【ニンジャ】忍者・忍術の文献話等を書いていくスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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まず最初にこれだけは言いたい
行政等は忍者地帯の民家にガンガン訪問して、倉等にある文献漁らせてもらい公開せよ
面白い忍術文献が見たい 忍者を中国朝鮮起源とか未だに言ってるやつらを逮捕してくれ
奇門遁甲、遁甲方術書も忍術書じゃねーよ
というか忍者ですらねえし中国朝鮮に存在してないもんを一々結び付けやがって
「忍者 募集SITE」とかなんか日本語でガチ起源論やってるキチガイが居るから困る オカダンさんはかつて、柔術より有力なのは忍術だと述べていました。 中国起源の証拠は皆無で昔は中国忍者すら存在してないのに
さまざまな技能がある日本スパイの忍ってだけ
中国の韓国人化ヤバイな(´・ω・`)
【今日頭条】「服部半蔵の祖先は中国人」 日本の忍者や忍術の起源、実はわが中国にあった![3/24]
http://mint.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1490355265/
ルーツの箔付けに中国名乗ったり源氏名乗ったりすんのも知らなさそうだ 歴史学者の磯田道史の「歴史の愉しみ方」面白いぞ。
2012年の本だけど、
「侍帳」(さむらいちょう)というものがあって、サムライの実際の名前がわかるらしい。
各藩にあったそうだ。
そこに忍者の名前が六十名、十七名、十名、頭領二名のみ。と岡山藩に名前が残ってるんだって。
ほとんどが伊賀から来たものらしい。
忍者は侍であるというのも確認できるらしい。
まだ読んでる途中だけど、岡山藩の忍者のほとんどは伊賀から来たものらしい。 「正忍伝」が29800円とはがっぺむかつく。
忍道とは最強の兵法で、子孫繁栄の術だとさ。
読みてえ。 忍術で知られる伊賀の里は修験道や能などの特異な文化とも密接な関わりがありその根元には古来この地に渡来したユダヤの一支族の文明がうんたらこんたら 忍者の研究をしたい人に伝えたい。
・「おしの」:忍野は、天皇の御忍びから来た忍者を表す単語である。
・「物見」(ものみ):物見は古代中世では忍者だと考えてもいいだろう。
・「偵察兵」:現代では、もし物見が忍者だというなら偵察兵も現代の忍者だ。
このことばを調べるのも、忍者研究である。 実利を重んじる者は、古代、中世の科学者の先駆けであるといえる。
本音を重んじる者は、古代、中世の心理学者の先駆けであるといえる。
犬塚拓馬くんも、徳川家康も、本音の研究者としては功績があるので、心理学を介することによって科学者と見ることも可能だ。
忍者が実利を重んじており、本音に疎いことから、忍者に東大行動文化学科の犯罪心理学を推薦して、
忍者を心理学者として科学者を兼ねさせようとしたのは犬塚拓馬くんである。
実利と本音を重んじる天は、忍者が重要だと考えて、忍者の音読みに良い中国語を当て続けた。 だが、犬塚拓馬くんの心理学での功績とは、精神病患者の本音を広く知らしめたことである。
むしろ、心理学者ではなく、実験動物としての成果かもしれない。
その点、平和をもたらす兵法が「男心をつかむ」であると書き記した徳川家康は、極めて重要な兵法家であり、心理学者である。 「正忍伝」読了。
作者、名取兵左衛門。名取とは匿名という意味で、本名は藤一水子正武だといわれている。
堂々と、忍者とは盗人であると書いてある。ありえんだろ。ぶっ殺すぞ、忍者。
盗人から見た日本の歴史が書いてある。
盗人を手下としてよく使ったのは、聖徳太子、源義経、楠正成、徳川吉宗であるという。
忍者の起源をたどると、中国の黄帝や孫武にまでさかのぼるという。
夏王朝を滅ぼしたのが、盗人を従えた伊尹であると伝わっているので、忍者は王朝を滅ぼす技術であったのは常識のようだ。
忍者は、よく人の近づくものが良いとされ、美男美女を堂々と人のよく近づくものとして認識している点は凄まじいの一言である。
「人の善意は最大の隙なり。」と書いてあるよ。ありえねえよ。
大将と敵大将の使者についていくことが牛馬の術というらしい。
「喜怒哀楽愛悪欲」この七つの心はもともと先天的に人が持っている感情だと述べている。 忍者は、盗賊であり、武家に仕える盗賊が忍者といわれるわけだね。
侍の盗賊が武家に仕えているのが忍者であり、名も地位も流派もどんどん変わっているようだよ。
「正忍記」が奏上された1681年は、徳川吉宗が紀州藩主だった時で、確かに、
江戸将軍ではなく、紀州藩主の徳川吉宗に奏上されたものである。
徳川吉宗は、1684年に将軍になって、お庭番という公儀隠密を制定して忍者を従えたのです。
盗賊の頭である徳川吉宗が将軍家をのっとり、増税したのは本当に善政だったんでしょうかね?
ぼくには疑問に思えてきました。 ごめん、まちがえた、まちがえた。
1684年は徳川吉宗が生まれた年で、将軍になったのはずっと後だ。
紀州藩に奏上された忍術書「正忍伝」が伝わり、紀州藩出身の吉宗は将軍になった後、
公儀隠密の改革をしている。 >>49
忍者中国起源説は完全にファンタジーだしな
なにより中国に忍者が存在しない
いわゆる「箔付け」ってやつだ
証拠がないのに先祖を偉人ルーツにしたり
忍にしても様々な種類があるし、当てはまらない 盗賊の起源はそのまま泥棒であり中国ではない
人が多いと自然発生し得る
忍者は中国ルーツの盗賊ではないが反中史観の疎い昔では、中国の偉人をルーツ扱いすんのにも抵抗が薄かったのだろうな >>49
「ありえんだろぶっころすぞ忍者」
ってどういう意味で言ったの? 家系図ブームで家系図捏造
源氏の先祖と言ったり
徳川家康の系図も実在性疑問視がある だいたい祖先がどこ某の某なんて吹聴するようなやつは
周囲からは心のなかで笑われてることを自覚した方が良いよ
日本の総人口から遡っても桓武平氏、清和源氏の子孫であるというようなことは
誰にでも当てはまること
周りは今のお前しか見てないんだから ユニークで個性的なネットで稼げる情報とか
一応書いておきます
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1UT7Y 日本の文化(女をいちばん抱けた文化)
45年代(占領時代)
50年代(独立戦争)
任侠文化:犯罪をいとわない仁義の文化。占領下では英雄たちだった。
55年代
60年代
テレビ文化:男優や女優がモテた。テレビにみんなくぎ付け。
65年代
野球文化:巨人の九年連続日本一、野球はGHQの推進した洗脳スポーツだったけど日本では大人気、
70年代
パチンコ文化:在日朝鮮人の賭博詐欺だが、この頃は日本のパチプロはモテた。機械仕掛けじゃない。
75年代
東南アジア移住文化:物価の安い東南アジアに移住した人たちが王侯貴族の暮らし、
80年代
エリート文化:一流企業の総合職の文化。ゴルフ、お洒落なディナー、ドライブ、
85年代
ツッパリ文化:軽犯罪、暴走族、関東連合全盛期、漫画ワンピース尾田栄一郎の青春時代
90年代
音楽文化:カラオケ、ライブ会場、バンド、
95年代
お笑い文化:お笑い芸人、ヴァラエティ番組、 00年代
インターネットアンダーグラウンド文化:セクハラノウハウ、出会い系、英雄決定戦、
05年代
漫画文化:コミケ会場、同人誌製作(女子高生文化やアングラ文化の再現漫画製作現場)、
10年代
正規ネット文化:ニコ生主、ボカロ、電王戦、ネット小説、アフィリエイト
15年代(推測)
秘密研究所文化:研究所、秘密の楽園、
20年代
予測不能
補足。
日本の格闘技文化がしらけて終わったのは、本当に強い格闘家は、本気出すと素手で相手を殺せてしまうからである。
日本のお笑い文化が強制終了させられたのは、日本の子供たちが笑い死にしてどんどん死んじゃうからである。
日本のお笑いはもはや殺人兵器だ。
現在、いちばんモテてるのは美少女のクローン人間をロリで抱いている生命工学研究所の予定だったけど、結果聞かないとわからない。
野球部とかパチプロはもう伝統芸能だからどんどんつぶすわ。規模大幅縮小。
日本独立運動。
任侠文化は、日本の独立戦争なので重要なので書く。
「忍術(盗賊団)は王朝を滅ぼす術である」と伝わってる忍者がアメリカ占領司令部GHQを襲撃。
それが効果的とわかって、任侠ものがGHQやアメリカ兵を攻撃。
任侠ものには、退役軍人や日本の貴族、坂口安吾の堕落論を読んだ若者が多かった。
そして、日本の政治家吉田茂が公式に独立を勝ち取ったことによって日本は独立した。 >>46
おそらく「物見」は監視や偵察のことです。
古流にもあります。 飛び加藤の知名度の低さ
【アメリカ国際スパイ博物館】日本の5大忍者の研究『ダンゾウは、幻術を使って牛を丸ごと飲み込んだ』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1516495828/ エロさと美しさがあるな
【イラン忍者】3000人の女忍者 1989年の発足 イラン女性の間で日本の忍術への関心が高まっている理由「心身のバランスを保つため」
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1328852085/ (歴史・文化ガイド源義経の時代より抜粋)
在来馬にはそれなりの特徴がある。 ひとつは駄載力である。
後世の事例だが、江戸幕府は馬に載せる荷物を四十貫以内と定めている。これは、約150キロになる。
鎌倉期の甲冑は、30キロ以上になるから、それを装着した武士は80キロを超えることもあっただろう。
戦に出る場合は、この重量を負担して歩いたり、疾走しなければならない。
もうひとつは耐久力で、江戸時代の駄載馬は荷物を着けて1日7里から10里を歩かせたという。
最長距離40キロということになる。
ペルシュロンのような重種ならともかく、サラブレッドなどの軽種ではとても負担できるものではない。
重い物を長く運ぶには在来馬は比較的適しているといえるかもしれない。
むろん在来馬でも重い荷物を背負って全速力で走り回ればすぐに疲労してしまう。
ただ日本の合戦は馬から下りて戦うのが常識であり、騎馬による突撃はあまり行わないとされているので、馬の使い方はほぼ想像力できる。
甲冑を着けた重量のある武者を長距離にわたって移動させる(荷駄も条件としては変わらない)。
これこそが在来馬を合理的に使役する方法だったのだろう。 太平の江戸、忍者つらかった 甲賀の頭「秘術信用されない」
甲賀市が刊行した甲賀忍者資料集の第2弾(同市役所)
甲賀市が刊行した甲賀忍者資料集の第2弾(同市役所)
「70歳前後より若い者は役に立たない」
「学問が盛んになり、秘術が信用されない」。滋賀県甲賀市がこのほど刊行した資料集から、
甲賀忍者が江戸時代の平和な世の中で自身の立場の衰退を嘆いたり、将来を不安視する姿が浮き彫りになった。
編集した市教育委員会は「忍者が重んじられない状況への危惧など、ここまで切実な肉声を記した記録は珍しい。
甲賀に限らず、当時の忍者全体に通じる問題ではないか」としている。 尾張藩に仕官した甲賀忍者に関する古文書の訳文や解説を載せた資料集「甲賀者忍術伝書−尾張藩甲賀者関係史料U−」で、
昨年刊行した資料集の第2弾。同藩に伝わる文書を紹介し、市内の民家で発見された文書の現代語訳も併載した。
尾張藩の史料は、甲賀の地で暮らしながら「忍び」として同藩に仕えた
「甲賀五人」の頭(かしら)である初代木村奥之助(1600年代半ば〜1723年)が弟子に口述して書き取らせた
「無窮会所蔵史料 甲賀忍之伝未来記」など7点。全て楷書体に直し、解説を載せた。
「未来記」には、昔は甲賀の忍術が一つの流派として世間に浸透していたが、
現在70歳前後より若い者は役に立たない−などと、忍者の技術や立場の衰退を不安視する内容が並ぶ。
問題点として、平和な世で業績がなく重宝されない▽技術を試みる機会がなく、研鑽(けんさん)する気持ちがない
▽学問が盛んになり道理が重んじられ、秘術が信用されない▽秘密性が高いため間違って伝えられることが多い−
など13箇条を挙げている。
「内容は甲賀五人に限らず、江戸期の忍び全体に通じる問題だろう。忍術の伝授に関する文書は多く残るが、
心情にまで想像力が及ぶ史料は貴重」と市教委歴史文化財課は説明する。
また、「甲賀五人」を先祖に持つ同市甲南町の渡辺俊経さん宅で見つかった古文書類のうち
11点の現代語訳を併せて掲載した。
尾張藩に「御忍(おしのび)役人」として出仕した契約書である「盟文之事」
▽藩役人との忍びの術に関する問答記録▽徳川家に対する甲賀武士の軍功を記して奉公を求めた願書−など、
「甲賀五人の藩での立場や具体的に何をしていたのかが分かる史料」(同課)という。
500部限定で、A4判172ページ、2千円。問い合わせは市観光協会 ニンジャスレイヤースレ化してると思ったら真面目なスレだった 年寄りの方が役に立つということは
忍者の技術というのは、ノウハウの方がが主体で
身体能力はそれほど求められていなかったんだろうな 忍者は絶対にいた可能性が極めて高いと思われる今日この頃 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています