[竹刀・防具] 剣道具を語るスレ[剣道着・袴] 11
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https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1534739406/l50 「憲法はGHQの素人がつくった」と言うネトウヨは、憲法の素人である安倍の改憲案には賛成するんですかね? 世の中、ナメていると国が滅びるよ。まあ、すでにかなり滅びてますが。。 >>929
この方は名前は伏せてるけど一式ブログにあげてたましたよ。 >>951
わかりにくくて許してクレメンス。
しなやかで柔らかく受け止めてくれるというのをトゥルースリーパーに例えました様は低反発か高反発かで飯塚さんは低反発系のアゴと胸と言うこと >>955
お仲間だから。やっぱ飯塚さんだよね的な >>956
たしか二分半の紺革一式だったよね
100はいかないだろうけどかなりのお値段しそう
防具に回せる予算が潤沢なのは素直に羨ましいw
そのしばらく後に投稿されたゴツい鮫も目を引いたけどあれも飯塚作? >>957
鮫…
うろ覚えだなぁ
もう確認できないもんね
貴方も二分半をお持ちなら、だいたいの金額はわかるのでは? 私が佐々木俊尚を批判するきっかけになったのは、彼が「弱者憑依」と言い出したからです。直接の当事者でない人が社会的弱者やマイノリティに味方することを、彼はそう呼んで批難しました。
佐々木俊尚の「弱者憑依」は一見、偽善に対する批判として正当に聴こえるかもしれません。しかし、人は当事者でなくても弱者や少数者の側に立つことがなければ、身体障害者も被差別部落も少数者ゆえに決して救われることがありません。
佐々木俊尚は知っているかな。「ナチスが共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。彼らが労組を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は組合員ではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
黒人はアメリカの人口の12%しかいません。多数決の選挙だけでは決して黒人の人権は守られません。そこでキング牧師は黒人の窮状を訴えて、多数派である白人が黒人の人権を守ろうと考えるようになりました。しかし、それも佐々木俊尚に言わせれば、「弱者憑依」になってしまうのです。
佐々木俊尚にならうと、ゲイでない人がゲイの側に立ち、黒人でない人が黒人の側に立ち、身体障害者でない人が身体障害者の側に立つことはみんな「弱者憑依」として否定されてしまいます。それは多数派独裁です。
民主主義とは多数決のことではない、というのはそういう意味なのです。
少数者を踏みにじるのは民主主義であるはずがない。だから、私は佐々木俊尚を中立的な穏健派だとは思いません。彼の「弱者憑依」という言葉は多数派の専横を意味するファシストの言葉だと思います。 >>958
いや俺は持ってないですただ興味あるだけでついに店を訪問する勇気を持てなかった者なので 最近求人見てるんですけど、月収15万とか17万とかの求人がざらにあること自体おかしいよ…20年間経済成長が止まってるのは知ってたけど日本人貧乏過ぎなのでは?こんな緊縮財政でなければ今頃手取りいくら違ったんだろう。介護正社員で14万とか有り得ない… >>960
遠方なの?今からでもいけば良いじゃない。 >>962
関東圏ではないので遠方っちゃ遠方
世間話だけしに行ってもええの?
行った人に聞くと飯塚さんの話は面白いらしいね
コロナ落ち着いたら竹刀でも買いに行ってみようかな >>963
遠方かそれだと勇気いるか。行ってとって食われるわけでも無いんどけど(笑)
良い竹刀有るよ。 「朝鮮人虐待はなかった」「南京虐殺はなかった」「従軍慰安婦はなかった」とかいう歴史修正主義は全世界から忌み嫌われるだけのクソみたいなデタラメです。
「でも歴史の新事実が明らかになれば認識を変えていくべき」という「新事実」とやらは全てデマとデタラメだけです。この歴史修正主義により
日本という国はは忌み嫌われる国に成り下がります。デタラメなデマばかりですから名誉の回復などあろうはずがありません。日本歴史学会の専門家に聞いてみるといい。
「新しい歴史認識を」なんて言ってるのは一人残らず壊滅的なバカです。日本を嫌われ者にしたくてどうしようもない壊滅的なバカ達。
こうして「世界の人が」日本人からまた離れていく段階に入ってきているみたい。まだ良識を持つ日本人も多くいるけれど、一般の大多数の日本人の歴史観があまりにも貧弱で世界の常識から乖離しつつあります。
名古屋見ても分かるようにその大多数のバカが良識ある人を攻撃し始めています。 「安倍さん倒れるまで頑張っているのに苛められて可哀想」と同情を募る脚本を誰かが構想したのでしょうか?まんまと嵌められていきますね 俺らなんて竹刀なんて近くの防具屋で売ってるので十分だろ。 栄光武道具の玄ってどうなん?ミシンと手刺があるけど。 普通の面縁の色は赤だけど朱色のやつってなんか意味あるの? あとは栄光武道具が最近推してる武州浅葱の内輪って誰か使ったことある人いたら感想お願い >>966
言わない、全部話したらつまらない。細身が好きならおすすめかな?行ってからのお楽しみ 安倍晋三が「謝罪の言葉」を口にするのを目にした戦時性暴力被害者は只の一人もいません。正しくは「安倍晋三がお詫びするって言ってたよ」と外務大臣が喋っただけです。よって当然それに納得しない被害者がいたというのが事実です。
その後安倍晋三はいけしゃあしゃあと「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」などという発言を繰り返し、
直接の謝罪も手紙も「そんなつもりは毛頭ない」と言い放ちました。当然反発する被害者がいました。それが事実です。
「合意」したのに「平和の像」が設置されたのではなく、それは「合意」前に(というかとうの昔に)設置されていました。日本政府は「合意」交渉の中で難癖をつけてその撤去を要求していました。
なぜそれが「難癖(ウィーン条約違反)」かお分かりですよね。日本は条約にかすりもしない場所に設置されている「像」に関しても「合意」後もひたすら圧力をかけ、撤去させようとしてきました。今回の美術展はその流れの一環に過ぎません。
反発する被害者の存在に対して日本はどのような態度を取るべきだったでしょうか。加害国として「合意を受け入れない被害者は頑なだ」というスタンスは正義に適ったものと言えるでしょうか。
果たして国連は「合意」後も再三再四「被害者中心のアプローチを」と勧告し続けてきたのです。
現政府が鬼の首を取ったように振りかざす「合意は合意」論についても繰り返し述べてきましたが、改めて。日本は合意文書に一言も書いていないことを理由に「ストックホルム合意」を反故にしましたし、
平壌宣言の際の約束を無視したことを自分の手柄と言いふらして総理の座に就いたのが安倍晋三です。
最後に。これも何度も述べてきたことですが、「加害の記憶を後世に伝える」ことは安倍政権が踏襲するとした河野談話の重要な一部です。「平和の像」の展示は論理的に言って日本政府にとって望ましいものでしかありえず、
寧ろ自ら作るべきものである筈です。
まずは自分でした約束を守れという話ですね。 高校生の試合で一番使われてる防具ってなんだろ
たまに手刺し使ってる人見る 絆武道具ってどうなの?
軽ければ良いとは思わないけど… 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>979
天、峰、鐵とかじゃない?ミツボシ系はどの年代も多い >>980
あれまじで良くない。面縁の漆がすぐ剥げる >>975
一刀斎も鐵心もあるけど違うやつ。知っててボケてるよね? >>980
コブラの小手持ってるけど、良くも悪くもないって感じ見た目は特徴的だし人によると思うな。結構有名選手使ってるよね 私が佐々木俊尚を批判するきっかけになったのは、彼が「弱者憑依」と言い出したからです。直接の当事者でない人が社会的弱者やマイノリティに味方することを、彼はそう呼んで批難しました。
佐々木俊尚の「弱者憑依」は一見、偽善に対する批判として正当に聴こえるかもしれません。しかし、人は当事者でなくても弱者や少数者の側に立つことがなければ、身体障害者も被差別部落も少数者ゆえに決して救われることがありません。
佐々木俊尚は知っているかな。「ナチスが共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。彼らが労組を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は組合員ではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」
黒人はアメリカの人口の12%しかいません。多数決の選挙だけでは決して黒人の人権は守られません。そこでキング牧師は黒人の窮状を訴えて、多数派である白人が黒人の人権を守ろうと考えるようになりました。しかし、それも佐々木俊尚に言わせれば、「弱者憑依」になってしまうのです。
佐々木俊尚にならうと、ゲイでない人がゲイの側に立ち、黒人でない人が黒人の側に立ち、身体障害者でない人が身体障害者の側に立つことはみんな「弱者憑依」として否定されてしまいます。それは多数派独裁です。
民主主義とは多数決のことではない、というのはそういう意味なのです。
少数者を踏みにじるのは民主主義であるはずがない。だから、私は佐々木俊尚を中立的な穏健派だとは思いません。彼の「弱者憑依」という言葉は多数派の専横を意味するファシストの言葉だと思います。 >>987
コブラの小手は普通かな、そこまで痛いわけじゃない >>987
無痛です。
ペラペラで軽いミシン刺しとは全く違います。 >>971
正武堂の青鐵が昔から浅葱の内輪。
普通の武州正藍染に比べると、柔らかくて肌触りがいいし、顔が青くならない。 小笠原武道具ってどうですか?
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