生から『これが合気道じゃ』と教わった事を守って稽古を続けて来た。
戦後大先生が勝手に技を変えられたんだ』と仰って、憤慨しつつも“やはり戦前からの人は違うな”と思いました」『開祖の横顔』217p でも、どちらが洗練されているかというと多分、戦後の神楽舞合気道の方が洗練はされてると思う
こういう発展の仕方してる武道は他に無いという意味で
柔術色が強かった頃の合気武道は 言っちゃうと他所でも似たような事やってる柔術流派はけっこうあるからね >>197
戦前の合気武道の人達と戦後の合気道の人達とは、修行や稽古の目的や取り組み方に大きな変化がありますね。
学生に普及させたりね。
もちろん開祖の考え方吉祥丸先生の考え方によるところが大きいと思います。 洗練してるかどうかは、どの方向性に行きたいか?てのが前提にあって語れるんじゃないか?
少なくとも開祖の著書「武道」(戦前の本)と、二代目の著書「合気道」(戦後初めて一般向けに合気道を紹介した本)では方向性がかなり違う。 健康法としても非合理なやりかたしてますけどね。全部の合気道道場知ってるわけじゃありませんが。
体が柔らかくなると言って合理的では無いやり方で準備運動してますし。
また鍛えると言って何の鍛錬にもなってない準備運動してる所も多いんじゃないでしょうか。 コロナを契機に辞めたらどうですか。
自分で工夫したり豊富な稽古時間取るのは一部の恵まれた人間だけが出来ることで。
毎日睡眠3時間で一流になれた人は生活が出来る可能性があるから睡眠時間削ってやったことで、合気道は食える可能性がないでしょう。 どこかの支部で稽古会主宰してた指導者はコロナで人が来なくなってやっと合気道の会を解散することが出来ると安堵していたそうですが。
武道活動というのは損ばかりするから止めたかったのでしょう。 多田宏「大先生の御教えでは、例えば正面打ちの稽古は、相手の力が真っ直ぐ来るのを意味する。
つまりそれは槍であり、剣であり、短刀であり、蹴りでもあるんです。
ただ手刀で打って来ただけという様な事では無いんです」『植芝盛平と合気道』132p 多田って妄想癖のヤツだよな
組手もしないのに実戦とか言ってる まあ概念というか建前というか
実際は飛び込んでくる剣道高段者の面打ちとかかわせないけどね 私が思うに殆どの人は自分より強い相手には通用しない事をやっているんじゃないでしょうかね なら結局パワーゲームになりますな
力が強いものが勝つだけですな では小さい人間が大きい人間に勝つとかましてや多人数相手にどうこうとか無理も良いとこじゃないですかねえ その無理な事を無理なやり方でやってるのが大多数の人に思えるのですがどうでしょうか 自分よりも強い人に勝てないなんて当たり前。
だから自分が練習して強くなって勝てるようにするんでしょ?
その強くなるのうちには、筋力や体力を鍛えるというのも含まれていると思うのだけど。
「力任せ」と「力が強い」というのは全くの別物と思うけどな。 普通の町道場では自分が強いかどうかなんて解らないのでは?
一生懸命打ち込んでくるオッサンとか一教で抑えられて立ち上がれない癖に「まだ効いてない!」とか言うオッサンとか見てると、ホントは上位者にケチョンケチョンにやられたいのかなあ、この人…とか思うときもある。 一般大多数の人が言ってる勝ちの定義もわからないんですよね >>215
それはそういうものですよ
どんな習い事でも良い道場悪い道場、良い先生悪い先生があるものです >>217
考えが浅い気がしますが。
強くなるには体力や筋力も重要なファクターでしょ。
あたかも技術以外の全ての要素を不純、邪道と捉える考え方が理解出来ないです。 一生懸命打ち込んでくるおっさんはええやんか。立派だ。 >>219
何をもって「勝つ」という概念は分かりませんが、最低限の強さは、例えば無手の輩に襲われたとして、最低限それを捌く、または制圧するだけの強さは欲しいところですよね。
いくら理屈で理論武装しようが、相手が付き合ってくれないと発揮出来ない強さは意味が無いでしょうし。 >>222
私は殆どの人が言ってる強さも勝ちの定義もわからないんですよ
勝ちの定義も強さの定義もないならファクターも何も無いんじゃないでしょうかね >>225
分からないなら絡んでこなければよくないですか?
わざわざ自分から私の書き込みに反応しながら「分からん」は失礼でしょうよ。 >>例えば無手の輩に襲われたとして、最低限それを捌く、または制圧するだけの強さは欲しい
これはあなたの主観なのでわかりません >>225
逆に強くなることを目指さない、上手くなることを目指さないと仮定して、貴方は合気道に何を求めているのでしょうか?
人の考えはそれぞれですが、強くなりたいからそれを目指そうとする事を、貴方のように悟った振りして腐す人間ほど下らない存在は無いと思いますね。 >>227
そうですか、ならいちいち絡まないでくれませんか? >>いくら理屈で理論武装しようが、相手が付き合ってくれないと発揮出来ない強さは意味が無いでしょうし。
何で無手の輩って自分勝手な理屈が出るんでしょうねえ
相手が無手で襲って来て欲しいって願望に付き合ってくれる事を想定してるんですかね? >>230
だから思っていると言ってるだけで、別に貴方に同意を求めてないでしょ。
日本語読めますか? >>228
娯楽、楽しみ、興味ですけども
合気道やって楽しく過ごせれば良いと思ってますが >>232
そうですか。
それは良かったですね。
貴方の楽しい合気道ライフを送れる事をお祈りしてますよ。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 手刀が槍、剣、棒、の打ち込みになるという植芝の説明はもっともだが、実際に武器で本気で打ち込まれたらかわせない、腕を折られる、頭をかちわられて終わりでは。 勝つとか負けるとか…
やることやるしかないからやるのだよ? 例えばイギリスは大東亜戦争で日本相手に散々な目にあいましたが、結局は日本に勝ったんだすよね。
日米の戦いでも戦力的に圧倒的に不利というか弱かったミッドウェイ海戦でアメリカは勝ったんだすよね。
勝つことに強さは必要なことではないのでは? 遥かに戦力、名無しの言う体力筋力に優るアメリカがベトナムにも負けました 歴史上戦力、強さが勝る方が負けた事例なんて大小規模問わずいくらでもあるのに何で武道武術格闘技の人はそれらを重要なファクターだと考えるんですか? >>241
客観的事実を言ってるだけですけど
戦艦大和より遥かに破壊力も重量も無い戦闘機に何も出来ずに一方的にボコられてますけど >>238
確かにマスターの言う事には一理あります。
集団戦の強さと個の強さは、イコールではありませんから。
ただ、一個対一個として正面から戦うとなると、兵法を用いて戦うにしろなんにしろ、鍛えておいて良い事はあっても損ということはありません。 >>242
貴方の主観ですよね。
どうでも良い話です。 >>246
そうなんですか
私は他人の評価なんてどうでも良いんですよね
なにせ一番あてにならない部類の物なので ワテは合気道を弱くても勝てるものとして今までやって来ました。
そうではないと考える人は本当に合気道をやっておられるのか疑問に思いますなあ。 おもしろくないならなんでやってんだよ
面白い その時点でやる価値なんてマックスだろ 猿は馬鹿だから相手にしないのはこの合気道スレの常識。 >>249
弱くても勝てるのは素晴らしい事です。
ただ、これは人それぞれの考えかも知れませんが、合気道をやる事によって、自分を強者の側に移動させる事はどうでしょうか?
弱いままよりも少しでも強くなれた方が良いと思うのですが。 ですから良いとか悪いとかそれは主観なんですよ
あなたが良いと思った事が他人にとって良い事とは限らないです、どうでも良い事かもしれませんし
強さとやらを維持するにはそれなりのコストもかかるんですよ アメリカなんてそうですね、軍事コストがかかり過ぎるので10年前に軍縮に転換したんですよ 勝つって何?
答)結果として、より大きな利を得る事 合気道スレは用語の定義話になってくるとつまらないからな >>257
具体的に何の利でしょうか
所でこのままでは将来的に世界の覇権は高確率で中国が握ります
そうなったときに今までと同じ価値観や思想だと殆どの人は負けになるんですよね
考え方を転換出来る人はどの位いるんでしょうかねえ >>213
勝つ、が分からないのに
この発言はないんじゃないですか? 勝つ・負ける、という二元論に逃げる傾向がありますよね、こういう理屈だけでものを考えてる変人って。
やっていれば強くなる、という事はそんな特別な話ではないはずなのですが、なんでそんなに拒否反応を起こすのか皆目意味不明です。 >>260
この名無しに対するレスですけど
210 名無しさん@一本勝ち (アタマイタイーW ea2d-OSrb) sage ▼ 2021/02/02(火) 18:08:46.73 ID:rA5Rdvmh00202 [1回目]
自分より強い相手には通用しないやろ
211 猿田 ◆Ejx2kUjl4SWh (アタマイタイー 895c-qfCY) sage ▼ 2021/02/02(火) 18:10:17.95 ID:DC3PuimZ00202 [3回目]
なら結局パワーゲームになりますな
力が強いものが勝つだけですな
212 名無しさん@一本勝ち (アタマイタイーW ea2d-OSrb) sage ▼ 2021/02/02(火) 18:47:20.22 ID:rA5Rdvmh00202 [2回目]
そりゃそうです。技が同じなら。
213 猿田 ◆Ejx2kUjl4SWh (アタマイタイー 895c-qfCY) sage ▼ 2021/02/02(火) 18:56:17.81 ID:DC3PuimZ00202 [4回目]
では小さい人間が大きい人間に勝つとかましてや多人数相手にどうこうとか無理も良いとこじゃないですかねえ >>なんでそんなに拒否反応を起こす
拒否反応を起こすってレスが意味不明なんですよ >>259
人や状況や時代、様々な要因で
利は形を変えるでしょう。具体的な利なんてどう答えろと? 結局強くなれない自分から目をそらす為に屁理屈言ってるだけのチキン野郎にしか見えないですね、お猿さんは。
まぁそうやってヘタレな自分を慰めるにはそれでも良いんでしょうけどね。 >>264
頭が悪いのでわかりません
人や状況や時代、様々な要因の具体例をお願いします >>265
あなたにヘタレとか思われようがどうでも良いんですよ
それに私を強いって言う人もいますし、だから人の評価なんて当てにならないのです 急に進んだから何かと思えばお猿タン祭り?
あぼーんしてるから何喚いてるか知らんけど、しといて良かった。 >>266
貴方は砂漠で迷子になって干上がっています。
水か大金か、もし選べるとしたら今あなたが欲しい物はどちら? >>269
さあ?それだけの情報量だけじゃなんとも 強くなるために書道始めるやついるか?
強くなるために体操始めるやついるか?
合気道ってジャンルとしてはそっち系に近いんじゃないかな
偶然たまたま武術から産まれたってだけでさ >>270
あなたはどうでもいい、とよく仰いますが
執着心の固まりですな。
十分な情報量ですよ? >>272
どうでも良いって言ってるのは他人の評価なんですけど
「アテにならない」ので
どこが十分な情報量かわかりません
両方欲しいで終わりじゃないですかね 開祖や武田惣角が一般的に「強い、力がある」と
思われてたのはそうだろ
今の合気道はその時代とは違うものになったが >>273
利が形をかえる具体例としては十分です。 >>275
それなら普通の商売でも転売でも良くないですかね
サービスが金に変わったりしてますけど あとまあ筋トレやランニング等で体力をつけるのはいいことだろ
ただしそれが合気道に役立つかは難しい >>277
例えばALSの人が筋トレしても何の意味もないどころかマイナスにしかならないんですよ
良い事ばかりだとは限りませんよ >>277
目的があって取り組んでるなら”条件付き”で役には立つでしょ。
週一の道場稽古だけでそれ以外に何も鍛錬していない人よりかは上手くなるよ。 やらないよりやった方が良い。
けど世の中、猿田みたいな出来ないくせに偉そうな馬鹿が、やる人間を訳知り顔で小馬鹿にしたりするのが常だから、ああいう馬鹿には付き合わない方が良い。 猿田は、ベトコンがアメリカ兵にトラップ仕掛けて勝ったから合気道も鍛える必要は無い、とかキチガイみたいな理論を展開してるわけか。 >>235
その通りだね。
だからこそ武器には武器という話なわけだし。
そういうつもりで練習しろという心構えに対しての話だろうね。
だからいくら手で打ち掛かってきているとはいえ、のんべんだらりんとやるのではなく、本気で避けなさいよ、抑えなさいよ、という。 トラップが合気道でもある。使う人次第で成功も失敗もする。多く成功させるものが名人であり失敗しない人は達人である。 >>271
言いたい事は分かる。
確かに現状の合気道は仰るとおり。
ただ、肝心の合気道があくまで「武道・武術」を標榜して「力の弱い方や女性でも強くなれますよ」と、体力弱者でも強くなれるからおいでなさいと言っているからタチが悪いというか。
それでいて、都合の良い時だけ「イタズラに争う事をしない」と言って強さから逃げる。
合気道の言い草に騙されて強くなりたくて入ってきた人を今更否定する事は出来ないだろうから、自縄自縛状態に陥ってるという感じ。 >>284
その理屈は分からんでもないが、トラップさえあれば鍛える必要は無いとは言えないだろうね。
猿田みたいに、そもそも自分が一方的にトラップ仕掛ける側に立っている条件というのがご都合主義だよ。 >>285
> ただ、肝心の合気道があくまで「武道・武術」を標榜して
確かに合気道は武道です。が、
>「力の弱い方や女性でも強くなれますよ」と、体力弱者でも強くなれるからおいでなさいと言っている
これは事実でしょうか。
合気道開祖は米糠3合持てれば出来るとおっしゃいましたが、強くなれるとおっしゃったかどうか。
またワテは強くなれるなどと言って勧誘するのを見たことはないだす。
合気会本部も強くなれると言っていますか?
猿はんも強くなろうとしてワテに習いに来たのではありまへん。 >>285
それは弟子を集めるために仕方がないよ。やらないよりは強くなるから嘘ではないしね。
どんなに強くても弟子は集まらないからね。
合気道の強さに関しては
https://youtu.be/Qg6ijTVH4Z0
MMAのトレーニング動画を見て欲しいんだけど
君たちの師匠や先輩や有段者は動画の主に勝てると思うかい?
結局はパワーとスピードなんだよ。
合気道はウェイトトレーニングを取り入れれば誰も弱いなんて言わなくなるだろうね。
柔道合気道ならパワー重視だし剣道合気道ならスピード重視になるだろうね。
まあ剣道合気道の方が剣術から派生した大東流の流れを考えると
いいかもしれないね。 >>287
斎藤先生が確か
固い稽古をしないと強くなれない
的な事言ってませんでしたかね? >>287
米ぬか三合持てばできるのはなぜかというと全身のパワーを一点に集中
させることができれば腕力がなくても良いという意味だろうけど
全身のパワーを一点に集中させるには体を激しい動きの中でも一本に繋げないといけなくて
とても難しいんだよね。 >>289
固い稽古というのは、楷書という意味と解釈してワテのとこでもやります。 >>289
開祖も言っていたよな。わしは60年固い稽古をして今があると。
固い稽古をして力の流れを理解しないと自己の力を集中させて敵に作用させることも
敵の力の作用を無効化することもできないのだろうね。
力の流れの別の表現が気の流れだろうな >>290
> 米ぬか三合持てばできるのはなぜかというと全身のパワーを一点に集中
ワテのとこでは集中よりも体まんべんなく分散が必要としてます。 >>292
初心の頃の固い稽古は必要だすな。
真の柔らかさを知るにはまず固さを知らねばなりません。 >>291
いえ、今問題にしてるのは
強くなれない
の部分です。 >>288
強くなれるよと謳う事自体は別に良いと思ってるんですよ。
ただその肝心の強くなれるという土壌が合気道には不足ひているというか、猿田みたいなアホが強くなろうとする者を見当違いな意見で否定する奴が多い、というのが合気道の現状ではないかと。
で、そういう連中がパワーゲームだと揶揄している柔道や総合は如何なものかというと、逆に真摯に強くなるための練習に勤しんで、合気道以上に技術が高い、という感じですよね。
特に猿田みたいに柔道を力任せとか馬鹿なこと言ってますが、あれ程技術に裏打ちされた競技はなかなか無いと思います。 >>296
> 特に猿田みたいに柔道を力任せとか馬鹿なこと言ってますが、
ほう。猿田はん、そんなこと言うたんだすか?
だとしたらそれはあきまへんなあ。
他の武道が強くなるために鍛えたりするのは構わないだすよ。
合気道で強くなろうとすることは本来の目的ではないというだけなんだすから。 >>295
> いえ、今問題にしてるのは
> 強くなれない
> の部分
斉藤先生が強くなれないと言ったかどうか、ワテは知りまへん。 >>296
同感ですね。
格闘技ジムに通うと、技術も練習メニューも良く出来てるし、コーチのアドバイスも上手いなぁと感じます。
こんなのが出てきたら、今まであった道場も人が減りそうです。
合気道は、言葉は悪いですが、のび太君のような人達向けなんだと思います。
体力も反射神経も乏しい、気の優しい人向けで。
0点だったのが、30点になるだけでも凄い事ですから。
そんな受け皿も世の中には、あっていいのではないかと思います。 >>299
> 合気道は、言葉は悪いですが、のび太君のような人達向けなんだと思います。
> 体力も反射神経も乏しい、気の優しい人
まさにワテだすな。(笑)
> そんな受け皿も世の中には、あっていいのではないかと思います。
同感だす。 .>>特に猿田みたいに柔道を力任せとか馬鹿なこと言ってますが
その書き込みをどうぞ
書いてない事まで捏造するとか朝日新聞ですかねえ >>301
え、言ってないのだすか。
まあ個人見解だからどうでもよいと言えばそうなんだすが。
合気道で強くなれるとかいう話も、誰かの個人的見解、もしくは5ちゃん名無しの捏造なのかもだすなあ。
ワテは合気道に関わって三十年、師範たる人の誰からも聞いたことがおまへん。 5chは先入観と勝手な思い込みで書き込みしてる人が多いように思いますなあ >>303
ほとんど名無しの落書きだすから仕方が無いだすけどな。 いわゆる格闘技術的に強くなりたい人って
本人が気がついていたりいなかったりするけど強くなくっちゃいけない理由があると思うんだよね。
そういう切実な人から見たら合気道って最強とか言う人がいる割に、ぬるいことやってるなあってんで噛みつきたくなるのもなんとなくわかる。
だけど合気道の稽古も10何年もやると合気道の真髄ってそういうところではないということもわかってくるんだけど
それがわかんない人とは悲しいんだけど全く話が通じないよね。
「愛は地球を救う」って言われて「じゃあ愛っていう概念で核ミサイルを防いでみろよ」とか言われても「あ、はい。」ってなるよね。 強くなるのも維持するのも結構なコストがかかるんですよ
なりたくてもコスト払えないからなれない人も居るでしょう
そこら辺どう考えてんでしょうかねえ >>306
> 強くなるのも維持するのも結構なコストがかかるんですよ
> なりたくてもコスト払えないからなれない人も居るでしょう
まあ永遠に強くなり続けるというのは無理なことだすよね。
いつかはやめなきゃいけない。
またなんのために、何を目的に強くなろうとするかも人それぞれで違う。
強くなりたい人は、個人的にそれぞれの目的や用途に合った武道なり武術なり格闘技等をやればいいと思いますな。
個人的目的のために合気道全体を変えようなんてことはしないで。 >>213
柔術は大男が小男を狙うと
逆に不利な事あるだろ みんなマジに何の話をしてるんだ。宇宙の話したいの?
道場稽古と対人の話したいの?こういうのは言葉の定義じゃなくて環境に対してどうしたみたいな風に進めた方がましよ?
哲学やりたいなら、合気道哲学スレつくればいいよ?それも楽しいよ >>309
合気道って柔術なんですかね?
そうだったらガバガバな気がしますけど 望月師範が無いと言った稽古を考えたりやらなきゃいけないのかと考えるのが迷走合気道関係の特徴だな。
無くなったもの死んだものは生き返らない復活しないんだよ。
お前ら合気道関係って新興宗教ナントカの塔の信者に似ているね。
ああ、植芝盛平は宗教家でしたよね。 合気道ってものの範囲が広すぎて、極論すると何でも合気道になっちゃうんだよな。
だから、ある程度行ったら、自分の思うところに進む…つーか、我が道を進むしかなくなるんじゃないか?
他人を気にせず、比較せず。
自分の合気道に取り組めばエエんじゃないの? そうそう
他人の評価を気にしがちになるので段やら級とかやめたら良いと個人的に思うんですよね 若松町の道場にないなら60年固い稽古が出来ないでしょう。
なんで戦前の話ばかりあげてるの。
習えない懐古ノスタルジーばかり考えているのか。
柳生心眼流等の古武道でもやれば当身の稽古法はあるし疑問は出ないし安心出来ますよ。
あんたら合気道関係っていうのは趣味で疑問が出たり悩んだり普段考えたり戦前の情報を聞いていたり、よっぽど仕事が楽か暇か若しくは学生さんなのかな。 合気道10年と
総合格闘技10年じゃ
多分後者が強くなる 合気道十年やったからって総合が出来るようにはなりませんし、総合を十年やったからって合気道が出来るようにはならないでしょ まあでもその辺でやるような喧嘩は総合のほうが勝てるようになる、というだけのこと。 その辺でやるような喧嘩に勝てるとか殆どの人に必要な能力なんですかねえ 日本って殴られた方が得な社会なわけなんですよ
殴られて倒れて頭打って死んだり植物人間になったりしない限り 合気道の剣というのがあって型を稽古しているようだが古流のように細い竹切りしたり巻き藁切ったり等、なにもしないで動くだけだろう。
何か切れるくらいに刃筋が立っていないと
古流柔術で手刀、拳当身なり出来るようにならないのだが。
古流の杖術でも分厚い湯呑みを台に置いて1寸の距離から全身の力を集めて打って割る人が今でもいるくらいだ。
距離を開けて小手でも打てば簡単に骨折するレベルです。
木刀の棟に杖を着けてサッとこせらせると受が木刀を落としてしまう技を持つ人もいる。
合気道というのは凄い技の人がいない。
指導者が要求していないからだろう。
定番なのが合気道の若いのが自分で体を鍛えればいいと考えたりすること。
稽古法がないからだね。
合気道の杖で打ったり杖端で突いたりして効きそうもない、人間を倒せる実感が湧かないでしょう。
欠陥武道だと気づくことだね。 実感の沸く練習方法もあるが、それを求める人が多くはないからなあ。
目的が違うのに欠陥だと言われても、苦笑するしかないな。 ここは合気道やってない人が合気道を腐すスレだしたっけ? 徒手でも武器でも確実に相手に当たる=有効打を教えれる指導者は少ないかも
演武見てても受けありきで打ち込んで投げられに行ってる人が多い
またそれに技を仕掛けてドヤ顔してる人が増えた 合気道についていけなくて辞めた人が、
合気道の不満を書くスレじゃないか?
これで強くなれるのか?と疑問を抱き、
筋トレやランニングを始め、他の武道や格闘技を調べ、
その結果、転向してしまったよ。 ってゆーか全日本とか明らかに技かかってないのにそのまま通す人大杉 >>328
> ってゆーか全日本とか明らかに技かかってないのにそのまま通す人大杉
だって演武でしょ。
演武ってぶっちゃけ踊りですよ。 藤田昌武「最近水泳の事を思い出して『合気道って空気の水泳みたいだな』と思う様になったんですよ。
相手が来てもぶつからないで受け流す事が出来れば、空気の中を泳ぐ様なものだと。
水の中では動かなければ沈むでしょう。合気道も止まったら相手にやられてしまうんです」『開祖の横顔』49p この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 合気道を腐すひとはよっぽど合気道に強い幻想を持って裏切られたんでしょうかね。
わざわざここ来て書き込むあたり強い執着を感じますな。
いずれにせよ合気道の是非の論よりも、書き込んでいるひとの個人的な問題の方が浮き彫りになってて興味深いですね。 >>201
いやいや激レアさんで世界一になる人達は
殆ど後先考えずにやりたい事をやって
後から仕事になるんだよw
4つ足で走る世界一とかも出てた 野球の投球、バッティングでプロが草野球相手なら手加減出来てプレー出来ますよね。
剣、棒でも斬れる打って倒れる腕前なら留太刀出来るのです。
無傷で捕り抑えるならかなりの腕前にならないと出来ないのですよ。
それをすっ飛ばして最初から捕り抑えるのを目指しましょうというのは出来るはずはない。
ちょっと考えてわかることがそのままなら組織的にあんたら門下生は月謝払って考えたりしないでいい、気づかないでそのまま昇段審査受け続けて金払っていってくださということですよ。 >336さんから見れば、我々道場生は合気道というインチキ武道に騙されてるので
早く目を覚まして欲しいと親切で進言くださってるのですね。
そのお気持ちだけはありがたく受け取っておきます。 >>336
> それをすっ飛ばして最初から捕り抑えるのを目指しましょうというのは出来るはずはない。
そんなことを考えてる人は合気道にはまずいてまへん。
> ちょっと考えてわかることがそのままなら
へいへい。
ちょっと考えんでもわかってます。
ご心配なく、合気道を知らんお方。 道場行って誰かに話聞いてみな。
ほとんどの人が武器取りを実際にやろうとは考えてないから。 >>321
必要ないですけど、必要性は大して関係ないですね 塩田などどうみても植芝盛平から免状もらった大東流なのに弟子は大東流を習えなくてその他塩田が記録していた自己鍛練もまったく習えなくて使えないからキックボクシングと混ぜたりして試合をするように変えた師範も出たでしょう。
塩田は修行時代に年がら年中試合をしてないのです。
何で試合してないのにあのような技になったかわからなくて型しか習えなかったから秘密を探るような試行錯誤でしょう。
武田惣角の稽古していた武芸が全部は判明していないように塩田が秘密にしていたものは一生わからないでしょうね。 合気道家で塩田先生しか思いつかないような、
しかも平気で呼び捨てにして悦に入ってるような輩は
ニワカか
ろくでもない道場の人
合気道やったことない人
の何れかだろうから、透明あぼーんしときゃいいですよ。 >>344
> 透明あぼーんしときゃいいですよ。
名無しやハンドルコロコロでは無理だすよ。 養神館と言えば塩田孫スレに香ばしいのが粘着していて面白いな >>342
剛三は60超えた辺りで大東流習いに行ってたそうだけど 呼吸法や具体的な精神集中の科学とも言える行法を若い時に身につければ、後でそれが全てに活かされて出てくる。
これは身体運動だけを行っている人間には判らない世界だ。
多田 宏 >>349
そういう物の凄い所を実際に見てみたいんですよね。
動画などは無いんですか? >>350
身体運動だけをやってる人は見てもわからないそうだすよ。 >>352
> 身体動作
身体運動だす。
なんのことやらワテにはわかりまへん。 天風ヨガ行法を習って断食道場に通っていた師範だ。
弟子が同じ修行をして他の師範弟子と違う効果が出ていれば優位性の証明になるが、出てなければただヨガやって腹をすかして我慢して断食やっただけだね。
人生で行うことは効果、結果が出ない人が多いので。
合気道も籍置いていれば稽古は何十年と出来るが結果出ない人がほとんど。
稽古している自分が好きなだけでサンボ、柔道、MMA、レスリング、中国シュワイジャオには組み着かれたらやられてしまうだろう。 >>357
行法なるものを身に着けてない人のやってることは全て身体運動だけしかやってないということなんだすやろな。 素直に大本に行って植芝翁が習った行でもやればいいのに天風に行ったのは国家反逆の宗教団体だったので合気道の指導者になる者が行けばまずかったからでしょう。
植芝翁の行は地方の人が継承してやっていたが、1つが二時間かかり何種類もあるから出来るようなものではない。
東京ではそれをやれば合気道を普及出来ないからすべて排除したとか。
剣法も排除した経緯を当事者に直接聞いたけどすべてが合気道生徒獲得のためだね。 >>359
多田師範のいう行法とは植芝流行法とは別物ということだすな。 >>358
まぁ90歳過ぎた高齢で、演武も指導も出来ているなら、
達者なご老人と言えますから、
>>349の言う通りなのかもしれませんね。 >>361
行法とかやってないワテにはどうでもええ話だすわ。 https://youtu.be/7EAuLL9n42s
この頃ってキレキレだよなあ。
絶対受けは取りたくないw
アクションって現実に寄せた演武と考えればこんだけ出来れば充分だろ。 この合気道師範とマス大山の修行時代の稽古時間は同じだが、時代が異なり空手、合気道を通い稽古趣味で行う生徒には無関係のことです。 >>359
剣法わざと排除したのか?
黒帯限定でもちゃんとやれば良かったのに >>363
でもそんなに上手くないよな
明らかに受けのアクションで見せている >365
茨城に東京から幹部が派遣されて通告に来たのです。
こちらとしては剣があると迷惑なので排除するからと。
顛末は詳しくは書けないが合気道も商売ですから。
本当はもっとひどい発言をしましたけど。
合気道というのは愛もなく情もない武道です。 昔からキレキレって意味わからないんですよね。
オノマトペですら無いでしょ。 剣法そのものより斎藤先生と本部とのごたごたの理由に剣法が使われた感じがするんですがどうなんでしょ。 肩取りと、肩取り正面打ちの肩の持ち方ですが、皆さんどう違いをだしていますか? ヨガを取り入れて技が変ったと語ってるのは
藤平先生が有名だし動画もありますよ 意外とここの人ってこんな有名な人も知らないのね
藤平さんは植芝翁が「力を入れろ」といっていたのをウソだと断言して
「藤平のヤツ、バラしおって」と翁に言わせたらしいです ヨガの修行で命の助かった
中村天風の教えだから
ヨガで良いのか 藤平先生がヨガを学んで技に効果が出ました、それでは現代の人が効果が出る保証がありますかね。
通えて合気道、ヨガそれぞれ一週間に一回くらいでしょう。
藤平先生は忙しく働いていましたか。
他の植芝盛平の弟子もみんな金持ちの息子ですよ。
阿部正しかり。
何で自分に関係のない役に立たない知識ばかり覚えるのか合気道関係者のことが理解できないのですが。
メガネかけて体がヒョロイのが本ばかり読み漁っているのでは。 それを言ったら一般人プロの総合格闘家との対戦を想定する方がよほど
不必要な想定だと思うんですがね 合気剣の話はいろいろメンドクサくて、ね…。
開祖自身の剣術修行の中で、現在、いわゆる合気剣とされてるものは、開祖が岩間に隠居のカタチで引っ越してから研究したものなので。本部の人たちがあまり知らなかったんだよな。
戦前には皇武会(後の合気会)に剣道部があったらしいが。独立した部がある、てことはやってない人も居るわけで。
「合気道は剣の理」と言いながら、「素手での合気道に精通すれば、剣を持てば合気剣に、杖を持てば合気杖になる」とか二代目も書いてるし、わざわざ合気剣を学ばなくても良い、て考え方をしてるのが見える。
塩田剛三先生の著書には開祖に九段を貰ったとき、「体術は出来るが武器技の修練が足りないから九段をやろう」て言われた…てな話があり、そこから考えれば武器技は重要な項目のハズで、剣を学ばなくて良いという考え方は開祖の意向とは反しそうなものだが。
本部にはもともと、中心となって全世界に合気道を広めたい、て思惑があり。それに合気剣を加えるにはいろいろ無理があったんだろうな、と推察。 藤平氏も斉藤氏もそうだけど本部は合気道をスピリチュアルな方向に持っていきたくなかった
科学で説明できる合理的なもんですよ、と
なので合気会系はあまり気とか合気とかいわないんですわ 海外に合気道を広める思惑の中で本部にとっては合気剣が邪魔だったのかどうか・・・
でも海外の人達って日本人よりも合気剣杖を求めてたりしていないか?
動画検索すると海外の方が武器技見つけやすいんだよね。
日本じゃあまり知られていない貴重な剣の型が見つかったりする。 天風翁のヨガは今一般に学ばれてるハタヨガとは違う。
藤平師の氣も元々神々の名前を列挙しなくても合気道を学べるよう脱神道臭のための工夫。
今どきの観念でいろいろ類推すると取り違えるよ。 斉藤先生は翁から剣も伝授された、というんですが
それは翁が晩年完成させたもので誰も、それが本当に開祖の剣なのか確認しようがないからですね
伝授されたのは斉藤氏一人?かもしれない。
海外のクリスティアン・ティシエ先生などは別途剣術を習ったのかな ウチも普通に剣杖やってる。審査には出ないけどね。
特に今は、コロナのせいで非接触稽古ばっかりになちゃたから
剣杖使わないと出来る稽古がない。
少年部は別にして、全く剣杖やらない所の方が珍しいんじゃないの? 公民館や教室を借りてるタイプのとこは武器がそもそも置いてなかったりする 本部道場の審査項目に武器技は入ってないんだよね。
武器技は体術より誤魔化しが効かないから、原理を学ぶには良いと思うのだが。
合気のアイは慈愛のアイ、合気道は人を傷つけない…とかの話をどこかで聞いたりするが。日本刀で斬り合うカタチを示しながらそれらを説くのもメンドクサくね?
戦後の焼け野原見て、皇居の前で涙した二代目が。「日本は敗戦したが、ダメな国なんかじゃない!俺が証明してやる!こんなに優れたものがあるんだと、世界に広げてやる!」と考えて、開祖の意向に逆らって合気道の公開を決めた…て経緯がある。
道着一枚で稽古できる、とした方がハードルは下がるだろう。
開祖の一投必殺だった技を、広めるには都合が悪いからと毒のないカタチに改編する過程で、武器技を省略する…てのも解らなくはないのでは。
別に武器技を否定してはいないので、やりたい人はやれば良いんじゃね?てのが本部の立場なんじゃないかなあ?
海外では刀てのはサムライぽいし、剣と素手の技が共通する、てのが興味深いし。むしろ武器技をやらないと手の動きが説明しにくい、てのもあってやってるところが多いんじゃないかな? 畳が傷つくからそもそも柔道場での道具使用は原則禁止という体育館も多いしね
合気剣はいいんだけど・・ ただ、将来的に古流剣術を本格的に学ぶ意思があるなら
場合によっては嫌気される場合がある事は頭のどこかに入れといていいかもな
純血主義で厳しい所だと、二股と判定されたら会から除名処分てところもあるから
合気道は割かし多神教で緩いけど、 他所は一神教の所も多いからな・・ >>382
開祖晩年の内弟子に習ったが、斎藤先生と同じような武器技を学んでるので、開祖の剣なのは間違いないのでは?
まあ、十三の杖にはもっと続きがあったけど、忘れてしまった…と斎藤先生ご自身が仰ってるし。
組み杖とかも学習しやすいように改編されてる…つーか三十一の組み杖は斎藤先生が作ったものだし。
斎藤先生の技の全てが開祖のものか、と言われれば、肯定はしかねるけどね。 三十一の杖の原型となる型は実は藤平先生がされていたものだった、と、
過去スレに書いてあったな。
ソースは合気ニュースらしいんだが、俺はその記事が載ってる号はもってないんだ。
心身統一の人はそのあたりの事情に詳しくないかな?
もしかしたら、本部に残っていた武器技は、藤平先生が合気会から離脱した時に教える人がいなくなっちゃったのだろうか??
杖に関しては、基本素振り(突き五本、片手三本、八双五本、打ち五本、流れ返し三本)
なんかは岩間以前からやってたかもしれない。
っていうのは、斎藤先生の先輩に当たる戦前からの内弟子師範(故人)が
普通にやってたんだよね。
でも三十一の杖なんかは、されなかった。 >>389
> 杖に関しては、基本素振り(突き五本、片手三本、八双五本、打ち五本、流れ返し三本)
流れ返し 三本 じゃなくて 二本でした。・・ 杖の型は最初14の動作、後に22に改定されまとめたのは藤平先生、
齋藤先生も最初に習ったのは藤平先生から、後に自分が教えやすいように31の型に再構成。
心身統一では独立後もう一つ22の動作からなる杖型を制定。剣杖は初心者から習う。 杖の型は無限にある、て開祖晩年の内弟子の人が言ってたな。
開祖自身がその場その場で作っていたのかも。武産合気て概念そのものが、その場に応じて技を産み出すことを指してるし。 精神統一というかリラックスって物凄く合気道に役立つと思う >>393
同意。力が抜けてないと上手くいかないことが多いね。
人を相手にしてるときに力を抜く、てのがなかなか難しい。 >>389
剣技1、剣技2、杖技1、杖技2、という一連の一人型でやる。
あとは剣取りとか杖投げの技もやる。
ただ二人組んでの技はやらない。
それは斎藤先生の動画見て初めて知ったよ。 >>395
剣技1って興味深い。
合気会系の四方切り八方切りと体捌きが似ているな。
最後に三百六十度回る動きは多田先生も演武でよくやってるよね。
杖は三十一の杖と流れが似ている。やはり藤平先生の杖が原型だと納得。
ちょっと話がズレるが
鹿島神流の國井善弥師範が四方切り八方切りに似た?(同じ?)動きをしている。
https://www.youtube.com/watch?v=s8pUXSsI-x0&t=4s >>381
ですね
ヨガと1括りに言うのは
空手を習ったけどどこの流派?的にだいぶ違う話になる >>377
塩田と藤平の差が武器術なら
一応心身統一の剣と、杖が
10段要素って事であれで良いんかね? >>398
実は開祖ってテキトーに十段あげてる時もあるらしくってね。
お世話になったから、とか諸々の理由で。
塩田剛三先生が九段貰った話にも実は裏話があるのだが…誰が見てるか解らないこんなところには書けん。当然否定したい人も居るし、知ってる人もそんなことワザワザ公表したりしないから、信じるか信じないかは貴方の気持ち次第。 >>401
悪いが書けん。
ヒントとしては、塩田剛三先生が九段を受けたのは、昭和36年の合気神社だった、てこと。ちなみに養神館立ち上げは昭和31年。 >>403
開祖的に見たらそうかもな。
貰う側からしたら、要望はあった。
それを繋ぎ合わせられる人もいた。
合気会が段位制度を確立したのは昭和38年からで、それまでは開祖の意見が中心。ぶっちゃけ開祖の気持ち次第だったのよ。 まあ数年前に独立してて?
開祖の変化した合気道とも別物みたいな思いもあっただろうし
開祖は、あげたくは無かったんだろなw >>405
誤解があるかもしれないから書いとくが。塩田先生の独立を、当初、二代道主吉祥丸先生は「合気道発展のためには良いことだ」と思ってたらしい。
態度を硬化させるのは、後にメディアで「植芝家はもうおしまい。時代は塩田だ」と書かれたこと…と二代目の著書にある。
開祖も養神館に訪れたことがあるようだし、斎藤守弘先生も本部での稽古のあと養神館に行ってたらしいので、あの世代の絆はそう軽くはない。
三代目はそういうのを拒否したみたいだが。 >>406
2代目は広く広める才能はあったけど
合気道はイマイチだっそうだしなあ
養神館調べたら警視庁から毎年、柔・剣道三段以上の選び抜かれた10名の人材が研究生として
養神館に派遣され、一年間修行を修めた後、警視庁にてSP要員の資格を得ることができます。
なんてあるね >>407
もともと開祖自身がそれなりの実力者でないと入門させなかった(とはいえ皇族とか大本教関係者は入門させてたようだが。)らしく、その基準はおおむね他武道二〜三段だったらしいね。
一般生徒を募集するには不向きな設定だが、警察内でプロフェッショナルな合気道経験者を育てるにはそのくらいのハードルは必要だったんじゃないの? >>408
そりゃ警察柔道で鍛えた奴からすればワンアクセントとしてやる分には良いのかもな。
けど合気道単体では役をなさないと思うぞ。
機動隊でやってるのも、相手をブチのめしのめした後に連行術で程度で別に合気道の技使って相手を倒してるわけではないらしいしな。 >>409
その辺は警察の担当者がどう考えたか、て内容だからなんとも。
ただまあ、合気会岩間系の俺としては、警察や軍隊のように相手に対し積極的に仕掛けることやると、普段よく目にする合気道の動きにはならんわな…とは思うなあ。 「軍隊時代は演習行軍で落伍する兵2〜3人分の重装備をわしが背負ってやる。入隊前山で鍛え抜いたから平気じゃ
。十里行軍ではいつもわしが先頭で最後は軽装備な小隊長との競争じゃ。
ノモンハンで活躍し中将までなった村田という方じゃったが、随分可愛がって貰ったよ」『植芝盛平伝』65p 三密があけたときの布石は打って置かないといけない。 >>351
誤解のないように申し上げますと、それはtwitterのbotをやっている人が勝手に言っているだけで、多田先生の実際の言葉ではありません。
身体の表面的な動きだけを追っていると分からない場合があるということを多田先生はおっしゃています。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 応答が無いな。まあいいか。
Twitterから。
https://twitter.com/MasatoTomioka12/status/997151331260416000?s=20
思ったよりは悪くない。が、総合格闘技的なものをやりたいならやはり経験値が不足。まあ、それを何とかしたいから参加したんだろうけど。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>420
他の格闘技や武道に対して有効かどうか?を試す志しや勇気は立派だとは思う。
が、『格闘技系に使えます…と示すことで合気道人口を増やそう』てな動機だったからなあ。
所属してた合気会とは方向性が合わないだろうから、良し悪しあるんじゃないの? 伝統的な合気道からあくまでも離れないものながら、魅せるキレが良いな…と思わせるのはティシェ師範かな?
https://youtu.be/8yjp8YgHqB0 技以前に礼法出来てないし
俺は技だけできれば良いんだ的なのは嫌い マススパに参加するだけで立派って言われるって・・・ そのマススパ会に参加されてる方は皆立派ですよね?
では参加してない人は立派じゃないんですか?それは何故ですか? 〇〇やるだけで立派って言われるって…
みたいな事をわざわざ言う心根がしょうもない >>430
詭弁を弄して楽しいんですか?
〇〇していることは立派というと、してない人は立派じゃないなんて、誰が言ったんですか?
あなたしか、言ってないのでは? 私の心根がしょうもないとか言う中傷はどうでも良いのですがマススパに参加する事が立派だと言う理由に興味があるのですよ >>433
合気道会で他流とスパー含めた交流やってる人はそれほど多くないですね。
少ない中、それをやる精神はとても立派だと思いますよー。 >>434
この合気道スレですらオフ会とか聞きませんからな 本人たちが楽しみでやってるのに立派って感覚がわからないんですよねー、主観ですけども >>435
もちろんそれぞれがご自分にできることをされるということで、それはそれで良いと思いますよ。 >>436
いくらでも例えられますが、
「本人たちが楽しみで」ボランティアやってます。
立派ですねと誰かが言う。
立派と思う人もいるでしょうとしか言えない。 試合に出るやらスパー出るやらオフに出るやらアマチュアはそんなの趣味嗜好でやってるのにそれに対して立派って言うのスゲー違和感がありますなあ。
卓球趣味でやってます、草野球オフに出ました立派です!とか言うんですかねえ
楽しんでて良いですねみたいな感想ならわかるんですけど 小さい子供とかならならまだわかりますよ、あ頑張ってるねってんなら
いい歳した大人の趣味嗜好で立派もクソも無いと思いますけどね >>439
例えば、運動習慣ない人からは立派といわれることはあるでしょうし、あるいはジャンル外からは色々なことを立派とか、凄いとか言ってくださることはよくあることでしょう。 合気道やってる人は皆が合気道純粋培養ってわけじゃないでしょうに
色んな運動、武道武術格闘技も経験してる人もそこそこ居るんですよ
そんな人にマススパ参加して立派ですねって本人はハァ?ってなりませんかねー 年取ってから合気道はじめること
スパーやってみること
試合出てみること
他の武道やること
運動から始めること
散歩の習慣つくること
楽しくやること
楽しいことを継続すること
色んな感覚や段階が人にはあるわけですが、
それを、わざわざ否定したり、皮肉ったり
立派もクソもないといったりすることは、
本当にしょうもないという話
ただそれだけのこと。 >>443
誰が本人に言ったんです?
本人に言ったらはぁ?ってなるかもしれないし、ハハハありがとうございますと言うかもしれないし、その両方かもしれない。 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%AB%8B%E6%B4%BE/
[形動][文][ナリ]《一派を立てる意から。一説に「立破」の音から》
1 威厳があって美しいさま。堂々としているさま。また、非常にすぐれているさま。「立派な邸宅」「立派な業績」
2 十分に整っているさま。不足や欠点のないさま。「立派に生活を立てていく」「立派な大人」 ま、自分には立派と言う感覚がまるで理解出来ないつう事で 足りないところは補いあえばよいのですが、
そのつもりがあるのかないのかは大切です。
その姿勢をもって話しているかは大切です。 具体的に一連のレスで何か私が足りない事は何ですか? 多様性を言うなら何故マススパ位で立派とか言われなきゃなんないんだよ、馬鹿にしてるのかって人も居ると思うのですよ BJJや総合ってクッソ合気道と相性が悪そうですけどね >>450
そりゃそうです
本人に誰か言ったんですか? >>454
知りませんがな、そうゆう人も居るかも知れないって話です 総合で勝ちたきゃ総合やんな。
脇道とか近道とかないぞ。 そうですよねー
合気道がやりたければ合気道しか無いですな 剣道やってる人がマススパに来たら は? ってなるでしょ
合気道もそれと一緒じゃない 何をしたいか次第だけど、他武道や格闘技を体験するとしないでは合気道の見え方が変わってくると思うな。
そこから自分の合気道を変えていくも良し。
敢えて伝統的な合気道を突き詰めていくも良し。
合気道から離れて、別な武道・格闘技に行っても良い。
いっそのこと、全ての武道・格闘技を離れてしまっても構わないんじゃないかな。
開祖自身が「合気道は天命を全うする道」で、「その意味では武道である必要すらない」と言ってることだし。
要は自分が一生懸命になれて、世のため人のためになれば良い。
開祖は武道を通じてあの境地に立ったので、武道で示すとしただけで。
目指す方向性と必要な練習項目が変われば、自ずとやることは違ってくるから話は合わなくなってくるだろう。
そこはそれ、「この人は今、そういう研究をしてらっしゃるんだな。」と広い眼で見れる心持ちでありたいな。 武道と格闘技をセットにするのがわかりませんな
基本別物でしょ 猿田はんはスパーもするし試合にも出る。
それを大変立派という人もいたはるんだすなあ。
どないなってますのやろ、この世界は。 多田宏「稽古の場を主宰する気持ちが大事です。受身の稽古はしない。大先生は『合気道は全て先の先です』と仰いました。
“こう来たから、こう返す”ではダメで、『合気道を護身術だと思って貰っては困る』というのも、護身術は攻撃に対する受身の構成だからです 合気会以外の動画を上げてみようと思って心身統一合気道のをググってみたが、藤平先生以外の動いてる姿ってあまり上がってないんだね。
とりあえず、こんなのは見つけた。
https://youtu.be/uC2ECnjmzTc んで、養神館龍の安藤先生の演武。
https://youtu.be/TDuC-xg_3E0
養神館て演武でも手刀で構えるんだね。 >>470
本人は知らんけど技かけられてる人の方は合理的な動きなんかな それが合気道なんだと言われればそうなのかも知れんが 技かけられてる人が間合いから動きから何から無防備過ぎだと言ってるの >>473
正直、受け(技掛けられる人)はめっちゃ忖度してると思ってる。もしかしたら自覚無いかも知れんけど。
まあ、演武だからねえ。
うちは合気会だけど、演武する時なんて100%ヤラセだわ。 同じ様なことしてるプロレスでも続けざまにやられる方も途中で逃げるぞ >>477
合気道の演武でも逃げようとしてますわ。
跳び受身なんぞは逃げようとしてるんだすな。 >>478
プロレスの相手だって極められたら自分から飛んで逃げるよ そんなことを言ってるんじゃあないよ >>477
プロレスとは演出の目的が異なるのでは?
プロレスでは戦う二人の物語だが、この演武は取り(技を掛ける人。養神館では「仕手」というらしいが、合気会では「取り」という。)がいかに素晴らしいかを魅せるのが目的。
受けが逃げたらアカン。 合気道の受けは取りに隙があれば攻撃するというお約束の下にやっとるんやと思いますなあ。 スパーや試合に出る合気道家が立派、という考えそのものが
「(試合などで)相手に勝つことが至上目的」という価値観に乗っかているので違和感がある、と猿さんは言ってるんでしょうね。
一方、立派と言っている方は合気道を修めるにあたっていろいろな価値観を受け入れる姿勢が立派、と言っているのでしょう。
個人的にはどうちらもうなずける考えだと思います。 お、珍しく意見が合った
俺も受けが攻撃できるタイミングがあれば(=取りが甘ければ)軽く当てを入れてもいいんじゃねーのとは思ってる
そうすれば取りは崩しや極めをしっかり入れようと頑張るし、
受けは単なる投げられるだけのヤラレ役ではなくなる
お互い向上できるんじゃない? >>483
> 「(試合などで)相手に勝つことが至上目的」という価値観に乗っかているので違和感がある、と猿さんは言ってるんでしょうね。
そやないと思いますな。
試合やスパーすることがなんで立派なんかまるでわからんのとちゃいますか。
そんなもん、空手なんかでは幼稚園児でもやってることだっせ。
ワテらガキの頃から試合やって来た人間からしたらごく当たり前の普通のことだす。 >>484
> お、珍しく意見が合った
ワテにとっては当たり前のことで意見なんてもんではおまへん。
やってへん人らのほうが異常に思いますわ。
ワテはね。 強くなるのと維持はコストがかかるか。
家業を継ぐために会社辞めるのと同じで
道場を辞めたほうがいい場合がある。
武道にこだわり抜いていると心療内科の患者と
勘違いされる。
他人はそのくらいしか思わないから。 >>487
> 武道にこだわり抜いていると
ご心配なく。
そんなお人は合気道にはまずいてまへんわ。(笑) 話豚切りするけど
皆の道場って袴の色って黒と紺どっちが多い?
俺の所属道場は黒7紺3の割合
出稽古行く道場は統制されてるのか全員紺
だから出稽古行くと浮くから必然的に紺袴にした俺 >>489
ウチも黒一色だねえ。
むかーし所属していた道場では何故か女性は殆ど紺だったな。
別に決まりがあったわけじゃないけど、
紺袴は剣道のものをそのまま使ってる感じ。男性にも多少いた。
もしかしたら女性の人達でルール??があったのだろうか? >>480
>ほな、何を言うたはるんだす?
既に>>475 で書きましたよ >>492
無防備とは何を見て言うてはるのだすかなあ? >>490
やっぱりって感じです
本部も黒一色ですし >>491
聞いた話だと冬型の気圧配置ではないですが
紺袴は西高東低で西に行くほど多いみたいですね
私は合気会ですが後輩の元万世館は入門時から袴で紺色って有段者になってからもそれを使ってました >>491
女性の場合は、初めは仲の良い数人とかでも
そのうち同調圧力で全員になるんじゃないか?w この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>493
>無防備とは何を見て言うてはるのだすかなあ?
まともに攻める気も無い、避ける気も無い 技をかける人のお飾りになろうとしてる様に見える >>499
こういう動画に出てくるような一部のインチキ野郎のせいで合気道全体が胡散臭いものと見られるのが悔しい。 >>499
> https://www.youtube.com/watch?v=7d7yIfsT0rs
合気道っていっても養神館合気道じゃないだすか。
なーんやって感じだすな。
もちろん指導段階のレベルがあるので合気会でもいろいろおますがね。
ごく一部の動画を見てあれこれいうのは素人はんの証拠だすな。 >>502
>>470での動画に対して>>473で技かけられてる人の方は合理的な動きなんかなと>>475 でも書いたんだけど。
最初から漫画で有名な人が伝えたと動画のタイトルにもある養神館合気道の動画での技かけられてる側の人のことですが。
指導者のことは言ってないし、あんたが途中から出て来て色々勘違いされてんじゃないの そしてあれこれいうのは素人はんの証拠呼ばわり >>503
> >>502
あんさん、合気道の玄人はんだしたんか? ワイは合気道の達人でんがな
会費でかなり儲かっとりますし、可愛いねぇちゃん会員は、飲み会での無料コンパニオンやで! >>505
そんな達人はんが他人の動画を引用だすかな。
いやはやなんとも、是非に及ばず。 >>501
条件反射みたいなものだからなあ。
インチキと言えばインチキだけど、条件次第なら掛かるのかもよ?
それが何の役に立つのか解らないけど。 >>508
> インチキと言えばインチキだけど、
手品のようなものをインチキという人がいてますのやろか?
魔法とか言うてるわけでなし。
普通に科学や技術とちゃいますのん。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 合気道の出身で、岡本先生の大東流も学んでいた人。
ようしん館のわざと似てるのだろか?
https://m.youtube.com/watch?v=SGyqaJUun7g&list=PLpxJmkKVEUhFUaQ_lux4f3bGU59qdILiV >>511
セーガルの弟子に合気道学んで、大東流六方会の岡本先生に学んだ、て人ね。
養神館とは別物でしょ。
お互いに「一緒にすんな!」て感じでは? セガールの弟子に学ぶって・・・
俺には理解できないんだが、そんなにセガールの孫弟子って誇れるほどのものなのかな? >>516
>そんなにセガールの孫弟子って誇れるほどのものなのかな?
さあなあ。俺も知らんけど、本人的には自信あるみたいね。 セガールも生まれ持っての体格と
運動神経やセンスが優れてたイメージで
教わってなんか身につくんか? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 昔はともかく、今は身体動かすのメンドクサがってる気がする。
https://youtu.be/orc_KSuQFXY 元記事はこれなんだが…https://jp.sputniknews.com/life/201808305279709/
道場名の「天心」は大阪で稽古してた時の道場の名前じゃなかったっけ?
だから大阪にまだ天心道場があると思ったんだが。まあ、元奥さんの道場みたいだけど。
なんか元記事読んでると、彼オリジナルみたいな扱いに見える。 あ、ごめん。
大阪の天心道場ググったら、合気道やってる女性がセガールと結婚して天心道場て名にした、とあるわ。
突然セガールに去られた道場を残された元奥さんが、そのままの名前で支えてきたらしい。
http://www.aitenshin.com/smarts/index/12/
まあ、女癖悪そうだからなあ。 セガール氏が重婚してたのは、触れてもらいたくない。 重婚…。(^_^;)
あれ、極真空手作った人もそうだっけ?
外国人はそういうの平気なのかなあ?
おっと、スレ違いか。失礼しました。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 セガールの映画を見て合気道始めたって人、昔は結構いたよね。
そういえば、スタンレー・プラニン氏が合気ニュースで、明らかにセガールとしか
思えない人のことを、批判していたなあ。 >>531
今、その記事が書いてあった合気ニュースがないからうろ覚えなんだが
合気道を使った暴力シーンを批判していたな・・・・
真面目に合気道を研究してきたプラニン氏からすれば
金儲けのために、刺激的な暴力演出の手段として合気道を使われることは
我慢ができなかったのじゃないだろうか?? >>524
セガールは元々気の研で習ってて
藤平光一が本武道場の名前に取っておいた天心館を勝手に名乗ったから
激怒して除籍されたと聞いたが だーかーらー
セガールは合気道の専門じゃなくてセガール拳だから
己の武術に合気道を組み込んだだけじゃんか セガールは初段は藤平さんのところで取った人だから
柔らかい合気道のこともよく知ってるはず。
他にない新鮮なアクションのために合気道を使うのは決して悪いことではないと思う。
映画を信じ込むそうとうナイーヴな人でない限り。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 三千世界一度に開く尻の穴 艮のコロナ神の世になりたぞよ >>530
それは俺w
沈黙の戦艦の前のメジャーになる前の作品が超カッコ良かった >>511
その人、空手柔道等の競技試合の経験は一切ないみたいね
セガール映画に嵌って実戦とか言う前に、競技やっておくベきだったね 話は違うけど、塩田剛三先生のお孫さんの説明動画。
https://youtu.be/jB28Al20Cjw
気の流れの稽古では見ないやり方だと思うが、話的には悪くないと思うんだけど。どうよ? 井上鑑昭(盛平甥)「『いよいよ大東流をやるんだ、若さんもやってくれるか』と叔父が言うので浅草の家でやった。
『叔父さんちょっと待って。そこがちょっと固いんやないですか』『固いか』『力ばっかりじゃ仕様が無いやないか。
これをずーっと伸ばしたらどうですか』」『植芝盛平と合気道1』36p >>543
結局は一教入身の変形みたいにも見えるけど
当身を打撃と一緒に考えるとおかしくなるのかも。
https://youtu.be/32NRpOsFZls
これなんかもそうだけど、当身は相手の攻撃を待ってかける技じゃなくて自分から仕掛ける技という捉え方の方が良いのかな。
これが流れの技じゃないという事じゃなくて流れを起こす技と思えば良いんでない?
そう考えれば打撃であっても流れを作る為の打撃ってのもあるな。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 藤平光一「戦前の植芝道場は『強く成りたい』と心から願う豪傑達の梁山泊だった。
一般の入門は認められず、大将・中将という高位の軍人が『うちの誰を頼む』と屈強の若者を次々送り込んで来た。
その中で道場主を務め、多くの信奉者を集めていた植芝先生は、紛れも無く本物だった」『氣の確立』79p 開祖の時代の当て身というのはパンチの事なのか、富気流みたいな掌を当てて押す技のことなのか。
どちらだろう?どちらもかな。 あの時代、ボクシング的なパンチは無かったんじゃないかな?
まあ、雑誌で読んだ話なんだけど。
正面打ちの練習を見てた開祖が、「今時そんなことをするものがおるか!今時はこうじゃ!」てジャブみたいな動きした…てな話を黒岩師範がしてたらしいから。対応すべき対象として研究はしてたかもね。 稽古の受けをとる上で必要な感受性であって、
これで人を倒せるというものではありません。 >>550
成る程、冨木先生が開祖に習っていたのは戦前ですからボクシング的な動きはあまり無く、黒岩先生が習っていた戦後にはボクシングが開祖の視野に入ってきた、というような感じで開祖の感覚が変わられたという事もあり得そうですね。そういえば黒岩先生はボクシング経験者だったそうですし。
スッキリしました。ありがとうございます。 >>550
その頃の開祖なら新しい技術や流行り物に対しても合気道という観点から様々な攻略を考えられてた事でしょうね
今は晩年の開祖の姿だけを追いかける人が増えすぎましたからそんな事をやっていたら怒られますわ だからといって開祖がボクサーに勝てると思うかぁ?w なわけねえって思うわ
本当か嘘か判らんような逸話にすがって、自分勝手な稽古に逃げるよりも
無理しないで伝えられてる技をマジメに稽古した方がいいと思うぞ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>557
逸話なんか関係なしに合気道を研究しようって思わないの?
守離破とまでは言わなくとも型通りの稽古を万年やって満足? >>557
伝えられた技をマジメに稽古なんて当たり前だろ
ていうか伝えられた技自体曖昧なのが今の合気道
各道場や師範によって技が違うのが当たり前の現状で何をもって伝えられた技とするの? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 対ボクシング的な研究って話かね?
個人的な経験(柔道・剣道・合気道の段持ちで、フルコンとボクシング経験がある人と防具つけてのスパーリング)から言うと、お互いに殴り合う状況下では合気道の技は決まらなかったな。
ちなみに、俺が一方的に殴られてたわ。
合気道の稽古してる場所ではボクシング経験のある人は少ないし、逆にボクシングジムで合気道の動きするわけにはいかない。
なかなか研究すること自体が難しい。 強いヤツと戦ったから決まらなかっただけさ 自分より弱いヤツ見つけて戦えば
合気道の技も柔道の技も決まったさ 気にするな 自分より体格も筋力も下の相手には使えるよ
格下を怪我させずに制圧する技術と考えれば使えない事もない >>566
それが本当なら一般的に流布されている合気道に力は不要で女性や子供に向いてるという話は嘘と言うことになりますね
まぁ同じ組技の柔道やアマレスも技術が同等の人間同士なら体格に勝る側が有利ですから当たり前の話ではあるんですよね >>568
女子供向けにカルチャー教室化したという意味だからね
戦えると謳っている所は流石に無いでしょ
力がない上に合気道ではどうやっても戦えないよ
握力だけは鍛えられるけどw >>569
> 力がない上に合気道ではどうやっても戦えないよ
そのとおりです。
合気道では戦い方は教えません。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 個人的には女子供にはお勧めできない
多くの道場は安全面に無頓着で無駄に怪我する事があるから
手首や腰を痛めやすい >>574
空手や柔道の道場と同様に、合気道道場もここ十数年でずいぶん変わって来ましたよ。 合気道と言えば由美かおるさん
名誉じゃない4段はすごい 合気道の段って通ってお金払えば誰でも取れるものなんじゃないですかね? 麻雀で言えば役覚えただけでしょ
それで凄いって言われる不思議な世界ですね え…?
型覚えるのはいいことだろみんなそこから始まるんじゃねーか
武道やったことないのん 老若男女が合気道をやったいて、
それぞれの段階があって、
それぞれの努力があるわけだけど、
それをわざわざ「なんなんでしょうねえ」って言うことこそなんなんでしょうねえって感じだ >>582
日本の詰め込み教育みたいな事言ってますね
>>583
型覚えたからってそれでどうするんですか? 麻雀で言えば四暗刻覚えました
あ、はいって感じですが
褒めて欲しい、他人の評価が欲しいって感じでやってらっしゃるのでしょうか?人それぞれなんでそんな価値観もありと思いますが >>584
覚えたら、ステップアップするもよし、磨きをかけるもよし、現状を維持するもよし、パートナーと形を楽しむも良し、覚えた達成感を味わうも良しですね とりあえず道場でやってる形くらいは覚えてほしいもんだすな。
でないとその先に行けないだすから。 >>覚えた達成感を味わう
そんな価値観もあるんですね
ただ殆どの人は算数や数学で言えばただ公式や定理覚えただけで意味なんてまるでわかってないような感じにみえるんですよねえ >>564
ごめん、言葉が足りなかったか。
一方的に殴られたのは俺の実力不足で、そこは気にしてない。
興味深かったのは、殴り合いの状況下でお互いの合気道技が決まらなかったこと。
思うに、殴るのに有効なやり方は両手を使いやすいように半身は浅く、正面を向き合う形に近づきやすく。合気道は逆に半身を前提にする技が現状は大半なので、両者は合わないか…と思った。 >>589
本当にね。
さらに拗らせると、街で暴漢に勝てるだとか柔道空手に勝てるとか意味不明なこと言い出すからね。 >>580
馬鹿なの?
型覚えたかどうかだけが昇級昇段の目安なんだよ
使える使えないとかはどーでもいいの 昇級昇段したから何なんです?合気会の指導者目指してる人は合気会の必要な段数があるでしょうけども 何故組織が段やら勲章やらナントカ賞やら与えるのか考えた事ありますか?
ナポレオンとか調べると面白いっすよ >>597
その通りです
まあ答え書きますけど昔は活躍した兵隊には金をあげてたんですけど金はいくらでもあるわけじゃないのでナポレオンは名誉をあげるって事を思いついたんですよ
やっすい紙切れ、布切れ一枚でガンガン体張って死ぬリスク背負ってくれるんで超絶コスパ良いシステムだったんです
今でもそれ真似してる組織どこにでもありますよね オレも昇段級に興味がないまま合気道の稽古をやってるので
昇段級できて嬉しかった、ってことは一回もないなあ。
ただ尊敬する師匠の前で演武する経験自体は良い修行だと思っている。 合気道の技は、もともと剣術に始まり、さらに徒手で武器を持つ相手を制するところから発している。
「合気は動く禅である」とも言われるように、稽古を行うのに一番大切なことは、丹田にエネルギーが満ち、心が透明であることが条件であろう。 多田宏 開祖はまともに剣術なんて学んでいないし、禅の修行もした事ない 別に俺だって黒帯欲しくて武道やってるわけじゃねーよ
でも黒帯貰えたらめっっっちゃ嬉しかったぞ
山頂を目指すのは当たり前だけど目指す途中に景色を眺めたり花を愛でたりしてもいいんじゃねーの 合気会系列ではほとんど、黒帯取得して初めて公益社団法人合気会の会員になれるんとちゃいますかね。 >>604
山頂を目指す途中段階に昇段級が無いというか。
昇段級することと山頂を目指すことは全く別方向のことだと思っている。 昔はそうだったけど、今は五級?最初の級取得に合わせて合気会の会員になるようになっていると思う
最近の会員証は昔のぺらい手書きのとは違って、しっかりした会員カードになっていて、本部で端末管理されるようになっている >>608
そうなんだすか。知りまへなんだ。
そら大変だすな。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
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大東流合気柔術の入門帳
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この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 合気道はウェイトトレーニングをしっかりと行えば誰も弱いなんて言わなくなるよ。
それと形稽古は型の分解を一人で行わないといけないんだよ。
師は型しか教えてはくれないから型の意味を自分で理解しないといけない。
なぜ手首を握るのか?というと手に持ってる刃物を奪うためだな、とか
なぜ手首を握られた状態から技をかけるのか?というと相手を切るためなんだとかね。
半身に構えるのは槍か棒のような武器を使うんだろうなとかね。 >>611
> 誰も弱いなんて言わなくなるよ。
合気道は弱いと言われてもきにしまへんなあ。
> 師は型しか教えてはくれないから
たまにそんな先生もいたはるのかもだすな。
ま、初心者に対してはそうかも。 型どころか、なんとなく動きの順番程度を見せるだけの奴も多い この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>613
その程度で十分な生徒さんも多いんやないだすか。 >>603
俺もそう思う。
剣について
剣術やってる人に言わせると、合気剣は常識外れらしい。俺としては銃剣道の影響が大きいのでは?と思ってる。
禅について
開祖は密教系とか神道とかが好きみたいでそっちの写真はあるけど、禅の話は聞いたことがないものな。
まあ、俺が無知なのかも知れんけど。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 そもそも合気道にガチの強さを求めてる奴等なんているの?
ほぼ宗教でしょ 昇級昇段に興味ないって人、もしくはそーゆー人が通う道場って
段階を踏んだ稽古ってやってないんじゃないのかな?
初心者には最初に五級の審査技から教えて、
昇級したら次の4級の審査技を教えるってやりかたを
指導者はするべきなんだろうけど。
初心者が何も分からないまま、いきなり3級の審査技に出てくるようなことを
やらされたら、技の体型を縦軸、立体じゃなく、平面でしか捉えられなくなっちゃうよ。
だから技を覚えることを麻雀の役を覚えることと同レベルにしか考えられない人が
出て来る。 私は数学とか算数的に物事を捉えるたちなんでね
法則とか合理性とか妥当性とかそんな考えです 経験的にも他人を観察してもただ型をなぞるだけじゃただ型を覚えるだけにしかなりませんね
だから型覚えたからそれが何?凄いの?って言ってるんですよ >>619
道場の問題というよりは個人の問題では?
同じ道場でも「要らない」て人と「要る」て人に別れてたような。
俺が体験した道場は皆そうだったけど。 >>622
うん
個人の問題でもある。
級段等を肩書としか考えず、そんなモノ要らないっていうのは
本人はカッコイイって思ってるのかもしれないが
まあ、ホントに「オレはそんなもの興味ないんだあああああ!」って言い張るんだろうけど
俺から見たら、合気道を真面目に学ぼうって気が無いようにしか見えないんだよね。
技の一部を切り取って、やりたいことだけやって覚えた気になってるのって
めずらしい護身術を一手知ってますって事でしかないんだよね。
そんなのは大抵長続きしない。 >>623
や、当方、昇段昇級に興味ないまま10数年続いています。
合気道の術理などの体得や理解に興味があるのであって
段が上がることそのものには興味がないのです。 >>624
うん。それも解る。
解るんだけど、それなりの段位を持ってないと、他の人に貴方が見つけた内容を伝えられないかも知れない。そこがもったいないと思う。
まあ伝えたいとも思ってないのかも知れないけど。 >>本人はカッコイイって思ってるのかもしれないが
いや通う側はコスパ滅茶苦茶悪いんでそんな制度いらないって言ってるんですよ
何回もそういう事書いてるでしょ 興味がないから昇級昇段しないって人の中には
審査を受けるのが、頑なに嫌っていうのもいる。
理由の最たるものは、
「実は技をちゃんと覚えていう無いから受けるのが怖い」
っだったりする。
そう言う人にはそもそも受けさせない。
本人と指導者側の受けたくない、受けさせたくないのベクトルが合ってるから
自然と無級のままになっちゃう。
珍しい手をちょっと知って理合だの術理だのに触れた気になって満足できる人と
合気道の技を継いで行く人は違うんだよね。 日本が衰退していく理由がよくわかりますなあw
単に手順だけ覚える教育受けてましたからなあ、一般大多数は まー、合気道やってる時点で馬鹿か根性無しだからなぁ。
こんなのやってる時点で間抜けだよ。 >>632
すごいガチの格闘技やってるんだね、ボクシング?柔道? 何で合気道純粋培養の人ばっかりって思ってんです?合気道の道場に通ったこと無いんですかね?
ふつーに他武道や格闘技の経験者いるんですけど 剣やってるけど確かに合気道の剣は何がしたいのかよくわからない
届かない間合いで互いに剣道型みたいなことしてるけど何の意味があるの? >>636
あれなあ。
教えてる人に聞いたら、「安全のために離してる」て言ってたよ? >>636
あれは、「剣術のための剣」であるとは考えない方がいい。
あえて言うなら「体術のための剣」と考えるべき。
まあそれに当てはまらない剣の型もあるけどね。
要は体術の動きで剣術をして、剣術の動きで体術をするというのを
ぐるぐると繰り返す。
それに熟達した人は、体術をする時も抜き身で切りつけるような鋭い動きになっていく。
それで高級な剣術がモノになるかどうかは本人の取り組み方次第。
間合いに関して言えば、確かに危険だからってのもあるけど
広義の合気剣の中(岩間系以外も含むという意味)には「届く間合い」でやってるところもある。
所謂岩間系の合気剣は激しく打ち込む動きだから当たれば大けがをしちゃうけど
或る「当てる」合気剣では刃筋を立てて「斬る」事を意識する。
だから身体に当てた状態で止まる。もしくは寸止めにする。打たない。 遊びでワンツーやサンドバッグ叩いた経験程度でも
ほとんどの道場生と動きが違いすぎるから笑えない >>641
結構世界中に柔術家が移住した過去があるらしいから
伝わってんのかな
世界中で日本人が現地人と間違われる現象が割とあるそうだけど
日本の血が根付いてるんだろな >>608
俺なんて級の会員証が財団法人のだ
有段者のはバーコード管理のになるかな?って期待していたら公益財団法人に変わっただけの
従来型の赤線が入ったやつだった
多分バーコード管理のは有段者になっても一枚増えずにそのままなんだろうね >>640
文脈わかりませんか?
合気道には合気道しかやった事ない人しか居ない前提で書いてるレスにそれは事実と違うって書いてるだけですが >>641
さあ?
ブルース・リーはいろいろな武術・武道・格闘技を研究してたから。どこ由来かは研究者じゃないとよく解らないのでは?
シュワイジャオと言われればそんな気もするし。
シュワイジャオ
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm2091643 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>647
猿田は馬鹿だから黙ってたほうが良いと思うが。 俺は馬鹿ですけど同じく武道武術格闘技でアタマ良い人みた事ないんですよね〜 馬鹿に書き込んでもらうのはまだ許せるが
マトモに合気道を稽古したことがない人には書き込んで欲しくないね。
そう書くと、「マトモな合気道ってどんなの?」って返してくると思うが
そんなことも分からん人は来ないでほしい。
せめて初段、、、いや物凄く妥協して4級程度の試験に受かった人
又はせめて受ける事を前提に稽古している人じゃないと
会 話 が 成 り 立 た な い。 >>652
段や歴だけは長い事を矜持にしてるタイプの方ですか? >>656
訂正します。
4級程度の試験 → 4級程度の審査 >>659
猿田はんとの会話はなりたちそうだすか? ウチでは横面打ち四方投げは五級の審査項目だったなあ。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 かなり昔、西尾流の人と話をしていて
5級の審査技が
両手取りの四方投げと、逆半身の回転投げって聞いて、変わった道場だなって思った。
その技を見せてもらったんだが、
二つの技が同じ体捌きで出来ちゃってるのも見て、成程・・と納得した。
同じ足運びで裏に捌くと回転投げで、表に捌くと四方投げになってたんだな。
難易度としては4,3級の動きだった。
一応初心者には一教入身投げ等の基本技も教えてると言っていたが
地方の末端傘下道場の人間の中には、一教入身投げといった基本技を未修得のまま
5級を受けちゃう人もいたようで、
その対策なのか地方の西尾流では、西尾先生没後は本部規定に準じた内容に変更したとも聞いてる。
今はどうなってるんだろう? 四方投げと回転投げの関係は解るけど、それが五級の審査なのか…。
西尾流、やっぱ独特なものがあるなあ。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>669
うん
刻む方針なのかね 8,7級とかめっちゃ簡単よ
膝行とか受身とか体捌きとかだもん いやまあ、俺一時期松涛館空手に居たんだけど、規則見てたら級なんか10級+準級で合計20段階可能だし。
合気会も級は各道場任意で設定して良いって面があって、子供相手とかには20段階可能なんだけど。
大人は五級からだとばかり思ってたわ…。 阿漕ですなあ
これからの時代は日本人はどんどん貧乏になっていきます
お金が無いから合理的に使う人が増えて来るからそんな商売の仕方は間違いなく嫌われて道場生減らしますね 頭が悪くても勝手に昇進したり収入が増えるって時代はとっくの昔に終わってるんですよ
余計なお金は今の人達には無いので昔のシステムでやってる所はガンガン潰れていきますよ >>674
20段階もあったら受ける前に嫌になるわ >>677
そこは加減があるんでしょ。
俺も空手の初めての審査は八級だったし。
ちっちゃい子がちょっとずつでも合格して嬉しそうだったら親は嬉しい、親も子もモチベーションになる。ついでに道場は小銭も稼げる。
どこの武道でも初段で辞めちゃう人は居るから………これ以上は言えねえ。 俺のとこは少年部十級から七級まで準級あり
免状は師範が出してる
少年部始めるって本部に申告したら免状のテンプレが届いたって師範が言ってた
一般は五級からで五級受けると同時に合気会に入会
一般は当然ながら道主からの免状だけど
地方だと級免状は県連で出してるって聞いたことがあるけどどうなんだろ ウチは地方なので、級の免状は県の連盟の長の名で出てたな。
まあ、俺がそれに関わったのもずいぶん昔のことで。当時は合気会の組織図もかなり複雑だったし、現在は違うかも知れない。 日本ってマクロからミクロまで利権国家すぎてマジでうんk ウチの道場は道場責任者の名前で級までは出ていた
段から植芝家
道場責任者は合気道関係で収入あるのかな? 合気会の規約で段位は必ず本部を通して、道主の名で出すと決まってるからな。
級については連盟や連合の規約に基づくはず。
たぶん、実質上、級の細部は各道場任意になるのでは? 他の武道団体だと実質級はないけど全剣連も級は都道府県連盟からで
段から全剣連から出てる
少林寺拳法は級から本山というのか宗家というのか知らんけど多度津から出ている
少林寺拳法は五級から筆記試験があるって聞いて驚いたよ
全剣連ですら初段からなのに
それを踏まえたら合気会は楽だわ 少林寺拳法は宗教団体でもあるので、たしか昇段も僧階と武階だったかな?なんかそういう昇段システムがあって。
教えを理解しているか?てのが問われるらしい。
合気会の場合、本部の基準に基づけば二段・三段なら感想文とかで、四段なら小論文となってるな。
http://www.aikikai.or.jp/information/review.html#:~:text=%E6%98%87%E7%B4%9A%E5%AF%A9%E6%9F%BB%E6%97%A5%E3%81%AF%E3%80%81%E6%AF%8E%E6%9C%88,%E6%97%A5%E6%9B%9C%E6%97%A5%E3%81%AE%E5%A0%B4%E5%90%88%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
まあ、うちの地方の試験では、そんなものやってないけどな。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 合気道って試合がなくて思想や型を重んじてるクセに筆記試験ないよな
なんかようわからん
そんなことしてるから流派割れんじゃねーの >>688
他武道で筆記か試験あるのか?
合気道の模範解答すら意見別れそうだけどな >>689
柔道剣道は普通ににあるよ。
試合ルールが出題されたりしたっけな?
昔の事だから忘れちゃったよ。
合気道は確かに模範解答が分かれそうだな。
例えば・・
合気道が試合をしない理由は
合気道と合気柔術の「合気」の違いは
合気会本部が合気剣を教えない理由は
正勝吾勝とは
正解がどれも無い?? 全剣連三道は初段から学科がある
都道府県連盟によるが前もって課題が出されているものを審査当日に提出するレポート形式と当日実技の前に試験
でもほとんどが時間もないからレポート形式
全国審査の六・七・八段は当日試験
空手と柔道はどうなんだろ 全空連系だけど流派審査は初段から筆記あります
実技(形と組手)審査は形に関する口述諮問あり
全空連だと高段位はプラス論文だったかな
合気道も論文なかったっけ? 論文あるけど、書かせている所は少数派じゃないかな?
以前聞いたら評価するのが大変とかね。
俺は結局最後まで書くことはなかった。 審査要綱策定する時に誰があれ言ったんだろうな
現実問題、そんなもの提出されたって仕事として精読精査する本部職員いねえだろ
それは各道場でやってくれって事なのかもしれないけど、 3段4段ともなればそれなりに師範とも付き合い長くなっていて
人となりも知ってもらえてるし 改めて作文要求するのも野暮というものだろうしな 四段の論文
先輩受けるときに先生に見せたら論文は作文じゃないってボロクソ言われてたな
嫌いな先輩だからざまあって見てたけどw 論文評価できるような大学教授並の人間が評価側に居ると思えない 書いたことないから解らないけど、論文のお題は指定されるのかねえ? 合気道人口だって広いんだから学者か研究者かそれに準ずる職業の人だっているだろ
てか査読するのは合気会の事務の人とかじゃないの?
まだ四段じゃないからわからん 随分昔だけど四段取った時はなかった
今あるみたいだけど書かせてどないすんの?みたいな感覚しかない 思想が見たいのでは?とか思ったりもする。
合気会との整合性があるか?が重要なのかな?とか。 大先生は、直弟子に論文なんて書かせなかったし
ご自分が稽古中に語っていた思想についてもテストするようなことは無かったしな。
それに今論文を必須にしちゃうと昇段をめんどくさがる人ばっかりになるだろうから
登録料を集金したい側からみたら、目をつむってもいいことなんだろ。 アカデミックな権威に対するコンプレックスから馬鹿げた考えに至ったとしか考えられない
失笑ものですなw 昭和の時代のあこぎな商売やってると将来的に人減るんだけど大丈夫なんかね 他人の評価なんて全くあてにならない物の一つなのにそれで金を取るってどうなんでしょうねえ プロのレーサーがそのままに日本の運転免許試験受けても100%受からないんですよ
メイウェザーがあのスタイルのままプロボクシングの試験受けても100%近くの確率で受からないんですよ
日本は実力とか技術力とかよりもお作法を重要視する国なので
そんな審査やら試験とか受けるの無茶苦茶コスパ悪いですな 段や級が上がったから実力や技術力が上がったと思える人は盲目かアタマの悪い人ですな さすがに四段印可されるまで続ける人は少ないから、ガンガン出してお金儲けよう…てのは無理がないかね? まぁ人間色んな考え方や価値観があるからな。
猿みたいに自分が理解出来ないモノは腐したりするのも、これもまた一つの価値観だ。 いっそのこと段位制やめて、免許制に戻したらどうかね。
現代人にとってはその方が新鮮味があっていいかも。
昔、恩師に聞いたけど、初段が切紙、五段で目録 レベルらしい。
免許渡す時に伝授した技の目録も渡せば頭の中の整理もしやすかろう。
巻物になってたりしたら有難味がアップするよ。
レベルに達しなければ次の技を伝授してもらえないってことを徹底すれば
真剣に技を覚えてくれるかな? 少人数の地方道場じゃ無理か?
現実的に、今の制度を変えるなんてことは無理だろうけど
自流派を立ち上げようとしている人はやってみたらどうかな? いやいや、ブランド品や格式をありがたがる価値観があるのは知ってますよ
ナポレオンの勲章の話の書き込みみてないですかね? >>713
だからその免許貰ったからって何なんですか?
実力や技術力が上がるわけじゃないですし
所詮一つの流派の評価基準ですよ 結局猿さん的には会及び道場は
段位制を廃止して月謝のみ支払う感じで粛々と稽古に励む、というのが理想形なんでしょうか。 そうですな
自分がやるなら日本の実情も考えて月謝も格安にしますけどな
武道なんかで儲けようとするのがそもそもの間違いです なるほど。
武道のあり方としては非常に正しいかと思います。
まあ武道に限った話ではないですが我々言うても資本主義の社会に生きていますので
資本主義のあり方と本質的にそぐわないことに関してはいろいろ折衷しつつやっていかなあかんなとは思います。 私はコスパを考えますな
コスパこそがどんどん貧しくなっていく日本社会での生きる道になります
趣味娯楽としても月500円で映画やドラマが見まくれる時代ですよ、金が無い人はそっちに流れますよ 大東流は段位なの?
目録とかほんとの古流とかでしか残ってないんじゃないかなぁ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>719
そんなインドア派ヒッキーはもとから武道なんてやらんw もともと武道の段位制度って、嘉納治五郎が将棋の段位制度を真似して作ったんだっけ?
合気会の段位制度がしっかりとした形をとったのは昭和38年らしいから、一般公開に合わせて作ったんじゃないかな。
光輪洞の開祖?が戦中に皇武会(後の合気会)から武徳会に派遣された時、武徳会から「この人何段?」てなことを聞かれ、実力的に真ん中くらいだから四段ということにした…なんて話があるそうで。
昔はめっちゃルーズぽい。 >>724
黒帯は柔道が始めたんだってね
いつの間にか空手や合気道なんかでも黒帯が有段者って事に 陽キャラは武道なんてモテないまだるっこしい上下関係厳しいスポーツやらんでしょ
サッカーやバスケットの方にみんな流れるよ 何か特定のジャンルやってるからモテるとかあるんすかね?w
モテる奴は何やってもモテるしその逆も同じですよ ま、インキャやアタマが悪い人の確率が高いのは同意しますw この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 柔道、剣道は自分の強さの指標として段位を取得するよな。
また、次の段位を獲得するには、相手に勝たないといけないから、必然的に強くなるための努力をする。
合気道の場合は、なんなんだろうな。
確かに形の数をたくさん知ってるからなんだ、という気はする。 ウチの地域では初段で多人数掛けやるのだけど、ぶっちゃけ四段までの審査項目との違いはそんなにない。
どれだけ上手いか、くらいしか違いがないかも? 柔道とかの四段は化け物並に強いけどな。
合気道の四段だと、うーん、ってなってしまう。
何が凄いの?と。 大体、初段までに殆どの技を覚えちゃうからね。
短刀取り、二人掛け、太刀取り、杖取、多人数掛け
がプラスされても、初段までに覚えることに比べたら
大した事ないからな。 合気とは、相手の力を抜いてしまう大東流独特の技術であり、合気之術に掛かっては、如何なる武道と謂えども太刀打ち出来なくなります。
因みに、大東流合気柔術から派生した植芝盛平の合気道は、大東流合気柔術の偽物に過ぎず、
合気という名前を大東流から盗用しただけで合気の技術は全く無く、使い物にならないカタチだけの踊りに堕しています。
その為、素人を騙して金を取って指導する疚しさから公益財団法人合気会(合気道)本部指導員の気が狂い、
通りすがりの一般女性の顔に精液を擦り付けるわいせつ事件を複数回起こしています。
https://ameblo.jp/ss...try-12230795181.html
https://youtu.be/eAbuEpTdEOQ
https://m.youtube.co...be&v=-faXmVN40y4
https://m.youtube.co...amp;feature=youtu.be
その他にも、合気会所属の米国アクション俳優スティーブン・セガールが、
共演女優にレイプやセクハラを犯している事が明るみにされています。
https://rollingstone...s/detail/27934/1/1/1
https://www.afpbb.co...es/-/3149978?act=all
インチキ変態武道の合気道に騙されないよう気を付けましょう。 合気とは、相手の力を抜いてしまう大東流独特の技術であり、合気之術に掛かっては、如何なる武道と謂えども太刀打ち出来なくなります。
因みに、大東流合気柔術から派生した植芝盛平の合気道は、大東流合気柔術の偽物に過ぎず、
合気という名前を大東流から盗用しただけで合気の技術は全く無く、使い物にならないカタチだけの踊りに堕しています。
その為、素人を騙して金を取って指導する疚しさから公益財団法人合気会(合気道)本部指導員の気が狂い、
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その他にも、合気会所属の米国アクション俳優スティーブン・セガールが、
共演女優にレイプやセクハラを犯している事が明るみにされています。
https://rollingstone...s/detail/27934/1/1/1
https://www.afpbb.co...es/-/3149978?act=all
インチキ変態武道の合気道に騙されないよう気を付けましょう。 合気とは、相手の力を抜いてしまう大東流独特の技術であり、合気之術に掛かっては、如何なる武道と謂えども太刀打ち出来なくなります。
因みに、大東流合気柔術から派生した植芝盛平の合気道は、大東流合気柔術の偽物に過ぎず、
合気という名前を大東流から盗用しただけで合気の技術は全く無く、使い物にならないカタチだけの踊りに堕しています。
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https://rollingstone...s/detail/27934/1/1/1
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インチキ変態武道の合気道に騙されないよう気を付けましょう。 偽の合気の合気道には無い、
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未曾有の「合氣之術」を伝える幸道会が語る“真実”
武田惣角と彼を支えた高弟たち
大東流“合氣之術”の系譜
“武田惣角の実見者”井上祐助最高顧問インタビュー、惣角を支えた高弟たちの輪、 惣角直伝・堀川幸道が伝えた武器体系、幸道会・佐川一門 交流の“真実”、etc.
http://webhiden.jp/magazine/
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https://i.imgur.com/p8QVfFs.jpg 合気道の稽古に参加するのは危険過ぎます。
新型コロナウイルスは飛沫によって感染しますが、合気道の本部指導員は、飛沫どころか自分の体液を手に取って、女性の顔に擦り付けます。
新型コロナウイルスに感染する危険度100パーセントなのです。
合気とは、相手の力を抜いてしまう大東流独特の技術であり、合気之術に掛かっては、如何なる武道と謂えども太刀打ち出来なくなります。
因みに、大東流合気柔術から派生した植芝盛平の合気道は、大東流合気柔術の偽物に過ぎず、
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https://mobile.twitter.com/aikiyawara/status/820824297493053441
https://ameblo.jp/ssrmondo/entry-12230795181.html
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その他にも、合気会所属の米国アクション俳優スティーブン・セガールが、
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https://www.afpbb.com/articles/amp/3149978
https://m.huffingtonpost.jp/amp/2018/03/20/steven-metoo_a_23390104/
インチキ変態武道の合気道に騙されないよう気を付けましょう。
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https://i.imgur.com/p8QVfFs.jpg 植芝盛平が武田惣角先生から大東流合気柔術を習っておきながら、合気の創始者を詐称した動かぬ証拠
https://www.aikidosa...hiba-kyoju-dairi.jpg 合気道は至誠の道を練磨する事です。至誠は本を忘れず自己を知り、自己大成への道であります。
(解説:合気道を修行する事は、あらゆる面で誠を以て当れるだけの心を練磨する事である、という事を強調されたものである。)
吉祥丸『合気道教範』282p この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 大正11年(1922)に『大東流合気柔術』の教授代理を許されてから『合気道』になるまで、名称が『合気武術』『合気武道』などと変遷していますが、
すべて『神人合一の武道』を創り上げる過程での変更だと思います。
昭和8年出版の『武道練習』の中の道歌に『合気十』という言葉が見られるので、『神人合一の武道』を『合気道』とする構想はそれ以前からあったものと思われますが
出口王仁三郎師の示唆があったのかもしれません。 宗教的な解釈でいうと。
万物は神の分け御霊であって、その分けた理由はより良い世界を作るため。万物は相互に作用し進化してより良い存在にならんとする…てな働きがそもそもあって、その働きに力添えして支えることを合気という…てのが合気道開祖・植芝盛平の言だと思ったが。 >>760
合気道やってる人全員が力添えしたとしても
一体なんの役に立つのか 猿田しばきたいんだけど山口と福岡にしかいないの?
骨折りたい タイガーウッズが骨折したことにちなんで両足首折りてえなw
これが合気道秘伝のヒールホールドどすと言って100円投げて帰りたい >>761
企業によっては…つーか俺の知ってる企業は理念として社会貢献も揚げてる。
それを無駄だと思うなら君の言うとおりなんだろうな。君の中では。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
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なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 中倉清「惣角先生は植芝先生に生活費を厳しく催促するのです。
たまたま送らなかった時に、惣角先生が北海道から出て来て、
言わなければ良かったんだろうけど『大阪朝日新聞で指導です』と私が言うと、
惣角先生はすぐに大阪に行き、植芝先生が逃げて帰って来たのです」『植芝盛平と合気道1』157p 確かに合気道や大東流の段位になんの意味があるのかと言われれば疑問なところはあるけどな。
特に大東流関係は柔道の紅白帯、赤帯まで真似して、自分達の単位は柔道や空手と互角に渡り合えるみたいな顔してるのは見ていてキツいと感じる。
けどまぁそれも個人の価値観だろう。
好きにすれば、って感じ。 級段位制があると、
教える側としては、誰がどの程度の事まで修得しているのかの目安になるから
稽古を進めやすい。
以前所属していた道場では3級以上は茶帯を締めることになっていたから
分かりやすかった。
大人数で稽古する時は、中級以上と以下で分けて稽古をしたこともあったしな。
もし無かったら、本人にとってハードルの高い事を教えようとしているのか
次の段階に移ってもいいのかがが分からない。
指導者の中には、「俺は審査のための稽古は嫌いだから教えない。」
って人もいたりする。
それだと才能のある極一部の人しか上達しないんだよね。
そして、そうやって教えられた人は指導には全く向かなくなる。
そんな人でも古参になると初心者と組んで稽古をすることもあるんだが
酷くて稽古になっていないことがよくある。 級はともかく、段はどうかね?
それに、正直ヘタな初段より上手い三級が居たりするからな。
三段・四段でも高齢になってから取った人のは段位のワリにあまり上手くない人が多いので、俺はあまり段位は信用してない。
級・段が稽古上のひとつの目安になるのはたしかだけど、上手さや強さの保証にはならない。 けど審査の時だけ技の練習をして、終わったら忘れる感じでしょ、みんな。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 猿田さん762が試合の申し込みをしてらっしゃりますよ? ウチの道場は昔は上手い有段者が多いように感じたけど今は…
レベルが年々下がってる
審査見ててもこれで初段?ていうくらい うちもだ。
四級以上三級未満の実力で初段受けちまう人が多すぎた。
審査終わったら覚えた技を忘れちゃうような人ばっかりになったから
レベルダウンに歯止めがきかなかった。
指導者が、「審査技の稽古は嫌い」っていう風潮が長かったからな。
どんな技を教えればいいか分からん、覚えればいいか分からん、ってのばっかりだった。
今は、ある程度俺のやりたいように初心者の稽古を任せてくれるようになったので
初心者には級毎に次に受ける審査技のリストを作って渡して、
同じことを根気よく繰り替えし教えるようにしてる。
覚えの悪い人も一年に一級ずつ昇級していたんだが・・
コロナのせいで1年以上審査もマトモな稽古も出来なかった・・・・
春に漸く普通の稽古が再開出来そうだが、教えたこと忘れちまってるだろうなあ・・ >>777
俺は教える事は諦めた
下手な低有段者が段が上って嬉しくなったのか有級者や初心者捕まえて自己流を教えてる風景に飽き飽きして教えるの辞めた
せっかく教えて技を積み重ねて練り上げようとしているのにそれを崩されて然も間違った技や技法で塗り替えられていくの見てたら虚しくなった
そこの交通整理をすべき道場責任者が自分の技を教えるのに満足して全く仕事をしていない
次初段の一級がいるが酷い出来具合で気の毒に思う
合格したらまた我が物顔で入門者に説教しだす老害が増える事になるだろう この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
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肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
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植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>778
俺は「皆、道に迷ってる」て感があってなあ。
昔居た道場では、六段から四段までがゴロゴロ居て、それぞれ技が違った。
体格の差、力の差、速さの差、工夫の差、性格の差とか諸々で変わってくるのだろう。
トップの先生はそれで良いという。
それぞれの良い点を学べば良い、と。
お互いに影響しあって向上しろ、て事だろうと思う。
その後、転勤とかで他の道場を巡ることになり、いろいろ見てきたが。同じ系統の道場でも、技にそれぞれの個性を見てきた。
道主に聞いてみても「一人一人の顔が違うように、技も一人一人違うのです。」とおっしゃる。
開祖の話を本で読んでも、合気道は発展していくもの、固定された動きではないと考えておられたようだ。
合気道の技に答えはひとつではなく、いろいろ迷って良いのではないか?と最近思うようになった。
他人の技に非合理があれば疑問を提示し、合理的と判断できるなら放っておいて良いのではなかろうか? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 藤平光一「私は植芝先生の合気道が完成したとは思いません。大体何を以て完成と言うのか?
リラックスを修得したのは大本時代でしょう。しかし完成等と言い出すと、神業とか瞬間移動したとか黄金仏になったとか、
碌な話にならない。リラックスだけでも立派な事ですよ」
『合気ニュース』109号16p >>781
出来れば支部内では統一してほしい。
少なくとも道場内では基本技を変えちゃいけないよ。
初心者へ教える内容は指導者間ですり合わせておかなくちゃ。
全国的に統一しようとすれば、今の時点では荒れる。
本部の技には求心力が無いからね。
下手すりゃ組織が更に分裂する。
最低でも、もっと大先生直弟子師範達の技を取り入れて、
合気剣の稽古ぐらい普通に容認しなくちゃ。 開祖の直弟子もずいぶん少なくなっているんだろうね。
菅原先生、遠藤先生あたりが最年少くらいか。 合気会って 実質、合気道組合だからな
組合に加盟してもらってる独立系の集まりみたいなものだから
それをフランチャイズみたいに統一するなんていったら、そりゃ反発するって
そもそも、統一してみんな同じ合気道やるようになったら、演武会なんてこれほど退屈な大会ねえぞ?w
ただでさえ、似たり寄ったりで大して面白くもないのに >>787
どこか他所の柔術だったみたいな
所もあるよね 伝統武術の道場だったところが戦後経営判断で合気道に看板かけ変えたようなところはあると聞いた。 基本的には規範合気道ていう本を出してるんだから植芝家の免状をいただく以上それに準じないと
段位が上がれば変化や応用はいいだろうけど基本技ですら怪しい教え方をする人が増えた
逆に本とか出さない方がいいかもね
背伸びしたがる下手な有段者が見様見真似で効かない技をドヤ顔で初心者に教えたりするから つか辞める人を恐れて審査基準が甘いよね。昔はバンバン落とされたというけど 規範合気道はあくまで参考程度にしかしていないな。
例えば、本部スタイルの逆半身一教表、
あの相手の表側に大きく転身して崩す技の動きでやってるところは
全体の何割程度だと思う??
俺の見聞きした限りでは、本部系以外は別の入り方でやってる。
側面に崩す入り方、足を直角に捌く入り方、転換から入るやり方、相手を前方下段に崩す入り方・・
俺が知ってるだけで6通りのパターンがある。
だから「規範」とか言っても、あくまでそれは数多の合気会合気道のなかの
「本部派」っていうスタイルの一つに過ぎない。 「規範合気道」て本なりDVDなりの存在自体が、本部として「これに合わせてね」て意思表示だろうけどなあ。
現時点でそれを強制すると分裂は避けられないので、参考に留めておくべきなんだろう。
本部派としては不満だろうが。
個性的な地方の古い師範たちも時間には勝てないから、いつかは亡くなるし。若い人は本部の無言のプレッシャーに勝てない人が多かろうから、将来的には本部のに統一されるかもね。
……白川六段みたいな独自色の強い人でも全日本の演武見る限りでは合気会の評価は高そうだな?
そこを考えたら、本部も必ずしも統一しなきゃいけないとは考えてないかもね。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 当て身の話は団体や組織、系統や立場で異なるようで、一概に言えないけど。
合気道で、空手やボクシングみたいな当てる競技は成り立たないだろうね。 どう考えても杖道か銃剣道か棒術だよ。半身だからね。
しかし長物の武器は持ち運びが禁じられているから素手で
合気柔術をするんだろうね 棒術やってる身からすると、合気道の半身は全く半身じゃないよ。
合気道は、武器ありきの構えではなく、徒手用に改変した構えじゃないのかな? 合気道は完全に正面向きでしょ
横向いたら合気道の技使えないしw 八光流柔術総本部所属選手がK-1の試合でムエタイのゴンナパーと試合するらしい この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
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大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 「技の構えは心にあり、体の構えは六歩(半身)にあり」つー言葉が開祖の口伝としてあってだなあ………まあ、好き勝手な解釈が成り立ってる現状、そんなことはどーでもいいか。 猿さん>762で喧嘩売られてから沈黙してるけどどこ行ったの? 正面見たまま片足前に出してるのは正面構だぞ
半身ってのは腰骨と肩が横向き又は斜めになっている状態 開祖の「武道」て本で、構えてる開祖見てみ?
腰横向いてるから。
開祖が時代で変化したのか、状況により変わるのか、後の世代で変えたのかは知らん。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>810
「気勢ヲ充実シ足ヲ六方ニ開キ半身入身合氣ノ姿勢ヲ以テ敵ニ対ス
・・中略・・
足ノ踏ミ方ニハ外六方、内六方及外巴、内巴アリ 練習ノ際二伝授ス」
とあるね。
半身にならず真正面を向くのは上でいうと足が「外巴」の形になった状態。
養神館はこの立ち方だよね。 小学生にもマトモに掛けられない指導者を見つけちゃったよ…。
ホントに合気道辞めたくなってきたなあ。 少年部で指導やってるけど小学生相手で身長差があるなら座技でやるとちょうど良いよ 小さい子には半身半立ちで技を掛けたりするけど、足の運びが分からなくなっちゃうから教え方が難しいね。
特に子供は手の動きばっかり見て足の動きは全然見てくれないし、
運動機能は頭部から下部にかけて発達する傾向があるから、しょうがないっていうのもあるけど、 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs まあ、ご意見いろいろあるだろうけど。
武道の看板上げといて、いい大人が小学生も倒せない技法って…て思うね。俺は。 子供に限らず初心者にもある。
受けに面を打つ、突くといった意志がはっきりしてないと技もかけにくいだろう。 >>819
まず受けがやられ役の概念を捨てささないと無理
攻撃する方が自身の体位を崩すことなく確実に相手を打つではなく斬る、突っ込むではなく突くの動作ができるが人少ない 相手が逃げに徹すれば、ほとんど掛からないからなあ。
当て身や四教で攻めると稽古の意味が変わっちゃうし。 先生が向かってこなかったり
全身固めて動かないようなのは何も攻撃出来ないんだから
何もする必要無いと言っていたけど
そうもいかないよね 相手にボクシンググローブをつけてもらってある程度自由に動いてもらったら何も出来ずに殴られるレベル
相手の手をしっかり握れるとか相手がしっかり握ってくれるとかそう言った現実離れした前提条件の上に成り立つのが合気道 >>822
そうもいかないかどうかは本人が何をやりたいのか次第だと思うけど、相手の動きを待ってから動くのは、実際には危ないんだよね。
かといってこちらから動いて当て身とか急所を抑えることを起点にする(こういうやり方も養神館や岩間に伝わってはいる)と、普段の稽古と矛盾が生じるケースも。
当て身を主とすると拳法に近づくし。 護身のためと思って習っている女性がいるかもしれないけど女同士の喧嘩や揉み合いでもとても役立つと思えない
ローキック練習してる女に1発でやられる
あくまで道場という仮想空間で行われる演武なのでそこを理解した上で取り組むべし この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs こういうのって、押し合い、へし合い、突きなどの地味な攻防の末に、一瞬の隙を見て技を掛けるもんなんじゃないの?
なんで技「だけ」で攻防しようと考えてるのかが分からん。 頭で考えているだけでなく実際にスパーして検証する事が重要ですよ
と言っても合気道でスパーはしないと思うので他の武道なり競技なりでスパーを経験すれば実際に使えそうかの判断もある程度客観的に見られます >>828
ほんとにね。
やらない奴ほど「やると力比べになる」とか小賢しいこと言って分かった顔してるけど、「取り敢えずやってみよう」という姿勢が一番大事だと思うんだけどな。
まぁやってみたら外野はなんやかんやグダグダと文句言ってくるだろうが、所詮はやる勇気のない者の戯言。 スパーでもなんでもやりたいやつはやればいいんじゃない?
やりたくないやつはやる必要ない
そんだけ スパーやったら、合気道弱いのばれちゃうやん
勘弁でんがな 合気道で常に日本人がリスペクトされるのは、有りもしない技術と貫禄や
つまりハッタリやねん
柔道みたいに試合が無いのはものごっついメリットでんがな ただスパーをやるといっても合気道しか知らない同士でスパーをしてもほぼ意味はないと思います。
戦い方を知らないので。
一度外の世界でスパーや試合のある競技を経験する事は視野を広げる事にもなるのでお勧めです。
個人的にはボクシングとレスリングを推します
やってみると奥深いし合気道への見方変わります。
あの先生偉そうな事言ってるけど実はたいした事ないなとか >>834
日本の合気道の先生、九分九厘が大した事無い結果になるでんがな! >>833
それが大きなメリットなのは分かるけどそんなんで実戦語ったり指導者がやたら大物ぶったりするのがちょっとね。
単なる演武のインストラクターなのに何を勘違いしてるのかと 大物ぶったり実戦がどうのとか言う奴は体感上四段前後に多い 実力無いのに偉そうにしている勘違い先生が多い世界です。
他の武術や格闘スポーツの経験無しに合気道に入ると無批判な信者になりやすく危険だなと
指導者もピンキリなのである程度見極める目を持ってから入門した方が結果として充実した武道ライフを送れるでしょう! >>834
私もボクシングはオススメです。
実戦の勘が〜等の話ではなく、身体の使い方が非常に参考になるからです。身体操作を見つめないと上達しない誤魔化しの効かないスポーツだと思うので 最初から合気道ってのはだめだすなあ。
合気道開祖だって、色々やった後に合気道だすからなあ。 初心者に向いてない
長く続けても強くならない
合気道なんてやらないで、他のスポーツや格闘技がおすすめよ しかしでんがな
合気道の稽古はサーキットトレーニングとして、30分ぶっ続けで、組み手、基本動作位やってみたらええんや
そんだけやりゃ体力もつくがな
殆どの道場は立ち話や、理論語る奴ばかりなのが現状や
お茶飲み同好会と勘違いしてる道場が多いから、合気道やる奴は体力も筋肉も無いんや
技も全開で抵抗、掛け合いをするんや
ボクシングジムなんて行かんでもええ
大概本気で抵抗したら、技なんて掛からん >>844
三つの理由で難しいんやないかな?
ひとつ:合気会はお茶のみでも構わんとのお知らせを出しとる
ふたつ:そういう稽古に付き合ってくれる人が道場に少ない、もしくは居らん
みっつ:本気で抵抗しあったら怪我人が出やすい なんでも良いよ、ただ年数だけ立派な高段者はイキらないでくれ
組手が無いから咎める手段が無いから鬱陶しい 雑魚の分際で講釈だけは立派なジジイと関わるのが時間の無駄だから
段だけとって満足してろやオナニージジイが 急にどうしたの?
そんな道場行かなきゃいいじゃん
バカはほっとけ
黙って信じられる道場行くだけ 信じれる道場には行ってるよ
けど半分以上雑魚爺が混じってるしそいつ等が担当指導員の日は行かないようにしてる
本当は毎日行きたいんだが雑魚爺マジで邪魔 うーん、なるほど
んじゃあその人の日は技の稽古と捉えないで目当ての先生の日のためのエクササイズって考えたらいいんじゃない?
いくら指導者が違っても準備運動とか柔軟体操はするでしょ?体ほぐすために行けばいいよ
それにそんなにイヤならあとはひたすら受けを取ってるとかね
なんにせよどの指導者だろうとマイナスになるこたないさ いや、下手くそ指導員のろくに出来もしない準備体操の為にわざわざいかねーよw
そんなのは自宅でやるわw
もっと効率的に出来るし >>849
自分はどうなの?
人のことを悪く言うって自分も同じように言われてるってことだよ ええ先生の見分けるコツ教えたる
その先生が海外にしょっちゅう呼ばれるか?や
海外の指導は実力がものを言う
日本人みたいに忖度は無い(ゼロでは無いがな)
もしその先生が同じ海外の地域から何度も呼ばれるいう事はな、その技は本物つー事や
付け加えるが、日本に来る外国人が集う、先生はちと怪しいな
日本に来て免状だけ貰って早々帰る外国人も多いさかい、技なんてどうでもええやからも多いがな 本部道場で稽古してるけど海外に呼ばれるような先生でもえー?って人はちょこちょこいる気が
というかさー本部道場って下手な人身体ろくに動かせない人多すぎない?
他の道場知らないんだけどどこもこんなもんなの?おっさんおばさん爺さん婆さんみたいな 最近、若者が入ってこない・・・・・・
>>856
> 本部道場で稽古してるけど海外に呼ばれるような先生でもえー?って人はちょこちょこいる気が
しょーがない。
30年前とはレベルが2ランクぐらい、〇がってるんだから。
昔は大先生の直弟子師範の講習会にタダ同然で参加できたんだよね。
今じゃ孫弟子、曾孫弟子の”本部師範 誤爆した・・
今じゃ孫弟子、曾孫弟子の”本部師範”の講習会に高い参加料を払う時代になっちゃったし。
正直、”ちょっと視点がかわるかもしれない”、程度のことしか得られないんだよな。 >>852
すごく同意できる。とはいえ、立場的に行かざるを得ない人も居るからなあ。俺みたいに。
>>854
いや、海外の忖度も結構なもんよ。「ろくな知識もない日本人指導員」と影で笑ってたりしてるみたいだけど。 海外指導で渡航費、滞在費を払うのは殆ど現地やからな
毎回大枚はたいて呼んで笑いものにしてるならええお客さんや 東洋の神秘みたいに見とるお人も居ってやからなあ。
九字切りや滝に打たれるのが合気道に必要、みたいな論調やってはるわ。
日本人から見たら、いわゆるヲタクや。
大概の日本人指導者はそんな話はせんし、おそらくは知らん。
その辺を影で失笑しとるわけ。
技術的には向こうは口が達者やさかい、「こうや、こっからこうなる。ここは手と刀の動きは共通や、そやから刀やとこう、手でやるとこう。」と動きを見せながら説明する人が居てはる。
日本の指導者はどないや?
そもそも刀の抜き方知っとる日本の合気道人口はどんなもんやろ? >>862
合気剣なので居合や剣道とは違う
とうちの指導者は言っております 外人に支持されて海外からの入門者で支配されちゃってる団体 ロクな事になってないとこ多いからな
古流でも、香取なんか動画でアップされるようになってから、 見た目のカッコよさも相まって外人急激に
増えちゃって アレな事になっちゃってるし 武器を使わない喧嘩位だと、警官もまともに来ない、捜査しない国が殆どや
武道には使えるか?使えないか?の考え方は日本人以上に強いがな
今後は外国人から合気道を学ぶ時代が来るがな この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>863
言い訳だね。
そもそも合気剣ってなんなの?という話になる。 筋トレ不要論もおかしいんや
戦前の日本人は、大八車を引いたり、野良仕事したり、生活に筋肉を使ったり、全身を使う作業なんざ日常だったんや
今の連中、腕立て伏せ10回も出来ない様な連中が武道やったってそりゃ弱いに決まってまんがな
今日から合気道の道場は筋トレもするんや
どうせ家でやれ言うてもやらん奴だらけや
先生が「もやし共!今から鍛えるがな!」
位わめかんといけんがな! 「お茶のみで来てもよろしいねんで」て本部が言うてはるがな。
筋トレも結構、武器をやるのもお前はんの勝手。せやけどお茶のみに来る人拒否したらあかんえ、てなもんや。
コースを分けるべきなんやろうな、ホンマやったら。
若い人中心に、筋トレして、荒っぽいこともやって…てコースと。
ジィチャンバァチャン相手にチョロッと動いては休みしながら談笑しつつ稽古すんのと。 あと半世紀経ったら。。
合気道、ベースの武道が海外で興って
それが逆輸入されて大ブームになったるするんだろうね。
合気剣やります、合気杖やります、刀法もやります、パンチキックの対処も出来ます
当身の鍛錬もしっかりとやります。
だけど試合はやらない型武道だから老若男女誰でも出来ます。
インストラクターの資格取得が厳しいです。
その代わり、カリキュラムがはっきりしていて、誰でも、ちゃんと上達出来ます。
ってなったら、今の合気会合気道のままだったら、淘汰されちゃうだろうね。 >>870
けど合気道の結構な道場ご「護身術に使えます」とか言ってるからなぁ。
別にお茶のみに行くだけの武道ならそれでも良いけど、仮にも護身術と標榜するのであれば、最低限の強さは必要であると思うのだが、如何か? 逆輸入されて大ブーム、はないんちゃいますか?
彼らも日本国でのルールは特殊や、よう解らん…と思うてるさかいに、わざわざもって来はらへんでしょう。
持ってくるとしたら日本の人がアチラで学んで持ち帰ってくるかやな…と思いますわ。
で、今から半世紀くらい経ったら、日本の合気道はお茶お花みたいな趣味の伝統芸の世界になってて、「一緒にせんといて」て言うてそうやわ。 無理かなあ・・・
良いとこ取りのハイブリッド合気道って
今の日本じゃ面倒くさくて誰もやりたがらないだろうけど、
海外なら組織の縛りなんか無視して創り上げそうな気がするんだけどなあ。
情報の広がる速度が凄まじいからね。 >>872
>けど合気道の結構な道場ご「護身術に使えます」とか言ってるからなぁ。
それなあ。不思議なこっちゃ、思てますわ。私は。
手ぇ握った、腹に短刀ぶちこみにいった…言うても、みーんな約束動作でっしゃろ?
もっとフリーな攻撃に対して対処出来んと、護身にならんと思いますけどなあ。普段の稽古見てて、誰が護身術と信じはるんやろ?思てますわ。
>(前略)最低限の強さは必要であると思うのだが、如何か?
仰りたいことは解る気ぃします。
私も同意です。
最低限がどのくらいか…とか、強さとは何か…とかって話で茶あ濁す気はありまへんけど。本部にその気は無いんちゃいまっか?
試合が無いから自分のペースで稽古に励めます、てのが合気会の売り文句でっしゃろ?
本人にその気が無いと、体力や技の効きは向上しまへんえ?
試合があらへんから、モチベーション上げは昇段昇級審査や、人と稽古すること、人に教えることになりますやん?
自分がやったこともないフリーな攻撃への対応とか、教えられへんでしょう?そのくらいのレベルの人が指導してる人にゴロゴロ居りまへん?
強なりたいんやったら自分自身だけで頑張れや、言われてるような気がしますわ。 >>874
海外には既に幾らか在ると思いますよ?
つーか現地に応じて変化しつつあるように思いますわ。世界の合気道は。
仰るとおり、海外では縛りがないぶん、太極拳やハプキド、フィリピン武術や大東流とかを学んだり融合させたりしてるところが在るようですね。
もっとも、日本にも「合気道とサンボ」とか「空手と合気道」とかミックスさせた流派というか、道場は存在しますね。合気会ではないけれど。
ああ、望月稔先生の養正館(日本では正風会)なんかは、もっとも古いハイブリッドかも知れまへんね。 「それを捉(つか)まえられない様じゃ、武術は出来ん」(相手の状態や変化の一瞬を捉まえて最も相応しい対処を取れる様に成れという教え。
塩田剛三『合気道修業』166p) お茶飲みしたきゃ喫茶店でも行けばええがな
武道場は飲食店や無いんやで
本格的なお茶飲みは、喫茶店には敵わん
茶道もええな うちの道場は昔、正月は汁粉をつくって道場で食ってた
今はやらなくなったが 合気道道場は勘違いジジイがイキらないならどうでも良いよ
それと下手くその癖に初心者にデタラメ教えんな >>869
そもそも、開祖が北海道開墾して
木の根や大きな石を抜いたり動かしたり現代の土方より鍛えてるやろ >>881
帝国陸軍では、白滝に行く前に銃剣術の教官やっとる >>878
解ってるとは思うけど、実際に道場でお茶はせんだろうがよ。(苦笑)
町道場で一番多い層は、「楽しくお稽古できて健康的で、話し相手もいて嬉しい。護身にもちょっとは役立つかも」て思ってる人たちだと思う。
空手通ってた時にもそういう層が居たし、道場やっていく上では必要な層なんだから、それを容認しなさい…と本部は言ってるんだろう。
それはそれで良いのだけど、普通の武道には競技があり、勝ちを求める心理と努力、攻防のノウハウがある。
プロや選手ではなくても、続けていればそれなりに強くなった気もする。
競技を持たない合気道には、それがない。
大昔と違い、指導してる人たちにもそんなものは無い人たちが増えたハズ。
この状況で強さを求めるのはかなり難しいのでは? っていうか強くなりたいと思って道場通ってるやついるのか? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 確かに筋トレやらせるのはありだと思うんだよね。筋力いりませんとかくだらない建前は捨てるべき
武道なんだから強くなるっていう目標は全員共有すべきだしそこから逃げちゃいけないよ。そこを捨てたらもう武道じゃない
>>880
あぁ…いるよね…どう見てもお前よりまともに動けてんだろってやつに偉そうに講釈垂れる爺さん… 色んな合気道があってええんや
うちは喫茶店や!
うちは特殊部隊養成所や!
選ぶ選択肢が多いのはええ事や
ただな、お前ら合気道する時は道着は着るんやろ?
袴も履くやろ?
道着の下の身体がガリ又はデブで、構えた姿が貧素ならどうすんや?
勿論実戦どうこうはええ
しかしその見た目で、会員は来るんか?
何らかの説得力はあるんか?
俺は聞きたいがな ハイブリッド武道なんて昔からいくらでもありますがな。
1970年代の英文の武道雑誌にKajuken-Boなんて載ってるのみつけて吹いたぞ。
空手と柔道と拳法とボクシングを混ぜた完璧な武道らしい。 ハイブリッドって そーゆー意味じゃなくってさあ
尖がった別流派の?合気道を合わせる感じ?
例えば、岩間流と西尾流を合わせるとかね。
他武道格闘技と組み合わせたって面白くないよ。
あくまで合気道オタクがいろんな合気道の良いとこどりをするみたいなの。 戦前戦後、そして今まで、打撃合気道、総合格闘技合気道、試合のある合気道、そんなのは今までぎょうさん目指したもんはおったろうな
しかし主流にはならんかったな
なんでやろうなw 合気道の本質を理解してないから 開祖が言霊とかの話を真剣にしていても
それを合気道にとって真に必要なものだと思って、真面目に聞いてる弟子がいなかったから 2代目だった実力者の藤平が
開祖の怪しげな事は全否定派だったからなw >>889
>ハイブリッドって そーゆー意味じゃなくってさあ
>尖がった別流派の?合気道を合わせる感じ?
>例えば、岩間流と西尾流を合わせるとかね。
岩間流と西尾流のハイブリッド?………俺、岩間をベースにしてるんだけど。想像もつかないや。
まあ、岩間から今は無き渡辺師範みたいな触れない投げをやる人も出てるし?世の中にはそんな人も居るかもね? 合気道に限らず体系っていうのは緻密に組み上がった積み木みたいなもんだから
良いとこどりっていうのはすごく歪になる可能性が高くて愚策だと思うんだけどなあ。 >>884
俺がいる。バカにしてくれwただ全く使えないとは思えないけどな >>893
斎藤先生と西尾先生が土台としてる剣の流派ってなんだろうね? 開祖を絶対というなら何故足跡を辿らないんだろう
晩年の宗教状態に辿り着くまでの過程が大事なのにすぐ完成形?とやらを欲しがる輩が多すぎ
最近はすぐ結果結論を要求してくる人が増えたけど
武道学ぶなら過程が大事だという事がわからないのかな >>897
>斎藤先生と西尾先生が土台としてる剣の流派ってなんだろうね?
斉藤先生は、合気道入門前に剣道の経験がある。
現在、岩間に伝わる合気剣と呼ばれるモノは、開祖が岩間で鹿島新当流の影響も受けて作りあげたもの…と言われるが、開祖は鹿島新当流の弟子として名を連ねたものの、実際には鹿島の人には直接触れてない。見とり稽古と、鹿島の人に直接指導してもらった弟子との稽古だったらしい。
現在、合気剣として伝わるものの一部は、斉藤先生が整理・追加したもの。
西尾先生は知らんな。
雑誌を読むと。合気剣を教えてもらったがよく解らない、先輩(たぶん斎藤先生じゃないかな?)に質問してみても要領を得ない。じゃあ自分で研究してみるしかないか…と居合道を始めた、とか書いてあったような。
その居合の流派は覚えてない。 >>899
まず柔道の段位を取らんといけませんな
その他身体を鍛えまくり、筋肉ダルマになる位のフィジカルが必要でんがな
戦前のガチガチの稽古もせなあかんな >>899
単に開祖の宗教話についていけなかったんじゃね?
大本教の知識がないと解らないような言葉だし。 合気道を拡大路線に乗せていくのに、宗教的な要素は邪魔は 合気会にしても養神館にしても同じだったろうからな
塩田さんにしても、開祖のそういう宗教的な所を嫌った 官界財界の人達に推されて独立させられたようなものだろうしな >>903
なんじゃそりゃ笑
じゃあ居合道の先生になればよかったのに >>905
いやいや、合気道が剣の理と言うなら、剣を研究してみないとね…でやってるんだから、合気道研究の一環でしょ。
結局、合気道の徒手の動きと一体化した刀法居合ってのを作っちゃって教えてたくらいだし。 合気道は槍か銃剣道だよ。剣ではないね。半身の構えが示しているよ。 基本的に日本は教えるのが下手というか教えないんだよな。
見て盗め方式だからね。才能のあるやつ以外は迷宮に迷うんだよな。
結局は教えないから縮小していくんだろうね。
開祖の宗教って合気道の核だと思うんだけどね。宗教って愛だからね。武道は勇。
愛って相手に合わせることだからね。
教えないんだよなあ。難しい禅問答のようなことを言って。
相手に合わせようって言えばいいのに。
相手に合わせれば喧嘩にもならず武術の技も使用する場がなくなるんだよな。
それが不戦は絶対不敗ってことだろ。
武術の技の練習を相手に合わせる練習として考えるべきなんだろうね。
でも合わせるってカウンターってことだから、弱い相手には簡単に合わせられても
強い相手には合わせられない。結局は自分が強くならなければ強い相手には
合わせられないんだよね。
つまり強くなければ一方的に陵辱されるだけなんだよな。
愛や不戦を実行するには強くなければならないんだよな。
まあ合気道はウェイトトレーニングをしっかりやれば誰も弱いなんて言わなくなるよ。
それと槍か銃剣道か棒術か杖道ね。棒を素手で奪う稽古とっても良いと思うけど
あんまりやってないね。
剣なんて絶対に素手では剣取りなんてできないが棒なら素手で取れそうだからね 戦後の混乱期は今以上に武道のあり方の議論は凄まじかったと思うで
「武道がまた戦争に利用されるぞ」
そう言う意見の中で、どうやって武道や合気道が生き残るか
我々の議論なんざ、比較にならん位な >>908
完璧なる理屈ですね。すばらしい。
その考えでひとつ流派を興してみてはいかがでしょう。 「合わせ」は重要や、と思いまっせ?
相手に合わせようとすると追い込まれるぅ思いますけどなあ。(苦笑) 相手に合わせるってのは
相手に合わせて、迎え撃つってことだろ。 教える人にもよると思いますが、迎える前に誘いがあると思いますなあ。
誘い、迎えて導く。
そして、迎え「撃ち」はしまへんな。
ウチのところでは。
まあ、合気道も多様やさかい。そういう話もあるんかも知れまへんな。 >>899
その過程を辿るのを拒否した要因の一つが藤平なんですよ
脱力すればキツい稽古なんて要らなかったんだと教えたのよ
合気会にも強い支持者が居たから この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 砂泊先生はどうなんだろ?
開祖の伝記「武の真人」(を書いたのは父親だっけ?)を読むと思想的な事も伝えている
ように感じたんだが。
後は、大本教関係のコネ?で入門された某師範だけど、
この方は著書とか遺されなかったからなあ。
皮肉なことに免状発行してる本部では、そういうモノが途絶えちゃったんだね。
>>905
いや実際居合の先生でもあったわけで、
地方の講習会では、合気道とは別に必ず刀法の稽古もあったし
(刀法の)段位も発行していたんだから。 >>918
孫弟子さんと稽古して、猫みたいに投げられて感動した。あと床にうつ伏せで貼り付けられて全く力がだせなかった。
他の合気道は相手が悪かったか全く感動したことない。関節技なだけだった。
合気会しかり、光輪会しかり、親英体道しかり。 本物と言われる人は自分から書物したり語ったりする人はいない
故に後から習った門弟が自分の不出来さをカバーする為に背鰭尾鰭付けて誇張宣伝したがる
で突っ込まれると逃げ口上 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 開祖の著書は「武道練習」と「武道」だっけか。両方とも門弟への参考に作られた本で、非売品じゃなかったっけ?
塩田剛三先生のは先ず「合気道人生」て自伝的な本を出してたんじゃなかったっけ?「歳も食って振り返ってみたら、自分の人生いろいろあったけど、なかなか悪くなかったよ。」てな本だったような。
いやいやもっと技術的な話もひとつ…て要望に答えて「合気道修行」を書いたんじゃなかったっけか?
どっちかつーと回顧録では? 合気道は武道武術の才能が無い人間が殆どをしめてるから何が本物かすらわからない
有名人やパフォーマンスの上手い人間を本物と崇め奉ってるのが現状 昔は野良仕事で皆基礎体力が備わってたからこそ、クソ力を抜けと指導してたんだろうね。
そしてしばらくしたら、適度に力が抜けて、力の上手な使い方をマスターする、と。
今の合気道やってる奴ってヒョロガリとかそんなんばっかで、力を抜けの意味合い勘違いして力が無いくせに筋トレや体力錬成を拒否すっから、いつまで経っても雑魚は雑魚のままなんだろうな。 塩田剛三の本で一番大事な記述は
戦争中兵士が縛った中国人を蹴ったり殴ったりしたが、武術ではなかなか人は死なんというくだりかもしれない。 >>924
今はインターネットの動画での影響力が大きいから ますますパフォーマー優位の
傾向が強まっていくだろうね・・・ 華美で動画ウケのいい武道家が支持されていく傾向はこれからさらに強くなってくと思う >>925
力をぬけなんて師範も昔は空手や他武道に負けないような
無茶な稽古をしてその過程が必要だろと思っていたけどやっぱすうだよな
雰囲気だけでもケンカしたら勝てなそうだったもの 合気道に力は要らない、て言葉を信じて来る女の人もいるよねえ。
先生はその辺り、なんて説明するのかな?と聞き耳たててたら、違う話に変えちゃってた。笑
まあ、そんなもんだよなあ…と思ったさ。 合気道に力は要らないよ
打ち合わせ通りに行う演武なんだから 俺は正直に、初心者に、「合気道には力(筋力)は要る」って話してるよ。
型の動きの範囲内で、自分の力を最大限に有効に働く様に”出せ”って。
力を”抜く”ってのは力を、”込めない”で、”出す”ことだと思ってる。
上手く技が掛かってない人には、もっと力を出せって、しょっちゅう言ってるね。 >>926
塩田はんは、空手家、柔道家の中国での捕虜に対する行為を怒りを込めて見てたとか言ってたが、話によると自分も… 取り敢えず道場のホームページで「力がなくても出来ます」だとか「護身術に使えます」と言ってる道場はクソ確定だね。 ウチは健康推進とか体力向上とか自分に克つとかだった
セーフだな 護身術は嘘じゃ無いけど
合気道使わないと相手を殴り殺してしまうような奴が合気道で戦えば相手を大怪我させずに済むかもという意味の護身術だから 柔道とか空手だって
護身とはいえ相手を怪我させたら社会的にいろいろ面倒だし
トラブルは逃げるのが一番いいんだけどな >>936
合気道やってるような貧弱が殴り殺せるほど鍛えてるとは思えないし、合気道やってても相手が本気で暴れたら無力だから意味が無い。
よって護身術としては使えない。
つーかなんで自分が殴り殺せるだとか、暴れる奴を抑え込めるとか、自分が一方的に仕掛けられるのが前提なんだ?
やってもない、出来もしない事を前提として考える事自体がおかしいと思うが。 嘘とか本当とかっていう話じゃなくて、 力の無いヤツは力を使わない技で
カバーしていくしかないだろ? っていうただの真理だと思うのだが
言い方変えると、ガタイが良くて力が有り余ってるヤツは、もってるその力を
使っていく事こそが 自然に理に即してるというものではないのかと この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 植芝はんの過去の経歴は今で言う、自衛隊の指導教官や
ガリヒョロの自衛隊教官なんておるんか?
最低限自衛隊員並みの筋力、体力も無ければ合気道は語れんがな ガリヒョロで自衛隊に教えに行く指導員は沢山居るぞ
軍事教練じゃなくてあくまで娯楽、セミナーだけどね
自衛隊はオタクが多いからそういうの喜ぶんだよ >>939
力が無ければ鍛えれば良いじゃん。
フィジカルトレーニングが辛いから逃げてるだけでしょ?
そもそも力が弱いけど技がめっちゃキレる、なんて奴はいないからね。 腕力がいらないというのは全身の力を使うからってことだよな。
全身の力を使うから腕力のみに頼らないってことだよな 合気道はウェイトトレーニングをしっかりして
形稽古を猛スピードで行う稽古をすればかなり使えるよ。 >>946
そうや
トレーニングはせんし
形稽古は婆さん並みのスピード
んなもん使えまへんがな 俺の目指す合気道はこれ
https://youtu.be/mEUyPsdlNPY
こんなことやってたら道場に誰一人来なくなりそうだがw 合気道は腕力なんか要りまへんよ。
ワテがその証拠だすわ。
なんなら試しに来てくださいな。
https://youtu.be/TW0WuerdylY >>948
昔は、こんな稽古やってたけど、今の道場じゃ無理・・
相手がおらん。
それにスポーツ保険を使いたがらないセンセがそんな稽古させてくれないんだな。
あー 動けるうちに もっとビシバシぶん投げる稽古がやりたいよー https://youtu.be/FpFs2YfSVVY
合気道ではなく東南アジアのシラットの練習動画だけど
私は動画のようなスピードで型稽古をやりたいな。 >>949
有川定輝先生の素晴らしい技の数々。
これぞ真の合気道ですね ムチャクチャな合気道やる先生の下についた弟子は、自分が怪我しないように必死について行くしかない
結果的に受けが向上する またそこまで自分の引き立て役として弟子を飼い慣らした ともいえる >949で受けを取ってた人はこんな残念な仕上がりだけどな。
https://www.youtube.com/watch?v=_tyOe_8YxAU&ab_channel=enkuNariyasuToyosaki >>960
有川先生は他の動画の方がいいよ。相当な実力者なのは間違いない。稽古があまりにも厳しくて弟子が一人もいなくなった時期があったみたいだけど(笑) >>949
これは酷いなw
いったいこの人から何を学ぶんだろう 逆に、合気会本部で藤平光一先生の他に有川先生より優れた合気道家がいるなら教えてほしいものですが >>949
動画を見ました。
押さえ込みに足を使ってる点で合気道の前身である大東流的ですね。
この形稽古をスピードアップしていくととても使えるようになると思うな。
入身の後に関節技に移行しているが本来は入り身の後に当身を入れてフィニッシュ
のはずなんだろうね。当身が省略又は隠されていると考えるとまた違って見えるね。
この動画の特徴は受けが自分から派手に飛んでいかないというか気の流れの稽古ではなく力の流れの
稽古だということだね。 ここまでじゃなかったけど
週に一回ムキムキの先生の稽古の日は
1部のそういうのも、好きな人と
その日しか出ないチンピラ風の人達が集まってたなあ
週に1度位そんな日があっても良いんじゃね? >>953
お前みたいに、人のやる気を悟った風に腐す奴が合気道の癌だよな。 >>963
知ってるは、こんなところに名前を晒すという、
失礼極まりない事はしない。 >>965
有川先生は剣の理合による合気道の解説が特に素晴らしい。 武道とは強くなければならない。強くなければ愛する人を守れない 号令で腕立て伏せ80回
腹筋70回
船漕ぎ運動1時間
四方投げ連続相対1時間
これ位はして欲しいでんがな! >>970
フィリップ・マーロウの有名なセリフに似てますねですね。 正義なき力は無能なり。力なき正義も無能なり。 大山倍達 >>973
何この巨大ブーメラン
お前がそれ言うか?って感じだわ
大山倍達が空手=暴力のイメージを作った戦犯 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>974
いや
大山先生よりも梶原先生の作品影響でしょ。 >>976
いや とかじゃないよ。先生とかと呼ぶのはおこがましいと思うけどね。 大山も梶原も裏でも表でも暴力団と繋がっててそのことも公言してた。
梶原の愛人なんか酷い殺され方して、興行の為か知らんけど、プロレスと変わらんとこもあった。力動山とかと同じく先生と呼ぶのは門下だけで良いんだよ。 パスカルの「力無き正義は無能、正義無き力は圧政」のもじり、「力無き正義は無力、正義無き力は暴力」を大山倍達がドヤ顔で言ってた…と思ってたわ。 >>971
船漕ぎ1時間はムリー。絶対途中で飽きる。か、それとも膝を悪くしそう。
剣の型を色々組み合わせて1時間なら出来る。
四方投げ1時間は、余裕で出来るよー
40種類の四方投げを左右2本1ずつ、交互にやってれば
1時間なんてあっという間でしょ。 逆半身 6種類
相半身 5種類
両手取り 8種類
諸手取り 4種類
正面打ち 3種類
横面打ち 6種類
肩取り正面打ち 2種類
肩取り横面打ち 2種類
後両肩取り 2種類
後両手取り 2種類
後片襟片手取り 2種類
突き 3種類
あ 40超えてたわ。もっとあったかな?左右両方やったらその倍になるな。
肩取りは苦手だから省いたわ。 >>982
表・裏、半身半立ち、座りを除いてだよね?豊富だなあ。
逆半身片手取りの表・固い稽古として
・詰める
・流す(持たせて)
・流す(手を切って)
くらいしかやらなかったな。実質、そのうちひとつしかやらなかった。
今所属してるところなんて、四方投げ自体この二年は見たことすらない。 乱取りは、修行が上達し出来上がった人が自分を試すための方法だ。
何を試すかというと、技が掛かるか?などを試すのではない。心がとらわれることがないかを試すのだ。
多田宏 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 杉野嘉男(香取神道流師範)「植芝先生は非凡というか神技というか、もう普通では無いんですよ。
現在合気道をやっている人は開祖の凄さを『本当にそうなのかなぁ、疑問だなぁ』と言う。見て無いからそう言うんです。
そこへ行くと私は直接植芝先生を見ているから幸せだ」『植芝盛平と合気道』96p 翁先生は直接お会いしたかったなー。
オレの年齢的にかすりもしてないが。 >>983
あ、ごめん
表裏のパターンもカウントしてるわ。でも半身半立ちと座り技は入れてないよ。
2種類って書いてるのはみんな表裏。
3種類以上あるのは表裏以外の捌きも含むけど、
前の道場と、今の道場のギャップに悩んで、色々取り入れた結果
30本が40本以上に増えちまった。 合気道で一番大切なこと
開祖植芝盛平先生の教えをよく学ぶこと。
穏やかに自分をみつめて観察する心をもち、他人を批判しないこと。
沢庵禅師の太阿記の冒頭の言葉「蓋兵法者 不争勝負 不拘強弱 不出一歩 不退一歩 敵不見我 我不見敵 徹天地未分陰陽不到処直須得功」を良くかみしめること。
多田宏 ウチの道場では一教
てか一番に教える技だから一教じゃないの? >>991
>四方投げをやってないなんて信じられんな
だよねえ。俺も「?」とは思ってるんだが。おそらく身体の固いお爺さんが居たり、無茶する子供が居るので教えてないんじゃないかな? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>998
どうだろうねえ?
俺は別な道場から移動してきた身なので、それ以前の事は知らない。
従来からいる有段者は昇段審査で四方投げをしているので、昔はやってたのは間違いないとは思う。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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